一度眠り、次に目を覚ましたら、なんと少し未来の異世界だった。はて、どんな冗談なのだろうか。
仮に以前までいた世界を前世と呼ぶが、前世の自分はいわゆる普通の人間だった。
適度に勉強して、適度に遊んで、たまに馬鹿をやらかして、そこそこの企業に就職してお金を稼ぐ。恋人はついぞ出来なかったが、友人には恵まれた。
そんな満足した人生に、強い未練や後悔はないと言える。
「…………痛っ」
夢なのだろうかと考えて、頬をつねったりもした。結構痛かった。夢ではないらしかった。
そんな惚けた思考から戻って、世界を調べてみたら、以前とは何もかもが変わっていた。
私の生まれた年代が前世より少し遅れているのもそうだが。なによりこの世界は男女の貞操観念が反転し、男女比が女性に偏った世界だという。要は女性が積極的に送り狼をする世界である。は?
また、私自身も根本から変わっていた。特に性別が。前世だと女だったのに、今では立派な
初めの数年は途方もない違和感があった。何せ前世では無かった物があったり、あった物が無くなったりしたので。まぁ、十数年も経てば慣れるもので、周りから女に対する危機感が足りないと言われつつも、順調に育っていった。
前世の知識で何かを成す、なんてことはなかった。勿論それなりの知識はあるが、現世の技術は前世のそれを上回っている。凡人の域を出ない一人間が出来ることはなかった。
それでも一度学を修めたというのは大きなアドバンテージだ。“神童も二十歳過ぎればただの人”とならぬよう、また将来のため、勉強はコツコツ進めていく。
そんな勉強以外の取り柄があまりない私は、その数少ない取り柄を伸ばすために上京した。大部分は一人暮らししたかった、が理由だが。何せ前世では何十年も一人暮らししていたもので。
両親からは止められたが、男子の特権をぶん回せば防犯設備の整った部屋を格安で借りられること。私の将来設計。そして親が取り決めたルールを守ることでしぶしぶ納得してもらえた。
ルールに関しては、夜九時以降は極力外出しないこと。外泊をする場合は必ず事前に連絡すること。知らない女性に送ってもらわないこと。家に女性を上げるときは必ず事前報告。……もっとも、その予定は当分ないと思うが、他にも幾多か決められている。
過保護だとは思うが、この世界では男子が被害者になる事件は決して珍しくない。ニュースでは毎週のように
前世で言うなら、幼い娘が「一人暮らしを始めます」と親へ告げるようなものだ。心配するなという方が無理だろう。だが守るべきことを守っている限り、両親は私を信じて送り出してくれる。
第二の家族も良い人なのは、私の自慢である。
◇ ◇ ◇
「ん……」
雲居千草の朝は早い。日が昇り始めた程度の時間に目を覚ます。
そこそこの値段のする宅配食をレンチンして食べた後はお弁当を
弁当に蓋をして、身支度のために鏡の前へ向かう。
「化粧よし、制服よし、忘れ物なし……行くか」
玄関のドアを開ける。
瞬間、むわりと水と熱を含んだ空気が体を包む。梅雨特有の不快なそれだ。空は日本晴れそのものだが、湿った風がゆっくりと流れていた。森に囲まれた田舎ならまだマシなのだが、どうしてこうも都会は暑いのか。
止まっていた足を動かし、駅へ続く道を歩く。
時刻はまだ朝早い。通勤通学のピークにはまだ早く、街に人影はほとんどない。犬の散歩をする人や、コンビニから出てきた会社員とすれ違う程度で、車の走る音もまばらだった。
肩まで伸ばした髪と薄いメイクのおかげで、周囲から不必要に視線を向けられることはほとんどない。
化粧をするのは前世の影響だけでなく、自衛のためでもあった。まだ朝早いこの時間に家を出るのも同じ理由だ。人が多くなればなるほど誰かの目に留まる可能性は上がる。
故意でなくとも、騒ぎを起こしてしまえば両親に申し訳が立たない。余計な面倒事は避けるに越したことはなかった。
改札を抜けてホームに入る。まだ空きが目立っていた。学生の姿はほとんど見えず、電車を待つ列は短い。
ちょうど到着した車両へ乗り込み、空いているロングシートの端へ腰を下ろす。発車を知らせる電子音がポンと鳴って、電車は静かに動き始めた。一定のリズムで揺れる車内は、ひどく眠気を誘ってくる。窓へ頭を預ければ、あっさりと微睡みの中へ沈んだ。
どれほど眠っていたのか。ポケットの中で、ぶるっ、と短いスマホの
目を開けて周りを確認すると、目的の駅まではあと一駅。頭を軽く振って意識を覚まし、電車が減速を始めるのを窓の外へ眺める。
駅で電車を降りて、残り十分にも満たない通学路を歩けば見慣れた校舎が視界に入った。
校門をくぐると、朝の静けさは校舎の中へ入るにつれて少しずつ薄れていった。
昇降口では登校してきた生徒たちが思い思いに友人と言葉を交わし、教室へ向かう廊下にも笑い声が響いている。それでもまだ始業前。慌ただしさよりも、これから一日が始まるという穏やかな空気の方が強かった。
自分の教室へ入り、席に鞄を置く。
数人のクラスメイトと軽く挨拶を交わしながら、一限目の準備を済ませる。性別にあまり合わない化粧と長めの髪で入学当初は多少の噂になったが、それも時間とともに落ち着いていた。
始業のチャイムが鳴る。
ホームルームを終え、授業が始まった。
教師の声を聞きながらノートを取り、黒板へ書かれる内容を書き写していく。
数学や科学など、理系科目は前世で学んだそれと同じだが、文系のそれは所々前世と異なっている。うっかり聞き逃して後々とんでもないミスをするのは避けたい。
休み時間になるたび教室は賑やかになるが、輪の中心へ入ることはあまりない。双方ともに距離感を測りかねているというか、化粧をして髪を伸ばした男子とどう話せばいいか困るのだろう。同じ状況になれば私も困る。
グラウンドでは体育の授業が行われており、生徒たちの掛け声が風に乗って微かに聞こえてきた。
四限目も終盤に差しかかる頃には、教室の空気がどこか浮ついて、時計が気にされ始める。教師が最後の説明を終え、「今日はここまで」と告げた瞬間、待っていましたと言わんばかりに終了のチャイムが鳴り響いた。教室は一気に昼休みの喧騒へ包まれて、その騒がしさをほほえましく思う。
鞄の中から取り出した弁当二つを手に教室を出て、隣のクラスへ向かう。
目的の席では、今日も彼女が机に突っ伏していた。
「……力尽きてる」
苦笑しながら肩へ手を伸ばしかけて――ふと、その手が止まる。
友人の肩を軽く叩いて起こすくらい何でもないことだ。だが、相手が異性となれば話は変わる。前世では自分が女性で、今世では男性。世間の価値観も正反対。こうした距離感はいまだに感覚として整理しきれていない。
ふと視線を上げたら、目の前の寝坊助さんの席へ向かってきた二人が、こちらに気付いて足を止めた。
宙に浮いたままの手を引っ込めて、二人へ小さく視線を送る。
——起こして大丈夫?
彼女たちは揃って寝坊助さんへ目を向ける。意図は無事通じたらしく、眠ったままの彼女を見て、二人はどこか仕方なさそうに苦笑すると、ほとんど同時に小さく頷いた。
その反応を確認してから、ようやく細い肩へそっと触れる。
「彩葉さん、起きて。お昼食べようか」
性別 男
精神 女
見た目 中性
価値観 前世混じり
我ながらなんだこの属性の過積載主人公