先生に呼び止められたのは、放課後、終業のチャイムが鳴って間もなくだった。
帰り支度を終えた生徒たちが次々と教室を出ていく中、鞄を肩へ掛けたところで名前を呼ばれる。
「千草、少し時間あるか」
「はい」
多分、成績とか将来の話だろう。期末試験も終わったし、進路希望調査の時期でもある。問題も起こしてない私が呼ばれるとなれば、その手の面談くらいだ。
先生の後ろを歩きながら廊下へ出れば、夕方の日差しが廊下を橙色に染めていた。帰宅する生徒と何人もすれ違い、そのたび軽く会釈を交わす。
応接室へ入ると、先生は慣れた様子でエアコンの電源を入れ、私も向かいの椅子へ腰を下ろした。
椅子へ座った先生は一枚の紙を机へ置く。
案の定、私の進路希望調査票だった。
「……お前は進路、どうする?」
「大学には進学しようと思ってます」
そう答えると、先生は困ったように眉を下げて紙を軽く叩く。
「そうじゃなくてな、その先だ。仕事とか、将来の夢とか」
少し考えてから首を横へ振る。
「特には……生活できるくらい稼げて、無理なく続けられる仕事がいいな、とは」
「ずいぶん堅実だな」
「安定して生活できるのが一番だと思っていますから」
「となると……公務員とか、大手企業とか、その辺か?」
「余程のことがなければ」
先生は腕を組んで、何度か頷く。
「お前ならどこでもやれるだろ。真面目だし、成績もいい」
「ありがとうございます」
褒められて悪い気はしないが、正直複雑でもある。前世の知識という反則があるだけで自分が天才や秀才の類いだとは全く思っていない。
先生は進路希望調査票へ視線を落とし、小さく苦笑した。
「もっとも、この成績で夢らしい夢がない生徒も珍しいが」
「そうですか?」
「成績がいいやつほど、医者とか研究者とか教師とか、はっきり決めてることが多い。彩葉が典型だな」
「あぁ、弁護士希望でしたっけ。努力家ですよね」
弁護士という目標を決め、そのために勉強もアルバイトも全力で続けている。もう少し周りを頼ることを覚えてほしいとは思うが、ああいう風に生きれる人は素直にすごいと思う。
私はそこまで何か一つに人生を懸けられない。普通の日常を送れて、普通に働いて、普通に老いていければ、それで十分だ。
前世だともっと意欲的だった気もするが……転生して人生丸ごと消えた分、性根が悲観的になったのだろうか。
「まぁいい」
先生は進路希望調査票を閉じる。少しだけ間を置いてから、思い出したように口を開いた。
「最後に一つだけ」
「はい」
「クラスの女子……特に彩葉と仲良いよな?」
「……私から一方的に友人だとは、思っています」
先生は小さく頷き、小さく笑った。
「いや、最近よく一緒にいるからな。昼休みなんか特に」
「私が彩葉さんのお弁当作ってますし」
先生は苦笑しながら続ける。
「一応聞いておくが、断れずにしぶしぶ作ってるとかじゃないんだな?」
「むしろ私からお願いしましたよ」
私がそう答えた瞬間、先生は天井を仰ぎ、片手で額を覆った。
「……あー」
心底疲れたような声だった。
そのまま小さく息を吐き、首を左右へ振る。
「親御さんの言ってた"独特な距離感"はこれか……」
「……?」
何のことだろう。
首を傾げる私を見て、先生は苦笑するしかないといった様子で手を下ろした。
「……気にしなくていい。独り言だ。互いに納得してるなら俺が口を出す話じゃない」
「そうですか?」
何のことを言われたのかはよく分からなかったが、先生がそれ以上説明する様子もない。
「これで終わりだ。放課後に時間取らせて悪かった」
「いえ、ありがとうございました」
席を立って一礼する。
応接室を出ると、校舎の中もすっかり静かになり始めていた。
◇ ◇ ◇
一晩明けて、翌日のお昼休み。
「……なんか今日の弁当、肉多くない?」
蓋を開けた彩葉さんが、不思議そうにこちらを見る。
今日は照り焼きチキンに生姜焼き、さらに小さめのハンバーグまで入れてある。卵焼きやブロッコリーも彩りとして入れたが、明らかに肉の比率が高いのは、まぁそうだろう。
「確かに」
真実さんも身を乗り出して弁当を覗き込んだ。
「いつもより豪華じゃない?」
「茶色率高いね」
芦花さんがくすりと笑う。
「精をつけてもらおうかと。もう夏ですし」
「ありがたや~」
「感謝するくらいなら、普段からもっと食べてください」
私がそう言うと、彩葉さんは苦笑しながら箸を手に取った。
「はいはい。いただきます」
そう言って生姜焼きを一口運ぶ。噛むたびに少しずつ表情が緩んでいくのを見て、ひとまず安心した。
「私も、いただきます」
そう言って、照り焼きチキンを一口食べる。
十分美味しいし、甘辛いタレは決して悪くないが……もう少し照りを強くしても良かったかもしれない。
時間のない朝かつ、残り物主体では細かい調整は難しいので仕方ないが、次に作る時は片栗粉を少し使ってみようか。
そんなことを考えていると、彩葉さんはさらに二口、三口と生姜焼きを頬張っていた……食欲があるなら問題ないか。
「そういえば」
真実さんが思い出したように口を開く。
「昨日のカフェ、千草も来たらよかったのに」
「……それ、芦花さんと真実さんの赤点回避記念でしょう。私関係ないじゃないですか」
「そんなの彩葉に食べさせる建前だって」
「放課後には進路相談もありましたし、どのみち無理でしたよ」
そう答えると、真実さんは少しだけ頬を膨らませた。
「ま、いいや。そのカフェにね、かぐやちゃんって子が来たの」
「へぇ」
「彩葉と一緒に住んでるんだって」
その情報に思わず箸が止まった。
「……歳はどれくらいでした?」
「さぁ」
真実さんは少し首を傾げる。
「私たちよりちょっと下くらい?」
芦花さんも頷いた。
「多分中学生だったよね」
……中学生?
それはおかしい。
先週の金曜に彩葉さんと会ったとき、彼女は大量の育児用品を揃えていた。私はてっきり赤ちゃんを育てているのだと思ったし、今も変わっていない。
それなのに、一緒に住んでいるのは中学生くらいの少女。訳が分からん。しかし綾紬さんが嘘をつく理由もないし……ふむ?
箸休めに米を食みつつ、頭の中でいくつか可能性を並べてみた。
親戚?
無い。私がかぐやちゃんの親なら、我が子を
妹?
無い。彩葉さんの兄弟は兄が一人だけだったはずだ。
家出娘や居候?
育児用品の使い道が赤ちゃんプレイ説が真実味を増すから考えたくない。なんで新情報であの冗談の説明力が増すんだ。
赤ちゃんはかぐやちゃんの子どもか弟妹?
警察に頼らない時点で絶対に厄介な事情持ちだ。さっきとは別方向で考えたくない。
そう考えながら、そっと彩葉さんへ視線を向ける。
ぱちり、とほんの一瞬だけ目が合ったが、次の瞬間にはものすごい勢いで目を逸らされた……うん。少なくとも、何か事情があることだけは理解した。
一度聞かないと決めた以上問い詰めはしないが、夏休みに入れば彩葉さんの家へ行く約束になっている。その時には、かぐやちゃんとも会うことになるはずだ。
今ここで必要以上に憶測を重ねても意味はない。
そう結論づけて、生姜焼きを一口頬張った……少し味が濃い気がする。次に作る時は醤油を減らしてみるか。
◇ ◇ ◇
「初めまして、かぐやちゃん。雲居千草です」
「——彩葉のスマホの壁紙の人!!」
流石にその第一声は予想してなかったかなぁ!!