「それじゃあ、また明日」
「……あ、私バイトだから少しかぐやと2人でいてもらうかも」
「分かりました。じゃあね、かぐやちゃん」
「じゃあねー!!」
パタン、と扉が閉まった。その音を背中で聞きながら、小さく息を吐く。
思っていた以上に長居していた。
昼食を食べて、彩葉さんと話して、それからまたかぐやちゃんにあれこれ弄られて。気づけば、窓から差し込む光も少しずつ傾き始めていた。
とはいえ、まだ夏の日は長く、夕方とは言えないほど眩しい日差しが照りつけている。
日傘を開いて日光を遮っても、地面に蓄えられた熱気は防げない。アスファルトから立ち上る熱と、蝉の鳴き声がじわじわと身体へまとわりついてくる。
駅へ向かう道を歩きながら、ポケットの中でスマホを弄った。
さっきまでの出来事をぼんやりと思い返す。
かぐやちゃんも彩葉さんも、随分と楽しそうにしていた。
ああいう顔を見ていると、できることならこの先も余計な障害が無いようにあってほしいと思ってしまう。
「……備えは多い方がいいか」
ぽつりと呟く。
もちろん、今すぐ何か必要になると決まったわけではない。
ただ、何か起きてから慌てて準備するより、何もないうちに余裕を作っておいた方がいい。必要なかったなら、それはそれで貯めておけばいいだけだ。
取り出したスマホの連絡先を開き、少し迷ってから母の名前をタップした。
数回の呼び出し音が鳴る。
『はい、もしもし』
「あ、母さん? 久しぶり」
電話の向こうから、少し間を置いて声が返ってくる。
『ああ、千草ね。どがんしたと?』
こういう時、頼るなら母が一番手っ取り早い。私が学生かつ男であることを考慮したうえで、それなりに稼げる仕事を持ってきてくれる。
「ちょっとバイト紹介してほしくてなぁ。オンラインでできるやつ」
『は?また?今も結構入れとるやろ』
ふと、空を見上げる。
「入り用になりそうな気して、保険として多めに確保しとこうかと」
『なんの話ね……ヤバかことに首突っ込んどらん?』
「ならわざわざ電話せんて。信じてや」
『まぁあんたなら大丈夫やろうけど……勉強は大丈夫と?』
「大丈夫よ、成績表来たやろ?」
夏休み直前の定期テスト。
彩葉さんに勉強を教えられ始めて一年近く経った以上、一度は追い越したいといつもより気合を入れていた。
結果としては――。
「残念ながらまた学年二位。一位の壁は高いわ」
『相っ変わらず卒のなか子ねぇ。私の子とは思えん』
「んな卑下せんでよかて」
『いやぁ、母親としてはもうちょっとこう……な』
「な、てなんね……いや、言いたいことはなんとなく分かるけど」
母はあまり器用なたちではない。
仕事でも生活でも、要領よく立ち回るより、目の前のことを一つずつ片付けていくタイプだ。
だからこそ、何事もそれなりにこなしてしまう私のことが不思議に見えるらしい。まぁ、前世の経験があるだけなのだが。
事情を知らない親からすれば、妙に感じるのも仕方がない。
「私の格好にも文句言わんで、黙って見守ってくれとるだけで本当ありがたかよ」
呆れたようなことを言うことはあるが、結局は私の好きにさせてくれている。それだけでも感謝するには十分だった。
『……そう言われると、何も言えんね』
「ん」
『でも、無理はせんでほどほどにね』
「はいはい」
『明後日までには仕事のリスト送るけん、その中から選び。あとたまには顔見せに来んね』
「ありがと。年末には帰るつもり」
『そう、ならよか』
そこで母は少し黙って、何気ない調子で続けた。
『どうせなら嫁さん連れてきんしゃい』
「え~……」
思わず天を仰いだ。
いやまぁ、この年で浮いた話一つない息子に発破でも掛けたいのだろうが。
「嫁さんて……それこそこんな格好しとる男にんな相手おらんよ」
『はん。どうやろか』
「なんね、その含み」
『別になんもなかよ』
母はからからと笑っている。どうせまた私をおちょくっているだけだろう。
「はぁ……切るわ」
『ちゃんと食べて寝るとよ』
「そっちこそ」
『口が減らん子やな……また後で連絡するわ』
「んーじゃあね」
プツ、と通話を切る。
スマホの画面が暗くなり周囲の雑音が耳に入ってくる
車の走る音も、信号機の電子音も、すれ違う人たちの話し声も、蝉の声も、嫌というほど夏を実感させてくる。
ふと、日傘の奥の空を見つめる。
どこまでも続く空は青く澄んで、その下には遠近感が曖昧になるほど積みあがった真白の雲。
熱風が頬を撫で、髪を揺らして通り過ぎていく。
「……暑い」
感慨も何もない、そんな感想が出てきた。
◇ ◇ ◇
そして、翌日。
再び彩葉さんの家へ来ていた。
彩葉さんはバイトでいないが、もう数十分ほどたてば帰ってくるだろう。
昨日の話もある。今日は配信について、もう少し具体的な話をすることになるかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていたところだった。
「千草!一緒に配信やらない!?」
「しませんが」
「なんで!?」
どうやら、断られるとは微塵も思っていなかったらしい。
数秒ほど固まったあと、ぷくっと頬を膨らませた。可愛いな。ハムスターか己は。
……さて、どう断ろう。
そもそも興味がない——と正直に言ってしまうのは、さすがにきついだろうか。
「あー……スマコン持ってないので」
「買えばいいじゃん!」
「スマコン一台買うなら本を百冊買いますよ」
スマコン。
この世界ではかなり普及しているVR兼AR機器だ。
コンタクトレンズ型の端末を装着するだけで、視界に情報を重ねたり、そのまま仮想世界へ接続したりできる。ツクヨミで配信をするなら必須と言っていい道具だ。
だが私は持っていない。
普段の用事はスマホで済むし、高い金を払ってまで仮想世界へ入りたいとも思わなかった。
「やだー!一緒に配信したいー!」
かぐやちゃんが机へ突っ伏す。
相当一緒にやりたかったらしいが、無理なものは無理なので諦めてほしい。
「今日のお昼は鶏もも肉の山椒焼きですよ、キッチン借りますね」
「やった~~………じゃないっ!!」
「チッ」
「今舌打ちした!?」
「気のせいです」
残念、誤魔化されなかったか。
かぐやちゃんは頬を膨らませたまま、こちらを睨んでいる。なかなかその鋭い視線から目を逸らしつつ考える。
別に、かぐやちゃんと一緒にいることが嫌なわけではない。こうして話すのは楽しいし、配信そのものだって見るのは好きだ。
ただ、私は完全な見る専で、自分から配信する側に回ろうとは思ったことがない。
まず何より、私がそこへ加わる意味が分からない。
そのことを順番に説明すれば、さすがに納得してくれるだろう。
そう思って、口を開きかけた——その瞬間。
「スマコンがあればいいんでしょ!!」
「え、ちょっそれは違、」
「ちょっと待ってて!」
かぐやちゃんは私の言葉を最後まで聞かずパソコンへ飛びつく。
「あの、かぐやちゃん?」
嫌な予感がした。しかし私が止める間もなく彼女の指が画面を滑っていく。
何をしているのかと覗き込む。通販サイトの画面だった。しかも、私の口座を紐づけたアカウント。
「……何を買うんですか」
「千草のスマコン!」
「は?」
次の瞬間。
画面に購入完了の表示が出た。
「これで文句ないでしょ!!」
かぐやちゃんが満面の笑みでパソコンの画面を見せてくる。
言葉が出なかった。
そこには、たった今更新された購入履歴が表示されている。
『スマコン ¥124400 明日到着予定』
数字を見つめる。
もう一度見る。見間違いではない。
目をこすってもう一度見る。幻覚でもなかった。
「……何で買ったんですか」
「え?千草が持ってないって言ったから」
「いや……あの…………えぇ」
この子、建前が通じない。
どうやら、「スマコンを持っていないから無理」という言葉を、そのまま「なら買えばいい」と受け取ったらしい。
こちらとしては、配信を断る理由を一つ挙げただけなのだが本当に買うとは思わなかった。
画面に表示された金額をもう一度だけ確認してから、かぐやちゃんへ視線を戻す。
「……別に使うこと自体はかまいませんよ。彩葉さんはどうせ最低限しか使わないでしょうし」
欲しいと思ったものには遠慮せずお金を使ってほしい……が、それは必要なものに限る。
「でもお金の使い方はもっと考えなさい」
かぐやちゃんは、ただそこにいるだけでも人の目を引く。彩葉さんだって、大きな才能と、それ以上の努力を積み重ねている。
「私がいなくても、二人は人気になれます」
むしろ、やる気のない私が入らない方がマシだ。
そういう意図を込めて言ったのだが——
「そんなの関係ない」
かぐやちゃんが私の目を覗く。
「私が、千草と、一緒に配信したいの」
「……」
「一緒にしたい、絶対……だめ?」
「………う」
——断れるわけがない。
ここまで真正面から貴方が欲しいと、目の前でただ一緒に遊びたいと、そう言われてしまえば。
結局、私が根負けするしかなかった。
「……裏方で、いいなら」
「ほんと!?やった~~!!」
ぱっと、かぐやちゃんの顔が明るくなる。
「はぁー………」
肺の空気を丸ごと入れ替えるような、深いため息が漏れた。
「……かぐやちゃんは将来大物になりますね」
「将来じゃなくて今すぐなるの!!」
「ふふ、そうでした」
かぐやちゃんの長い髪をさらさらと撫でる。撫でられた彼女は両眼を閉じて、私の手に頭を押し付けてくる。人懐っこい子猫のようだ。
バイト、勉強、そして配信。
ここ数日で夏休みの予定が一気に増えてしまった……早まった気もするが、了承してしまったものは仕方がない。
何とかなるだろう。多分。
「あ、彩葉さんの説得頑張ってくださいね。そこは手伝わないので」
「え"」