ツクヨミ内に入った直後、視界がぐらりと揺れた。
思わずこめかみを押さえる。
「気持ち悪……VR酔い……?」
下手に動けば余計に酔いそうなので、その場に立ったまま目を閉じる。
数分もしないうちに視界の揺れは収まったので、軽く首を回して改めて周囲を見渡す。
最初に目に入ったのは、夜空だった。深い藍色の空に、大きな月が浮かんでいる。その周囲には細かな星が無数に散らばり、雲の代わりに薄い光の帯がゆっくりと流れていた。
視線を下ろせば、遠くまで続く水面の上に朱塗りの柱や金色の欄干が並び、曲線を描いた屋根が幾重にも重なっている。
竜宮城をそのまま夜空の下へ持ってきたような景色だった。
「……凄」
思わず足を止めて見入ってしまう。同じツクヨミの中でも、さっきまでいた静かな湖畔とはここまで雰囲気が変わるのかと感心する。
事前に教えられていた彩葉さんのIDへメッセージを送っておく。
『着きました』
送信ボタンを押して、既読がつくまでの間に周囲をもう一度見回す。
ツクヨミには、ゲームでいうファストトラベルのような機能はないので、移動するにはある程度歩く必要がある。合流するにはもう少し時間がかかる。
せっかくなので道の脇に並んだ小さな屋台で買い物することにした。
とりあえず、初めに目についた団子を一つ購入する。ログインボーナスでもらった
代金を支払うと、ポンと音を立てて団子が手の中に現れた。
まずは一口。噛んだ感覚はあるような、ないような。
「……わかってたことだけど……味がしないっ……!」
ツクヨミには味覚も触覚も実装されていない。当然わかっていたことだが、見た目だけは完璧に再現されていると、もしかしたらと思ってしまった。
まぁ味覚まで再現できたら本当に現実と区別がつかなくなりそうなので、これぐらいが丁度良いのかもしれない。
団子を食べ終えたところで、彩葉さんとかぐやちゃんがやってくる。
「お待たせ~!思ったより早かったね!」
「お団子食べてたので大丈夫ですよ……というか、二人ともずいぶん派手ですね」
ツクヨミ故なのか、2人とも見慣れない服装をしていた。
彩葉さんは、和服とパーカーを組み合わせたような独特のスタイルだ。狐を思わせる耳と尻尾も生えていて、現実の彼女よりも軽やかだが、どこか凛とした雰囲気は残っている。
その隣に立つかぐやちゃんの服は、鮮やかな赤を主体とした袖の短い和装だ。アイドル衣装を思わせる華やかなデザインで、明るい表情や仕草と合わせると、愛嬌がさらに際立って見える。
個人的には肌を出し過ぎな気もするが、これは私の精神年齢の方が問題なんだろう。
それに比べて私のアバターは、どシンプルな黒い着物の一本勝負。動物を思わせる耳や角といった要素もなし。
「……もうちょい弄ったほうが良かったですかね?」
「別に良いんじゃない?千草っぽくて良いと思うよ~」
「それはどうも。本名はやめてくださいね」
そこからは、彩葉さんから配信の内容を簡単に説明された。
かぐやちゃんの配信には、特に決まったジャンルがあるわけではないらしい。
ゲームをしたり、街を歩いたり、雑談をしたり、その時やりたいことをやりたいようにする。雑多なジャンルを片っ端から楽しむタイプの配信者ということだ。
で、私がするのは録画の編集だったり、現実の方で配信画面を調整したりといった裏方の仕事がほとんどで、ライブ配信はたまに。
かぐやちゃんは相当駄々をこねたらしいが、そこは彩葉さんが譲らなかったようだ。
それは彩葉さんの判断の方が当然というかなんというか、悪く言えば
そもそも男が少ない世界。そこから不特定多数に認識される配信者になるのはごく一部。
男性というトピックは大きな話題性になるし、登録者を増やす効果は確かにある。
ただ視聴者が配信を見る
私がするべきは、かぐやちゃんのファンを増やすこと。
だから彩葉さんは、あくまで裏方かつ、性別を公言しない形で私を配信に出すことになった。 私のアバターなら、仕草を女性寄りにすればそれだけで性別を誤認させられる。
私としても異論はない。
素直に頷いた。
ほどなくして配信が始まる。
◇ ◇ ◇
配信が進むにつれて、千草は少しずつ表情を変えていた。
最初はただ眺めていただけだったけれど、かぐやが何かを話すたびに目を細め、たまに小さく笑う。普段の千草とは違い、まるで子供が面白い玩具を見つけたみたいに、素直な笑顔を浮かべていた。
彩葉は、どこか見覚えがあるその横顔を見つめる。
「楽しそうだね」
「……そう見えます?」
「まぁ……熱心に見てたみたいだし」
そう言うと、振り返った千草は少しだけ笑った。
その笑顔を見ながら、彩葉は何とも言えない気持ちになった。
ずっと前から分かっていた事がある。
雲居千草にとって、酒寄彩葉という人間は特別でも何でもない。特別だったから手を差し伸べたわけではない。ただ、支え甲斐があったから。
だから他に支え甲斐のある人がいれば、彼は躊躇なくその手を貸す。もちろん私への手を引っ込めはしないだろうけど、それでも同じように他の誰かを見る。
——嫉妬……なんやろか?
彩葉はこれまでの人生において、誰かを妬むということがなかった。
目標を自分より先に達成されれば、もちろん悔しいけれど、悔しがり続ける暇があるなら追いつけばいい。何かを成すには努力が必要不可欠だと、彩葉自身が身をもって知っている。
だから憧憬こそ抱きこそすれ、嫉妬の念なんて持つはずがない。
そして努力ではどうにもならないような、メンタルや環境といったものは初めから恵まれていた……と思う。少なくとも思う存分努力できる下地はあった。
だから嫉妬なんてものは、これからも縁が無いのだと思っていたのに。
「まったくの無名からヤチヨカップ優勝なんて無茶を、それでもやらずにはいられないって顔で楽しんでる」
その顔は高まった感情に塗り潰されていて、普段の少しだけゆるんだ眦と穏やかな声は見る影もない。
その感情の色を言葉にしたら、好奇とか、歓喜とか、昂揚みたいな名前が似合う熱がこもっていて。
「私はあんな風に突っ走れる才能を持ってないし、理解もできませんが……そういう人の背中を押せるなんて贅沢な経験ができるんですからそりゃ嬉しいですよ」
その言葉を聞いて、彩葉の胸がきゅっと狭くなった。
この、幼い子供が宝石を見るような、私にだけ向けられていたはずの顔。それが今、私以外へ向けられている。
あぁ、嫌だ。かぐやが嫌いなわけじゃないし、千草が興味を持つのだって当然だと思うけど。
今まで、こんな感情を持ったことなんてなかった。
息がひどく詰まって、身体の内側を焼かれるような感覚のするそれは対抗心なんて綺麗なものではなく、明確に、嫉妬の炎。
ただ、千草の心底嬉しそうなその顔が自分ではない誰かに向けられることが、私があなたの特別でないことがとても嫌だ。
そんな彩葉をよそに、千草はかぐやの元に向かっていく。
ちょうど配信が終わったようで、穏やかな顔で言葉を交わす二人を見つめる。
自分でも気づかないうちに、唇を噛んでいた。
「……あ~もう……めんどくさい女じゃん」
こんなことでかぐやに嫉妬するなんて。
かぐやは何も悪くない。千草だって……いや、千草は結構悪いな。
初めて灯った嫉妬の炎は、腹立たしいくらい、いつまでも消えてくれなかった。
雲居千草
“才能のある努力家”が好き。憧れ+庇護欲の結果なので恋愛的な意味はない。悪い男なのはまぁそう。
酒寄彩葉
才能のある努力家筆頭。
嫉妬を覚えた。緑色の眼の怪物。