無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side:ジークハルト
僕の父、ルーデウス・ボレアス・グレイラットは、あまりにも偉大すぎる男だ。
世界に冠絶する七大列強の第三位、『雷神』。
だが最近では世界中の人々から畏敬を込めて、別の二つ名で呼ばれることが多くなっていた。
——『六面のルーデウス』。
かつて太古の世界に存在したという六つの世界、そのすべての領域と理を掌握し、現世に革新をもたらした万能の英傑。人々は父の足跡をそう称えていた。
父の成し遂げてきた偉業は、子供である僕から見てももはや神話の領域に達している。
まず、魔術。
これは言うまでもない。世界で唯一無二の系統魔術である『雷魔術』の開祖であり、現存する魔術のすべてを神級の領域まで無詠唱で操る。現代、いや神話の時代を含めた有史以来、最強の魔術師だ。
次に、教育。
ノルン叔母さんの描く絵本を世界中に普及させ、母の一人である青ママ——ロキシー母さんと共に魔法大学で教育改革を断行した。身分や種族を問わず学べる環境を整えたことで、かつては一握りの貴族だけのものだった識字率を世界規模で跳ね上げた。
そして、工業とインフラ。
異世界の知識を持つナナホシさんと共に活版印刷技術を実用化し、民衆の生活を劇的に便利にする数々の家庭用魔道具を開発した。魔大陸や世界中の地脈を解析・操作して無尽蔵の動力を供給するインフラを整え、転移魔術を平和的に応用した長距離物資輸送網を構築。今や世界中の職人や商人たちから『あらゆる近代工業の父』と崇められている。
政治の面でもそうだ。
アスラ王国のアリエル女王陛下やボレアス家と強固に連携し、世界初の国際会議である
芸術の分野も凄まじい。
僕のミドルネームである『サラディン』の名付け親でもある甲龍王ペルギウス様、そしてザノバ様やジュリさんと深く連携し、ラノア王国やアスラ王国の支援を受けて世界各地に美術館や博物館を設立した。そこには必ず父の彫像が飾られ、絵画や音楽の技法を融合させた独自の文化が世界中に花開いている。
最後に、鍛冶と武具。
ドワーフの伝説である鉱神ゴッドバルド様と共同で打ち立てた数々の武具は、どれも一振りで国が買える国宝クラス。世界の理すら超越する魔剣を何本も世に送り出している。ルードおじさんが操縦する体高三メートルの巨大な
魔術、教育、工業、政治、芸術、鍛冶。
六つの面すべてにおいて世界の頂点に君臨する、あまりにも巨大すぎる父。
そんな父の背中を見上げながら、僕はいつも思っていた。
——僕はいったい、何者になればいいのだろう、と。
幼い頃、僕には夢があった。
ルードおじさんが話してくれた異世界の物語。
素顔を隠し、名声も富も求めず、ただ困っている人々のために悪を挫き、弱きを助ける正義の味方——『チェダーマン』。
僕は、あの物語に出てくる『チェダーマン』になりたかった。
ラノア魔法大学に在籍していた頃は、本当に自由で楽しかった。
多種多様な種族が集まるラノアの地では、誰も僕の髪の色を気にしなかったし、夜になれば仮面をつけて街を駆け回り、悪ガキたちを懲らしめる『正義の味方ごっこ』に胸を躍らせることができた。
だが……そんな気楽な日々は、僕がアスラ王立学校へと進学した瞬間にガラガラと音を立てて崩れ去った。
アスラ王国においても父の威光は絶対だった。
父はアスラ第一の大貴族であるボレアス家の重鎮であり、アリエル女王陛下ですら父には一切頭が上がらない。龍神オルステッド様や甲龍王ペルギウス様とは親友のような間柄であり、アスラの貴族たちにとって父は絶対に逆らってはならない不可侵の生ける伝説だった。
だが、ラノアと決定的に違っていたのは——学校の生徒たちの、僕を見る『目』だった。
アスラ王立学校の生徒はその九割以上が純血の人族の貴族の子弟だ。
そんな彼らにとって、僕の鮮やかな『エメラルドグリーンの髪』は、太古の悪魔と恐れられたスペルド族を想起させる、恐怖と差別の対象でしかなかった。絵本で大分緩和されたらしいが、すぐに人々の印象が塗り替わるわけでもないらしい。
もちろん、正面から僕に言いがかりをつけてくるような命知らずの馬鹿は一人もいなかった。僕の背後にある『雷神』の影を恐れているからだ。
だが、その代わりに待っていたのは、息の詰まるような『遠巻きの孤立』だった。
教室に入れば、ざっと潮が引くように周囲の生徒が距離を取る。
たまに話しかけてくる者がいても、その瞳の奥にあるのは父の威光にあやかろうとする浅ましい媚びか、粗相をして雷神に滅ぼされないかという怯えだけだった。
それが心底嫌で、僕は学校で誰とも口を利かなくなっていった。
授業に出る気も起きず、ただ中庭の片隅で膝を抱える灰色の学校生活。
兄のアルスや姉のルーシーは「ジーク、大丈夫か?」と気遣ってくれたが、僕は兄や姉に頼って生きるような情けない真似はしたくなかった。
いつしか、子供の頃に夢見ていた『正義の味方ごっこ』への情熱すらも、冷たい現実の中に埋もれて消えかけていた。
そんな僕の退屈で灰色の日々が一変したのは——彼と出会ってからだった。
パックス・シーローン.Jr。
シーローン共和国のパックス陛下の実の息子だ。
彼もまた、僕と同じだった。
異国特有の鮮やかな青い髪を持ち、王都アルスの貴族たちから『田舎国の異邦人』として、遠巻きに孤立させられていたのだ。
毎回『パックス.Jr』と呼ぶのも堅苦しいので、僕は彼を親しみを込めて『パックス』と呼んだ。本国のパックス陛下に知られたら怒られてしまうかもしれないけれど。
パックスはとにかく頭が良く、学ぶことへの凄まじい熱気に満ち溢れていた。
難解な経済理論も、複雑な統治機構の仕組みも、すべて論理的に、驚くべき速度で理解していく。
ある日、僕は中庭のベンチで分厚い書物を読み漁るパックスに尋ねたことがある。
「パックスは、どうしてそんなに必死に勉強するんだい?卒業したらシーローンの王様になるんだろう?」
パックスは本から視線を上げ、苦笑交じりに首を振った。
「ジーク、物事はそう単純じゃないんだ。我がシーローンは今『共和国』を名乗っているけれど、実際にはパックス王家という象徴的な王族が存在している。このシステムは、極めてデリケートな綱渡りの上に成り立っているんだよ」
パックスの語る自国の事情は、僕にとって目から鱗が落ちるような話ばかりだった。
シーローン共和国の実際の立法や行政の実権は、貴族ではなく大商人たちの評議会が握っている。
商人たちの中には「王族など無駄飯食らいだ、さっさと廃止して完全な共和制に移行すべきだ」と主張する勢力も多いという。
「商人たちの目線からすれば、王族なんて過去の遺物に過ぎないのかもしれない。でもね、彼らは知らないんだよ。この広い世界における『王族という血統が持つ圧倒的な威厳と外交力』を」
パックスは真剣な眼差しで、僕の顔を見つめた。
「君の父上が立ち上げた
これからの時代、世界はますます国境を越えた連携と外交が重要になっていく。
主に、世界中を飛び回って変革を起こし続ける僕の父のせいで。
「だからこそ、僕たち王家は商人たちにもはっきりと理解できるような『圧倒的な実績』を積み上げ続けなければならない。王族が国に存在することの絶対的な意義を、結果で示さなければならないんだ。だから僕は、誰よりも学ばなければならないのさ」
自国の未来を背負い、自らの足で立とうとするパックスの覚悟。
その瞳の輝きに、僕は強い衝撃を受け、そして心から惚れ込んだ。
パックスの情熱に引っ張られるようにして、僕も真面目に学校の授業を受けるようになった。
パックスの教え方は驚くほど論理的で分かりやすかった。
彼と二人で放課後の図書館に籠もり、教え合いながら勉強を進めるうちに、僕は入学当初の授業の遅れをあっという間に取り戻してしまった。
一方で、実技——武術の訓練においては、僕の独壇場だった。
僕の武術の成績は、学年はおろか学校全体を通してもぶっちぎりのトップだった。
それも当然だ。
僕の師匠は七大列強の北神アレクサンダーであり、赤ママ——エリス母さんからは剣神流の苛烈な初撃を叩き込まれ、父からは水神流の絶対防御の型を教わり、祖父からはそれらの流派を実戦で泥臭く組み合わせる戦術を叩き込まれてきたのだから。
パックスが僕に学問を教え、僕がパックスに護身の剣術を教える。
ちなみに、学年全体の学問トップはパックスで、武術トップは僕だった。
パックスとつるむようになってから、僕の灰色の学校生活は、一気に鮮やかなものへと変わっていった。
周囲からの遠巻きの視線は相変わらずだったけれど、そこに混ざっていた冷たい敵意のようなものは、いつの間にか消え失せていたと思う。
そんなある日、僕たちの元へ、一人の女生徒が凛とした足取りで近づいてきた。
それは僕たちにとって、全く予期せぬ出来事だった。
近づいてきたのはアスラ王国の正統なる王女——サリエル・アネモイ・アスラ。
僕たちと同学年の、透き通るような金髪と気品ある美貌を持つ少女だった。
サリエルは僕の前に立つと、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「ジークハルト・サラディン・グレイラット様。少々、お話しよろしいでしょうか」
「えっ……?あ、はい」
「入学当初、私は母であるアリエル女王陛下より、貴方と親しく交友を結ぶよう言いつけられておりました。しかしながら……貴方の鮮やかな緑の髪と、大柄なお身体、そして入学初日に上級生と大喧嘩をして叩きのめしたという噂を聞き、ひどく恐ろしく感じてしまい、今日まで接触を避けてまいりました」
サリエルは深々と頭を下げた。
「しかし最近の貴方は、誰よりも熱心に学問に励み、とても穏やかで誠実な表情をされております。私の第一印象だけで貴方を避け、偏見を抱いておりました非礼を、心よりお詫び申し上げます」
「い、いえ、頭を上げてください……!気にしていませんから!」
慌てる僕に対し、サリエルは顔を上げると、とんでもない爆弾発言を事も無げに口にした。
「以後、お見知りおきを。……もしかすると将来、私たちは結婚することになるかもしれませんので」
「「…………はい!?」」
僕とパックスの声が裏返った。
サリエルは僕たちの返事を待つこともなく、優雅なカーテシーを一礼すると、綺麗な足取りで去っていってしまった。
結婚。
そのあまりにも重い言葉に、僕は呆然と立ち尽くした。
だが、少し冷静になって考えてみれば、納得のいく話でもあった。
僕の父ルーデウスは、世界中の権力者たちが喉から手が出るほど繋がりを欲しがる、生ける伝説の絶対者だ。アリエル女王陛下をはじめ、世界各国の王族や大貴族が、父の血統との婚姻を求めて激しい水面下の争いを繰り広げているのは有名な話だった。
父のげっそりとした嫌そうな顔が脳裏に浮かぶ。
父はいつも「私には愛する妻が四人いる。これ以上は絶対に増やさないし、政略結婚などまっぴらごめんだ」と断固拒否し続けていた。
だからこそ、その矛先が僕たち子供世代に向かうのは、政治の世界においては当然の帰結だったのだ。
「……参ったな。サリエル王女、本気だったぞ」
「パックス、どうしよう……僕、女の人のあしらい方なんて全然分からないよ。モテモテだったアルス兄さんとは違うんだ……」
頭を抱える僕に、パックスは顎に手を当てて現実的なアドバイスをくれた。
「権力者同士が婚姻で結びつくのは王族や貴族の宿命だよ、ジーク。でも、どうせ結婚するなら、互いを尊重できる良い相手の方がいいに決まってる。まずは気負わずに、一人の友人として彼女と接してみたらどうだい?」
パックスの言葉に従い、僕はサリエルと少しずつ言葉を交わすようになった。
とはいえ、サリエルが好む王宮の社交界や高度な政治やお茶やお花の話は僕が明るい分野ではなく、二人の会話はずっとどこかぎこちないままだった。
僕にとって心の底から気を許せる親友は、やはりパックスただ一人だった。
アスラ王立学校のカリキュラムは極めて濃密で高度だったが、濃密であるがゆえに在学期間は三年間と短く設定されていた。
日々の勉強と訓練に追われるうちに、季節はあっという間に巡り——僕たちは卒業式の日を迎えた。
王都アルスの王城に隣接する、豪奢を極めた大講堂。
壇上に立ったアリエル女王陛下が、鈴の転がるような美声で卒業生たちへ向けた祝辞を述べていた。
聞く者の心を自然と穏やかにし、惹きつけてやまない不思議なカリスマ性。
僕が物心つく前の赤ん坊の頃、アリエル陛下の膝の上に乗せられて可愛がられていたらしいのだが、今となっては信じられないほどの絶対的な威厳だ。
壇上の脇には、アスラ王国の宰相であるフィリップ様が冷徹な眼差しで控えている。
フィリップ様はエリス母さんの実の父親であり、僕にとって義祖父にあたる人だ。僕たち家族は定期的に王都のボレアス家の屋敷へ遊びに行っていたため、親戚としての交流も深い。
会場には、アスラ七騎士として名を馳せる名将たちが顔を揃えていた。
黄金騎士シャンドル、北帝ドーガ、水神レイダ。
名だたる英雄たちが姿を見せるたび、会場の貴族たちからどよめきが起こるのを、僕とパックスは面白そうに眺めていた。
だが——その日、会場を揺るがした最も巨大などよめきは、彼らの登場によるものではなかった。
ザワッ……!と会場の空気が一瞬で張り詰め、入り口の扉が開かれた。
現れた二人の姿を見た瞬間、講堂を埋め尽くしていた高位貴族たちが、まるで神の降臨を目撃したかのように息を呑み、次々と自発的にその場に平伏し、膝をつき始めた。
黒と金を基調とした、幾重もの魔法陣の光が揺らめく『魔神鎧』を纏い、異形の腕と竜の瞳を湛えた偉丈夫——父、ルーデウス。
そしてその隣で、呆れたように父を見る母シルフィエット。
放たれる圧倒的な戦圧と、世界の頂点に立つ者だけが持つ絶対の風格。
威厳などという生ぬるい言葉では到底表現できない、空間そのものを圧迫するような存在感だった。
父は周囲の貴族たちが恐れおののいて跪いているのを全く気にする様子もなく、ふと客席の僕と目が合うと、いつもの気の抜けた優しい笑顔を浮かべ、パタパタと小さく手を振ってきた。
僕が小さく手を振り返すと、それだけで周囲の貴族たちから「ひぃっ、雷神様が手を振られたぞ……!」とざわめきが広がった。
隣で見ていたパックスが、「君の父上は、本当に規格外だな……」と呆れたように笑っている。
壇上から降りてきたアリエル女王陛下が、七騎士とフィリップ宰相を引き連れて、自ら父の元へと歩み寄った。
そして女王陛下自ら、父に向かって深々と頭を下げて挨拶を交わす。
父は以前、「アリエル陛下に公の場で頭を下げられると、上下関係が狂って周囲がパニックになるから本当に困るんだよ……」とぼやいていた。
案の定、父は居心地悪そうに片膝をつき、臣下としての礼を返して上下関係をアピールしていた。
その様子を観察していたパックスは、「なるほど……権力バランスを維持するための政治的パフォーマンスか、勉強になるな」と熱心に頷いていた。
式典が終わり、立食パーティーへと移行した頃。
サリエル王女に二言、三言の労いの言葉をかけたアリエル陛下が、ドーガさんとレイダさんを引き連れて、僕たちのテーブルへとまっすぐに歩み寄ってきた。
僕は慌てて手に持っていたグラスを置き、膝をつこうとした。
「ああ、そのままで。今日の主役は、あなた方なのですから」
アリエル陛下が柔らかな笑みを浮かべて制止した。
横を見ると、パックスは胸に右手を当て、流麗な略式の礼をとっていた。
「パックス・シーローン.Jrです。お目にかかれて光栄に存じます、アリエル女王陛下」
僕もそれに倣い、胸に手を当てて深く一礼した。
「ジークハルト・サラディン・グレイラットです。お目にかかれて光栄です、陛下」
「二人とも、卒業おめでとうございます。遠い異国の地に加え、文化の違いや髪の色で苦労したことも多かったと聞き及んでいますが、無事に優秀な成績で卒業できたようで何よりです。この三年で、何か学ぶことはできましたか?」
「ハッ!アスラ王国の高度な経済循環、領地の経営術、人心掌握、そして配下の管理……どれも我が国では学べぬ素晴らしい知見ばかりでした」
パックスが淀みなく答えると、僕も「はい、僕も同じく多くのことを学ばせていただきました」と続けた。
すると、アリエル陛下はふっと口元を緩め、僕の耳元へとそっと顔を近づけてきた。
御年四十を越えているはずなのに、二十代の乙女と見紛うばかりの信じがたい美貌と、甘く心地よい香気。
僕の心臓がドクンと跳ね上がった。
だが——続くアリエル陛下の囁きは、その高鳴る心臓を一瞬で凍りつかせるほど、冷徹な現実を帯びていた。
「……サリエルと、仲が良いようですね。あなたが望むのでしたら、正式に婚約を結んでも構いませんよ」
「っ……!?」
「あの子もあなたの誠実さをとても気に入っているようですし、縁組を決めればきっと喜ぶでしょう。あなたの父上からも、『本人が心から望むなら』と言質は取ってありますからね」
「あ……う……か、考えさせていただきます……!」
「ええ、いつでも構いません。あと数年は待ちましょう」
アリエル陛下は美しく微笑むと、今度はパックスの方へと向き直った。
「パックス・シーローン.Jr。貴方の優秀さも、聞き及んでいますよ」
「……ハッ」
「もし本国で窮屈な思いをしているのでしたら、アスラの臣民となる道もありますよ。貴方ほど聡明な人材なら、大歓迎です。それに……貴方の伯父であるザノバ・シーローン様とは、かつて同じ学び舎で苦楽を共にした仲。その血族を私が庇護するのに、理由などいりませんからね」
大国アスラからの、破格の引き抜き提案。
だが、パックスは迷うことなく、毅然とした態度で頭を下げた。
「滅相もございません。破格のお申し出、身に余る光栄に存じます。しかしながら……僕には、シーローンの王族として果たすべき義務がございますので」
「……そうですか」
アリエル陛下は、僕たち二人に断られたことなど気にも留めない様子で、優雅に微笑んだ。
「では、良き門出となることを祈っていますよ」
アリエル陛下が去っていった後、僕とパックスは同時に大きく息を吐き出した。
「……陛下、すごいな」
「ああ……本物の『王』の威圧感だよ」
ほんの数分の会話だったというのに、まるで何時間も立ち会いを続けたかのような疲労感が全身に残っていた。
するとその時——会場の人垣が、再びざぁっと左右に割れた。
アリエル陛下以上の圧倒的な圧力を伴って歩み寄ってきたのは、父と母さんだった。
「ジーク、武術部門で学年一位だったそうじゃないか。よくやったな!」
「ありがとうございます、父さん。……でも、僕なんかが一位を取るのは当然です。父さんや師匠の名を汚すわけにはいきませんから。むしろ、総合一位を取れなかったことを恥ずかしく思います」
僕が俯き加減に答えると、父は優しく微笑みかけてきた。
「そんなことはないよ、ジーク。私が君の年齢だった頃なんて、闘気が纏えず武術はサッパリだったんだからね。私だったら一位なんて到底取れなかったよ」
父はそう謙遜するけれど、父は今や水神流の奥義を極めて、家名さえ捨てれば水神をも名乗れることを僕は知っている。
父は視線を隣のパックスへと向けた。
パックスは直立不動で緊張し、固くなっている。
「君が、パックス国王の息子のパックス君だね」
「は、はいっ!パックス・シーローン.Jrと申します!お初にお目にかかります、雷神ルーデウス様!」
「お初……でもないんだけどね。君がまだほんの赤ん坊だった頃、私はシーローンの王宮で君を抱っこしたことがあるんだよ」
「えっ……!?そ、そうだったのですか……!?」
初耳だったらしいパックスが目を見開いて驚いている。
「ああ。君のお父さんとは、昔からの大切な友人なんだ。君が学校で学術トップを取り、誰よりも努力している話は風の噂で聞いているよ。……君のこれからの活躍、大いに期待しているよ」
父のその温かい言葉に、パックスは感極まったように深く頭を下げた。
「……ありがとうございます!ご期待に添えるよう、全霊を尽くします!」
二人のやり取りを見つめながら、僕の胸の奥に、チクリと小さな棘が刺さった。
(……父さんは、パックスには『期待している』と言った)
でも……僕には、一度もそんな言葉をかけてくれたことがない。
(……そりゃそうだよな。兄のアルスは剣の天才で、姉のララは魔術の天才で、ルーシーは政治に長け、妹のリリは魔道具の天才だ。それに比べて僕には、父さんが誇れるような特別な才能なんて何一つない。……父さんは、僕なんかに最初から何も期待していないんだ)
冷たい劣等感が、僕の心を静かに蝕んでいった。
卒業式の全日程が終わり、夕暮れ時の人気のない講堂の裏庭。
赤く染まる空を見上げながら、パックスが静かに口を開いた。
「ジーク。……僕は卒業後、本国からとある領地の統治を命じられたんだ」
「領地?パックス、一国の領主様になるのかい?すごいじゃないか!」
「いや……そんな華々しいものじゃないよ。シーローン北方の国境沿いに広がる、未開の原生林だ。何もない、ただ魔物が巣食うだけの危険な飛び地の開拓を命じられたのさ」
パックスの表情は、夕闇のように暗かった。
「……原生林の開拓……!?」
僕だって学校の授業で、未開の森林を開拓することの凄まじい困難と危険性は学んでいる。
比較的平和なアスラ王国の森ですら、千人規模の人員を動員し、十年以上の歳月と莫大な予算をかけてようやく進める難事業なのだ。
「その森には狂暴な魔物が無数に潜んでいるし、我が国がそこに拠点を築くことを、隣接する王竜王国や小国たちが黙って見過ごすはずがない。でも……商人たちの後ろ盾を得るためには、誰もが認める圧倒的な実績を上げなきゃいけないんだ。僕の教育係だった人はあまりにも有名すぎて、連れて行けば隣国を刺激してしまうから同行できない。僕は……ごく僅かな手勢だけを率いて、その死地へ向かわなきゃいけないんだ」
「……そんなの、無茶すぎるよ!死にに行くようなものじゃないか!」
「そうだね。僕がそこで命を落とす可能性は、極めて高いだろう。……でも、やらなきゃいけないんだ」
パックスはそこで言葉を切り、まっすぐに僕の瞳を見つめてきた。
「ジーク。……僕と一緒に、来てくれないか?」
「え……?」
「君がどういう立場の人間かは分かっている。君がサリエル王女と結婚する道があることも、アリエル陛下がそれを強く望んでいることも。こんな頼み事をすれば、僕が君の父上の威光を当てにして打算で近づいてきたと思われても仕方がないのは、百も承知だ」
パックスは胸を押さえ、魂の底からの言葉を紡ぎ出した。
「でも……この三年間、君と一緒に過ごして、僕は心から確信したんだ。君は誰よりも強くて、そして思いやりがあって賢い。君と言葉を交わすたび、僕は何度も絶望から立ち上がる勇気をもらった。だから……君が隣にいてくれれば、どんな絶望的な困難だって乗り越えられる気がするんだ。……僕と一緒に、戦ってくれないか、ジーク!」
親友からの、命を懸けた懇願。
だが……僕の脳裏に、先ほどの父の言葉が過った。
『期待しているよ』。
父は、他人の子であるパックスにそう言った。
僕には、言ってくれなかった。
(……もし僕が、サリエル王女と結婚してアスラ王家と結ばれれば……父さんは僕に『期待』してくれるだろうか?)
僕の家——グレイラット家のために。
父はいつだって『家族』と『家』を誰よりも大切にしてきた。
もし僕がアスラ王家との太いパイプになれば、僕のような出来損ないの息子でも、少しは『家』の役に立てるんじゃないだろうか。父さんに認めてもらえるんじゃないだろうか。
パックスについていけば、命の保証はない。そして何より、アスラ王家との縁談は破談になる。
(……僕は、どうすればいい……?)
すぐに答えを出すことができなかった。
考える時間が欲しかった。
だが、僕の長い沈黙を見たパックスは、自嘲気味に悲しげな笑みを浮かべ、首を横に振った。
「……すまない、ジーク。忘れてくれ。君を巻き込むべきじゃなかっ——」
「——ちょっと待ちなさい」
静寂を破り、背後の植え込みの影から、低く落ち着いた声が響いた。
ガサリと枝葉をかき分けて姿を現したのは——いつの間にかそこにいた父、ルーデウスだった。
「と、父さん……!?なんでここに……!?」
「すまないね。ジークを探して歩いていたら、二人の真剣な声が聞こえてしまってね。立ち聞きするつもりはなかったんだが」
父はそう言って苦笑いを浮かべた後、僕に向き直った。
その表情は、家で見せる気の抜けたパパの顔でも、戦場で見せる冷徹な雷神の顔でもない——一人の厳格な父親の顔だった。
「ジーク。彼は、君にとってかけがえのない親友なんだろう?ここで彼の手を離せば、二度と会えなくなる……今生の別れになるかもしれないんだぞ。君は本当に、それでいいのかい?」
父の鋭い問いかけに、僕は胸の奥に溜め込んでいた想いを、絞り出すように吐露した。
「……僕は、役に立ちたいんです!兄さんや姉さんたちみたいに特別な才能がない僕でも……サリエル王女と結婚すれば、アスラ王家との繋がりが強くなって、『グレイラット家』のためになるじゃないですか!父さんの『家』を守る役に立てるじゃないですか!」
僕の叫びを聞いた父は、一瞬だけ呆れたように目を丸くし、それから深いため息をついた。
「……ジーク。君は大きな勘違いをしているよ」
「え……?」
「私はね、『家』のために自分の心を殺し、自分を犠牲にするような生き方を、我が子に絶対に許さない」
父は一歩、僕へと歩み寄った。
「『家』のために家族がいるんじゃない。『家族』が幸せに笑って生きるためにこそ、『家』という器があるんだ。お前が自分の本当の願いを捨てて、政略結婚の道具になることなんて、私にとっても、母さんたちにとっても、何一つ嬉しいことじゃないんだよ」
父の力強い言葉が、僕の胸に深く突き刺さる。
「でも……僕には何の才能もありません!兄さんみたいに剣を極めることも、ララ姉さんみたいに魔術を研究することも、ルーシー姉さんみたいに政治を動かすことも、リリみたいに魔道具を作ることもできない……!僕は、父さんの期待に応えられない出来損ないなんですから……!」
その瞬間、父の手が伸びてきて、僕の両肩をガシッと力強く掴んだ。
「馬鹿を言うんじゃない、ジーク」
父の低い声が響いた。
「お前が出来損ないなものか、誰がお前をそんな風に評価したんだ?私はね……君がラノアでやっていたこと、心から誇りに思っていたんだ」
「……え?ラノアで、僕がやっていたこと……?」
僕の頭に浮かんだのは、子供の頃の、あの幼稚な遊びだった。
「……正義の味方ごっこのことですか?あんなの、ただの子供の悪ふざけで……」
「悪ふざけなものか。顔を隠し、見返りも求めず、困っている誰かのために拳を振るう……君はね、剣の強さでもなく、魔術の才能でもなく、政治の権力でもなく——自らの魂で『正義』を選び取ったんだ」
父の竜の瞳が、熱い光を放って私を見つめていた。
「自分の強さを誇示するためではなく、誰かを守るために力を使う。その気高い心を、私は心底誇らしく思っていたんだよ。なんなら、君が仮面をつけて街をパトロールしている姿を、私が屋根の上からこっそり見守って応援していたくらいだ」
「ええっ!?み、見に来てたの!?」
恥ずかしさで顔が爆発しそうになる僕に対し、父は優しく微笑み、まっすぐに問いかけてきた。
「ジーク。もう一度聞くよ。……今の君にとっての『正義』は、何だい?」
父の問いに、僕の心の視界が開けた。
迷いは、完全に消え去っていた。
僕は隣に立つ、青い髪の親友を見つめ直した。
そして、父に向かって、胸を張って力強く告げた。
「父さん。……僕、パックスについて行ってもいいですか!?」
僕の答えを聞いた父は、心底嬉しそうに、満面の笑みを咲かせた。
「もちろんいいとも!……ただし、これを持っていくならね」
父が空間魔術の裂け目から取り出したのは——かつて私が十歳の誕生日に贈られた、あの大剣だった。
黒曜石のように深い漆黒の刀身に、鮮やかなエメラルドグリーンの波紋が浮かぶ、重厚にして優美な神話級の大剣。
「私がゴッドバルドと一緒に打ち上げた最高傑作。銘はね……『
「「…………」」
僕とパックスは同時に絶句した。
「……父さん。今まで銘を教えてくれませんでしたけど……母さんの本名をそのまま剣の名前にするのは、息子として恥ずかしすぎます」
「えっ!?すごくロマンチックで格好いい銘じゃないか?」
「僕は……この剣を『
「えぇぇぇーっ?せっかくシルフィの名前をつけたのに……」
露骨にショックを受けて拗ねる父の姿に、僕とパックスは思わず吹き出してしまった。
父は気を取り直すと、パックスに向き直った。
「パックス君。うちの息子を、存分にこき使ってやってくれ。私の最高傑作の魔剣を持たせてあるし、武術の腕前は私が保証する。絶対に君の盾となり、剣となってくれるはずだ」
「……はい!命に代えても、彼と共に歩みます!」
パックスが深々と頭を下げた。
「本当ならね、私が直接その原生林へ出向いて、森の魔物も隣国の軍勢もすべて吹き飛ばして安全を確保してあげたいくらいなんだ。君のことは、他人の子だなんて思っていないからね」
「あはは……雷神様が直接動けば、森など一日で更地になるでしょうが……それでは私の実績になりませんからね」
パックスの苦笑いに、父は腕を組んで唸った後、懐から分厚い革袋を取り出した。
「うーん……なら、これくらいなら持っていっても文句は言われないだろう」
父がテーブルの上にドンッと置いたのは、何十枚もの魔術スクロールの束だった。
「父さん、これは……?」
「帝級神聖治癒魔術のスクロールだよ。致命傷を負っても、これを開けば一瞬で肉体が再生する。念のために五十枚ほど持っていきなさい」
「「ご、五十枚……!?」」
私とパックスの悲鳴が重なった。
帝級の治癒スクロールなんて、一枚だけでも城が買えるほどの天文学的な財産だ。それを五十枚もポンと手渡す父の金銭感覚は、完全に異次元にぶっ飛んでいた。
パックスは恐縮して手を震わせていたが、父の「死なれたら困るからね、持っていきなさい」という強い押しに負け、ありがたく受け取っていた。
「母さんたちには、私からうまく話しておくよ。シルフィなら『親友のために命を張ってきなさい』って送り出してくれるだろうし、エリスやロキシーも納得してくれるさ」
「ありがとう、父さん……!」
私は大剣『
夕日に照らされた王都アルスの門をくぐり、未知なる試練が待つシーローンの未開の大地へ。
僕の胸の中には、もう迷いも劣等感もなかった。
僕には、守るべき親友がいて、信じるべき正義がある。
そして何より——世界で一番偉大で、最高に優しい父が、僕の背中を押してくれているのだから。
Side:ルーデウス
夕日に染まる王都の大通りを、二人の少年が並んで歩み去っていく。
その逞しい背中が完全に小さくなり、見えなくなるまで、私はずっとその場に立ち尽くしていた。
(……行ってしまったな)
巣立ちの寂しさは、確かに胸を締め付ける。
だがそれ以上に——自らの意志で、打算でも保身でもなく、友のための『正義』を選び取った息子の姿が、たまらなく誇らしかった。
「……ふふ、作戦失敗でしたわね、ルーデウス様」
背後から、楽しげな足音とともに鈴を鳴らすような声が響いた。
振り返ると、そこには豪奢なドレスを纏ったアリエルと、私の隣に寄り添う妻のシルフィが立っていた。
「アリエル様。最初からジークをサリエル王女と結婚させる気満々だったでしょう」
「ええ、もちろん。貴方の血統を我がアスラ王家に取り込める千載一遇の好機でしたからね。……まあ、ジークハルト君のあの真っ直ぐな瞳を見せられては、引き下がらざるを得ませんけれど」
アリエルは優雅に肩をすくめて微笑んだ。
「まあ、長男のアルスがボレアス家を継ぎ、我がアスラに残ってくれるのですから、私としては十分な戦果ですけれどね」
「あはは……アルスは完全にアリエル様の手のひらの上ですからね」
長男のアルスは、政治力に長け、スタイルがエリスやヒルダ叔母さん並みに抜群で、なおかつアルスの性癖に完璧に突き刺さる絶世の美女をアリエルから紹介され、見事なまでに即落ちしてスピード結婚を果たしてしまったのだ。
まあ、アリエルに良いように転がされながらも、アルス本人がデレデレと心底幸せそうに笑っているので、父親としては文句のつけようがないのだが。
シルフィが私の腕にそっと手を絡め、柔らかく微笑んだ。
「クリスティーナも、もしかしたらアスラに残るかもしれないね。あの子、アスラのキラキラした華やかな文化が大好きだし、おじい様にもすっごく懐いてるから」
「そうだな。子供たちがそれぞれの場所で、自分の幸せを見つけてくれれば、それが一番だよ」
私の言葉に、アリエルがふと妖艶な笑みを浮かべ、私の顔を覗き込んできた。
「まあ、子供たちが巣立って寂しくなられたのでしたら……私との間に、もう一人くらいお作りになってもよろしくてよ?私はまだまだ、子を産める身体ですから。……試してみますか、ルーデウス様?」
御年四十を過ぎているとは到底信じられない、濡れたような瞳と甘い誘惑の囁き。
その瞬間——私の隣にいたシルフィの笑顔が、スッと消え去った。
ゴゴゴゴゴ……ッ!とシルフィの背後から凄まじい無言の威圧と絶対零度の殺気が立ち上り、アリエルを無言で射抜く。
「……ひっ、じ、冗談ですわよシルフィ……!」
天下のアスラ女王アリエルが、冷や汗を流して一歩後ずさった。
我が愛妻の静かなる怒りは、いつ見ても最強である。
シルフィはアリエルから視線を戻すと、ジト目で私を見上げてきた。
「ところでルディ……あの大剣の銘、ボクの名前をつけてたなんて、全然知らなかったよ?」
「あ、いや……ほら、シルフィのように美しく、優雅に敵を切り裂く剣になってほしいなっていう、深い愛の表現というか……」
「ふーん……?でもジークには『恥ずかしいからムーングリッターにする』って改名されちゃったんだよね?」
「うっ……それを言われると心が痛む……」
私が頭を抱えて項垂れると、シルフィは堪えきれなくなったように「くすっ」と吹き出し、私の腕をぎゅっと抱きしめ直してくれた。
「ふふ、でも……ジーク、すごく格好良かったよ。ルディの息子だもんね」
「ああ。私と君の、自慢の息子だよ」
夕暮れの空に、一番星が静かに瞬き始めていた。
遠く未知の大地へと旅立ったジークとパックスの未来に、幸多からんことを。
私は愛する妻の手を強く握り返しながら、心からの祈りを、茜色の空へと捧げたのだった。
ジークの話でした。
ちょっと仕事が忙しくって更新と感想への返信が滞っていましたが、休み中は再開しようと思います。