無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side:アルス
俺のこれまでの人生は、客観的に見ても順風満帆そのものだった。
父は七大列強の第三位『雷神』にして、世界を表からも裏からも動かす『六面のルーデウス』。
母は剣神流狂剣派の開祖にして、剣帝の中でも最強と謳われるエリス・ボレアス・グレイラット。
そんな偉大すぎる両親の間に生まれた長男という立場。
たくさんの弟や妹たちの先頭に立つ者として、俺には生まれながらにして大きな期待と責任が課せられていた。
だが、幸いなことに俺は母譲りの凛々しい顔立ちを受け継ぎ、そして何より圧倒的な剣の才覚に恵まれていた。
ラノア魔法大学に通っていた頃、座学や複雑な魔術の授業には少々手こずったものの、実技である武術の訓練においては誰一人として俺の相手にならなかった。
それもそのはずだ。俺は物心つく前から、世界の頂点に立つ達人たちに囲まれて剣を握ってきたのだから。
母からは剣神流の超神速の初撃と、北神流を取り入れた狂剣派の縦横無尽な足捌きを叩き込まれた。
父からは水神流の神級に達する絶対防御の理合と呼吸法を教わり、祖父のパウロからは泥臭く実戦的な北神流の応用を教わった。
その結果、俺は十代前半にして、魔法大学の大人たちや護衛の騎士たちを木剣一本で叩きのめせるほどの腕前に達していたのだ。
ラノア魔法大学を卒業した後、俺はアスラ王国にあるアスラ王立学校へと進学した。
生活の拠点は王都アルスにある大貴族ボレアス家の広大な屋敷だ。
もう一人の祖父であるフィリップ様には息子もいたのだが、残念ながら子宝に恵まれなかったようだった。
そのため、母エリスの長男である俺が、将来的にボレアス家の家督を継ぐ後継者として白羽の矢が立てられたのだ。
後から知ったことだが、俺が進学する前から周囲の大人たちによって完璧な根回しが完了していたらしい。
貴族の家長となるための勉強——政治や領地経営、高度な礼法などの座学は、正直言って死ぬほど退屈で辛かった。
だが、俺がそれを投げ出さずにやり切ることができたのは、アスラ王国という場所が、俺にとって信じられないほど最高に楽しい場所だったからだ。
まず何よりも、ボレアス家の屋敷の環境だ。
俺は母の血を色濃く引いたのか、物心ついた頃から『獣族』がたまらなく大好きだった。
あのフサフサとした愛らしい獣耳、感情に合わせてしなやかに揺れる尻尾、そして引き締まった肉体と野性味あふれる美貌。見ているだけで胸が熱くなり、触れるだけで至福の癒しが得られる。
そしてボレアス家の屋敷には、伝統的に獣族の侍従やメイドが数多く仕えていた。
しかもその誰もが、目を見張るほどの絶世の美女であり、抜群のプロポーションを誇っていたのだ。
朝起きればフサフサの耳を持つ美女に起こされ、食事を運んでくるメイドの豊かな胸元や揺れる尻尾を眺める。
俺にとって、ボレアス家の屋敷は文字通りの天国だった。
さらに、剣の修行環境もこれ以上ないほど充実していた。
王都での俺の剣の師匠は、ボレアス家の筆頭剣士にしてアスラ七騎士の剣王、そして母の師でもあるギレーヌ先生だった。
ギレーヌ先生の指導は驚くほど的確で分かりやすかった。
そして何より——あの筋骨隆々にして妖艶極まりない、褐色肌の最高峰の獣族美女剣士と、毎日至近距離で汗を流しながら肌を合わせられるのだ。眼福以外の何物でもない。
不純で邪な動機だったかもしれないが、そのおかげで俺の剣神流の腕前は、シャリーアにいた頃とは比べ物にならない速度でメキメキと上達していった。
アスラ王立学校での生活も、最高に刺激的で楽しかった。
弟のジークや妹のルーシー、クリスティーナは、人族中心の貴族社会特有の差別や派閥争いでそれなりに苦労したようだが、俺は苦労など微塵も感じなかった。
(ララとリリに関しては、マイペースすぎてそもそも苦労という概念すら感じていなかったようだが)
俺が学校生活を楽しめた最大の理由。
それは——俺が、とにかく信じられないほど女子生徒たちからモテまくったからだ。
アスラ王国で最も勢いがあり、アリエル女王陛下の最大の忠臣であるボレアス家の次期当主。
母は世界に名を轟かす狂剣派の開祖。
父は名を轟かすどころか、歴史の教科書に確実に神として名を刻む生ける伝説の『雷神』。
そんな男が、恵まれた体躯と母譲りの整った美貌を持って入学してきたのだ。貴族の令嬢たちが群がらないはずがなかった。
もちろん、それが親の力や家の権力によるものだということは百も承知だった。
だが、男として生まれてきた以上、美少女たちから黄色い歓声を浴び、チヤホヤされて面白くないわけがない。
俺は色んな貴族の令嬢たちから声をかけられ、放課後にお茶会を楽しんだり、逢瀬を重ねたりして、時にはちょっとした男女のトラブルに発展することもあった。
そういったトラブルが起きた時、俺が真っ先に頼りにしたのが、アリエル女王陛下の側近であるルークさんだった。
ルークさんは、なぜか昔から俺のことを殊更気にかけて、可愛がってくれた。
ルーシーは「アリエル様がボレアス家の血を抱え込むための政治的な策略よ」と冷めた目で分析していたが、それだけではないはずだ。
俺にとって、ルークさんは人生の偉大な先達だった。
女性関係のトラブルを穏便に解決する大人の手腕だけでなく、「アルス、あの子を口説くなら王都南区のあの隠れ家カフェのテラス席が最高だ」といった、極上のデートスポットや女心を掴むテクニックまで惜しみなく伝授してくれたのだ。
剣の腕は順調に伸び、女性関係も華やかで、学校生活は最高に楽しい。
だが——楽しすぎるあまり、俺は卒業後の具体的な将来設計について、ほとんど何も考えていなかった。
ボレアス家を継ぐと言っても、俺は政治や経済の小難しい話が大の苦手だったのだ。
その悩みをルークさんに打ち明けたところ、なんと相談相手として、アリエル女王陛下ご本人が直接面談の場を設けてくださったのだ。
ルークさんを通じて、俺の性格や素行は完全に把握されていたらしい。
初めて間近で謁見したアリエル様は、言葉を失うほどのとんでもない絶世の美女だった。
御年四十を過ぎているとは到底信じられない圧倒的な美貌、豊かな胸元と引き締まった腰つき、優雅極まる所作。そして何より、耳元で囁かれるだけで理性が蕩けてしまいそうな色気あふれる美声。
俺の親と同年代でさえなければ、間違いなく命知らずにも口説き落としにいっていたところだ。
アリエル様は、俺の頭を抱える悩みを優しく微笑みながら聞き届けると、目から鱗が落ちるような完璧な解決策を提示してくれた。
「アルス。政治や領地の経営が分からないのなら、それが完璧にできる優秀な妻を娶ればよいのです。貴方はただ、ボレアス家の強い象徴として剣を振るっていればよいのですよ」
その手があったか!と俺は心底感嘆した。
しかも、アリエル様が紹介してくれた婚約相手は、これまたとんでもないスタイルの美女だった。
アリエル様の直属派閥に属する名門貴族の令嬢で、俺なんかとは比べ物にならないほど視野が広く、政治と人心掌握の天才。
さらに驚くべきことに、彼女は俺との相性が抜群だったのだ。
俺が獣族の侍女に欲情してお手付きをしてしまっても、「まあ、アルス様はお盛んですこと。男らしくて素敵ですわ」と笑って許してくれるどころか、「今度は私にもその侍女たちに混ぜてくださいな」と妖艶に微笑んでくるほどの器の広さを持っていたのだ。
正直、俺にとってこれ以上ない最高の女性だった。
アリエル様の思惑通りにボレアス家を取り込まれた形なのかもしれないが、俺自身は間違いなく世界一の幸せ者だった。
学校を卒業した俺は、すぐに彼女と結婚式を挙げ、ボレアス家の屋敷に住みながらアスラ王立騎士団に籍を置き、順風満帆な若殿としての生活を謳歌していた。
たまに父の仕事を手伝い、母も「アルス、腕は鈍ってないでしょうね!」と頻繁に屋敷へ遊びに来てくれる。
俺の人生は、これからもずっと、このまま輝かしい成功の道を歩み続けていくのだと信じて疑っていなかった。
……だが。
順風満帆だった俺の人生に、いつしか暗い影が差し込み始めていた。
あれほどガンガンと伸び続けていた剣の腕前が、ここ数年、ピタリと止まってしまったのだ。
いや……腕が落ちたわけではない。
ボレアス家の後継者として騎士団の上位に立ち、アスラ王国が誇る本物の『超一流の強者』たちと本格的に刃を交える機会が増えたことで、己の無力さを痛感させられただけなのかもしれない。
強者なら、子供の頃からすぐ近くにいた。
父、母、北神アレク兄ちゃん、そして龍神オルステッド様。
だが、彼らはあまりにも世界の次元が違いすぎて、子供の頃の俺にとっては勝負にすらなっていなかったのだ。
現実を思い知らされたのは、騎士団の訓練場で、北帝ドーガさんや水神イゾルテさんと立ち会いを重ねるようになってからだった。
以前の立ち会いで俺が彼らに一本取れていたのは、単に彼らがボレアス家の御曹司である俺を傷つけないよう、手加減をしてくれていただけだったのだ。
本気を出したドーガさんの鉄壁の防御は傷一つつけられず、イゾルテさんの流れるような水神流のカウンターには手も足も出ない。
俺は甘かった。
学校で一番になったくらいで、自分が天下の強豪になった気でいたのだ。
完全に、井の中の蛙だった。
これまでは、どんな壁にぶつかっても、がむしゃらに素振りを繰り返して修行していれば乗り越えられた。
だが……最近は、どれだけ汗を流しても、自分が強くなっている実感が全く湧かない。
ドーガさんやイゾルテさんとの絶望的な実力差が、いくら修行しても、ミリ単位すら縮まっているように見えなかった。
生まれて初めて味わう、重苦しいスランプと挫折感。
そして——そんな俺の心を最も激しく焦らせたのは、弟のジークハルトの存在だった。
ジークは俺がアスラ王立学校を卒業して数年後に卒業し、周囲の反対を押し切って、単身シーローン共和国へと旅立っていった。(父は応援していたようだが)
親友となったパックス王子の死地とも言える未開の森の開拓を助けるためだった。
昔のジークは、どこかなよなよとしていて、やる気がなさそうに見えて、いつも俺の後ろにくっついて歩いているような弟だった。
だが……あいつは昔から、いざという時には俺なんかよりもずっと、ずっと格好良い男だったのだ。
ここ最近、シーローン方面からの噂が、王都アルスにも頻繁に届くようになっていた。
ジークが漆黒の大剣を振るい、狂暴な魔物の大軍をたった一人で殲滅したこと。
近隣諸国の軍勢の圧力を跳ね除け、親友と共に奇跡のような未開地の開拓を成し遂げつつあること。
そして——その圧倒的な武勇から、当代の『死神』の座を継承し、七大列強に名を連ねるのではないかと世界中で囁かれていること。
弟の輝かしい噂が聞こえてくるたび、俺の胸は激しい焦燥感と劣等感で焼き尽くされそうになった。
かつて俺の後ろをついてきていたはずの弟に、いつの間にか大きく置いていかれている。
その事実を認めたくなくて、俺はますます意地になって剣を振るうようになっていった。
父と同じ、七大列強。
世界の頂点の席に、弟が手をかけようとしているのだ。
それがどれほどの武人の誉れであり、誇りか。
それに比べて俺はなんだ。
大貴族のぬるま湯に浸かり、学校のモテ自慢にうつつを抜かし、剣の腕は頭打ち。
周囲からは「まあ、偉大すぎる両親に比べれば、アルス様は普通に優秀な貴族様として収まるのが関の山だろう」と、諦め混じりの目で見られている始末だ。
ジークは、子供の頃から生まれつき腕力が強かった。
うんと背が低かった頃でも、大人顔負けの怪力で重い大剣を軽々と振り回すことができていた。
情けない話だが、俺はジークに対して、心のどこかで『ずるい』と思ってしまう瞬間が何度かあった。
一つは、あの圧倒的な怪力。
もう一つは、甲龍王ペルギウス様から直々に『サラディン』という誇り高いミドルネームを名付けられたこと。
そして、七大列強の北神アレク兄ちゃんから、裏で熱心に剣の指導をつけてもらっていたこと。
……そして、もう一つ。
父から授けられた、あの魔剣の存在だ。
自分の不甲斐なさを剣のせいにするなんて、武人として最低で情けないことだと分かっている。
だが……それでも、ずるいと思ってしまったのだ。
ジークの凄まじい大活躍には、父が鉱神ゴッドバルド様と一緒に打ち上げた伝説級の魔剣が大きく関わっている。
ジークが背負うあの大剣は、一振りするだけで上級風魔術すら凌駕する大嵐を巻き起こす。
それだけじゃない。
あの大剣を使いこなせば、なんと生身で空を飛ぶことができるのだ。
空を飛ぶ敵に対し、地上の剣士には打つ手がない。
あの怪力のジークが、大剣を構えて空を縦横無尽に飛び回りながら急降下攻撃を仕掛けてくるのだ。想像するだけで、どんな達人でも白旗を上げるしかない、ルードおじさんなら『チート性能』と言うだろう。
さらに噂によれば、あの魔剣には『偏在』と呼ばれる恐るべき機能まで仕込まれているらしい。
父やシルフィ母さんが使う『
ジークはその力を解放し、押し寄せる魔物の軍勢を一人で殲滅してしまったという。
それに引き換え……父が俺に授けてくれたあの魔剣は……。
出来栄えは、間違いなく素晴らしい。
市販の高級な名剣など足元にも及ばない、美しい緋色の刀身を持つ片刃剣だ。
だが……俺がどれだけ魔力を流し、どれだけ戦場で使ってみても、見つかった機能は『使用者の傷を微弱な治癒魔術で癒す』という効果だけだった。
俺の剣の腕が足りないのか、それとも頭が悪いのか。
どれだけ試行錯誤しても、それ以外の機能が全く引き出せないのだ。
妹のララやルーシーからは、その剣を見るたびに「パパの『過保護剣』ね」「アルスが怪我しないように作られたお守り剣だね」と、からかわれる始末だった。
剣のせいにするつもりはない。
だが……心のどこかで、どす黒い疑念がずっと渦巻いていた。
(……俺は、この剣を持つ資格すらない男なんじゃないか?)
(父さんは……俺の才能の無さを見抜いていたからこそ、戦うための力ではなく、ただ死なないためだけの『過保護な回復剣』を渡したんじゃないだろうか……?)
父の期待に応えられていないという絶望感が、俺の心を重く押し潰していた。
王都アルスの近衛騎士団訓練場。
砂煙が舞う訓練場の片隅で、俺は上半身裸になり、がむしゃらに木剣を振るい続けていた。
「だぁぁぁッ!がぁぁぁッ!」
がむしゃらに、ただ闇雲に力を込め、空気を切り裂く。
焦燥感に突き動かされるまま、息を切らして太刀筋を乱す俺の姿を、傍で冷静に見つめている人物がいた。
黄金騎士シャンドルさん——北神二世アレックス・カールマン・ライバック。
そしてその傍らには、北帝ドーガさんと水神イゾルテさんの姿もあった。
「そこまでだ、アルス君」
シャンドルさんの静かな制止の声に、俺は肩で息をしながら木剣を下ろした。
「……シャンドルさん。俺は……まだやれます!もっとやらせてください!」
「いや、今の君と立ち合っても意味がないよ。今の君の剣は、ただ力を欲して焦り、空回りしているだけだ」
シャンドルさんは厳しく、けれど慈愛を込めた眼差しで俺を見つめた。
「君の剣の腕前は、客観的に見れば既に『剣王』と呼ぶにふさわしい域に達している。同年代の剣士の中では間違いなくトップクラスだ。……だが、帝級の領域には程遠い。君自身、ここ数年実力が全く伸びていないことに気づいて焦っているんだろう?」
痛いところを正確に突かれ、俺は奥歯をギリリと噛み締めて俯いた。
「……はい。どれだけ素振りをしても、ドーガさんやイゾルテさんとの差が縮まる気がしないんです。俺は……ここで頭打ちなんじゃないかって……」
「ふむ。ならば少し、私の手技を受けてみるかい?」
シャンドルさんが腰の訓練用の長棒を手に取り、砂場の中央へと進み出た。
「来なさい、アルス君。君の全力で打ち込んでおいで」
「……行きますッ!」
俺は大地を蹴り、狂剣派の最速の踏み込みから、光の太刀筋を放った。
だが——シャンドルさんはその一撃を、まるで柳の枝のように柔らかく棒先で受け流すと、俺の重心を崩し、続け様に棒の腹で俺の鳩尾をトンと突いた。
「ぐふっ……!?」
体勢を立て直そうと飛び退いた瞬間、足払いが飛んできて、俺は無様に砂場へと転倒した。
起き上がろうとするが、次々と繰り出される変幻自在の打撃に手も足も出ず、俺は数分と経たずに全身砂まみれになってボロボロに打ちのめされた。
「……くそっ……!」
大の字に倒れ込み、荒い呼吸を繰り返す俺の視界に、ふらりと訓練場へ入ってきた青年の姿が映った。
「おや?賑やかにやってますね、父さん」
現れたのは、当代の七大列強・北神三世アレクサンダー——アレク兄ちゃんだった。
「おお、アレク君!ちょうど良いところに来てくれた」
「アルス、ボロボロじゃないか。相変わらず父さんのシバきは容赦がないね」
アレクさんは倒れている俺に手を差し伸べ、軽々と引き起こしてくれた。
アレクさんとシャンドルさんは、俺のボロボロの様子と表情を見て、瞬時にすべての状況を察したようだった。
シャンドルさんが、俺の腰に佩かれたままの緋色の片刃剣に視線を向けた。
「……アルス君。君はいつもその立派な魔剣を佩いているけれど、なぜ立ち合いで一度も抜こうとしないんだい?」
その問いに、俺は気まずそうに視線を逸らし、拳を握りしめた。
「……俺には、その剣を使う資格がないからです」
「資格がない?」
「この剣は……父さんが作ってくれたものですが、俺には傷を癒すことくらいしか使えません。ジークの魔剣のような凄まじい力なんて、何一つ引き出せないんです。……俺は、父さんが期待するような出来の良い息子じゃないから……この剣に選ばれていないんです」
情けない告白に、訓練場がシンと静まり返った。
シャンドルさんは顎に手を当てて深く思案した後、隣のアレクさんに向き直った。
「アレク。……君、この剣の本当の秘密について、アルス君に教えてあげないのかい?」
「え?いやぁ……僕はルーデウスから口止めされてますからね。僕の口からは言えませんよ」
「ふむ。……ということは、私なら教えても良いということかい?」
「まあ、父さんなら問題ないでしょうね。上位の達人から助言を受けて壁を乗り越えることも、ルーデウスは最初から織り込み済みのはずですから」
アレクさんの軽やかな許可を聞いたシャンドルさんは、ニヤリと笑みを浮かべ、俺に向かって右手を差し出した。
「アルス君。君のその魔剣を少し借りてもいいかい?」
「え……?あ、はい、どうぞ……」
俺が腰から緋色の片刃剣を外し、鞘ごと手渡すと、シャンドルさんは静かに柄を握り、刀身をすらりと引き抜いた。
シャラァァン……ッ!
夕日を浴びて、刀身がまるで生き物のように深紅の光を放った。
シャンドルさんは目を細め、その刃に微かに闘気を通すと、感嘆の息を漏らした。
「……素晴らしい。さすがはルーデウス殿と鉱神の合作だ。恐ろしいほどの闘気伝導率と、極限まで研ぎ澄まされた器……!よし、アルス君。この剣が秘めた『本当の力』の片鱗を、私が手本として見せてあげよう」
シャンドルさんは魔剣を構えると、対面に立つ水神イゾルテさんに向き直った。
「イゾルテ殿。少し手合わせを願えるかな?」
「ええ、シャンドル様のお相手でしたら喜んで」
イゾルテさんが愛用の剣を抜き、完璧な水神流の中段の構えをとった。隙が一切ない、絶対防御の構え。
「参る!」
シャンドルさんが鋭く踏み込み、流れるような斬撃を繰り出した。
イゾルテさんはそれを難なく受け止める。
甲高い金属音が訓練場に響き渡る。
俺は目を凝らして二人の攻防を見つめた。
シャンドルさんの剣筋は、いつもと少し違っていた。
北神流特有の苛烈な連撃の中に、意図的に『緩い、力の抜けた攻撃』を何度も織り交ぜていたのだ。
(……なんだ?なんであんな威力のない緩い攻撃を、わざわざ水神流の構えに当てにいっているんだ……?)
俺が首を傾げた、その直後だった。
ガキンッ!と十数合目の刃が打ち合わされた瞬間——。
「……っ!?な……に……!?」
イゾルテさんの顔から、一瞬にして全ての血の気が引いた。
攻撃が直撃したわけでもないのに、イゾルテさんは突如として両膝から崩れ落ち、砂場に手をついて激しく肩で息をし始めたのだ!
全身からダラダラと冷や汗を流し、まるで何日も飲まず食わずで戦い続けたかのように、虚脱した表情を浮かべている。
「い、イゾルテさん……!?」
俺は目を疑った。
あのアスラ最強の水神流の達人が、かすり傷一つ負っていないのに、突如として戦闘不能に陥ったのだ!
「ふむ、やはりな。……ドーガ、次は君だ。少し構えてくれ」
「……ん。いく」
次に進み出たのは、北帝ドーガさんだった。
巨木のような大斧を構え、全身に分厚い北神流の闘気を張り巡らせる。岩山のような堅牢さ。
シャンドルさんは再び、緋色の魔剣を構えてドーガさんへと踏み込んだ。
ガキィィンッ!ガキンッ!
ドーガさんの重厚な防御に対し、シャンドルさんは先ほどと同様、ふわりとした『緩い刃の接触』をリズミカルに繰り返す。
そして、二十五合目。
「……う……ぐっ……!?」
あの巨漢のドーガさんが、苦悶の声を漏らし、大斧を取り落としてドスンッと膝をついた。
その分厚かったはずの闘気が、完全に霧散して消え去っていた。
「な……なん、だ……これ……力、入らない……」
ドーガさんが呆然と自分の震える両手を見つめている。
訓練場に、完全な静寂が訪れた。
シャンドルさんは緋色の魔剣を優雅に一振りして血振りの所作をとると、感嘆のため息を吐き出した。
「……恐ろしい。恐ろしいほどの凶悪さだ、この魔剣は……」
俺は我慢できなくなり、シャンドルさんの元へと駆け寄った。
「シャンドルさん!いったい何をしたんですか!?触れただけでイゾルテさんもドーガさんも倒れるなんて……この剣には、どんな機能が隠されているんですか!?」
俺の必死な問いかけに、シャンドルさんは優しく微笑み、深紅の刀身を俺の目の前に掲げて見せた。
「アルス君。この剣の力はね、エリス殿の持つ鳳雅龍剣のような『闘気の無力化』ではない。ルーデウス殿の雷槍のような『闘気の貫通』でもなければ、私の武器のような『相手の闘気を利用する重力操作』でもない」
シャンドルさんは、はっきりとその真実を告げた。
「これは——刃を交えた相手の闘気を、『強奪』する魔剣だよ」
「「「闘気を……強奪する……!?」」」
俺の口から、驚愕の声が漏れた。
「そうだ。この剣はね、刃が相手の武器や闘気と接触した瞬間、両者の間に生じる『闘気の出力差』を計算し、相手の闘気を吸い上げて刀身に蓄積する機能を持っているのだよ」
シャンドルさんの解説を聞いた瞬間、俺の頭の中で全てのパズルがガチリと噛み合った。
「あ……!だからさっき、わざと威力の低い『緩い攻撃』を当てていたんですね……!?」
「その通りだ、聡明だねアルス君。自分の闘気を極限まで絞って相手の強大な闘気と刃を合わせれば、出力の差が最大になり、相手の闘気をごっそりと強奪できる。イゾルテ殿もドーガも、技を繰り出すたびに己の生命力と闘気を根こそぎ吸い取られ、一瞬でガス欠に陥ったのだよ」
凄まじい……!なんという悪魔的な機能だ!
だが、シャンドルさんの説明はそれだけで終わらなかった。
「しかも、それだけではない。奪った闘気の一部は、刀身を通じて使用者の肉体へと還元され、疲労や傷を瞬時に癒す自動治癒エネルギーとして変換される。……君が今まで『治癒の効果しかない』と思っていたのは、この還流機能のほんの表面しか使えていなかったからなのだよ」
そしてシャンドルさんは、誰もいない訓練場の奥の空き地へと向き直った。
「そして……この剣の真の恐ろしさは、ここからだ」
シャンドルさんが魔剣の切っ先を、遠くの岩山へと向けた。
刀身に蓄積されていた、イゾルテさんとドーガさんから奪い取った膨大な闘気が、緋色の光となって刀身を激しく明滅させる。
「放てッ!!」
ズドォォォォォォォンッ!!
シャンドルさんが虚空を一閃した瞬間——轟音とともに、目に見えるほどの超極大の緋色の衝撃波が射出された!
衝撃波は訓練場の地面を深さ数メートルにわたって削り取りながら直進し、数百メートル先にある特大の訓練用岩山を、跡形もなく粉々に消し飛ばして粉砕した。
猛烈な爆風が吹き荒れ、俺の髪を激しく揺らす。
「……な……んだ……これ……!?」
俺は開いた口が塞がらなかった。
岩山が一つ、一撃で吹き飛んだのだ。
これまで十年近く腰に佩いてきた剣が、こんなにも底知れない力を秘めていたなんて。
今までの自分の未熟さが、恥ずかしくて仕方がなかった。
「奪い取った敵の闘気を、自らの斬撃のエネルギーとして増幅して撃ち放つ機能……。まったく、ルーデウス殿もとんでもない怪物を造り上げたものだ」
横で腕を組んでいたアレクさんが、満足そうに頷きながら口を開いた。
「父上がここまでネタバレしたなら、僕からも補足しておきましょう。この魔剣の技術体系はね、古代龍族が神話の時代に使っていた『他者の力を喰らい尽くす秘術』をベースにして、ルーデウスさんと鉱神が組み上げた最高傑作なんですよ」
「古代龍族の秘術……!」
「ええ。この剣さえ完全に使いこなせれば、僕や父上のような達人はもちろん……理論上は、あの龍神オルステッド様相手にだって十分に立ち合えるはずです」
シャンドルさんは愛おしそうに緋色の刀身を見つめ、柄を俺の胸へと優しく押し戻してくれた。
「アルス君。この剣を握っているとね……これを造ったルーデウス殿の、父親としての真の想いが痛いほど伝わってくるよ」
シャンドルさんの温かい言葉が、俺の胸に染み渡る。
「この剣はね、自分よりも弱い格下を蹴散らすための武器ではない。……自分よりも遥かに強大な、圧倒的な強者に挑み続ける『勇気ある挑戦者』にこそ相応しい剣なのだよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の視界から、すべての霧が晴れ渡った。
(……そうか……父さんは……)
父さんは、俺を見捨ててなんか居なかった。
俺に『安全に生きろ』と守りに入ったわけでもなかった。
いつか俺が、世界の広さを知り、自分の限界という壁にぶつかった時。
自分よりも遥かに強い本物の強者たちに立ち向かい、その力を喰らい尽くして乗り越えていけるようにと——この至高の魔剣を託してくれたのだ!
アレクさんが、ニッと白い歯を見せて笑った。
「アルス。君に、この剣の本当の銘を教えてあげるよ」
アレクさんは誇らしげに、その名を口にした。
「銘は——『
『
その名を口の中で反芻した瞬間、俺の胸の奥底で、長い間眠っていた何かが、パチリと音を立てて弾け飛んだ。
ドクンッ!と全身の血が激しく沸騰する。
母エリスから受け継いだ、獰猛で、熱く、何物にも屈しない真の武人の血——『闘争心』が、猛烈な炎となって全身を駆け巡った。
(……そうだ。俺は何をやっていたんだ?)
ボレアス家のぬるま湯に浸かり、学校のモテ自慢で満足し、勝てない相手から目を背けて立ち止まっていた。
そんな自分が、心底情けなくて、恥ずかしかった。
俺は、強くなりたい。
弟のジークのように。父や母のように。
世界中の強者たちと刃を交え、自分の限界を打ち破り、この『
俺は手の中の『
「シャンドルさん、アレク兄ちゃん……本当に、ありがとうございました!」
そして俺は、顔を上げて力強く宣言した。
「俺……旅に出ます!妻や祖父やアリエル様を説得して、世界中の強者を巡る武者修行の旅に出ます!」
俺の決意を聞いたシャンドルさんは、目を見開き、やがて腹の底から嬉しそうに大爆笑した。
「ハハハハッ!素晴らしい!自分より強い者に挑み続ける闘争心、それこそが真の武人の、北神流の魂だよ!君が剣神流なのが実に惜しいくらいだ!」
アレクさんも親指をグッと立てて笑った。
「いい度胸だ、アルス!ルーデウスも絶対に喜ぶよ。旅立ちの準備、僕たちも全力でバックアップしてあげるからね!」
夕日に照らされた訓練場で、俺は愛剣『
これまでのぬるま湯の日々に、もう未練はなかった。
本当の意味で父の背中を追いかける旅が、ようやく始まるのだ。
待っていろよ、ジーク。
待っていてください、父さん、母さん。
俺は必ず、この世界で誰よりも強い、最高の男になって帰ってきてみせる!
紅く染まる空の下、俺の本当の物語が、今ここから始まろうとしていた。
アルスの物語を想像しながら書いたら、ルークと仲良くなったしまいました。
『龍門』の機能を持つ魔剣です。
アリエルは手のひらの上でコロコロと転がそうとしました。でも、ルーデウスの血筋は一筋縄ではいかないようです。