無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~   作:haru-ha

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【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)

以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。

【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。


エピローグ31:アイリスとルーシュ

Side:ルーシュ

 

僕の両親は、揃いも揃って世界の常識からかけ離れた『化け物』だ。

 

父、ルーデウス・ボレアス・グレイラット。

世界に冠絶する七大列強の第三位『雷神』であり、魔術のすべてを極め、神話の悪神人神(ヒトガミ)すら封印した『六面のルーデウス』。

その存在は世界中の誰もが知る、生ける神のような化け物だ。

 

そして母、アイシャ・グレイラット。

母は父と違って表舞台には滅多に立たない。だが、父が立ち上げた国際組織『龍の爪』の実質的な最高責任者として、世界中の支部に張り巡らされた巨大な情報網と物流、そして一国の国家予算すら遥かに凌駕する天文学的な資金を完璧に統括している。

父が表の化け物なら、母は世界中の誰も気づかないうちに世界を裏から牛耳っている、真の化け物だった。

 

そんな規格外すぎる両親の間に生まれた、僕——ルーシュ・グレイラット。

そして、僕と同時に生まれた二卵性双生児の片割れである、アイリス・グレイラット。

 

僕たち双子は、グレイラット家のたくさんの兄弟姉妹たちの中でも、一番最後に生まれた末っ子だった。

 

アルス兄ちゃんやジーク兄ちゃん、ルーシー姉やララ姉たちを見ていると、誰もがそれぞれの分野で圧倒的な才能を発揮して輝いている。

それに比べて僕ときたら……特別な野心もなければ、世界を変えたいという気概もない。

 

心のどこかで、僕はいつも冷めた諦めを抱いていた。

あんな化け物みたいな父や母、優秀すぎる兄や姉たちのようになれるはずがない、と。

 

僕たち双子には、他の兄弟たちにはない決定的な『身体的特徴』があった。

父がかつての死闘で得たという、魔石多頭竜(マナタイト・ヒュドラ)の細胞——いわゆる『竜の特徴』を、色濃く受け継いで生まれてきたのだ。

 

腕を覆うエメラルドグリーンの美しい鱗、黒く鋭い爪、そして縦に細く裂けた金色の竜の瞳。

 

これが、僕にとって最大の悩みの種だった。

 

この姿のままシャリーアの街を歩けば、道行く人々は一瞬で血の気を引かせて逃げ出してしまう。

近寄ってくる者がいたとしても、それは父の絶大な権力や母の持つ莫大な財産にあやかろうとする、薄汚い下心を持った取り巻きたちだけだ。

 

どこへ行っても、畏怖されるか、媚び諂われるか。

純粋な友達なんて、できるはずがなかった。

色眼鏡で見られ続ける日々に、僕は鬱陶しさと息苦しさを感じていたのだ。

 

そんな僕とは正反対だったのが、双子の姉であるアイリスだった。

 

ほんの数秒早く生まれただけなのに、昔から「あたしはお姉ちゃんなんだからね!」と威張り散らしてくる姉。仕方がないので、僕はいつも彼女に付き合ってあげていた。

 

姉は、僕とは全く違っていた。

自分自身の身体に刻まれた竜の特徴を、何よりも誇らしく、誰よりも美しいものだと心底信じ切っていたのだ。

隠すどころか、腕の鱗や鋭い爪を堂々と見せびらかし、胸を張って街を闊歩するような性格だった。

 

聞けば、祖母であるリーリャや、母であるアイシャも、僕たちが父の竜の特徴を受け継いで生まれたことを、心から誇らしく思っているらしい。

 

だが……僕には、どうしてもそれができなかった。

 

だから僕は、父が作った特別な魔道具——『変貌の指輪』を、肌身離さず左手の指にはめていた。

この指輪の魔力によって、僕の外見はごく一般的な人族の少年の姿へと偽装される。一度に膨大な魔力を解放しない限り、この擬態が解けることはない。

 

人族の姿でいる時間は、僕にとって至上の安らぎだった。

誰からも特別な目で見られず、ただの平凡な子どもとして普通に接してもらえる。

 

ラノア魔法大学に入学した際、周囲の生徒たちから「あいつは雷神の息子なのに、竜の特徴を全部姉に取られた落ちこぼれなんだな」と哀れみと蔑みの目を向けられたが、僕にとってはそれすらも心地よい隠れ蓑だった。

 

一度、父に申し訳なくなって、二人きりで相談したことがある。

『せっかく父さんから受け継いだ体を、隠してばかりでごめんなさい』と。

 

だが父は怒るどころか、優しく目を細めて笑ってくれたのだ。

 

『何を謝る必要があるんだい、ルーシュ。……実はね、父さんも昔から、本当は目立ちたくない性分だったんだよ。静かに、平穏に暮らしたいってずっと願っていたんだ。君のその気持ち、痛いほどよく分かるよ。君は私に一番性格が似ているね』

 

その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の奥の重荷がフッと消え去った。

世界最強の父と、性格が似ている。そのことが、僕にとってどれほど誇らしく、嬉しかったことか。

 

それからというもの、僕は自分の内向的な性格を、以前ほど恥じることがなくなっていった。

 


 

ラノア魔法大学に入学した初日、姉のアイリスの目立ちっぷりは凄まじいものだった。

 

エメラルドグリーンの鱗を輝かせ、鋭い竜の爪を見せつけながら、新入生の先頭を堂々と練り歩く。

新入生はもちろん、最高学年の上級生や、教鞭を執る先生方ですら、その異様な威圧感に息を呑んで道を譲っていた。

 

姉のその歩き方は、父の事務所で働くリニアさんやプルセナさんの堂々とした、悪く言えばふてぶてしい態度にそっくりだった。

おかげで、人族の姿に化けていた僕は完全に空気となり、誰からも注目されずに済んだのだから、姉には心底感謝している。

 

放課後になると、僕たちはよく『龍の爪』事務所の総本部へと遊びに行っていた。

事務所には、大好きな人たちがたくさんいたからだ。

 

ルードおじさん、ファリアスティアさん、リニアさん、プルセナさん、そしてあの絶対の威厳を誇る龍神オルステッド様。

 

特にリニアさんとプルセナさんは、僕たちが顔を出すたびに大喜びで構ってくれた。

だが最近、二人は適齢期を過ぎつつある焦りからか、必死でお婿さん探しに奔走しているらしい。

 

「ルーシュきゅん!将来あちしのお婿さんになってくれないかニャ!?逆玉の輿ニャ!」

「ダメなの、ルーシュ君はプルセナと結婚して養うの!」

 

二人が野獣のようなギラギラとした肉食の目で僕に迫ってくるのには、本気で恐怖を覚えた。

歳が離れすぎているし、そもそも父の部下とお見合いなんてごめんだ。

 

さて、そんな騒がしい日常の中で、姉の威光のおかげで完全に『落ちこぼれの凡人』ポジションを獲得した僕は、かねてから念願だったとあるサークルへと足を踏み入れた。

 

——『雷魔術研究会』。

 

僕たちグレイラット家の子供たちは、全員が幼少期から父母たちによる英才教育を受け、無詠唱魔術を完璧に習得している。

長女のララ姉なんて、どんな属性の魔術でも呼吸するように操る天才だ。

 

だが……僕が幼い頃、父が庭で見せてくれたあの『雷魔術』の圧倒的な輝き。

天を裂き、あらゆる闇を焼き払う紫電の軌跡を目撃したあの日から、僕の魂は完全に雷魔術の美しさに魅了されてしまっていたのだ。

 

暇さえあれば、時間を忘れて雷魔術の術式をノートに書き殴り、理論の解明とイメージの構築に明け暮れる日々。

母であるアイシャからは「少しは体を動かしなさい!」と呆れられるほどだった。

 

父が書斎に置いている膨大な魔術理論書を読み解くため、辞書を片手に何千時間も勉強した。

父は世界中を飛び回る超多忙な人だったけれど、僕が魔術の質問を持っていくと、オルステッド様やペルギウス様との重要な面会すら後回しにして、何時間でも付き合ってくれた。

父と一緒に裏庭で雷魔術の出力を調整し合う時間は、僕の人生の中で最高の宝物だった。

 

そんな僕が、魔法大学の『雷魔術研究会』の扉を叩いた日。

 

僕は心臓が口から飛び出そうになるほど緊張していた。

『雷神の息子が道楽で冷やかしに来た』なんて色眼鏡で見られたくなかった。僕はただ、純粋に雷魔術を愛する仲間たちと一緒に、その理を追求したかっただけなのだ。

 

だが……その緊張は、完全に杞憂に終わった。

 

古びた研究室の扉を開けた瞬間、そこにいたのは、僕と同じように目を血走らせ、黒板一面に雷魔術の術式を書き連ねている、純粋な魔術馬鹿たちの集団だった。

 

「君、雷魔術に興味があるのかい!?どの励起理論が好きだ!?」

「無詠唱の電撃の減衰率について議論しようじゃないか!」

 

彼らは僕の家柄など一切気にせず、ただの一人の『雷魔術の同好の士』として、温かく、熱烈に迎え入れてくれたのだ。

 

そこからの学生生活は、まさに至福そのものだった。

 

ララ姉は魔術の天才だけれど専門は水と占命魔術だし、ロキシー母さんも雷魔術に関しては専門外で、基本的には水魔術からの派生として使っている。シルフィ母さんは雷魔術を使えるけど、家の管理で忙しい。

だがこの研究室には、雷魔術の深淵を共に探求できる仲間たちがいた。

 

魔法陣の幾何学パターンの最適化から始まり、それを誰でも使える詠唱呪文へと翻訳する作業。

さらに、詠唱を極限まで引き伸ばすことで消費魔力を限界まで節約する最新理論の研究。

詠唱の末尾に風や土の属性言語を継ぎ足して、全く新しい派生雷魔術を開発する実験。

そして生み出した新魔術を再び魔法陣へと逆翻訳し、さらなる高効率化を図る無限のループ。

 

時間を忘れ、朝から晩まで仲間たちと黒板に向かい続ける。

これ以上に贅沢で、最高な時間の使い方が他にあるだろうか。

 

研究室に入り浸りすぎて門限を大幅に破り、夜遅くに帰宅してアイシャ母さんに正座させられて説教を食らうことも日常茶飯事だった。

(父は僕の情熱を完全に理解してくれていたので、いつも横から『まあまあアイシャ、研究に熱中するのは素晴らしいことじゃないか』と庇ってくれたのだが、結局父も一緒にアイシャ母さんに正座させられてお説教されるのがお約束だった)

 


 

僕が研究室でオタク全開の至福の日々を過ごしている間、双子の姉であるアイリスは正反対の武闘派の道を突き進んでいた。

 

姉は昔から魔術の座学よりも、体を動かす武術が大好きだった。

剣神流、水神流、北神流の三流派すべてを学び、その中でも特に足捌きとトリッキーな奇襲を得意とする北神流に強い適性を見出していた。

幼い頃からパウロ祖父(おじい)ちゃんに木剣で挑みかかり、エリス母さんから苛烈な実戦手ほどきを受け、ジーク兄ちゃんが家にいた頃はずっとその後ろをついて回っていたほどだ。

 

大学に入学した姉は、教室で大人しく座っているような性格ではなかった。

 

同じ学年の血気盛んな荒くれ者や、腕自慢の上級生たちに片っ端から決闘を挑み、素手や木剣でボコボコに叩きのめしては、次々と自分の舎弟にしていったのだ。

 

「フン!あたしに勝てない奴は、今日からあたしの背中に付いてきなさい!」

 

そう言って腕を組み、十数人の男子生徒を引き連れて学食を闊歩する姉の姿を見て、母のアイシャは頭を抱えて深いため息をついていた。

 

「はぁ……なんであの子、リニアとプルセナの悪いところばかり学んでしまったんだろ……」

 

姉も父から『変貌の指輪』を貰ってはいたのだが、窮屈だからという理由でほとんど指にはめていなかった。

 

それもそのはずだ。『変貌の指輪』は外見を偽装するだけでなく、体内に秘められた竜の力をも大幅に抑制してしまう。

生まれた時から竜の細胞を持つ僕たちは、常人を遥かに凌駕する筋力と頑強な肉体を持っている。多少の切り傷なら数秒で塞がってしまうし、並の魔術程度なら素手で払うだけで掻き消せてしまうのだ。

 

もっとも、僕自身はその竜の身体をひどく不便だと感じていた。

瞳の圧力が強すぎて小動物にすら逃げられるし、既製品の服は背中の骨格に合わずに破けてしまう。

(姉は父の知己である高次縫製師(グランクチュリエ)と懇意になり、自分の竜の身体に完璧にフィットする特注の美しい服を仕立ててもらっていたが)

何より、鋭すぎる黒爪と硬質な鱗のせいで、お風呂で体を洗う時に油断すると自分の皮膚を引っ掻いて出血してしまうのだ(すぐに再生するとはいえ痛いものは痛い)。

 

僕が研究室で仲間たちと魔術論議に花を咲かせている間、姉は魔法大学の中で確固たる『アイリス派閥』を作り上げていた。

 

事務所のリニアさんたちは「よくやったニャ!さすがはあちしの第一の舎弟だニャ!」「お祝いにお肉をいっぱい奢ってやるの!社長にねだってくるの!」と大喜びしていたが、僕とアイシャ母さんはただただ呆れるばかりだった。

 

だが——『出る杭は打たれる』というのは、この世の絶対の理だった。

 


 

僕たちが二年生になって間もない、ある日の夕暮れ。

 

自宅のリビングの扉が開き、入ってきた姉の姿を見た瞬間、家族全員が息を呑んだ。

 

「……ただいま……」

 

いつも威風堂々としていた姉が、ボロボロに破けた特注の服を抱え、涙をポロポロとこぼしながら俯いていたのだ。

顔や腕の切り傷は、竜の驚異的な再生力によって既に綺麗に塞がっていたが、服に染み付いた生々しい血痕が、激しい戦闘があったことを物語っていた。

 

「アイリス!?どうしたの、その怪我は!?」

 

母のアイシャが血相を変えて駆け寄った。

 

泣きじゃくる姉から事情を聞き出すと、事の顛末はこうだった。

 

姉の派閥の台頭を快く思っていなかった対立グループの上級生が、自分たちの力では勝てないと悟り、あろうことか『外部の大人の剣士』を実力行使のために呼び出したのだという。

相手は、上級生の父親が雇ったという、剣王級の凄腕の傭兵剣士。しかも十数人の屈強な弟子たちを引き連れての闇討ちだった。

 

放課後、人通りのない森の広場に呼び出された姉は、取り巻きの仲間たちと共に勇敢に戦った。

だが、相手は歴戦の大人の剣士集団だ。仲間たちに次々と負傷者が出始め、このままでは全滅すると判断した姉は——自らがたった一人で殿を務め、仲間たちを逃がすために盾となって切り刻まれながら、なんとか脱出してきたのだという。

 

姉は乱暴で喧嘩っ早いが、決して卑怯な真似はしない。

仲間思いで、仲間が傷つくくらいなら自分が泥を被るような、真っ直ぐで優しい心を持っているのだ。

 

事情を聞き終えた瞬間——リビングの空気が、一瞬で絶対零度の殺気へと凍りついた。

 

まず最初にブチ切れたのは、祖父のパウロだった。

 

「あぁん!?どこのどいつだぁぁっ!!俺の可愛い孫娘にそんな傷を負わせたクソ野郎はぁっ!!」

 

パウロ祖父(おじい)ちゃんは顔を真っ赤にして激昂し、壁に掛けてあった剣を引っ掴むと、今すぐ魔法大学へ殴り込みに行こうと玄関へ突進した。

 

「パウロ、落ち着きなさい!」「落ち着いて!」

 

ゼニス祖母(おばあ)ちゃんとアイシャ母さんが必死になってパウロ祖父(おじい)ちゃんを羽交い締めにし、力づくで押し留める。

 

だが……パウロ祖父(おじい)ちゃん以上にヤバかったのは、赤ママ——エリス母さんだった。

 

エリス母さんは大声を上げることもなく、ただ静まり返った瞳に漆黒の殺意を宿し、無言のまま自室へ向かうと、愛剣である『鳳雅龍剣』をとって、そのまま静かに玄関へと歩き出していた。

 

足音も気配もなく、ただ己の直感と匂いだけで敵を探し出し、一族郎党すべてを皆殺しにする気満々のオーラ。

 

「エリス、待ちなさい!」「エリス、外に出ちゃダメです!」

 

ロキシー母さんとシルフィ母さんが青ざめた顔で飛びつき、二人がかりでエリス母さんの両腕にぶら下がって必死に制止する。

 

リビングが大混乱に陥る中、アイシャ母さんが鋭い声で全員を制した。

 

「皆様、落ち着いてください!明日の朝一番で、私が旦那様にすべて報告します!旦那様が動けば、その不届き者たちの身元も雇い主も綺麗に特定できますから!」

 

すると、涙を拭った姉が、ギリリと唇を噛み締めながら叫んだ。

 

「……嫌だ!まだパパに頼りたくない!あたし……あたしの力で、あいつらをぶん殴って勝ちたいの!」

 

泣きべそをかきながらも、その瞳に宿る不屈の闘志。

その真っ直ぐな叫びを聞いて、ようやくパウロ祖父(おじい)ちゃんとエリス母さんも剣を下ろし、リビングの騒動は一旦の収束を見せたのだった。

 


 

翌日。

 

僕はいつも通り、人族の姿に化けて『雷魔術研究会』の研究室へと顔を出した。

だが……黒板に向かっていても、術式が全く頭に入ってこない。

 

昨夜の姉の悔しそうな泣き顔が、脳裏から離れなかったのだ。

 

(あいつ……まさか、一人で仕返しに行ったりしないよな……?)

 

昼休みになり、購買部へパンを買いに行こうと廊下を歩いていた時だった。

中庭の植え込みの向こうを、フードを深く被り、険しい表情で早足に歩いていく見知った人影を見つけた。

 

アイリスだ。

 

手には木剣ではなく、真剣の鞘を握りしめている。

 

(……やっぱり行きやがった!!)

 

僕は息を呑み、即座に身を潜めて姉の背後を追跡した。

 

姉が向かったのは、魔法大学の敷地の最果て——普段は教官や生徒の目も届かない、鬱蒼とした原生林の広場だった。

 

木々の間から広場を覗き込むと、そこには既に十数人の屈強な男たちが、抜き身の刃を手にして待ち構えていた。

その中央に立っていたのは、粗野な革鎧を纏い、背中に豪奢な装飾の剣を背負った、筋骨隆々の男だった。噂の自称・剣王だろう。

 

「へっへっへ……本当に一人で来やがったぜ、威勢だけはいいトカゲの小娘がよぉ」

「仲間を卑怯な闇討ちで傷つけてくれた落とし前、きっちりつけさせてもらうわよ!」

 

姉が真剣を引き抜き、北神流の下段の構えをとった。

 

男は下品な笑い声を上げながら、唾を吐き捨てた。

 

「落とし前だぁ?ガキが生意気言ってんじゃねえぞ!てめえの親父が『雷神』だか何だか知らねえが、どうせちょっとばかり竜の化け物の血が入ってるだけのペテン師野郎だろ!世界の英雄気取りの親父の代わりに、てめえをここでミンチにして分からせてやるよ!」

 

男の口から吐き出された、父へのあまりにも無知で下劣な侮辱。

 

(……たまに湧くんだよな、こういう本物の馬鹿が)

 

世界の広さも、七大列強の真の恐ろしさも何も理解できない、井の中の蛙の愚か者。

だが、愚か者であろうと、数と実力は本物だった。

 

「やれぇっ!!」

 

男の号令とともに、十数人の弟子たちが一斉に抜刀して姉へと殺到した。

 

「はぁぁぁッ!」

 

姉は鋭い踏み込みから、北神流の変幻自在の剣撃を繰り出した。

先頭の二人を一瞬で斬り伏せ、足払いで三人目を吹き飛ばす。

 

だが——相手は多勢に無勢。しかも全員が大人の実戦剣士だ。

四方八方から容赦なく刃が繰り出され、姉の体勢が徐々に崩されていく。

 

太刀筋を受け流しきれず、姉の肩や太ももに鋭い切り傷が増えていく。

竜の再生力で傷はすぐに塞がるが、流れ出る血液と体力の消耗までは防ぎきれない。

 

「くっ……!」

 

膝をつきかけた姉の背後から、二人の剣士が同時に首を刈り取らんと剣を振り上げた。

 

(……まずいッ!!)

 

木陰で見ていた僕の心臓が激しく跳ね上がった。

 

足が震える。

僕は生まれてから一度も、本気の実戦で人と戦ったことなんてないのだ。

剣の修行も早々に放り出し、安全な研究室でオタクのように理論ばかりこねくり回してきた、ただの落ちこぼれ。

 

だが——。

 

(ここで僕がやらなきゃ……姉さんが死んじゃうだろ!!)

 

恐怖を、怒りと覚悟が塗り潰した。

 

生まれて初めて、僕は自分の意志で戦うことを選んだ。

誰かに指示されたからでも、追い詰められて仕方なくでもない。姉を守りたいという、ただそれだけの理由で。

 

姉に絶対に当たらない、極小の射線。

僕が放てる最大の、そして最も得意な雷魔術。

 

それは、父が開発した数ある雷魔術の中でも、群を抜いて難易度が高いとされる特殊魔術だった。

通常の雷魔術で生み出される電子や光子は、直進する特性しか持たない。

だがこの魔術は、『光子をベースにしながら、術者の魔力波長に従って自在に軌道を曲げる、この世に存在しない概念物質』を瞬時に生成・制御しなければならないのだ。

 

(父さんの理論書を何千回読んだと思ってるんだ……イメージしろ!光の軌道を、僕の神経と完全に同調させろ!!)

 

僕は木陰から一歩踏み出し、両手を突き出して全魔力を解放した!

 

「『追従雷銃(ホーミング・レイ)』ッ!!」

 

パシィィィィンッ!!

 

空間を切り裂く澄んだ放電音とともに、僕の指先から、眩い二本の極細の青白い光線が撃ち放たれた。

 

二本の光線は、空中で生き物のように鋭角に直角機動を繰り返し、姉の身体をミリ単位の隙間で綺麗にすり抜けると——姉を挟み撃ちにしようとしていた二人の剣士の身体を、一瞬で正確に貫通した。

 

「ギャァァァッ!?」

 

二人の剣士は激しい電撃に全身を硬直させ、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

 

バチバチバチッ!!

 

その瞬間、指先に過剰な魔力が逆流し、左手にはめていた『変貌の指輪』が限界を迎えて粉々に砕け散った。

 

ブワッ!と僕の身体から封じられていた竜の魔力が吹き荒れる。

瞳は黄金の竜の瞳へと変貌し、腕や首筋にエメラルドグリーンの硬質な鱗がビキビキと浮かび上がった。

急激な骨格の膨張により、着ていた制服の袖がビリビリと破け飛ぶ。

 

「な……なんだあいつはぁぁっ!?化け物だぁっ!」

 

動揺して怯む残りの取り巻きたちに対し、立ち上がった姉が獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ナイスよ、ルーシュッ!!」

 

姉は目にも留まらぬ超神速の踏み込みから、残りの弟子たちを素手と木剣で次々と殴り飛ばし、一瞬で全員を戦闘不能に叩き伏せた。

 

広場に残ったのは、リーダー格の自称・剣王の男ただ一人となった。

 

「ヒッ……く、クソガキどもが調子に乗るんじゃねえぞ……!」

 

男は動揺を押し殺すように唾を吐き、背中に背負っていた豪奢な装飾の剣をジャキリと引き抜いた。

 

「てめえら……この剣が何だか分かるかぁ!?これはな、お前らの父親である雷神ルーデウスとドワーフの鉱神が共同で打ち立てた、世界に数本しかねえ伝説の最高峰の魔剣なんだよ!!」

 

男は下品な笑みを浮かべ、剣の切っ先を僕たちへと向けた。

 

「大枚の金貨を叩いて手に入れたこの剣で、テメエらガキをミンチにしてやったと知ったら……あの雷神様はどんな泣き面を晒すかねぇ!死に晒せぇぇッ!」

 

男が剣を大上段から振り下ろした。

 

その瞬間——!

 

(……なっ!?剣が……ブレている!?)

 

男の放った斬撃の軌道が、陽炎のようにグニャリと空間ごと歪んだのだ。

僕の竜の瞳の動体視力をもってしても、刃の正確な切っ先がどこにあるのか全く見切れない!

 

「きゃあっ!?」

 

前に出て防ごうとした姉の二の腕を、不可視の刃が深く切り裂いた。

鮮血が飛び散る。

 

「アイリス姉さん!」

「次はテメエだ、クソトカゲぇぇッ!」

 

男はしぶとい姉を後回しにし、魔術を撃ち尽くして隙だらけの僕へと一直線に肉薄してきた。

 

速い。近すぎる。

魔術の再構築すら間に合わない。

実戦の経験がない僕の身体は、死の恐怖で完全に金縛りに遭っていた。

 

(あ……死ぬ……!)

 

僕が目を瞑りかけた、その刹那——。

 


 

キンッッ!!

 

突如として、降り注いだ数十本もの青白い光の束が、僕と姉の周囲の空間を完璧な円環を描いて包み込んだ。

 

幾重もの複雑な幾何学軌道を描き、ミリ単位の誤差すらなく、完璧に空間を制圧する絶対の光線群。

 

この神がかり的な規模の『追従雷銃(ホーミング・レイ)』を、無詠唱で、呼吸するように制御できる存在など——世界にただ一人しかいない。

 

バリィィィンッ!!

 

空間がガラスのように割れる音が響き、次元の狭間から、一人の男が静かに姿を現した。

 

漆黒と金の『魔神鎧』を纏い、威厳に満ちた竜の瞳を光らせる偉丈夫——父、ルーデウスだった。

 

「……やれやれ。アイシャから連絡を受けて飛んできて、しばらく観察していたのだが……大人が子供の喧嘩に出張るものじゃないよ」

 

父は冷ややかな、心底呆れ果てた眼差しで男を見下ろした。

 

「な……な……!?ら、雷神……!?なんでテメエがここに……!」

 

男は本物の雷神の降臨に、顔面を蒼白にして失禁寸前まで怯え上がった。

だが、追い詰められた男はヤケクソになり、手にした大剣を父の首元へ向けて全力で振り抜いた!

 

「死ねぇぇぇっ!テメエの作った剣で死に晒せぇぇッ!!」

 

不可視に歪む、必殺の魔剣の刃。

 

だが——父は避けることすら、武器を抜くことすらしなかった。

 

パシッ。

 

乾いた音が響いた。

 

父は、その目にも留まらぬ軌道で迫った魔剣の刃を——左手の素手で、親指と人差し指の二本だけで軽々と挟み止めていたのだ。

 

「「「…………!?」」」

 

男も、姉も、そして僕も、その場にいた全員が目を限界まで見開いた。

 

死を覚悟した一瞬前とは打って変わって、僕の胸に込み上げてきたのは、涙が出そうなほどの安堵だった。

父さんが来てくれた。それだけで、もう何も怖くなかった。

 

「な……素手で……止めた……!?」

 

男が絶叫した、次の瞬間。

 

「……沈め」

『泥沼(マッド・ドロップ)』

 

父が短く呟いた瞬間、男の足元の地面が一瞬にして底なしの超高粘度の泥沼へと変化し、重力魔術の引力によって、男の全身が一瞬で首から下まですっぽりと地中深くに引きずり込まれた。

 

地面がカチリと岩盤並みに再硬化し、男は首だけを地面から突き出した状態で完全に生き埋めにされた。

 

「ギャァァァッ!?出せ!出せぇぇぇっ!!」

 

喚き散らす男を完全に無視し、父は手の中に残った豪奢な剣を、まじまじと観察した。

 

そして、深いため息をついた。

 

「……はぁ。やっぱりね。これ、私とゴッドバルドが作った剣じゃないよ」

 

「……えっ!?」

 

首だけ埋まった男が、驚愕の声を上げた。

 

「う、嘘をつくな!俺はこれを王都の裏市場で、家が買えるほどの大金を出して買ったんだぞ!」

「嘘なものか。まずね、使われている金属の強度が脆すぎる。鋼が弱すぎて、ゴッドバルドならこんな粗悪品、槌を振り下ろす価値もないと鼻で笑って溶鉱炉に投げ捨てるレベルだ。それに付与されている視覚誤認の魔術も、極めて初歩的で稚拙だ」

 

父は刀身の根本に刻まれた銘を指先でなぞった。

 

「極めつけは、この銘の筆跡だ。ゴッドバルドの文字はもっと力強く、それでいて岩を削る流水のように流麗なんだよ。こんなミミズが這ったような汚い偽銘を彫るなんて、職人への侮辱もいいところだね。ただの粗悪な偽物魔剣だよ」

 

男は絶望に白目を剥いて固まった。

 

父は足元の地面に、もう一つの極小の泥沼を展開した。

泥沼の内部から、ギュルギュルギュル……と凄まじい勢いで回転する金属刃の駆動音が響いてくる。

事務所の書類を破棄するために父が作った『シュレッダー』の機構だ。

 

父はその回転刃の中に、男の大剣を柄からゆっくりと差し込んだ。

 

バリバリバリッ!!ガガガガガッ!!

 

凄まじい粉砕音が響き渡り、男が大枚をはたいて買ったという偽魔剣は、わずか数秒で細切れの金属屑となって泥沼の中へと消え去った。

 

「あ……あぁ……俺の魔剣が……!」

 

呆然と涙を流す男を見下ろし、父は顎に手を当てて呟いた。

 

「さて……我が子たちを脅迫し、怪我を負わせた罪。どんなお仕置きが良いかな」

「ひぃっ!?俺は剣王だぞ!命だけは……!」

「それも嘘だろう。ジノがお前程度の実力の男に『剣王』の位を認めるはずがないからね」

 

父は冷徹に切り捨てると、後ろに控える姉に向き直った。

 

「アイリス。どうする?君の手で決着をつけたいかい?」

「うん!友達を傷つけられた落とし前、あたしの拳でつけさせて!」

 

父が重力魔術で男を土の中から引っこ抜き、宙に浮かせてやった。男の股間は恐怖で完全にびしょ濡れになっていたが、姉は容赦など一切しなかった。

 

「この……大馬鹿野郎ぉぉぉッ!!」

 

ドガァァァァァンッ!!

 

姉の闘気を全開に込めた渾身の右ストレートが、男の顔面に炸裂した。

男は音速を超えたかのように吹き飛び、広場の奥の大木を三本へし折って、白目を剥いて完全に沈黙した。

(骨が何本か折れているだろうが、死んではいないはずだ)

 


 

決着が着き、父は静かに僕たちの方へと向き直った。

 

まず父は、傷だらけの姉の元へ歩み寄ると、その頭を優しく撫でながら、無詠唱で治癒魔術を施してくれた。

淡い光が姉を包み込み、傷が一瞬で完治するだけでなく、破けていた特注の服の繊維までもが魔法で器用に編み直されて元通りになっていく。

 

姉は緊張が切れたのか、涙をボロボロとこぼしながら父の胸へと飛びついた。

 

「パパぁ……っ!」

「よしよし、よく頑張ったね、アイリス」

 

姉は普段どんなに強がっていても、根っこは筋金入りのファザコンなのだ。クリスティーナ姉さんと張り合えるくらいに。

 

父は姉の背中をポンポンと叩きながら、優しく諭した。

 

「アイリス。君は少し、自分の目に頼りすぎているよ。あの偽魔剣は、光の屈折を使って視覚情報をほんの少しズラすだけの子供騙しの仕掛けだったんだ。エリスに頼んで、目を瞑った状態での実戦立ち会いをもう一度鍛え直してもらいなさい」

「……う、うん……!鍛え直す……!」

 

そして父は、僕の方へと視線を向けた。

 

「ルーシュ」

「……はい」

 

父は僕の前にかがみ込み、竜の瞳を柔らかく細めた。

 

「『追従雷銃(ホーミング・レイ)』……あれを私以外の人間が、しかも無詠唱で使いこなす姿を見る日が来るとは思わなかったよ。心底、驚いた。本当によく勉強して、鍛錬を重ねてきたね」

 

世界で一番尊敬する父からの、最大の賛辞。

胸の奥が熱くなり、僕は照れくさくて顔を真っ赤にして俯いた。

 

「あ、ありがとうございます……」

「でもね、ルーシュ。いざという時のために、最低限の護身の剣術も身につけておきなさい。君の観察眼と冷静さなら、水神流の防御が一番合っているはずだ。それと……『追従雷銃(ホーミング・レイ)』はね、光の軌道を重力魔術の引力場と連動させると、格段に制御しやすくなるんだよ。今度、じっくりコツを教えてあげるからね」

「本当ですか!?やったぁ!」

 

僕は飛び上がりそうになるほど嬉しかった。

 

「あの……父さん。せっかく作ってくれた『変貌の指輪』、魔力を込めすぎて壊しちゃいました……ごめんなさい」

「いいんだよ、そんなこと。魔道具なんて、また作ればいいんだからね。少し時間はもらうけれど、次はもっと頑丈で壊れにくい特注品を作ってあげるよ」

 

父は僕の頭を、大きな温かい手で何度も撫でてくれた。

子供たちに甘すぎる、最高に優しい僕たちのパパ。

 

すると、涙を拭いた姉が不思議そうに尋ねてきた。

 

「パパ、今日はお仕事だったんじゃないの?何をしてたところだったの?」

「ああ……実はね、空中城塞ケイオス・ブレイカーで、ペルギウス様と今度のアスラ王国での絵画展の打ち合わせをしていた最中だったんだよ」

「えっ!?」

 

僕は目を丸くした。

 

「じゃあ……ペルギウス様を城塞に置き去りにして飛んできたんですか……!?」

「通信石板にアイシャから連絡が入っていたからね。今頃、ペルギウス様は城塞で猛烈に拗ねているはずだよ」

 

「「あはははは……!」」

 

僕と姉は同時に吹き出してしまった。

 

「さて、ペルギウス様の機嫌を直すために、アイシャが作った新作の特製スイーツを持っていこうと思うんだが……君たちも一緒に来るかい?」

「行く!絶対行く!」

「僕も行きます!ペルギウス様に、古代魔術の魔法陣の理論について質問したいことがあったんです!」

 

「よし、決まりだ」

 

父は僕たち二人の手をしっかりと握りしめると、転移魔法陣を起動した。

 

光に包まれる視界の中で、僕は自分の手を見つめた。

鱗に覆われ、黒い爪が生えた、父から受け継いだ誇らしい手。

 

もう、自分の血を恥じることも、落ちこぼれだと卑下することもやめよう。

僕には僕の道がある。大好きな雷魔術を極め、いつか父のように、大切な家族を守れる強い男になってみせるんだ。

 

隣で笑う姉の横顔を見て、僕は改めて思う。

この竜の血を分け合った姉がいてくれることも、きっと僕の誇りの一つなのだと。

 

雲の上に浮かぶ白銀の城塞を目指して、僕たちは笑顔で空へと飛び立っていった。

 




オリキャラの物語でした。
独自設定しかないのでご注意ください。
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