無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
ベガリット大陸からの帰還後、私は一週間ほどリハビリに専念していた。
迷宮の最深部で強引に再構築したこの異形の肉体は、出力こそ凄まじいが、微細な運動制御はまだ難しい。トルクは十分すぎるほどあるのに、フィードバック制御の精度がまるで追いついていない――そんな状態だ。
全力で振るえば人の命ごと容易に奪える拳を、繊細な人形細工にも使えるレベルまで絞り込む。そのギャップを埋める作業こそが、今の私にとって最優先の調整項目だった。
私は庭で一人、水神流の型を一つひとつなぞることで、脳と四肢の同期率を高めていた。息を吐くたびに、白い呼気が朝の冷気に溶けていく。
まぁ、朝は剣術の修練に当てるというのは習慣でもある。対剣士の訓練の一環であり、幼少期から行っている習慣でもある。やらないとどうにも気持ちが悪い。
特に水神流は流れるような剣捌きが重要、リハビリにはもってこいだった。無駄な力みを排除し、最小の動作で最大の効率を引き出す。まさに、この不安定な新型ボディの制御訓練に最適な教材だ。
そもそも「家族」という単位も、今の私にとっては再定義が必要だった。竜人と化した息子を、それでも当たり前のように迎え入れてくれた家族。血の繋がりだけでは説明のつかない、もっと根深い結束力。このグレイラット家は、どんな例外処理にも対応できる、恐ろしく頑丈な設計をしているらしい。
「兄さん、おはようございます。……今日も型をやるんですか?」
「おはよう、ノルン。収縮速度が、人の頃と、全く違う。練習、必要」
意外なことに、ノルンが私の訓練に興味を示し、一緒に参加したいと言い出した。
彼女は攻めに特化した剣神流でも、泥臭い実戦の北神流でもなく、その生真面目な性格からして、受け流しの理合を重んじる水神流が適しているだろう。地道な反復を厭わない気質は、まさに水神流向きだ。
「まずは、基礎体力作り。肺活量、と筋持久力、の向上。……これが全ての基盤、になる」
「はい!頑張ります!」
パウロが見守る中、兄妹で汗を流す時間は、心が落ち着く時間だった。庭に響く木刀の音と、二人分の呼吸のリズム。それだけで、私の中の何かが少しずつ「正常な日常」という状態に近づいていくのを感じた。
「兄さん、その、鱗の腕でも痛みは感じるんですか?」
「感じる、よ。……感覚、受容体は、正常。ただ、閾値が少し、高い」
「……閾値?」
「痛いと、感じるまでの、基準値。……木刀の一撃、くらいなら、素通り、してしまう」
ノルンは目を丸くして、それから少し悔しそうに木刀を握り直した。加減して打っても意味がないと悟ったのだろう、次の瞬間には全力の一撃を放ってきた。私は素直にそれを受け、彼女の成長を確かめるように、型の要点を一つずつ指摘していった。
ノルンといえば、彼女に依頼していた『スペルド族の風評被害払拭』のための策が、驚くべき形となって完成していた。
「……絵本?」
「はい。兄さんの書いた本は、難しくて私でも読むのが大変だったから……。字が読めない子供や大人でも、絵を見ればルイジェルドさんがどれほど優しい人か分かるようにしたんです」
私は提示された原稿を、一枚ずつ丁寧にめくった。
ノルンはこんな絵が描けたのか……温かみのある絵柄と配色で、デフォルメされたルイジェルドが活躍する物語に仕上がっていた。文字を追う必要がなく、絵だけで感情の流れが理解できるよう構成されている。情報の伝達効率という観点で見ても、これは驚くほど優秀な設計だった。
「情報の、単純化と、視覚情報、の優先。……素晴らしい、ノルン。ナナホシを頼って、量産しよう」
「えへへ……。兄さんに褒められると、ちょっと照れちゃうな。リーリャさんにも、見てもらったの。……『とても分かりやすいです』って、褒めてもらえて」
「……リーリャさんの、お墨付きなら。……間違いない」
実母ではないのだが、母親譲りの慎重さと丁寧さが、この絵本にもしっかりと表れている。私は原稿を大切に抱え直しながら、この妹の隠れた才能に感心させられていた。
ノルンの誇らしげな笑顔に、私は彼女という個人の資質の高さを再認識した。アイシャと比べて目立たないが、私にとっては羨ましい才覚だ。派手さはなくとも、地に足のついた粘り強さと観察眼。この子は、いずれ大成すると確信する。
私の発声機能についても、徐々にではあるが改善が見られていた。
呪いが少しずつ馴染み、振動を適切に音声へと翻訳できるようになってきた。まだ流暢には話せないが、それでも一週間前とは比較にならない進歩だ。
「……ロキシー。……これなら、日常会話も、多少できる」
「ええ、ルディ。聞き取りやすくなりましたよ」
傍で寄り添うロキシーが優しく頷く。その柔らかな笑みを見るだけで、喉の奥に残る違和感も少しだけ和らぐ気がした。
リハビリの合間を縫って、私は魔力の微小制御訓練と、次なるデバイスの開発にも着手していた。
オルステッドが再び来訪する前に、呪いの抑制装置を改良しなければならない。
「クリフ。エリナリーゼさん、のデータを、解析した。……特定の、環境下、指向性減衰が、ある。回路の多層化、を試したい」
「なるほど、逆位相の出力を動的に変動させるわけか。面白い。やろう、ルーデウス!」
クリフは相変わらず優秀だ。共同作業は、私の計算を数倍の速度で現実に変えていく。彼の理論構築力と、私の実装力。組み合わせれば、単独では辿り着けない解に何度も到達できた。
また、ザノバとも自律稼働型魔法人形の試作に熱を上げた。
「師匠!この関節の可動域!踊り子の動きさえ模倣できそうな美しさですな!」
「ザノバ。……今は機能性の追求に、集中。芸術性は、後」
動く人形の自作。それは精密作業能力を測る最高のリハビリとなった。
関節一つ一つに魔力回路を仕込み、外部からの簡易な指示だけで自然な挙動を再現する。人形と魔術の融合というザノバの生涯のテーマに、思わぬ形で貢献できているのは、私にとっても嬉しい副産物だった。歯車一つ、関節一つの調整に、意識を極限まで集中させる作業。指先の解像度を上げるには、これ以上の訓練はないだろう。
旅の準備は、着実に整いつつあった。
目的地は剣の聖地。
エリスと向き合い、彼女に私の今の姿と、そしてロキシーとの一件を説明しなければならない。先延ばしにすればするほど、事態は悪化する一方だ。誠実さとは、往々にして速度を要求するものだろう。
馬車を使えば数ヶ月を要する道のりだが、今の私の魔力出力と風魔術による飛行を用いれば、その期間を劇的に短縮できる。
「ロキシー。空の旅になる。私が抱えていく、から安心してくれ」
「ルディになら、どこへ連れて行かれても構いませんよ」
その全幅の信頼が、少しだけくすぐったい。
私は準備した特製のローブを羽織った。
エメラルドグリーンの鱗と鋭い爪。街中でそれらが露出すれば、不必要な混乱を招く。今の私の見た目は、一般人にとって「魔物」や「魔族」の分類に真っ先に該当してしまうだろう。
私は丈夫な高級素材を自ら編み上げ、全身を覆う大きめのローブを作成した。
意匠には、魔大陸でルイジェルドやエリスとお揃いで作った額当てと同じミグルド族の幾何学紋様を施した。あの旅を思い出す紋様を選んだのは、単なる偶然ではない。加えられる魔法陣の隠蔽にも必要なのだ。
魔物の素材をベースに魔力を通す糸を試作して、魔法陣を縫製したのだ。
シルエットは、皮肉にもあの日対峙したオルステッドのマントに似た、重厚なものとなった。当のオルステッドが見たら、どんな顔をするだろうか。
生地の内側には、保温効果を持つ魔法陣も併せて仕込んである。極寒の剣の聖地でも、鱗に覆われた肌を必要以上に晒さずに済むはずだ。設計段階では、機能性と隠蔽性、そして万一の戦闘時における展開速度――この三つのパラメータをどう両立させるかに、最も頭を悩ませた。
エリスに対し、詫びと言っては何だが、手土産も準備した。彼女がどう受け取るか、正直なところ想像もつかない。それでも、何も持たずに謝罪に赴くよりはマシだと判断した。
出立の数日前、意外な人物が同行を申し出た。シルフィだ。
「ボクも、一緒に行くよ」
私とロキシーは顔を見合わせた。話す内容が内容だけに、彼女を連れて行くのは躊躇われたのだが。
「……シルフィ。エリスと、私の、その……深刻な、話し合いになる、はず。君を、巻き込むのは、避けたい」
「分かってる。でもね、ボクもエリスさんに伝えたい『個人的なこと』があるんだ。……それに、アリエル王女からも重要な伝言を預かっているの」
「……王女殿下、から。……分かった。シルフィの、飛行術があれば、足手まとい、にはならない。一緒に、行こう」
その時の彼女の表情に、いつもとは違う何かが宿っていたことに、私は気づけなかった。読み取るべきパラメータを、私はまだ持ち合わせていなかったのだ。
出立の日。グレイラット家の全員が、玄関先に並んでいた。
「ルディ。……お前は本当に、一秒たりとも止まっていられない性分なんだな」
パウロが、呆れたように、けれど温かな苦笑を浮かべて私の肩を叩いた。
「家の守りは俺に任せておけ。……エリスの嬢ちゃんに、こっぴどく振られて泣いて帰ってくるなよ?」
「……善処、します。父さんも、あまり無茶を、しないでくださいね」
ゼニスも、私の前に静かに立った。
ロキシーがデバイスを介して、彼女の
「(ルディ。……無理はしないでね。無事に帰ってくるのを、みんなで待っているわ)」
「……はい、母さん。ありがとう、ございます」
私はアイシャを近くへ呼び、一枚の複雑な魔導回路図を手渡した。
「アイシャ。……宿題。不在の間、この魔術具の設計を、頼みたい。困ったら、クリフか、ザノバを、頼って」
アイシャは図面を凝視し、即座に目を輝かせた。
「……これ、魔力結晶の振動を特定の魔法陣で増幅して、音の指向性を作るんだね!?火魔術の要素を分解して振動のみを取り出すなんて、お兄ちゃん、面白いよこれ!帰ってくるまでに、プロトタイプの模型を作っておくね!」
「……頼もしい。リーリャさんも、サポート、をお願いします」
「はい、ルーデウス様。……アイシャの教育も兼ねて、精一杯努めさせていただきます」
最後に、ノルンに向き合う。
「ノルン。……、剣の練習を、欠かさないように。父さんが、稽古を見てくれる」
「分かっています、兄さん。……エリスさんに、ちゃんと私の作った絵本、見せてあげてね」
パウロはふと視線をロキシーへと向けた。
「ロキシーも、気をつけてな。……エリスの嬢ちゃんに何を言われても、堂々としてりゃいい。あんたは、俺の息子の命の恩人だ。誰にも文句は言わせねぇよ。困ったら俺の名前も使って良い」
「……パウロさん。……はい、ありがとうございます」
ロキシーは深々と頭を下げた。その声には、まだ隠しきれない緊張の色が滲んでいた。
家族の絆を背中に受け、私はロキシーをその腕に抱き上げた。
隣には、杖を構え、風魔術の準備を整えたシルフィ。その横顔は、いつもより少しだけ引き締まって見えた。
振り返れば、そこには紛れもなく「家族」と呼べる光景が広がっていた。皆が一つ屋根の下で支え合い、笑い合っている。人族の定義を外れた今の私にとって、この光景こそが、何よりも守るべきものなのだと、改めて実感させられた。
「――いってきます」
爆発的な魔力が私たちの身を包み、私たちは重力を振り切って垂直に上昇した。
青い空へと吸い込まれていく中、眼下の家族の姿が小さくなっていく。手を振るアイシャとノルンの姿が、豆粒ほどの大きさになっても、いつまでも視界に残っていた。
私は視界の先に、厳寒の地にある『剣の聖地』の座標を見据えた。
待っていて、エリス。
飛行中、ロキシーが私の胸元に頬を寄せ、静かに目を閉じていた。安心しきったその表情に、私はますます自分の腕の力加減に神経を尖らせる。並走するシルフィの風の軌跡が、まるで護衛機のように私たちの隣を滑るように追従していた。数時間ごとに休憩を挟みながら、私たちは一路、南へ、南へと飛び続けた。
Side: ニナ
「悪いけど、私、生娘じゃないから」
その言葉に、驚愕した。
こんなに汚い山猿ですら、経験がある?
私だって、まだなのに……相手すら思い浮かばないのに……!
エリスの顔に、見栄は全く伺えない。
ちょっと顔を赤らめて、自慢げだ。
「え……!?うそでしょ?え?誰?誰となの?」
自分でも動揺しきった声だと感じる。
でも、気になりすぎる。聞き出したいという思いは止められなかった。
「小さい頃から一緒に育った人よ」
普段の無口な様子はどこへやら。その男の話題になった途端、すごい勢いでエリスは話はじめた。
気付けば、周りの女の子たちもその話に夢中になっていた。
「ちょっと、詳しく聞かせなさいよ!」
「エリスにそんな相手がいたなんて、聞いてないわ!」
普段は剣の稽古にしか興味を示さない同期の子たちまでもが、エリスを取り囲んでいる。私だけではなかったのだと、少しだけ安堵した。
小さいころに出会った、わずか五歳にも関わらず大貴族すら認める完璧な礼節をもって現れ、水聖級魔術をマスターするどころかその場で応用までしてしまう天才。家庭教師と教え子として過ごす日々、既に大人顔負けの魔術師であるにも関わらず剣すら真摯に学ぶ姿勢、なんとこの山猿とギレーヌに文字の読み書きと計算、魔術すら教えたそうだ。この剣の聖地の識字率は絶望的、読めるのは父である剣神ガル・ファリオンくらい。計算、ましてや魔術なんて、夢のまた夢だ。心の中で、また打ちのめされてしまった。
エリスは絶え間なく早口で喋り続ける。エリスはその男と魔大陸に転移させられたらしい。瀕死の重傷を負いながらも自分を守ってくれたと顔を赤らめて話す、やめて!そんなの、女の子の夢でしょう!周りの皆も羨ましそうに聞いている。その男は、知性も大変優れているようで、幾つもの言語を駆使して魔大陸の魔族とも渡り合い、何なら知略を駆使してどんな問題でもスマートに解決してきたらしい。
驚いたのは、龍神オルステッドとの戦闘があったらしい。恐らくギレーヌより強いであろう戦士を瞬時に沈めるほど強い龍神。その龍神と渡り合い、傷を負わせるほどの強者でもあるらしい。魔術師が戦士より戦果に勝るなんて、正直信じられない。
そして、故郷に帰りついたエリスは、無事にその男と初めてを迎えたという話だ。女の子の憧れを詰め込んだような、魅力的な恋物語だ。エリスは現在、その男に並び立つために強くなろうとしているらしい。
……完全な敗北だ。
剣術では互角、エリスの方が年下だから、どちらかというと剣術でも負けていて、そのうえでエリスには男がいる。それも、壮大な恋物語の成就によって得られた男だ。
「う、ウソよ!お父さんは言ってたもの!龍神は『龍聖闘気』を纏っているから、生半可な技じゃ傷ひとつ付かないって!でまかせよ!そんな人、本当はいないんでしょ!?嘘って言いなさい。今ならまだ間に合うわよ?」
「嘘じゃないわ。ルーデウスは生半可じゃないもの!…………でも、ルーデウスと、今の私は釣り合わない。もっと強くならなくちゃ」
エリスはそこまでいって、拳を握りしめて修行場に向かっていった。
私はあまりの衝撃に、その場で気絶してしまいそうだった。
一晩寝て、頭をすっきりさせた。
……もしかして、昨日のエリスの話はやっぱり嘘だったんじゃないかしら?そんな理想の人物、現実にいるはずがないもの。きっと嘘よ、そうに違いないわ。
そうだ、情報屋に情報を集めさせて、そんな人物いないという証拠を、皆の前で暴露してしまいましょう!
剣の聖地に出入りする情報屋の老人を捕まえ、有り金をはたいて依頼した。
「ルーデウス・グレイラットっていう魔術師について、洗いざらい調べてちょうだい。……きっと、大した奴じゃないはずだから」
「へえ、お嬢ちゃんがその名前を出すとはね……」
情報屋は片眉を上げ、意味深に笑った。その反応だけで、嫌な予感がじわりと胸に広がった。
それでも仄暗い期待に胸を膨らませていたら、あっさりとその男の情報が集まってしまった。男の名はルーデウス・グレイラット。『雷鳴のルーデウス』、S級パーティ『デッドエンド』の飼い主として、何なら有名人だった。冒険者たちからは尊敬され、恐れられていた。赤竜ですら一撃で殺す、最強の魔術師。今はシャリーアにいるらしい。エリスの言葉は嘘でなかったことが証明されてしまった。目論見が外れて、凹みそうになる。
……きっと実際は大したことないやつよ。噂なんて、大きくなるものなんだから。大仰な異名も、誰かが盛って話したに違いないわ。やっぱり、自分の目で確かめないと。早速これから旅支度をして出かけましょう!
近場なのが助かったわ。良い馬を使えば、往復に二ヶ月もかからない。
道場には「剣の修行の一環で、遠方の道場を見学してくる」と適当な理由を伝えた。まさか、エリスの恋人を見に行くだなんて、口が裂けても言えないもの。
馬での旅なんて久しぶりで、最初のうちは少し浮かれていた。道中の宿の食事が思ったより粗末で、自分の常識がことごとく通用しないことに何度も驚かされたけれど。
ラノア魔法大学に着いた。……ここでも自分の世間知らずさを思い知ったわ。魔術師って、身体を鍛えている人も多いのね。やせっぽっちの貧弱なやつらが、ごにょごにょ何か唱えている印象を持っていたわ。もちろんそういう人もいるけれど、屈強な獣族の戦士がかなり多い。
筋骨隆々の男に声をかける。ルーデウスの居場所を知らないかと。彼もルーデウスのところに行くらしい、丁度良いわ。ついていかせてもらった。
着いたのは大きな建物の前だった。研究棟と呼ばれているらしく、ルーデウスは三階にいるらしい。ルーデウスは特別生で、授業にはたまにしか出ず、専ら研究をしているらしい。魔術師らしい、貧弱で引きこもりのイメージだわ。驚いたのは、そこに何十人もの獣族の戦士が集まっていたから。気押されつつも、好都合だと思った。これだけの人数に囲まれれば、きっとビビって出てくるはずよ。
しばらくして、三階の窓に人影が見えた。三人の男。その一人が異質すぎて、ルーデウスが誰かがすぐにわかった。
透き通るような白髪、穏やかながらも鋭く、老練な目つき。遠目からでも分かる、首を一周する大きな傷跡。他の二人の男と比べて、圧倒的な強者であることが一目で分かった。
その男は何を思ったか三階からふと身を投げ出した。
私が、周りの戦士と一緒くたにされて倒されたのは、痺れて倒れ伏したあとだった。なにが、起こったの……?一瞬光ったと思ったら、なにもできずに倒れ伏していた。
そのあと、魔王バーディガーディを名乗る巨漢が勝負を挑んでいた。あの謎の攻撃に耐えたらしい。この時点で、私よりも強者だ。痺れが残る身体を引きずって、決闘の会場にいった。
会場には、既に人だかりができていた。獣族の戦士や学生たちが興奮した様子で押し合いへし合いし、誰もが固唾を呑んで中央を見つめている。その男、ルーデウスは圧倒的な存在感を示すバーディガーディにも全く恐れを見せず堂々と構えていた。目を見張るほど綺麗な女の人の指示で、バーディガーディの背後の学生たちがどいていく。いつの間にか、何百人もの観衆ができていた。
ルーデウスが放った攻撃は、完全に理解できないものだった。ルーデウスの周りに光り輝く輪ができて、それが一直線に並んで、ルーデウスが杖を向けた瞬間、既に勝負は決していた。私とは比べ物にならない硬さのバーディガーディ。その心臓部に一瞬で大穴が開いた。それだけじゃない。遠くに霞んで見える山さえも貫通する圧倒的な射程。
観衆から悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。誰も、今何が起きたのか正確に説明できていないようだった。ただ、皆が皆、同じ結論に辿り着いていた。……この男には、逆らってはいけない、と。
こんなもの、防げるわけがない。放たれた瞬間に終わる、絶対の一撃。これを、剣の間合いの外から放たれたら……!背中が冷や汗で一気に濡れる。父である剣神ガル・ファリオンですら、これを食らえばひとたまりもないだろう。不死の魔王ですら殺せる一撃なのだ。
大きな敗北感を背負って、意識もぼんやりしたまま、剣の聖地へ帰った。エリスは、『あれ』と並ぼうとしている。この敗北感は、エリスに対しても感じていた。
……私も、心を入れ替えよう。
剣の腕も、あの子とは同等だ。恋物語の相手も、あんな規格外の化け物。何一つ、勝てるものがない。
……悔しいけれど、認めるしかないのかもしれない。エリスは、本当にすごい人と巡り合ったんだって。
そして、私は私で、自分の道を探さなくちゃ。置いていかれっぱなしは、性に合わない。
Side: ルーデウス
剣の聖地は、見渡す限りの銀世界だった。
魔法都市シャリーアも寒かったが、ここは次元が違う。肌を刺すような乾いた冷気。用意してきた厚手の防寒着を全員が着込んで正解だった。竜化した私の体温調節機能は人族時代より多少劣化しているらしい、骨の芯まで凍りつくような感覚があった。
山々の稜線が白く輝き、空気は刃物のように澄んでいる。音という音が雪に吸い込まれ、代わりに、遠くで打ち合う木刀の音だけが、やけに鮮明に響いてくる。世界中から剣の道を極めんとする者たちが集う地――噂だけは聞いていたが、実際にその空気を肌で感じると、理屈抜きに納得させられるものがあった。
移動に関しては、シルフィの成長に驚かされることになった。
風魔術による飛行。ベクトル制御の精密さにおいて、今の彼女は私を凌駕している。私がロキシーを抱えて飛んだ時は、気流の乱れでロキシーを酔わせてしまったが、シルフィに交代してからは驚くほど安定した航行となった。乱気流の予測、風圧の相殺、微細な軌道修正――どれをとっても、私の力任せの飛行制御とは一段違う精度だった。
結果として、私たちは当初の計算よりも大幅に早い、わずか二週間で目的地へと辿り着いた。
剣の聖地は、一見普通の街のようだった。
行き交う人々の中に、寒空の下でも薄手の道着を纏い、剥き出しの闘気を放っている人たちがいる。
(……熟練の剣士か。誰もが重心が寸分の狂いもなく安定している。……この地全体の戦闘偏差値が異常に高いな)
平均値からして規格外だ。無作為に選んだ通行人一人でさえ、並の傭兵など瞬時に沈められるだろう。この密度で強者が存在する場所を、私は他に知らない。
私は大きなローブのフードを深く被り、鱗に覆われた腕を隠しながら、聖地の中心に聳える巨大な道場へと向かった。
事前に訪問の手紙は出してある。だが、移動速度が速すぎたことが懸念材料だ。
その道場は、木造でありながら奇妙な威圧感を放つ建築物だった。長年にわたり無数の門下生たちの気迫を吸い込み続けた柱や梁が、まるで意志を持つかのように黒光りしている。装飾らしい装飾はほとんどなく、実用性のみを追求した機能美――これもまた一つの、優れた設計思想の一つなのだろう。
(アポイントメントの手紙を追い越してしまった可能性が高い……)
門の前。私は門下生と思わしき男に、努めて礼儀正しく、けれど喉の不調によるノイズを抑えながら声をかけた。
「……突然の訪問、失礼します。私は、ルーデウス・グレイラット。エリス・ボレアス・グレイラットの、婚約者です。……彼女に、拝謁したい」
門下生の男は、私のローブ姿を訝しげに眺めていたが、私の名を聞くと目を見開いた。
「……グレイラット?ああ、話は聞いたことがある」
「手紙を出した、のですが。追い越して、しまったようです」
男は無言で頷くと「……剣神ガル・ファリオンに伺いを立ててくる。ここで待て」と言い残し、道場の奥へと消えた。
冷たい風に吹かれながら、私たちは三人で待機した。
ロキシーとシルフィは落ち着かない様子でそわそわと周囲を警戒していた。時折すれ違う門下生たちの放つ気配が、二人にとっても異様なものに感じられたのだろう。
ふと隣を見ると、ロキシーとシルフィが、互いにちらちらと視線を交わしていることに気づいた。何か言いたげで、けれど言い出せない、そんな微妙な空気が二人の間に漂っている。この時の私は、まだそれが何を意味するのか、正確に把握できていなかった。
しばらくして、建物の中から地鳴りのような低く野太い声が響いた。
「入れッ!!」
案内され、最奥の広間へと足を踏み入れた。
そこには、私の予見眼にノイズを走らせるほどの、圧倒的な存在が鎮座していた。
荒々しく逆立った髪、獲物を食い破るような眼光。
現剣神ガル・ファリオンだと分かった。
放たれる殺気の質量はルイジェルドすらも超えている。物理的な『重圧』として、肉体が本能的に戦闘配備を始める。竜化した身体の生存本能が、目の前の存在を「同格以上の捕食者」として即座に分類しているのが分かった。
だが、私の意識は即座に、彼のすぐ傍らに立つ少女へと吸い寄せられた。
「……エ、リス」
目を見張るほど美しく、そして猛々しく成長したエリスがそこにいた。
彼女は驚愕に瞳を揺らし、呆然と私を見つめていた。その唇が、音もなく「ルーデウス」と動くのを私は捉えた。数年ぶりに見る彼女の姿は、記憶の中のそれよりも遥かに研ぎ澄まされていた。
燃えるような赤髪は長く伸び、その佇まいには、少女の面影を残しつつも、一人の武人としての凄みが確かに宿っていた。腰に佩いた剣の柄には、幾つもの使い込まれた傷。この数年間、彼女がどれほどの修練を積んできたか、その一振りを見ただけで嫌というほど伝わってくる。
広間には、他にも客がいた。
小柄な老婆と、凛とした佇まいで落ち着いた雰囲気の若い女性。
その老婆からは、ガル・ファリオンと同等の、あるいは方向性の異なる絶望的なまでの「静かなる威圧感」を感じた。これほどの力量の剣士が、そこらにほいほいいるわけがない。
(……水神レイダ・リィアか。一国を一人で滅ぼせる最高戦力が、これほど揃っているとは)
場を支配していたのは、刺すような静寂だった。ガル・ファリオンが、面倒そうに鼻を鳴らす。
「来客の連絡なんて受けてねぇが……。おい、ガキども。お前らは誰だ?」
私は一歩前へ進み、深く一礼した。
「突然のご訪問、大変失礼、致します。私は、ルーデウス・グレイラット。手紙はお送り、しましたが、……追い越して、しまったようです。……我が婚約者、エリスに、用があり、参上致しました」
「あぁ……お前が、あの『ルーデウス』か。エリスから聞いてるし、例の魔王を貫いた噂も届いてるぜ」
ガル・ファリオンは、面白そうに目を細めて私の背後に立つ二人を眺めた。
「……で?エリスは今、俺様の弟子だ。話を許可するかどうかは俺様が決める。……何の用だ。改めて愛の告白か?」
「――謝罪、です。……私はエリスに、謝らなければいけない、ことがあります」
ガル・ファリオンの口角が吊り上がった。
「……なるほどな。……だが小僧。何も手土産なしに、俺様たちの貴重な修行時間を奪おうなんざ、いい度胸じゃねえか」
「……申し訳、ありません。手土産は、エリスの分……しか用意、しており……」
私は懐の手土産に触れた。エリスの目が、少し期待したように見開いて輝く。
だが、剣神はそれを手で制した。
「なぁに、物なんていらねぇよ。ちょうど良い。……お前、俺様の弟子たちに『対魔術師』の稽古をつけてくれ。……ばあさんもどうだ?」
「……そうだね。この年になると退屈は毒だよ。有難く、若者の舞を見せてもらおうかねぇ」
老婆――水神レイダが、不気味な笑みを浮かべて頷いた。
「……そういう、ことなら。謹んで、お受けします」
ガル・ファリオンが立ち上がる。その動作一つで、室内の空気が一変した。まるで気圧そのものが変化したかのような、密度の違う重さだった。
「エリス。俺様たちが外で遊んでいる間に、お前らはここで話をつけておけ」
「えっ……!?」
予想外の言葉に、私は戸惑った。
エリスには、私自身の口から、真っ直ぐに伝えたかったのだ。事前に描いていたシナリオが、いきなり崩れていく。
「……ガル・ファリオン様、それは、私が直接――」
「ガルの坊やの言う通りだよ、ルーデウス」
水神レイダが、私の背中を軽々と押し、外へと促す。老婆とは思えない力だった。
「こういう込み入った話はね、男がいない方がスムーズに進むもんさ。……女同士の腹の見せあい。これこそが、最良の解決策になることもあるんだよ」
私はロキシーとシルフィを振り返った。
二人は一瞬、不安げな表情を見せたが、すぐに覚悟を決めたように力強く頷いた。その表情の変化の速さに、私はただ圧倒されるしかなかった。
私は神々に挟まれるようにして、冷たい雪の降る屋外へと連れ出された。
道場の裏手にある、広大な屋外稽古場へと連れ出された。
踏み固められた雪の上、三十名ほどの門下生たちが、一斉に私へと鋭い視線を向ける。全員が剣神流の使い手。その殺気の密度だけで、並の魔術師なら心臓が止まるだろう。
剣神ガル・ファリオンが、弟子たちを見渡して低く、けれど通る声で告げた。
「……対魔術師の集団戦稽古だ。全員でかかって、こいつを倒してみろ」
「イゾルデ、あんたも混ざりな」
「!魔術師一人に対して、我ら全員でですか……!?」
最前列にいた弟子の一人が、驚愕の色を隠さず問い返す。無理もない。この世界の常識では、間合いを詰めれば剣士が圧倒的に有利。ましてや三十対一など、公開処刑に等しい。
「ああ、全員だ。……でねぇと、お前らじゃ相手にならねぇだろうよ。なぁ、ルーデウス。お前、もうヒトじゃねぇんだろ?」
ガル・ファリオンの射抜くような視線。見透かされている。この老練の剣士は、私のローブの下にある異形を、気配だけで察知していたのだろう。
隠し通す意味はない。私は大きく重厚なローブの袖から、自らの腕をさらけ出した。
「――ッ!?」
周囲から一斉に息を呑む音が聞こえる。
エメラルドグリーンの硬質な鱗に覆われた太い前腕、そして岩をも裂く黒い鉤爪。
私は無言で歩を進め、弟子たちが作る円陣の中心へと陣取った。三十対一という数的不利は、少なくとも今の私にとっては、対処可能な初期パラメータの範囲内でしかない。
移動しながら、体内の
右手に
(人族の身体だった頃は、これを魔力の『外部バッファ』として使っていたが……。竜の細胞を取り入れた今の身体なら、肉体そのものが高出力にも耐えられる。ならば、この魔法陣は――魔力の性質変換と、演算ブーストに全リソースを振り切れる)
二十五層という数字にも意味がある。多すぎれば展開速度が落ち、少なすぎれば演算精度が不足する。何度も実戦データを取り、削り出した最適値だ。竜の魔力量なら、もっと多層化できないこともないが、それでは制御が追いつかない。出力と精度のトレードオフ――結局のところ、魔術というのは工学の一分野に過ぎないのかもしれない。
「――いつでも、どうぞ」
数秒の静寂。張り詰めた冷気が、肌をひりつかせる。
口火を切ったのは、一人の門下生の踏み込みだった。
神速の抜刀――光の太刀。
だが、私の『準備』はすでに、彼らが剣を握る前から完了していた。
「っ!消えた……!?どこへ行った!!」
周囲に展開していた魔法陣。その内の一つに、私は転移の迷宮で解析した魔法陣を書き込んでいた。あの迷宮で、幾つもの転移魔方陣を目にしているのだ。既に習得し、アレンジできる。この技術は
同位相・短距離の座標移動。
私は一瞬で、頭上三十メートルの上空へと転移していた。
驚愕に顔を上げる弟子たち。
彼らが反応するよりも早く、私は空中で逆さまになり、
「『
――バチィィィィッ!!!
以前とは桁違いの電撃が、扇状に広がりながら地上を舐める。
後遺症を残さぬよう、神経信号を一時的に遮断する電圧に調整してはいるが、それでも効果は絶大だった。
出力の調整には、事前にクリフと共に何度もシミュレーションを重ねてきた。殺さず、再起不能にもせず、それでいて確実に無力化する――そのギリギリの閾値を、私は身体の奥で正確に把握していた。
一撃。
それだけで、三十人の弟子のほとんどが、糸の切れた人形のように雪の上に転がった。
(……三名。まだ動けるか)
立っているのは三人。イゾルデと呼ばれた女性、そして剣神流の若手精鋭二人、エリスや私と同年代か?
剣神流の二人は闘気による抵抗で耐えたようだが、イゾルデは違う。彼女は私の放電の瞬間に剣を地面に突き立て、自らを接地させて電流を逃がしたのだ。電気に対する理解があるはずないのに、判断速度も対応も、教科書的なまでに正しい。
(流石は水神流。防御に関する判断が極めて速く正確だ)
イゾルデは接地させた剣の柄を握りしめたまま、油断なく私を睨み上げてくる。呼吸は乱れているが、瞳の奥の闘志は消えていない。
(この状況で、まだ勝ち筋を探しているのか。……水神流の胆力、大したものだ)
「らぁぁぁ!!」
痺れを強引に闘気でねじ伏せた剣神流の二人が、跳躍。
空中の私に向け、剣圧による真空の衝撃波を放つ。
私は逃げない。
左腕の鱗を硬質化させ、水神流の理合でそのベクトルを弾き飛ばす。
「……っ」
素晴らしい剣神流の一撃だ。私の不完全な防御では受け流し切れない。腕に浅い切り傷が走る。だが、竜の再生能力は治癒魔術を唱える暇さえ不要だった。傷口が、みるみるうちに閉じていく。
「『
一帯を泥沼へと変える。
剣神流の二人は、沈み込む前に足場を高速で蹴り、移動を繰り返している。反応速度だけならこちらの想定を上回る動きだ。
一方でイゾルデは、腰まで泥に浸かりながらも、迎撃の構えを解かない。
(……土魔術でねじ切っても良いが、これはあくまで稽古。別の手段を選ぶか)
私は外套を少し捲り、中に仕込んでいた魔法陣を起動した。
「『
外套から、全長五メートルに及ぶ「帯電した水で構成されたシャチ」が咆哮と共に飛び出す。
それは重力に従って落下し、泥沼の中へとダイブした。
「ぐっ……、あぁぁぁぁっ!!」
泥沼全体が巨大な導電体と化し、絶え間ない放電を開始する。
水中に潜んだシャチが、水と雷の多重干渉を引き起こし、逃げ惑う剣士たちを追い詰める。
回避の余地のない広域攻撃。
もちろん電撃だけではない。シャチは豪快に剣士たちに襲撃し、その巨体で攻撃を加える。
剣神流の二人は巨大な水の質量の激突に耐えきれずダウン、体当たりと尻尾による攻撃で痺れながら吹き飛ばされていった。
イゾルデは襲い掛かるシャチに対してカウンターを放ったが、文字通り水を切るようなものだ。剣による攻撃は原則として通用しない。逆に剣を伝って流れ込んだ高電圧により、ついに倒れた。
全ての弟子の沈黙を確認した。
私は泥沼を元の雪原へと戻し、静かにガル・ファリオンの前へと着地した。
倒れ伏す弟子たちの中から、途切れ途切れの呻き声と、それに混じって「……化け物か、あれは……」という誰かの呟きが漏れ聞こえてきた。悪意はない、純粋な畏怖の言葉だ。三十対一という状況を作り出された側でありながら、私自身、少しだけばつの悪さを感じてしまう。
「……想像以上だ。流石は、あの不死の魔王を貫いた『雷鳴のルーデウス』だな」
ガル・ファリオンが、獅子のような笑みを浮かべて近づいてくる。
治療を待つ弟子たちの間からも、憧憬とも恐怖ともつかない視線が次々と向けられていた。中には、倒れたまま呆然とこちらを見上げ、震える声で「……あれが、魔術師なのか」と呟く者もいた。剣の道を極めんとする者たちにとって、今日の一戦は、決して忘れられない一頁になるのだろう。
「……彼らを、治癒して良いですか?」
「構わねぇよ」「助かるね」
ガル・ファリオンと水神レイダの許可を取り、私は魔法陣を展開した。
ラノア魔法大学で翻訳・習得した聖級治癒魔法陣。
温かな光が雪原を満たし、弟子たちが次々と意識を取り戻していく。
「……ルーデウス。あんたの魔術は、もはや王級なんて枠では測れないねぇ。……帝級かい?」
水神レイダが、獲物を値踏みする老婆の目で私を見た。
「既存の定義では、水王級です。……ただ、雷に関しては現在、級が……存在しないので」
先日、嫌がるロキシーに無理を言って水王級魔術を教わったのだ。既に雷魔術を使っている私にとっては、正直に言ってただ呪文を覚えるだけの暗記作業だった。あっさりと習得、無詠唱化、更には威力の更なる向上を行った私を見て、ロキシーはしばらく拗ねて落ち込んでいた。毎日甘いものを買って、ようやく機嫌が治ったのだ。
「……そうかい。神級に、興味はあるかね?」
レイダとガル・ファリオンが、同時に剣の柄に手をかけた。
神々に睨まれる。空気の密度そのものが変わったような、圧倒的な質量の殺気だった。
私は無言で両手を上げ、首を振った。
「……今日は、エリスと話に、来ただけです」
張り詰めた沈黙。
やがて、ガル・ファリオンがガハハと豪快に笑い、構えを解いた。
「……まぁいい、お前さんは十分な力を示した……おい、ジノ!ぐずぐずすんな、酒を持ってこい!歓迎の宴だ!!」
ジノと呼ばれた弟子は、最後まで立っていたうちの一人だった。まだ全身の痺れが抜けきっていないのだろう、よたよたとした足取りで準備に向かう。
彼が道場の入り口へ差し掛かった時。
扉が開き、中からエリス、シルフィ、そしてロキシーが現れた。
その表情を見た瞬間、私は自分の戦いよりも遥かに高い緊張感に襲われた。
女性たちの話し合いは――一体、どのような「解」を導き出したのだろうか。
Side: ロキシー
ルーデウスが剣神ガル・ファリオンたちに連れ出され、重厚な扉が閉まった瞬間。部屋の空気は、一気に氷点下まで凍りつきました。
私は震える膝を抑え、改めてエリス・ボレアス・グレイラットという女性と向き合いました。
彼女から放たれる凄まじい威圧感と、肌を刺すような殺気。それは先ほどの剣神とも、龍神とも異なる、「愛する者を奪われたかもしれない」という一人の女としての情念でした。剣士としての闘気とは別種の、もっと生々しい圧が、部屋いっぱいに満ちていました。
私は、座り直すことさえ躊躇われました。
まず私がしたのは、板の間に額を擦り付ける、全力の土下座でした。冷たい木の感触が、覚悟を固めてくれるようでした。
「……申し訳ありません、エリスさん。私は、弱りきっていたルディに付け込み、彼の意思を無視して、無理やり不貞を働きました。……いかなる罰も、お受けする覚悟です」
私の震える声に対し、長い沈黙が続きました。心臓の音だけが、やけに大きく聞こえます。
やがて、エリスさんの、低く地響きのような声が響きました。
「……ルーデウスがどれだけ頑固で、どれだけ誠実な男か。それは、誰よりもあたしがよく知っているわ。……罰を与えるかどうかは、そこにどんな事情があったかを聞いてから決める。……話しなさい、ロキシー」
その声には、単なる怒りだけではない、聞く耳を持とうとする理性の強さが滲んでいました。私は顔を上げず、深呼吸を一つしてから、口を開きました。
剣士としての誇りよりも、まず事実を知ろうとする。その姿勢そのものが、エリスさんという人の芯の強さを物語っているように思えました。感情のままに私を斬り捨てることもできたはずなのに、彼女はそうしませんでした。
私は、ベガリット大陸で起きたすべての出来事を、一字一句漏らさずに説明しました。
ゼニスさんが
「……迷宮の最深部で何があったの?」
「ゼニスさんは、
「……ッ、どんな天敵だろうと、ルーデウスなら……!」
「はい。ルディは冷静でした。パウロさんと連携し、再生を物理的に阻害しながら、あと一歩で勝利を掴みかけました。……ですが、竜の最期のあがきで……ルディは、父であるパウロさんを庇い、その巨体に押し潰されて、両足を失ったのです」
エリスさんが、弾かれたように立ち上がりました。床が軋む音が、静まり返った部屋に響きます。
「それだけではありません。奴を確実に仕留めるために、ルディは自らの両腕を犠牲にして……トドメの魔術を放ちました。……私は、師匠でありながら、血を流す彼を見ていることしかできませんでした」
「…………っ!!」
「私たちはゼニスさんを連れて迷宮を脱出しました。けれど、救い出したゼニスさんは神子としての負荷を受け、それに脳の容量がもっていかれて、廃人のようになっていました。……ルディは、四肢を失ったその身体でゼニスさんの元へ這い寄り、母を救うために……自らの両目を焼き切り、ゼニスさんの負荷の一部を自分に擦り付けたのです。……その代償として、彼は視力も、言語も、そして自分の意思で動く自由さえも失ってしまいました」
エリスさんは、立ったまま、呆然と固まっていました。彼女の瞳には、想像を絶するルディの苦しみが、一つの映像となって映り込んでいるようでした。拳が白くなるまで握りしめられているのが見えます。
言葉を失うエリスさんの代わりに、シルフィが静かに口を開きました。
「……私のおばあちゃん……エリナリーゼから聞きました。その時のルディは、自ら『死』を選択するほど、深い絶望に沈んでいたそうです。事実、あのまま放っておけば、彼は数日で衰弱死して果てていた。……ルディは、エリスさんに合わせる顔がないと。自分のようなお荷物は、消えたほうが家族のためだと、本気で思っていたんです」
「……そんな……、あの、ルーデウスが……ルーデウスは、凄いの。……最強の魔術師なの……!死にたがっていただなんて……嘘よ……!」
エリスさんは髪を掻き乱し、呻くように呟きました。その声には、信じたくないという強い拒絶と、信じるしかないという諦めが同時に滲んでいました。
私は、最も残酷な、自分の罪を告白しました。
「……私は、その時すでにルディに恋をしていました。けれど、彼にはエリスさんという婚約者がいることも、痛いほど理解していました。……ですが、私は最悪の手段を選んだのです。拒絶できないルディの身体を強引に奪い……『貴方が死ぬなら、私はお腹の子ごと後を追う』と。……彼を現世に繋ぎ止めるために、卑怯な脅しをかけたのです」
「……」
「……今の彼の姿は、その絶望の底で彼自身が考え出した、
私は再び、額を床に押し付けました。冷たい木の匂いだけが、感覚のすべてでした。
エリスさんの返答を待つ数分間は、一時間にも、一年にも感じられました。
やがて。
床を鳴らす足音が近づき、私の目の前で止まりました。
「……ロキシー。顔を上げなさい」
覚悟して見上げた先。
エリスさんは、私と同じように、床に両手を突き、深く頭を下げていました。予想もしていなかった光景に、私は言葉を失いました。
「……え?」
「……あたしの代わりに、ルーデウスを救ってくれて。……ありがとう」
絞り出すような、震える声でした。
「……あたしは、ルーデウスのために強くなると誓ってここに来た。でも、まだまだ全然足りない。剣神にも及ばない。ましてや龍神なんて、夢のまた夢。……ルーデウスが一番苦しかった時に、あたしは、隣にいてあげられなかった……」
エリスさんの拳から、爪が食い込んだ血が滲んでいました。それでも彼女は、その痛みにさえ気づいていないようでした。
「ルーデウスがいなければ、あたしが生きている意味なんてない。……その命を繋いでくれたなら、あたしは、貴方に礼を言うわ。……謝罪なんて、いらない」
エリスさんは顔を上げると、憑き物が落ちたような、けれどどこか寂しげな、それでいて凛とした笑顔を見せました。
「どうせルーデウスのことよ。責任を取る、とか言って貴方を離さないんでしょう?だったら、あたしもそれを認めるわ。……ロキシー、貴方をルーデウスの妻として迎え入れることを許可する。……でも、正妻の座だけは譲らないから」
「……っ、エリス、さん……。ありがとうございます……!!」
私は涙を流しながら、この若く気高い剣士へ、何度も、何度も感謝を捧げました。土下座の体勢のまま、床を涙で濡らしながら。
気づけば、あれほど張り詰めていた肩の力が、すっかり抜けていました。許されるとは、思っていませんでした。せいぜい、命だけは助かるかもしれない、その程度の期待しか抱いていなかったのです。それなのに、エリスさんは私を「家族」として迎え入れると言ってくれた。この人の器の大きさに、私はただただ圧倒されるばかりでした。
ふと、窓の外から凄まじい衝撃波の音が響いてきました。ルディが暴れているのでしょう。その騒がしさが、今は何よりも愛おしく感じられました。
一息つき、感情の嵐が収まった頃。
エリスさんの鋭い視線が、シルフィへと向けられました。
「……さて。次は、貴方の番よ、シルフィエット。……貴方は一体、何の用でここまで来たの?」
シルフィの背筋が、ぴんと伸びるのが分かりました。
「交渉」は、まだ終わっていませんでした。
Side: シルフィエット
ロキシーさんの告白が終わり、エリスさんが彼女を「二人目の妻」として認めるという驚くべき決着を見届けた。
……ロキシーさんの覚悟は本物だった。自分の罪を認め、命まで差し出そうとした彼女の誠実さが、エリスさんの心を動かしたんだ。あの二人のやり取りを見て、ボクの中の何かが決壊しそうになっていた。
幼い頃、緑の髪を理由に誰からも遠巻きにされていたボクに、初めて対等に話しかけてくれたのがルディだった。あの日から、ボクの世界の中心には、いつだって彼がいた。魔大陸に飛ばされた七年間も、抱き続けたのはずっと同じ想いだった。
でも、ボクの本番は、ここからだ。ずっと胸の奥に押し込めてきた想いを、今、解き放つ時がきた。
アリエル王女の護衛を頼まれてから、ボクは常に冷静であることを求められてきた。感情を表に出さず、最善の一手を淡々と選び続ける。……でも、それはあくまで「仕事」としての在り方だ。個人としてのボクは、まだ何一つ、大切なことを言えていない。今、ここで言わなければ、この先ずっと、中途半端な立ち位置のまま、ルディの隣を歩くことになる。それだけは、絶対に嫌だった。
「……ボクからも、用件があります。エリスさん、座り直していただけますか?」
ボクの声に、エリスさんは鋭い眼光を戻し、姿勢を正した。その場にいたロキシーさんも、空気が再び張り詰めたのを感じて息を呑んでいる。
「要件は二つ。一つは、アスラ王国の件です」
「アスラ王国の……?」
「そう。ボクは今、ラノア魔法大学でアリエル王女の護衛をしている。……王国から極秘の情報が入ったの。近いうち、王位継承に直接関わる大きな争いが起きる」
エリスさんの表情が、一人の戦士としてのそれに変わる。緊張感が、部屋の空気を再び引き締めた。
「……ルーデウスは、アリエル王女を応援しているのよね?」
「うん。サウロス様の特赦と解放を条件にして、契約を結んでいる。王女様も、ルディの規格外の力を最大の切り札として数えているよ」
エリスさんの顔が、誇らしげに、そして少しだけ嬉しそうに綻んだ。
「……そう。やっぱりルーデウスは、あたしとの約束を一番に考えてくれているのね」
「うん。でも、敵の勢力も強大。激しい争いが予想される。ルディも、ボクも、全力で戦う。けれど、戦力は多ければ多いほどいい。……エリスさん。そして剣王ギレーヌ。二人にアリエル王女陣営の応援として加わってほしい。これが王女様からの正式な伝言です」
「分かったわ。ガル・ファリオンの許可は必要だけど、必ず取ってみせる。私のお爺様を救うためだもの、断る理由なんてないわ」
エリスさんは即答してくれた。やはり彼女は、根幹の部分でルディと同じ「家族」を想う人だ。
その返答に安堵しつつも、話を進める。
――ここからは、組織の仕事じゃない。ボク個人の、譲れない戦いだ。膝の上に置いた手が、微かに震えているのが自分でも分かった。
「……ありがとうございます。では、もう一つの要件。……エリスさん。――ボクも、ルディが好き」
エリスさんの目が一気に吊り上がり、周囲の空気がパチリと弾けるような殺気に満たされた。
ロキシーさんが「シルフィ……!?」と狼狽しているけれど、ここで引くつもりはない。長年溜め込んできた想いを、今、言葉にして出し切る。
「初めて出会ったあの日から、ずっとルディが好きだった。魔大陸へ飛ばされたと聞いた時は、自分の無力さを死ぬほど呪った。……エリスさんと婚約したと聞いた時は、諦めようとも思った。恩返しのために大学へ付いていこうと、そこで諦めようと自分に言い聞かせてきた。……でも、無理だった。嫌いになんてなれなかった。むしろ、ルディの頑張りを近くで見るたびに、もっと好きになって……もう、自分の心に嘘はつけない」
ボクは立ち上がり、エリスさんを真っ直ぐに見据えた。膝が震えているのが、自分でも分かる。それでも、ここで目を逸らしたら、一生後悔する。
「不躾なのは分かってる。でも、もうこの想いはボク自身にはどうしようもないの。――エリス・ボレアス・グレイラット。貴方に、決闘を申し込みます」
激昂していたエリスさんは、ボクの宣言を聞くと、一転してニヤリと――猛獣のような凄絶な笑みを浮かべて立ち上がった。
「……ふんっ。いいわ。ごちゃごちゃと小細工されるよりも、そっちの方がよっぽど分かりやすい。……きなさい、シルフィエット!
その言葉は、不思議と不快には感じなかった。むしろ、正面から向き合ってくれることへの、荒々しい誠実さを感じた。
私たちは道場の外へと出た。
そこでは、ルディが倒れ伏した門下生たちに治癒魔術をかけているところだった。
エリスさんは傍観していた剣神へと声をかけた。
「ガル・ファリオン。これから決闘するわ。……立ち合いを」
「……ほぅ、エリス。魔術師相手に自ら仕掛けるか。良いだろう、お前ら弟子どももよく見ておけ!目に焼き付けるのも修行のうちだ!」
ガル・ファリオンの声で、周囲に緊張が走る。
ルディは「えっ、ちょっと待って、話し合い、は――」と、らしくないほど慌てて駆け寄ってきたけれど、隣にいた水神の老婆に「女の闘いを邪魔するもんじゃないよ」と袖を引かれ、渋々観戦に回ることにしたようだった。狼狽える彼の姿を見て、ボクは少しだけ気持ちが軽くなった。
雪が舞う広場。エリスさんが剣を構え、重心を下げる。
ボクは杖を正しく構え、脳内の魔力回路を励起させた。緊張で指先が冷たい。けれど、心のどこかは、驚くほど静かだった。
(――一閃)
読めてても、間に合わない。
視認した瞬間には、エリスさんの剣先がボクの眼前まで迫っていた。
殺気から辛うじて軌道を読み、首を傾けて回避するが、頬の横を通り抜けた風圧だけで髪の房が切り落とされた。背中に冷たい汗が走る。
本物の「死」の間合い。訓練でも、護衛任務でも味わったことのない密度の殺意に、指先の震えが止まらない。それでも、退く気は微塵も起きなかった。
「逃がさないわよ」
アリエル王女から下賜された、高速移動を可能にする魔導具を起動させ、無詠唱の風魔術による浮力を加えて上空へ逃れようとする。
けれど、エリスさんの連撃はそれを許さない。斬撃の風圧そのものがボクの風の衣を乱し、上昇気流を打ち消してくる。
(……これが、剣神流……!)
でも、ボクだって立ち止まっていたわけじゃない。
ルディのように、空中に魔法陣を固定して多層化させる
――でも、あらかじめ「準備」をしていれば話は別だ。
ボクは隠し持っていたスクロールを展開し、クリフさんやナナホシさんに協力してもらって構築した、ボク専用のオリジナル術式を発動させた。
「――行け!!『
ボクはルディの背中を追うだけの人形じゃない。
水聖級魔術を習得し、その応用である『
得意の風魔術で、電撃を核に持つ「不可視の風の兎」を六匹召喚する。
姿は見えず、視力に頼る剣士にとって、気配を攪乱する六匹の兎は最悪の攪乱になる。
音も匂いも極限まで抑え、感知できるのは電撃を帯びた空気の歪みだけ。剣士の反射神経をもってしても、対処は容易ではないはずだった。
エリスさんは迫り来る不可視の兎を察知し、勘だけで数匹を斬り伏せた。けれど、残る三匹が彼女の四肢に接触し、高電圧の麻痺を伝播させる。
「っ、身体が……!!」
「今だ!!」
その一瞬の硬直を突き、ボクは全力の風で上空へと一気に跳躍した。
対剣士の定石。空を取れば、物理攻撃は届かない。勝利を、そう確信してしまった。
普通の模擬戦なら、この時点で勝敗は決していたはずだ。
……でも、目の前にいるのは、ルディとはまた違う種類の「規格外」だった。
それが、最大の「甘さ」だった。
エリスさんは、痺れる身体を強引に闘気でねじ伏せると、剣士の命である剣を――一切の躊躇なく、空中にいるボクに向かって「投擲」した。
風の盾でも防ぎきれない、質量と殺意が乗った速度の投擲。
「――っ!!」
慌てて身体を捻り、紙一重で回避する。だが、それで体勢が崩れた。
そこへ、第二の衝撃。
鈍い音がして、視界が火花を散らす。
避けきれなかったのは、彼女がその辺に転がっていた「石」を投石器のように放った一撃だった。
「……ぁ……」
完全に魔力制御を失い、ボクは地上へと墜落した。
柔らかな雪の中に叩きつけられ、必死に顔を上げる。
そこには、倒れた門下生から奪い取ったであろう別の予備の剣を、ボクの喉元に突きつけるエリスさんの姿があった。
(負け……、た……?)
頭の中が真っ白になる。
ルディの傍にいたい。誰よりも、彼を愛していたはずなのに。
敗北の自覚が芽生えた瞬間、堰を切ったように感情が溢れ出した。
ボクは、大人としての振る舞いも、護衛としての誇りもすべて忘れ、その場に突っ伏して、子供のように大声で泣き叫んだ。
「う……、うわあああああああぁぁぁぁぁぁん!!!」
冷たい雪の上に、ボクの何年分もの、行き場のない想いと悔しさが、熱い涙となって零れていった。
Side: ロキシー
シルフィとエリスさんの決闘は、唐突に始まり、そしてあまりに鮮烈な結末を迎えました。
静まり返った雪の稽古場に響くのは、地に伏して泣き叫ぶシルフィの悲鳴のような慟哭と、それを見下ろすエリスさんの荒い吐息だけ。
エリスさんの方も、無傷ではありません。シルフィの放った『
私は、彼女たちよりずっと年長者であるはずなのに、その凄まじい熱量に圧倒され、ただおろおろと立ち尽くすことしかできませんでした。長く生きてきたつもりでも、こんな真っ直ぐなぶつかり合いを前にすると、自分の経験など何の役にも立たないのだと思い知らされます。
泣きじゃくるシルフィを前に、エリスさんがゆっくりと剣を鞘に収めました。
冷酷な言葉が投げかけられるのかと、私は身構えましたが――。
「……合格よ」
放たれたのは、拍子抜けするほどに短い一言でした。
シルフィが、涙でぐちゃぐちゃになった顔をゆっくりと上げます。
「……え?」
「……あたしが、あんたの強さを認めるって意味よ。今の戦い、悪くなかったわ」
意味が理解できず、呆然と固まるシルフィ。エリスさんはその場に、淑女の作法を無視して、ドカッと座り込みました。そして、うずくまるシルフィと視線の高さを合わせ、言葉を重ねました。
「いい、シルフィエット。……ルーデウスは、凄いわ。魔術も、知略も、間違いなく世界一よ」
シルフィが、戸惑いながらも深く頷きました。そこだけは、二人の意見が完璧に一致しているのが分かります。
「だからこそ、ルーデウスが敵対する相手は、とんでもない化け物になる。……あの時対峙した龍神オルステッドのような奴らがね」
エリスさんは自らの拳をじっと見つめました。まだ僅かに震えているその手を、もう片方の手でそっと包み込みます。
「あたしは今、ここで死ぬ気で剣を振っている。それでもまだ、そこに座っているガル・ファリオンにも、世界各地にいる『剣帝』たちにさえ届かない。……圧倒的に力が足りないのよ。……でも。……敵は、あたしたちが十分に強くなるのを、悠長に待ってなんてくれない」
エリスさんの声が、決意を帯びて鋭さを増します。雪原に響くその声には、剣士としての矜持と、一人の女としての覚悟が同居していました。
「これから先、ルーデウスを身に迫る危機から守り抜くには、盾は一枚でも多いほうがいい。……あたし一人で足りないなら、頼れる仲間を増やすのが手っ取り早い。……半端な奴なら、ルーデウスの足を引っ張るだけ。そんな奴が傍にいることは、あたしが絶対に許さない。……でも、あんたほどの力があれば、ルーデウスを守るための戦力として、あたしは数に入れてあげる」
エリスさんはそこで言葉を切り、少しだけ顔を赤くしてそっぽを向きました。
「……だから、認めてあげるわ。あんたが、ルーデウスの傍にいることを」
「エリス、さん……」
「……ただしッ!!」
エリスさんがビシッと指を突きつけました。
「ルーデウスの『一番の妻』は、あたしだからね!そこだけは、絶対に譲らないから!!」
「……ッ、うん!! ありがとう、エリスさん!!」
シルフィは泣き笑いのような表情で、エリスさんの胸に勢いよく飛び込みました。
エリスさんは「な、なによ! 暑苦しいわね!」と文句を言いながらも、その小さな背中を不器用な手つきで、けれど優しく抱きしめ返していました。二人の吐く白い息が、絡み合うように雪空へと昇っていきます。
私は胸の内で、静かに笑ってしまいました。私が命懸けで告白した後には粛々とした受容が、シルフィには激烈な勝負が用意されている。同じ「承認」でも、辿る道筋は人それぞれなのだと、妙に納得してしまったのです。それに、これから増えていくであろう「グレイラット家の女性陣」は、どうやら一筋縄ではいかない面々ばかりになりそうです。
こうして。
ルディの預かり知らぬところで、グレイラット家の「正妻」と「第二、第三の妻候補」が決まりました。
「…………」
ふと横を見ると、ルディが口を半開きにしたまま、彫像のように固まっていました。
魔術に関しては世界一の彼も、この「女の闘い」に関しては、完全に理解の範疇を超えていたのでしょう。
脳が過負荷でフリーズしているような、あまりに情けないその表情に、私はようやく緊張が解け、小さく吹き出しました。
「……ルディ。お疲れ様です」
私が肩を叩くと、彼は「……あ、はい。……え?今、何が起きたんだ?」と、らしくないほど抜けた声を返してきました。処理落ちした演算装置のような、間の抜けた反応に、思わずもう一度笑ってしまいました。
Side: ルーデウス
女性たちの間でどのような決着がついたのか、詳しいところを私が知る由もなかったが、事態は極めて円滑に、かつ豪快な酒宴へと移行した。
水神レイダ・リィアは呆れたような表情を浮かべつつも、酒の誘いには乗りが良いらしく、剣神ガル・ファリオンと豪快に杯を重ねていた。
私もまた、二人の「神」と血気盛んな門下生たちに囲まれ、質問攻めに遭うことになった。エリスと近い席が良かった……残念ながら少し離れた席にされていた。ガル・ファリオンのにやけた表情を見る限り、わざとだろう。この豪快な剣士は、案外こういう人の悪い一面も持ち合わせているらしい。
「おいルーデウス!!お前、あの龍神と戦ったんだろ!?どうだったんだ、あの化け物はよ!!」
ガル・ファリオンが、酒臭い息を吐きながら身を乗り出してくる。
「……今より、ずっと幼い頃に、一度。手も足も出ず、渾身の魔術で、かすり傷を負わせる、のが精一杯でした。結果は、心臓を貫かれて、首を落とされての惨敗です」
「……『かすり傷』、だと?」
レイダが酒を飲む手を止めた。
「あんた、あいつの龍聖闘気を突破して、肉体そのものにダメージを通したのかい?それはもはや、異常という範疇すら超えているねぇ」
「魔王バーディガーディにも、同じことを言われました。……今の私のなら、当時よりはマシな戦い、ができるでしょうが。それでも、勝てるイメージ、はまだ湧きません」
「くっ……! 『まだ』勝てねぇ、か!恐ろしいガキだ。エリスもとんでもねえ化け物を旦那にしたもんだぜ!!」
ガハハと笑う剣神、次に水神が声をかけてくる。
「雷鳴、お前は水神流をかじっているね?」
「……あの一瞬のやり取りだけで、分かってしまわれますか」
「当然だろう、なめんじゃないよ」
水神レイダは酒を呷りながら続ける。
「まだまだだが、型は理解できている。毎日地道な修練をしていることも伺える。……お前が望むなら、弟子にしてやっても良いよ」
「まぁ!それは良いですね!歓迎しますよ、ルーデウス殿」
イゾルデがにこやかにレイダの案に乗ってくる。
……少し離れた席から、とんでもない殺気が飛んできている。振り返るまでもない、エリスだろう。振り返らない、きっと怖い表情をしている。
どうやら弟子入りの話一つでさえ、彼女にとっては見過ごせない案件らしい。……まったく、女性同士の攻防は、迷宮の魔物よりもよほど気を遣う。
「……非常に光栄ですが、申し訳ありません。私は、体質で体を完全に闘気で纏うことができないのです。ご期待には、沿えないでしょう」
「……そうかい。残念だよ。初代水神に近づけるとも思ったんだがねぇ」
初代水神、神級の剣士でありながら、水神級魔術をも使いこなした伝説の存在。後者はともかく、前者は私には無理だろう。竜の肉体になった今でさえ、闘気という現象そのものへの適性は多少マシにはなったものの、人である部分が足を引っ張っている。
ジノが恐る恐る私の右腕を指さしてきた。
「……ルーデウスさん。その腕、一体どうなっているのですか?」
「……訳あって、少し前に、『人』という、種族の定義を外れました。竜の細胞、を強引に組み込んだ、人もどき、というやつです」
誰もが気になっていて、聞けなかったことなのだろう。私の淡々とした回答に、周囲の弟子たちは戦慄と好奇の入り混じった視線を投げかけてくる。
次は、イゾルデが声をかけてくる。
「あの魔術……痺れる大きな魚には、どう対応すべきでしょうか?」
「あれは剣士に対して、極めて有効です。でも、所詮水なので、火魔術には脆い、という弱点があります」
「……剣士には成す術もないと?」
「あの体積の、水を一度で全て、吹き飛ばせるなら、対応は可能です。あとは、発動する前に潰す、しかないかと」
「……ありがとうございます。師匠がこの訓練に混ざるように言っていた意味が、ようやく分かりました。水神流の対魔術師の相性は決して良くないのですね」
イゾルデは悔しそうに、けれど納得したように頷いた。負けを認めることに躊躇のないその態度に、私は少なからず好感を抱いた。強さだけでなく、こういう姿勢もまた、優れた剣士の条件なのかもしれない。
イゾルデの言う通りだ。水神流の剣士が待っている間に幾らでも魔術を打ち込めるのだから。
魔術師として最も怖いのが剣神流、纏える闘気の差がある以上、反射神経以上の速度で奇襲されれば魔術師にはどうしようもない。北神流は流派が多すぎて、その流派次第、といったところか。
次は、ニナと呼ばれる勝気そうな、エリスと同年代の女性が挙手している。いつの間にか挙手制になったらしい。目線をむけて発言を促す。ニナは元気に大声で聞いてきた。
「エリスとの馴れ初めを教えなさい!!」
ニナの追求には、流石に顔が熱くなった。私は恥ずかしさを抑え込みながら、ボレアス家での家庭教師時代から、魔大陸での逃避行の記録をかいつまんで話したのだった。話すたびに、遠くの席から視線が突き刺さってくるのを感じたが、それもまた、悪くない心地だった。
ようやくエリスと二人きりで話ができたのは、騒がしい宴が果て、聖地が深い静寂に包まれた深夜のことだった。
与えられた個室。暖炉の火が静かに爆ぜる中、私はエリスと向かい合って座った。
私はまず、その場に膝を突き、板の間に額を擦り付けた。
「エリス。……ロキシー先生との一件。……不貞を犯したこと、本当に申し訳、ありません」
長い沈黙。
やがて、柔らかな感触が私を包み込んだ。
エリスが私を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめてくれたのだ。
「……顔を上げなさい、ルーデウス。事情はロキシーから全部聞いたわ。……ルーデウスが死ぬ寸前だったことも。……いいのよ、生きていてくれたなら、あたしはそれで」
久々に感じる、エリスの温もり。
以前よりも引き締まった、けれど変わらない彼女の香りに、目頭が熱くなる。
私は鋭い黒爪が彼女の背中を傷つけないよう、指先を浮かせて、慎重にその身体を抱き締め返した。今の私にできる、精一杯の愛情表現だった。
「ルーデウス。……一番辛い時、隣にいてあげられなくて……ごめん」
「……瀕死の重傷を負って、意識が遠のく中で。……私が一番に思ったのは、エリスに、顔を合わせるのが、申し訳ない、という後悔でした。……情けない、男でしょう?」
私は彼女の肩に顔を埋めた。竜の鱗越しにも、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。
「私はもう、純粋な『人』では、なくなりました。身体は異形になり、不貞という不実も犯した。……それでも。……それでも、私はあなたのことを、待っていても良いのでしょうか」
エリスは何も言わず、ただ私の頬を両手で挟み込むと、深い、誓いのような接吻を返してくれた。
「当たり前でしょ。……あたしが強くなって、ここを降りて。……そして、あなたがおじい様を救い出したら。……その時は、今度こそ正式に結婚しましょう」
「……はい。約束、です」
私はその約束を形にするため、懐から手土産を取り出した。
「これ……受け取って、ください。今の私にできる、精一杯の、贈り物です」
それは、私の右腕から剥ぎ取ったエメラルドグリーンの鱗を六枚、硬質な素材と組み合わせて加工した
「……これは?」
「私の今の皮膚……
エリスは私の腕と、手甲を交互に見つめた。
「……ルーデウス。これ、剥がせるものなの?」
「ええ……根元から、強引に剥がすので、爪を剥ぐくらいの激痛は、伴いますが。……すぐに、再生します、問題ありません」
「――ッ!バカ!!」
エリスが、咎めるように私の頬を強くつねった。その目には、怒りと愛おしさが混ざっていた。
「……でも。……ありがとう、ルーデウス。大切に使うわ」
彼女は手甲を胸に抱きしめ、幸せそうに目を細めた。
雪深き聖地の夜。
私たちは不器用で、けれど誰よりも強固な絆を、改めて確認したのだった。
エリスは器の大きな女性です。ルーデウスのあずかり知らぬところでシルフィをスカウトしました。
頂いた感想の中に、剣の聖地のサイドストーリーの話があったので追加してみました。
1話の文字数がとっても多くなってしまったのは計算外でした。