無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~   作:haru-ha

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【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)

以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。

【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。


第41節 不死魔王アトーフェラトーフェ:炎雷蜂(イグニ・ヴェスパ)と忠義の天秤

Side: ルーデウス

 

空中城塞ケィオス・ブレイカーでの生活は、地上とは比較にならないほど高度にシステム化されている。

食事の手配、寝具の管理、日々の学習割り当て。そのすべてが、配下という優秀なリソースによって最適化されている。人族の国家とは、生活基盤の効率が根本的に違う。

 

昼食時、ペルギウスの配下の一人である光輝のアルマンフィが、買い出しを担当することになった。彼の移動速度は文字通り「光速」に近い。世界中のどこからでも食材、料理を運んできてくれる。物流という概念そのものを過去のものにする移動速度だ。

 

「好きな物を用意してくれる、とのことだが」

 

ザノバやクリフは、それぞれの故郷の料理を所望した。だが、私とナナホシの出した結論は合理的、かつ淡白なものだった。

 

「私は、何でもいい。歯ごたえがあると、嬉しいくらいだ」

「私も何でもいいわ」

「……お前の故郷の、料理に近い物は、ないのか?」

 

そういうと、思い出したように細かくアルマンフィに注文をつけ始めた。品目、香辛料の有無、火の通し方。異世界人としての彼女の記憶に基づく、精度の高い注文だった。アルマンフィは、その一つ一つを丁寧に復唱し、迷いのない足取りで転移していった。彼の主人であるペルギウスへの忠誠と、任された仕事への誠実さが、その所作の端々から伝わってくる。

 

少し準備に時間を要した料理は、及第点ではないものの、ナナホシの故郷を思い出させるには十分だったらしい。珍しく、がっついて食べていた。その姿を見て、私は少し安堵した。彼女がこの世界に来てから、心から満足そうな顔を見せることは多くない。

 

午後は、召喚魔術の基礎理論についての学習に割り振られた。

前日の講義は別件で欠席していたため、クリフから内容の共有を受ける。

 

「いいかルーデウス、召喚術式において重要なのは、座標固定と魔力供給のパルスを同期させることだ。……この同期が甘いと、対象の質量に対して誤差が蓄積し、召喚位置がずれる」

「なるほど。クリフ、その理論は、他の魔術と変わらないのだな……助かる」

 

クリフの解説は非常に論理的であり、魔術解釈をスムーズに補助してくれた。彼は神撃や治癒、解毒魔術が得意だが、基礎理論の理解も深く、私に欠落していた情報を完璧に埋めてくれた。神官としての教義的な知識と、実務的な魔術理論の両方を併せ持つ稀有な人材だ。

 

「ちなみに、ナナホシ嬢が進めている『第四段階』とやらは、対象物質の詳細指定プロセスと聞いている。……座標と質量だけでなく、素材の分子構造そのものを指定する必要がある、ということだ。あれは、正直、私の理解を超えている」

「異世界からの帰還理論となれば、単純な召喚術式の延長線上にはない、ということか。……興味深い」

 

私はその情報を、頭の中の記憶領域に丁寧に格納した。いずれ、ナナホシの転移を直接手伝う日が来るだろう。今のうちに、周辺知識を固めておくに越したことはない。

 

 

 

その後、私室で休憩にしていたところ、シルフィが訪ねてきた。彼女の表情は曇っており、明らかに悩みを抱えていた。

 

「ルディ、ちょっといいかな。……アリエル様のことで、相談があるんだ」

 

彼女の話によれば、アリエル王女とペルギウスの間で行われた対談は、極めて芳しくない結果に終わったらしい。アリエルは交渉のテーブルにおいて、アスラ王国における貴族の位階、広大な領土の割譲、そして商業活動における便宜供与や特権付与など、世俗的な「利」を並べ立てたらしい。

 

「当然拒否されただろう。ペルギウス様は、それらを『いらん』と切り捨てたはずだ」

「……え、どうしてわかったの?まさにその通りだよ。アリエル様、すごくショックを受けてて……」

 

私は思考を整理し、推論をシルフィに開示した。

 

「シルフィ。ペルギウス様のような超越者は、そもそも世俗的な、権力構造の外側にいる。権力が欲しいならいつでも、自力で獲得できる立場だ。そんな人が、隠遁しているという事実。それはペルギウス様がそういったものに、興味がないどころか嫌悪していることの証明だ」

 

アリエル王女のアプローチは、標的の設定を根本から誤っている。交渉というものは、相手の欲を正しく把握しない限り成立しない。彼女は、人族に対して汎用的に有効な交渉パターンを、そのまま適用してしまったのだろう。

 

「王女のカリスマは、私も認める。だが、それは同じ階層にいる、人間相手にしか機能しない。ペルギウス様は、王者としての格、そのものが彼女を上回っている。カリスマですら、王女は負けているんだ」

 

シルフィから具体的なアドバイスを求められたが、私自身、ペルギウスに認められたのは「魔術理論」や「芸術的知見」という、専門的な情報共有ができたからに過ぎない。政治的な駆け引きの場数では、王女に助言できるほどの実績はない。

 

「アリエル王女にこれほどの専門知識を求めるのは、酷だ。付け焼き刃の、知識は逆に不信感を招く。無難だが、ペルギウス様が、かつてアスラ王国に助力していた、頃の話を教えを請う形で、聞いてみることだ。敬意を示すべきなのは彼の、過去の功績に対してだ」

 

過去の功績に対する敬意は、利害関係を伴わない。だからこそ、超越者にも通用する数少ないアプローチだろう。

 

話題はナナホシへと移行した。シルフィは、私がなぜこれほどまでにナナホシの帰還を全面的にサポートするのか、その根本的な理由を測りかねているようだった。

 

「ルディは、どうしてそんなにナナホシさんに一生懸命なの?もちろん、友達だからっていうのはわかるけど……もしかして、女の子として魅力を感じていちゃったり……?」

 

私は感情論を排し、冷静に答えた。

 

「初めは、好奇心と友情による助力だった。でも今は違う。シルフィ、この空中城塞へ転移したときの光景を見たか?」

「えっ、あっという間だったから、あんまり覚えてないよ」

「私は、短い時間で注意深く観察した。あの光景は、人神(ヒトガミ)に呼び出された時と、同じ光景だった」

人神(ヒトガミ)……ルディや龍神様が言ってた、悪い神様のこと?」

「そうだ。『転移』や『召喚』という技術は、その根幹において人神(ヒトガミ)の、居所へと繋がっていると予想している。……ナナホシを助け、その術式を解明することは、人神(ヒトガミ)を殺す、ことに繋がる。ナナホシに協力するのが最も、効率的な手段だ」

 

好意や友情だけでは、リソースの投入を正当化しきれない。だが「戦略的必然性」という理由があれば、私は迷わずナナホシに全リソースを割ける。感情を、行動の根拠から切り離すことで、私は初めて全力を出せるようになる。矛盾しているようで、それが私の性分だ。まぁ、『家族』という枠組みであれば、全くその限りでないが。

 

シルフィは納得の表情を見せた。

議論を続けている最中、不意にナナホシ本人が部屋を訪れた。

だが、その様子は明らかにおかしかった。激しく咳き込み、自らの喉を押さえている。

 

「……ゴホッ! ゴホッ……!……ごめんなさい、邪魔するつもりは……なかった、んだけど……」

 

その体調の急変に対し、私は即座に反応した。

 

「ナナホシ。無理を、するな。解毒魔術を、かけるぞ」

 

無詠唱で解毒魔術をかける。通常ならば、体内の毒素はこれで中和されるはずだ。だが、術式は正しく発動しているにもかかわらず、改善が見られない。

単なる空咳ではない。肺の奥に、何か異物が引っかかっているような感触。私の背中を、言葉にできない嫌な予感が走る。疑似魔力眼(マナ・サイト)と竜の眼で診察する。幸いにも、竜の眼の頑丈さにより、出力を上げても視力が低下することはない。

その時、ナナホシが激しく咽せた。

 

「げはっ……!」

 

彼女の口から吐き出されたのは、ドロリとした赤い液体……血の塊だった。

床に散ったその鮮血に、ナナホシ自身とシルフィが呆然と立ち尽くす。

 

「……シルフィ!すぐに助けを!アルマンフィ殿を呼べ!」

 

私は焦燥に駆られながら命じた。だが、私の視覚は、さらに恐ろしい「異常」を捉えていた。

本来、ナナホシには魔力がない。この世界において唯一、魔力を持たない存在のはずだ。疑似魔力眼(マナ・サイト)を通してみれば、彼女の体は通常、背景の魔力に溶け込んで何も映らない。

しかし、今、私の眼の前に映るナナホシの体内には、微弱だが、確実に「魔力」の反応が視えていた。

あり得ない。魔力を持たないはずの器に、外来の、あるいは不自然な魔力が宿っている。『記憶』が、最大級の警報を鳴らしていた。データベースの中に、該当する事例が存在しない。前例のない異常事態だ。

 


 

シルフィは迅速に動いた。即座に招集された光輝のアルマンフィが、重力の影響を感じさせない速度でナナホシを抱え、医務室へと搬送する。

医務室では、ペルギウスの配下の一人、贖罪のユルズが既に待機していた。彼は治癒の専門家とのことだが、その術式は一般的な治癒魔術とは全く異なる原理に基づいている。傷や病を「対象そのものから消し去る」というよりも、「対象が抱えるべき負債を、誰かが肩代わりする」という代償の概念に近いように見えた。

 

しかし、そのユルズの処置を、洞察のカロワンテが静止させた。

 

「……ユルズの力では、完治しない」

 

カロワンテの診断は冷徹だった。ナナホシの病気は、治癒できない。

直ちにペルギウスの配下たちが膨大な書庫の文献を調べ始めた。私は自身が診察した結果を提供し、ナナホシが「魔力を持っていない」という、この世界における唯一の特殊体質であることを説明した。この情報を初めて耳にする配下たちの反応は一様に静かだったが、その沈黙の質から、事態の異常性の高さを彼らも正しく理解しているのが伝わってきた。

 

「彼女の身体は、外部からの魔力干渉に対して、脆弱だ。今起きているのは、魔力が身体に入り込むことでの、不調だと推測される」

 

配下たちは私の提供した情報をパラメータとして、検索条件を絞り込んでいく。

並行して、シルフィに依頼し、ロキシーへ状況を伝達してもらった。魔法大学に何らかの対策が記録されているか、照合する必要があるからだ。

もちろん、私自身も独自に治癒できるかの試行を開始した。

 

「……魔力の流入を遮断し、元の魔力ゼロの状態に戻すのが、最善だ」

 

私はカロワンテに確認を取りつつ、ナナホシの周囲に魔力の移動を遮断する、多層構造の結界魔術を構築した。大気中の魔力が、彼女の細胞をこれ以上、侵食しないための暫定対策だ。効果は限定的だが、無いよりはましだった。

 

病名が特定されるまでに、三日の時間を要した。

その間、私はほとんど眠らなかった。魔力を持たない身体で震え、時折血を吐くナナホシの傍で、書庫の文献と自分の記憶を突き合わせ続けた。

 

病名は、ドライン病。

七千年という、途方もない太古の時代に存在した、失われた病だ。

 

「魔力を持たずに生まれてきた、子供が罹患する病気だったらしい。……体外から、絶え間なく流入する、魔力を中和できず……体内に蓄積し、やがて猛毒と化す現象か」

 

七千年前、人族の魔力耐性が進化し、強固になることで根絶されたはずの病。異世界人であるナナホシは、その進化のプロセスを経ていない。彼女にとってこの世界は、呼吸をするだけで毒を吸い込む、高濃度汚染区域だったのである。この世界に来てからの数年間、彼女の体はずっと、緩やかな中毒状態にあったということになる。

 

文献の中には、ドライン病の初期症状についての記述もあった。倦怠感、軽い頭痛、時折の眩暈。ナナホシが以前から漏らしていた「体調不良」は、まさにその初期症状と一致する。伏線が繋がった瞬間、私は自分の観察不足を悔いた。もっと早く、彼女の不調の原因に気づいていれば、ここまで悪化させずに済んだかもしれない。だが、後悔している時間すら惜しい。今は、次の一手を打つことだけに集中するべきだ。

 

ペルギウスは一つの解決案を提示した。ナナホシの身体を物理的に停滞させる案だ。

配下の一人、時間のスケアコート。彼には、触れた対象の「時間」を固定する固有能力がある。

 

「病状の悪化は防げる。……だが、治癒ではない。あくまで一時停止だ」

 

時間を止めている間に、地上にいる協力者に治療法を探索させる。それがペルギウスの出した解決策だった。

ペルギウスとナナホシは、あくまで取引相手だ。客人としての最低限のセーフティネットは用意するが、彼の真の目的は魔神ラプラスの打倒にある。一人の異世界人のために、無尽蔵のリソースを割く義理はないのだ。合理的な判断であり、私はそこに不満はない。

 

「……冷たすぎるだろう!ナナホシを見捨てるつもりか!」

 

その事務的な対応に激昂したのは、クリフだった。私はエリナリーゼと共に、彼を制止した。

 

「クリフ、落ち着け。ペルギウス様を責めるのは、間違っている。……私たちに、彼女を救う力が欠如している……その事実を、八つ当たりしているだけだ。むしろ、停滞の手段を提供されたことに、感謝すべきだ」

 

感情的になっても、何も変わらないのだ。時間を凍結する猶予があるだけ、まだ状況は良い方だ。

 

私は、自身の記憶から、一つの可能性を引き出した。

かつて、エリスから魔力の譲渡を受けた際の感覚。それを、逆に応用する。

ナナホシの体内に溜まった魔力を、強制的に体外へ排出するための魔法陣を作る。何度も試作を組み直し、排出効率を計算し直した。

 

「……ダメだ。開発期間が、足りない。効率が悪すぎる。いつ完治するかの、予測が立たない」

 

理論上は可能だが、排出速度が蓄積速度に追いついていない。もっと抜本的な、特効薬が必要だった。悔しさに、自分の無力さを痛感する。『記憶』の知識も、この世界の魔術体系も、目の前で苦しむ一人の友人を、すぐには救えない。

 

「……私が、治療法の調査に、行く」

 

私は、調査に立候補した。

竜化した四肢の出力と、風魔術による飛行を組み合わせれば、アルマンフィの「光速」には及ばずとも、従来の移動手段を遥かに凌駕する高速移動が可能だ。

それに、私には確かな人物の心当たりがあった。

 

「七千年前の知識を、持っている存在。……それは長命な不死魔族、だけだ」

 

キシリカ・キシリス。あるいは行方不明となっているバーディガーディ。

世界の歴史を、肉体で記憶し続けている彼らなら、ドライン病の解法を知っているはずだ。生き字引という言葉が、これほど文字通りに当てはまる存在も珍しい。

 

「魔大陸へ行く。彼らを、探し出すために」

 

私は、ペルギウスに魔大陸への転移を願い出た。

 


 

幸い、捜索対象である二人の不死魔族の姿かたちは、鮮明に記憶している。

魔神語も話せるし、冒険者ギルドという伝手もある。探索に必要な要素は、おおむね揃っていた。

 

「一人のほうが、効率的だ。今の私の出力なら、剣の聖地へ向かった際以上の、高速移動が可能だからな」

 

竜になった丈夫な身体と、風魔術による飛行を組み合わせれば、単独での移動速度が最も早い。

しかし、ザノバ、クリフ、そしてエリナリーゼの三人が、同行を強く志願した。エリナリーゼに関しては、愛する旦那が動く以上、当然の帰結だろう。

 

「……足手まといになる」

 

私は初め、彼らを切り捨てた。最優先はナナホシの救命であり、仲間の同行による速度低下は許容できない。

だが、ザノバとクリフの意志は、私の拒絶を跳ね返した。ナナホシの故郷を思う気持ちへ、強く共感したのだろう。二人とも、頑として引く気配がなかった。

 

「師匠、私は師匠の弟子であると同時に、ナナホシ殿の友でもあります。……足手まといにはなりませぬ」

「僕も、同じ気持ちだよ。ルーデウス。……神の御名にかけて、必ず力になってみせる」

 

普段は温厚な二人が、これほどまでに強い意志を見せることは珍しい。彼らの決意の固さを前に、私は説得する言葉を失っていた。

 

「………人探しであれば、目が多いほうが、有利か。……エリナリーゼがいれば、護衛も問題無い」

 

私は思考を修正し、彼らの同行を承認した。単独行動の効率と、複数人での索敵能力。トレードオフを再計算した結果、こちらの方が最適解に近いという結論に落ち着いた。最悪、護衛をエリナリーゼに任せて単独行動すれば良い。

一方で、シルフィにはアリエル王女の側に残るよう指示した。彼女は護衛がある。

 

「……ルディ。また大怪我しないでね。……絶対に、だよ」

 

彼女に強く念を押された。私の「前科」を考えれば、当然の警告だろう。私は素直に頷いた。

シルフィは私の頬に軽く手を添え、それ以上は何も言わずに、そっと微笑んだ。言葉より雄弁な仕草だった。彼女なりの、精一杯の見送り方なのだろう。

 

空中城塞ケィオス・ブレイカーの地下に設置された、転移魔法陣の間へと移動する。

この魔法陣を使用すれば、魔大陸までの膨大な距離を一瞬で転移できる。

 

「……ペルギウス様には、世話になってばかりだ。いつか礼ができると良いな」

 

いつか、彼に恩返しをするための項目を、私の「やるべきことリスト」に追加しておく。

転移の術式が起動し、視界が白濁する。空間の接続が完了した。

 


 

転移先は、石造りの地下室だった。

牢獄を思わせるその空間には、数多の白骨体が、散乱していた。長い年月放置され、有機物が完全に分解された成れの果てだ。

 

「……あいにく、急ぎの旅だ。鍵を探す手間は、省かせてもらう」

 

私は魔術による構造破壊を選択した。扉を、そして行く手を阻む壁を強引にこじ開け、地上へと通じるルートを確保する。

地上へ出ると、そこには見渡す限りの赤茶けた大地が広がっていた。久しぶりに見る魔大陸の固有風景だ。空気には独特の乾いた匂いが混じっている。

 

「……っ」

 

初めてこの地の空気に触れたクリフとザノバが、その光景を見て、短く唾を呑んだ。

ミリス大陸や中央大陸の平穏な環境とは、根本的に生存難易度が異なる。土の匂いにすら、微かな緊張感が混じっているような気がした。

 

「ここが、魔大陸だ。中央大陸、ミリス大陸の常識は、通用しない……出現する魔物の危険度は、桁違いだ」

 

彼らに、環境の過酷さを再認識させるための情報を共有し、先を急ぐ。

私たちが目指す最初のチェックポイントは、思い出深い、リカリスの町だった。

 


 

まずはギルドに入り、人探しの依頼を出すことにした。

幸い、資金的な余裕はある。物価の安いこの町では、冒険者が色めき立つような破格の金額を報酬欄に記載した。

 

「依頼人は、デッドエンドの、ルーデウスだ」

 

受付でそう名乗った瞬間、ギルド内の空気が一変し、騒然となった。

まだこの名がここまで影響力を持つとは……。中でも、一人の馬頭の魔族が、私を一目見るなり、脱兎のごとく勢いで逃げ出していった。

 

「……あいつ、生きていたのか…」

 

てっきり見殺しにされたか、処刑されたかと思っていた。悪運が強いのだろう。まぁどうでも良い。今は、そんなことに構っている時間はない。

 

そんなこんなで捜索を開始したが、キシリカ・キシリスの発見は、驚くほどあっさりと達成された。

魔大陸特有のスパイシーな香りが漂う、串焼きの露店で腹ごしらえをしようとした時のことだ。

 

「……あそこに、乞食が……」

 

クリフが、道端に座り込んでいる薄汚い影に目を留めた。

魔大陸では珍しくない光景だが、情の深いクリフは、自分が買った串焼きを分け与えようと歩み寄る。……それが、魔界大帝キシリカ・キシリスだった。

 

クリフがいなければ、私は見落としていただろう。今回の探索における最大のファインプレーだ。長年生きた不死魔族が、都市の路地裏で埃をかぶって座っている。その落差に、少しばかり感慨めいたものと呆れを同時に覚える。世界の歴史を体現する存在が、こうも呆気なく、日常の風景に紛れ込んでしまうものかと。

 

キシリカは凄まじい勢いで串焼きを全て平らげ、一通り高笑いした後、クリフに向かって言った。

何でも望みを言え、と。

クリフが魔眼が押し付けられてしまうことを一瞬危惧したが、彼はすかさず、ナナホシを救うためにドライン病の治し方を尋ねた。

 

「ドライン病か!ソーカス草の茶を飲めば、うんこと一緒に、魔力など出ていくわ!」

 

キシリカの回答は明快だった。私も話に加わる。

キシリカは私の姿を凝視すると、顔をひきつらせて叫んだ。

 

「おぬしは、いつぞやの気持ち悪い魔力量の奴!更に気持ち悪くなっているではないか!ついに人をやめたか!?」

 

竜と混ざった私の外見は、彼女の目から見ても「異質」として映るらしい。長命の魔族の目から見てすら異形だというのなら、それは相当なものなのだろう。

 

彼女の話によれば、ソーカス草はかつて失われた都市で見つかった植物だが、味が良いため、自身の居城である旧キシリカ城でも育てているという。

 

「……話のテンポが、悪すぎるな」

 

キシリカの尊大で無駄の多い話し方に、私の忍耐ゲージが削られていく。隣のクリフも、あからさまに手を上げそうになっていた。時間効率という観点で見れば、彼女は最悪の会話パートナーだ。

キシリカは茶を分けること自体には同意したが、今、城には「嫌な奴」が来ており、半年もの間、そこから逃げ回っているのだと不満を漏らした。

 

その時だった。

 

「……囲まれた、か」

 

いつの間にか、黒い鎧を身に纏った三十人近い兵士たちが、私たちを円陣で包囲していた。逃走経路を完全に封鎖する、洗練された布陣だ。連携の質から見て、素人の集団ではない。物陰から気配もなく展開したその手際の良さに、私は軽い驚きを覚えた。ここまで接近を許した自分の油断も、反省すべき点だろう。

兵士の先頭に立つ老兵が、一歩前に出る。

 

「我らは、不死魔王アトーフェ様が親衛隊である」

 

冷徹な自己紹介の後、彼は目標であるキシリカを指し示した。

 

「アトーフェ様の勅命である。……キシリカ様をこちらに渡し、今すぐ城へと出頭せよ」

「……嫌だと言ったら?」

 

エリナリーゼが短く呟いた瞬間、兵士たちの抜剣音が重なった。容赦はない、という意思表示だ。

私はこの騎士団の実力を、疑似魔力眼(マナ・サイト)と竜の眼で見る。個々の戦闘能力は、並の騎士団を遥かに凌駕している。

……だが、突破は可能だ。ザノバとエリナリーゼをクリフの結界魔術で守れればであるが。周囲の見物人たちにも大きな被害は出るだろう。背に腹は代えられない。

 

「い、いかん!こやつらに捕まったら何をされるかわからんぞ!なにせアトーフェは、魔王の中でも随一のアホウじゃからな!」

 

キシリカが怯えた声を出す。

彼女の言葉の信憑性はさておき、この状況下でアトーフェという存在と接触することは、目的達成のための障害になる可能性が高い。

 

しかし、その時、老兵が兜を取った。

灰色の髪を蓄えた、老戦士といった風貌の男。彼は、こちらの警戒を解くかのように、柔和な笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「お願いします。来てくださらないと我々がアトーフェ様に罰を与えられるのです。決して悪いようにはしませんので、どうか……」

 

その物腰は極めて真摯に見えた。だが、私の中に強い違和感が残る。

竜の眼による高解像度な観察は、対象の脈拍や呼吸ですら感知できる。彼のわずかな動揺すら見逃さない。

この男は、表面上はへりくだった言葉を口にしながらも、心拍一つ乱れていない。感情と行動が分離している……つまり、何らかの演技をしている可能性が高い。生体反応と発言内容の間に、一切の相関が見られない。これほど徹底した自己制御は、常人の演技力を超えている。

 

「そ、そんな奴の言葉を聞くでない!アトーフェは話の通じる奴ではないぞ!」

 

キシリカは必死だが、私は目の前の老兵の「底の見えなさ」を警戒していた。

 

「話は聞いておりました。……ソーカス草は、ガスロー地方でも栽培されております。……栽培方法も熟知しております。なんでしたら鉢植えも用意致しましょう。……どうか、同行を」

 

魅力的な条件を提示し、こちらの合意を引き出そうとする老兵。情報の出し方が、あまりに的確すぎる。私たちの目的を確実に聞き出した後で包囲を始めている。交渉術としては一級品だが、その完成度の高さこそが、かえって不気味さを増幅させていた。

 

「ところで……どうしてキシリカは、これほどまでに、アトーフェ様を嫌がっているのだ?半年間も、追いかけ続けている、理由も教えてもらいたい」

「一年前、アトーフェ様が受け取るはずだったゲクラ地方産のお酒を……キシリカ様が一人で全て飲んでしまわれたのです」

「……ほう」

「アトーフェ様はそのお酒を大変楽しみにしておられた。……烈火の如くお怒りになり、本国より、我ら親衛隊を、呼びつけられたのです」

「なるほど、な」

 

酒という嗜好品を巡るトラブル。魔大陸らしいと言えばらしい理由だ。緊張感のない理由だからこそ、逆に安心できる部分もある。

しかし、目の前の老兵に隙はない。『記憶』も警鐘を鳴らしている。こいつの言うとおりにしないほうが良い。

 

「……では、こうしよう。ソーカス草と、このキシリカを、引き換えよう」

 

私はキシリカの頭を鷲掴みにする。彼女が「爪が食い込んで痛いぃぃっ!」と騒ぐが、気にしない。

その瞬間、動揺を見せなかった老兵の眉が、わずかに動いた。

 

「……それは、できかねます」

「なぜだ?」

「ソーカス草を取りに行っている間に逃げてしまわれるおつもりでしょう? ……旧キシリカ城まで付いてきていただきたい。……アトーフェ様の許可をいただかなくてはお渡しできませんので」

 

この男は、どうしても私たちを城へ連行したいらしい。目的がキシリカの確保だけではない可能性が高い。

 

「……なぁ、ルーデウス。この人を信用しても良いのではないか?」

「……少なくとも、ここで戦うのは得策ではありませんわ。貴方の魔術は多くを巻き込むでしょう?」

 

お人好しのクリフと、周囲の被害を懸念するエリナリーゼがそう進言する。二人とも、老兵の違和感には気づいていないようだった。

……仕方ない、か。いざとなれば、この兵たちを皆殺しにしてでも脱出する。

 

「決まりですな。なに、悪いようには致しません」

 

強引に話が進められる。私は、仲間にだけ聞こえるよう、注意を促した。

 

「(……たぶん、罠だ。……いつでも、戦う、準備を)」

 

クリフ、エリナリーゼ、ザノバ。三人の顔が引き締まった。

 


 

旧キシリカ城は、私の『記憶』にある「魔王城」というイメージそのものの外観をしていた。特殊な石材を用いて作られた、黒金の城。

普段は観光名所として一般公開されており、入場料まで徴収しているという話だが、私たちが連れてこられたのは、実務的な冷たさを感じさせる謁見の間だった。

黒い全身鎧を纏った兵士たちが整然と並び、空間の密度を不必要に高めている。誰一人として無駄口を叩かず、視線だけがこちらの動きを追っていた。

 

アトーフェは不在のようで、私とザノバは、ゆうに二時間は待たされていた。エリナリーゼとクリフの二人は、兵士に案内され、例の草を採取するために地下へと向かっている。二人が視界から消えたことに、私は多少の懸念を抱いたが、単独での戦闘力に不安のないエリナリーゼが同行している以上、致命的な事態にはなりにくいと判断した。

 

「……アトーフェ様はまだ来ないのか?」

「だから今呼びに行っていると言っているだろう」

 

兵士たちの会話はルーズだが、その規律にはどこか歪なものを感じる。統率は取れているのに、上下関係が妙にざっくばらんだ。

……せめて、座って待たせてもらおう。私は、地面の石材を構成元素として再定義し、土魔術で簡易な椅子を二脚、作成した。意匠は、ケィオス・ブレイカーで見かけたレリーフのデータから引用した。

 

「……簡素ながら、見事な意匠ですな。……さすがは師匠だ」

 

ザノバはそう言って感心しているが、その瞳には鋭い警戒の色が混じっている。私が下した警戒指示を、彼は忠実に実行していた。

そこに、あの老兵ムーアが近づいてきた。

 

「もうすぐお越しくださるので、もうしばしお待ちください。……あと、アトーフェ様より褒美は受け取らないようお願いします」

「……褒美?」

「……褒美を受け取る流れになってしまった場合。……我々にはどうすることも出来ませんので」

 

この男の助言には、論理的な裏付けがなく、何かの罠を感じさせる。忠告のふりをした誘導の可能性を捨てきれない。

 

「……わかった。……忠告、感謝する」

 

キシリカは縄でぐるぐる巻きにされ、芋虫のように床に転がっていた。……漂ってくる異臭が鼻を突く。一体いつから風呂に入っていないのか。私は、後で彼女を魔術で丸洗いすることを決意した。

 

「どけ」

 

不意に、背後から短く重い声が掛かった。

振り返ると、そこに一人の女が立っていた。

青色の肌、白い髪、赤い目。背中にはコウモリのような翼があり、額からは一本の太い角が突き出ている。

黒い鎧を纏った彼女の体からは、疑似魔力眼(マナ・サイト)を通さずとも分かるほどの、圧倒的な闘気が溢れ出していた。一目で、戦闘能力が極めて高い個体だと判断できる。

 

「聞こえなかったのか?どけと言った」

 

私は無言で道を譲り、彼女のスペックを観察する。筋肉量、骨格の密度、闘気の質。数値化できるものはすべて記録していく。

 

「よし」

 

彼女は腰から鞘ごと大剣を外し、ゴンと床に突き刺して睥睨するようなポーズを取った。そして、肺活量を活かした大声で言い放った。

 

「オレが不死魔王アトーフェラトーフェ・ライバックだ!」

 

その瞬間、整列していた兵士たちが一斉に剣を抜き、捧げ持った。

だが、ムーアだけはその儀礼に従わず、玉座へと詰め寄った。

 

「アトーフェ様!なぜそちらから来るのですか!玉座に入る時は後ろからと何度も申し上げたではないですか!」

「決まっている。前から入った方が、気分がいいからだ!」

「気分で動いてどうしますか!」

 

アトーフェの行動原理は、効率や論理ではなく「気分」に基づいているらしい。先ほどのムーアの底知れなさとは対照的な、単純な意思決定プロセスだ。

ムーアが彼女の父親や夫の名を出して窘めようとしたが、アトーフェは「うるっせぇ!」と一喝し、目にも留まらぬ速さで大剣を抜き放った。

迎撃が間に合わなかったムーアは、兜ごと頭部を弾き飛ばされ、後方へと倒れ込んだ。

 

「客人の前で、ギャーギャー怒鳴るな!死んだ親父が嘆くわ!」

 

私の足元まで転がってきた兜には、真っ二つの亀裂が入っていた。凄まじい威力だ。

だが、頭部を損壊したはずのムーアは、何事もなかったかのように立ち上がった。頭部再生による煙を出しながら、彼は深々と頭を下げた。

 

「わかりました。……しかし、粗相のないように」

 

不死の一族か。再生能力が異常に高い相手は、戦闘において非常に厄介となる。頭部を吹き飛ばされてすら即座に復元する。致命傷という概念そのものが、この一族には通用しない可能性が高い。

アトーフェは再びポーズを決め直した。

 

「オレが不死魔王アトーフェラトーフェ・ライバックだ」

 

ザノバが膝をついて頭を下げた。私もそれにならう。

 

「まずは礼を言おう。……お前たちのおかげで、キシリカのアホを捕まえることができた。……こいつの小さい頃の絵姿が無く、捜索に手間取っておったのだ」

 

アトーフェは一通り満足そうに語った後、不意にフリーズした。

 

「……ムーア。……次、何だったか」

「褒美です」

 

セリフを忘却していたようだ。彼女の演算能力は、肉体スペックに反して著しく低いことが伺える。膨大な戦闘力と、極めて限定的な思考容量。このアンバランスさは、逆に警戒すべき点かもしれない。単純だからこそ、行動が読めない。

 

「む、そうだ。……褒美をやらねばなるまい」

 

私はすぐに断りを入れる。

 

「いいえ。褒美は不要です」

「お前、オレの褒美がいらんというのか?」

 

ギラリと鋭い殺気が放たれる。

 

「はい、不要です」

「力が欲しくないのか!?貴様には我が親衛隊に入り、体を鍛え抜く権利をやろう!」

「不要です。……自分で、鍛えますので」

 

私の拒絶に対し、アトーフェの機嫌は目に見えて悪化していく。彼女は私の異名を口にし、十年間休みなく鍛えてやる、と強制的な「契約」を迫ってきた。

 

「お断りします。私には他に、やるべきことがある。……病気の友を、待たせています。一刻も早く、治療法を見つけて、帰らねばなりません」

「うるっせぇ!」

 

アトーフェの怒号。彼女は、私の正当な理由を、自身への侮辱と受け取ったらしい。論理的な説明が全く機能していない。

いい加減、この不毛なやり取りが面倒になってきた。

 

「……いらんと、言っているだろう」

 

私が静かに、だが明確に答えると、彼女の端正な顔が赤く染まった。

 

「なんでだ!なんで断る!そうか、馬鹿にしてんだな!オレの頭が悪いことを、馬鹿にしてんだな!」

 

論理的な対話が不可能な領域に入った。アトーフェは大剣を振り回しながら迫ってくる。

 

「どけぇ!」

 

兵士たちを蹴散らし、突進してくる魔王。

私が魔術の起動しようとした、その瞬間――。

 

「フン!」

 

ザノバが、迫りくるアトーフェの腕を、ガッシリと掴んだ。

 

「むっ!お前、すごい力だな!」

 

感心したように笑うアトーフェ。ザノバの諌める言葉は、言語の壁により彼女には届かない。

彼女は驚くべきことに、ザノバに掴まれている自分の腕を、自ら剣で切り落とした。肉塊と化した腕が地面に落ちると、即座に彼女の身体に戻り、再結合される。一切の躊躇がない。自傷を厭わない戦闘スタイルは、常人には理解しがたい。

 

「貴様、この硬さ。……相当な闘気をまとっているな!面白い!」

 

彼女は北神流の奥義を繰り出そうと、大剣を大上段に構えた。

私は右手をかざす。

 

「……『電撃(エレクトリック)』」

 

紫電のパルスが、アトーフェの神経系を直撃した。

不意の麻痺にのけぞる魔王。その隙を、ザノバは見逃さなかった。

 

「がぶぎょぁ!」

 

ザノバの剛腕がアトーフェの顔面に突き刺さる。アトーフェの身体は、美しい放物線を描いて吹き飛び、玉座の後ろの壁を貫通して、そのまま城外へと落下していった。

 

「あ、アトーフェ様ァァァ!」

 

混乱する兵士たち。主を吹き飛ばしたザノバが申し訳なさそうに言った。

 

「む、いかん。……師匠を守ろうとするあまり、つい手が出てしまいました。死んでしまいましたかな?」

「いやナイスだ、ザノバ」

 

周囲の兵士たちは、私たちを囲みはしたものの、なぜか剣は抜かなかった。

ムーアが近づいてきて、私に告げた。

 

「あのお方は強き者が好きだ。必ずやあなたたちを欲しがるだろう。……我ら親衛隊は命令が無ければ動きませぬ。……ですが、一度命令が下れば、逃がしませぬ」

 

一度捕まれば、決闘を強いられ、敗北すれば強制契約を結ばされる。それは、死ぬまで続く隷属だ。ムーアは、私たちを憐れむように、地下の抜け道から逃げるよう促した。

 

「……ムーア。お前は、嘘は言っていない。だが、お前の忠義は、アトーフェにある。……私たちは逃げるが、お前は信用できない」

 

私は、転がっていたキシリカの縄を魔術で焼き切った。

 

「おお、す、すまんのう!恩に着るぞ!」

 

キシリカを抱えて逃げ出す。すえた臭いが鼻に着く。今は我慢するしかない。

合流したエリナリーゼとクリフは、既に大量のソーカス草を確保していた。

 

「……地下はやめておけ。……あいつは、ムーアは食わせ物じゃ。……地下通路は数百年前に、壊れたままのはずじゃからな」

 

キシリカの忠告を聞き、私たちは地上ルートを選択した。

 

しかし、転移魔法陣への入り口に辿り着いたとき、そこには既にアトーフェが立ちふさがっていた。

 

「アーッハハハハ!さすが、ムーアだ!予想通りだな!」

 

先回りされていたか。城外へ吹き飛ばされたはずの彼女が、既に体勢を立て直し、逃走経路を先読みしている。単純な思考回路とは裏腹に、戦闘における嗅覚だけは異様に鋭い。いや、戦略眼に優れているのはムーアか。

退路を断たれた。アトーフェは十人近い親衛隊を従え、傲然と笑っている。

 

「負ければ、我が傀儡として息絶えるまで使ってやろうではないか!」

 

私は、仲間に指示を飛ばした。

 

「……クリフは荷物を。土魔術と結界で、防壁を作れ。……エリナリーゼとザノバは、クリフを守れ」

「師匠は!?」

「一人で戦ったほうが、楽だ。……余波に、巻き込まれるな」

 

右腕に収納していた傲慢なる水竜王(アクア・ハーティア)を発現させる。

即席魔法陣(アドリブ・サーキット)を空中に展開し、身体を宙に浮かせた。

 


 

アトーフェはこちらの初手を待っているようだ。先ほどの『電撃(エレクトリック)』による麻痺と、ザノバの異常な怪力。その二点に対して、彼女は警戒している。

……有難い。こちらとしては、思考を遮断されることなく術式を構築できる。既に、準備は整っている。相手が様子見をしてくれるなら、こちらは先制の一手を最大出力で叩き込めばいい。

 

私は即席魔法陣(アドリブ・サーキット)を用いて上空の座標へと転移した。

眼下に見えるアトーフェと親衛隊に向け、即座に魔術を起動する。

 

「『泥沼(マッドドロップ)』。そして、『水雷鯱(アスト・オルカ)』」

 

一帯の地面を一瞬で広範囲の泥沼へと変質させ、その粘性液の中に、高圧電流を纏った水のシャチを三匹、生成して放流する。

剣の聖地で門下生を相手にした時とは、出力の前提が違う。一切の手加減は不要だろう。

突如として発生した泥沼化と、上空からの急襲に驚いている兵士たちは回避行動が間に合わず、次々と底なしの泥に呑み込まれていく。

彼らが装備している魔法耐性を持つ鎧。本来なら魔術防御に機能するはずのそれが、今は仇となっている。高電圧下では、耐性よりも金属の導電率が優先される。むしろ、鎧を着込んでいる分だけ、電気の通りが良い。親衛隊は、鎧の中で焼かれ、次々と麻痺していった。設計思想と実際の運用環境が乖離した装備というのは、これほど脆いものかと再認識する。

 

アトーフェだけは、即座に私の転移先を捕捉していた。

彼女は痺れながらも、泥沼の中から強引に身を躍らせると、周辺の巨大な岩を掴み、とんでもない速度で次々と投擲してきた。音速に近い石弾。だが、私の予見眼は、その弾道をあらかじめ視覚化している。

風魔術による姿勢制御と、短距離の転移を細かく組み合わせ、全ての岩を回避して滞空を維持する。単調な物理攻撃であれば、予見眼の前では脅威になり得ない。

 

ふと見ると、老兵ムーアが、火魔術を起動させて『水雷鯱(アスト・オルカ)』に対抗しようとしていた。

この短時間で、水と電撃を媒介にする魔術の弱点を見抜いたか。やはりとんでもない手練れだ。混戦の中でも冷静に弱点を分析する余裕がある。

だが、弱点であると分かっていて、対策をしないわけがない。

 

この『水雷鯱(アスト・オルカ)』は、高密度の魔力反応――すなわち魔術師を優先して追尾し、補足するようにプログラミングしてある。ペルギウス様に習ったばかりの精霊召喚の技術を応用してみたのだ。私の意思に関係なく、自律的に敵を攻撃する。ムーアの起動した火魔術の魔力反応を検知した瞬間、一匹のシャチが軌道を変え、彼へと突進していった。

 

泥沼による足止めと、地面全方位からの放電。それに耐えつつ、水中から高速で迫りくる巨大なシャチに単独で対応するなど、神級の戦闘能力がなければ不可能だ。

投石を続けるアトーフェに対し、攻撃の手を緩めない。

 

「『炎雷蜂(イグニ・ヴェスパ)』」

 

炎の熱エネルギーを内包した電気の蜂を、二十匹、空間に召喚する。

まずは十匹をアトーフェへと突撃させた。電撃と同等の速度で、縦横無尽な軌道を描いて襲い来る蜂。アトーフェは驚くべき反応速度を見せ、その半数を大剣で切り捨てた。

だが、斬った瞬間に内部の熱エネルギーが解放される。残りの五匹が彼女の両足に着弾し、指向性の爆発を引き起こした。

アトーフェの両足が、根元から吹き飛ぶ。焼け焦げた断面から立ち上る白煙が、彼女の絶叫よりも先に、状況の深刻さを物語っていた。

 

「ぐっ!なぜ、再生しない……!?」

 

喚くアトーフェ。当然の疑問だろう。だが、電気と炎によって細胞組織が炭化し、熱変性を起こした傷口は、通常の再生を阻害する。想定通りの結果だ。不死魔族の再生とは、あくまで「元の組織を土台にした修復」に過ぎない。土台自体を破壊すれば、修復のしようがない。

完全に阻害できるわけではなさそうだ。このまま、たたみかける。再生が始まらない傷口を晒す彼女に、残りの十匹を突撃させる。

 

今度は、回避運動が追いつかない。二匹程度しか撃ち落とせず、残弾が彼女の腕を、肩を、肉体を削り取っていく。

アトーフェは両手を根元から失い、自慢の大剣を地へと取り落とした。膝が地面につき、彼女の巨躯が大きく傾ぐ。それでも、目だけは獣のような光を失わず、こちらを睨み続けていた。戦意そのものは、まだ完全には潰えていない。だが、身体が既に彼女の意志についてこられなくなっている。

 

「……『雷槍』」

 

私は、無防備となったアトーフェの眼前に転移した。

手元で凝縮された、長さ二メートルほどの高密度の雷で出来た槍。

それを、アトーフェの胸部、心臓の座標へと深く突き刺した。

アトーフェの身体から、絶縁破壊を起こしたような黒煙が噴き出し、ビクビクと激しく震えている。

 

「なぁ!がぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

アトーフェの、魂を削るような絶叫が周囲に響き渡る。

 

兵士たちは、既にムーアを含めて全滅している。転移陣近くに潜んでいた伏兵たちも参戦しようとしたようだが、私の『水雷鯱(アスト・オルカ)』の索敵範囲からは逃れられず、相手にならなかった。

三匹のシャチが、力なく横たわるアトーフェの周りを、静かに、死を待つように、円を描くように回っている。

 

……このまま、殺すべきか。

 

不確定要素を完全に消去するため、処断を検討していた、その時だった。

 

転移陣がある穴が眩い光を放ち、そこから、なんとペルギウスが配下を伴って現れた。

輝く銀髪に、鋭い金色の三白眼。

本来なら純白であるはずの彼の服は、返り血で斑に染まっていた。

 

「不死魔王アトーフェラトーフェか」

 

彼は、入り口から現れるなり、流暢な魔神語を喋りながらこちらを見た。

 

「まさか、お前がいるとはな……。だが、リカリスに転移魔法陣をつなげれば……こうなる可能性も少し考慮しておくべきだったか」

 

彼の後ろからは、続々と配下たちが出てくる。

光輝のアルマンフィ、空虚のシルヴァリル。総勢、六名。返り血に染まった服から見て、既に城内に侵入していた兵士たちとの戦闘は終わっているらしい。

 

「貴様の薄汚い兵の血で……我が城が汚れたぞ」

 

言葉こそ静かだが、その声音には隠しきれない怒気が滲んでいた。空虚のシルヴァリルの手甲にも、乾いた黒い血がこびりついている。

ペルギウスのその言葉で、私は状況を理解した。

アトーフェは、私たちより先に、この場所を見つけていたのだ。転移魔法陣への入り口を発見し、部下たちにその奥の探索を命じていた。

兵士たちは、未知の座標へと繋がる陣を見つければ、当然、そこに足を踏み入れる。その先にあるのは、空中城塞ケィオス・ブレイカーだ。

聖域を土足で荒らされた。だからこそ、彼は自ら出陣してきたのだ。城内に侵入した魔族を、自らの手で「掃除」しながら。

 

「ペェェルギィウゥスゥゥ!」

 

心臓を焼かれ、全身が痺れているはずのアトーフェが、憎悪を剥き出しにして叫んだ。

ペルギウス・ドーラ。『甲龍王』が、そこに立っていた。

 


 

アトーフェはペルギウスの姿を視界に捉えた瞬間、その気配を劇的に変容させた。

先ほどまで私に向けていた「戦闘狂」としての殺気ではない。両手両足を失い、再生能力すら私の魔術によって阻害されている絶望的な状況であるにも関わらず、彼女から放たれるのは、親の仇を見つけた猛獣のような、どろりと濁った怨嗟の籠もった殺気だった。

彼女は牙を剥き出しにし、地を這う蛇のような執念でペルギウスを睨みつけた。

 

「ペルギウス、お前ェェェ……!」

 

痺れて制御の利かない身体を無理やりよじり、悶えながら叫ぶ。だが、その胸元には私の雷槍が深く突き刺さったままだ。過負荷に耐えかねた肺腑から、どろりとした鮮血が溢れ出した。

 

「ハッハァー!」

 

その無様な姿を見下ろし、ペルギウスは心の底から愉快そうに、高く、傲慢な笑い声を上げた。

 

「なんだ、随分と愉快な事になっているな、アトーフェラトーフェ。また油断をしたか?油断をするのは貴様ら不死魔王の血族の、いわばお家芸であったな?」

「こいつらは……お前の差し金かぁ!オレを殺すために、こんな小細工を……!カールとの盟約はどうしたぁ!」

 

アトーフェの怒号。ペルギウスは、絶好の獲物を追い詰めた虎のような冷徹な眼差しで彼女を見下ろしたままだ。

 

「勘違いするな。そやつらはただ、友を救わんと我に助力を願い出たというだけのことよ。我はただ、陣を貸したに過ぎぬ」

「嘘をつけぇぇ!うがぁぁぁぁ!」

「カールとの約束は守るさ。奴とは親友だからな。我が直接、貴様の息の根を止めることはない」

「お前がカールの親友でも、オレはお前が嫌いだぁ!」

「…………ふん。我も貴様のような、知性の欠片もなく話の通じぬ愚か者は嫌いだ」

 

吐き捨てるようにそう言うと、ペルギウスはこちらに視線を向けた。

 

「ルーデウスよ。仮説の検証はできたか?」

「はい。この通り」

 

私は雷槍の出力を維持したまま答える。

心臓という生命活動に絶対必要な臓器を抑えていることで、炭化が甘い部分も再生が始まっていない。

不死魔族にとって死という概念は曖昧だ。数百年後には傷口が風化して、そこから復活するかもしれない。絶対に風化しないように封印まで施せば、肉体は半永久的に回復しない。それを不死魔族の死と呼んでも良いだろう。仮説通りの結果だった。理論と実践が一致することほど、安心できる瞬間はない。

 

「……殺せますが。いかがしますか?」

「我は盟約により殺せぬ。そうだな……処断は、お前に任せよう」

 

ペルギウスは動けないアトーフェを見て、もう一度愉快そうに鼻で笑うと、興味を失ったかのようにあっさりと踵を返した。

 

……処断を任せると言われても。

目的のブツ――ソーカス草は既に手中にあり、治療法という情報も入手済みだ。この状況で、不死魔王という高レベルの個体を殺害し、魔大陸の勢力図に不必要な空白を作るリスクを冒す理由はない。だが、無罪放免で生かしておく理由もまた、見当たらなかった。天秤は、どちらにも大きく傾かない。

 

「……っ!お待ちくだされ!」

 

その時、痺れた身体を引きずり、必死の形相で這い寄ってきた影があった。ムーアと、数名の兵士たちだ。全身の各所が焼け焦げ、麻痺しているはずの身体で、それでも彼らは前へと進んできた。

 

「……我らの、命を差し出しますっ!何卒っ!アトーフェ様だけは、お助けを!!」

 

ムーアたちは、なりふり構わず頭を下げていた。その必死な様子から、彼らの忠義が単なる契約上の縛りではなく、真実、彼女に向けられたものであることが伺える。

私は少しだけ冷静になり、右手の術式を解除して雷槍を消滅させた。心臓付近の組織が焼灼されたためか、アトーフェの再生は依然として再起動に時間がかかっているようだ。

 

「……アトーフェ。お前は、なぜ、兵を集める?」

 

アトーフェが、もはや怒気すら保てない虚ろな瞳で、私を見上げた。

 

「……い、だいな……まおう、に……なる、ため……」

「……なるほど。……無駄な願いだ」

 

私は風魔術を極小規模で発動し、彼女の心臓付近の焼け焦げた壊死組織を精密に削り取ってやる。阻害要因を取り除くと、微かに心臓の再生が始まった。それでもまだ、全身の再生は追いついていない。

 

「……無駄、だと……?」

「……お前には、命を捧げるほどの部下がこれだけいる。……キシリカは、お前のことを馬鹿だと、言っていたな」

 

アトーフェの顔が、僅かに屈辱で険しくなる。だが、身体はまだ動かないようだ。

クリフの防壁の陰では、戦いを見物していたキシリカが、私の電撃の余波で痺れて転がっている。そちらは今は放っておく、どうせ死にはしないだろう。

 

「……私は、そうは思わん。……ただの馬鹿に、これほどの部下はいないだろう」

「……」

 

私は次に、彼女の両足の傷跡に溜まった不純物を風で削り出した。失われていた四肢の再生が、徐々に速度を上げ始める。彼女から抵抗の気配は消えていた。

私は、跪くムーアたちに向き直る。

 

「……なぁ、お前たち。……アトーフェは、偉大な魔王か?」

「……はいっ!一片の疑いなくっ!」

 

決死の覚悟を宿した瞳。偽りのない言葉だ。ムーアの表情には、先ほどまでの底知れなさが消え、代わりに剥き出しの忠誠心だけが浮かんでいた。私は再びアトーフェへと向き直った。

 

「……偉大な魔王になる。……そんなことはもう、叶っているだろう。……だから、無駄だと言ったんだ」

 

アトーフェは眼を大きく見開き、私を凝視した。その瞳に、初めて私という個体を一人の「対等な相手」として認識する光が宿る。四肢の再生が完了した。

 

「……オレの、負けだ。……貴様が生きている限り、貴様に従うと……誓おう」

 

その言葉には、先ほどまでの粗暴さとは別種の、静かな重みがあった。単純な思考回路だからこそ、一度下した決断への迷いもまた、少ないのだろう。

 

「……分かった。……では、ひとつだけ」

 

私は、安堵した顔を見せたムーアへと瞬時に肉薄し、新たに生成した雷槍の穂先で、彼の手首を両方とも切断した。

竜の膂力があれば、闘気をまとえずとも、この程度の挙動は容易だ。

 

「ぐぅっ……!」

 

悶絶するムーアに、私は冷徹な事実を告げる。

 

「……ムーアよ。……お前は、無理に集められた、兵を憐れんでいたが。……それすらもお前の、策なのだろう?」

 

アトーフェに刃向かう意思を削ぎ、私たちを油断させるための偽りの同情。その不誠実さを、私は看過できない。忠義それ自体は本物だとしても、その手段まで許容するつもりはなかった。

 

「……忠義は、認める。……だが、無理な兵集めは……アトーフェの名を貶める。……今後、禁ずる」

「……っ!破れば……!?」

「……お前を、氷漬けにし……目の前で、アトーフェを殺す」

「っ!……わかり、ました……!」

 

ムーアは、切断された手首を抑え、恐怖を刻み込まれた顔で頷いた。

私は最後にアトーフェを向いた。彼女の再生はほぼ完了し、立ち上がる準備ができている。

 

「……ソーカス草の礼が、まだだったな。……今回の詫びも兼ねて、次に来る時には、酒を持ってこよう。……キシリカが飲んだ分も、含めて、な」

 

『酒』というキーワードに、アトーフェの瞳が輝きを放った。

 

「……ああ!お前なら、いつでも歓迎しよう!」

 

先ほどまでの殺気が嘘のように、彼女は豪快に笑った。単純な思考回路は、こういう場面では扱いやすい。ほんの数分前まで、心臓を貫かれて絶叫していたとは思えない切り替えの早さだった。

交渉は成立だ。命を賭した部下たちの嘆願と、酒という単純な餌。この二つが、あの暴威を鎮める決め手になった。私は、防壁の中で呆けていたクリフたちを促し、転移陣へと向かう。

 

「……ああ、忘れていた」

 

私はその辺りで無様に痺れて転がっているキシリカを、乱暴に拾い上げた。漂ってくる臭気。魔界大帝という肩書きが、これほど似合わない姿も珍しい。

 

「……臭い」

 

私は容赦のない高圧の水魔術でキシリカを丸洗いした。悲鳴が響いたが、聞かなかったことにする。

空中城塞へ帰還する。これでようやく、ナナホシが治せる。




アトーフェ戦でした。
アトーフェは確かに強いですが、原作ルーデウスでも雷が上手く使えていれば勝てた戦いなのかもしれないな、と思っていました。
このルーデウスが武器に槍を選んだ理由は二つあります。
・リーチの長さという実用性の高さ(特にアトーフェの近距離攻撃を警戒)
・ルイジェルドへの憧れ
の二つです。
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