無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
シャリーア郊外、静寂が支配する古い小屋。
私は数度目となる龍神との会合を行っていた。
アリエル王女がペルギウスの説得に成功したという「吉報」と、その直後に判明した「アスラ王国内の全転移魔法陣の損壊」という障害を報告するためだ。
報告を終えると、オルステッドは冷徹な仮面の奥で、僅かに口角を上げた。数少ない、彼の感情の揺らぎを示す仕草だ。
「そうか、よくやった。ペルギウスを盤上に引き込んだ価値は大きい」
「褒めていただけるのは光栄ですが、転移魔法陣の件はどう見ますか?
「奴の仕業に間違いあるまい。最初の一手でこちらの機動力を削ぎに来たか。だが、これは奴の焦りの表れでもある」
オルステッドは椅子に深く座り直し、私を射抜くような鋭い視線を向けた。
「ペルギウスの陣が使えぬということは、逆説的に犯人を絞り込める。アスラ王国内の転移魔法陣は、王族や上級貴族が脱出用に秘匿している最高機密だ。一般人が立ち入れる座標にはなく、常に厳重な警備下に置かれている。それを組織的に、かつ短期間で破壊・停止させられるのは、相応の権限を持つ管理者のみだ」
私は彼の言葉から、論理的な最適解を導き出す。
「……つまり、実行犯は第一王子グラーヴェル、あるいはその背後で糸を引くダリウス上級大臣。そして彼らのどちらかが
「そうだ。特に広範囲の陣を同時に封鎖した手際を見るに、多くの私兵を動かせるダリウスの関与は確定的だ」
使徒の最大同時接続数は三人。一人はダリウス。もう一人はルークの可能性が高いことを相談する。
「流石にこのタイミングでの私への接近、及びあの目線は看過できません。ルーク・ノトス・グレイラットが使徒である可能性はありますか?」
「……可能性は高い。お前の推察通りだ。姿が追えなくなったお前を監視するための目であり、奴の都合が良いようにアリエルを誘導するための駒だろう」
「アリエル王女本人が操られている可能性は、本当にゼロと言い切れますか?」
「ありえん。
オルステッドがそこまで断言するのなら、それを前提として戦略を組み立てるべきだろう。私が考えるべきは、その観測結果ではなく、それをどう活かすかという運用の部分だ。
ルークはアリエルを主として心から慕っている。だが、
ルークを信じているアリエルやシルフィにオルステッドの作戦を話せば、ルークを通じて
「では、残る三体目の使徒は誰だと推測しますか?」
「これまでの傾向からして、圧倒的な武力を誇る個体だろう。北神流のオーベール、あるいは水神レイダ。そのあたりを警戒しておくべきだ」
「わかりました。ルーク、ダリウス、オーベール、レイダ。この四人を重要監視対象に指定し、状況によっては私の判断で排除します」
オルステッドは「任せる」と短く答えた。私は盤上の駒として、敵を穿つ役割に徹しよう。
翌日、私は家族を集めて会議を開催した。
アスラ王国への遠征。推定期間は三、四ヶ月。長期の不在になる以上、事前の擦り合わせは怠れない。
アリエル王女の王位継承を支えるための旅だと告げたが、意外にも妹たちの反応は淡白だった。
「そっか、頑張ってね。お兄ちゃん、庭用の土を魔法で作って置いていってくれると助かるかな」
アイシャは私の心配よりも、実利である庭土の在庫確保を優先した。
「アリエル様、学校辞めちゃうんだ……。送別会の準備、進めなきゃ」
ノルンはノルンで、学友としての行事運営に頭を悩ませている。
二人とも自分の役割を全うしている。頼もしい限りだ。
一方、エリスは話を聞いた瞬間に旅支度を終えていた。
「私も行くわ。シルフィから頼まれていたし、私の家族の件でも落とし前をつけなきゃいけないからね」
迷いのないその返答に、私は力強く頷いた。
「こっちは俺に安心して任せておけ!」
「ご武運をお祈りしております、ルーデウス様」
リーリャ、パウロ、ゼニスも、いつも通りに送り出してくれる。
ゼニスは最近、自分の声で喋るまで回復していた。デバイスを介さず、少しノイズ交じりの声で、「気をつけて、ね」と意思を伝えてくれた。最近は表情もだいぶ豊かになってきている。私と同様、負荷の一部が抜け、魂と肉体の回路が回復傾向にあるのだろう。母の声を直接聞けるようになったことは、私にとって密かな喜びの一つだった。
「四ヶ月ですか……本当に私も着いていかなくて良いのですか?」
ロキシーが不安げに問いかけるが、私は首を振る。
「ああ。ロキシーには家族を守ってもらいたい。父さんはいるが、守りが薄くなると私が不安だ」
「……分かりました。その代わり、アスラ王国の甘酸っぱいお菓子をお土産に買ってきてくださいね」
翌日から、急ピッチで準備が進んだ。
ギレーヌとエリスをアリエルに紹介し、物理護衛ラインを強化。一方で私は、オルステッドと密に通信し、オーベールやレイダの技の特性、およびカウンター術式を頭に叩き込んだ。王都アルスの地理や王宮の構造もデータと照合し、最新の状態にアップデートする。
さらに、私は単身でトリスティーナの潜伏先へと向かった。
竜の身体の丈夫さと風魔術による加速を組み合わせれば、アルマンフィには及ばずとも音速に近い速度で移動できる。木々の間を縫うように飛び、目的地までの距離を瞬く間に詰めていく。
夜の帳が下りた仄暗い森の中、盗賊然とした者たちに囲まれる。予定調和だ。
「山彦はなんと返す?」
「
オルステッドから聞いていた合言葉を答える。
「見ねぇ顔だな……」
そういって、数人の山賊が目の前に姿を表す。
頭領だろうか、リーダー格の男が驚きに目を見開く。
「……どんな野郎かと思ったら、噂の『雷鳴』じゃねぇか。S級冒険者様が何の用だ?」
「今日は盗賊団の構成員に用がある」
他にも人身売買が「子育ての狐」。国内での人探しが「猫のお使い」赤竜の顎ヒゲを通る者の殺害が「寝起き熊」といった感じで、細分化されている。今日はトリスティーナに事前に情報を流すために来たのだ。この符丁を知らずに迷い込むと、周囲の彼らが追い剥ぎに変わるというわけだ。
子分らしき小柄の男が剣の柄に手をかけて警戒している。
「……ギルドの奴らと裏でつるんでいるんじゃねぇだろうな」
「見ての通り一人で来た」
「……」
私の回答には納得しなかったらしい。奴らの警戒心が更にあがったようだ。数人の男が、じりじりと距離を詰めてくる。
こちらも魔術の準備を整えていると、リーダー格の男がため息をつきながら片手を挙げて、周囲を静止した。
「やめとけお前ら」
「だがよ!!」
「やめろっつんてんだ」
リーダー格の男が周囲を見渡し、威嚇する。子分らは威圧に怯えて、後ろに下がった。
「……こいつは、俺らが束になっても敵う相手じゃねぇ。人とは思えねぇよ……」
「ご慧眼だな。確かに、『人』ではない」
そういって、オルステッドからもらった外套から片腕を出す。既に
盗賊たちは私の異形の腕と魔力の圧を見て、怯えた表情を見せた。
「済まなかったな、『雷鳴』の旦那。
「縞模様のドングリ」
リーダー格の男はそれを聞いて、訝しげな表情を強めた。だが、争う気はないのだろう。まあいいかとばかりに肩をすくめ、片手を上げ、案内してくれた。
案内されたのは木こりの小屋のような場所だった。
「
男に多めの金貨を握らせ、帰らせた。
しばし待つか。だが、時間を潰すにはこの小屋の不衛生さが気になる。木は劣化して、カビも生えているだろう、すえた臭いがする。寝具の備えもあるが、恐らくダニだらけだ。
相手が来る前に掃除するか、暇だしな。まずは水と風で積もりに積もった埃を集めて、窓から捨てる。寝具も徹底的に洗ってスチームドライで乾かした。劣化した木の部分はどうしようか……流石に新しい木と入れ替えるのは手間だな。劣化した部分を削り取って土魔術でパテを作って埋める。表面に防腐剤も塗ったほうが良いだろう。窓から森を眺める。目的の植物を風魔術で集め、そのエキスを水魔術で抽出し、粘度を調整する。『記憶』の中の柿渋のような働きをする植物だ。水魔術を使えば塗装も一瞬で終わる。塗装と乾燥を終わらせて一息ついたときに、目的の人物が現れた。手持ち無沙汰を紛らわすついでとはいえ、我ながら随分と丁寧な仕事をしたものだ。
ガンガンと激しいノックがあったのでドアを開ける。
「ったく……さっさと開けろってんだい、この……って何だこれ!?」
綺麗になった室内に驚いているようだ。
「少し掃除をしただけだ。暇だったからな」
「お前の仕業か……なにもんだい、あんたは」
「ルーデウス・グレイラット。『雷鳴』とも呼ばれている」
「お前が……!?それで、ご高名な『雷鳴』様があたいに何のようだい?」
備え付けの椅子に座り、そちらに座る様に促す。トリスティーナは訝し気にこちらを見ながら、席に着いた。
「……お前の正体を知っている」
「っ!……言ってる意味がわかんないね。あたいは、しがない盗賊だよ」
「その動揺が証拠だ……話はたいしたことない。お前は復讐の機会があれば、それに手を伸ばすか?それを聞きたかっただけだ」
「なんだと……!?」
もはや、取り繕いのなく動揺しているようだ。ゆっくりと彼女の答えを待つ。
「……あの糞野郎を殺せるなら、なんだってするさ。だが、お前を信用したわけじゃない」
「当然の警戒だ。……今度、とある高貴な方の密入国を依頼する。お前の敵の、敵になる御方だ」
「……」
それだけで、私が指し示す人物がアリエルだと分かったのだろう。ダリウスに敵対できる身分の者はそう多くない。
「今は信用しなくても良い。私が本当にその御方を連れてきたとき、協力してほしい」
「……分かった。期待せずに待ってるよ」
これでトリスティーナへの根回しは完了だ。
検討していた次世代装備の開発にも着手した。
闘神鎧の自律機能を模倣した防具のプロトタイプだ。
オルステッドからもらった防魔の外套に、可能な限りの魔法陣を多層レイヤーとしてパッチした。意識を乗っ取る機能は排除して、より戦闘力が高まるように改造する。設計図を何度も引き直し、装着者への負荷と出力のバランスを調整するだけで、丸一日を費やした。
外見はただの外套だが、各所に配置された起動スイッチにより、あらゆる属性魔術が即座に投射可能。さらに治癒魔術に関しては、装着者の損傷を検知して起動する「完全自動修復」機能を実装した。
加えて、クリフの協力で結界魔術のアルゴリズムを最適化し、物理防御力も極限まで高めておいた。外見からは想像もつかないが、その辺の重装鎧よりも遥かに頑強で高火力な鎧だ。今度、オルステッドに龍聖闘気についても教えてもらおう。私自身、闘気は纏えなくても龍聖闘気は纏えるだろうか?まぁ纏えなければ、
準備は全て整った。
不確定要素はまだ残っているが、それらは現地で随時デバッグしていく。
そして、出発の日がやってきた。
今回の旅のメンバーは計八名。
アリエル王女、ルーク、シルフィ、それに侍従のエルモアとクリーネ。そこに私とエリス、ギレーヌが加わる。
用意したのは二頭引きの馬車が一台と、馬が五頭。大国であるアスラ王国の第二王女の出立としてはあまりに質素だが、これは隠密性を重視してのことだ。
表向きは「お忍びでの帰国」。その真実は、禁忌とされる転移魔法陣による移動を世間に隠すためである。
しかし、お忍びという言葉が形骸化するほど、魔法都市シャリーアの入り口には大勢の人間が詰めかけていた。魔法大学の教頭、生徒会の役員、魔術ギルドの本部長に魔道具工房の長。さらには魔法三大国の代理人までもが、続々とアリエル王女の見送りにやってきたのだ。人だかりの規模は、もはやお忍びというより、ちょっとした式典に近い有様だった。
「アリエル様のこれまでの努力が、人脈という確かな形になっているのですね」
オルステッドのような圧倒的な武力も凄まじいが、こうした人との繋がりもまた、国を動かす大きな力になる。私は彼ら一人一人に丁寧な挨拶を済ませた。いつか彼らとのコネクションが必要になる時が来るかもしれないからだ。
さて、いよいよ出発だ。
移動には転移魔法陣と馬、馬車を併用する。
まずは馬車で空中城塞ケィオス・ブレイカーへ。そこから『赤竜の上顎』の北部へと転移し、そのまま陸路を南下する計画だ。
ペルギウスは馬車が通れる場所に魔法陣を用意してくれたが、転移魔法陣はどこにでも設置できるわけではないらしい。
陣の維持には周囲の魔力を吸収する特別な仕掛けが必要で、魔力濃度の濃い場所にしか作れない。アスラ王国は魔力濃度が薄いため、定期的に魔力結晶を補充する手動型が主流だが、今回はそれらが組織的に破壊されたことで、正規のルートは完全に断たれているのだ。
「すごい!すごいわよルーデウス!見て、街が豆粒みたい!」
城塞へと転移した瞬間、エリスが歓声を上げた。二十歳の女性とは思えないほどのはしゃぎっぷりに、私たちは苦笑せざるを得なかった。
そんなエリスを、魔法陣の前で待機していたシルヴァリルが満足げに見つめていた。
「最高ね!こんなの初めてよ!」
「空中城塞からの風景を気に入っていただけたのなら、案内した甲斐がありました」
シルヴァリルは、屈託のないエリスの態度に好感を持ったようだ。そのまま私たちは、出発前の挨拶のために謁見の間へと向かった。
ペルギウスは相変わらず、十二精霊を従えて悠然と座していた。玉座に鎮座するその姿は、何度目にしても威圧感を失わない。
アリエル王女が型通りの挨拶を述べようとした時、エリスがずいっと前に出た。殴りかかるのではないかと肝を冷やしたが、彼女は鮮やかに片膝を突いた。
「お初にお目にかかります。ルーデウスの妻の、エリス・ボレアス・グレイラットです。お見知りおきを」
……あっけに取られた。言葉は少し棒読みだったが、所作は完璧だ。きっと事前に丸暗記して練習していたのだろう。
「知っているぞ、狂剣王エリス。貴様のその殊勝な態度、気に入った。ならば我も詫びよう。八年前、我が配下が貴様らを襲ったことをな」
「……気にしてないわ!」
エリスは満面のドヤ顔で私の元へ歩いてきた。「これくらい余裕よ」と言わんばかりの顔だ。努力の跡が見えて、なんとも微笑ましい。
ペルギウスはエリスのような裏表のない人間を好むらしい。その後、私たちは城塞の奥にある巨大な転移魔法陣へと足を踏み入れた。
転移先は、深い森の中に佇む遺跡だった。
『赤竜の上顎』と呼ばれる渓谷の北西。かつて龍族が大陸間の移動を制御していた場所だという。石壁には、風化してなお読み取れる古代の紋様が刻まれている。
馬車ごと転移したのはいいが、出口が狭くて出られないという問題が起きかけた。だが、アリエルの従者二人が手際よく馬車を分解し始めた。どうやら組み立て式の特殊な馬車だったらしい。彼女たちは手慣れた様子でパーツを運び出し、街道付近であっという間に元通りに組み上げた。非常に優秀な侍従たちだ。
街道に出る頃には日が暮れ、私たちはキャンプを張ることになった。
「ふぅ……」
焚き火を囲む。薪は森で襲ってきたトゥレントから回収済みだ。
料理はシルフィと従者たちが担当し、歩哨にはエリスとギレーヌが立っている。
今回の旅では、私のすべき仕事が驚くほど少ない。普段なら便利な雑用として重宝されるところだが、専門家が揃っていると、私の出番はなさそうだ。
私は焚き火の傍らで、ルークの様子を伺った。彼は常にアリエルの傍らに立ち、即座に彼女を庇える位置を保っている。
もし彼が
夜、交代で見張りをする時間が来た。
「周囲の見回りをしてきます」
私は松明を手に、森の奥へと歩き出した。夜の森は昼間とは全く異なる顔を見せる。虫の音、木々の軋み、そして時折聞こえる魔物の遠吠え。竜の眼があってもなお、油断のできない環境だ。
十分に焚き火から離れたあたりで、暗闇から唐突にその男が現れた。
銀髪金眼の三白眼。この世の者とは思えない威圧感を放つ龍神――。
「……お疲れ様です、オルステッド」
「ああ」
オルステッドは私の向かい側の木の根に腰を下ろした。彼は私たちの旅を常に追尾しており、こうして数日に一度、連絡を取り合うことになっている。
「状況はどうだ」
「ルークに怪しい動きはありません。旅は順調です」
「そうか。だが、赤竜の上顎を抜けた先にある森には注意しろ。あそこは要人を始末するのにお誂え向きの場所だ。ダリウスが動くならそこだろう」
オルステッドは襲撃があった場合の段取りを再確認した。襲撃があれば街道の危険性を説き、別ルート……トリスティーナのいる盗賊団の勢力圏へとアリエルを誘導する。もし襲撃がなければ、オルステッドが召喚魔術を使って自作自演のトラブルを起こす予定だ。
「襲撃があった場合、北帝オーベールが出てくる可能性が高い。奴には気をつけろ」
「はい。事前にエリスにも伝えてあります」
エリスは一時期、オーベールに剣を教わっていたそうだ。師と戦うのは辛いのではないかと思ったが、彼女は「腕が鳴るわね!」と笑っていた。彼女の強さは、そうした感傷すらも超えているらしい。いつも通り、私の妻は眩しいほどに大物だ。
「一応、これを持っておけ」
オルステッドは懐から数枚のスクロールを取り出した。
「王級治癒魔術の魔法陣だ。お前は治癒魔術を聖級までしか使えないと言っていたからな。いざという時にはそれを使え」
「……ありがとうございます」
腕の欠損すら再生できる王級魔術。私の防御力と合わせれば、生存率は格段に上がる。竜化した肉体の再生能力と組み合わせれば、もはや致命傷という概念自体が私には成立しなくなるかもしれない。
スクロールをざっと眺める……まぁこの程度ならすぐに習得できるだろう。
「……オルステッド。一つ確認したいのですが。もしルークが使徒だとして、彼が死んでも『使徒の枠』は埋まったままなのですか?」
「そうだ。ヒトガミの未来予知がある転換点に達するまで、使徒は変化しない。今回の場合はアリエルが王となるか否かがその境目だ」
なるほど、転換点までは使徒が補充されることはないのか。それならば、早い段階で不確定要素を排除するのは理に適っている。
「……戻ります。あまり遅くなると怪しまれますから」
「わかった」
闇に消えるオルステッドを残し、私は足早に焚き火へと戻った。
エリスと交代し、毛布に潜り込む。
アスラ王国への旅、初日。
静かな夜の闇の中で、私は明日以降の動きを静かに整理し始めた。
赤竜の上顎。
ただ一本道が続く、巨大な渓谷だ。
聖剣街道のように舗装され、直線的に伸びているわけではない。だが、進むべき方向が限定された、極めて閉鎖的な空間であることに変わりはない。
国境と国境に挟まれた、いわば法の及ばない「空白地帯」。
そこを移動中、私たちは巨大な
十台もの大型馬車と、五十頭を超える荷馬だ。アスラ王国からラノア王国へと輸出される、膨大な物資がそこには積まれているのだろう。荷列の合間には、一定間隔で護衛の冒険者たちが配置されていた。
彼らはすれ違いざま、こちらを値踏みするような鋭い視線を向けてきた。中には、私を一目見て恐怖に顔を歪める者もいる。私やシルフィがかつてギルドで活動していた頃の情報が、尾鰭をつけて流布されているのだろう。
少し居心地は悪かったが、エリス、シルフィ、ギレーヌと共に旅ができるという事実は、私の精神状態を極めて良好に保っていた。これほどまでに戦力と信頼が充実したパーティーは、この世界でも稀有な例だろう。
だが、渓谷の出口が近づくにつれ、私は思考のモードを「戦闘用」へと切り替えた。
襲撃の確率は、ほぼ百パーセントに近い。
赤竜の上顎を抜けると、眼下に広大な森が広がっていた。
渓谷の出口は標高が高く、遥か遠方にそびえる城壁――アスラ王国の国境が見て取れる。
しかし、眼下の『赤竜の顎ヒゲ』と呼ばれる森は深く、曲がりくねった街道を完全に隠蔽していた。
オルステッドの推論通り、地形的優位は完全に向こう側にある。
森の入り口で、シルフィが馬を止めた。
「ここから先は襲撃の可能性が極めて高い。今日はここで野営し、明日、一気に森を抜けます」
アリエル王女の冷徹な指示。全員の顔つきが、実戦を前にした戦士のものへと変わった。
その晩、私たちは戦闘フォーメーションを再確認した。
エリスとギレーヌは前衛。状況判断の速いシルフィが中衛。予見眼を持つ私が後衛となり、全人員を視界に収める。
ルークとエルモアはアリエル王女の直衛。クリーネは顔と髪を変える魔道具を使い、影武者として馬車に残る。
「敵は北神流の使い手……北帝オーベールを刺客に立てる可能性が高い。奇襲に警戒しろ」
「魔王アトーフェを撃破したルーデウス様でも、オーベールは脅威ですか?」
アリエル王女の問いに、私は論理的な裏付けを伴って答えた。彼女の質問は常に的確で、状況把握のための情報を効率よく引き出そうとする姿勢が窺える。
「私がアトーフェに勝てたのは、屋外での戦闘であり、十分な準備時間と、クリフという防御を任せられる盾があったからです。城内であれば敗北していた可能性もあります」
「それは違うんじゃないかなぁ、ルディ」
シルフィが待ったをかける。彼女は昔から、私が自分を過小評価する癖を見抜くのが上手い。
「『ルディ一人』なら、室内でも勝てたんじゃないかな?だからこそ、初めはザノバ様たちの同行を拒否してたんでしょ?」
シルフィの言葉を聞き、アリエルがこちらに目を向ける。私はため息をつきながら答える。
「まぁ勝てはしたと思う。遠慮なく魔術が放てる状況ならな。ザノバは何とか生き残るかもしれないが、クリフとエリナリーゼは確実に死んでいた。友を助けるために行っていたのに、別の友を殺してしまったら元も子もないだろう」
そう言って、アリエルに向けて続ける。
「剣士と魔術師の戦いは、その環境条件に大きく左右されることに変わりはありません。私はオーベール対策に全出力を注ぎます。その他は、エリス、ギレーヌ、シルフィに一任したい」
私は全員にそう告げた。
不測の事態に備え、オルステッドから預かった『王級治癒魔術のスクロール』を外套の内側に固定し、出撃の準備を完了する。
翌日。
打合せ通りの陣形で、私たちは森の一本道を進んでいた。
先の見通しにくいカーブの直前。一本の低木に刻まれた$の形――オルステッドからの『待ち伏せ有り』という信号を見逃さなかった。
「……ッ!」
私は予見眼を最大出力で励起させ、
外套型の魔導鎧も起動し、各術式回路をアクティブ状態へと移行させる。
カーブを抜けた瞬間。
行く手を遮るように、十名を超える完全武装の兵士が立ちはだかっていた。
全身を硬質なプレートアーマーで包み、表情を隠した無機質な集団。その中央、一際派手な羽飾りをつけた男が剣を抜いた。統率の取れた展開速度から見て、素人の寄せ集めではないことは明らかだった。
「ルディ……降りて」
シルフィの言葉に従い、私は馬車の間近へと移動。シルフィが前に出る。
「護衛術士のシルフィエットだ!第二王女アリエル様の馬車と知っての狼藉か!名を名乗れ!」
凛々しい声。だが、返答はなかった。
兵士たちが一斉に抜剣し、同時に森の影からさらに二十名近い増援が現れた。
「敵襲!」
ルークが即座に馬を降り、背後を固める。
前方では、既にエリスとギレーヌが肉食獣のごとき瞬発力で敵陣へと突っ込んでいた。
残像すら残らない高速の斬撃が、兵士たちの鎧ごと肉を断ち切っていく。
「魔術は任せて!」
シルフィは後方の魔術師が放つ術式を的確に察知し、相殺し続けている。
完成された連携。数に勝るはずの兵士たちが、効率的に処理されていく。
(突破できるか?いや、念には念を入れよう)
私はクリフが開発した新型の結界魔術をアリエル王女の周りに発現させ、ルークにその中へ入るよう指示した。ルークは訝しげにしながらも、素直に従い剣を構える。
兵士たちの列が左右に割れ、そこから一人の剣士が現れた。
体高一メートルほど。黄金の鎧に包まれた小人族の戦士。
「我が名は北王ウィ・ター!北神三剣士が一人、『光と闇』のウィ・ターである!」
ミラーボールのように光を反射させるその男が剣を抜く。
「いいだろう!剣王、黒狼のギレーヌ、お相手する!」
一騎打ちの空気が流れる中、エリスは一切空気を読まず、下がろうとする兵士たちに猛然と躍りかかった。
シルフィもそれに追従し、乱戦が再開される。私は馬車を護るため、その場に留まった。まだ、オーベールの姿が見えない。
「うっ、くっ!」
ふと見ると、ギレーヌがウィ・ターに苦戦を強いられていた。
攻撃の瞬間に不自然に顔を背け、隙を晒している。ウィ・ターはその間隙を縫い、刺突で彼女の皮膚を削り取っていた。
……なるほど。鏡のような鎧で意図的に太陽光を反射させ、獣族の鋭敏な視覚を焼いているのか。
地味だが、極めて有効な視覚ハッキングだ。
オーベールの警戒も緩められないが、このままではギレーヌが持たない。私はこの戦闘に新術式の投入を決めた。
「『
私の魔力によって定義された百以上の「子蜘蛛」たちが、地中へと潜り込み、展開を開始する。ペルギウスに召喚魔術を習えたことで生み出せた魔術だ。自分の意思で操作するなら二十匹程度が限界だが、それぞれにプログラミングできるなら話は別だ。この『
「『
急激に周囲が暗転し、激しい雨が降り始める。
これでウィ・ターの光反射という妨害は無効化された。
「ぬおぉ!?」
「ガアアアァァァァ!」
視界を奪い返したギレーヌの光の太刀が、ウィ・ターの肩口を深く切り裂いた。
「……さて。次は、後ろか」
背後に冷たい殺気を子蜘蛛を介して感じ、私は振り返る。子蜘蛛は
虹色の上着に、パラボラアンテナのような髪型。北帝オーベール・コルベットか。
彼は、ルークの死角となる地面の穴に潜伏していた。
「気づくとは……」
「私が気づいたわけではない。蜘蛛が検知しただけだ」
予見眼が、彼が剣を振り下ろす未来を描写する。
だが、それよりも早く、足元に配置していた『
「っ! なんと!?」
『
精霊召喚の技術を用いて、今は十通りの行動プログラムをプリセットしている。百匹以上の蜘蛛がオーベールを包囲し、襲い掛かる。
一匹一匹が『
「『雷鳴』のルーデウス。話には聞いていたが、悍ましい魔術を!」
オーベールは回避に専念するが、まとめて吹き飛ばさない限りは飽和攻撃からは逃れられない。
数匹の蜘蛛が彼の右足にしがみつき、爆発と共に高圧電流を流し込んだ。
「っ!我が名は......ぐぅっ!!」
「攻撃を緩めるな」
私は蜘蛛たちに更なる追撃の命令を下す。
名乗りを上げて隙を作ろうとする北神流の行動原理は私と似ている。だからこそ、その「逃走の予兆」を許さない。相手の思考パターンを読み切っているという確信が、私の判断を後押ししていた。
再起不能となった右足を抱え、オーベールは片足とは思えない速度で後退を開始した。
「撤収だ!やり直しだ!」
兵士たちが森へと逃げ込む。
「逃がさない!」
エリスが突っ込むが、オーベールは口に含んだ油を炎上させ、目くらましを発生させた。
彼女の袈裟斬りが捉えたのは、身代わりの術に使われた「丸太」だった。
「チッ……逃げ足の速い奴」
エリスが追撃しようとするのを、シルフィが制止する。
周囲から敵の反応は消失。残されたのは、無残に散らばった死体のみだ。
戦闘終了後。
こちらの損害は軽微。だが、死体の片付けをしていたルークの顔色が、死人以上に青ざめているのに気づいた。
彼は、倒れた兵士たちの鎧に刻まれた紋章を凝視していた。
「ねぇ、ルーク。この紋章って……」
シルフィが指差したのは、アスラ王国地方四大貴族の一つ、ミルボッツ領の象徴。
「馬鹿な……父上が、裏切るなんて……」
ルークの父、ピレモン・ノトス・グレイラット。
彼はアリエルを、そして息子を、完全に切り離したのだ。
ーーだから言っただろう。
私が以前話した推論が、また一つ、残酷な現実となってルークを打ちのめした。彼の顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。
襲撃から一時間が経過した。
私たちは死体を片付けた後、森の少し奥まった場所でキャンプを張った。焚き火を石の柵で囲い、外に光が漏れないように注意しながら、これからの動きを相談する。
「馬鹿な……そんな馬鹿なことが……」
ルークは椅子に座り込み、うつろな目でブツブツと呟いていた。ピレモンが敵に回ったと知ってから、ずっとこの調子だ。
だが、ショックを受けているのは彼一人だった。アリエル王女も他の従者も、その可能性を最初から受け入れていたかのように平然としている。
ルークのこの反応は、単に身内を信じたかったからだけではないだろう。私は既にピレモンの裏切りを示唆している。ここまでショックを受けているのは、おそらく
「アリエル王女。オーベールは去り際に『やり直しだ』と言っていました。この森か、あるいは国境の関所で、また襲撃を仕掛けてくるはずです」
「でしょうね。それが何か?」
アリエル王女は首をかしげ、先を促す。
「次はもっと周到な準備をしてくるでしょう。関所には間違いなく罠が仕掛けられています。そこに正面から飛び込むのは賢明ではありません。私に一つ、考えがあります」
「関所を通らずに国境を越える手があると?」
「ええ。この付近には、密輸などを行う盗賊団が潜んでいます。彼らと交渉して、秘密の道を使わせてもらいましょう」
私がそう提案すると、シルフィが少し意外そうな顔をした。
「ルディ……前は堂々と国境を通るべきだって言ってなかった?」
「状況が変わった。敵の殺意は想定以上だ。今は何よりも安全に国内へ入ることを優先すべきだろう」
アリエル王女は納得したように頷いた。しかし、ルークが幽鬼のような足取りで立ち上がり、私を睨みつけてきた。
「……お前、何を企んでいる」
「何を、とは心外だな」
「お前の動きは、まるでオーベールの奇襲を知っていたかのようだった。奴の戦い方も、引き際も、全てを知っているみたいじゃないか」
「予想はしていた。私には予見眼があるからな。……ルークこそ、あんなに離れていたのにオーベールの戦い方に随分詳しいな」
皮肉を返すと、ルークは言葉に詰まった。彼は
「アリエル様!私は反対です。最近のルーデウスは不透明すぎる。ここは一度引き返して、ペルギウス様に再度協力を仰ぐべきです!」
ルークの主張に従者たちも賛同し、意見は分かれた。だが、アリエル王女は焚き火の炎をじっと見つめた後、静かに口を開いた。
「ルーデウス様の案で行きましょう」
「なっ、なぜですか!」
「ルーク。ペルギウス様は、自分の国にすら戻れず逃げ帰った者を王とは認めないでしょう。……それに、ルーデウス様が私を裏切るはずがありません」
「ですが、父上が……!」
「ピレモン様が裏切る可能性は、あなたも覚悟していたはずです。……ルーク、あなた、昨日の部屋で誰かの声を『聞いて』いたのではないですか?」
アリエル王女の鋭い指摘に、ルークはハッとして口元を抑えた。その反応だけで十分だった。
「ルーク・ノトス・グレイラット。……あなたは何ですか?」
アリエル王女の静かな、だが威厳に満ちた問いかけ。ルークは彼女を見上げ、やがてその場に膝をついた。
「……あなたの騎士です、アリエル様」
「そう。そして私は、あなたの王女です」
二人の間で、騎士としての誓いが再確認された。ルークの顔から険しさが消え、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。短いやり取りだったが、その中に込められた信頼の重みは、言葉数以上のものだった。
翌日、私たちは街道を離れ、森の深い場所へと進んだ。
馬を引きながらの移動は足取りが重い。アリエル王女は慣れない山道に苦労していたが、決して弱音は吐かなかった。シルフィがこまめに治癒魔術をかけ、彼女を支えながら進んでいく。
私は歩きながら、
深夜。
私は見回りのふりをしてキャンプを離れ、森の奥でオルステッドと合流した。
「オーベールを逃したか」
「すみません、詰めが甘かったです」
「いや、いい。逃走に徹したオーベールを一度で仕留めるのは難しい」
オルステッドの話によれば、共に現れたウィ・ターはノトス家の元用心棒で、光の反射を利用した目潰しを得意とするのだという。
「ダリウスは『北神三剣士』の残りを全て雇っている可能性がある。次に備えて、奴らの技の対処法を教えておこう」
私は彼の教えを一つずつ頭に叩き込んだ。続いて、ルークの処置についても相談する。
「ルークは情緒が不安定です、アリエル王女への忠誠心を利用されているのでしょう。殺すのは簡単です。ですが、それによってアリエル王女まで情緒不安定になってしまえば元も子もない……殺す前に、様子を見させてください」
「……無駄だとは思うが、好きにしろ。お前の判断に任せる」
翌日。私たちはついに盗賊団の縄張りへと足を踏み入れた。
背後からの追撃はない。北帝オーベールの右足を再起不能に近いレベルまで損壊させた成果だろう。彼らは私たちが最終的に国境の関所を通るしかないと予測し、街道の先で待ち伏せの網を張っているはずだ。
本来なら、
オルステッドから託されたこの魔術具は、ヒトガミの遠視に対する強力なジャミングとして機能している。私が直前に提案し、実行に移したこの「非正規ルート」は、奴の演算範囲外にあるはずだ。
「……ッ、止まれ」
不意に、背後を歩いていたギレーヌが私の肩を掴んだ。
「いるぞ。囲まれている」
彼女の短い警告に反応し、エリスが即座に抜剣の構えをとる。私はそれを片手で制した。
「待て、エリス。ここは私の仕事だ」
エリスは不満げに鼻を鳴らしたが、おとなしく私の後ろに下がった。ただ、その視線は周囲の茂みを鋭く射抜いている。
やがて、前方から一人の男が姿を現した。毛皮のベストに無精髭を蓄えた、ありきたりな山賊ルックの男だ。同時に、木の上や物陰からさらに二十名ほどの影が浮き上がる。
「なんだ、『雷鳴』の旦那じゃねぇか。……決まりは決まりだ。山彦はなんと返す?」
男が声を張り上げた。私は前回通り符丁を口にする。
「兎の穴蔵、それと
今回は「特定の構成員への用向き」を意味するコードに加えて、「密入国」だ。
男は一瞬、眉をひそめてこちらを凝視した。
「なんとなく予想はつくが、一応聞こう。
「縞模様のドングリ」
符丁が一致したことを確認すると、男は松明に火を灯し、顎で奥へ進むよう促した。エリスが何故かワクワクしたような目で私を見ているが、今はそれを流すことにした。我が妻は少年のような魂ももっているらしい。
案内されたのは、前回と同じく、森の深部にポツンと佇む木こり小屋だった。中はだいぶリフォームされているが。
案内役の男は私から相応の対価を受け取ると、低い声で告げた。
「
小屋の中にはリビングと寝室、そして物置。寝室のシーツはまだ綺麗なままなようだ。スチームドライは必要ないだろう。
「……ひとまず、今晩は屋根のある所で眠れそうですね。思ったより綺麗な場所で安心しましたわ。明日からは国境越え……険しい道を通ることになるでしょうし、今夜はゆっくりと休みましょう」
彼女の顔には隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。普段、アスラ王宮やラノア魔法大学という整備された環境にいた彼女にとって、未舗装の森を歩き続けるのは肉体的な負荷が大きすぎる。
対照的に、侍従の二人は驚くほど元気だった。彼女たちは慣れた手つきでアリエル王女の足を揉み、疲労をリセットしていく。
「私たちは、この時のために七年間鍛えてきましたから」
クリーネが誇らしげに呟く。主を守るためのスペック向上に余念がない。
私はアリエル王女たちに今後の予定を説明した。
ルークは相変わらず窓際で外を警戒しつつ、私に向けて鋭い不信の視線を投げかけてくる。ピレモンの裏切りという「事実」を突きつけられて尚、彼は私を「アリエルを陥れるための不確定要素」として定義しようとしているらしい。
「明け方になったら、俺達がダリウスに引き渡される……なんてことにならないよう、祈るだけだな」
窓の外を警戒しながら、ルークが皮肉めいた言葉を吐き捨てた。
「……私がダリウス派であったとして、既に命を奪っていない理由がないだろう」
「それは、ペルギウス様の元に我らがいたからだろう?」
「例え空中城塞にいたとしても、オルステッドと協力すればペルギウス様ごと殺害することは可能だ」
私一人では配下の処理に手間取るだろうが、オルステッドが共闘するなら話は変わる。私はオルステッドがペルギウスを殺すまで、配下を足止めするだけで良い。
ルークが黙り込む。アリエル王女が冗談めかして言う。
「夢破れて、賊の慰み者……ですか。ルーデウス様、その最悪の事態に陥った場合は、せめてエルモアとクリーネだけは逃がしてあげてくださいね?」
あえて不謹慎なジョークで場の緊張を緩和しようとしているらしい。
「……ご冗談を、アリエル様。この程度の規模の盗賊程度なら、一人でも殲滅できます。それに、最悪の事態に陥ったならば、アリエル様だけは逃してみせましょう」
「あら、私だけですか?」
「当然でしょう。アリエル様が取られればこちらの負け。逆に言えば、アリエル様さえ生きていれば勝てますから。シルフィが貴方を守れば、貴方だけは生き残れるでしょう。私の魔術程度であれば、エリスとギレーヌが死ぬこともありません」
二時間ほど経過した頃だろうか。外では激しい雨が降り始めていた。
アリエル王女はシルフィが用意した簡易ベッドで休息に入り、ルークはその扉の前で門番のように陣取っている。
「……来たな」
ギレーヌの耳が動き、続いてエリスが立ち上がった。
激しく扉を叩く音。ギレーヌが扉を開けると、フードを深く被った一人の女が転がり込むように入ってきた。
「っ!遅れてすまねぇ、『雷鳴』の旦那!」
女が入ってきて雨具を脱ぎ捨てた。
あらわになったのは、アスラ王国では珍しい、胸元を大きく強調した服に身を包んだ豊満な女性、トリスティーナだ。
「で……本当に連れてきたのか?」
トリスティーナは焦りを隠さず室内を見渡した。
「先日ぶりだな。約束通り、彼女を連れてきた」
「貴女、トリスティーナ・パープルホースではありませんか?」
静かな、だが逃れようのない威厳を伴った声が響いた。
寝室から現れたアリエルだ。彼女は寝起きの乱れた髪を整えることもせず、真っ直ぐにトリスを見つめた。
「な、なんでその名前を……」
「覚えていますわ。私の五歳の誕生日の時にお会いしましたね。その特徴的な瞳……見間違うはずがありません」
トリスティーナは目を見開き、ガタガタと震えながらその場に跪いた。
「あ……アリエル、様……?ほ、本当に……?」
アリエルは、彼女の前へと歩み寄った。
そして、自分たちが国を追われ、父の危篤に際しても兄たちに命を狙われている窮状を、包み隠さず……あるいは、巧みに演出された真摯さをもって語り始めた。
「トリスティーナ。貴女もまた、ダリウスによって地獄を見せられたのでしょう?」
その言葉に、トリスは堰を切ったように自らの半生を告白し始めた。
誘拐され、ダリウスの性奴隷にされ、最後には盗賊団に売り飛ばされた凄惨な経緯。
アリエルは彼女の言葉を、一粒の涙と共に受け止めた。
「その辛さを代わることはできません。ですが、貴女をその地獄へ落とした張本人には、必ず相応の報いを与えると約束します。……どうか、私に力を貸して。ダリウスを失脚させるための、生き証人になってほしいのです」
アリエルの声には、単なる政治的打算を超えた、静かな怒りが滲んでいた。同じ女性として、トリスの受けた仕打ちに対する憤りを、本気で共有しているようにも見えた。
アリエルは、私たちやペルギウスの名前を挙げ、勝利の確率が極めて高いことを論理的に、かつ情熱的に説得した。
長い、長い沈黙。トリスティーナは小さく、だが力強く頷いた。
「わかったよ……。あたいを、あんたの仲間にしな。王都まで無事に送り届けてやるよ。……あいつに復讐できるなら、なんだってやってやる」
交渉成立だ。
私は、アリエルの卓越した「人心掌握」というスキルの高さを改めて再認識した。アリエルがトリスティーナに気付かない可能性も考えて、説得の用意はしてきたのだ。だが、私が周りくどい手順を踏もうとしていたところを、彼女は最短ルートで、かつ最大の結果を引き出した。論理と根回しを重んじる私のやり方とは対照的に、彼女は相手の感情の機微そのものを直接動かす。どちらも有効な手段だが、この場面においては、彼女のやり方が圧倒的に優れていた。
「流石ですね、アリエル様」
私が呟くと、アリエルはパチリとウインクを返してきた。
これでダリウスを追い詰めるための「カード」が手に入った。
明日からは、この「
戦況は、確実に私たちの望む方向へと傾き始めている。
翌朝。私たちは準備を整え、まだ朝日が登る前の静まり返った小屋を出発した。
「そんじゃ、ついてきて」
トリスティーナを先頭に、私たちはさらに森の深部へと足を進める。
地面の傾斜から推察するに、私たちは山岳地帯へと向かっているようだ。誰一人として無駄口を叩かず、足音を消して移動を続ける。一時間ほど進んだところで、不意に視界が開けた。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。森の中に、崖と巨木に囲まれた半月型の美しい湖が鎮座していた。地図には記載されていない、盗賊団が秘匿管理している場所の一つなのだろう。水面は驚くほど澄んでおり、周囲の木々を鏡のように映し込んでいる。
私たちは湖畔に沿って崖へと歩み寄った。トリスが石碑に触れ、特定の波長の魔力を流し込むと、崖の一部が光学迷彩を解くように消失し、洞窟の入り口が姿を現した。
「こっちだよ。滑りやすいから気をつけて」
トリスは膝下まで水に浸かりながら、湖の縁の浅瀬を進んでいく。エリスは新しいフィールドへの突入に目を輝かせ、愛馬を強引に水の中へと引きずり込んでいた。
私もシルフィの後ろに跨ったまま、冷たい水を肌に感じつつ洞窟内へと入る。
洞窟の内部は驚いたことに、精密なタイル張りの床になっていた。
「……人工の遺構か。赤竜がこの山に住み着く以前の古い坑道かもしれないな」
シルフィとそんな会話を交わしながら、トリスの持つ松明と、私が召喚した灯火の精霊の明かりを頼りに進む。
洞窟を抜けたのは、出発から八時間が経過した正午過ぎだった。
出口もまた魔術的に隠蔽されており、外は完全にアスラ王国の領内――国境の南東に位置するエリアだ。
「アリエル様、ご入国おめでとうございます」
トリスの言葉に、アリエルは疲労困憊の様子で頷いた。彼女の体力的なスペックは、やはり他のメンバーと比べれば低い。私はこまめに彼女へ治癒魔術をかけ、乳酸の蓄積をリセットする工程を繰り返した。
そこからの旅は順調そのものだった。
トリスは王国内の「裏道」――荷車が通る程度のあぜ道を網羅しており、私たちはオーベールたちの監視網を完全に逃れて南下を続けた。
十数日後。私たちはドナーティ領の端にある大きな町、リケットに到着した。
王都に至る交通の要衝であり、アスラ王国内でも重要な交易点だ。目立つ私たち一行にとって、ここは襲撃の可能性が極めて高いチェックポイントと言える。街の喧騒の中を進みながら、私は周囲の気配を絶えず警戒していた。
しかし、トリスの手配した「組織の息がかかった宿」へ、私たちは音もなく潜伏することに成功した。
前後左右の建物が全て組織の所有物であり、地下通路も完備された、まさに隠密活動に最適化された拠点だ。
現在、私は一階の階段付近でギレーヌと共に見張りに立っている。
「ルーデウス」
沈黙を守っていたギレーヌが、ふと口を開いた。
「はい、なんでしょう」
「この間は助かった。ウィ・ターの目潰し、あれを即座に無効化した機転、流石だな」
「後衛としての当然の役割です」
「……お前は昔からあまり変わらんな。だが、お前が対処しきれない相手は、エリスお嬢様に頼ればいい。あの子はそのために、死ぬ気で自分を鍛え上げてきたのだからな」
ギレーヌの言葉に、私は深く頷いた。
「そうだ、ルーデウス。昔の約束を覚えているか?私の人形を作るという話だ」
ボレアス家で家庭教師をしていたころ、そういえばそんな約束をしたな。
ギレーヌは私が魔術の練習のために彫像を作っているところを、眺めるのを好んでいたように見えた。エリスはすぐに飽きて外に運動しに行っていたな。
「ええ、もちろん覚えていますよ。暇ができたら、最高の一体を作成しましょう」
「楽しみにしている」
決戦を前にした約束。『記憶』の世界なら不吉な予兆と捉えるところだが、この世界の住人にとっては、それが「生き残る理由」を定義する重要なプロトコルなのだ。ギレーヌの口元には、珍しく柔らかな笑みが浮かんでいた。
その時、情報収集に出ていたトリスが戻ってきた。
彼女は差し入れの果物を私に手渡すと、足早に二階へと上がっていった。
しばらくして、二階から言い争うような声が響いてきた。アリエルとルークの声だ。
「……何事でしょうか」
私が部屋に入ると、そこには顔面を蒼白にしたルークと、冷徹な表情のアリエル王女、そして困り顔のトリスがいた。
「ルーデウス様、ちょうど良いところに。……サウロス様を投獄した主犯が判明しましたわ」
アリエル王女が告げた名前は、残酷な事実として室内に響いた。
「ピレモン・ノトス・グレイラット。ルーク、あなたの父です」
ルークは唇を噛み締め、震える声で反論を試みたが、アリエル王女はそれを許さなかった。彼女はルークの動揺の根源にある、もう一つの毒を抉り出した。
「ルーク。あなたは、
ルークがハッと口を噤む。アリエルの推察は、またしても正解を射抜いたようだ。
ルークは旅の準備中、
「ルーク、安心なさい。ルーデウス様は貴族の位や金銭に興味がある御方ではありません。それが欲しいのなら、初めに私とそのような契約を迫っていたでしょう。彼は、私の友人の婚約者であり、一人の自由な魔術師として私の横にいるだけなのですから」
アリエルの明確な否定。
それはルークに向けられた慈悲であると同時に、
ルークは愕然とした表情で立ち尽くしていた。自分が信じていた「神の助言」が、いかに浅薄な嘘であったかを突きつけられたのだ。
翌日。私たちはリケットを出発した。
ルークは依然として私を敵視しているが、その行動はアリエルによって完全に制御下に置かれている。
さらに、サウロスを投獄した犯人が判明したことで、ギレーヌとエリスの殺意も研ぎ澄まされていた。
「あたしは、あんたが用意してくれた敵を斬る。それで十分だ」
ギレーヌの言葉に、エリスも無言で頷く。
王都アルスまで、あと二十日。
盤上の駒は全て揃った。
あとは、
ただでさえpixivのほうも長い節だったのに、加筆によって更に文量が増えてしまいました。分割したほうが良いのだろうか……でも切りどころが難しい節でもあります。