無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
王都アルスを小高い丘から見下ろす。
私とシルフィにとっては、かつて二人で活動した見慣れた景色だ。感慨に耽るよりも先に、私はこの巨大な都市の構造を頭の中で整理し、これからの動きをシミュレーションしていた。懐かしさよりも優先すべきは生存確率の最大化だ。
銀色に輝く王城シルバーパレスを囲むように城壁が都市を区切っている。その防衛機能は極めて高いが、同時に内部での情報の流れや人の移動には相応の身分や許可が必要となる。皮肉なことに、堅牢な防衛設備はいざという時の脱出経路の少なさにも直結する。
「……ついに、ここまで来たね。ルディ」
「ああ。シルフィ、君とこの街を歩くのも久しぶりだね」
エリス、ギレーヌとの稽古を通じたリハビリのおかげだろうか、私の発声は以前よりも格段に滑らかになっていた。まだ微かな違和感は残るが、意志を伝えるのに不自由はない。
王都への入国は驚くほど滞りなく進んだ。長らく緊張の続く旅路だっただけに、この静かな入城には拍子抜けするほどだった。
道幅の広い大通りを進むと、街の人々が私たちの姿に気づき、次々と声を上げ始めた。
「おい、あれ……『雷鳴』のルーデウスと『疾風』のシルフィエットじゃないか!」
「アリエル王女も一緒だ!本当に戻ってこられたんだな!」
かつてこの地でシルフィと共に積み上げた実績は、民衆の記憶の中にしっかりと刻まれていた……恥ずかしい異名と一緒に。まぁ、温かな歓迎を受けていることは事実だろう。過去の無茶な立ち回りの数々が、今になってこうした形で返ってくるとは思わなかった。
貴族街に入ると、銀色の全身鎧を纏った見習い騎士たちの隊列とすれ違う。その中の一人が尋常ならざる気配を放ちながらこちらへ走り寄ってきた。整然とした足並みの中、その気配だけが異質に際立っていた。
ルークが即座に反応したが、兜を脱いだその顔を見て、エリスが馬を止めた。
「エリス!ギレーヌ!それにルーデウス殿!」
現れたのは、水神流の達人であり水王の称号を持つイゾルテ・クルーエルだった。整った顔立ちに、鍛え抜かれた所作。剣士としての気迫は遠目にも伝わってくる。
「久しぶりね、イゾルテ」
エリスが平然と応じる。剣の聖地で出会ったエリスの友か。
「ルーデウス殿、相変わらずその身体からは底知れない力を感じますね」
「イゾルテさんも以前よりさらに技が冴えているようだ」
「……お褒めに預かり光栄です。エリス、貴女は本当に……この方を選んだのですね」
イゾルテの視線には、かつて聖地で対戦した者としての静かな敬意が混じっていた。そこへ、ルークが馬を寄せて優雅に礼をした。
「再会の折、申し訳ありません。私はルーク・ノトス・グレイラット。今は任務の途中ですが、いずれ時間などが取れる時期もありましょう。その時に、お詫びなども兼ねて」
イゾルテはルークを一瞥すると、露骨に嫌そうな顔をして鼻を鳴らした。値踏みするような視線を一度向けただけで、彼女は既に興味を失ったように見えた。
「結構です。……エリス、王女には相変わらずあのような軽薄そうな男が同行しているのですね。私には、貴女の夫であるルーデウス殿のような落ち着いた方の方がよほど信頼に値するように見えますが」
どうやら彼女はルークの軟派な振る舞いを嫌い、相対的に私の佇まいを評価してくれているらしい。ルークは苦笑していたが、こればかりは性格の相性の問題だろう。
「エリス。……彼女も、敵に回る可能性がある」
隊列が動き出した後、私は静かにエリスに問いかけた。彼女の反応がいつも通りかどうかを見極めるための問いでもあった。
「腕が鳴るわ。聖地での続きができるなら、それはそれで悪くないもの」
迷いのないエリスの回答。彼女たちにとって剣を交えることは一種の対話なのだ。私は彼女の覚悟を尊重し、もしもの時に備えた最善の策を練っておくことにした。
アリエル王女の別宅へと到着し、夕食を終えた後、私たちはこれからの十日間の計画を話し合った。長旅の疲労を感じさせない、気の抜けない密度の濃い議論だった。
「明日からペルギウス様をお迎えするための準備を整えます。同時に敵の主要な戦力を炙り出し、削ぐ必要があります。……敵を釣ろうと思います」
アリエル王女の提案は、姿を変える魔道具を用いた「囮」作戦だった。彼女の思考は常に複数の目的を同時に達成する方向へと向かう。教育を受けた王族としての素養がこういった場面で如実に表れる。
「ボクがやるよ。アリエル様の身代わりは、ボクが一番慣れているから」
シルフィが即座に立候補した。彼女の経験と精密な魔力操作があれば、安全に囮がこなせるはずだ。
王都入りするまで一度も襲撃がなかったのは、敵が『場』を整えたアリエル王女を一気に、かつ公的に叩き潰す算段である可能性が高い。北神三剣士、そして水神レイダという最高戦力を、最も効果的なタイミングで投入してくるはずだ。
「釣れれば良し。釣れなければ総力戦ですね。どちらにせよ、私の開発した『魔神鎧』を試す良い機会になりそうです」
「頼りにしていますわ、ルーデウス様」
彼女の声には確かな信頼が滲んでいた。この短い言葉だけで、私は自分の役割を再認識する。
明日からアスラ王国の未来を決める最終段階が始まる。緊張感はあるが、不思議と恐れはなかった。準備してきたものを正しく発揮するだけだ。
私は自室の机に向かい、想定される敵の動きとそれに対する迎撃の術式を深夜まで考え続けた。
翌日。私たちはアリエル王女と共に、ついにアスラ王国の心臓部、王城へと足を踏み入れた。長い旅路の果てに辿り着いた、この戦いの本丸だ。
今回の随行員は六名。トリスは拠点での潜伏任務、侍従の二人はそれぞれの生家へ戻り、王女の帰還を支えるための裏工作に従事している。
王城は、遠目からの観測を遥かに上回る巨大な建造物だった。ペルギウスの空中城塞に匹敵する威容を誇り、その背後には広大な王宮が広がっている。
病に伏せる国王の見舞い、そして十日後に開催される『会場』の予約。アリエル王女は迷いのない足取りで廊下を進んでいった。その背中にはこれまでの逃避行の疲れを微塵も感じさせない、確かな覚悟が滲んでいた。
王城の回廊を歩いていると、私は三つの大きな肖像画の前で足を止めた。額縁は金の装飾で縁取られ、天井近くまで届くほどの大きさだ。
「ペルギウス様……」
そこには、歴代のアスラ王と並んで、若く美化されたペルギウス様の姿があった。プレートにははっきりと『ペルギウス・ドーラ』の名が刻まれている。その隣には、人族の英雄『北神カールマン』、そして、『龍神ウルペン』。魔神殺しの三英雄だ。
オルステッドから聞いた「真実」を知る今、彼らが魔神ラプラスを打倒し、この世界を守り抜いたことへの敬意が、裏付けを伴って私の胸に湧き上がった。この城において、英雄の肖像画が王の傍らに飾られている事実は、ペルギウスの権威が今なお健在であることを示唆していた。
王都到着から三日が経過した。
アリエル王女は驚異的なマルチタスク能力を発揮し、水面下で『会場』設営の準備を進めていた。彼女の帰還を予期し、再起動を待っていた貴族たちが次々と合流してくる。かつて彼女の下で働いていた者たちの多くが、待ちわびていたとばかりに我先にと馳せ参じる様は、壮観ですらあった。
私はその護衛の傍ら、第一王子グラーヴェルと、その背後に潜むダリウス上級大臣を遠目に観測した。
ダリウスは一言で言えば「醜悪な肥満体」だった。欲望をそのまま形にしたようなその姿は、私の目には肉の塊のように映る。彼は私の姿を認めるなり、死神でも見たかのように怯えた表情を浮かべた。竜の眼で見る限り、彼の心拍は常に不自然に速い。常時、何かに怯えているような生体反応だ。
対照的に、第一王子グラーヴェルは働き盛りの落ち着いた男性だった。一見して凡庸だが、その立ち振る舞いには周囲を惹きつける確かな引力がある。王族とはそのようなものなのだろう。
一方、第二王子ハルファウスは既に政争に敗れ、軟禁状態にあるという情報を得た。これはオルステッドの事前予測通りだ。彼の存在が今後の戦局に影響を及ぼす可能性は、ほぼ考慮する必要がなさそうだった。
アリエル王女の戦いが言葉の応酬なら、私の戦いは物理的な敵の排除だ。
毎日のように暗殺者が送り込まれてくるが、その標的は常に「アリエルに扮したシルフィ」に集中していた。本物のアリエル王女はメイドに変装し、私の家の五倍はある別宅の一室で安全を確保している。皮肉なことに、王女という立場よりも身分を偽った方がよほど安眠できるようだった。
「ルディたちがいてくれるから、ボクも安心して囮がこなせるよ」
シルフィの言葉通り、エリスとギレーヌの鉄壁の防御を突破できる刺客は存在しなかった。だが、敵も本番に向けて最高戦力を温存しているはずだ。
私は一度アリエル王女を通じて揺さぶりをかけたが、敵はそれ以降、露骨な襲撃を止めて沈黙を維持していた。
五日が経過した。
今度はアリエル王女を支持する有力貴族たちが狙われ始めた。敵は「アリエル側につけば命の保証はない」という警告を、具体的な暴力として示し始めたのだ。
そんな中、私は一人の男と対峙した。ルークの父、ピレモン・ノトス・グレイラットだ。
彼はパウロによく似た顔立ちをしていたが、その瞳には臆病な保身の色が透けて見えた。パウロの豪快さとは対極にある、常に何かを計算し続けているような目つきだ。血の繋がりを感じさせるのは輪郭と背格好くらいのものだろう。
ルークは必死に父親へ説得を試みたが、ピレモンは「お前には分からぬ」と冷たく突き放し、ルークの兄と共に去っていった。その後ろ姿を見送るルークの表情には、拒絶された子供のような孤独が滲んでいた。
家族の絆すらも政争のコストとして処理される。ノトス家の存続を第一に考えるピレモンの判断はある意味で合理的だが、ルークにとっては残酷に映ったようだった。
九日目。
『会場』の設営が完了した。
第二王女アリエルが第一王子グラーヴェルを慰労するという名目の公式晩餐会。
あまりに露骨な罠だが、アスラ貴族にとって出席は義務であり、不参加は敗北を意味する。
不確定要素は多いが、あとは本番を迎えるのみとなった。
……そう思っていた、その夜のことだ。
月のない暗い夜道を、私たちは別宅へと戻っていた。星明かりすら雲に遮られ、視界は闇に沈んでいる。だが、竜の眼にとって、この程度の暗闇は障害にすらならない。
道の中心、行く手を阻むように三人の影が立っていた。
一組は獣族ミルデット族の双子。獣特有の敏捷な気配を纏い、二対の瞳がこちらを値踏みするように光っていた。
「北王『双剣』のナックルガード!」
彼らは自己紹介と共に、鏡写しのような左右対称の構えをとった。二人で一人の実力を発揮する特殊な戦闘形態だ。
そして後方には、黒い鎧を纏った小人族。
「……先日の借りを返すぞ、ギレーヌ」
北王ウィ・ター。死体は見つからなかったが、生きているとは思わなかった。先日の戦いで負傷しつつも、闇に紛れる漆黒の装備で再エントリーしてきたらしい。その執念深さには素直に舌を巻く。
「大丈夫よルーデウス。一人で勝てるわ」
エリスが双子を、ギレーヌがウィ・ターを受け持ち、夜の路地で火花が散る。それぞれの得物がぶつかり合う金属音が、静まり返った夜道に響き渡った。
私は馬車を護りつつ、残る一人の影を索敵した。
北帝オーベール・コルベットはどこだ。
前回の戦闘で右足を損壊させたはずだが、その機動力を完全に失ったとは考えにくい。
私は竜の目で周囲を探す。この目は可視光領域が広く、人が隠れていても体温でわかる。城壁、邸宅の塀、地面……。
「……見つけた」
城壁の中腹、石材に擬態した「布」に包まり、張り付いている違和感。見た目には分からないが、体温は隠しようがない。竜の眼の前ではどれほど巧妙な擬態も無意味だ。
私は杖を向ける。術式は『
「!」
オーベールは私の視線が合った瞬間に回避行動をとったが、傷ついた右足がその反応速度を僅かに遅延させた。追従雷銃が彼の隠れ蓑を貫通し、残った足をさらに焼き殺して削り落とした。致命的とまではいかないが、機動力を完全に奪う一撃だった。
それが、決着の合図となった。
エリスは肩に浅くない傷を負いながらも、圧倒的な剣速で双子の首を刎ね、ギレーヌは夜目を利用してウィ・ターの懐へと潜り込んだ。
「オーベェェェル!」
ウィ・ターが叫び、目くらましの煙幕を地面に叩きつけた。
周囲が漆黒の煙に包まれる。
<前方、右、回避!>
予見眼が捉えたヴィジョンに従い、私は攻撃を回避。直後、シルフィが馬車から飛び出し、風魔術で煙を一掃した。
視界が晴れた時、オーベールは鉤爪を使い、執念深く城壁を登り切って姿を消していた。片足を失った状態でも尚、驚異的な生命力で戦線を離脱していく執念には素直に感心せざるを得ない。
だが、路地の奥へと逃げ込んだウィ・ターの姿は見当たらない。
「ウィ・ターを追う!」
私が路地に足を踏み入れたとき、そこには既に決着がついた後の光景があった。夜闇の中でもその結末は一目瞭然だった。
ウィ・ターの胸部には、巨大な風穴が開けられていた。
周囲に人影はない。だが、私の知る「最強の守護者」が影から介入したことは明白だった。あの男が本気で殺意を向ければ、この程度の決着は瞬きの間に終わるのだろう。
「ルーデウス……やったわね」
血まみれの肩を抑え、エリスがニヤリと笑った。傷の痛みなど気にも留めていない様子だ。彼女の傷を治癒魔術で修復しつつ、私は残骸を片付けた。
今回は北王三人を排除することに成功。
残るは傷ついた北帝オーベール、そして最強のカード『水神レイダ』。
「あとは明日、本番を迎えるだけだ」
静寂を取り戻した王都の夜。虫の音すら聞こえない静けさが、逆に不気味さを増している。
私は来るべき決戦の夜を静かに待った。
王都での晩餐会。
王城内にある大規模な広間は、わずか十日で用意されたとは思えないほど完璧に整えられていた。
長いテーブル、緻密に計算された席次。開催を待つばかりとなった会場の空気には、独特の緊張感と高揚感が混じり合っている。招待客の誰もが、着飾った表情の裏にそれぞれの思惑を隠し持っているのが手に取るように分かった。竜の眼はその微かな緊張の表情筋の動きすら見逃さない。
スタッフの一人として潜入した私は、エリスと共に待合室の入り口付近に陣取り、参列者たちの表情を観察していた。
期待に胸を膨らませる者、不安に瞳を揺らす者。彼らの多くはアリエル王女が何を語り、それに対して第一王子グラーヴェル派がどう動くのかを、どこか他人事のように楽しんでいる。
最初の大物が現れたのは、開宴が近づいた頃だった。
ピレモン・ノトス・グレイラット。
彼は長男と数名の護衛を引き連れ、入り口に立つ私を一瞥すると忌々しそうに鼻を鳴らした。まるで路傍の石でも見るような、侮蔑を隠さない視線だった。
「……ふん。今更ノトス・グレイラット家に戻れるなどと、夢にも思うなよ」
唐突な言葉だった。パウロの弟であり、私の叔父にあたる男だが、その言葉に温度はない。
「……そんな矮小な地位、今更興味もない」
「なんだと?」
「お前は小物らしく、それにしがみついていれば良かろう」
ピレモンは顔を真っ赤にして、悪態をつきながら上級貴族用の個室へと消えていった。エリスが隣で不快そうに剣の柄を握りしめている。彼女にとって、家族の敵であるノトス家の人間を前にして平静を保つのは、決して容易なことではないだろう。
もし、パウロがボレアスではなくノトスに頭を下げていたら、私は彼らのような人々の間で息苦しい思いをしていたのだろうか。……まあ、どうでもいい仮定だ。
ピレモンを皮切りに、今夜の主役たちが続々と姿を現す。
四大地方領主の一人、ボレアス家の当主ジェイムズ。
彼は長男を連れていたが、その顔は驚くほどやつれていた。柱であるサウロスが投獄されている状況で、お家存続のために死に物狂いで立ち回ってきたのだろう。目の下の隈が、この数ヶ月の苦労を雄弁に物語っている。
彼は私の隣に立つエリスに一瞬だけ視線を向けたが、何も語らずに奥へと進んでいった。親族の娘とその夫となる男を前にしても、今の彼にはそれを気にかける余裕すらないようだった。
そして最後。
ダリウス上級大臣が護衛を伴って現れた。その巨体を揺らしながら歩く様は、権力に溺れた者特有の緩慢さを漂わせていた。
その後ろに控える護衛の男が私の方へ歩み寄ってきた。
派手な着流しに、奇妙な髪型。腰には四本の剣。
「お初にお目にかかります。某は北帝、名はオーベール・コルベット。巷では『孔雀剣』の名で通っております」
彼の足元を盗み見る。先日、私が焼き殺して削り落としたはずの両足は、何事もなかったかのように完治していた。アスラ王国の最高峰の治癒術師を動員したのだろう。相当な代償を払ったに違いない、それだけの執念を感じさせる回復ぶりだった。
「……ご丁寧にどうも。貴殿も中々にしぶといな?」
「それが取り柄でございます故……『雷鳴』の、いや、『龍の犬』とでも呼ぶべきかな?なるほど、『首輪』が随分お似合いだ」
龍の犬。オルステッドを飼い主と見なしての呼び名か。『首輪』というのは私の首を一周する大きな傷跡のことを指すのだろう。言いえて妙だと感心してしまう。
オーベールは口元こそ笑っていたが、その瞳は冷徹な武人のそれだった。
「次回は、真っ向勝負にて」
短く宣戦布告を残し、彼はダリウスと共に去っていった。その後ろ姿には、次こそはという強い執念が滲んでいた。
第一王子グラーヴェルは会場へ直接入るという。
これで、役者は全て揃った。
晩餐会が始まった。
私はエリス、ギレーヌと共に壁際で周囲を警戒する。シルフィの姿はない。彼女はこれから始まるセレモニーにおいて、重要な役割を担うために別行動をとっている。会場の空気は表向き和やかだが、水面下では既に静かな戦争が始まっていた。
アリエル王女が上座へと進み、開幕の挨拶を始めた。
国王の見舞い、留学中の思い。そして、彼女は本題を切り出した。
「さて、本日皆様にご紹介したい方が二人おります」
アリエル王女の言葉と同時に現れたのは、美しく着飾った、気品と色気を兼ね備えた女性だった。かつて森の奥の小屋で会った、すえた臭いを纏う女盗賊の面影は、もはやどこにも見当たらない。トリスの潜在的な気品を最大限に引き出したドレスと化粧はアリエルの侍従たちの手腕の賜物だろう。
彼女が会場を横切り、アリエル王女の隣に立った瞬間、ダリウスの顔から血の気が引いた。
「旅の途中、偶然にも保護いたしました。パープルホース家次女、トリスティーナ嬢です」
トリスはドレスの裾を摘み、完璧な所作で一礼した。事前に相当な稽古を積んだのだろう、その仕草には一分の隙もない。
「ご紹介に預かりました、トリスティーナ・パープルホースでございます」
会場に激震が走る。死んだはず、あるいは行方不明だったはずの令嬢の帰還。誰もが驚愕と困惑の入り混じった視線を彼女に向けていた。
トリスはダリウスの目の前まで歩み寄り、静かに、だが凛とした声で語り始めた。
ダリウスに誘拐され、性奴隷として辱めを受けた日々。殺されそうになり、盗賊に拾われ、そしてアリエル王女に救い出されたこと。
脚色を交えたその「物語」は、会場にいる貴族たちの同情を誘い、ダリウスへの不信感を煽っていく。
「これは驚きました、ダリウス様」
アリエル王女の口調が、突如として激しい糾弾へと変わる。これまでの穏やかな微笑みが嘘のように消え、鋭い王者の視線がダリウスを射抜いた。
「まさか王国の要職にある方が、貴族の子女を誘拐し、己の慰み者にしていたなどと……。何か弁明はありますか?」
ダリウスはゆっくりと立ち上がり、醜悪な笑みを浮かべた。その巨躯が椅子から離れる際、木材が軋む音が響いた。
「本日のアリエル様は、随分とお戯れが過ぎる。そのような偽物を連れてきて、パープルホース家を騙らせるとは」
彼は余裕を崩さず、逆に証明を求めてきた。長年の政治闘争で培われた面の皮の厚さは伊達ではないようだ。トリスが胸元からパープルホース家の紋章入りの指輪を取り出しても、彼は動じない。
「なるほど。ですが、本物のトリスティーナ嬢の遺体は、先日王都で見つかっております。そして彼女には家族しか知らない特徴があった……。そうですな、現当主フレイタス殿?」
会場中の視線が、パープルホース家の当主へと集まる。ダリウスの表情には勝利を確信した者特有の余裕が浮かんでいた。
ダリウスはトリスの父、フレイタスを指名した。
「その女の胸元に三日月の痣がなければ、それは偽物だ。今ここで肌を晒して証明していただこうか」
卑劣な罠だ。トリスにそんな痣はない。
だが、立ち上がったフレイタス・パープルホースの口から出たのは、ダリウスの予想を裏切る言葉だった。
「……我が娘は、ダリウス様に奪われました。そこにいるのは、間違いなく私の愛娘、トリスティーナです。アリエル様、どうか不当な辱めを与えたこの男に、裁きを!」
フレイタスの声は震えていたが、そこに込められた怒りは本物だった。父としての想いが、政治的判断を凌駕した瞬間だった。
ダリウスの顔が驚愕に歪む。会場に集う貴族たちの視線が一斉に彼へと突き刺さる。
アリエル王女は既に、パープルホース家を味方に引き入れていたのだ。ダリウスが用意していた「証文」すらも、彼女の手回しによって無効化されていた。事前の根回しの緻密さはもはや戦術の域を超え、外交そのものと呼べる完成度だった。
「罪は罪。逃れうるものではありません。あなたは王国の法により、裁かれることでしょう」
アリエル王女の勝利宣言。ダリウスに味方する者はもはやこの場にはいない。
しかしその時、広間に一人の男が入ってきた。
実務的な顔をした、金髪の中年男性。第一王子グラーヴェルだ。彼の登場と共に、それまで張り詰めていた空気がまた別の緊張感を帯び始めた。表情には焦りが見えないが、その分だけ内側に何かを隠しているようにも見えた。
「随分と騒がしいパーティだな、アリエル」
グラーヴェルはダリウスの罪を「国益」という名目で握りつぶそうと試みた。
「私とアリエル、どちらが正しいか。この場の貴族たちの多数決で決めようではないか」
グラーヴェルの提案。これは実質的な「踏み絵」だ。会場に集う貴族たちの顔に明らかな動揺が走る。誰もが、自分の一票がそのまま家の存続に直結することを理解していた。
ダリウスが失墜したとはいえ、第一王子派の地盤は依然として強大。戦力比を見ればグラーヴェルが勝つことは自明のように思えた。
「そうですね、兄上。ですがその前に。もう一方、皆様にご紹介したい方がおります」
アリエル王女が指を鳴らした。
次の瞬間、轟音と共に窓の外から巨大な火柱が立ち上った。シルフィによる合図の魔術だ。
炎に照らされて夜空に浮かび上がったのは王城の真上に静止した巨大な浮遊島。会場の窓という窓に、その威容が映り込む。
「空中城塞!?」
畏怖の叫びが上がる中、エルモアが扉の前に立った。会場中の視線がその一点に集中する。
「おいでになりました」
重厚な足音が響き、扉が開かれる。
現れたのは、白いマントを纏い、圧倒的な威圧感を放つ銀髪の男。
十二精霊を引き連れた、甲龍王ペルギウス・ドーラ。その一歩ごとに、広間の空気が質量を持つかのように重くなっていく。
「本日は招待に預かり、恐悦至極。……アリエル、少し遅れてしまったか?」
「いいえ、主役は遅れて登場するものでございますわ」
ペルギウスは周囲を睥睨し、膝をつく貴族たちを無視して上座へと歩んだ。その足取りには一切の迷いがなく、まるでこの城の主であるかのような堂々とした態度だった。
そこには、空席が三つ。
ペルギウスはグラーヴェルに対し、「自分はどこに座ればいいか」と問いかけた。王の座、あるいはそれに準ずる最上位の席を、彼は無言で要求したのだ。
グラーヴェルは場の空気に圧され、震える声で「最上位の席へ」と答えるしかなかった。
だが、ペルギウスはアリエルの背を押し、こう告げた。
「いいや。我は長くこの国を離れすぎた。……アリエルよ、次代の王の席には貴様が座れ。我はその隣で構わぬ」
この瞬間、晩餐会に集まった全貴族が悟った。
アスラ王国の次代の王は、アリエル・アネモイ・アスラに決まったのだと。伝説の龍王その人が彼女を次代の王として承認した。この事実の前では、もはやいかなる政治的駆け引きも無意味だった。
「……ペルギウス様!」
シルヴァリルが叫んだ。
直後、凄まじい衝撃と共に天井が崩落した。石材の破片が雨のように降り注ぎ、貴族たちの悲鳴が広間に木霊する。
シャンデリアを叩き割り、瓦礫を蹴散らして『場』に降り立ったのは、一人の老婆だった。
深い皺を刻んだ肌に、黄金色の剣。
「やれやれ、夢のお告げはこういうことかい……」
しわがれた声には、長年の修羅場をくぐり抜けた者だけが持つ、独特の落ち着きがあった。
周囲を睥睨し、彼女は冷たく言い放った。
「ほれ、助けに来てやったよ、ダリウス」
その言葉で、水神レイダとダリウスが結託していたことが、疑いようのない事実として証明された。会場の空気が再び凍りついた。
水神レイダ・リィア。
剣の聖地以来、久方ぶりに見るその姿。さて、私は彼女に勝てるだろうか。
目の前に立つ老婆、レイダ・リィアが今なお「水神」として君臨し続けている理由は、事前にオルステッドから提供された情報に記されていた。老いてなお衰えぬその佇まいからは、歴戦の武人だけが持つ独特の圧力が滲み出ている。
彼女は習得困難とされる二つの奥義を併用し、それらを組み合わせることで六つ目とも呼べる究極の迎撃を完成させている。
『
彼女が構えを取った瞬間、この広間は彼女の絶対的な支配領域へと変貌した。前後左右、上下。全方位に対し、一歩でも「攻撃的なベクトル」を持って動いた瞬間に反応し、全てを切り捨てるカウンター・システム。まるで空間そのものが彼女の手足と化したかのような、絶望的な支配力だ。
「誰も動くんじゃないよ。……こうなりたくなかったらね」
レイダの登場に真っ先に反応したのはペルギウスの配下、光輝のアルマンフィだった。しかし次の瞬間、光速の移動を誇る彼ですら真っ二つにされ、光の粒子となって霧散した。あの「光速」の異名を持つ彼が、反応すらできなかった。
続いて動こうとした波動のトロフィモスも、術を構築する暇もなく両断された。ペルギウス配下という、この世界でも屈指の戦力がなす術もなく切り伏せられていく。二体の実力者が瞬時に無力化されたことで、広間全体に絶望的な沈黙が広がった。
(……さて。この技を、どう攻略するか?)
私は冷や汗を流しながら、思考を加速させる。あらゆる攻撃的な動作が即座に察知され、切り捨てられる。この条件下で私に打てる手はいくつあるだろうか。
エリスもギレーヌも、この部屋にいる全ての熟練剣士たちが、レイダの間合いに呑み込まれ、身動きを封じられている。
「……動く奴はいないようだね。それじゃ、オーベール」
呼ばれたオーベールもまた、恐怖によって生体反応を硬直させていた。彼ほどの手練れでさえ、この老婆の前では蛇に睨まれた蛙も同然のようだった。
「な、何でしょうか……」
「アリエルとペルギウス、それから『雷鳴』だね。さっさとそいつらの首を刎ねちまいな」
レイダの指示にオーベールは躊躇を見せた。以前、私が焼き払った足のダメージが完全には癒えていないのか、彼の重心には僅かなブレがある。
「あんたは何のために雇われたんだい?不手際の尻拭いをしてやってんだ。今更尻込みするんじゃないよ、覚悟を決めな」
「……。……承知いたしました」
オーベールの声には、それまでの余裕が消え、諦観にも似た響きがあった。彼にとってもレイダの存在は、逆らい難い絶対者なのだろう。
レイダに促され、オーベールが剣を抜いた。不自由な右足を庇いつつ、死神のような足取りでアリエルの元へと歩み寄る。
その時、城の警備兵たちが広間に突入してきた。
「剣を捨てろ!」
「動くんじゃないよ!」
レイダの一喝が兵たちを制圧する。だが、その中から一人、重圧を撥ね退けて前に出る者がいた。水王イゾルテ・クルーエルだ。彼女の顔には、信じられないという表情と、それでも師に立ち向かおうとする決意が同居していた。
「お師匠様……なぜ、このような場所で奥義を……!」
レイダは自嘲気味に、イゾルテを「英雄」に仕立て上げるための狂った筋書きを語り始めた。本日この場にて行われるのは、あくまで水神レイダと北帝オーベールの凶行。莫大な金に目がくらみ、王国の要人を暗殺しようとする。アリエルと、他何名かを惨殺した所で、たまたま居合わせた見習い騎士のイゾルデに斬られる。そして、イゾルテ・クルーエルは英雄となり、水神流は存続する……。老いた師が、自らの死すら利用して練り上げた筋書き。その歪さに、私は薄ら寒いものを感じた。
ペルギウスの前で、最悪の茶番が演じられようとしている。
「……はやくやりな、オーベール」
オーベールがアリエル王女へと向き直る。エリスが隙を見て動こうとするが、私は僅かに目線を向けてそれを制止した。
……隙は、私が作る。
私は左腕の魔神鎧に魔力を充填した。
その瞬間、私の左腕が肘から先で切断された。自ら選んだ犠牲だ。痛みはあるが、竜化した肉体にとってこの程度の損傷は許容範囲内だ。
――『剥奪剣界』は無敵ではない。
アルマンフィたちが斬られた光景が答えを出していた。この術式は「攻撃に関与しない微細な動き」や「無機物の慣性移動」を検知しきれていない。そして、複数の標的に対しては、並列処理でなく逐次処理を行っている。魔術ではなく、あくまで肉体を使用した『剣術』だ。処理能力に限界がある以上、突破口は必ず存在する。
私の切断された左腕は、空中で十匹の蜘蛛へ変化して離散した。
そのうちの五匹がレイダの反応によって瞬時に斬られる。――だが、それこそが狙いだ。
斬られた蜘蛛から極大の光が放たれる。閃光弾だ。想定通りの反応速度、想定通りの迎撃パターン。彼女の技量の高さそのものが、今回に限っては仇となる。
「なっ!?」
レイダの視覚がホワイトアウトする。残りの五匹が彼女の足元にしがみつき、爆発と電撃を放出した。
致命的な隙が生まれる。
それを逃さず、エリスとギレーヌが同時に光の太刀を放つ。
レイダは剥奪剣界を解除し、防御へとリソースを割いた。あの二人を持ってしても傷一つ負わせられない――水神流の防御性能は、やはり異常だ。長年の修練で培われた技術は、たとえ視覚を奪われても本能的に肉体を守り抜くらしい。
だが、彼女の意識が地上に固定されれば、それで十分だった。
私は既に、城の上空の座標へと転移していた。魔神鎧の機能を使えば、コンマ数秒のラグもなく近距離転移が可能だ。この外套そのものが始点座標として機能する。失われた左腕は、竜の再生力と魔神鎧の修復機能によって即座に再構成されている。
杖を下方に固定。竜の眼と
「『
不可避の速度、防御不能の破壊力。
かつて龍神さえも予見して回避を選択した一撃。上空からの一撃では予見すらできないだろう。地上における剣の間合いでは無敵を誇る彼女も、垂直に降り注ぐ光の柱までは想定していなかったはずだ。
極太の光の柱が王城を貫いた。轟音と共に、天井付近の空気が瞬時に沸騰し、光の奔流が広間を白く染め上げる。
防御の構えを取る余裕すら与えず、水神レイダの半身はその黄金の剣と共にこの世界から「消去」された。
「お、おばあちゃん!!!」
イゾルデの悲鳴が響き、広間を支配していた死の重圧が消失する。
「エリス様、ギレーヌ様!」
アリエル王女の鋭い叫び。
「ダリウスとオーベールを追ってください!逃してはなりません!」
その言葉に、エリス、ギレーヌ、そして転移で合流した私の三人は廊下へと弾け飛んだ。決着の余韻に浸る間もなく、次の標的へと意識を切り替える。
「こっちだ!」
ギレーヌの嗅覚が、逃走する二人の臭気を捉える。
オーベールは巨体のダリウスを担ぎ、必死に後退していた。負傷した足では、追撃から逃げ切ることは不可能だ。
「……見えたわ!」
突き当たりの個室へ追い詰める。逃げ場を失ったダリウスの巨体が、壁際でぶるぶると震えていた。
「儂は……神の言う通りにしただけだ!なぜだ!」
喚くダリウスの前で、オーベールは悟ったように剣を構えた。もはや逃走の余地はないと悟ったのだろう、その所作には奇妙な諦観が漂っていた。
「『北帝』オーベール・コルベット」
エリスとギレーヌが殺気を爆発させる。ダリウスは過去の恩を説き、必死に命乞いを始めた。
「あんたが、サウロスお祖父様に酷いことをしたのね」
エリスの冷徹な一言が、交渉の余地を断ち切った。
「ならば、斬る」
ギレーヌの宣言と共に、最終ラウンドが始まった。
……いや、始まった瞬間に終わった。敵は北帝、当然ながら強敵だ。
しかし、アリエル王女という「守るべき対象」がいないこの閉鎖空間では、魔術の過度の出力制限は不要だろう。更にこちらには剣神流のエリスとギレーヌがいる。この二人の戦力がこちらにある以上、私は最低限の力だけで勝利を手にすることができる。
「『
高電圧のパルスが室内を満たす。オーベールを即死させるには至らないが、神経系を一瞬硬直させるには十分な出力だ。防御も回避も不可能な雷の網。私の仕事はオーベールを一瞬でも硬直させること、それだけで良いのだ。閉鎖空間での戦闘は、私にとって最も出力を出しやすい環境だった。周りに守護対象がいなければだが。
硬直したオーベールは、エリスの『光の太刀』が叩き込まれた。一瞬の剣戟と共に、彼の首が宙を舞う。
「……ッ」
北帝オーベール、死亡。名うての刺客としての誇りも、最後は呆気ないものだった。だが、これまでの戦いで見せた彼の泥臭さを私は忘れないだろう。
続いて、ダリウスの両足がギレーヌの剣によって断たれた。
「あがぁぁぁ!?」
醜い悲鳴を上げるダリウス。両足を失った巨体が床にみっともなく転がる。その首を、ギレーヌは慈悲もなく一息に断ち切った。断末魔すら許さない、正確な一撃だった。
私たちは確かな達成感を胸に、晩餐会の会場へと足早に戻った。
会場の様子は蜘蛛を通して把握している。
注視しておかねばならない。
『あの使徒』を殺す判断を、間違えないために。
Side: ルーク
俺は、会場の隅で、その一部始終を見ていた。
水神レイダが現れた瞬間、この場にいる誰もが死を覚悟した。あの伝説の英雄であるペルギウス様の配下二人が瞬時に切り伏せられる光景を目の当たりにして、半端な戦力の俺に何ができるわけもない。ただ、震えながら立ち尽くすことしかできなかった。
だが、本当に俺の心を凍りつかせたのは、水神レイダではなかった。
ルーデウスが左腕を切られた。いや、『切らせた』という方が正しいだろう。
躊躇なく、まるで爪の先を切るような気軽さで。
その断面が空中で十匹の蜘蛛へと変わり、離散していく様を見た時、俺の背筋には得体の知れない怖気が走った。
閃光。爆発。そして、レイダの意識が僅かに逸れた隙に、ルーデウスの姿が消える。次の瞬間には、天井を突き破るようにして、奴の攻撃が起こった。
「『
次の瞬間、極太の光の柱が王城を貫いた。視認できない速度。瞬きよりも早い速度で、光の柱が『出現』した。
水神レイダの半身が、黄金の剣ごと、この世界から消し飛ばされる。
遅れて、鼓膜が破れるほどの轟音が会場に響く。そこでようやく、何が起こったのか分かった。
――ああ、これは。
俺の中で何かが警鐘を鳴らした。理屈ではない。もっと根源的な、生き物としての恐怖だ。
思い出す。かつて、龍神オルステッドが魔法大学に現れたあの日のことを。
奴がただそこに立っているだけで、俺は息ができなくなった。自分が自分でなくなってしまうような、存在そのものを塗り潰されるような恐怖。腰が砕け、身体が震え、逃げ出したいのに足が一歩も動かなかった。あれは、剣を交えるとか、魔術を撃ち合うとか、そういう次元の恐怖ではなかった。
ルーデウスはあの化け物と手を組んでいる。あの化け物の配下となり、その力を借りて、水神をも一撃で消し飛ばす理外の魔術を振るっている。
エメラルドグリーンの鱗に覆われた両腕。竜のような双眸。そして――白い髪。オルステッドと同じ、あの銀にも似た白い髪。首を一周する、まるで首輪のような大きな傷跡。
オルステッドの姿を思い出すだけで、あの日と同じ恐怖が這い上がってくる。
……
神聖な気配と、神々しさを以って現れ、俺を慮り、懇切丁寧に道を指し示してくれた。オルステッドを信じるな、と。あれは邪悪な存在であり、ルーデウスはそれにそそのかされているのだ、と。
だが、アリエル様は仰っていた。
――もう、どちらが正しいのか、分からなくなっていた。
ルーデウスが戻ってくるまでに何とかしなければならない。だが、あいつを止められる者など、この世にいるはずがない。
何も分からないが、あいつの姿を、そして同時に想起されるオルステッドの姿を思い出す度に、止めなければいけないという義務感を覚えてしまう。
先日、あいつに手合わせで容赦なく打ちのめされたことを思い出す。俺があいつに敵うはずがない。
あいつは容赦しない。目的のためなら手段を選ばない。アリエル様に近い位置にいる俺のことすら、躊躇なく殺すだろう。
迷っているうちに、父上がアリエル様の前に進み出た。
「アリエル様!おめでとうございます!このピレモン、貴女様の帰還をどれほど待ちわびていたことか!」
あまりに露骨な掌返し。周囲の貴族から蔑みの視線が注がれる。俺の父は、いつもそうだ。不器用で、選択も方法も間違える。それでも、昔は父なりにアリエル様のために足掻いてきたはずだった。
「ピレモン・ノトス・グレイラット。……家の存続のために寝返ったことは、王族として理解しましょう。ですが!敗者となった後に、矜持もなく元の鞘に収まろうなど……恥を知りなさい!」
アリエル様の一喝。父の顔がみるみる土気色に変わっていく。
「ルーク!剣を。私が直々に引導を渡します」
「待ってください……!アリエル様、父を……父を許してはいただけないでしょうか!」
俺は、気づけばそう叫んでいた。
アリエル様は、一瞥もくれずに拒絶した。
「裏切りを許せば、私の王道が汚れます」
――もう、何が正しいのか分からない。
頭の中で、
気づいた時には、俺はアリエル様を後ろから抱きしめ、その首筋に剣の腹を押し当てていた。刃ではない。彼女の肌に傷をつけるつもりは、俺にはなかった。
「……ルーク!何やってんだよ!」
シルフィが即座に反応した。
殺意すら滲む厳しい顔で、見習い魔術師の杖をこちらに向けてくる。ルーデウスには絶対に見せない顔だ。
「シルフィ、お前は、本当にあの男を信用してるのか?」
「あの男?なんだよ突然!」
「オルステッドのことだ!いいから答えろ!」
「……信用なんてしてないよ」
「なら、なんでルーデウスの言うことに従う?あいつは、あんな化け物の配下となった男だぞ!」
「ルディを信じてるからだよ!」
意味が分からない。俺の目から見れば、シルフィはいつだって、出会ったころからルーデウスの言いなりだった。妻は夫の言うことを黙って聞け、そうすれば愛される――俺自身もそう考えている。少なくとも、俺の母はそうしなかったから、父に愛されず家を出て行ったのだから。
「お前は考えて動いているのか?ルーデウスだって、間違えるんだぞ?」
シルフィは激高した。
「考えてるよ!でもルディはボクらの事を考えて動いてるんだよ!ボクらのために、あちこち飛び回って、死に物狂いの努力をして強くなって、頑張ってくれてるんだよ!」
その時、入り口から戻ってくるルーデウスの姿が見えた。
姿を見るだけで、足が震える。
「アリエル様を助けてほしくば、ルーデウスを殺せ」
俺は自分でも何を言っているのか分からないまま、そう口走っていた。シルフィは振り返らない。
「どちらかを選べと言われたら、どうするつもりだ?」
我ながら、意地の悪い、そして勝ち目が無い質問だと思った。答えはもうわかっている。
「ルディを選ぶよ」
ほぼ即答だった。当然だ。アリエル様とシルフィはとても仲が良いが、付き合いが長いわけじゃない。幼馴染であり、自分の婚約者を選ぶのは自明の理だった。
だが、俺はシルフィを頼るしかなかったんだ。あの入学の時の対戦を思い出す。シルフィは手加減されていたと自虐していたが、本当は勝負になるのではないか?少なくとも、シルフィは俺よりずっと強い。入学してからも、ずっと修行を続けてもっと強くなっている。ルーデウスが騙されていると知れば、あいつと戦って、あいつの目を覚まさせてくれないかと思ってしまったんだ。
「ルディを信じた結果がどうなるかは分からない。でも、その時でも、ボクはルディを支えるつもりだよ。それが添い遂げるって事だろ?」
その言葉は、弓矢のように俺の胸を貫いた。
ああ、そういうことか。俺も、アリエル様にとって、そういう存在でありたかったのではなかったか。騎士として、間違っていても添い遂げたかったのではなかったのか。
――どちらを信じるかなど、言うまでもなかった。
小さくため息が出た。
俺は、本当に、何をやっているのだろうか。例え間違っていて、アリエル様が窮地に陥っても助ける。俺も、アリエル様にとっての、そんな存在でいたかったのではなかったか。
騎士として、添い遂げたかったのではなかったのか。
オルステッドが邪神だからなんだというのだ。
オルステッドと
だが、ヒトガミとアリエル様なら、どちらを信じるというのだ。
言うまでもない。
俺はアリエル様の選択を見守り、その言葉に従い、ダメだった時に己の身を挺して彼女を守ればいいのだ。それだけで、よかったのだ。
ああ、自分の言葉が全て、自分に帰ってくるようだ。
俺は、剣を下ろした。カラン、と乾いた音が響き、張り詰めた空気が僅かに緩んだ。
Side: ルーデウス
会場に戻った私の目に映ったのは、立ちすくむアリエルと、跪くピレモン。アリエルの傍らで力なくへたり込むルーク。そして、まだ杖を構えたままのシルフィの姿だった。
何が起きていたかは既に把握している。ルークの近くに仕込んでおいた子蜘蛛を通して、一部始終を監視していたのだ。……剣の腹ではなく、刃を向けていたら、私は迷わず蜘蛛に命じて彼を殺していただろう。幸い、その必要はなかったようだ。
視線を巡らせる。ペルギウスは玉座で頬杖をつき、実に愉快そうにこの茶番を眺めていた。介入する意思はまるでないらしい。
続いて、アリエルを見る。毅然とした表情の奥に、僅かながら、長年の友を失いたくないという迷いが滲んでいるのが、竜の眼には見えた。
……手を貸してやるか。
「アリエル様。先ほどダリウスが死に際に口走っていました。サウロス様を陥れたのは自分だと」
「そうですか。……ならば、全ての罪は、死んだダリウスに背負ってもらいましょう」
私はアリエル王女に嘘をつく。ダリウスは何も言える暇もないまま死んだのだから。死人に口なし、とはよく言ったものだ。この程度の脚色は、結果として全員が救われるならば罪悪感を抱くほどのことでもない。
アリエルはその嘘に乗り、ルークを許した。
……まぁ、ルークがノトス家当主になっても別の意味で面倒だ。私がエリスと結婚してボレアス家に加わるのならば、ノトスは弱いほうが私やフィリップにとって都合が良い。
アリエル王女の裁定により、ピレモンは命を繋ぎ、ルークは騎士としての居場所を取り戻した。ノトス家をめぐる一連の騒動はこうして静かに幕を閉じた。
再びペルギウスへと目をやる。彼は、どこかつまらなさそうな顔をしていた。甘い処断を下したアリエルに呆れているのだろうか。
私は視線に、もう少しだけ見守っていてほしいという願いを込めた。伝わったかは分からない。だが、ペルギウスはやれやれといった様子で、小さく息を吐いていた。
会場を見渡せば、第一王子グラーヴェルは後ろ盾を失い、完全に戦意を喪失して椅子に深く沈んでいる。イゾルテは師の遺体に縋って泣き、貴族たちは既に「アリエル女王」の誕生を祝う準備を始めていた。数時間前までの緊張と敵意が嘘のように、会場の空気は新たな時代への期待に満ちつつあった。
もう、敵はいない。
アスラ王国、王位継承戦。私たちは、ついに勝利を収めた。
深夜、私は割り当てられた客室の窓辺に立ち、静まり返った王都の夜景を眺めていた。あちこちの邸宅に灯る明かりが、今夜の激動を知ってか知らずか、いつもと変わらぬ光を放っている。エリスとギレーヌは王都にあるボレアス家の邸宅に行ったようだ。
扉が軽くノックされ、シルフィが顔を覗かせた。
「……起きてたんだ」
「ああ。頭を整理していた」
彼女は隣に腰掛け、私の肩にそっと寄りかかった。
「今日はありがとう。ボクの言葉を聞いてくれて」
「君の判断は、私にとって何よりの後ろ盾だった。……ルークとの一件も、収まるべきところに収まったようだしね」
「うん。ルークも、これでようやく本当の意味でアリエル様の騎士になれたと思う」
窓の外を、一羽の夜鳥が横切っていく。竜の眼がその軌跡を無意識のうちに追っていた。
「これでアスラ王国の件は一段落だ。だが、
「うん。……でも、今夜くらいはゆっくり休もうよ」
シルフィの提案に、私は素直に頷いた。竜化した身体に疲労という概念は薄いが、心の方はそれなりに消耗している。明日からのことは、明日の私に任せればいい。今この瞬間だけは、隣にいる彼女の温もりを感じていたかった。
窓の外の王都は、これから訪れるであろう新しい時代を知らぬまま、静かに眠りについていた。
これにてアスラ王国編は一段落です!
次話はエリスとの結婚式です。
2026.7.31 18:00
皆様の感想を受けて、後半のストーリーを大きく変更しました。
シルフィとルークの会話だったり、ルークの心情については、原作と大きく被ってしまいました。申し訳ありません。
各節を一時的に非公開する機能は無いのですね……。