無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
アスラ王国の王都アルス近辺に現れたはぐれ赤竜の討伐を無事完了し、シャリーアの自宅へ戻る。普段は平和な場所なのに、稀にこういったことが起こるのだ。いや、平和だからこそ外敵が侵入しやすいのかもしれない。竜の血の匂いがまだ外套の裾に残っている気がして、玄関をくぐる前に一度、簡易的な洗浄魔術をかけ直した。
現在のグレイラット邸は、隣接する二軒を正当な価格で買い取り、土魔術によって構造的に統合した巨大な複合建築物となっている。門を潜れば、パウロが指導する道場から発生する音が響き、庭からはゼニスとアイシャが丹精込めて管理する植物の匂いが伝わってくる。
ドアノッカーを叩く前に庭に寄ることにした。ゼニスとアイシャがせっせと草むしりをしている。
「母さん、アイシャ、ただいま」
「おかえり、ルディ」
「お兄ちゃんおかえり!」
アイシャは飛びついてこようとしたが、手が汚れていることに気づいたのだろう。抱き着く直前で急ブレーキを踏む。私は苦笑し、外套が汚れることを気にせずにアイシャを抱きしめた。後でまた洗えば良いだけだ。アイシャが「むぎゅ」という可愛い声を出す。
ゼニスが笑いながら近づいてくる。
「相変わらず、アイシャはルディが大好きね」
「はいっ!ゼニス様!」
「……『お母さん』と呼んでいたと思うんだが……」
どうやら、リーリャの言いつけで『ゼニス様』呼びになったらしい。ゼニスが苦笑して教えてくれた。
「私は今まで通りで、良いと言ったんだけどね」
「私もそう思います」
まぁ呼び名など、些細なことなのだろう。アイシャもそこまで気にしていないようだ。
「お兄ちゃん、今日はもうお休みなの?」
「ああ。戦闘データを更新できたから、後で『魔神鎧』の改造はやろうと思っているが」
「だったら、見せたいものがあるから、後であたしの部屋にきて」
「わかった」
アイシャの頬に泥が付いていることに気づく。私はアイシャの肌を傷つけないように細心の注意を払いながら、泥を拭って頷いた。アイシャは泥を拭われて、ニヘラと微笑んだ。
アイシャの部屋へ向かう。ノックをしたが返事が無い。まだ家事をしているようだ。
「アイシャ!どこにいるんだ?」
「ごめん、もう少し待ってて!先に部屋に入っていいよ!」
家のどこかからアイシャの返事がした。
部屋の中に入る。流石、片付けられていて綺麗な部屋だ。私も見習わねばならないな。可愛らしい小物と鉢植えが飾り付けられている。ぬいぐるみが多いな。この世界だと珍しい。自分で作ったのだろうか?
椅子に座ってアイシャを待つ。手持無沙汰で、ついきょろきょろしてしまう。
……鉢植えの一つから魔力反応があるな。近づいて観察してみる。鉢植えの一つ、植物がうねうねと動き、コトコトと音を立てていた。
トゥレントか。魔物の一種で、様々な種類がいる。だが、ここまで小型な、それこそ鉢植えに入るサイズのものを見るのは初めてだ。ついつい、じっくりと観察してしまう。
「お兄ちゃん、気づいちゃった?」
いつの間にか後ろにいたアイシャが声をかけてくる。
「アイシャ、こいつは?」
「えーっとね、なんか、突然動き出しました」
アイシャは悪びれる様子も無く、そう答えた。
「元々は動かなかったのか?トゥレントの種が混ざっていたのだろうか?」
「えっ、違うよ。確かアスラ王国でもらった、バティルスの種だよ。元々は普通の植物だったけど、鉢植えを入れ替えたら動くようになったの」
バティルス……紫の花が咲く、あれか。
確かに、『動く』以外の外見的特徴はバティルスのものと一致する。
初めからトゥレントではなく、トゥレントに変異した……ますます興味深い。
魔物という存在がどこから発生しているのか、他の動物との違いは何か、その起源を明らかにすることができるかもしれない。
鉢植えに原因があるのか?だが、
「他に変わったことはしていないか?」
「うん。他と一緒だよ。土はお兄ちゃんに作ってもらったのを使ってる。やっぱり、ここらの土より、お兄ちゃんが作ったのの方が栄養が多いみたい」
なら、土の方は問題ないだろう。ただの土魔術で普通に生み出した土だ。
「あ、でも、たまにお風呂の残り湯を与えたりしてたかな」
……それが原因か?いや、再現性が取れない限り、判断するのは尚早だろう。お風呂の残り湯の成分を解析するか?……いや、家族とはいえ残り湯を解析されるのは不快だろう。考え込んでいると、アイシャが顔を覗き込んでくる。
「……何か面白いことあった?」
「ああ、非常に興味深い。植物の実験はやったことがあるが、大森林の牢にいた期間だけだったからな。……植物自体に籠った魔力が他とは段違いだ。恐らく、根から魔力を吸ったのだろう。……高魔力量の者が入ったお風呂の残り湯には魔力が残っている?動植物が魔に転じるメカニズムを説明している書籍は見たことが無い。だが、理屈は通っている。アスラ王国と魔大陸の魔物の強さの違いも……」
「……とっても面白い研究材料になったみたいだね」
アイシャは嬉しそうに笑っている。
だが、考察の前に考えなければならないことがある。
「危険はないのか?」
「うん、全然!小っちゃくて可愛いよ」
うねうねと動く植物を見る。
今は良いだろうが、大きくなったら分からない。アイシャはこいつをペットのように見ているようだが、そもそも魔物という存在は躾けられるものなのだろうか……。
私の瞳に剣呑な光が宿ったことに気づいたのだろう。アイシャがトゥレントを庇うように間に入ってくる。
「人を襲わないようにちゃんと躾けるから!ねえ、お兄ちゃん。飼ってもいいでしょ?」
「家に置いておくのも、危険かもしれないだろう?どうせなら私のラボに……」
「駄目だよ!お兄ちゃん、どんな実験をするつもりなの!?もしかして、解剖とか……」
図星をさされて、目を背けてしまう。アイシャの警戒心のレベルが上がった。だが、仕方ないだろう。どこまでバティルスとしての内部構造を持っているか確認したい。
アイシャと目を合わせる。決意は硬そうだ。
……思えばアイシャは、普段は我儘も言わずに家の管理をしてくれている。研究者としては解剖したいが、兄としては妹の我儘を聞いてあげたい。
「……分かった。でも最低限のセーフティはかけるぞ?」
「ほんとっ!?ありがとうお兄ちゃん!!」
飛びついてくるアイシャを抱きとめながら、『セーフティ』の準備をする。こういうところが、ノルンから「兄さんはアイシャに甘すぎます!」と言われる原因なのだろうか。だが仕方ないだろう。可愛い妹なのだ。ノルンについても、隙あれば甘やかしたいと思っている。
土魔術で作った石板に魔法陣を彫り込む。塗料になる素材は持っていたか?ポケットを探ると赤竜の爪が一本入っていた。実験に使おうと思って採集していたんだった。その爪を水魔術で砕き、塗料にして流し込む。魔力源は……床暖房から引いてくるか。アイシャの部屋の床から線を通し、魔法陣へ接続する。淡く光を発し始めた魔法陣の板の上に、このトゥレントの鉢植えを置いた。
「お兄ちゃん、この魔法陣は?」
抱き着いた状態のままアイシャが聞いてくる。
「条件付きの結界魔術だ。このトゥレントが外部へ出ようとするとそれを防ぐ。あとは血と反応する機能だな。出血を感知すると燃え上がるようにしてあるから気を付けなさい」
「はぁい!」
満面の笑みで返事をするアイシャ。
興味深い研究対象に後ろ髪を引かれながら、アイシャの部屋を後にした。
次に龍神オルステッドから命じられた、王竜王国近辺での人助け任務。一ヶ月に及ぶ出張を終え、私は転移魔法陣を介して魔法都市シャリーアの自宅へと帰還した。
だが、居間に足を踏み入れた瞬間、私の竜の眼が通常とは異なるイレギュラーな熱源反応を中央のソファに捉えた。
「ルーデウス、おかえりなさい!見て、いいものを拾ってきたわよ!」
第一夫人となったエリスが、獲物を自慢する捕食者のような、あるいは純粋な子供のような笑顔で私を迎えた。彼女の鍛え抜かれた膝の上に乗せられていたのは、一匹の猫と呼ぶにはあまりに大きい個体だった。
「……リニアーナ・デドルディア。なぜ、君がここに?」
銀色の髪、特徴的な獣の耳。ラノア魔法大学時代の級友であり、大森林の支配階層であるドルディア族長直系の高貴な血脈。彼女は卒業の折にプルセナとの決闘、敗北し、「商人として大儲けする」と豪語して旅立っていったはず。その彼女が、なぜエリスの愛玩動物のような扱いを受けているのか。
「……あ、あちしはエリス様のものですニャ。……逆らったら……切られるニャ……」
エリスに耳を執拗に揉まれ、リニアは小刻みに震動していた。
かつて私が彼女の脳に刻み込んだ恐怖に加え、剣王エリスという圧倒的な戦闘力の差。それらを本能で察した結果、彼女は「序列の最下位」として自らを定義したようだ。
事情を詳細にヒアリングした結果、事態は極めて残念なプロセスの末に導き出されたものだと判明した。
彼女は商売の立ち上げに失敗し、悪質な詐欺に引っかかって多額の負債を抱え、挙げ句の果てに奴隷市場へと流されていたという。
そこを偶然通りかかったエリスが、逃げ回る彼女を『商品』として回収しようとしていた奴隷商人の護衛たちを、一刀両断――物理的な切断ではなく、峰打ちによって救出したのだ。
「……エリス。まずは君に説教が必要だ。この世界において、債務不履行による奴隷化は法的に保護された商取引の一環だ。君が実力で行使した救出は、商人から見れば不当な横やりに当たる。相手を倒せば済む話ではないんだよ」
「そんなの知らないわよ!あたしが助けたんだから、あたしの所有物よ!」
ボレアス家特有の『獣族への異常な執着』というバイアスが再発している。
エリスを論理で説得するのは、現時点では不可能であると判断し、私は頭を即座に事後処理に切り替えた。
案の定、翌日には奴隷商人の上役が私の元へ正式な抗議に訪れた。
「……リニアの買い取りを希望していたのは、アスラ王国のノトス・グレイラット家だと?」
商人が提示した予定売却額を聞き、私の思考回路は一時的な過負荷を起こした。
ノトス家。私の実家筋であり、現在は御家断絶の瀬戸際にあるはずの連中だ。
そのような財政的な危機にありながら、民から搾り取った税を「高級な獣族奴隷のコレクション」という、資産価値の極めて低い消費に充てようとしていた事実に、私は底知れない軽蔑を覚えた。
もしかして、ギレーヌを抱えるボレアス家に対抗しようとしていたのか?確かに血筋は似通っているかもしれないが、ギレーヌとリニアでは戦力に違いが有りすぎるだろう。
私は商人に対し、ノトス家の提示額に「迷惑料」と「情報の秘匿料」を上乗せし、即座に全額を決済した。
『雷神』としての私の社会的権威と、オルステッドから供給された潤沢なリソースを前にして、商人は「……ありがとうございます」と恐怖に震えながら頭を下げた。
これでリニアの身分は、法的にもグレイラット家の管理下となった。
大金を投じて確保したリニアだったが、その後の「運用試験(メイド業務)」の結果は目を覆いたくなるような失態の連続だった。
家事リソースの不足を補うべく、リーリャとアイシャの下に配属したのだが、彼女には基礎的な家事ですら遂行できる能力がなかったのだ。
床を磨けばワックスの調合を間違えて滑り台のように変え、皿を洗えば握力制御のミスにより陶器を粉砕する。ここまで不器用だと、赤子の世話など任せられるはずもない。
教育担当にエリスを指名したのが最大の計算ミスだった。
「気合で磨くのよ!」という非論理的な根性論しか吐かないエリスに、リニアは「はいニャ、気合ですニャ!」と空返事を返すだけで、マナーの習得率は恒常的にゼロパーセントを推移していた。
「……何が悪いの?元気に動いてるんだからいいじゃない」
リニアの無残な働きぶりを見てそう宣うエリスに、私は絶句した。
彼女の中の「貴族マナー」というライブラリは、剣の聖地での過酷な修行期間にすべてパージされてしまったらしい。その上リニアは失敗しても謝らない。何とか言い逃れようと醜態を晒す。何度も庭に埋めることを考えてしまった。
しわ寄せはすべて、管理能力の高いアイシャへと集中した。ある日の午後、裏庭の隅で蹲り、地面に何かを埋めようとしているアイシャを私は発見した。
「……アイシャ。何をしているんだ?」
近づくと、彼女の掌には、色鮮やかな、けれど無残に砕け散った陶器の破片があった。
「……これ、お兄ちゃんが私の誕生日にプレゼントしてくれたお気に入りのティーカップ。リニアに壊されちゃったの」
アイシャの声は震え、瞳には悲しみが溜まっていた。
「ドワーフの修理店にも持っていったけど、『この複雑な紋様は再現できない』って断られちゃった。……もう、どこにも売ってないのに」
アイシャの精神的負荷が限界値に達しているのを、私は明確に認識した。
リニアという不具合の多い存在をこのまま自宅に留めておくことは、家族の精神安定を損なう致命的なリスクになる。
「……アイシャ。リニアは、後で私が『教育』を施したあと、この家からは追放する。彼女をノトス家に売却し、損失を補填する選択肢もあるが……どう思う?」
アイシャは一瞬、残酷な喜びを瞳に宿したが、すぐに寂しげに首を振った。
「お兄ちゃんがそう決めるなら、私は従うよ。でも、お金の問題じゃないんだ。これが壊れたのが、ただ悲しいだけだから」
アイシャの背中を見送り、私は土の中に残された壊れた破片をすべて丁寧に回収した。
――どれほど時間がかかろうと、私の手でこれを修復してみせる。それは兄としての、そして造形師としてのプライドの問題だった。
ティーカップの修復作業は、想像を絶する精密な操作が要求された。単に繋ぎ合わせるのではない。元の意匠を記憶の片隅から思い出しながら、一片の違和感も無いように再構成する。一から彫像を作る作業とは根本的に異なるのだ。
土魔術によって分子レベルで成分を結合し、欠落した色素データを魔力で再構成する。この意匠に込められた意思を読み取り、記憶に無い部分を何度も逆算してデザインした。
一晩の睡眠時間をすべて演算と出力に費やし、私はようやく「元通り状態」へとカップを復活させた。
――さて、リニアの処遇だ。
彼女を自宅から切り離し、私がシャリーア郊外に建設した「オルステッド連絡事務所」の管理人として再配置することにした。
ここならば、多少の不手際も家族の不利益にはならず、また、人手不足に悩むオルステッドにとっても、ドルディア族の王家という「看板」は、情報の収集において一定のバリューを持つはずだ。
「今日から君はここで働く。タダ飯を食わせるつもりはない。まずはシャリーア近辺の雑務――物資の輸送経路の確保と、情報の集計を担当しろ」
リニアは当初、「あちしに任せるニャ!」と威勢よく着任したが、数時間後には机に突っ伏してフリーズしていた。
「……無理だニャ。……一人でやる量じゃないニャ。……あちしの脳みそが沸騰しちゃうニャ!」
……想定内の結果だ。私は、彼女の唯一の強みである「獣族の姫としてのカリスマ」を活用させることにした。
リニアが学園時代に築き上げた「舎弟」という名のネットワーク。
私は彼女に、その中から「真面目で、忍耐強く、家事が得意な人材」を三名選定させた。彼らを事務所のメイドとして正式に雇用した。問題なければ家の方にも派遣するつもりである。
しかし、管理能力の欠如したリニアに組織を任せれば、いずれ資金の横領や業務の怠慢といった不祥事が発生するのは火を見るより明らかだった。
そこで私は、この新組織の最高執行責任者として、一人の人物に白羽の矢を立てた。
「お兄ちゃん、……私にそれをやってほしいの?私は家の仕事もあるんだけど」
アイシャを事務所に呼び出すと、彼女は露骨に嫌そうな表情を作った。
「毎日ここに詰める必要はない。アイシャ、君の能力は家事だけで完結させるにはあまりにももったいないと思っている。君には、このリニア率いる外郭組織の管理と、資金の流れの監視を担当してほしい」
「……お兄ちゃんは、私に家の仕事じゃなくて、こっちをやってほしいんだ。……なんで?」
アイシャの問いに、私は本心を開示した。
「もちろん、家の維持は最優先タスクだ。君とリーリャさんがいたからこそ、私は安心して戦場へ出られた。だが、それは君の能力の数パーセントしか使っていない。君は常人を遥かに超えて優秀だ。……その才覚を、もっと色々なところで振るってほしいと思っているんだよ。……無理はさせない。やってくれるか?」
「……。……しょうがないなぁ、お兄ちゃんは。……分かった、私に任せてよ」
アイシャの表情が、誇らしげな、それでいてどこか……「女」としての艶を帯びた笑顔に変わった。
その後、私たちは組織の安定化に向けた補強計画を練り上げた。まず、リニアや舎弟たちが調子に乗らぬよう、物理的な制裁力を配置する。
週に一度、エリスを「武術指南役」として派遣し、剣王の放つ『殺気』で彼らの精神を定期的に引き締める。エリスの指導はお世辞にも教育的ではないが、「絶対的な力」という名の脅しとしては最高水準だ。
さらに、パウロを通じてギルドから、引退間近の熟練冒険者数名を「相談役」として雇用した。
彼らに現場の治安維持とリニアの暴走防止を任せる。パウロもアイシャの安全がかかっているとなれば、人格に欠陥のない『枯れた』手練れを厳選してくれるだろう。実際に派遣されたのは、老練ながら落ち着いた雰囲気の老戦士だった。
事務や経理のサポートには、ロキシーに依頼して、大学の成績優秀な貧乏学生をインターンとして紹介してもらう。
「リニア、分かっているな?君はこの組織の『顔』だ。だが、実務と財布の紐はアイシャが握る。不穏な動きがあれば、私のこの腕が君を直々に再教育する。……分かるな?」
私が指先から微弱な
事務所にはオルステッドも出入りする。いずれ彼にも一喝してもらい、リニアの精神に「絶対的な上位管理者」の存在を刻み込んでおけば、運用はより安定するだろう。
Side: アイシャ
お兄ちゃんがアスラ王国へ出張に行ったある晩。グレイラット邸では、シルフィ姉が始めた「夜の会議」が開催されていた。
エリスさん、ロキシーさん、シルフィ姉。三人の奥方たちが集まり、家庭内の業務配分や情報の共有を行うための場だが……実態は、ただの飲み会だ。
今日、私はそこに「一人の相談者」として参加させてもらった。テーブルの上には、シルフィ姉お手製のつまみと、ロキシーさんが持ち寄った少し高級なワインが並んでいる。三人の顔がほんのり赤いのを見て、既に何杯か空けた後なのだと分かった。
「皆さん、相談したいことがあるんです。……どうやったら、お兄ちゃんに一人の女として、認識してもらえるでしょうか?」
私のあまりに直球な、そして不穏な問いかけに、室内の温度が一時的に低下した。
エリスさんは「むっ」と眉を寄せ、ロキシーさんは驚きで手に持ったお菓子を落とし、シルフィ姉は「あはは……」と困ったような、けれど優しい苦笑いを浮かべた。
「アイシャちゃん、……なんでまた急にそんなことを?」
私は、胸の奥で燻っていた熱い感情を読み上げた。
あの日。リニアに割られたカップが、……翌朝、お兄ちゃんの手で完璧に、美しく直されていたあの日。
『もう割られないように気をつけなさい。』と書かれた、少し不器用な文字のメモを見たとき。
私は、……自分を「完璧なメイド」として育てたお母さんの教えを飛び越えて、……一人の男としての「ルーデウス・グレイラット」に、抗いようもなく惹かれてしまったのだ。
「……分かるよ。ルディって、たまに無自覚にそういうことするもんね」
シルフィ姉が、諦めたようにワインを呷る。
「私の自慢の弟子ですから。技術を家族のために振るう、その優しさは……確かに毒に近い依存性があります」
ロキシーさんも、自身の体験の記憶を思い出しているのか、顔を赤くして同意する。
「他には、どんなところが好きになったの?」
シルフィ姉が身を乗り出して聞いてくる。もう完全に、恋バナを肴に酒を飲むつもりの顔だ。
「私、けっこうなんでも出来る方だと思うんです」
我ながら生意気なことを言っている自覚はある。それでも、本当のことだから仕方ない。
「確かにね。家のことやりながら、なんでも任せられる感じがあるもの」
シルフィ姉が頷きながら補足してくれる。
「魔術の呑み込みも早いですよ。……ルディほどではありませんが」
ロキシーさんも静かに付け加えた。その言葉に、シルフィ姉とエリスさんの視線が一斉に私に集まる。証拠を見せろ、ということなのだろう。私は少し得意げに、詠唱付きの中級治癒魔術を展開してみせた。先日、ロキシーさんに教わったばかりのものだ。二人の目が、驚きから納得へと変わっていくのが分かった。
「でも、家では使ってる素振り、見たことなかったよね?」
シルフィ姉が首を傾げる。
「……治癒魔術が使えるってバレたら、お兄ちゃんが私に治癒魔術をかけてくれなくなっちゃうから」
正直に打ち明けると、三人はしばし黙り込んだ。
「お兄ちゃんが、私の手を優しく握って、治癒魔術をかけてくれるあの時間が……大好きなんです」
昔、お母さんからお兄ちゃんの話を散々聞かされていた。あまりに褒めそやすものだから、正直なところ、そんなに完璧な人間がこの世にいるはずがない、と半分は聞き流していた。
でも、実際に会って、その考えは根底からひっくり返された。想像通りどころか、想像を遥かに超える人だった。ゼニス様を探すための技術を、一から作り上げていく様子を見た時は、こんなことを本気で考えられる人が本当にいるんだ、と純粋に驚いた。優秀だと自負していた自分を、お兄ちゃんは軽々と超えていく。それなのに、決して驕らない。磨き上げた技術を、いつも家族のために惜しみなく使ってくれる。
その優しさに、私の中の何かが崩れ去るような衝撃を受けた。同時に、心を完全に奪われてしまったのだと思う。お兄ちゃんには一生敵わない……そう、心の底から理解させられてしまった。
そして今回のカップの修理だ。あの一件で、私は完全に自分の恋心を自覚してしまった。一度自覚してしまえば、もう自分でもどうしようもなかった。想いは募るばかりで、気づけばいつも目で追ってしまっている。
今回、事業の手伝いを任されたことも嬉しかった。お兄ちゃんと過ごす時間が増える、それだけで胸が高鳴った。凄すぎるお兄ちゃんの右腕に選ばれたことも、本当は涙が出るくらい誇らしかった。お母さんに報告した時は、本当に泣いて喜んでくれた。
でも、お兄ちゃんの考えは、それだけじゃなかったのだと思う。
お兄ちゃんの事務所は、私が本領を発揮できる場所でもあった。家では、いつもノルン姉を立てるようにとお母さんに言われてきた。だから、なんでも手加減するのが当たり前になっていた。剣を習わなかったのもそうだ。多分、始めていたら、早々にノルン姉を追い越してしまっていただろうから。不満があったわけじゃない。それでも、どこか窮屈だったのだと、今になって気付いた。
お兄ちゃんの事務所では、何も遠慮する必要がない。リニアを躾けることさえ、生き生きとやれている自分がいた。自由に動けるというのが、こんなに楽しいことだったなんて。それに気付かせてくれたのも、お兄ちゃんだった。
――私の中に、ずっとお兄ちゃんの隣にいたい、愛してほしいという欲が、確かに生まれてしまっていた。
「そうね、ルーデウスは特別だわ。でもアイシャ、あんた、あいつがどれだけ『バケモノ』か、……本当の強さを理解して言ってるの?」
エリスさんが、かつてないほど真剣な、剣士の眼差しで私を射抜いた。彼女は、お兄ちゃんの「戦闘能力」に関する詳細な情報を披露し始めた。エリスさんは、お兄ちゃんのことに関しては驚くほど饒舌だ。きっとお兄ちゃんのことを話したくて仕方が無かったのだろう。
「剣神ガル・ファリオンですら、あの雷魔術には『やってられない』と言っていたわ」
恐ろしい速度で到達する、無詠唱の一撃。
闘気を貫通し、神経系を強制的にシャットダウンさせる物理法則の暴力。
更には上空からの狙撃。短距離転移による捕捉不能のヒット・アンド・アウェイ。
例え近づけたとしても、防御とカウンターに長けた水神流を竜の膂力で使ってくる。
その上、触れるだけで闘気を貫通する『雷の槍』。
それをルイジェルドさんのような流麗な動きで使ってくる。
「それだけじゃない。ルーデウスの『魔神鎧』。オルステッドに習った龍聖闘気を術式として織り込んでいるから、帝級以上の火力がないと、外套にすら傷一つつけられない。たとえ腕を切り落としても、竜の再生力と帝級治癒魔術で、数秒後には完全に再生してくるわ」
ロキシーさんとシルフィ姉も、誇らしげに、けれど戦慄を交えて付け加える。
「魔術での対抗は百パーセント不可能です。両手足の鱗があらゆる術式を吸収し、さらに『
語られるお兄ちゃんの性能は、もはや神話の領域だった。
けれど、私が惹かれたのは、……そんな強大な出力を、私のために「カップの修復」や「荒れた手の治療」ということに全力で使ってくれるところなのだ。
「でも、お兄ちゃんは私のことを……『妹』としてしか見てくれないんです……」
「身持ちが固すぎるのよね。グレイラットの血筋とは信じられないわ」
エリスさんが深い溜息をつく。
「……なら、ルーデウス様を落とすための『攻略方法』を考えましょう!」
そこに乱入してきたのは、お母さん――リーリャだった。
お母さんは昔から、私をお兄ちゃんに嫁がせることに全力を注いでいる。私の目的とも合致する、正直助太刀は心強い。
「エリス様、ロキシー様、シルフィエット様……アイシャを、四人目の候補として、……正式な候補に入れる許可をいただけますか?」
「私は構わないわ。家族が増えるのは賑やかでいいことだし」
エリスさんが豪快な理論で快諾する。
「……ボクの時より、あっさりじゃない?」
シルフィ姉がジト目でエリスさんを睨む。エリスさんは少し目を逸らしながら、
「……ここにきて、そういう『支え』もルーデウスには必要なんだって、気付いたのよ」
と、ばつが悪そうに言った。からかうつもりだったのだろう、シルフィ姉はくすくすと笑っている。
「ボクも……アイシャちゃんなら、ルディの世話を任せても安心かな」
そして、シルフィ姉の親愛の情を込めた承認。
「ライバルが増えるのは……その、少しだけ複雑ですが。……ルディの幸せに繋がるなら、私も反対はしません」
ロキシーさんの、師匠としての温かな肯定。
こうして。「妹」ではなく……「一人の女」としての認められるための秘密会議は、夜が明けるまで続いた。
翌朝、皆は昨夜の「作戦会議」の疲れで盛大に寝坊していた。
唯一、早くに目を覚ました私は、キッチンから漂う香ばしい匂いに誘われた。
そこにいたのは、旅の汚れを魔術で洗浄し、エプロンを身に纏ったお兄ちゃんだった。
彼は、私の足音に気づくと手を止めて振り返った。
朝日を背負い、フライパンを握るその姿は、……昨夜エリスさんたちが語っていた「最強の怪物」とは正反対の、……どこまでも穏やかで、家庭的な愛情で満ちていた。
「おはよう、アイシャ。……みんな、まだ寝ているようだから、朝食を作っておいた。……お疲れ様。君はいつも頑張りすぎだ。今日は私が全部やるから、座っていなさい」
そう言って、彼は優しく私の頭を、自分の爪に気をつけてゆっくりと撫でてくれた。その時、お兄ちゃんが着ていたエプロンの紐が少しだけ緩んでいるのに気づいた。
私が手を伸ばしてそれを結び直そうとした瞬間、……お兄ちゃんの微かな動揺を確実に捉えた。
(……ああ。お兄ちゃんの、こういうところ。……やっぱり、大好きだ)
私は、教わったばかりの「女」の顔で微笑み、……彼の背中にそっと指を触れた。
グレイラット家の女性陣の……全面的なバックアップを受けた私の「攻略」は、……今、この瞬間に開始されたのだ。
アイシャが本格始動しました。
ルーデウスの行動も違いますし、変態性も見せていないので関係性が変わっています。
果たして、ルーデウスにこれ以上割くことができるリソースがあるのか……。