無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
今回の政変、その中心にいたのは、わずか三歳の幼児――第十一王子ハルハ・シーローンだった。
前国王が晩年に農民の娘との間に作ったその子は、身分違いゆえにその存在を徹底して隠され、地方の屋敷で人知れず育っていた。母となったその農民の娘は、産後の肥立ちが悪く、ハルハが物心つくよりも前にこの世を去っている。忘れ形見となったハルハの存在を知る者は数少なかったが、母方の伯父であり、農民の身分から将軍にまで取り立ててくれた前国王に絶大な恩義を感じていた男――ジェイド将軍だけは、復讐の炎を絶やしていなかったのだ。
パックスによる最初の大粛清の際、ジェイドはカロン砦から五百の精鋭を率いて王都へ急行した。しかし、彼が到着した時には既に前国王は崩御。さらに、寄せ集めの地方領主たちはパックスの冷徹な懐柔策によって分裂させられ、ジェイドは剣を抜くことさえできぬまま、不本意な恭順を誓わされることとなった。屈辱に震えながら剣を鞘に収めたあの日のことを、彼は片時も忘れていなかった。
だが、彼は諦めてなどいなかった。
妹と、前王の血を引く正当な後継者の一人であるハルハ王子が生存している事実こそが、彼の反逆の拠り所となった。ジェイドはパックスへの復讐と王権奪還を誓い、水面下で着々と反乱軍のネットワークを構築していったのだ。ジェイドは農民出身ということで貴族から差別的に見られることも少なくなかった。彼がそれでも上手く立ち回れたのは、夢に出てくる神のお告げがあったからだ。彼はその神に一部の疑いも持っていなかった。神のお告げに従えば、全てが見通されていたかのように思い通りになった。まるで、自分の人生の脚本を誰かが先回りして書いてくれているかのような、そんな錯覚さえ抱くほどに。
ジェイドが狙った時機は、北国ビスタの侵攻だった。
パックスが防衛のために北へ兵力を割けば、首都の防衛力は低下する。さらに、戦況が劣勢に陥れば、パックスは唯一の、そして最強の切り札である『死神』を前線へ送らざるを得なくなる――。ジェイドの計算は完璧なはずだった。
しかし、そこに最大のイレギュラーが生じた。
第三王子ザノバの想定以上の早い帰国。
さらに、かつての宮廷魔術師ロキシーと、アスラ王国で『雷神』の名を冠した――ルーデウス・ボレアス・グレイラットが同行しているという事実。
もしザノバがパックスを討つために戻ったのであれば共闘の道もあっただろうが、ザノバは主君であるパックスの命令を優先し、カロン砦へ向かってしまった。
そして、意図せぬ介入によって、カロン砦は歴史的な大勝を収めたらしい。北国の脅威は一瞬で消失したのだ。これにより、『死神』が前線へ動く理由もなくなり、パックスの掌握する兵力が回復してしまえば、二度と反乱の機会は訪れない。
「もう、後がない――」
追い詰められたジェイド将軍は、夢で神に相談した。神は言った。計画を前倒ししてクーデターを決行せよ、と。潜伏させていた兵を一斉に動かした。すると、すぐに首都が占領でき、王城を簡単に包囲できた。——やはり、神の言うことは絶対だったのだ。少なくとも、彼はそう信じ切っていた。あの光り輝く「導き手」が、自分を裏切るはずなどないと。
Side: ルーデウス
右手にロキシー、左手にザノバを抱えて空を飛ぶ。少し荒い運転になってしまうのは勘弁してほしい。酔ったら治癒魔術をかけることくらいはできる。
『
眼下を流れる荒野は、月明かりだけを頼りに黒々とした帯となって後方へ消えていく。風切り音の合間に、ロキシーが小さく震えているのが伝わってきた。寒さのせいか、それとも緊張のせいか、恐らくは両方だろう。
「……ルディ、速度を落とさなくて大丈夫ですか?その、ザノバ様が少し……」
「大丈夫だ、酔ったら私が治す。……今は一秒でも惜しい」
腕の中でザノバが小さく呻いた。神子としての頑健な肉体を持つ彼でも三半規管は強靭では無いらしく、この速度は流石にこたえるものがあるらしい。
約一日かけて王都へたどり着いた。門から早馬で逃げ出そうとする影が見える。竜の目で確認する。
「あれはジンジャーじゃないか?」
酔ったのだろう、青い顔をしているザノバが確認し、頷く。急降下してジンジャーに近づいた。ロキシーの口から「ひぇっ」という恐怖が滲んだ声が漏れる。
「ジンジャー!」
「殿下!それとルーデウス殿!」
ジンジャーはこちらを確認すると馬を急停止させた。手綱を握る指先が白くなるほど強張っている。彼女の背後、王都の門の方角からは、まだ薄っすらと煙が上がっているのが見えた。
「城の様子は!パックス陛下は無事なのか!?」
ザノバの問いに、ジンジャーは息を切らせながら答えた。
「殿下、状況は最悪です!反乱軍が突如として蜂起し、あっという間に城下を制圧しました!陛下は……最後に確認した時点では、まだ城内に立て籠もっておられるようですが……!私は殿下の身を守るためにも、一旦城を離れて援軍を呼ぶべきだと判断し……」
「よくやった、ジンジャー。……よくぞ、単騎で危険な包囲網を抜けてくれた」
ジンジャーからクーデターの内容を詳しく聞く。王都はすでに反乱軍によって封鎖されているらしい。正面突破は非効率だと判断し、ザノバの記憶にある「王族に伝わる隠しルート」を利用することにした。
ザノバとロキシーに治癒魔術をかけ、ザノバにジンジャーを抱えてもらう。ジンジャーは、主君であるザノバにそのような真似をさせるわけにはいかないと固辞していたが、この状況で悠長な問答をしている暇はない。ここに置いていくわけにもいかない。
「ジンジャー、遠慮している場合ではない。私に抱えても良かったのだが、ザノバの方が慣れているだろう」
「……承知いたしました。殿下、失礼いたします」
重量が三人分に増えたことを確認し、再び空を飛んだ。
ザノバの案内を聞きながら、川沿いにある古びた水車小屋に突撃する。飛行の慣性をそのままに、入り口を蹴り破った。地下へと続く道が見える。
地下には、王城へと直通する秘密の通路が隠されていた。
のろのろと歩いている暇はない。
「洞窟内も飛んでいくぞ。私も注意するが、壁にぶつからないよう注意してくれ」
「師匠、注意しろと言われても……!」
ロキシーとザノバをぎゅっと身の内に抱え込む。ロキシーはこちらに抱き着いてきた。ザノバはジンジャーを抱きしめる。力が強かったのだろう、ジンジャーが「ぐぅっ!」と声を上げた。なるべく早く移動してやろう。
『記憶』のジェットコースターのように洞窟内を進む。分かれ道の度に急停止して、ザノバに方向を指示してもらう。徒歩では考えられないほどの早さで王城に辿りついた。
ここで三人の顔色が青を通り越して真っ白になっていたので小休止を取る。一人一人に治癒魔術をかけるのはめんどうなので、地面に聖級治癒魔術の魔法陣を描いて、その上で休んでもらった。壁に背を預けたジンジャーが、青白い顔のままそれでも律儀に礼を言ってくる。
「……ありがとうございます、ルーデウス殿。おかげで、殿下をお守りする役目を、まだ果たせそうです」
「役目を果たすなら、本番はこれからだ」
静まり返った城内。少し顔色が戻った三人と一緒に城内へ進む。かつてロキシーが使っていた部屋を通り過ぎ、不気味なほどに人影のない、不穏な静寂が満ちる階層を一歩ずつ上がっていく。
目指すは最上階、国王の寝所。
城の中には人影がほとんどない。忠誠心の高い僅かな近衛兵だけが残っているようだ。
五階の踊り場に到達したとき、そこに一人の男が待っていた。
「なんで、この国の王様は、こんな高い所に寝所なんて作ったんですかねぇ」
『死神』ランドルフ・マリーアン。
骸骨のような痩せこけた顔をかしげ、独り言のように呟きながら、彼は私たちを迎え入れた。
「こんな所に寝所なんて作ったって、不便なだけでしょうに。執務だって一々下に降りるのも面倒でしょう。食事を運ばせても、一階の炊事場からここまでじゃあ届く頃には若干冷めてしまう。年を取って足腰が弱くなれば昇り降りにも一苦労だ。火事なんかあったら、逃げ遅れてしまうかもしれない」
彼は普通の、どこにでもいる疲れた中年の男のような脱力した姿勢で話す。
「私だったら一階に作る。執務だってスムーズだし、ご飯も温かいものが食べられる。どこかに出かけるのだって簡単だ……。と思うのは、私が庶民だからなんでしょうねぇ」
ランドルフはベラベラと喋りつつ、イヒヒ、と不気味な笑みを浮かべた。その死神の名に相応しい笑い顔に、隣に立つロキシーがごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。
「……私も冒険者生活が長いものだから、気持ちは分かるぞ。ご飯は温かい方が美味しい」
「おや、気が合いますねぇ、『雷神』殿。……まぁ、確かに利点はありますよ。こうやって城の中に立てこもるんだったら、ここが一番安全だ。なにせ、この城は『耐魔レンガ』をふんだんに使っている。遠方からの魔術攻撃にもめっぽう強い。各階には強固な防衛地点もあり、一番上まで攻め上るのは至難の業。……ここはまさに、戦時中のための要塞なんですなぁ」
「ランドルフ殿」
ザノバが静かに一歩前に出た。ランドルフは不敬とも取れる不変の姿勢のまま、ザノバに微笑みかけた。
「ご機嫌麗しゅう、ザノバ殿下。……こんな所まで、いかがなさいました?」
「この城の現在の状況について、何かご存知か?」
「ええ、もちろん、もちろんご存知ですとも」
ランドルフはそう言うと、ゆっくりと眼帯をズラした。そこには、不気味に赤く光る瞳があった。瞳孔には複雑な幾何学模様――六芒星のような文様が浮かんでいる。間違いなく、魔眼だ。
「陛下の命にて、この『空絶眼』の力を使い、王城周辺に空間の壁を作りました。その出力により、現在もなお、外部の敵軍勢を引き止めておりますよ」
「なるほど。……他の者はどうした?」
「皆、討ち取られるか、逃げました。残った兵は、十数名ほどですかねぇ」
「……それで、肝心の陛下はいずこに?」
「この奥におられます」
「そうか、うむ。陛下の守護、大義であった。通らせてもらうぞ」
ザノバはそう言い残し、ランドルフの脇を通り抜けようとした。
だが、ランドルフは組んでいた手を静かに広げ、その行く手を遮った。
「なぜ止める?」
「陛下には、何人たりとも通すなと命じられておりますので」
「しかし、見ての通り火急の用なのだ」
「たとえ火急の用であっても……。今、陛下は大変『お忙しい』のです」
(お忙しい……?)
私は違和感を覚え、右目の「
壁の向こう側をスキャンする。……熱源反応は二つ。密着し、不規則に脈動している。
「ザノバ、少し待て」
私はザノバの耳元に、小さな声で事の次第を伝えた。
「――っ!?ぬ、何と……!?」
ザノバは狼狽えたように顔を赤くしたが、状況を理解して納得したようだ。ロキシーだけは、依然として杖を握る手に力を込め、ランドルフへの警戒を解いていない。
そこには、ランドルフが腰掛けていた椅子が一脚あるだけだった。
私は土魔術で、質感の良い椅子をさらに三脚、そして簡素だが機能的な机を一つ、その場に錬成した。さらに水魔術でコップを満たし、綺麗な冷水を用意する。
「ランドルフ殿、一杯いかがですか」
「おお、これは……かたじけない」
ランドルフは驚いたように眉を上げると、差し出された水をぐいっと飲み干した。毒の心配などまるでしていない。その光景を見て、張り詰めていたザノバとロキシーの緊張も僅かに緩んだようだ。二人は促されるまま椅子に腰を下ろし、水を啜った。
ランドルフは再び、独り言のような口調で語り始めた。
「まあ、お待ちください。陛下は今、非常に心を痛めておいでです」
「心を?」
「ええ。……ここからは城下の様子がよぉーぅく見える。城壁の内側で、剥き出しの敵意を向けてくる兵士たちの姿も……。そして、城壁の外側で集まりつつある兵士たちが、なぜか王を助けようともせず、ただ、じっと静観して見守っている様子もね……」
「……まあ、王族の思惑など、民や兵に容易く察せられるものではないだろう」
私が淡々と告げると、ランドルフは「左様ですなぁ」と深く同意した。
一時の沈黙。私は水を飲み干すと、懐に隠していた最大の懸念事項を問いかけた。可能性は低くとも、確認は必要だ。
「ランドルフ殿。……一つ、聞いておきたい。貴方は――『
静かな踊り場に、私の問いが波紋のように広がっていった。
静寂が支配する五階の踊り場。私の問いかけに対し、ランドルフは避けることも、はぐらかすこともなく、あまりにあっさりと答えを吐き出した。
「おや……。『
その一言が放たれた瞬間、私の隣にいたロキシーとザノバの身体が、弾かれたように強張るのが分かった。二人に再び静かな殺気が宿る。私もまた、右手の爪を微かに鳴らして、いつでも魔術を起動できるよう魔力回路を臨戦態勢に引き上げた。
しかし、ランドルフは私たちのそんな反応を気にする様子もなく、空になったコップを机に置いた。
「ほう。……では、貴殿は『
私は努めて平穏な声を出し、彼の言葉の裏側を探る。もしここで肯定の返答があれば、この狭い通路は一瞬で死地へと変わるだろう。
だが、ランドルフは何でもないことのように、ひらひらと手を振って否定した。
「いいえ?私自身は、直接何かを命じられたことなど一度もありませんよ。……ただ、私の親戚に、かつて『
「…………」
その答えを聞き、私は肺の中に溜まっていた空気を静かに吐き出した。
竜の眼で彼の心拍を確認するが、拍動は極めて安定しており、虚偽を述べている兆候は見当たらない。
(……やはり、ランドルフは使徒ではない。懸念していた最悪のパターンは回避されたわけだ)
私の横で、ロキシーも安堵したように肩の力を抜いた。ザノバも「ふぅむ、それは重畳」と呟き、握りしめていた拳を開いた。不気味な気配を放つこの『死神』が、『
私は少しだけリラックスした雰囲気を演出し、ランドルフに語りかけた。
「ランドルフ殿。失礼ながら、貴殿は周囲から誤解されやすいとよく言われないか?」
「……おや。よくお分かりになりますね、雷神殿」
ランドルフは意外そうに眉を上げ、それからイヒヒ、と力なく笑った。
「見ての通り、このような見目と、この話し方ですからなぁ。初対面で貴殿のように、武器も抜かずにまともに話を聞いてくれる人の方が、この世界では珍しいのですよ。……大抵の連中は、私の顔を見ただけで『死神だ!』と叫んで逃げ出すか、さもなくば震えながら斬りかかってくる」
「……まあ、気持ちは分からなくもない。だが、私の経験上、……見目が恐ろしい者ほど、その内側には他人には見えない優しさを秘めていることが多い。……私の恩人や、仲間もそうだからな」
ルイジェルド、そしてオルステッド。二人とも、初対面で腰を抜かさない者などいないほどの威圧感を放っていたが、その本質は不器用なほどの誠実さと慈悲深さに満ちていた。
ランドルフのこの「落ち着き」も、それらと共通する何らかの徳性に基づいているのだと、私は直感していた。
ランドルフは、私の言葉を聞いて、本当に楽しそうに声を震わせた。
「いやはや、愉快だ!私の心根を見抜いてくださるとは。……分かり合える方がいて嬉しいですなぁ。どうです、今回の騒動が落ち着いたら、是非私の手料理を振る舞わせてください。味には自信があるのです。じっくり煮込んだスープなどは、格別ですよ?」
「それは楽しみだ。是非、ご相伴に預かりたい」
私たちがそんな、戦場の真っただ中とは思えない「料理談義」に花を咲かせていた、その時だった。
不意にランドルフが、何かに気づいたように寝所の扉の奥へと視線を向けた。
僅かな物音。そして、魔力波形の変化。
「ああ……。どうやら、終わったようですよ。……お待たせしましたな」
ランドルフは椅子から立ち上がり、恭しく扉の横へと移動した。
「どうぞ。陛下も、貴方たちを待っておいででしょう」
先ほどまでの強固な拒絶が嘘のように、彼はあっさりと道を開けた。
私はザノバとロキシーと視線を交わし、意を決して重厚な扉に手をかけた。
ランドルフに促され、私たちは王城の最上階、国王の私室へと足を踏み入れた。
室内には、つい先ほどまで行われていたであろう男女の情事の、濃厚で、どこか生々しい残り香が停滞していた。乱れたシルクのシーツ、床に散らばった衣類。その退廃的な光景を通り抜け、私たちは開け放たれた窓の先、バルコニーへと出た。
そこには、夜風に吹かれながら、下着姿――パンツ一枚という無様な格好で立ち尽くすパックス王の姿があった。
月光に照らされた彼の横顔には、かつての傲慢さは微塵もなく、ただ深い疲弊と、すべてを投げ出したかのような諦念が色濃く刻まれていた。
「……陛下」
ザノバが静かに歩み寄り、パックスの数歩手前で足を止めた。そして、真摯な響きを込めて右手を差し出した。
「陛下、お助けに参りました。城下はすでに反乱軍に包囲されていますが、秘密の通路は確保してあります。さあ、この城を捨て、共にカロン砦へと向かいましょう」
「助ける?……カロン砦だと?」
パックスは、ザノバの差し出された手を冷たく一瞥し、力なく笑った。
「何を言っているんだ、お前は。……この状況が見えていないのか?」
「見えております。だからこそ、ここは一旦城を明け渡し、別の場所で牙を研いで待つのが最善かと。我々の手元には、まだカロンの精鋭が残っています。兵力さえ整えば、この程度の反乱軍から城を取り戻すのは容易なはずです」
「……そして、また同じことを繰り返すのか?」
パックスは顔を上げ、ザノバを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、救いを求める光すら宿っていない。彼は「どうせお前にはわかるまい」と吐き捨てるように小声で呟くと、バルコニーの手すりに背中を預け、城壁の向こう側を眺めた。
「余は……これでも、頑張ったつもりだったのだぞ。ザノバ。……父上が長年放置していた、中まで腐りきった大臣どもをすべて罷免し、実力のある別の者を据えた。来るべき戦争に備え、国庫を叩いて傭兵も受け入れた。……確かにお前の言う通り、街の治安は悪くなっただろうさ。だが、それもすべてはこの国の未来を、シーローンの存続を見据えての事だったんだ」
パックスは震える指先で、目の前のザノバを指差した。
「……お前、……兄上の帰国を許したのだってそうだ。正直に言えば、余は兄上のことなんて昔から虫唾が走るほど嫌いだ。だがな、神子としてのその力だけは、余も認めていたつもりだったからな。……国を守るためには、お前の力が必要だったんだ」
「……存じております。陛下の苦慮、そして孤独な闘いは、このザノバにも十分に伝わっておりますゆえ」
「何が伝わっているだ!!」
パックスが突然、獣のような叫び声を上げた。
「余の気持ちなど、誰にも伝わるはずがない!見ろ、この景色を!」
彼はバルコニーの下、松明の光で点々と照らされた城下を指し示した。
「見ろ!あれだけの兵がいるのに、一向に反乱軍を鎮圧しようなどという気配は微塵も無い!誰も、余を助けようとはしないんだ!!」
「……違います陛下。落ち着いて聞いてください。あそこに集まっている者のほとんどは兵ではなく、ただの民です。それも、事の成り行きを見守っているだけの、どこの馬の骨とも知れぬ冒険者や、商人たちでございます」
「だから何だというのだ!!」
パックスの叫びは止まらない。
「余がこの国のすべての人間に疎まれているという事実に、何の違いがある!誰も余を王とは認めない!誰も余を信じない!」
「陛下、それは違います。決して全てではなく、我らのような……」
「何が違う!!現に、お前もたった三人ではないか!もし本当にお前が余を信じているなら、もっと大勢の兵を連れて救いに来てもいいはずだ!なのにたった三人!……そっちの二人だってそうだ。余を助けに来たのではなく、お前自身の護衛として付いてきただけだろうが!!」
「それは……」
ザノバが言葉を詰まらせる。その隙を逃さず、パックスは心の奥底に溜まった泥のような呪詛を吐き出し続けた。
「そうさ、余は昔からそうだった!どんなに努力しても、どれだけ学んでも、誰も認めてくれない!ちょっといい結果が出せたかなと思っても、すぐに裏目に出る!周囲に台無しにされる!いつだってそうだ、余が何をしても無駄なんだよ!!」
そして、パックスの矛先は、私の隣で沈黙を守っていた女性へと向けられた。
「おい、……ロキシー」
「……っ」
ロキシーの身体が、びくりと強張る。パックスは涙を流しながら、かつての家庭教師を指差して吠えた。
「お前もそうだ!覚えているか!?余が子供の頃、初めて中級魔術に成功して、お前に喜んで見せた時のことを!あの時、お前は余に何と言った!?笑顔一つ見せず、ただ深いため息をついて……『やっとこの程度ですか』と、吐き捨てたじゃないか!!余はお前に、……あの瞬間に完全に見捨てられたんだ!!」
ロキシーは、顔から血の気が失せ、深い後悔の表情で唇を強く噛んだ。
彼女にとっては何気ない、あるいは未熟な教え子への厳しすぎる期待だったのかもしれない。だが、その一言が、承認を渇望していた一人の少年の心を、どれほど無惨に壊してしまったのか。
ロキシーは二の句が継げず、ただ俯くことしかできなかった。
パックスの叫びは、もはや理屈ではない。
どれだけ努力しても認められない。成果を出しても、すべてが裏目に出る。
その無限ループのような絶望の叫び。
(……ああ。もう、限界だな)
聞いているこちらの頭まで痛くなってくる。恥ずかしさも感じる。
私は、無遠慮な足取りでパックスへと近づいた。
傍らに控えていたランドルフが、一瞬だけ鋭い視線を私に向けたが、私から殺気が出ていないことを悟ったのか、あるいは私の実力を測りかねたのか、動くことはなかった。
「な、なんだお前は……!まだ余を辱めるつもり――」
私は、喚き続けるパックスの頭を、右手の鋭い黒爪に気をつけながら、ガシッと鷲掴みにした。そんな滑り易そうなバルコニーにいたら危ないだろう。落ちて死にでもしたら、オルステッドに怒られてしまう。
「ひ……っ!?」
「パックス陛下。……少し、頭を冷やしましょうか」
私は驚愕に目を見開くパックスの身体を、軽々と持ち上げると、バルコニーから室内へ向かって――。
放り投げた。
「――ぶべらっ!!」
パックスの身体は宙を舞い、情事の余韻が残るベッドの中央へと、無様に転がり落ちていった。
静まり返ったバルコニーで、私は大きく肩を回した。
「ザノバ。……湿っぽい話はそこまでだ。まずはこの状況を脱却するぞ」
投げ飛ばされた衝撃で、パックスはしばらくの間、ベッドの上で目を白黒させていた。その騒ぎで目を覚ましたのだろう、隣で横たわっていた少女――ベネディクトも上体を起こし、うつろな瞳で状況を把握しようと周囲を見渡している。
私は、無様に転がったままのパックスを見下ろし、冷徹に言い放った。
「……何を情けなく嘆いているのですか。不敬を承知で申し上げますが、今の貴方は王ではなく、ただの駄々をこねる子供にしか見えませんよ」
「な……ッ、貴様……!」
「問いたいのは一点です。……貴方は、民に認められたい、愛されたいという『承認欲求』を満たすために王になったのですか?違ったはずだ。……先日私たちが会った際、貴方は『全てを手に入れるため』にその座を奪ったと言ったではないですか」
私の指摘に、パックスは顔を真っ赤にして叫び返した。
「うるっさい!!今の余を見て言っているのか!?誰も余に期待などしていない!兵も民も、余が死ぬのを今か今かと待ち望んでいる!認められない王など、ただの笑い者ではないか!!」
「……誰も期待していない?それは致命的な認識の誤りですね」
私は一歩踏み出し、彼を射抜くように告げた。
「少なくとも……龍神オルステッドと私は、貴方に期待していますよ。私がザノバへの義理立てだけで、この戦火の渦巻くシーローンにまで足を運んだと思っているのですか?」
パックスの動きが止まった。信じられないものを見るような目で、私と、そして傍らに立つロキシーを見ている。
「龍神……オルステッドが、余に……?」
「ええ。龍神オルステッドの予測によれば、パックス陛下……貴方が生き延びることこそが、このシーローンが栄え、将来的に強国となるための必須条件なのです」
「予測だと……?冗談はやめろ、そんなお伽話が当てになるものか!」
パックスは自嘲気味に笑ったが、私は表情を崩さない。
「予言ではありませんから、外れる可能性はゼロではないでしょう。……ですが、このシーローンの現状を見て、私はその予測が正しいことを確信しました」
「なんだと……?」
パックスだけでなく、隣にいたザノバとロキシーも、疑問に満ちた視線を私に向けてくる。私は推論を彼らに開示した。
「……いいですか。もしこのままジェイド将軍のクーデターが成功すれば、シーローンという国は『確実に』滅びます。……国力において圧倒的に勝る王竜王国の騎士を殺し、彼らが後ろ盾となっていたパックス陛下を害したとなれば、王竜王国がそれを黙って見過ごすはずがない」
私はバルコニーの外、城を包囲する軍勢の影を見据えた。
「農民上がりのジェイド将軍。そして、血の繋がりすら定かではない三歳のハルハ王子。……そんな急造の首脳陣に、大国からの報復を退け、国際社会での立場を維持する術があるとお思いですか?否だ。……ジェイド将軍が勝てば、シーローンは即座に周辺諸国に切り売りされ、地図から消滅する。それは私のような余所者にすら分かる、明白な末路です」
パックスは、私の言葉を喉の奥で咀嚼するように沈黙した。だが、依然として折れないプライドが反論を試みる。
「……それでも、民が望んでいるのは向こうだ!余を拒絶するこの国の連中を、どうしろというのだ!」
「民が愚かなのは、今に始まったことではありませんよ」
私は淡々と答えた。
「民衆というものは、自らの選んだ道が地獄に繋がっていることさえ、崖から落ちるその瞬間まで理解できない愚かな集合体です。ですが、貴方は王だ。どれだけ民が愚かでも、自分に敵意も向けていても、それを教え導く義務がある。……味方が数人しかいない?結構じゃないですか。その数人が『一騎当千』であれば、何の問題もありません」
「……師匠の仰る通りです」
ザノバが、私の言葉を引き継ぐように力強く頷いた。
「陛下。余やロキシー殿は、一人で軍を壊滅させるには至らぬかもしれませぬ。……ですが、ここにいる我が師ルーデウスは違う。アスラ王国の守護神『雷神』の名は伊達ではない。……師匠一人の戦闘力は、大国の軍勢にすら匹敵するのです」
パックスは、毒を飲まされたような顔で私を凝視した。
疑念、恐怖、そして僅かな――希望。
彼はしばらく考え込んだ後、震える声で私に突きつけた。
「……そこまで言うなら。……その『雷神』とやらの力、余に見せてみろ。……あの大軍を前に、絶望せずにいられるだけの証拠を、余に示せ!!」
「――承知しました」
私は即座に、迷いなく応じた。
「……ザノバ、ロキシー、ランドルフ殿。陛下とベネディクト様を安全な場所へ。……これから、外の『掃除』に行ってくる」
パックスに物理的な冷却期間を与えた後、私は戦場の現状を再スキャンした。
『死神』ランドルフ殿が維持していた空絶眼の出力が、目に見えて減衰している。空間に固定されていた不可視の防壁が、限界を迎えつつあるのだ。
「ランドルフ殿。貴殿の防壁は、間もなく機能停止を迎えるだろう?代わりの防衛ラインは私が引き受けよう」
「おや、よくお分かりで。左様、流石にこの広範囲を一人で維持し続けるのは、私でも骨が折れますので」
ランドルフは苦笑しながら眼帯を戻した。
私はバルコニーから身を乗り出し、王城を幾重にも取り囲むジェイド将軍率いる反乱軍の熱源反応を捉えた。数は数千。練度は低いが、放置すれば王城の構造は削られるだろう。
新技を試すには絶好の機会だが、流石にこの距離で放てば王都の区画ごと消去しかねない。シーローンの再建リソースを無駄に減らすのは不合理だ。私は方針を転換し、別の新術式を構築することにした。
「『剥奪電界』」
杖を振りかざし、王城を囲む空間に数十個の白銀の球体を等間隔で配置した。
これは水神レイダの『剥奪剣界』の理論を参考に開発した、広域自動迎撃システムだ。術理は極めてシンプル。結界魔術を展開し、その中心に
「ルディ、それは……?」
「ロキシー、見ていてくれ。この領域内で武器を振るったり、城へ近づこうとする不届き者には、死なない程度の電撃が自動で落ちるようになっている」
術式をロックした直後、城壁を越えようとした一団に白銀の球体から稲妻が走った。悲鳴を上げる間もなく、兵士たちは中枢神経をフリーズさせて崩れ落ちる。
完璧な領域制圧を確認した私は、次に竜の目と
「見つけた。……回収に行ってくる。乗り越えてくる敵はいないと思うが、用心だけしておいてくれ。ランドルフ殿はパックス陛下の守護を頼む」
足元に
混乱に陥る敵本陣に降り立ち、驚愕する護衛たちを雷の一撃で黙らせると、目的の個体とその傍らで震える幼児を確保し、再び空間を跳躍した。
一時間も経たぬうちに、私は王城の最上階へと帰還した。
室内ではパックス陛下が服を整え、ようやく王としての落ち着きを取り戻していた。隣にはベネディクトも座り、その瞳に僅かな光が戻っている。
ロキシーを見ると、その瞳に僅かな赤みが残っていた。私が外に出ている間、パックス陛下と何らかの対話があったのだろう。私は確保した戦利品を床に突き出した。
一つは、恐怖のあまり泣き叫んでいる三歳の幼児、第十一王子ハルハ・シーローン。
そしてもう一つは、両手両足を切断され、血の海に横たわるジェイド将軍だ。ふむ、止血が甘かったか。
「なっ、ジェイド!?貴様、本当に……!」
パックスとランドルフ殿が絶句する。
「うわあああぁぁぁん!!」と喚き続けるハルハ王子に対し、私は柔らかな布で口枷をした。自分の子供たちを思い出し、酷いことはできない。
「静かに。子供の騒音は思考を妨げる」
治癒魔術を応用した魔術を施す。すると、泣き声がすっと止み、代わりに寝息が聞こえてきた。心拍数を遅くし、眠りへ誘う魔術だ。効果が出るまで時間がかかるので実用性は低いが、子供であればすぐに眠らせられる。まぁ、大人相手でも、二度と目覚めなくても良いなら時間はかからないが。
次に気絶していたジェイドの首筋を刺激して無理やり覚醒させた。
「なっ、私の手が、足が……っ!?ぐぁぁぁぁ……!」
自らの欠損と押し寄せる激痛に気づき絶叫しようとするジェイドの後頭部を掴み、私はその顔を石の床へと強引に押し付けた。
「パックス陛下の前だ。頭が高いぞ、ジェイド将軍。お前は、自分がしでかした事の重大さを理解しているのか?お前の起こしたこの反乱のせいで、シーローンは風前の灯だ」
私が論理を突きつけると、ジェイドは床を噛み締めながら叫んだ。
「違う!!私は、神の言う通りにしただけだ!!神が、不浄な王を討てと私を導いてくださったのだ!!」
やはり、そうか。転移の魔術具を破壊したこともそうだが、農民上がりとはいえ行動があまりに短絡的であると思っていた。
「神だと?その自称神は、お前の夢にでも出たのか?」
「そうだ!!あの方は光り輝く、真の導き手だ!!」
「なるほど。おめでとうジェイド、やはり君が使徒だったか。君の信じた神は、今頃お前の無様な失敗をあざ笑っているだろうよ」
私は憐れみを込めて、彼の首筋に指を添えた。
「じゃあ、そのご自慢の神に現在の状況を報告してこい。あとは私から悪神への伝言だ。『お前の負けだ』、とな」
『
威力を抑えた電撃により、ジェイドは再び白目を剥いて崩れ落ちた。
小一時間ほどが経過した。
反乱の主導者であったジェイドがようやく意識を取り戻した。一方で、彼が担ぎ上げていた第十一王子ハルハ・シーローンは長椅子の上でまだ静かに眠っている。
ジェイドは、ただ静かに、悄然と床に伏していた。手足を失った痛みにすら気付いていないようだ。
「……ジェイド将軍。一つ、聞かせてほしい」
私は彼を見下ろし、静かに問いかけた。
「お前の信じていた『神』は、最後になんと言っていた?」
ジェイドは力なく顔を上げ、焦点の定まらない瞳を彷徨わせた。そして、途切れ途切れに、告白するように口を開いた。
彼が語った
「……あの方は、……笑っていた。私が必死に積み上げてきた復讐も、忠義も、すべてが滑稽だと言わんばかりに……。最後には、……計画を台無しにした『役立たず』だと、……ゴミのように私を切り捨てた……」
ジェイドの言葉には、裏切られた者特有の深い絶望が滲んでいた。
「自分が何をやらかしたのか、理解できたか?」
「……私は、……なんてことを……!王家を、……シーローンを、……救うつもりで、……自ら滅びの道へ突き落としていたというのか……ッ!」
ジェイドは、残された肩を震わせ、後悔の念に押し潰されるように慟哭した。どうやら、存分に『ネタバラシ』を受けたらしい。説明が省けて助かる。
ジェイドの無様な姿を冷ややかに見つめていたパックスだったが、意外にもその口から出たのは、慈悲の言葉だった。
「……ジェイドよ。もう良い。……貴様の罪は重いが、その忠義の根源が父上にあったというのなら、余も今回は不問に付そう」
「陛下……!?しかし、私は貴方様を……!」
「余も、……多くのことに気づかされたのだ。……国を立て直すには、貴様のような男の力も必要になる」
パックスの意識にも、確かな変化が生じているようだった。自らを否定し続けた国を、それでも守り抜こうとする王としての自覚。その器の広がりを感じ、私は僅かに目を細めた。
だが、安堵の時間は長くは続かなかった。
血相を変えた伝令、城に残っていた近衛兵がバルコニーに飛び込んできた。
「お報せしますッ!!北の国ビスタが、周辺の小国と連合を組み、大軍を以て再び国境を侵犯!カロン砦を迂回し、この王都へ向かって進軍中とのことです!!」
室内に、一気に緊張が走った。
パックスによるクーデター、そして今回の反乱。弱り目に祟り目と言わんばかりに、周辺諸国はシーローンという獲物を食い荒らそうと、性懲りもなく牙を剥いてきたのだ。
「――ッ!陛下、私に、私に汚名を雪がせてください!!」
ジェイドが叫んだ。手足もないのに元気なものだ。
「王城を囲んでいる我が軍を、私が直接説得します!陛下への忠誠を誓わせ、そのまま小国連合軍を迎え撃ちます!どうか……どうか、私に戦場へ行く許可を!!」
「無茶を言うな、ジェイド。……貴様、その身体でどうやって戦うつもりだ? それに、今のシーローンには、連合軍と正面からぶつかり合えるだけの余裕はない」
パックスの指摘は正しい。ジェイドは両手両足を失い、出血こそ止まってはいるが、戦える状態ではない。
……仕方ないか。
「……ジェイド将軍。……動くなよ」
私はジェイドに歩み寄り、失われた四肢の断面に手をかざした。
魔力を静かに、けれど高出力で流し込む。
眩い光がジェイドの身体を包み込んだ。
「な……っ!?」
パックスとジェイドが同時に驚愕の声を上げる。
肉が盛り上がり、骨が形成され、瞬く間に屈強な両手両足が再構築されていく。数秒後、そこには、五体満足な姿で呆然と立ち尽くす将軍の姿があった。
もっとも、肉体は再生したが、切り裂かれた軍服までは戻らない。ジェイドは、逞しい手足が露出した「おっさんの半袖半ズボン」という、なんとも場違いで面白い格好になってしまっていたが。
「……手足は生えたが、服までは無理だ。後で着替えよ」
「あ、……ああ、……恩に着る、ルーデウス殿……!」
「……さて。パックス陛下、将軍。私の考えを述べさせてもらいます。……私が先行して敵軍に攻撃を仕掛けましょう。龍神オルステッドにも状況を一度報告したいので、その後はそのまま王竜王国へ向かいます」
私は一度言葉を切り、バルコニーから遠くに見える地平線を見据えた。
「……単身でか?ルーデウス、貴様たった一人で大軍をどうにかするつもりか?」
パックスの疑念に対し、傍らで腕を組んでいたザノバが誇らしげに応じた。
「陛下、案ずることはありませぬ。師匠は先日、カロン砦に迫った軍勢をほぼ単身で壊滅させたのです。……師匠が行くというのなら、連合軍の脅威はすでに去ったも同然ですぞ」
その言葉に、室内には二度目の沈黙が流れた。
「……ジェイド将軍。その格好は流石に締まりがない。着替えた後、王城の足止めをしていた私の魔術を解除する。兵たちを掌握し、陛下の安全を第一に確保した上で、残党の処理に向かえ。私は先に行く」
「は、はっ!承知いたしました!!」
ジェイドは自分の露出した手足を見て、極めて気まずそうに、けれど迅速に部屋を辞していった。
「パックス陛下。王竜王国の動向が心配でしょうが……。あちらにはオルステッドが直接向かっています。今頃は不穏な動きを物理的に封じ込めているはずです。心配はいりませんよ」
「……龍神が、直接か。……フン、とんでもない後ろ盾を持ったものだ、余も」
パックスはジェイドの去った扉の方を見て、ふっと鼻で笑った。それは、これまでの彼からは見たことのない、どこか肩の力が抜けたような笑い方だった。
「ルーデウス、頼んだぞ。……余は、シーローンをこれ以上誰にも台無しにさせん」
「ええ、お任せを」
私はロキシーへと向き直った。彼女は不安そうな表情で私の手を握っている。
「……ルディ。本当に行くのですか?」
「……大丈夫だ。……ロキシーにまだ見せていなかった、新しい魔術の『実験』をやるだけだからね」
私はロキシーの額に軽く接吻を落とすと、翻るローブを風に乗せ、バルコニーの手すりへと足をかけた。
「――行ってきます」
爆発的な魔力で身体を包み、私は夜の空へと弾丸のように飛び出した。
王都ラタキアを背にして、私は漆黒の夜空を滑走していた。
眼下に広がるのは、カロン砦での戦いとは比較にならない規模の、巨大な光の群れだ。
北の小国ビスタを中心とした、数多の国家が入り混じった連合軍。掲げられる軍旗の色は多岐にわたり、それぞれの利権のためにシーローンという名の獲物を食い荒らそうとする、漁夫の利を狙う者たちの浅ましさが、空からのスキャンでも手に取るように分かった。
「味方はいない。この座標内に、私が保護すべき個体は存在しない。……実に好都合だ」
私は上空数百メートルで静止し、全魔力回路を全開にした。
今回の目的は単なる防衛ではない。私がこれまでの人生で積み上げてきた『雷魔術』の集大成。既存の魔法体系における最高位――『神級』と定義した新術式の実地試験だ。
かつてアリエル女王より拝命した『雷神』の称号。
名が実体を追い越したままでは、一貫性が保てない。せめて、神級の魔術が使えないとな。
私は、既存の魔法体系における級位を、自らの術式と照合し、階層的に再定義していた。
初級:『
中級:『
上級:『
聖級:『
王級:『
帝級:『
「そして、神級。既存の枠組みを今ここで超克する」
私は集中力を極限まで高めた。
身に纏う重厚な外套――『魔神鎧』が、私の魔力に呼応して、その表面積を劇的に広げ始めた。それはまるで、あの
この外套には、龍聖闘気による物理装甲、多重魔法陣の格納、自動治癒機能。そして、自らの魔力を日常的に吸い取り、ストックする『魔力リザーブ機能』が搭載されている。
人族の限界を超えた、強靭な竜の身体という『ハードウェア』と、膨大なエネルギーストック。
この二つのリソースを前提としてのみ、私の『神級』は成立するのだ。
「展開」
魔神鎧の末端から、眩い幾何学模様が夜空に射出された。
雲をも覆い隠すほどの、巨大な空中魔法陣。
一辺が一キロに及ぶ、三次元的に多層化された回路。
地上からは、夜空に巨大な黄金の太陽が現れたかのように見えているだろう。
慌てふためく敵連合軍の魔術師たちが、上空へ向けて何らかの迎撃魔術を放つのが見えたが、この高度には到底届かない。
通常、神級魔術の行使には、伝説級の触媒や、長時間の儀式、あるいは膨大な犠牲が必須となる。
だが、私はそのプロセスを『魔神鎧』を用いて省略することにした。
そして、高価な触媒を準備する手間を省き、『自身の肉体の一部』を触媒として代用する。
私は右手の鋭い黒爪で、迷いなく自らの左腕の肘から先を斬り裂いた。
「――っ、ふう……」
鮮血が噴き出す。
だが、竜の再生力を有する今の私にとって、腕一本の損失は一時的なリソースの消費に過ぎない。
私は切り離された左腕を、眼下に広がる巨大な魔法陣の中央へと投下した。
「
魔法陣へ吸い込まれた私の左腕。
それは、落下する過程で、魔法陣が吸収した天文学的な魔力を動力源として、異常な膨張を開始した。
細胞の一つ一つが、私の魔力を燃料に、爆発的に増殖し、再構成されていく。
「『
地平線の彼方まで白く染める閃光と共に、それは現れた。
全長百メートルを優に超える。雲間を割って現れたのは、純白の流体で構成された、雷を纏いし巨大な鯨の化け物。
私の『腕』を核とし、
その体表を覆う鱗の一枚一枚が、月光を受けて青白く発光し、まるで夜空そのものが形を成したかのような、荘厳で、そしてどこか禍々しい美しさを湛えていた。
それが地に落ちた衝撃だけで、空間が爆ぜた。
音より速く広がる超高圧の衝撃波が、荒野を蹂躙した。
着弾地点にいた敵中央軍、約数千名の兵士は、自分が何に殺されたのかを理解する余韻すら与えられず、一瞬で消滅した。
「掃討開始」
地に潜った白鯨が、泥濘を掻き分けて再び顔を出す。
巨大な顎を開き、空間そのものを震わせるような、咆哮を上げた。
ドルディア族から学んだ『声の魔術』の極大出力バージョンだ。
闘気で自らの耳を保護できない一般兵や、防御障壁の薄い魔術師部隊は、その音響パルスを受けただけで鼓膜と脳が壊れ、物言わぬ死骸へと変わる。
白鯨が移動するたびに、その軌道上の大地は底なしの泥沼へと変質していく。
さらにその領域は、白鯨の巨体から漏れ出す超高電圧によって、踏み込んだ瞬間に炭化する『致死のフィールド』と化した。
「ひ、ひぃぃっ!化け物だ!神の眷属か!?」
「逃げろ!こんなもの、人間が相手にしていいものじゃない!!」
逃げ惑う連合軍の一翼。だが、逃亡は許されない。
白鯨が優雅に、そして残酷な速度で尾を振れば、数百の騎士が鎧ごと粉砕され、空へと放り出される。
一部の、死を覚悟した魔術師たちが、決死の面持ちで聖級、あるいはそれ以上の魔術を放つ。
だが、その全ては無意味だった。
白鯨の表皮は、私の腕にある『鱗』の特性を増幅して継承している。
放たれた術式は、白鯨の肌に触れた瞬間に消え失せる。
「魔術無効化。物理制圧。音響兵器。そして、雷による広域破壊。神級として定義するに相応しい出力だな」
私は上空から、自らが作り上げた『暴力の傑作』を見つめていた。
三十分も経たぬうちに、大地を覆い尽くしていた数万の敵軍は、その九割が物理的に抹消され、残る者たちも精神的な崩壊を来して四散した。
「実験、終了」
私は指を鳴らし、術式の結合を解除した。
白鯨は、その巨体を維持していた魔力を霧散させ、再び一本の『腕』へと収束していく。
落下してきた腕を回収し、切断面へと押し当てる。
(治癒開始)
高密度の再生エネルギーを注ぎ込み、骨と神経、血管を繋ぎ直す。
数秒後。私の左腕は、何事もなかったかのように正常な可動を再開した。
「魔力消費量はリザーブの四割。腕の欠損という物理的コストは、再生力を考えれば許容範囲。魔術展開中に片手がなくなることだけがネックだが、性能評価としては十分だ」
私は満足して、誰もいなくなった静まり返る灰色の荒野を見下ろした。
これだけの戦果があれば、パックスの王座を脅かす外的な不純物は当面の間、沈黙するだろう。かつて『雷鳴』と呼ばれ、次に『雷神』と呼ばれた自分が、今また新しい称号に足るだけの力を手にした。その実感は、達成感というよりも、静かな確信に近かった。
「さて。報告に行くとしよう。オルステッドが待つ、王竜王国へ」
私は、心地よい達成感と共に風の舵を切り、龍神オルステッドが向かった王竜王国の方向へと、加速した。
夜の空に、一本の長い尾を引く雷光が刻まれた。
山場なので、早めに投稿します。後々追記したり修正したりするかもしれません。