無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~   作:haru-ha

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【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)

以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。

【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。


第58節 クリフ編:神子、教皇との邂逅と、絵本の広がり

 

Side: ルーデウス

 

聖都ミリシオンに差し込む朝日は、白亜の街並みをより一層眩しく照らし出していた。

終夜ギースを探し回ったが、結局見つからなかった。

思えばギースは、転移の迷宮においても安全地帯の確保が迅速かつ確実だった。逃走という一点において、経験の違いを痛感させられた。夜通し飛び回った甲斐もなく、明け方近くになってようやく諦め、クリフの家へと戻った。

 

目をこすりながら、アイシャが起き上がった。

 

「旦那様、どこに行っていたの?」

「ちょっと野暮用だ。……空振りだったがな」

 

そう応える。徹夜明けの疲労を悟られないよう、努めて平静な声を作った。

 

パウロたちも起き始める。

朝食は私がついでに調達してきた。もちろん、クリフの分もだ。泊めてもらったお礼である。

 

朝食を食べ終え、各々が準備を始める。

室内の埃は昨晩のうちに私の魔術で一掃したが、そこに漂う空気の「重さ」までは取り除くことはできなかったようだ。

 

リビングでは、これからラトレイアの本家へと向かう三人が準備を整えていた。

パウロの表情は、暗いを通り越してもはや絶望の色に染まっている。まるでこれから処刑台に登る囚人のようなその姿に、ゼニスが穏やかな、けれど力強い声で励ましの言葉をかけていた。

 

「パウロ、あまり気を落とさないで。……お母様は確かに厳しい人だけれど、私という実の娘がこうして元気に戻るのですもの。きっと分かってくださるわ」

「……ああ、分かっている。分かってはいるんだがな、ゼニス……。俺があの家の敷居を跨ぐというだけで、何だか背筋に氷を流し込まれたような気分なんだ」

 

パウロが力なく首を振る。彼にとって、ラトレイア家という権威の象徴は、剣の達人ですら斬り伏せることができない巨大な壁なのだろう。

その傍らでは、リーリャが一切の妥協を排した手際で準備を進めていた。衣服の皺を伸ばし、贈答品の確認を怠らないその背中からは、「主の面汚しになるような事態は万に一つも許さない」という強烈な決意が伝わってくる。

彼らのミッションは家族としての「過去の清算」だ。私の立ち入る隙間はない。

 

一方で、私とアイシャもまた別のベクトルでの「戦い」の準備を整えていた。

 

「ルーデウス、準備はいいか?祖父には昨日、君たちの来訪を伝えておいた。……私の紹介という形なら、少なくとも門前払いされることはないはずだ」

 

身支度を終えたクリフが私に声をかけた。

今日の目的はミリス教の最高権威――教皇ハリー・グリモルへの謁見だ。

クリフ自身は教団内で「自力でのし上がる」という矜持を持っている。だが、私がミリスに傭兵団の支部を設立し、情報網を構築することに対しては、協力者として橋渡しをすることを選んでくれたようだ。

背後に公的な後ろ盾があるかどうかは、この保守的な国において事業の成功率を左右する決定的な要素となる。

 

「助かるよ、クリフ。君の顔を潰さないよう、最大限の礼節を尽くそう」

 

アイシャもまた、私の隣で万全の準備を終えていた。

「龍の爪」の最高執行責任者として、身支度を完璧に済ませている。

私は自身の異形――鱗と爪、そして竜の眼を隠すため、龍神から賜った外套『魔神鎧』を深く纏った。

 

「旦那様。……やはりその外套、素晴らしい格ですね」

 

アイシャが私の肩のラインを整えながら、うっとりとした、けれど鋭いプロの目で評した。

リーリャもまた、パウロの世話の手を休めてこちらを一瞥し、深く頷く。

 

「はい。デザインこそ歴史を感じさせる重厚なものですが、これほどまでに上質に織り込まれた外套は、王宮でも早々拝めるものではありません。龍神様から賜った品として、格においては申し分ないでしょう」

 

元々はオルステッドから与えられた外套をベースに、私の魔力回路に適合するよう調整を加えたものだ。布地に編み込まれた無数の魔法陣は、私の膨大な魔力と共鳴し、目に見えないほどの微細な振動と共に独特の威圧感を放っている。

 

「……格好いいよ、お兄ちゃん。今のお兄ちゃんは、まるで神話から抜け出してきた守護者みたい」

 

アイシャのその言葉に少し照れてしまう。身内贔屓が過ぎるだろう。

 

「さて。……行くか。父さんたちも、気をつけて」

「……ああ。お前もな、ルディ」

 

パウロがようやく少しだけ口角を上げた。

私たちはクリフの家を出ると、それぞれの目的地に向けて歩き出した。

 


 

ラトレイアの本家へ向かうパウロたちを見送り、私たちはミリス教団の本部へと足を向けた。

同行するのはクリフとアイシャだ。

 

聖都の中心に鎮座する教団本部の外観を視界に収めたとき、私の率直な感想は「期待外れ」の一言に尽きた。

 

巨大な石造りの建築物ではあるが、その造形はどこか不格好で、美的な洗練よりも権威の誇示が先行している。内装に期待したいところだ。アイシャはこれほど大規模な宗教施設を間近にするのが初めてなのか、興味深そうに視線を彷徨わせていた。

 

そのまま中枢へ進もうとしたところで、一つの建物の入り口で衛兵に制止された。

 

「申し訳ありませんが、許可証のない者は通すわけにはいきません」

「あれ?僕の通行許可証ではダメか?前は同伴者も入れたと思ったんだが……」

 

クリフが戸惑いながら、懐から取り出したワッペン――昨日、家で見つけ出したという通行許可証を衛兵に提示する。

今日の彼は、ミリス教団の正式な司祭服に身を包んでいた。昨夜のうちに、その胸元に自分でワッペンを縫い付けたらしい。

 

「昔から、お一人だけという規則です」

「そうか。うーん……昔は子供だからと見逃されていたのかな……?」

 

クリフは困ったように頭を掻いた。

 

「クリフ司祭、貴方が許可証をお持ちなら、中にいる方に一時許可証の発行を依頼されるのがよろしいかと。少々時間はかかりますが」

「……ああ、そうだな。すまないがルーデウス、ちょっと許可を取ってくるから、そこらで待っていてくれ」

 

申し訳なさそうに言うクリフに、私は短く応じた。

 

「構わない。ゆっくり見学させてもらおう」

 

クリフが中へと消えていくのを見届けた後、私はアイシャを伴って本部の敷地内をゆっくりと散策することにした。

 

アイシャは嬉しそうに私の腕を絡め、周囲のレリーフを観察している。

ミリス教のシンボルである正方形を重ねた意匠。建物の配置そのものまでその形を模しているようだ。シンボルによるブランディング、その主張には成功していると言えるが、建築デザインとしては遊びがなく、単調すぎて面白みに欠ける。

かつて空中城塞で芸術談議をした際、ペルギウスもミリス神聖国の芸術品について同じようなことを言っていたのを思い出した。

 

私たちはそのまま中庭へと歩を進めた。

そこには、今を盛りと咲き誇る、鮮やかなピンク色の花をつけた木があった。風が吹くたびに無数の花弁が舞い上がり、白い石畳の上に淡い絨毯を織り上げていく。

 

「サラークだね!満開で、とってもきれい……」

 

アイシャがうっとりとした声を上げ、花弁を見つめる。

サラーク。原産はアスラ王国で、その美しさから貴族たちに絶大な人気を誇る樹木だ。この単調な意匠の教団本部の中で、その一角だけが場違いなほどに華やいで見えた。

 

「見て、サラークが満開だわ!」

「はい、とても美しいですね!」

「ミコ様は本当にサラークが似合います!」

「知ってるか? このサラークは、現教皇が即位した時に、アスラ王国から贈られたもので……」

「ふふっ、ミコ様はいつも無邪気だな」

 

和やかな、けれどどこか騒がしい声が聞こえてきた。

私は『魔神鎧』のフードを僅かに持ち上げ、その声の主たちへと視線を向けた。

色鮮やかな花の下、一団の中心にいるのは、周囲の者たちから「ミコ」と呼ばれている少女。

私の右目、疑似魔力眼(マナ・サイト)が、彼女の体内に揺らめく、通常とは異なる密度の魔力反応を検知した。

 


 

ヒラヒラと舞い落ちるサラークの花弁。その色彩の乱舞の中で、一人、お姫様のような装飾過多な服を身に纏った女性が、掌を天に向けてクルクルと回っていた。

遠目には少女のようにも見えたが、恐らく二十代前後。顔立ちは整っており、いわゆる「綺麗系」に分類されるだろう。

 

だが、その体型を客観的に観察すると、いささか「ふっくら」としている。具体的には二の腕や太もものラインに、この世界の戦士や労働者には見られない余分な皮下脂肪の蓄積が認められた。

 

(……運動不足だな)

 

勝手な結論を下しつつ、私は彼女の周囲に展開する護衛たちの戦力をスキャンした。

人数は七人。全員が同一意匠の青い胸甲を着用している。その魔力の練り方や構えの安定感から、彼らがミリシオンの中でも上位に位置する、高い戦闘能力を有した個体であることは明白だった。

 

私たちが足を止めたことで、あちらもこちらの存在に気づいたようだ。

和やかだった空気は瞬時に霧散し、鋭利な警戒心がこちらを射抜く。アイシャはともかく、私が『魔神鎧』を深く被り、全身から異質な魔力を立ち昇らせている以上、彼らの反応は至極当然の防衛本能と言える。

 

「あら?あなた、見かけない顔ですね。新しく入信された方ですか?」

 

輪の中心にいた女性が、動きを止めて問いかけてきた。声音に敵意はないが、隠しきれない好奇心が混ざっている。

 

「いえ……。連れが一時許可証の発行を受けている間、敷地内を散策させていただいておりました」

 

私は丁寧にかつ正直に回答した。不要な摩擦はこの後の教皇との交渉においてノイズにしかならない。

だが、護衛の男たちの眼光は緩まなかった。私はさりげなくアイシャを外套の影に隠し、彼女への視線を遮断する。

 

「お前……人族か?フードを取って顔を見せろ」

 

護衛の一人が、威圧的な一歩を踏み出した。

このまま拒絶し続ければ衝突は避けられない。私は内心でため息をつきながら、ゆっくりとフードを押し上げた。

 

露わになる、私の顔。

エメラルドグリーンの硬質な鱗が頬の端を縁取り、紫に沈む両目の瞳孔が、竜のそれとして縦長に割れている。

男たちの警戒心が限界値を超え、鞘の中で剣の柄を握る金属音が重なった。

 

「このような形状をしておりますが……一応、元は人族ですよ」

 

「嘘をつけ!」という表情が彼らの顔に張り付く。

アイシャを連れている今の状況で、ましてやクリフのホームグラウンドで騒ぎを起こすのは最悪の選択肢だ。どう場を収めるべきか、計算し始めた時だった。

 

「――あなたは……!!」

 

ミコと呼ばれていた女性が、弾かれたように声を上げた。その顔には恐怖ではなく、驚愕と、それから弾けるような歓喜が浮かんでいた。

 

「もしかして、……『雷神様』ではないですか!?」

 

「雷神?」と、護衛たちが戸惑いの声を漏らす。

彼女は困惑する護衛の一人へと詰め寄ると、彼が持っていた荷物を引ったくるように漁り、一冊の冊子を取り出した。

 

それは、見覚えのある装丁だった。

妹のノルンが心血を注いで書き上げ、ナナホシの印刷技術を用いてアスラ王国で大量生産させた、あの『絵本』だ。

彼女は震える手でページをめくり、ある挿絵と私の顔を交互に見比べた。

そこには、龍神の傍らに立ち、雷を操って悪を討つ、鱗と竜の眼を持つ魔術師の姿が描かれている。

 

(……プロパガンダの効果がこれほど早く、しかもこのような場所で現れるとはな)

 

予想外の角度から飛んできた援護射撃に、私は僅かに思考を停止させた。

 


 

しかし、なぜこのミリシオンに、ノルンの執筆した絵本が存在しているのか。

公式な流通ルートはまだシャリーア周辺とアスラ王国の一部に限定していたはずだ。恐らく、国境を越える旅商人が「商機」と踏んで持ち込んだのだろう。情報の伝播速度が私の予測を上回っている事実は、今後のプロパガンダ戦略を修正するための有益なデータとなる。

 

「……いかにも。私が『雷神』、ルーデウス・ボレアス・グレイラットです」

 

私は一歩前に出ると、外套の裾を払い、アスラ王国の流儀に基づいた完璧な貴族の礼を執った。

 

「やっぱり……!本物の雷神様なのですね!」

 

ミコが歓喜の声を上げる。彼女は戸惑う護衛の男たちに詰め寄り、絵本を無理やり広げて見せた。そこには、デフォルメされつつも特徴を捉えた私の挿絵が描かれている。

 

「見てください!龍神様から与えられたというこの高位の外套、そして不気味なほどに美しい竜の眼!その上、首の傷跡まで!絵本の描写と一緒です!」

 

ミコのテンションは、アスラ王国の熱狂的な観衆にも劣らないレベルまで跳ね上がっていた。彼女の瞳は輝き、もはや私を「不審な魔族」ではなく「物語の英雄」として処理しているようだ。

 

「もしや……腕の鱗や爪も、絵本にある通りなのですか!?」

 

身を乗り出してきた彼女の問いに、私は短く肯定を返した。

 

「……証明が必要であれば、お見せしましょう」

 

私は『魔神鎧』の左袖を少しだけ捲り上げた。

露出した左腕。そこには日光を反射して鈍く光るエメラルドグリーンの硬質な鱗と、鋼のような鋭さを持つ黒い爪が顕になった。人族の肌とは決して混じり合わない、魔石多頭竜(マナタイト・ヒュドラ)の細胞を混合(コンタミネーション)した結果得られた、私の生物学的な武装だ。

 

「きゃー!本物だわ、本物の鱗に爪です!」

 

ミコは心底楽しそうに声を上げたが、対照的に護衛の男たちの表情は険しさを増した。彼らにとって、この鱗や爪は「物語を彩る意匠」ではなく、一瞬で自分たちの命を刈り取りかねない「凶器」として映っているのだろう。彼らの指が剣の柄に掛かる圧力が増したのが見えた。

 

「何の騒ぎだ!?」

 

その時、後方から制止の声が響いた。

重厚な足音と共に現れたのは、一人の女騎士だった。

年齢は三十代半ば。ミリス教団の青い胸甲に身を包み、その凛々しくも落ち着いた顔立ちには、長年の軍務で培われたであろう険が宿っている。

 

だが、その顔を私は知っていた。

私の記憶から、かつてミリス大陸から中央大陸へと渡る際に世話になった、母ゼニスの妹の面影が瞬時に引き出される。

 

「あ!」

「……ご無沙汰しております、テレーズさん」

 

私の呼びかけに、女騎士――テレーズ・ラトレイアの目が驚愕に見開かれた。

 

「ルーデウス……!?ルーデウス君なのかい!?わぁ、懐かしいなぁ!」

 

先ほどまでの険しい騎士の表情が嘘のように崩れ、彼女は少女のような驚きと親しみを込めて駆け寄ってきた。

 


 

テレーズ・ラトレイア。私の母ゼニスの実の妹であり、血縁上の叔母にあたる女性だ。ミリス大陸から中央大陸への渡航の際、彼女の協力がなければ、ルイジェルドを船に乗せるために大金を吹っ掛けられていただろう。

 

彼女はどうやら、この一団――神子(ミコ)を守護する護衛騎士団のリーダーを務めているようだ。

 

「私のことは覚えているかい?たった一度しか会っていないから、忘れちゃったかな。……それにしても、君は随分と見目が変わったなぁ!だが、やはりその端正な顔つきはゼニス姉様にそっくりだ」

 

テレーズが屈託のない笑顔で語りかけてくる。その表情筋の動きを観察する限り、私への親愛の情に偽りはないようだ。しかし、ここまで見目が変わっているのに、良く分かったものだ。ゼニスに似た顔に反応するセンサーが付いているのかもしれない。

 

「もちろんです、テレーズさん。あの時の恩義は私の記憶に深く刻まれていますよ」

 

懐かしい回想を交えつつ、私は現状のステータスを彼女へ共有した。

 

「……しかし、一体なぜミリシオンの、それも教団本部に?近くに引っ越してでもきたのかい?」

「いえ、現在は魔法都市シャリーアを拠点にしています。今回は、クレア・ラトレイア夫人から呼び出しを受けましてね。今頃、パウロとゼニスがラトレイアの本家へ向かっているはずです」

「姉様がミリシオンに来ているのか!?それは是非とも会いに行かなければ……!だが、パウロもいるのか……。うっかり出会い頭に斬りかかってしまうかもしれん」

 

テレーズが物騒な独り言を漏らしていると、隣で神子が詰め寄った。

 

「テレーズ!貴方の甥っ子が私の憧れる『雷神様』だったなんて、初耳です!」

「申し訳ございません、神子様……。まさか私も、あの小さかった甥がこれほど見目を変え、龍神の右腕と称されるまでに大成しているとは思いもよらず……。皆、もう警戒は解いていい。この子が間違いなく人族であることは、幼少期の彼を知る私が保証しよう」

 

リーダーであるテレーズの宣言により、周囲の護衛たちの殺気が目に見えて霧散した。依然として私の異形に対する生理的な忌避感は残っているようだが、少なくとも即座に戦闘へと発展するリスクは回避された。

 

「それにしても、ルーデウス君は大きくなったな!ああ、いや、成人した男性に『大きくなった』なんて失礼だったかな。……今はもう、二十歳くらいかい?」

「はい、二十二歳になります」

「そうか!もう十年も経つんだなぁ……。あ、そうだ、エリス様はどうだい?元気にしているかな?」

 

テレーズはまるで少女のように、かつての旅の仲間について尋ねてくる。

 

「エリスも元気ですよ。先日、二人目の子供を出産しました」

「子供……?あ、そうか、結婚したのか!おめでとう、ルーデウス君!」

「ありがとうございます」

「彼女もこちらに来ているのかい?」

「いえ、シャリーアで留守番です。子育てという重責もありますから」

「そっかそっか。大変なこともあるだろうけど、二人で力を合わせて頑張っていくんだよ」

 

……二人で。

なるほど。彼女もまた厳格なミリス教徒だ。私が四人の妻と婚姻関係にあり、隣に立つアイシャもまた妻の一人であるという情報を提示することは、現時点ではトラブルを生む原因になりかねない。私はその事実を伏せ、曖昧に頷くに留めた。

 

「そうか、結婚かぁ……。あの小さかったルーデウス君とエリス様が結婚……はぁ……」

 

テレーズの背中に、どこか哀愁が漂い始めた。この世界の平均的な初婚年齢を考慮すれば、彼女の年齢での独身は宗教的な事情があるにせよ、本人にとって些かセンシティブな話題のようだ。これ以上の追及はやめたほうが良いだろう。

 

「『雷神様』!そんなことより、貴方のお話が聞きたいのです!」

 

神子が割って入る。「そんなこと」と一蹴されたテレーズの背中が煤けて見えるが、今は無視することにした。

 

「絵本の登場人物と直接対話できるなんて、夢のようです!絵本に載っている冒険譚や、まだ誰も知らない秘話を聞かせていただきたいのですが……よろしいですか?」

 

上目遣いで、期待に満ちた視線を送ってくる神子。

私の後ろで、アイシャの視線が僅かに鋭くなったのを感じた。

 

(……アイシャ、睨まないでくれ。これは外交的な交流だ。浮気をするつもりはないよ)

 

「私程度の冒険譚で良ければ……。しかし、これから教皇猊下との面談がありまして。こちらで行うべき業務も山積しているのです」

「そんな……!ほんの少し、空いた時間だけで構わないのです!」

 

食い下がる神子。護衛たちも「神子様のお願いを聞かないとは何事か」と言わんばかりに、再び威圧的な視線を向けてくる。

私はアイシャの顔色を伺った。一流のメイド――そして妻――としての無表情を貫いているが、その細かな感情の揺らぎから「不満はあるが、状況的に仕方ない」という妥協を読み取ることができた。

 

「……承知しました。空いた時間でよろしければ、お話ししましょう」

「やったぁ!約束ですよ!」

 

神子が無邪気に喜んだその時、遠くからクリフが私を呼ぶ声が響いた。

どうやら、ようやく一時許可証の発行が完了したらしい。

 

「では、失礼します。テレーズさん、また後ほど」

 

神子とテレーズに一礼し、私はアイシャと共にクリフの元へと向かった。

ミリシオンの深部。教皇との接触という本来のタスクに向けて、思考の優先度を切り替えよう。

 


 

「お荷物をお預かりします」

 

教団本部の中枢、その最深部へと至るゲートで厳重な身体検査が行われた。

 

私は特に武装は携えていない。この『魔神鎧』についても、彼らは単なる意匠の凝った重厚な外套としか認識していないようだ。これが魔力によって駆動し、帝級未満の攻撃を無効化する高機能外装であることを見抜く者は、この場にはいなかった。

 

案内役であるクリフも、あえて鎧の詳細を説明しない。それは私への信頼であり、同時に交渉における「隠し札」を残しておくという合理的な判断だろう。

 

私の指先から伸びる鋭い黒爪は衛兵たちに警戒されたが、それを「剥がせ」と要求するのは生物学的な部位の切除を意味する。それに、剥がしても数秒で再生してしまう。結局、彼らは私たちをそのまま通すことを選んだ。

 

案内の騎士と共に案内されたのは、白く塗りつぶされた迷路のような回廊だった。

視覚情報を攪乱し、侵入者の方向感覚を奪うための構造だろうが、クリフは迷うことなくその奥へと進んでいく。壁や天井には歴代教皇の事績を描いた壁画が延々と続き、その荘厳さは中庭のあの単調な意匠とは打って変わって、権威の重みを露骨に演出していた。

そしてたどり着いたのは、教皇の執務室。そこは二人の騎士と、高度な結界魔術によって多層防護されていた。

 

「一応言っておくが、この先は魔術は使えない……とされているが、君ならどうにかしそうだな」

「……そうだな。これは王級の結界魔術であるだろうが、エネルギーの干渉方式が少し古い。それに干渉パターンが一定だ。クリフ、君が提唱した最新の結界理論を応用すれば、もっと効率的な防護壁にアップデートできるはずだろう」

 

私が淡々と指摘すると、クリフは呆れ顔になり、騎士たちは露骨に警戒の度合いを強めた。

事実を述べたまでなのだが、彼らにとっては「神聖な防壁」を否定されたように聞こえたのかもしれない。結局、クリフが「何かあれば私が身を挺して猊下を守る」と保証することで、ようやく入室が許可された。

 

「猊下、お連れしました」

 

クリフの祖父、ハリー・グリモルは結界の向こう側に静かに座していた。

白く長い髭、金糸の刺繍が施された重厚な司教服。手紙の文面から推測していた通り、一見すれば温厚な「好々爺」そのものだ。

 

サウロスのような暴力的な力強さも、水神レイダのような研ぎ澄まされた殺気も感じられない。だが、その代わりに周囲の空間をすべて飲み込んでしまうような、巨大な「器」の広さを感じた。

なるほど。これが一億以上の信徒を束ねるシステムの頂点、教皇という存在か。

 

「紹介します。彼はルーデウス・ボレアス・グレイラット。魔法大学での共同研究パートナーであり、私の学友でした。私を凌ぐ魔術の才能を持ち、極めて有能な人物です。今後、長い付き合いをしていくつもりなので、猊下にお引き合わせしたく連れて参りました」

 

クリフの紹介に対し、教皇は和やかな微笑を浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。

友人としての紹介。そこから先の「実務的な交渉」は私の口から説明せよ、ということだろう。

 

「なるほど、それで……。ルーデウス殿は私に何を要求しに来たのですか?傭兵団立ち上げのライセンスですか?それとも龍神オルステッド、あるいはスペルド族を模した人形の販売認可?はたまた、龍神の軍門に降れという勧告に?」

 

……話が早い。

クリフが事前に情報を流していたのか、あるいは教皇自身が独自の情報収集網を構築していたのか。クリフの驚いた顔を見る限り、後者だろう。

 

「さすがは『龍神の右腕』と称されるだけはありますね。眉一つ動かさないとは……。クリフも貴方のように冷静であれば良いのですが。……申し訳ありませんが、事前に調べさせていただきましたよ」

 

教皇はにこやかな顔のまま、手元の資料を読み上げ始めた。

ルーデウス・グレイラット、現在はルーデウス・ボレアス・グレイラット。名門グレイラットの血筋、パウロ・グレイラットの息子。剣王ギレーヌの弟子。転移事件の生存者であり、S級冒険者。アリエル女王の戴冠に関与し、龍神オルステッドと同盟。アスラ王国で水神レイダ、北帝オーベールを排除し、『雷神』の異名を賜る……。

 

「……何か、事実と相違する点はありますか?」

 

別に隠蔽していた情報ではない。調べようと思えば到達できるデータだ。だが、私は三つの点を修正した。

 

「間違いは三つ。魔大陸からは自力で帰還したわけではなく、スペルド族の戦士ルイジェルド殿の助力がありました。レイダやオーベールの排除も、私一人の戦果ではなく、仲間たちの助けによるものです。そして、最も重要な点ですが……。私は、水王級魔術師ロキシー・ミグルディア・グレイラットの弟子である、という一文を付け加えていただきたい」

「ほう。……正直な方だ」

 

教皇はふむふむと頷きながら、手元の紙に何かを書き加えた。

 

「となると、絵本や人形を販売している理由はそのスペルド族への恩返しですか?識字率の向上による文化的な国家転覆を狙っているわけではなく?既にミリシオンの市場には見慣れぬ絵本が流れ始めており、我々としても対応を検討していたところなのです」

 

教皇が執務机から取り出したのは、先ほど神子が持っていたものと同じ絵本、『夢の悪神と、銀の髪の龍神』だった。

 

「……ミリシオンまで流通しているとは思いませんでした。我々『龍の爪』ではミリス神聖国で販売する意図はございませんでした。旅商人が勝手に持ち込んだのでしょう。先ほど、神子様からもファンであるとお声がけをいただきましたよ」

「何をやってるんだ、君は……」

「声をかけられたのなら、丁寧に対応するしかないだろう?」

 

呆れるクリフを軽く受け流す。

教皇は絵本をパラパラと捲りながら、その影響力を分析していた。

安価で可愛らしい挿絵、そして分かりやすい物語。ミリス教の教えを説く硬苦しい書物ばかりのこの国において、このコンテンツが持つ感染力は凄まじいらしい。

 

「販売の許可を得る前に広まってしまい、申し訳ございません。他意はありませんが、手順を誤ったことは認めます」

「故意でないのであれば問題ありません。……なんなら、ミリス教の教えを子供向けに説いた絵本の制作も、貴方たちに委託したいほどですよ」

「……この絵本は私の妹ノルンが執筆しているものです。彼女は敬虔なミリス教徒ですので、喜んで引き受けるでしょう。魔法大学を卒業すれば手も空きます」

「ほほう!それは喜ばしい」

 

和やかな空気が流れる。だが、教皇の瞳がふと真剣なものへと変わった。

 

「それでは……オルステッド様への協力を呼びかけている、その真意を伺いたい」

「今から約八十年後、魔神ラプラスが復活します。それに対する防衛基盤の構築、それが目的です」

 

教皇は顔色一つ変えず、納得したように頷いた。

魔神ラプラスの復活。その脅威を知る立場であれば、私の行動の合理性が理解できるはずだ。

 

「なるほど。それで、クリフを介して私に協力を要請しに来たと。龍神を味方に付けたければ、こちらの要求を飲め……と?」

「いいえ、違います。そのような強硬な手段は私もオルステッドも望みません。……私が真に味方に付けたかったのは、クリフです」

 

交渉の核心へ踏み込む。

 

「当初は彼の支援をするつもりでしたが、本人が『自力でやりたい』と言うので、それはやめました。それとは別に『龍の爪』の拠点をこのミリシオンに作りたいと思っていました。なので私は今日、一人の人間として、あなた方との信頼関係を構築しに来たのです」

 

私は正直に告げた。嘘をついても、この老練な政治家には見抜かれるだろう。

要求は二つ。傭兵団の支部設立の支援、そして絵本と人形の販売許可。

 

「ふむ……。クリフとの縁があるならば、龍神の絵本と人形の販売を許可しましょう。条件は、先ほどのミリス教の絵本制作への協力です」

「ありがとうございます。妹に聞く必要はありますが、私が説得を尽力するとお約束します」

「……スペルド族の絵本は、よろしいのですか?」

「他の国ならともかく、ミリシオンでは難しいでしょう。貴方がたの支持基盤を揺るがすのは本意ではございません」

「……実によく考えられておりますな。やはりこの辺りはクリフも見習わねばなりません」

 

教皇は私の「引き際」の良さを評価したようだ。

だが、彼は最後に私を見つめ、静かに問いかけてきた。

 

「……シーローンでの活躍も耳にしておりますよ。神級魔術による数万の軍勢の殲滅。……貴方は、その気になればミリシオンごと我々を滅ぼせる力をお持ちだ」

「猊下っ!?」

「……否定はしません。一晩あれば、十分に可能でしょう」

 

クリフが慌てる中、私は視線を逸らさずに答えた。

 

「しかし、それは私の選択肢にはありません。多くの無辜の民を巻き込み、何より私の得難い友人であるクリフを失うことになる。私にとって、それは最大の損失です」

 

私の言葉を聞き、クリフは照れたように、けれど安堵したように息を吐いた。

 

「魔族迎合派としては残念ではありますが……クリフが良い友人を得たことは喜ばしい。……本日の面談はここまでにしましょう」

 

教皇に礼を執り、私はアイシャと共に執務室を後にした。

クリフはまだ祖父と話があるようで、部屋に残っている。

帰り道、隣を歩くアイシャの体温を感じながら、私は思考を巡らせる。

 

「……アイシャ。拠点の場所を決めよう。教皇の承認が得られた以上、ここからの展開は早いぞ」

「はい、旦那様。……ミリシオンの地図はもう頭に入っています。最高に効率の良い場所を選びましょう」

 

夕暮れに染まるミリシオン。白亜の壁が茜色に照り返され、昼間の権威的な冷たさとは違う、どこか穏やかな表情をこの街が見せていた。

複雑な権力構造の隙間に、私たちの新しいネットワークが確実に繋がろうとしていた。あとは、ラトレイアの本家に向かったパウロたちが、無事に「過去の清算」を終えて戻ってくるのを待つばかりだ。

そう思いながら、私はアイシャと共に、夕暮れの街を歩き続けた。




アイシャがルーデウスを呼ぶときは、『お兄ちゃん』のときと『旦那様』のときがあります。気分で使い分けているようです。
エリスと神子は、今回のループでは接触していません。たまたま生き延びることができたようです。もしくは、強い運命を持つルーデウスと関わるという未来が神子を生き永らえさせたのかもしれません。
クリフ編は一気に投稿するかもしれません。
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