無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
中庭での『異端審問』という名の茶番を終え、私はアイシャを連れてクリフの家へと帰還した。
ミリシオンの夜気は冷え込みを増していたが、私の隣を歩くアイシャの体温と微かな高揚感が、私の身体を適温に保っていた。
家に入ると、既にパウロ、ゼニス、リーリャの三人が戻っていた。
だが、家主であるクリフの姿はない。代わりに、ウェンディという名の、クリフより数歳下と思われる若い女性の侍従が、所在なげに私たちを迎えた。
「ルディ、帰ったか。……支部設立の準備だが、今日は一段と進んだぞ!」
パウロが、ここ数日で見違えるほど生き生きとした表情で声をかけてきた。彼の腕には、契約書らしき書類の束が抱えられている。その手つきは丁寧で、かつての冒険者としての側面からは想像もつかないほど几帳面だ。
傭兵団『龍の爪』ミリシオン支部の設立において、パウロの現場指揮能力は極めて高いパフォーマンスを発揮したようだ。特に、アイシャが持ち前の選別眼で見出した現地の人材が、驚くほど効率的に機能しているらしい。適材適所の配置。組織運用における基本だな。
一方で、ゼニスの表情には隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。
「お帰り、ルディ。……お母様との『再教育』は、険悪にはなっていないのだけれど……やはり、あの厳格な空気の中に居続けるのは、精神を削られるわね」
リーリャがそんなゼニスの背後に回り、熟練の手つきでマッサージを施している。
私はアイシャが淹れてくれた茶を飲んで一息ついた。それから、今日中庭で起きた「事件」について報告を開始した。
神子からの招待状が、敵対勢力による罠であったこと。
テレーズ・ラトレイア率いる『
「旦那様、本当にかっこよかったんですよ!相手が束になってかかってきても、足一つ動かさずに弾き飛ばして……!」
アイシャが、普段の沈着な侍従モードを忘れ、興奮気味に私の戦闘を語る。
だが、それを聞くパウロたちの顔はみるみるうちに険しく、難しいものへと変わっていった。
「テレーズが、お前を襲ったというのか……?彼女は実の甥だと分かっていて……」
「彼女はあくまで上の命令に従ったに過ぎません。……父さん、今のミリシオンの状況を鑑みるに、これは単なる誤解ではありません。教皇派か枢機卿派のどちらかが、私が神子を誘拐するというデマを意図的に流し、私を抹殺しようとしたのでしょう」
室内に、緊迫した空気が充満する。
この件は間違いなく、ラトレイア家をも巻き込んだ公的な『裁判』という形へとエスカレーションするだろう。
ここで懸念すべきは、私自身の安全ではない。私の家族の安全だ。クリフが以前警告していた通り、ミリス神聖国の権力闘争は極めて陰湿であり、標的の家族を狙うという「汚いやり口」を標準的な戦略として採用している。
「……父さん、母さん、リーリャさん。私の作戦を聞いてください」
私は指を三本立て、順に折りながら方針を説明していく。
「まず、家族は今夜のうちに全員シャリーアへ帰還してもらいます。物理的な距離こそが、最も確実な安全策です。次に、私は明日、教団本部の最高幹部が集う会議に単身で乗り込みます、恐らく迎えが来るでしょう。……そこで、この一件の全容を白日の下に晒し、二度とこの手のデマが通用しないよう、徹底的に力の差を見せつけます」
「……ルディ、大丈夫なの?いくら貴方でも、相手はミリスの中枢よ。何人を敵に回すことになるか……」
ゼニスが心配そうに私の顔を覗き込む。その瞳には、息子を案じる母親としての純粋な不安が滲んでいた。
「心配は要りません、母さん。……むしろ今回の一件は、彼らに龍神という存在の格を正しく認識させる、又とない機会でもあります。力を示すことは、時に千の言葉よりも雄弁ですから」
「……お前がそう言うなら、俺はもう何も言わんよ。昔から、頭の出来はお前の方が数段上だったからな」
パウロは苦笑しながら、それでも息子を信じ切った表情で頷いた。
リーリャだけが、静かに一つ質問を投げかけてきた。
「……ルーデウス様。もし交渉が決裂した場合、この国とは完全に敵対することになりますが、その覚悟はおありなのですか?」
「その可能性は極めて低いと踏んでいます。ですが……ええ、その覚悟がなければ、最初からこの場所には足を運んでいません。それを踏まえて、問題ないと判断しています。……いざとなれば、国ごと滅ぼしましょう」
私の即答に、リーリャは恐れながらも小さく頷き、それ以上の追及はしなかった。
翌朝。クリフの家には、私一人のみが残されていた。
昨晩のうちに、家族全員を私の転移魔法陣を用いて、魔法都市シャリーアへと帰還させた。
「物理的にこの国から離脱させる」
これ以上の安全策はない。パウロは私の物騒な宣言を聞いて「やっぱり俺も残って戦う」と主張したが、数の暴力という不確定要素を考慮すれば、彼がゼニスとリーリャを守ってシャリーアにいることこそが私にとって最大のバックアップとなる。パウロの剣士としての実力は、私が一番理解しているという自負がある。
「……ル、ルーデウス様。お手紙、です」
侍従のウェンディが、震える手で一通の封書を差し出してきた。
開封するまでもない。召喚状だ。
外には、既に豪華な馬車が待機していた。
中へと乗り込むと、そこには既にクレア・ラトレイアが座っていた。そしてその隣には、穏やかながらも芯の強さを感じさせる老紳士――ゼニスの父であり、私にとっての祖父、カーライル・ラトレイアの姿があった。
「はじめまして。……ルーデウス・ボレアス・グレイラットです」
「ああ、君がゼニスの……。私はカーライルだ。初対面がこのような形になったこと、申し訳なく思うよ」
カーライルは柔和な表情を見せたが、その隣のクレアは、相変わらず厳しい氷のような表情を崩さない。馬車の中は狭く、二人の対照的な気配が交錯する空間は、外の冷え込みとはまた別種の緊張感を孕んでいた。車輪が石畳を踏む音だけが、しばらくの間、沈黙を埋めていた。
「……ラトレイア家にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
私が形式的な謝罪を口にすると、クレアは射抜くような視線を向けてきた。
「……ルーデウス様。一つだけ確認させていただきます。……中庭で起きたという騒動。貴方が神子様を誘拐しようとしたなどという話……あれは、真実ではないのでしょう?」
「当然です。それは私にとって何の利もない行動ですから」
私の回答を聞き、クレアは僅かに安堵したように、細く息を吐いた。
だが、私の話はそれで終わりではない。
「……しかし、一つ明確にしておくべきことがあります。これほど精緻に練られたデマを流し、私と、そして神子様を危険に晒した『犯人』の正体……その出所は、徹底的に洗い出す必要があります」
私がそう告げると、クレアとカーライルの表情が、一気に険しく引き締まった。
「……ルーデウス。もう一つ、確認させてくれ」
それまで沈黙を保っていたカーライルが、静かな、けれど芯の通った声で口を開いた。
「君は本当に、ゼニスの息子なのだな。……その振る舞い、言葉の選び方、何よりもその瞳の奥にある強い意志。若い頃のゼニスによく似ているが……それ以上の深謀を感じる。二十を過ぎたばかりの若者だとは思えないほどだ」
「……ありがとうございます、お祖父様。誉め言葉として受け取っておきます」
「……私たちにできることがあれば、遠慮なく言いなさい。孫のためだ、それくらいの融通は利かせよう」
カーライルの言葉に、隣のクレアも小さく、けれど確かに頷いた。頑なだった彼女の態度にも、僅かながら変化の兆しが見え始めている。馬車はやがて、教団本部の荘厳な正門へと差し掛かった。
教団本部の深部、幾重にも及ぶ結界魔術が展開された中枢へと足を踏み入れる。
室内は長大なテーブルを囲む会議室のような設えとなっており、そこにはこの国の最高層――すなわち教皇や枢機卿、神殿騎士団のトップたちが十数名、一堂に会していた。
上座には教皇ハリー・グリモル。その傍らに、笑顔を浮かべた神子。そして私の友人であり、この場の良心とも言えるクリフの姿がある。
その他にも、教皇と同格の法衣を纏った老人――恐らく枢機卿だろう。さらに、祖父カーライルよりも高価そうな蒼い甲冑を纏う男や、純白の鎧に身を包んだ騎士。その背後には七人の騎士が控え、私を値踏みするように見つめていた。そのうちの二人は、教皇の護衛として顔に見覚えがある。
広間の壁面には、歴代の教皇や聖人を描いたであろう荘厳な壁画が連なり、天井からは金細工の装飾が施されたシャンデリアが吊るされている。権威という概念そのものを可視化したような空間だった。
「では、役者も揃ったところで、話し合いを始めましょう。ルーデウス殿、どうぞ席についてください」
一番奥に鎮座する教皇が、穏やかな、けれど重みのある声で促した。
私は魔神鎧の外套を、一挙手一投足が優雅な軌道を描くよう意識して流し、用意された椅子へと腰を下ろした。室内のすべての視線が、私の挙動に同期しているのを感じる。
「お初にお目にかかる方も多いと思いますので、まずは自己紹介を。私の名はルーデウス・ボレアス・グレイラット。ここにいるカーライル、およびクレアの孫であり、現在はアスラ王国にて『雷神』という二つ名を賜っております。本日は、『龍神』オルステッドの名代として、ミリス教団の方々と友好な関係を構築すべく参りました」
『雷神』、そして『龍神』。
私が提示したその二つの名に対し、室内には戸惑いと疑惑の声がさざ波のように広がった。彼らの認識において、私はまだ「不審な異形」の域を出ていないのだろう。
「……言葉だけでは、私を疑う方も多いようですね。では、少しばかり実力をお見せしましょう」
私は静かに左手を挙げた。
周囲の護衛騎士たちが弾かれたように警戒し、剣の柄に手をかける。
だが、私が指を一本鳴らす方が速かった。
パキン、という硬質な音が響くと同時に、この場を支配し、私たちを拘束・監視していた「由緒正しい」結界術式が、その構造を維持できずに一瞬で崩壊した。
「なっ……!?本部の結界が、一瞬で!?」
「何をしたのだ、貴様ッ!」
名も知らぬ高官たちが慌てふためき、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
その中で、クリフとクレアだけが私を咎めるような目をこちらに向けている。
「ルーデウス!由緒正しい教団本部の結界を、君はなんてことを……!」
「先日言った通りだ、クリフ。この結界は由緒正しすぎて、術理が古いのだよ。セキュリティの構築において、古さは致命的な脆弱性でしかない。教皇猊下や神子様、あるいは枢機卿の命が大切なら、この機会に君が開発した最新の結界魔術理論へとアップデートすべきだ」
私はまるで庭の雑草を抜いた程度の些事であるかのように、淡々と告げた。実際にミリシオンの結界は、『記憶』の世界で言うところの十年以上更新していないセキュリティプログラムのようだ。これほどハッキングしやすい結界はないだろう。
教皇は驚愕に凍りつく部下たちを横目に、苦笑を漏らして場を制した。
「……皆の者、分かっただろう。この『雷神』ルーデウス殿は、単身で、かつ苦もなくミリシオンを滅ぼせる御方だ。自身の無力さを自覚し、失礼のないように気をつけなさい」
「可能性の話であれば、肯定しましょう」
私は教皇の言葉を引き継ぎ、室内を見渡した。
「幸いにして、私の守るべき家族は昨日、既にシャリーアへと帰還させました。人質という名の『盾』は、もはやこのミリシオンには存在しません。……流石の私も、昨日の茶番めいた異端審問には呆れを通り越して不快感すら覚えました。同じ過ちを繰り返さないよう、お気をつけいただけると幸いです」
私は背もたれに深く身を預け、冷徹な視線を周囲に配った。
「ああ、滅ぼすといっても、友であるクリフが全力の結界で守れば、祖父である教皇猊下、神子様は守れるでしょう。私の祖父母もそこに加えてもらえると有難い」
私がそう告げると、室内の空気は一瞬で「恐怖」という名の極低温に染まった。
教皇と神子は困ったような苦笑を浮かべ、クリフとクレアは、私のあまりにも過剰な牽制に、深い溜息をついて呆れていた。
「ルーデウス殿、貴方のお怒りは正当なものです。昨日、教団の者が貴方に多大なるご迷惑をおかけした件、この場の最高責任者として改めて謝罪させていただきます」
教皇ハリー・グリモルが、静かに頭を下げた。
由緒ある結界を破壊され、その圧倒的な武力で威圧されている状況にあって、なおこの冷静さを保ち、即座に「非」を認める。この老人の政治的な演算能力は、やはり侮れない。
「謝罪をお受けします、教皇猊下。……もっとも、現場で指揮を執った私の叔母、テレーズ・ラトレイアも、組織の末端として『上の命令』に従ったに過ぎません。彼女個人に重い罰を下すことは、私としても本意ではありません」
テレーズが不当にスケープゴートにされぬよう釘を刺しておく。彼女はラトレイア家との橋渡し役として、今後も重要となる存在だ。
「寛大なお言葉、感謝いたします。……さて、先ほどもルーデウス殿が申された通り、この場には貴方の知らない者も多い。まずは一人ずつ自己紹介をさせていただきましょう。何、それほど時間は取らせません」
教皇の促しにより、参加者たちが次々と口を開き始めた。
各騎士団のトップ、枢機卿派の重鎮たち。私は彼らの名と役職を、ミリシオンの構成図として脳内のデータベースに書き込んでいく。
「さて、ルーデウス殿。……まずは、昨日の件について前後関係をはっきりさせたいと思いますが、よろしいですかな?」
「構いません。私としても、どのような経緯があってあのような暴挙が引き起こされたのか、全容を把握したいと考えていましたから」
教皇の言い方から察するに、彼自身も全容を把握したのはつい先ほどのようだ。昨日の今日だ、情報の整理が追いついていないのは無理もない。
「では、まず何から話しましょうか……。何分、私も今しがた断片的な報告を受けたばかりでしてね。まだ状況の整理ができていないのです」
教皇が困ったように眉のあたりを指で掻くと、テーブルの一角から一人の男が挙手をした。
聖堂騎士団『弓グループ』副団長、ベルモンド・ナッシュ・ヴェニクと名乗った男だ。
「恐らく、我々が最も情報量が少ない立場でしょう。我々『弓グループ』は昨日、枢機卿より直接の要請を受けていました。内容は――『神子を殺害し、ミリスに損害を与えようとする大逆罪人の亡骸を引き取れ』というものです」
ベルモンドの報告に、室内に微かな動揺が走った。
「……しかし、我々が現場に到着した際、神子様の護衛たちはただ痺れさせられていただけで、神子様ご自身も無傷。その上、神子様はルーデウス殿の無実を強く主張しておられた。……受けた要請と現状のつじつまが全く合わない。ゆえに、我が隊は現在、この件に関して中立の立場を取らせてもらっている」
ベルモンドが淡々と告げて着席する。理性的で、感情に流されない発言だ。少なくとも彼の部隊は、この政争において冷静な判断力を保っているらしい。私は彼の名を、脳内リストの「信用できる可能性がある人物」の欄へと書き加えた。
教皇はにこやかな、けれど底知れない笑みを浮かべたまま、枢機卿へと視線を移した。
「枢機卿殿。……どうか、そのような極端な要請に至った経緯をお話しいただけますかな?」
枢機卿は無表情のまま、ゆっくりと立ち上がった。その佇まいは冷徹だが、視線の端には焦燥が滲んでいる。
「私の元に通告があったのです。……この『雷神』ルーデウスが、神子様の誘拐を画策していると。さらに部下に調査させたところ、ルーデウス殿はテレーズ・ラトレイアとの血縁関係を利用し、巧みに神子様へと接近していることが判明した。……ゆえに、私は不測の事態を防ぐべく、先手を打ったのです」
「なるほど……。しかし、先ほどの騎士の証言とは食い違いますな。『誘拐の阻止』と『亡骸の回収』では、作戦の前提条件が大きく異なる。これはいかなる理由で?」
「……恐らく、連絡役の者が事態の深刻さを伝えるため、少々誇張した表現を用いたのでしょう」
枢機卿はしれっとした顔で言い放った。
だが、その顔には冷や汗が見え、言葉に説得力はない。
彼の描いたシナリオは、恐らくこうだ。
私を神子の殺害未遂犯に仕立て上げ、その混乱の中で私を殺害、あるいは拘束する。そうすれば、私を招待した教皇派への決定的な打撃となり、教権の主導権を完全に掌握できる。
だが、彼の誤算は二つ。
一つは、私が神殿騎士を一人も殺めず、神子にも一切の危害を加えなかったこと。
もう一つは、虎の子の神殿騎士たちが、無抵抗なまでに敗北したことだ。
私には神子を害する意図も、騎士たちを殺害する意思もない。そのことを神子が証言している。
枢機卿の苦しい弁明が空を斬った後、教皇ハリー・グリモルは穏やかな、けれど全てを見透かしたような視線を私へと向けた。
「ではルーデウス殿。貴方がこれほどまでに神子様にお近づきになられた理由、改めてお聞かせいただけますかな?」
「私が自主的に、あるいは無計画に接触を図ったわけではありません。……私は神子様より正式な『招待状』を受け取っておりました」
私の言葉に会議室の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。私は視線を隣に座る祖母へと移す。
「間違いございません」
祖母クレアが凛とした動作で立ち上がる。彼女の声には、名門ラトレイア家の誇りと事実を歪ませないという強い意志が宿っている。
「その招待状は我がラトレイア家を正式な経路で経由し、孫であるルーデウスの手元へと届けられました。……証拠の品もここに用意しております」
クレアは懐から一通の書状を取り出すと、近くにいた騎士へと渡した。書状は恭しく運ばれ、教皇の手元へと届けられる。教皇はそれを手に取り、筆跡と印章を念入りに確認した。
「……ふむ。確かに、神子様の名の下に出された正式な招待状ですな」
教皇の言葉に、今度は神子が静かに立ち上がった。彼女の瞳は澄んでおり、嘘や欺瞞というノイズを一切含んでいない。
「一通目の招待状については、間違いなく私が発案しお送りしたものです。……ですが、二通目。昨日の面会を促す内容のものについては、私は一切関知しておりません」
「……つまり、二通目は『偽造』されたものである、と。しかし、神子様の名を用いてこれほど精緻な偽造書を作成できる権限を持つ存在は、この教団内でも極めて限られているはずですが」
教皇が何気ない風を装い、枢機卿の方へと視線を流した。枢機卿は椅子に深く沈み込み、その額からは大粒の脂汗が滲み出している。彼のバイタルサインは、今まさに極度の動揺を示していた。
「……神子様。貴方はこのルーデウス殿と接する中で、何らかの危険、あるいは害意を感じることはありませんでしたか?」
「いいえ。……ルーデウス様の瞳の奥に、一点のやましさもないことは、私が目を見れば分かりますので」
神子がそう告げて、確信に満ちた瞳で周囲を見渡した。その瞬間、教皇や枢機卿、そして列席していた高官たちの数名が、弾かれたように視線を逸らした。
やましい事柄を抱え、自身の『記憶』を見られることを恐れる者たち。彼らにとって、神子の純粋な真実の追究は、何よりの脅威なのだろう。
「……ルーデウス殿。一つ確認したい。貴方はなぜ、教団の誇る精鋭『
騎士団のトップと思われる男が、悔しさを滲ませて問いかけてきた。
「言葉による反論は試みました。しかし、彼らは『異端審問』という一方的な儀式に固執し、私の言葉を一切受理しなかった。私には背後で守るべき同行者もおりましたので、防衛のため反撃させていただきました。……ですが、安心してください。相応の手加減はしました。死人はおろか、後遺症が残るような深手も負わせてはいないはずです」
私の「手加減した」という言葉に対し、騎士団の幹部たちは一様にショックを隠せない様子で絶句した。対人戦において最強と自負していた神殿騎士団が、一人の魔術師に「手加減」されて完敗した。その事実を彼らの自尊心が処理しきれていないのだろう。
その時、祖母クレアが再び挙手し、教皇の許可を得て発言した。
「そもそも……。我が孫が神子様を誘拐するなどという、論理的に破綻した情報は、一体どこから流されたものなのでしょうか?神子様の誘拐など、現在のアスラ王国との良好な関係、そして『雷神』という地位を持つルーデウスにとって、何の利ももたらさないことなど、皆様方も重々承知のはずですが」
クレアの鋭い指摘が、会議室の中央に突き刺さる。
誘拐という高リスク・低リターンな行動。それを、私の経歴に照らし合わせて信じること自体が、合理性の欠如を意味していた。
すべての視線が、一人の老人に集約される。
それは、椅子の背もたれに寄りかかり、汗を拭うことも忘れて沈黙を守る枢機卿だった。
枢機卿は椅子に深く沈み込み、その額からは際限なく脂汗が滲み出していた。もはや反論のための言葉を紡ぐ余裕すらなく、ただ俯いて沈黙を守るのみ。彼の生体反応は、完全な「敗北」を示している。
そこへ、教皇ハリー・グリモルが追い打ちをかけるように、穏やかな、けれど剃刀のような鋭利さを秘めた声を放った。
「……枢機卿殿。情報の出所が何にせよ、偽の情報に踊らされ、ミリス神聖国をこれほどの窮地に追いやった責任は、極めて重い。これはもはや、大罪に相当するのではないですかな?」
「く、国の……窮地、ですか?」
枢機卿が、掠れた声でようやくそれだけを絞り出した。教皇はにこやかに、けれどその瞳の奥には一切の笑いを含ませずに答える。
「当然でしょう。目の前にいらっしゃるルーデウス殿は、伝説の『龍神』の名代であるばかりか、大国アスラ王国の重鎮。さらには、あの英雄である甲龍王ペルギウス様とも深い知誼を持つ御方だ。……もし、昨日の暴挙によってルーデウス殿に万が一の事態が起きていたならば。ミリスはアスラ王国、七大列強、および伝説の英雄と同時に敵対することになり、国際的な孤立と破滅を招いていた。……そうは思いませんか?」
にこやかに、けれど逃げ場を塞ぐように枢機卿を詰め立てる教皇。
その、あまりにも「出来すぎた」誘導を観察するうちに、私は一つの結論を導き出した。
(……なるほど。このデマを流した犯人、その大元は……この教皇猊下か)
枢機卿の無様な狼狽、そして家門として枢機卿派に属するはずの祖父カーライルと祖母クレアの顔色の悪さ。対照的に、すべてをコントロール下に置いている教皇の余裕。
隣ではクリフが、この一連のやり取りが正義ではなく「権力闘争」という名の汚い争いであることを理解し、止めることもできずに歯噛みしている。
私は枢機卿に同情しているわけではない。だが、この一方的な政争が行われるのを看過するのは、私の利にならない。
「……お待ちください、教皇猊下」
枢機卿を完膚なきまでに叩き潰そうとしていた教皇の言葉を、私は遮った。
驚愕に目を見開く列席者たち。私は落ち着いて、祖父母へと視線を向けた。
「私はあの程度の攻撃では害されません。戦場に身を置く者として、これくらいのアクシデントは日常茶飯事ですから。……私が今、この場で明確にしたいのは、その情報の出所の所在です。お爺様、お婆様。ラトレイア家が誇る情報網において、私が神子様を誘拐するというような不確実な噂は、事前に検知されていなかったのですか?」
カーライルの代わりに、クレアが毅然とした態度で答えた。
「……そんなわけがないでしょう。そのような不穏な兆候が少しでも聞こえていれば、それが『偽情報』であると即座に訂正し、上層部へ上申するのが我が家の義務です。そんな噂、昨日の今日まで一度も耳にしておりませんわ」
「つまり。この噂は情報収集能力に長けた枢機卿派の内部から発生したものではない、ということです。……であれば、このデマはどこから侵入したのか。少なくとも、厳重な検閲が行われている居住区や神聖区から自然発生したとは考えにくい。……教団の目が届きにくい、他の区画から出力された可能性が高いのではありませんか?」
私の指摘に、教皇の完璧な笑顔が僅かに曇った。
商業区や冒険者区。多種多様な種族が行き交い、魔族排斥派である枢機卿派の手が及びにくい領域。そしてそこは、魔族迎合派である教皇派が管理し、情報操作を行うのに最も適した場でもある。
――そして、ギースが姿を消したのも冒険者区だった。
教皇がこのデマを流したメリットは明白だ。
枢機卿派にとって神子は屋台骨であり、彼女が害されるという懸念が出れば、情報の精査を行う前に、防衛プロトコルを起動せざるを得ない。
もし私が騎士団に殺されていれば、龍神やアスラとの関係悪化を理由に枢機卿を永久追放できる。神子が巻き添えを食えば、教皇派にとっての懸念材料が消える。そして今回のように私が生き残れば、この場を利用して枢機卿派の管理能力不足を徹底的に断罪できる。どう転んでも教皇側のメリットにしかならない。
クリフの祖父は、想像以上に老獪な、食わせ物の狸爺であったということだ。
枢機卿は、地獄で垂らされた蜘蛛の糸を見るような目で私を見上げた。その視線には、屈辱と、それでもなお縋らざるを得ない切実さが同居している。
「私は今回の件の当事者、および『被害者』として、枢機卿殿にこの情報の出所に関する徹底的な精査を求めます。……私個人としては、命を狙われたとはいえ実質的な損害は軽微ですので、これ以上の追及は不要と考えておりますが」
私は、あえて枢機卿に「調査」という名の逃げ道を与えた。枢機卿が縋るような目でこちらを見る。
教皇による一方的な掌握を阻止し、互いに疑心暗鬼という名の監視を行わせる。それが、この国において家族の平穏を維持するための、最もバランスの取れた最適解だ。
教皇は私の意図を察したのか、深いため息を一つ吐くと、再びいつもの温和な表情へと戻った。
「……ふむ。被害者であるルーデウス殿がそう仰るのであれば、私の出る幕はありませんな。……枢機卿殿、せいぜい、情報の出所の調査に尽力されると良いでしょう」
ミリシオンの会議室に、刺すような緊張感と複雑な利害が絡み合う沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、これまで発言を控えていた白鎧の騎士だった。彼は静かに立ち上がり、私へと深々と頭を下げた。
「……ルーデウス殿。神殿騎士団総団長のオーギュストと申します。此度は、我が部下たちが至らぬ行いをいたしました。指揮系統の末端にまで間違った意向が浸透してしまっていた事実、団長として重く受け止めております」
「団長殿の謝罪、確かに受け取りました。……ですが、この機会に一つ、進言させていただいてもよろしいですか」
「……なんなりと」
私はオーギュストへと視線を向けた。
「貴方がたの結界術式、および対魔術装備は、率直に言って時代遅れです。悪意を持って言うのではなく、純粋な技術的観点からの指摘として受け止めていただきたい。……もしよろしければ、私の知る範囲で、いくつか助言を提供しましょう。友好の証として」
「……それは、願ってもないお申し出です。是非、お聞かせ願いたい」
オーギュストの目に、屈辱ではなく、純粋な向上心の光が灯った。武人としての矜持よりも、部下の命を守るための実利を優先する。この男もまた、信頼に値する人物のようだった。
私は簡潔に、いくつかの要点を伝えた。対魔術鎧の脆弱性、結界術式の更新の必要性がメインだ。専門的な魔術理論を平易な言葉に落とし込みながら語る私の説明を、オーギュストは食い入るように聞き、時折メモを取っていた。
「……なるほど、そういう理屈だったのですね。実に明快だ。ルーデウス殿、貴方は魔術師というより、まるで技師のようだ」
「私にとって魔術とは、突き詰めれば工学と大差ありません。感覚ではなく理屈で組み立てる。それだけのことです」
私の答えに、オーギュストは感心したように何度も頷いた。この会議室の中で、彼だけは純粋に「学ぼう」とする姿勢を崩さなかった。敵か味方かで人を分類するのではなく、有用な知識には素直に耳を傾ける。そういう柔軟さを持つ人間は、どの組織においても得難い財産だろう。
意図せずして枢機卿派を窮地から救う形になってしまったが、それはこの場のパワーバランスを制御するための過渡的な措置に過ぎない。
私は、沈黙が支配する会議室の空気を、自らの意志で上書きするように再び口を開いた。
「……一つ、誤解がないようにこの場で明言しておきましょう。私は、信条としては『魔族迎合派』に属しています」
「なっ……!?」
「今、なんと……!」
四方から驚愕と困惑のノイズが上がる。魔族排斥を国是とする枢機卿派はもちろん、中立を装っていた者たちまでもが、私の「異質さ」に改めて警鐘を鳴らし始めた。
「私は過去、二度ほど生命の危機に直面しました。その際、私を死の淵から救い上げてくれたのは、二度とも魔族でした。……ゆえに、私は種族による差別に論理的な妥当性を見出していません。しかし――」
私は視線を教皇へと戻した。
「情報の出所を精査するという観点においては、ミリス教徒であるか否かで選別を行うべきでしょう。特に後者……ミリスの教えを規範としていない者についてはその発言の整合性を、より厳格に検証する必要があります」
「……それは何故ですかな、ルーデウス殿?」
教皇が、興味深そうに目を細めて問いかけてきた。
「後者は、『
教皇はあらかじめ用意していたかのように、一冊の絵本を執務机から取り出した。妹のノルンが制作した『夢の悪神と、銀の髪の龍神』だ。
「
教皇はそう言って、絵本を参加者たちに回覧させた。
彼らは眉を顰めながらも、パラパラとページを捲っていく。情報は既に収集済みだったのだろう。
「これがあの、安価で出回っている不穏な本か」
「内容はともかく、絵柄そのものは暖かみがある……」
といった、コンテンツの「拡散力」に対する評価が漏れ聞こえてくる。
「その通りです。敬虔なミリス教徒であれば、その教義……『神はお告げなどをしない』という強固な信仰によって、
「そんな存在が、空想の中ではなく、現実に実在するというのですか?そして、その悪神とやらを……人々は容易く信用してしまうものなのですか?」
懐疑的な問いを投げかける騎士団長に対し、私は具体的な事例を提示した。
シーローン王国におけるジェイド将軍の反乱だ。
「夢の中にだけ現れ、一目見ただけで『この者は信じられる』と頭が判断してしまう。自らを全能の神と称し、悩みや恩義に付け入って、対象を自らの策略に従わせる。その存在は強力な未来視が可能であり、その予言に従えば、すべての事象はスムーズに、望み通りに進んでいくように見える。……しかしそれは、ただ
私は、ジェイド将軍がいかにして忠義を利用され、そして最後には用済みとして討ち捨てられたかを、淡々と語った。
ミリス教という「唯一神」を戴く者たちにとって、自らを神と名乗り、人の心を玩具にする存在は、何よりも許しがたい不敬であり冒涜だ。
「……なんと悪辣な。神の名を騙り、人の忠義を汚すとは。……しかし、ルーデウス殿。なぜその
「……龍神オルステッドによれば、その存在は、対象が絶望に染まっていく様を観測し、楽しむことを目的としているようです。……そのためだけに、最悪のタイミングで『ネタばらし』を行い、信頼を裏切り、笑いながら捨て去る」
「……なんと、悍ましい……!」
「効率だけを考えるなら、確かに非合理的な行動です。……ですが、
室内に、これまでとは質の異なる「憤り」が広がった。
目の前の「異形」である私への恐怖よりも、不可視の場所から自分たちの信仰や社会をハッキングしようとする「悪意」への、生理的な拒絶反応だ。
――ミリス教団という巨大なシステムの中に、私は
情報の海を自在に泳ぎ、人々の意志を書き換える悪神。
その影をミリシオンの深部にまで投影させたことで、会議の主導権は、完全に私の手元へと落ちた。
私はさらに情報を開示し、この聖都に潜む「不確実性」を具体的な脅威へと定義し直した。
「ミリス教徒の皆様にとって、これは決して他人事ではありません。
『魔神ラプラス』。
その名が私の口から出た瞬間、場の空気が物理的な重みを伴って引き締まった。ミリス教徒にとって、それはかつて人族の世界を滅ぼしかけた絶対的な災厄の代名詞だ。
「なぜ、
周囲の高官たちは絶句していた。彼らが歴史の闇として恐れる魔神ですら、
「……ならば、魔族、あるいはミリス教徒以外の不浄な者たちをすべて滅ぼすべきではないか!そうすれば
一人の騎士が、激情に駆られた声を上げた。短絡的で非論理的な解決策。私は即座にそれを棄却した。
「その考えは、むしろ
「……では、我々はどうすればいいと言うのだ?」
「……少なくとも、龍神が予測している『八十年後の魔神ラプラス復活』を阻止、あるいは討伐するまでは、魔族全体と敵対するのは避けるべきです。私は貴方たちの教義を否定するつもりはありません。ですが、今は共通の敵を排除することに集中すべきではないですか?」
私の提案に、多くの者が顔を見合わせた。
そこへ、一人の司教が慎重に口を開いた。
「……ミリス教徒を増やせば、
「強硬な布教は反発を招きます。それは貴方たちが一番よく知っているはずだ。……しかし、副次的なアプローチとして、『神はお告げをしない』という教義を広く周知させることは有効でしょう。それをきっかけにミリスの教えに興味を持つ者が増える分には、私も歓迎しますよ」
「それは良い考えだ。……だが、文字の読めぬ者や他国の民に、どうやってその教義を正しく届ける?」
議論が行き詰まりかけた時、教皇ハリー・グリモルがにこやかに割って入った。
「……その点については、先日ルーデウス殿と面白い相談をしていたのです。我らの教義の核心を、物語として描いた『絵本』を作成し、それを世界に広めてはどうかとね」
教皇が掲げたのは、回覧されていたあの絵本だった。皆の注目がその色彩豊かな冊子に集まる。
「確かに!これほど読みやすい媒体であれば、子供や字の読めぬ者にも教義が浸透しやすい!」
「安価に大量生産できるのであれば、宣伝コストも大幅に削減できる!」
「是非とも賛成いたします!」
枢機卿派の騎士たちまでもが、この合理的な提案に次々と賛成の意を表明し始めた。
「絵本の内容については、教団による厳格な精査が必要でしょう。……幸いなことに、この絵本の作成者は私の実の妹です。すなわち、ここにいるカーライル、およびクレアの孫にあたります。私は間もなくシャリーアへと帰還しますが、今後の制作においてはラトレイア家を窓口とし、密に連絡を取り合うことを誓いましょう。家族としての交流も継続していきたいと考えていますからね」
「私もその絵本の制作には全面的な協力を惜しみません。私自身、この物語のファンですから」
最後に神子が優しく微笑んで賛成を表明すると、もはや反対する者は一人もいなかった。
列席者たちの視線が、期待に満ちたものとなってカーライルとクレアへと注がれる。二人は、自分たちの家系がいつの間にか教団の次代を担う戦略の要に据えられた事実に、戸惑いながらも深く頷いた。
「……クレア、私たちの孫は、とんでもない大物になったようだな」
カーライルが小声で、けれどどこか誇らしげに祖母へ呟いた。
「……ええ。まったく、ゼニスも恐ろしい子を産んだものです」
クレアは相変わらず表情を崩さなかったが、その声音には確かな温かさが滲んでいた。ラトレイア家という名門が、この一件を通じて新たな時代へと足を踏み出そうとしていることを、私は静かに実感していた。
私の目的は、ほぼ完璧な形で達成された。
その様子を横目で見ていたクリフが、呆れたような、あるいは恐怖すら感じているような顔で私を見つめていた。一人の魔術師が、言葉と情報だけで巨大な宗教組織の意思決定を自在に誘導していく様は、彼にとって異様に映ったのだろう。
だが、これが私のやり方だ。
感情ではなく、論理で世界を書き換える。
その結果として家族や友人の平穏が守られるのであれば、私は喜んでこの盤面を支配し続けよう。
ミリシオンの命運を左右する「会議」を終え、私は心地よい疲労感と共に教団本部の回廊を歩いていた。
中庭へと差し掛かったところで、一人の友人に呼び止められた。
「ルーデウス、少し時間はあるか?」
クリフだ。その傍らには、いつの間にか神子も同席していた。三人でサラークの木陰へと移動し、静かな対話を始める。護衛は後ろで控えているようだ。
「昔から思っていたが……君は少々口が上手すぎやしないか?教団の最高幹部など、普通であれば一筋縄ではいかない。それをあそこまで鮮やかに誘導してしまうとはね」
クリフが半ば呆れたような、半ば感心したような表情で私を見つめる。
「君との縁があったからこそだよ、クリフ。君がこの組織における重要なアンカーとして機能してくれたから、私は存分に外部からの干渉を行えた。君の存在は、今回の作戦におけて重要だったんだ」
「全く君は……。まぁ、僕としても『雷神の友人』という強力なステータスを得たわけだ。今後はこれを利用して、もっと上手く教団内部を修正していけるだろう。ここから先は、僕自身の力でやってみるよ」
クリフの瞳には、依存ではない、自立した光が宿っていた。魔法大学にいた頃の彼とは、もはや別人と言っていいだろう。この聖都という厳しい土壌が、彼を着実に成長させているのだ。
「応援しているよ、クリフ。……エリナリーゼさんには、君が立派にミリシオンの地を踏みしめていると伝えておく」
「ああ、よろしく頼む。……それと、クライブにも。父が頑張っているところを、いつか見せてやりたいからな」
クリフは少し照れくさそうに、けれど確かな父の顔で笑った。
固い握手を交わした後、私は隣でじっとこちらを見つめていた神子へと向き直った。彼女の瞳には、切実な「願い」が見えた。
「……雷神様。私からも、一つお願いがあるのです」
神子は姿勢を正し、真っ直ぐに私の目を見て告げた。
「私を、龍神様……あるいは貴方の配下として、その末端に加えていただけませんか?……私も、三十を迎える前に死んでしまうのは、嫌ですから」
彼女の持つ「運命」は極めて弱い。私の目を見て記憶を読んだ際に、そのことを知ってしまったのだろう。このまま既存のシナリオに従えば、彼女は暗殺、あるいは衰弱によって遠からず排除される運命にある。
だが、世界最強の存在であるオルステッド、あるいは『雷神』である私の庇護下にあるならば、枢機卿も教皇も安易な干渉は不可能になる。
「……承知しました。貴方の生存確率を最大化するための策を当てましょう」
私は徐に、自らの『魔神鎧』の端を魔力で切断した。龍聖闘気を帯びた最高級の触媒だ。それに土魔術で生成した合金を組み合わせ、一つの腕輪を構築していく。
表面には、龍神の紋章と、アリエル女王より賜った雷神の印を精密に刻印する。雷神の印には個人的に気に入っているミグルド族の文様を加えさせてもらっている。
「これは単なる装飾品ではありません。私の魔力回路を一部複製し、結界魔術と治癒魔術が緊急時に自動発動されるように細工を施してあります」
私は完成した腕輪を彼女の手首へと嵌めた。
「時折、周囲の護衛たちから魔力を補充してもらってください。権威による牽制だけでなく、物理的な防壁としても、貴方の命を守る最後の防壁になるはずです」
「わぁ……!ありがとうございます、雷神様!」
神子は宝物を受け取った子供のように目を輝かせた。
だが、今の護衛騎士たちの力量では、暗殺には対応しきれない懸念がある。私は空中に魔力図を描き、多層構造の『
「もう一つの安全策を導入しましょう。……召喚」
術式が起動し、光の中から一羽の銀色のフクロウが姿を現した。
「貴方専用の守護聖獣です。スペックは聖級相当。君の身に危険が及べば、自動的に脅威を排除します」
神子は驚きつつも、すぐに自分に懐いて肩に乗ったフクロウを優しく撫で、満面の笑みを浮かべた。背後に控える護衛たちも、主君の防御機構が劇的に向上したことに、安堵と喜びを隠せない様子だ。
今回の件で、不当な審問を行ったテレーズについては、隊長職からの降格という最低限の罰で済んだようだ。彼女は組織の命令に従っただけであり、その有用性は失われていない。後日、彼女自身から詫びの手紙が届くことになるのだが、それはまた別の機会に語るとしよう。
そして、ラトレイア家。
私の祖父母の家系は、今回の紛争解決の功労者として、教団内での政治的評価を大幅に向上させた。実力を示し続ければ、教団中枢へ根差すことも容易だろう。
「ではルーデウス様。これからもよろしくお願いいたします。……次にいらっしゃる際は、是非ノルン様も。直接、あの素晴らしい物語の感想をお伝えしたいのです」
「ええ、必ず。ノルンも、貴方の感想を聞ければ喜ぶでしょう」
私は神子とクリフに別れを告げ、教団本部の巨大な扉を潜った。
昨日のうちにクリフの家は引き払ってある。今夜はラトレイアの本家へと戻り、祖父母と過ごす予定だ。
好き勝手に権力構造を書き換えてしまった報いとして、数時間ほどの「お説教」という名の対話が待っているかもしれないが……。
正門を出ると、既に迎えの馬車が用意されていた。御者を務めるのは、ラトレイア家に仕える初老の男だ。
「お待ちしておりました、ルーデウス様。旦那様と奥様が、本家にてお待ちです」
「ありがとう。……随分と手回しが早いな」
「クレア様のご指示です。『孫が無事に戻ったら、すぐに温かい食事を』とのことでして」
御者の言葉に、私は思わず口元を緩めた。あの厳格な祖母の態度の裏に、不器用な優しさが隠れていることを、今日という一日で改めて実感させられる。
馬車に揺られながら、私は今日一日の出来事を振り返った。
沈みゆく夕日が、ミリシオンの白亜の街を黄金色に染め上げていた。窓の外を流れていくその景色を眺めながら、私は静かに、次なる一手を思案し始めていた。
狸爺回でした。
ちなみに、神子へプレゼントを奮発した件については後でアイシャから詰められます。