無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
アスラ王国の王宮内、女王アリエルの私室。
そこには連日の過酷な公務による疲労を微かに滲ませながらも、陶酔しきったような満面の笑みを浮かべるアリエルの姿があった。
彼女の両隣には困惑気味のシルフィと、顔を赤らめているノルンがいた。
「ああ……やはり、この質感、この香り……。最高ですわ……」
アリエルは私の妻と妹に左右から挟まれ、その細い脚を慈しむようにさわさわと撫で回している。その表情は……臣下には見せぬ方が良いだろう。
ノルンはくすぐったさに身を縒り、シルフィは「いつものことだから」と言わんばかりの、半分諦めたような慣れた表情でそれを受け入れていた。
女王の精神を回復させるための「急速充電」。その様子を眺めながら、私は静かに紅茶を口に運んだ。
彼女の「充電」が終わるのを待つ時間は非効率だ。私は傍らに控える侍従を呼び、アリエルとの物理的な距離を保ったまま、王竜王国およびシーローン王国での報告を開始した。
侍従は私の語る詳細な情報を淀みない手つきで羊皮紙に記述していく。これを後ほどアリエルが確認すれば大丈夫だろう。
「……ふふ、一応聴いていますわよ、ルーデウス様。王竜王国の属国を攻めていた小国ども、貴方の『雷神』の名を聞いた瞬間に尻尾を巻いて逃げ出したそうですわね。アスラ側のスパイからも報告が入っていますわ」
アリエルがノルンの膝に頭を乗せ、頬を擦りつけながら、満足げに声を上げた。
「武器の供給による経済的利益としては、もう少し戦争を長引かせてもよかったのですけれど……。王竜王国が完全に崩壊してはその後の火事場泥棒への対応にコストがかかりすぎます。貴方の介入は実にちょうど良い引き際でしたわ」
「お役に立てたのなら光栄です、アリエル様」
女王の意識はそのままノルンの進路へと移った。膝枕のまま話をするのか……。
「ところでノルン。魔法大学の卒業が近いと伺いましたわ。本当は私が直接卒業パーティに馳せ参じて、貴女の門出を祝福したいのですけれど……。流石にこの時期に王都を離れるわけにはいきませんの。……ねぇ、卒業後はこのアスラ王国へ来ませんこと?貴女のための席は、公私ともにいくらでも用意させていただけますわよ」
熱烈なスカウトを受け、ノルンが助けを求めるような視線をこちらに向けてきた。
「……ノルンの好きにすればいい。君の幸福を最大化できる選択が、私にとっても最善だ。……クレアお祖母様もアリエル女王の庇護下にある君を否定することはないだろうし、安全性においてもアスラは最高水準だ」
私の回答に、ノルンはさらに困惑したように眉を下げた。
「……兄さん、突き放さないでくださいよ……」
「突き放してはいないよ。……ただ、卒業後に一度ミリシオンへ行ってみないか?教皇猊下と交わした『絵本』の執筆契約。そのための現地取材が必要だろう」
ミリシオン、という単語にノルンが反応した。興味はあるようだが、リーリャやゼニスから聞かされていた「クレア・ラトレイア」の厳格さが、彼女の不安を煽っているようだ。
「クレアお祖母様……やっぱり、怖い人なのでしょうか?」
「確かに気難しいし、聖都の貴族特有の厭味な言い回しも多い方だ。だが、その根底にあるのは家族への不器用な愛だと思う。君の誠実な性格なら、数日もあれば良好な関係を構築できるはずだよ」
私がそう言うと、ノルンは「兄さんがそう言うなら……」と少しだけ表情を和らげた。
その様子を見ていたルークが、からかうように口を挟んでくる。
「ノルンも苦労するな。……ルーデウス、お前の家族はどいつもこいつも規格外すぎて、常識人が損をする構図になっている自覚はあるか?」
「否定はしない。だが、ノルンの誠実さは私には無い、何物にも代えがたい財産だ。……規格外の集団の中で、彼女のような『地に足のついた視点』を持つ者がいてくれることが、家族全体のバランスを保っているのだと思うよ」
「……兄さん、それ、褒めてるんですか貶してるんですか……」
ノルンが困り顔で呟く横で、シルフィがくすくすと笑い声を漏らした。
対話が一段落したところで、アリエルがノルンの脚から起き上がり、居住まいを正した。その瞳には、一国の王としての鋭い光が戻っている。先程までの変態然としただらしない表情からは想像もつかないほどの変わりようだ。
「……楽しそうな旅の計画ですけれど、ルーデウス様。貴方にはまず片付けるべき『敵』がいるはずですわね?そのために、世界中の有力な人物を味方に引き込もうとしているのでしょう?」
「仰る通りです。……次は魔大陸へ向かいます。魔王アトーフェラトーフェに再会するために」
隣で聞いていたシルフィが私の隣に席を移し、不安そうに私の腕に触れた。
「ルディ……アトーフェ様って、あの恐ろしいって聞く魔王様でしょう?大丈夫なの?」
「心配いらないよ。彼女は一度私に屈し、現在は私の生存期間中の忠誠を誓うと言っていた。……ただ、彼女のような存在を円滑に動かすには、論理よりも『嗜好品』による買収がより効果的だ。良い酒をアスラで仕入れて、手土産に持っていこうと考えている」
すると、これまで静かに控えていたルークがニヤリと笑って口を挟んできた。
「酒ならノトス家の貯蔵庫に最高級の物があるぞ、ルーデウス」
「……ノトス家の?」
「ああ。百年前、時の王室御用達とまで謳われた醸造家の蔵とぶどう畑……。それらを独占して作られた百年物のワインだ。飲み尽くすのが惜しいからと蔵の最深部に封印され、冠婚葬祭でも滅多に出されない一品だ。市場価値に換算すれば、一本でアスラ金貨三百枚は下るまい」
「一本で金貨三百枚……。そんな貴重なものを私に分けてくれるのか、ルーク?」
私が驚きを隠せずに問うと、ルークは肩をすくめて不敵に笑った。
「今のお前に大きな恩を売っておけば、後々ノトス家が窮地に陥った際にとんでもない利子をつけて回収できそうだからな。先行投資だ。持って行け」
「……有難く、投資を受けることにするよ」
ルークとの間に交わされた男同士の「貸し借り」。アリエルは少し羨ましそうに見ていた。アスラ貴族の中では有名な酒らしい。
アリエル女王の権威、ノトス家の銘酒。アスラ王国で得たこれらの強力なリソースを抱え、私は次なる攻略対象――魔大陸の荒野に鎮座する、不死の魔王の城へと照準を合わせた。
魔大陸へ発つ前に私は一度シャリーアの自宅へと立ち寄った。旅装を整えるため、というのは建前で、本当の理由は単純だ。家族の顔を見ておきたかった。
「ルディ、もう行っちゃうの?」
出発の支度をする私の傍らで、シルフィが少し寂しそうな顔をした。抱いていたジークハルトを一度侍女に預け、こちらへと歩み寄ってくる。
「ああ。魔大陸へ行く前にペルギウス様の所にも顔を出す予定だ。今回は少し長丁場になるかもしれない。……悪いね、留守がちで」
「ううん、いいの。ルディがやっていることの意味は、ちゃんと分かっているつもりだから。……でも、たまにはこうやって顔を見せてね」
シルフィは私の胸に軽く額を預けた。その温かさに、私は少しの間、目を閉じて浸る。
リビングの隅では、ルーシーがアルスと積み木遊びに興じていた。ララはレオと一緒に、庭で虫でも探しているのだろう。クリスティーナはまだお昼寝中だ。ジークハルトはまだ会話ができないが、私の姿を認めると小さな手をぱたぱたと振ってくれる。この光景を守るために、私は今から不死身の魔王の元へと向かうのだ。妙な話だが、それが今の私にとって最も分かりやすい行動原理だった。
「お土産、期待しているからね」
「ああ、任せてくれ。魔大陸の珍しい品を見繕ってこよう」
シルフィに見送られ、私は再び転移魔法陣を起動した。
空中城塞ケィオス・ブレイカーにて、ペルギウスとナナホシの共同実験の補佐を終えた私は、休む間もなく次なる目的地へと転移した。近々、異世界の座標を特定するための大規模な魔術検証を予定しており、そのための調整は極めて重要な工程だ。
今回の魔大陸遠征にはエリスを伴っている。事務所で待っていてくれた彼女を連れて、次は魔大陸に飛ぶ。
目的地はガスロー地方、ネクロス要塞。
魔大陸の中でも特に魔力の濃度が濃く、生息する魔物のスペックも異常に高い過酷な土地だ。
先ほどから上空から襲来する飛竜の群れを、私の魔術に頼るまでもなく一刀の下に斬り捨て続けているエリスは絶好調そのものだった。
「ルーデウス!こっちの連中は歯応えがあっていいわね!腕が鳴るわ!」
「……頼もしいよ、エリス。だが、あまり深追いして体力を浪費しないでくれ。本番は要塞に入ってからだ」
私は自らの役割に徹した。
今の私の防衛対象は「土産の酒」である。
ルークから託された、ノトス家の蔵に眠っていた超高価な百年物のワイン。アトーフェ親衛隊の士気を一時的に買収するための、アスラ王国製コモングレードの酒が五樽。そして、龍神オルステッドより「彼女への口添え」として預かった特別な銘柄。
これらの揮発性あるいは壊れやすい「外交的通貨」を、風魔術による衝撃緩和のクッションで包み込み、私は一瓶の割れも許さぬよう運搬を続けていた。
日が傾き始めた頃、私たちは開けた岩場を見つけ、野営の準備を始めた。ネクロス要塞への到着は明日になりそうだ。
私が手早く火を熾していると、エリスが片手で丸々とした角兎のような魔物を三匹ぶら下げて戻ってきた。
「今日の晩飯はあたしが仕留めてきたこいつよ!」
手加減なしの一撃で仕留めたのか、傷口は驚くほど鋭く綺麗な状態だ。
「相変わらず見事な切り口だね、エリス」
「ふふん、当然でしょ!」
私は手早く獲物を捌き、串に刺して火にかけた。焚き火を囲んで香ばしい匂いが立ち込める頃には空にはすっかり満天の星が広がっていた。魔大陸特有の、澄みきった空気ゆえの絶景だ。
「……こうして二人で野営するのは久しぶりね」
エリスが焼けた肉を頬張りながら、ぽつりと呟いた。
「ああ。だが、魔大陸に来るとなんだか懐かしい気分になる。……初めてこの大陸で目を覚ました時のことを、今でも時々思い出す」
「私も。ルーデウスが命がけで私を守ってくれた時のこと、忘れないわ」
エリスが串に刺した肉を勢いよく頬張りながら答える。かつて、右も左も分からない子供だった私たちが中央大陸まで帰れたのは、ルイジェルドのおかげだ。焚き火の炎を見つめながら、私はしばし感慨に浸った。
「明日はいよいよネクロス要塞ね。……アトーフェに会うのは初めてだから楽しみだわ!」
「元気すぎるくらい元気な人だよ。手土産を気に入ってもらえるといいけど」
そんな他愛のない会話を交わしながら、夜は静かに更けていった。
やがて、荒野の先にネクロス要塞の無骨な影が見え始めた。
城壁の上には既に数名の兵たちがこちらを捕捉し、仁王立ちで待ち構えている。
『英雄よ! よくぞネクロス要塞へと到達した!』
『魔の山を超えるとは、その心意気や良し!』
『貴様が求めるものは、勇者の名誉か!? それとも魔王の力か!?』
『どちらにしても構いはしない!』
『ここを通りたければ!』
『我らアトーフェ親衛隊を倒していくがよい!!』
定型化された、あまりにも前時代的で仰々しい歓迎。
エリスは挑戦的な笑みを浮かべ、既に『指指し』の動作すら省略して抜剣の構えに入ろうとしている。不必要な摩擦は時間の損失であり、非合理的だ。
私は一歩前に出ると、魔神鎧のフードを僅かに上げ、竜の眼で城壁の上を射抜いた。
「無駄な戦闘は省略したい。……アトーフェに伝えろ。ルーデウスが最高級の酒を携えて参上した、と」
城壁の上の兵たちは、私の名を耳にした瞬間、一斉に動きを止めて呆然とした。
直後、後方から現れた年嵩の熟練兵が若い兵たちの頭を勢いよく殴りつけ、怒声を上げているのが聞こえた。
『この大莫迦者がッ!誰を相手に名乗りを上げさせている!早く門を開けろッ!!』
凄まじい音と共に、巨大な石門がゆっくりと左右に開かれた。
ネクロス要塞の最深部、屋根のない広大な闘技場のような造りの謁見の間。そこには、無骨な石の玉座に深く腰掛け、退屈そうに空を眺めていた魔王アトーフェラトーフェの姿があった。私たちの足音を聞きつけると、彼女は野獣のような鋭敏さでこちらを向き、その瞳に歓喜の光を灯した。
「アトーフェ。変わりないようで何よりだ」
「ルーデウス!おお、もう来たのか!もっと遅くなると思っていたぞ!」
アトーフェが玉座から飛び起き、豪快な笑い声を上げる。
以前の敗北を経て、彼女は「私が生きている限り忠誠を誓う」という盟約に従って動いている。
「今日は今後の戦略についての話しに来たのだが、まずは手土産を受け取ってほしい」
「土産だと?ほう、気が利くではないか!」
私は背後に浮かせていた魔力制御下の貨物をゆっくりと降ろした。
「酒を三種類持ってきた。まずはこれだ。アスラ王国でも普及している標準的な銘柄だが、質は保証する。五樽用意した。兵たちに分配してやると良い」
「おお!貴様ら、聞いたか!ルーデウスからの配給だ!ありがたく頂戴しろ!」
アトーフェの号令に周囲の親衛隊たちが歓声を上げ、手際よく樽を運び出していく。兵の士気を高めるための、極めてコストパフォーマンスの良い投資だ。
次に、私はルークから譲り受けたあのワインを取り出した。
「次はこれだ。アスラ王国 ノトス・グレイラット家の蔵に眠っていた、百年物の秘蔵品だ。市場価格に換算すれば、この十本で一生遊んで暮らせるほどの価値を持つ『財産』らしい」
「……うまいのか、それは?」
「女王アリエルですら、私がこれを持ち出す際に羨望を隠せなかったほどだ。洗練された味を好むならこれ以上の酒はないだろう」
アトーフェの眼が期待にキラキラと輝き始める。「高級」というラベルはそれだけで強力な誘引剤となるようだ。
そして最後に、私はオルステッドから託された「真の本命」を取り出した。
重厚な意匠が施された瓶。それを提示した瞬間、それまで浮かれていたアトーフェの動きが凍りついた。
「おい……待て。まさか、それは…………ムーアァァァッ!!」
彼女の叫びに応じ、影のように控えていた腹心のムーアが即座に歩み寄ってきた。アトーフェは震える指先で瓶を指し、ムーアに鑑定を促す。
「ムーア、見ろ!確かめろ!これは、あの……!」
「……失礼いたします」
ムーアは恭しく瓶を手に取り、凝視して確認する。瓶の底に沈殿している、ビー玉のような不思議な輝きを持つ固形物を視認した瞬間、彼は「ほう……」と深く、感銘を受けたような息を吐いた。
「……以前、拝見した時と全く同一の物ですな。間違いありません」
「だろう!ルーデウス!どこからこれを入手した!?」
「これは龍神オルステッドより、『アトーフェと円滑な交渉を行いたいのであれば、これを持っていけ』と預かったものだ」
「龍神……!では、本物か……!」
アトーフェは、まるで聖遺物でも扱うかのように瓶を凝視し、わなわなと肩を震わせた。
「これぞまさしく……オレとカールの婚姻の儀の際、あのウルペンめが龍族の秘伝を尽くして送り届けてきた伝説の秘酒!」
なるほど。魔王ウルペンから贈られた婚礼の品か。オルステッドが「確実に落ちる」と断言した理由が証明されたわけだ。
「その名を『
アトーフェの瞳には、もはや私への忠誠以上の、深い感謝と感激が溢れていた。
「……喜んでくれたのなら、オルステッドも本望だろう」
「喜ぶなどという言葉では足りぬ!宴だぁ!!全員、直ちに宴の準備をしろッ!今宵はネクロス要塞にあるすべての酒を飲み尽くし、この伝説を祝うぞ!!」
アトーフェが酒瓶を高く掲げて咆哮すると、要塞全体が地響きのような歓声に包まれた。
宴会場は、要塞内でも最大の面積を誇る練兵場を転用して設営されていた。
普段は訓練用の木人やアスレチック装置が整然と並んでいる場所だが、今はそれらがすべて端に片付けられ、中央には急造の宴会場が構築されている。その周囲を囲むように、巨大な魔獣の革を繋ぎ合わせた絨毯が敷き詰められ、アトーフェ親衛隊の面々が私が持ち込んだ酒を文字通り浴びるように消費していた。あと十樽くらい多く持ってくれば良かったな。
即席で組まれた料理台には、丸焼きにされた巨大な魔獣の肉や、香辛料の効いた串焼き、得体の知れない光る果実など、魔大陸ならではの料理が所狭しと並んでいる。人族の味覚には少々刺激が強いものも多いが、エリスは気にする様子もなく次々と皿へ手を伸ばしていた。
彼女は見慣れない赤い果実を警戒もせずに一口で頬張り、次の瞬間顔を盛大にしかめた。
「……っ、す、すっぱいっ!!」
「その果実は見た目に反して酸味が強いらしい。先に言っておくべきだったな」
私は苦笑しながら、水代わりの果実酒を差し出した。エリスは涙目になりながらもそれを一気に飲み干し、すぐさま気を取り直して肉の塊にかぶりついている。相変わらずの切り替えの早さだ。
「今宵はめでたい日だ!飲め!歌え!そして戦えッ!!」
アトーフェは玉座代わりの巨大な岩に腰掛け、絶好調の様子で咆哮した。
彼女は私が贈った『
宴のメインコンテンツは闘技場で行われる格闘戦だ。
武器の使用は禁止、防具の着用も不可。剥き出しの肉体と肉体が衝突する、極めて原始的な戦いだ。しばらく肉を齧りながら眺める。
段々と戦う兵たちが減っていき、精鋭だけが残った。
現在、その中央で獰猛な野犬を思わせる鋭い動きを見せているのは、他ならぬエリスだった。腹ごなしの運動らしい。
彼女は剣王としての技術を徒手空拳に応用し、次々と名乗りを上げるアトーフェ親衛隊の魔族たちを物理的に沈黙させていく。
「アーッハハハハハ!強い、強いぞ!さすがは勇者の仲間だ!次は誰だ!?」
「……勇者?」
私が苦笑しながら呟くと、アトーフェはこちらを指差して笑った。
「お前のことだ、ルーデウス!このオレを一度でも地に伏せさせた者は、魔大陸においては『勇者』だからな!」
「勝負よ!魔王アトーフェ!そこに座っていないで、貴女が降りてきなさい!」
エリスが闘技場の中心から、玉座のアトーフェを指差して挑発をかけた。
アトーフェの瞳に好戦的な火が灯る。
「アーッハハハハハハ!オレに素手での戦いを挑むとは、あのキシリカに勝るとも劣らぬアホウだな!よかろう、その無謀な心意気、気に入ったぞ!オレが直々に相手になってやる!」
アトーフェは重厚なマントを乱暴に脱ぎ捨て、上半身の防具すら排除して闘技場へと飛び降りた。……全く、目に毒だ。
戦士たちの歓声が地響きとなって要塞を揺らす。
「……ルーデウス様もいかがですか?アトーフェ様も、貴方となら本気で組み合いたいはずですよ」
隣で酒を飲んでいた親衛隊の一人が、悪戯っぽい笑みを浮かべて誘ってきた。
「遠慮しておこう。魔術が使えなければ勝てんよ。だが魔術を使えば、この宴自体が終わってしまう。今日の主役はエリスとアトーフェのようだ」
私の言葉に周囲の兵たちがどっと笑った。冗談だと思っているようだが、実際のところ、これは冗談でも謙遜でもない事実だ。
私はその熱狂的な光景を視界の端に収めつつ、いつの間にか隣に音もなく立っていた男へと意識を向けた。
「ムーア……誓いは守っているか?」
「……もちろんでございます、ルーデウス様」
魔王の副官、ムーアは穏やかな、けれど一切の油断のない所作で頷いた。
どうやら私がアトーフェを殺害する必要はなさそうだ。私はムーアに対し、今回ここへ赴いた実務的な要件を端的に伝えた。アトーフェよりこいつに伝えた方が良いだろう。
「
「魔神ラプラスとの戦い、ですか……。失礼ながら、その時も貴方は生存しておられると?」
ムーアが、人族としては規格外の寿命を前提とした私の提案に、疑念の眼差しを向けた。
「私の寿命は、私自身にも未知数だ。
「……承知いたしました。キシリカ様の探索については、アトーフェ様のサインが入った書状を作成しましょう。これを用いれば、一年以内にキシリカ様を見つけ出すことが可能です」
「助かる」
「ムーア!ムーアァァァァッ!!ルーデウスを連れてこいッ!!」
不意に闘技場からアトーフェの咆哮が響いた。
そちらに目を向けると、闘技場の中央でエリスがうつ伏せに倒れていた。私は即座に駆け寄り、治癒魔術をかける。どうやら魔王の力の前に、剣王といえど素手では限界があったらしい。
私がアトーフェの元へ向かおうとするとムーアがそれを制し、一つの箱を差し出してきた。
「ルーデウス殿。アトーフェ様より、こちらを貴方に預けておくようにと」
「……これは?」
「貴方が窮地に陥った際にお開きください。必ずや、貴方の助けとなりましょう」
受け取ったのは、『記憶』でいうところの国語辞典ほどのサイズの箱だった。
表面には禍々しい悪魔の文様が精密に刻まれており、不用意に触れれば呪いが発動しそうな不気味さを放っている。だが、実際に持ってみると予想に反して驚くほど軽い。
私は直感的にその用途を理解し、有難く懐に収めた。
宴は明け方近くまで続いた。アトーフェは最後まで意気軒昂で、私は終夜付き合った。朝方、気絶したまま寝入ったエリスを抱え、私は要塞内に用意された客室で数時間の仮眠を取った。
翌日、私たちはネクロス要塞を発ち、アトーフェの署名を利用して魔大陸各地に点在する他の魔王たちへの挨拶回りを行った。
アトーフェという強大な後ろ盾がある以上、彼らとの交渉は極めて良好に進められ、次々と味方陣営へ加わっていった。
すべての行程を終え、シャリーアの自宅へと帰還したのは、出発から半月ほどが経った頃だった。
「ただいま」
扉を開けると、真っ先に駆け寄ってきたのはルーシーとアルスだった。二人は私の足に纏わりつき、口々に「おかえりなさい」と声を上げる。少し遅れて、シルフィとアイシャ、ララも姿を見せた。
「おかえり、ルディ。……少し日に焼けたね」
「魔大陸は日差しが強いからね。……お土産、たくさん買ってきたよ」
私が懐から取り出した魔大陸特産の装飾品や菓子を見て、子供たちが歓声を上げる。エリスも、装備を片付けに事務所へと戻っていった。
手をしっかりと洗って、ロキシーの部屋に向かう。
「ロキシー、入っていいかい?」
「ルディ!帰ってきたのですね!どうぞ!」
ロキシーはベッドに横になっていた。お腹がずいぶんと膨らんでいる。
ベッドの脇に腰掛け、お腹を傷つけないように優しく触る。時々、お腹を蹴っていることが分かった。
「……君の出産に間に合うように帰ってこれて良かった」
「ふふ、お腹はずいぶんと膨らみましたが、生まれるのはもう少し先ですよ」
母の顔で笑うロキシーに見惚れる。……ああ、私はなんて幸せなんだろう。
ロキシー用にもらってきたお土産を渡す。エリスが酸っぱいと言っていたあの果実だ。
「この果実はっ!」
「懐かしいかい?……酸っぱいものが食べたいと言っていただろう?ちょうど良いかと思って、アトーフェに頼んで持ってきたんだ」
「ちょうど食べたいと思っていたんです!ありがとうございます!」
そう言って果実に手を伸ばす。既に水魔術で完璧に洗浄済みだ。
美味しそうに果実を頬張るロキシーを見ながら、私は生まれてくる子の名を考えた。
アリエル様の変態性を加筆するのは楽しいですね。
物語は終盤に入ってきました。また明日、投稿します。