無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
五龍将の秘宝の複写研究はいよいよ大詰めを迎えていた。
試作した魔法陣は既に百枚を超えている。その中から「これこそは」と確信を持てる五枚を選び抜き、私はオルステッドの元へと向かった。彼はいつも通り魔力回復装置が設置された部屋にいた。
「五龍将の秘宝の複写を行います。出来上がったものの確認をお願いします」
そう告げるとオルステッドは僅かに目を見開いた。これまでも定期的に進捗を報告してきたが、まさか本当に完成に漕ぎ着けるとは彼自身も半信半疑だったのだろう。魔法陣を精査する彼の目はいつになく真剣だった。
オルステッドは五枚の魔法陣の中から一つを選び、私へと差し出した。私はそれを受け取り、静かに手を掲げる。
「『
通常の魔術行使とは異なるプロセス――情報のみを頼りに、無から実体を生成する術式だ。魔力消費の激しい転移魔法陣や召喚魔法陣と比較しても、なお過剰なほどの魔力を要求してくる。
魔法陣の上に玉の破片のような小さな結晶が姿を現した。
オルステッドは壊れ物を扱うかのような慎重すぎる手つきで、それを取り上げて検分した。
やがて、彼は深く息を吐き静かにこう言った。
「……おそらく、問題なく複写できている。本当に成功するとはな……」
オルステッドの目は、どこか遠くを見つめているようだった。何万年もの時を生きる龍神にとってすら、これは大きな一歩だったのだろう。
これでもう、彼がペルギウスと敵対する理由はなくなった。
ロキシーが出産した。
これまで妻たちの出産は、タイミングが重なることが多かった。だが今回はロキシー一人だ。そのせいか、これまでとは比べ物にならないほど手厚い看護態勢が組まれ、当のロキシー自身が少し戸惑っているようだった。治癒魔術の担い手だけでも私とシルフィの二人がいる。さらにエリス、ゼニス、リーリャまでもが控えていた。特にリーリャは、もはや百戦錬磨と言っていいほどの落ち着きぶりだ。
そうして、当然と言っては何だがロキシーは無事に出産を終えた。
生まれたのは、ロキシーによく似た透き通るような青い髪を持つ女の子だった。元気な産声が部屋いっぱいに響き渡る。
その声を聞きつけたのだろう、ドアの向こうから「やったぞーっ!」というパウロの叫び声と、子供たちの歓声が聞こえてきた。
私はロキシーの様子を見る。治癒魔術は既にかけ終えている。顔色も良い。彼女は生まれたばかりの娘を抱き、この上なく幸せそうな顔をしていた。
私は既に『魔神鎧』を身に着けている。
「子を皆に見せてもいいかい?」
そう尋ねると、ロキシーは柔らかく微笑んだ。
「ええ、もちろんです」
リーリャがロキシーから赤子をそっと受け取り、私の『魔神鎧』の上に乗せてくれる。アイシャがドアを開けると、待ち構えていたパウロとアルス、ララ、ルーシーが一斉に詰め寄ってきた。
「赤ちゃん見せて見せて!」
子供たちの声に応え、私は腕の中の小さな顔を見せてやった。
「わぁぁーっ!」
歓声が上がる。パウロが目を潤ませながら、私の肩を叩いた。
「よくやったな、ルディ!」
「よくやったのは私ではなく、ロキシーですよ」
私が苦笑しながら答えると、パウロは「そうだったな」と豪快に笑った。
こうして、グレイラット家にまた一人新しい家族が増えた。
オルステッドは先日、空中城塞ケィオスブレイカーに単身訪れて、ペルギウスと情報共有を行ったらしい。彼らしくないほどのフットワークの軽さだった。やはり、古代龍族の同胞であるペルギウスとの敵対は、オルステッドにとっても思うところがあったのだろう。
今日はオルステッド、エリス、シルフィ、そしてザノバを伴い、同じく空中城塞ケィオスブレイカーを訪れている。
今日の主目的は、ナナホシとの共同研究における集大成――異世界転移の実験だ。
地下十五階、広大なエントランスホールには異様な光景が広がっていた。
一平方メートルほどの魔方陣が刻まれた石板が緻密な計算に基づいて積み重ねられている。その数、計二万五千枚。
その一つ一つに精緻な術式を書き込む工程には、私も定期的にここを訪れて助力してきた。この複雑な回路設計に携わる時間は何物にも代えがたい知的充足感を得られるひとときだった。
装置の中心には同じく魔方陣が組み込まれた巨大なアーチが設置されている。
これはペルギウスが自ら開発した、転移が正常に処理されたかを判定するための診断回路だ。転移魔術は発動後にその術式の種類に応じた固有の「魔力の残滓」を空間に残留させる。その波形を測定することで、対象がこの世界のどこかへ飛んだのか、あるいは境界を越えて「異世界」へと到達したのかを判定する仕組みだ。
見学組であるエリスとシルフィはザノバと何事か話し合っている。
「ほう……。これは実に見事な構成だ。クリフ殿はこれを見ることができないと知れば、悔しさで歯ぎしりをしていたに違いありませんな」
ザノバが感嘆の声を漏らす。ミリシオンで奔走している友人の顔を思い浮かべ、私は苦笑した。
「どうだ、オルステッド。我とルーデウスとナナホシが組み上げたこの術式、素晴らしい出来栄えだろう?」
「……これほどの規模の多層回路をくみ上げるとはな。驚いた」
ペルギウスが誇らしげに胸を張ると、オルステッドもまた、眼前の魔法装置を冷静に、けれど感心した様子で観察していた。
最終点検を終えたナナホシが硬い表情のままこちらに歩み寄ってくる。
「ルーデウス、準備はいい?ひとまず、小さい物……リンゴから送ってみるわ。そこから検出される魔力の残滓を分析して、成功判定用の魔法陣を微調整する。それが成功したら、次は生物。その次は貴方。……最終的には、私。いいわね?」
「分かっている。安全確認は私が引き受けよう」
ペルギウスは、オルステッドに設計図を見せながら、さらに自慢を続けている。
「ふふふ、博識な貴様に物を教える日が来るとは思わなんだぞ」
「…………。いや、そんなことはない。俺は貴様から、これまで色々と学ばせてもらった。……色々と、な」
「ふん、お為ごかしを。最初に出会った時から、世界のすべてを知ったような不遜な顔をしていたくせに」
言葉の応酬こそ刺々しいが、二人ともどこか楽しげだ。ループについてはまだ話していないらしい。
そんな中、実験が開始された。
アーチの真下に一個のリンゴが設置される。
ペルギウスとその配下の十二の使い魔たちが、巨大な魔方陣を等間隔で囲むように配置についた。
私は魔力供給源としての役割を担い、所定の位置で待機する。
「ペルギウス様、開始してください!」
「うむ……では、開始する」
ペルギウスと配下たちが一斉に魔方陣へ触れ、術式の外枠を活性化させる。
魔方陣の外周が青白い光を放つのを確認し、私は自らの魔力を開放した。
メイン回路の起動。莫大な魔力を、石板の積層構造へと流し込む。
流石にこの規模になると自動制御は不可能だ。
私が注ぎ込む膨大なエネルギーを、ペルギウスたちが精密に分配し、最適化された順番で術式を励起させていく。
周囲が、視界を焼き切るほどの純白の光に包まれた。
そして――。
――パツッ。
電球が切れるような、乾いた音が空間を震わせる。
アーチに組み込まれた診断回路以外の光が、瞬時に消失した。
中央を確認する。……リンゴは、跡形もなく消え去っていた。
「……実験、成功です」
ペルギウスの側近、シルヴァリルの静かな宣言に、私は長く溜めていた息を吐き出した。
彼女は私たちの反応を待たず、手元の羊皮紙に凄まじい速度で数値を記録していく。
「これより魔力の残滓を分析し、異世界転移への確実性を高めるフェーズへと移行します。分析データは既に蓄積されていますので、調整にそう時間はかからないでしょう」
「ルディ、大丈夫?」
シルフィが心配そうに駆け寄ってきた。
「ああ、問題ないよ。魔力の消費も想定の範囲内だ。この程度の出力なら、一日数回は稼働できる。……ナナホシ、データの解析は私も手伝おう」
私はナナホシと共に、ペルギウスとシルヴァリルの元へと向かった。
ギース・ヌーカディアによる奇襲の可能性がゼロではない現状、私の魔力を枯渇寸前まで使い切るわけにはいかない。有事に備えた予備リソースを常に確保しておく必要がある。
そのため、空中城塞での実験は数日おきのインターバルを設けて行われることとなった。
私はギース対策やオルステッドから命じられた実務に追われ、データの解析に一から十まで携わることはできなかった。だが、合間を縫ってペルギウスやナナホシと理論の整合性について議論を交わす時間は純粋に楽しかった。
やはり、私は根っからの研究者気質なのだろう。もちろん、合間には妻たちと共に子供たちの世話という重要な仕事にもリソースを割いている。
実験開始から一ヶ月が経過した頃、ついに大きな進展があった。
生物――一頭の馬の異世界転送に成功したのだ。
ただし、転送先の「座標精度」については、依然として大きな改善の余地を残している。
現時点での術式で設定できるのは、『異世界かつ、海抜十メートルから三十メートル以内の陸地』といった大まかな環境条件に限定される。あの魔力の残滓から、対象が日本に到達したのか、あるいは別の土地に降り立ったのかを特定する術は今の私たちにはない。
この世界の転移魔法陣のパターンを異世界転送に応用して制御できるのは、「海か陸か」「高度はどれくらいか」といったおおまかな地形パラメータのみ。
そう考えると、やはり私が先行して転移を実行するのは極めて合理的な判断と言える。
帰還のための『原点登録』技術の研究も、着実に成果を上げている。帰りの術式は、送り出す際のような膨大な石板のリソースを必要としないよう軽量化を施した。ロキシーの『簡易魔神鎧』へ転移する中継技術も、すべてはこの瞬間のために磨き上げてきたものだ。
そして明日、ついに私自身が異世界の境界を越えることになった。
シミュレーションは繰り返してきたが、生身の人間……それも、この竜の因子を統合した肉体がどう反応するかは未知数だ。万が一、帰還が失敗する可能性も考慮しておかなければならない。
私は自室で遺言書を作成し、それから「家族との時間」という名の、何よりも優先すべきタスクへと意識を向けた。
ちょうどその時、長女のルーシーが、エリスとの風呂を嫌がって全力で逃走してくる場面に遭遇した。
「……よし、おいで、ルーシー。ララとアルスも一緒にお風呂に入ろうか」
私は二人を連れて、湯気の立ち込める浴室へと入った。
ルーシーは小さな頭を私の方へ向け、髪を洗ってほしそうに甘えてくる。だが、私の指先には鋭く硬質な黒爪がある。どれほど慎重に動かそうとも、子供の柔らかな肌を傷つけてしまうリスクを排除できない。
「……ごめんね、ルーシー。手ではなくて、魔法で洗うよ」
私は微細な水魔術で泡を生成し、風魔術で優しく揉み込むようにして彼女たちの髪を洗った。直接触れることはできずとも、魔法を通じたスキンシップに、ルーシーは「わぁ、きもちいい!」と大喜びしていた。
アルスとララも興味深そうにその様子を見つめていた。特にララは、目をきらきらと輝かせている。
「君たちが赤ちゃんだった頃も、お祖父ちゃんと一緒にこうして魔術で身体を洗ってあげたんだよ」
私がそう話しかけると、アルスとルーシーはぴんと来ない様子できょとんとしていた。だが、ララだけは覚えているのか、うんうんと頷いている。
「特に、ララはこれが大のお気に入りだったね。あの頃も、何度も『もう一回』とせがまれて困ったものだよ」
そう言うと、ララは「えへへ」と照れくさそうに笑った。
風呂から上がり、リビングへと向かうとそこにはナナホシがいた。
我が家の風呂は大人数での入浴を想定して設計した、シャリーアでも屈指の広さを誇る自慢の設備だ。今日は彼女の希望もあり、一番風呂を譲っていた。
「……ふぅ。やっぱり、ここのお風呂は落ち着くわね」
ナナホシはアイシャ特製の果実ジュースを飲みながら、心底リラックスした様子でソファに身を預けていた。
「今日はもう遅い。ナナホシ嬢ちゃん、泊まっていくといい」
パウロの気さくな誘いに、ナナホシは静かに頷いた。
夜。家族が寝静まったリビングで、私とナナホシは二人、向き合って座っていた。
窓の外には、静かな月光。暖炉の火が爆ぜる音だけが響く中、私たちはちびりちびりと酒を酌み交わした。
話の内容は、驚くほど益体もないことばかりだった。
ペルギウスの意外な趣味の話や、シルヴァリルがどれほど盲信的に彼を敬愛しているか。オルステッドとペルギウスが、互いに「不仲だ」と口にしながらも、実際には古代龍族としての波長が驚くほど合っているように見える、とか。
重苦しい実験の気配を忘れ、ただの友人として言葉を交わす穏やかな時間だった。
だが、話題は自然と「明日」のことへと収束していった。
「……ルーデウス。これを、預かってほしいの」
ナナホシが差し出してきたのは、ずっしりと重みのある一通の手紙だった。
私が明日、境界を越えてあちら側へ到達したとして、無事に帰還できる保証はない。皆、私を信頼しているからこそ口には出さないが、それが「片道切符」になる可能性は常に存在する。
ナナホシは、その「万が一」に備え、故郷に残してきた両親宛ての手紙を認めたのだ。
裏面を見ると、見覚えのある……けれど、今の私にとっては遠い記憶の彼方にあるような住所が記されていた。
『記憶』のある私であれば、その住所へたどり着けるかもしれない。ナナホシの微かな希望が、その封筒には込められていた。
「……分かった。可能な限り、君の意志を届けよう」
「……ありがとう、ルーデウス。……よろしくね」
ナナホシの静かな言葉が、暖炉の火に溶けて消えた。
ついに、その時が訪れた。
空中城塞ケィオス・ブレイカーのエントランスホール。二万五千枚の魔方陣が刻まれた石板が私の周囲を囲んでいる。
アーチの真下に立つ私の前には、エリスとシルフィが立っていた。二人の瞳には、隠しきれない不安の色が濃く沈んでいる。本来ならここにロキシーも立ち会うはずだったのだが、やはり魔族は空中城塞に入れたくないらしい。彼女からは、出発前に「必ず、私の知っているルディのまま帰ってきてくださいね」と、強い念押しをされている。
「シルフィ、苦しくはないかな?動きにくいだろうけれど、我慢してほしい」
私は隣に立つシルフィに声をかけた。彼女が身に纏っているのは、私が魔力を限界まで充填した『簡易魔神鎧』だ。元々はロキシーの体格に合わせて設計・最適化したものなので、シルフィが着るには少しばかりサイズが小さい。だが、今回は戦闘ではなく、転移の際の「魔力補給炉」としての役割を果たすための装備だ。
彼女の持つ魔力と、この鎧に蓄積されたリソースがあれば、補助としては十分すぎるほどだろう。
私自身も、フルスペックの『魔神鎧』を装備している。
魔力量が多い私を異世界へと送り出すには、通常の転移とは比較にならないほどの魔力を消費する。転移が開始された後も、私は移動しながら自ら魔力を供給し続けなければならない。さらに、あちら側からこの世界へと『原点登録』の術式を辿って帰還する際にも相応の魔力が必要になるからだ。
目的は二つ。転移の安全性の確認、そして、ナナホシの実家にたどり着き、彼女の両親にあの手紙を届けること。
「シルフィエット!準備はいいか!」
ペルギウスの峻烈な声がホールに響いた。
シルフィは移動して、転移装置の基部にそっと手を触れ、覚悟を決めたように力強く頷き返した。
私は、最後にエリスへと向き直った。
「エリス。……もちろん、すぐに帰ってくるつもりだ。だが、もし私の帰還が予定より大幅に遅れるようなことがあったなら……。書斎に残した私の手紙を読んでくれ。その後のグレイラット家の運用については、すべてそこに記してある」
エリスは唇を噛み、一瞬だけ泣きそうな顔を見せたが、すぐに剣王らしい凛とした表情で私を見据えた。
「……分かったわ。でも、変な手紙なんて読ませないで。さっさと帰ってきて、自分の口で説明しなさい。いいわね、ルーデウス!」
「ああ、約束しよう」
エリスが魔方陣から離れる。
「……転移、開始!!」
ペルギウスの号令と共に、空間が爆発的な熱量を持って鳴動した。
足元の石板が一斉に励起し、これまで経験したどんな魔術とも比較にならないほどの、網膜を焼き切るような純白の光が視界を埋め尽くした。
鼓膜を震わせる、巨大な破砕音。
全身の細胞が一度分解され、再構築されるような、独特の不快感を伴う浮遊感。
私は意識の連続性を保つために、自らの魔力回路を全開にして、周囲の術式と同期させた。
転移の奔流の中。
意識が加速し、時間の感覚が消失していく中で、私はある光景を目にしていた。
どこまでも続く、無機質で純白の空間。
上下左右の概念すら存在しない、虚無の領域。
(……この景色は、やはり)
かつて、
Side: シルフィエット
ルディを送り出した後、ボクの身体には、彼が残した魔力の熱がじんわりと残ってた。
ルディがロキシーのために設計した『簡易魔神鎧』。ボクの身体には少しサイズが小さくて、胸元や肩のあたりが窮屈だったけれど、その適度な圧迫感が、まるでルディに抱きしめられているような錯覚をさせてくれた。
本当は、魔術の知識が豊富で、ルディの技術を一番理解しているロキシーにこの役目を任せたかった。けれど、彼女は魔族。ペルギウス様が管理するこの空中城塞には、彼女を連れてくることができなかった。
「……信じるしかないんだよね」
ボクは、空っぽになったアーチの真下を見つめて、小さく呟いた。
愛する夫を、帰ってこれる保証もない未知の場所へと送り出す。そんなこと、本当は嫌で嫌で仕方がなかった。出発前、エリス、ロキシー、そしてアイシャちゃんと何度も話し合った。
エリスは「あいつが死ぬわけないでしょ!」と怒鳴るように言い、ロキシーは「ルディなら、どんな困難も解決して戻ってきます」と自分に言い聞かせるように静かに告げました。アイシャちゃんは、無言で完璧な予備物資をルディの鞄に詰め込んでいた。
みんな、怖かった。それでも、ルディの掲げる未来を信じることを、ボクたちは選んだんだ。
「シルフィエット。……安心しろ、術式に不具合はなかった。転移は正常に処理され、ルーデウスは境界の向こう側へと到達した」
ペルギウス様の言葉を思い出す。
シルヴァリル様も手元の記録を確認しながら、淡々と付け加えていた。
「はい。アーチに残された魔力の残滓、および転移回路の収束パターンから見て、異世界への接続は成功したと断定できます」
「……いつ、帰ってこれるのでしょうか?」
ボクが問いかけると、シルヴァリル様は少し困ったように眉を寄せました。
「あちらの世界とこちらの世界では、時間の流れが異なっている可能性が極めて高いのです。こちらでの一秒があちらでの一分かもしれないし、その逆もあり得る。……ルーデウス殿はあちらで手紙を届けるというタスクを抱えていますから、ひとまずは『二週間』を目安に待つのが妥当かと思われます」
二週間。
それは、これまでの人生で最も長く、重苦しい時間となった。
シャリーアの自宅に戻っても、家の中にはルディの不在という名の「不安」が横たわってた。
パウロさんは、リビングの椅子に座っては立ち上がり、窓の外を眺めては溜息を吐く……という動作を無限に繰り返してた。ゼニスさんとリーリャさんも、普段通りに振る舞おうとはしていたけど、料理の手がふと止まったり、遠くを見つめたりする時間が増えてた。
意外だったのは、龍神オルステッド様だ。
「ルーデウスは戻ったか?」
三日に一度は、事務所からわざわざ私たちの家まで足を運んできた。
「まだです、オルステッド様。ルディなら、帰ってきたら真っ先に貴方に連絡を入れるはずでしょう?」
ボクがそう言うと、彼は無表情なまま「……そうだな」と短く答えて去っていった。けれど、その背中からは、大切な「右腕」――あるいは友を失うことへの、強い懸念が滲み出ているように見えた。
けれど、約束の二週間が過ぎても、ルディは帰ってこなかった。
「……どういうことだ!ペルギウスの野郎、ルディをどこへやりやがった!」
パウロさんがついに限界を迎えた。彼は剣の柄を握りしめ、今にも空中城塞へ乗り込もうとする勢いだったけど、エリスがそれを力ずくで組み伏せ、アイシャちゃんが冷徹な言葉でなだめることで、なんとか致命的な衝突は回避された。
家の中は、日に日に濃くなっていく不安に塗り潰されていった。
ボクは夜、ルディのいないベッドで、サイズの合わないあの簡易魔神鎧を抱きしめて、彼の魔力の匂いを探すことしかできなかった。
「ルディ……、もう一ヶ月だよ。……早く帰ってきて……」
涙が零れそうになった、その日の真夜中。
庭先に、突如として光が舞い降りた。
Side: ルーデウス
長い転移の感覚を経て、ふいに視界が開けた。
目に映ったのは、辺り一面を覆い尽くす白銀の世界だった。
その瞬間、私は静かに確信した。――ナナホシを直接転送しなくて、本当に良かった。
この気温は、生命を容易く奪う領域にある。周囲を見渡しても、人工の建造物らしきものは一切見当たらない。もしここへ降り立ったのがナナホシだったなら、一時間と経たずに凍死していたはずだ。
幸い、私は魔力を用いて生命維持ができる。魔力の源泉は生命力そのものであり、私が生きている限り、それは自然と回復し続ける。……この世界でも魔力が問題なく機能するかどうかは仮説の域を出ていなかったが、どうやら杞憂だったようだ。
吹雪の中、私は上空へと飛び上がった。周囲に明かりの一つも見えない。ここが一体どこなのか、判断材料はあまりに少ない。とりあえず、人の気配がある場所を探すしかないだろう。
雲より僅かに低い高度を保ちながら、百キロメートルほど飛び続けたところで、ようやく小さな集落を見つけた。
この見た目では、人前に姿を晒せば確実に騒ぎになる。接触は最小限に留めるべきだ。人の気配がないことを確認し、私は集落の外れへと降り立った。
朽ちかけた看板に記されていたのは、『記憶』でも見覚えのない文字列だった。
――これは、ロシア語、だろうか。
やはり、座標指定には未だ大きな誤差がある。もっとも、ブラジルあたりに飛ばされるよりはよほどマシだ。南東の方角へ飛べば、いずれ日本にたどり着けるはずだ。
パスポートなど、持ち合わせているはずがない。
軍のセンサーに捕捉されれば厄介なことになるだろうが、この身体一つの大きさであれば、大事には至らないはずだ。
私は再び上空へと舞い上がり、今度は雲の上を選んで飛行を続けた。
ようやく、日本と思しき土地に到着した。
ナナホシからもらったメモを取り出し、彼女の実家の住所を今一度確認する。
空から降下する姿を人目に晒すわけにはいかない。私は同じ県内と思われる、人気のない山間の森の中へと降り立った。
現在時刻は夕方。夜になってから移動した方が余計な目を引かずに済むだろう。私は森の中で、しばしの仮眠を取ることにした。
やがて夜の帳が下りる。この暗さであれば、高速で飛行しても問題なく人目を欺けるはずだ。……万が一目撃されたところで、未確認飛行物体か何かだと思ってもらえればいい。
ナナホシの実家は住宅地の中にあるという。私はできる限り気配を殺し、慎重に上空を移動した。
明け方に近づく頃には、これ以上の空路移動は難しくなった。人の目が多すぎる。ここからは、地上を歩いて向かうしかないだろう。
電車やバスといった交通機関が使えれば楽なのだろうが、生憎、私はこの世界の通貨を一切持ち合わせていない。
幸い、季節は冬らしい。『魔神鎧』も、少し厚着をしているだけだと思ってもらえれば助かる。
私は粛々と歩みを進めた。時折、好奇の視線が向けられるのを感じたが、気にしないことにした。
信号待ちをしていると、快活な雰囲気の中年女性から声をかけられた。
「あら、あんた、その恰好……コスプレってやつ?ずいぶん凝った衣装ねぇ。……その髪の色も、地毛じゃないんでしょう? こんなに白くしちゃって、親御さんが心配するわよ!」
矢継ぎ早に問いかけてくる彼女に、私は『魔神鎧』のフードを目深に被り直しながら答えた。
「……肌が弱いもので、失礼」
短く答えると、女性は何かに納得したように、途端に同情的な表情を浮かべた。
「あらあら、そうだったの。今どきの子は大変ねぇ……。はい、これ、あげる」
そう言って、彼女は私の手に飴玉を一つ握らせると、軽い足取りで去っていった。
「今どきの子」という評価が、実年齢的に正しいのかは甚だ疑問だったが、ひとまず穏便に事態が収束したことに、私は安堵の息を吐いた。
住所の書かれたメモと周囲の表札とを見比べながら、私は住宅街の奥へと進んでいった。
「ナナホシ」という苗字は、この国でも珍しい部類に入るはずだ。表札を一軒一軒確認しながら歩みを進める。フードを完全に被って家の表札を見て回っている今の私の姿は、傍から見ればどう考えても不審者そのものだろう。
そんな懸念が的中したのか、道の先から、二人組の若い女性に声をかけられた。
「ねぇねぇ、おにーさん!それってコスプレ?」
人懐っこい笑みを浮かべた、快活な雰囲気の二人組だった。私は肯定も否定もせず、曖昧に頷くだけに留めた。
彼女たちは臆することなく距離を詰め、私のフードの奥を覗き込んでくる。
「えっ、うそ、カラコン!?めちゃくちゃクオリティ高くない!?」
褒め言葉として受け取っていいのか判断がつかなかったが、私はひとまず「……ありがとう」とだけ返した。
「こんなとこで何してんの?」
もう一人が尋ねてきたので、私はメモを見せ、この住所の家を探している旨を伝えた。
「おにーさん、爪もすごいね!これも付け爪?」
一人が興味津々に手を伸ばしてきたので、私はさりげなく手を引いた。
「自作のものだが、少々鋭利に作りすぎてしまってね。怪我をさせては悪い」
そう伝えると、二人は「なるほどね」といった様子で納得していた。
「ナナホシさんちなら、あそこの角だよ」
一人が、道の先を指差しながら教えてくれる。
「知り合いなん?」ともう一人が尋ねると、「いや、苗字がかっこいいなって思ってただけ」「あー、なるほどね」と、二人は気安い調子で会話を続けていた。
私は礼を言って離れようとしたが、呼び止められた。
「ちょっと待ってお兄さん!そのコスプレ、エックスに載せていい!?絶対バズるって!」
「すまない、あまり目立ちたくはないんだ」
「えー、もったいなーい!」
もう一人が連絡先を尋ねてきたので、スマートフォンの類は持っていないと答えると、二人はひどく驚いた顔をした。
「あ、だからナビも使ってなかったんだ!今どき、めちゃくちゃレアだね」
私は改めて礼を告げ、そそくさとその場を後にした。
『七星』と記された表札を見つけたのは、既に夕方に差し掛かった頃だった。
呼び鈴を鳴らす。ピンポーン、という電子音が響いた。カメラも設置されているようだ。
だが、扉が開かれることはなかった。当然だろう。アポイントもなく、フードを目深に被った不審な男が呼び鈴を鳴らしたところで、誰が出るというのか。
……仕方ない。私はもう一度呼び鈴を鳴らし、懐から取り出したナナホシの封書を、カメラへとかざした。表には、彼女らしい少し癖のある字で『お父さんお母さんへ』と記されている。
程なくして、慌ただしい足音と共に、勢いよく扉が開け放たれた。
顔を出したのは、揃って酷くやつれた様子の中年の男女だった。
私は深く頭を下げた。
「あなた方の娘、七星静香さんの件で参りました」
玄関に入り、ドアが閉まったその瞬間だった。
ナナホシの父親と思しき男性が、手にした包丁を私へと突きつけてきた。
「娘をどこにやったッ!!」
私はその刃を一瞥した。ごく一般的な包丁だ。この身体には、傷一つつけられないだろう。だが、そんなことを口にするのは得策ではない。私は努めて静かに、言葉を選んだ。
「落ち着いてください。……あなた方の娘さんから、手紙を預かってきました」
その一言で、幾分か男性の気勢が削がれたのが分かった。ようやくリビングへと通される。
家の中は、あちこちに物が散乱していた。家主の心情を、そのまま体現しているかのような有様だった。
私はソファに腰掛け、懐から取り出した封書を差し出す。それは、ほとんど引ったくるようにして奪い取られた。二人は食い入るように文面を読み進める。私はただ、その様子を静かに見守った。
読み終えるまで、そして二人の心が幾分か落ち着きを取り戻すまでには、長い時間がかかった。既に外はすっかり暗くなっていた。
「……これに書いてあることは、本当なのか?確かに娘の字だが……。にわかには、信じられん」
父親が声を絞り出すようにして呟いた。詐欺の類を疑っているのだろう。無理もない反応だ。
「本当に、静香の知り合いなの……?写真は、ないのかしら?」
母親も、震える声で問いかけてくる。
あちらの世界には、まだ写真という概念そのものが存在しない。だが、信じてもらえないのであれば、実物を見せるのが最も早いだろう。
私は手を開き、土魔術を発動した。指先から立ち上る魔力が、瞬く間に精緻な人型を象っていく。
この世界ではあり得ない現象を目の当たりにして、二人は言葉を失い、目を見開いていた。
「これが、今の娘さんの姿です」
私がそう告げて彫像を差し出すと、二人はそれを奪うようにして受け取り、声を上げて泣きながら、しっかりと抱きしめた。
魔術という現象そのものを目の当たりにしたことで、二人は私の存在をようやく信じてくれたようだった。竜の瞳と黒い爪を晒したことも、コスプレでは到底再現し得ないリアリティとして、説得力を後押ししたのだろう。
「君は、あちらの世界からここまで来られたんだろう。……なら、どうして静香は来られないんだ」
父親が、縋るような目で問いかけてくる。私は正直に答えることにした。
「座標指定の精度に、まだ限界があるのです。今の技術で保証できるのは、せいぜい『この世界の、どこかの陸地』という程度に過ぎません。……実際、今回私が転移した先も、ロシアの寒村でした。もし娘さんが同じ場所に転移していれば、命はなかったでしょう」
母親が口元を手で覆い、小さく震えた。父親はテーブルを叩き、「そんな……!もう、娘に会えないのか……!」と声を荒らげた。
その気持ちは、痛いほどよく分かる。私もまた、子を持つ親だ。
「私や、その他の協力者たちが、娘さんの帰還を全力で支援しています。安全な帰還方法が確立されるまで、今しばらくお時間をいただきたい」
二人がこちらを見つめる。
「今は、手紙をお届けすることしかできません。もし可能であれば、お二人の近況が伝わるような、今の写真を同封していただけると助かります」
「……分かった。君を、信じるよ」
父親はそう言うと、手紙をしたためる準備を始めた。母親は「お茶も出していなかったわね」と、慌てて台所へと立った。
私は、二人が手紙を書き終えるのを、出されたお茶とお菓子を夕食代わりにいただきながら待った。……この世界の菓子は、驚くほど美味しい。今度、アイシャにも教えてやろう。ロキシーの分も、一つ持ち帰っても構わないだろうか。
分厚くなった封書を受け取る。写真も同封されているようだった。
二人の目は、まだ涙で潤んでいる。泣きながら綴ったのだろう、その筆致にも、隠しきれない想いの重みが滲んでいた。
「頼む」
二人が、揃って頭を下げる。
「必ず、お届けします」
私がそう約束すると、父親はさらに別の封筒を差し出してきた。中を見ると、この国の紙幣が入っている。
「少ないだろうが……。行き来にも、何かと物入りだろう?」
固辞したが、二人とも一向に引く気配がない。……仕方ない。私は代わりに、懐から持参していた金貨数枚と宝石をテーブルの上へと置いた。こちらで潰せばそれなりの価値になるはずだ。こちらとしても、一方的に施しを受けるわけにはいかない。
菓子を数個分けてもらい、私は暇を告げた。
時刻は既に深夜。この暗さなら飛んでも問題ないだろう。
「また、必ず参ります」
そう約束すると、二人は空へと舞い上がる私を、見えなくなるまでいつまでも見送り、手を振り続けてくれていた。
さて、帰投する前に、もらった紙幣でペルギウスへの土産を見繕っていくとしよう。
書籍が良いだろうか。……いや、言語の壁がある。日本語を一から翻訳するよりも、英語など、より習得の難易度が低いと思われる言語の資料を選んだ方が賢明か。あるいは、言葉に頼らず理解できる図鑑の類でも良いかもしれない。
私は、まだ閉店していない書店へと立ち寄り、精緻な写真の載った図鑑や、異国の風景を収めた書籍をいくつか買い求めた。帰還用の魔法陣は、適当な森の奥にでも設置すればいいだろう。
……そういえば、インスタントカメラも買っておくべきか。今度はナナホシの写真を持ち帰ってやりたい。デジタルカメラという手段もあるが、充電の手間を考えるとこちらの方が合理的だろう。撮った写真はこちらの世界で現像してもらえばいい。
境界の向こう側、かつての『記憶』の世界から、ようやく帰還した。
全身の極度の疲労によって悲鳴を上げている。私の体内時計では一週間程度の滞在だったはずだが、こちらの世界では既に「一ヶ月」もの時間が経過していたとシルヴァリルから告げられた時は、流石に一瞬フリーズしてしまった。
帰還したのは、こちらの世界では深い真夜中だった。
しかし、転移のアーチの側に真っ先に駆けつけてきたのは、アルマンフィと眠れぬ夜を過ごしていたのであろうナナホシだった。
「……ルーデウスっ!貴方、……本当に……っ!」
普段は冷静な彼女が、なりふり構わず私に駆け寄り、力いっぱい抱きしめてきたことには驚かされた。私の硬質な鱗や魔神鎧の感触すら気に留めない。直後に彼女は我に返り、照れくさそうに距離を置いていたが、その瞳に浮かんでいたのは、偽りのない安堵だった。
「詳細は明日の朝、ペルギウス様同席の場で説明しよう。……これだけは先に伝えておくよ、ナナホシ。君のご両親に会えた。手紙も、確実に渡してきたよ」
私は荷物の中から、彼女が送ったものよりも二倍近く分厚くなった、一通の封書を取り出した。
「これを。君の両親からの返事だ。写真も入っている」
ナナホシは震える手でそれを受け取り、声にならない声を漏らした。それ以上の言葉は不要だろう。
私はその夜、泥のように眠りについた。
翌朝、簡素ながらも高栄養な食事で腹を満たし、空中城塞ケィオス・ブレイカーの会議室へと向かった。正直、まだ疲れは残っている。
重厚な扉を開ける前、廊下で待機していたエリス、シルフィ、アイシャの三人に捕捉された。
「ルディ……っ!よかった、本当によかった……!」
「お帰りなさい、旦那様!」
シルフィとアイシャが涙ながらに私に寄り添い、エリスにいたっては、剣王の膂力を持って全力で私を抱きしめてきた。
「遅すぎるわよ、この馬鹿!」
「……ぐっ、エリス、嬉しいが……少し痛い……」
心配をかけたことを考えれば甘んじて受けるべき痛みだが、やはり彼女の「情愛」の出力は、人族の耐久性を大きく逸脱している。
「ロキシーも家で待ってるからね!」というシルフィの言葉を胸に、私は会議室へと足を踏み入れた。
室内には、既にナナホシが座っていた。
その目は真っ赤に腫れ上がっている。夜通し、あの分厚い手紙を読み込み、失われた時間と想いを感情として処理し続けたのだろう。傍らではシルヴァリルが、目元を冷やすための氷を、ナナホシにさりげなく差し出していた。
待機していると、ほどなくしてペルギウスが入室してきた。
私が礼を執って迎える中、もう一人の巨大な魔力反応が室内に流れ込んできた。
龍神オルステッドだ。
「……無事だったか」
「はい。アイシャから連絡が行ったようですね」
私が帰還した直後、アルマンフィが家に連絡をしてくれていた。その直ぐ後に、アイシャが石板を用いて事務所へ情報を送っていたらしい。彼女の機転により、本来なら後回しになるはずだった龍神への報告も、この場で同時並行できることになった。実に見事な秘書能力だ。
ペルギウスとオルステッド。
二人はいつも通りの無表情を装ってはいたが、その微かな揺らぎからは、確かな安堵の色が読み取れた。
ペルギウスが上座に腰を下ろし、静かに私を見据えた。
「……随分と待たせてくれたものだ。時間は、我々にとっても無限ではない。……ルーデウス・ボレアス・グレイラット。境界の向こう側で観測したすべての事象を、子細漏らさず報告せよ」
私は深く頷き、報告を開始した。
私は転移後の一連の事象を話し始めた。
「まず結論から。転移自体は成功しましたが、やはり精緻な座標指定は不可能でした。私が最初に降り立ったのは、視界のすべてが凍てついた極寒の荒野でしたから」
私の言葉に、ナナホシが身を乗り出すようにして問いかけてきた。
「……どこ?どこに転移したの?」
「君にしか通じない名称だろうけれど……ロシアの田舎の方、といったところかな」
私は列席する一同にも、噛み砕いて状況を説明した。
「ナナホシの故郷からはかなりの距離がある、別の国です。……断言しますが、もし今回転移したのが私ではなくナナホシ本人であったなら、一時間と経たずに寒さで死んでいたでしょう」
「……そう。貴方が先に行ってくれて、本当に良かったわ」
ナナホシが青ざめた顔で小さく震えた。
「そこから、魔神鎧の出力を最大に維持して空を飛び、国境を越えました。この身体でこの装備なら、あちらの世界の飛行機械に匹敵する速度を維持できます。夜間に移動したことで、監視網に捕捉されるリスクも最小限に抑えられました。そしてようやく、君の故郷である『日本』にたどり着いた」
地図もナビゲーションもない中、『記憶』という不確実なデータを頼りに、私はナナホシの家の住所を特定した。
「……ルーデウス。その……貴方のその格好、不審がられなかったの?」
ナナホシが、不安げに私の全身――鱗のある腕や竜の眼、そして異様な魔神鎧――を見た。
ペルギウスたちも不思議そうな顔をしている。彼らにとって多種族が混在するのは常識だからだ。私はあちらの世界の特殊な環境について補足した。
「ナナホシの世界には、この世界で言うところの『人族』しか存在しません。特に彼女の国では、ほとんどの個体が黒髪に黒い眼という、極めて均一なビジュアルを有しているのです。私のような、鱗を持ち、こんな眼をした者は……。端的に言って、悪目立ちの極致だったよ」
「……でしょうね。よく捕まらなかったわね」
「まあ、外套で大半を隠していたし、この『魔神鎧』についても、一部の若者たちからは『コスプレ』……つまり、娯楽のための特殊な衣装だと思われたようだ。幸い、それで不審の目は逸らせた。……もっとも、君の両親に会った時は、流石に誤魔化しが効かなかったがね」
私の苦笑に、ナナホシは「……やっぱり、会ったのね」と、噛み締めるように呟いた。
「最初は強盗か不審者として警戒されていたが、君の手紙を出した瞬間、家に入れてもらえた。そして君の手紙を渡すと……。二人はその場で泣き崩れ、動けなくなってしまった」
「そう……」
ナナホシの瞳に、再び大粒の涙が溜まっていく。
「当然、『娘を返せ!』と、激しく詰め寄られたよ」
「……なんて、答えたの?」
「異世界に転移した、などという論理を逸脱した事実は伏せた。だが、君の手紙と私の姿形を見て、常識が通じない状況であることは察してくれたようだった。……『今は、彼女に全力で協力している。必ず送り届けるから、待っていてほしい』。そう、誠実に伝えてきた」
私は一度言葉を切り、手元にあった茶を啜った。
「そうだ、お土産があります。ナナホシの両親から、謝礼……あちらの世界の『現金』を少しばかり受け取りましてね。固辞したのですが、どうしてもと押し付けられました。流石に無視するわけにはいかなかったので、代わりに金貨と宝石を置いてきましたよ。金という元素そのものは共通のようですから、あちらの技術で潰せば、それなりの資産価値になるはずです」
私はシルヴァリルに、あちらの世界で調達してきた品々を手渡した。
「あちらの通貨を得られたので、ペルギウス様が興味を惹かれそうな資料をいくつか買い揃えてきました。図鑑や、風景写真の載った書籍です」
シルヴァリルから書籍を受け取ったペルギウスは、見たこともない緻密な印刷技術、未知の言語、そして魔法のない世界が築き上げた幾何学的な建築物の数々に、驚愕の表情を浮かべていた。
「……ほう。これが、異世界の景色か。なんと……なんと異質な文明の進化だ。……ルーデウス、これは実に興味深い。貴様の帰還を待った甲斐があったというものだ」
不遜な甲龍王が、少年のように目を輝かせてページを捲っていた。
報告が続く中、ペルギウスが怪訝そうな表情で問いかけてきた。
「……それにしても、なぜ帰還にこれほどの時間を要したのだ?」
「……ええ。私の主観では一週間程度の滞在だったのですがね。やはり、あちらとこちらでは時間の流速が大きく異なっているようです」
隣でナナホシが深く頷く。
「……私も両親の写真を見て確信したわ。私がこちらの世界で過ごした年数に比べ、あちらの両親の加齢具合が緩やかすぎる。……あちらの一年は、こちらの数年に相当するのかもしれない。私にとっては……少しだけ、救いのあるデータだわ」
「だが、遅延の理由はそれだけではありません」
私はお茶を一口啜り、帰還時で発生した致命的な不具合について言明した。
「原点登録の術式を辿って帰還を試みたのですが、座標の補正が極めて困難でした。……一度など、この世界に帰ってきたと思った瞬間、完全に荒廃した……いや、世界そのものが消失し、崩れ落ちた岩塊が浮かぶだけの不気味な空間に飛ばされたのです。一時はこの世界そのものが滅びたのかと、背筋が凍る思いでしたよ」
魔力を回復させては転移し、再計算してはまた転移する。計五回の試行錯誤を経て、ようやくこのケィオスブレイカーの座標へと再接続できたのだ。
この事実に、ペルギウスですら驚きを隠せない様子だった。
「……消失した世界だと?貴様、一体どこへ転移したというのだ」
「分かりません。ただ、原点登録の精度が不足していたのか、次元の壁にある別のセクターへ迷い込んだのは確かです。……オルステッド、心当たりはありますか?」
これまで沈黙を守っていた龍神が、重苦しい声で口を開いた。
「……恐らく、それは六面世界における『龍界』『魔界』『天界』『獣界』『海界』のいずれかの残骸だろう」
オルステッドの解説によれば、かつてこの世界は六つの面が合わさった立方体のような構造をしており、私たちが今いるのはその中の一つ、『人界』に過ぎないという。
「……ですが、私が見たのは完全に荒廃した死の世界でしたよ」
「……
オルステッドの瞳に、峻烈な憎悪が宿る。
「奴はかつて、五つの世界へ次々と潜入し、それぞれの世界の王や権力者の懐に入り込んだ。そして『隣の世界がお前たちを滅ぼそうとしている』『先に攻め滅ぼさなければお前たちの国が危ない』と、偽りの予言と助言を吹き込み、世界間の不信感を極限まで煽り立てた。……結果、各界は互いに疑心暗鬼のまま同士討ちを演じ、崩壊したのだ」
会議室に冷たい静寂が流れた。
神を騙り、情報の非対称性を利用して複数の文明を絶滅へと追いやる。
これほど大規模かつ悪辣な「ハッキング」を繰り返してきた存在。それが、私たちの敵――
改めて、排除すべき対象の大きさを認識させられる情報だった。
「……何はともあれ、帰還のルート自体は確立できました。時間はかかりますが、魔力が回復し、座標のキャリブレーションを済ませれば、ナナホシを確実に送り届けることができます。あちらの両親も、君の帰りを待っている」
「……」
「ただ、目下の懸念はギースの動向ですが……」
私が言いかけた時、ナナホシが静かに挙手をした。
「ペルギウス様。……一つ、お願いがあります」
「……何だ」
「ルーデウスの魔力が完全に回復するまで。……いえ、ギースとの決戦が完全に終わるまで。……私を、時間の停止した状態で眠らせてくれないかしら?」
意外な要求に、私は目を丸くした。
手紙を読み、一刻も早く帰りたがっていると思っていたからだ。
「……いいの、ルーデウス。今の貴方にこれ以上の負担を強いて、もしギースとの戦いで貴方が欠けるようなことがあったら……今回の実験も、本当は危なかったんじゃないかしら。そうなったら、私は自分を許せない。貴方は私のために、命の危険を冒してあちらまで行ってくれた。これ以上を私に割くべきじゃないわ」
ナナホシは、掠れた声で続けた。
「でも……私の精神も、もう限界なの。手紙を読んで、帰りたさが制御不能なレベルまで膨れ上がってしまった。……このまま起きていると、いつ余計な事を起こして貴方の足を引っ張るか分からないのよ」
彼女の瞳には、かつてないほどの脆弱さと、それを自覚して封じ込めようとする強い理性が同居していた。
ペルギウスはしばし沈黙した後、自身の配下――時間のスケアコートの権能を用いることに了承した。
「……よかろう。貴様がそれを望むのであれば。次に目覚める時は、すべてが終わり、境界を超える準備が整った時だ」
「……ありがとう。……ルーデウス。待ってるわね」
ナナホシは私に微かな微笑みを向けると、シルヴァリルに連れられて奥の部屋へと消えていった。
残されたのは、私と、オルステッドと、ペルギウス。
そして、眼前のテーブルに広げられた、世界全土を俯瞰する戦略地図。
「……さあ、始めましょう。ナナホシを最高の状態で送り出すためにも……。早急にギースという
私は右手の黒爪を強く握りしめ、次なる戦いへと意識を向けた。
日本探訪編、加筆多めです。
感想にて学会参加させてみては?というアイデアを頂いていたのですが、見た目が怪しすぎて無理でした……おばちゃんとギャルとの交流になりました。