無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~   作:haru-ha

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【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)

以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。

【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。


第66節 収束:魔界大帝の万里眼と交差する運命の座標

 

Side: ルーデウス

 

空中城塞ケイオス・ブレイカーでの報告会議を終え、私はエリス、シルフィ、アイシャと共にシャリーアの自宅へと帰還した。

 

見慣れた我が家の玄関。その重厚なドアノッカーを手に取り、規則正しいリズムで三度鳴らす。

直後、家の中から「どたばた」と、およそ淑やかさとは無縁な、けれどどこか懐かしく、そして焦燥の混じった足音が響いてきた。

 

(……この足音は、ロキシーだな)

 

音のパターンから即座に人物を特定する。

扉が勢いよく開け放たれた瞬間、青い髪を揺らした彼女が、弾かれたように私の胸へと飛び込んできた。

 

「ルディ……っ!お帰りなさい、お帰りなさい……!」

「ただいま、ロキシー。……心配をかけてしまったね。すまない」

 

私は彼女の華奢な背中に腕を回し、その震えが収まるまで静かに抱きしめ続けた。彼女は空中城塞への同行を許されず、この一ヶ月間不安と戦い続けていたのだ。その精神的負荷を緩和するのは、夫としての当然の義務だろう。

 

「ルディ!帰ったのか!」

「おかえりなさい、ルディ」

 

奥からパウロとゼニスも姿を現した。二人とも家で帰りを待ってくれていたらしい。

パウロはロキシーを抱きしめている私の頭を、大きな手で乱暴に、けれど慈しむように何度も撫で回した。

 

「この大馬鹿野郎が!どれだけハラハラさせりゃ気が済むんだ!全く、誰に似たんだか……」

「……さあ。父さんの血、なのかもしれませんね」

 

私の冗談に、ゼニスがクスクスと笑いながら、ロキシーごと私たちを包み込むように抱きしめてくれた。

 

「ルディ、無事で良かったわ。貴方のいない一ヶ月は、この家から音が消えてしまったみたいだったのよ」

 

背後ではリーリャが、少しだけ目元を赤く腫らしながらも、完璧な侍従の姿勢で控えていた。

 

「……お帰りなさいませ、ルーデウス様。お夕食の準備は、既に万端に整っております」

「有難う、リーリャさん」

 

そう言った直後、リーリャの瞳が一瞬だけ潤み、けれどすぐに彼女らしい凛とした表情へと戻った。

 

「……リーリャさん。私がいない間、皆をまとめてくれて有難う」

「……当然のことをしたまでです。お帰りをお待ちすることこそ、私の役目ですから」

 

彼女は静かにそう答えると、いつも通りの働き者の顔で夕食の支度へと戻っていった。

 

その日の夕食はとても賑やかだった。

食卓には私の好物や体力回復に資する滋養強壮に優れた料理が並び、家族全員の笑い声が絶え間なく響く。

私が異世界で見てきた景色――鉄の鳥が空を飛び、箱型の馬車が道を走る光景――を語ると、子供たちは目を輝かせ、パウロは「嘘だろう!?」と酒を吹き出し、ゼニスは「不思議なこともあるものね」と優しく微笑んでいた。

 

「パパ、その鉄の鳥ってどれくらい大きいの!?お家より大きい!?」

「ああ、比べ物にならないくらい大きいよ、アルス。何百人もの人が同時に乗り込めるくらいにね」

「うそだーっ!」

 

アルスが目を丸くして興奮気味に叫ぶ。パウロも「馬鹿な、そんな重い物が空を飛ぶわけがねぇだろう!」と半信半疑の様子だったが、その顔にはこの上ない好奇心が滲んでいた。ルーシーとララも、身を乗り出すようにして私の話に聞き入っている。

 

いくつか持って帰ってこれたお菓子をロキシーに食べさせたら、美味しすぎたのか目を潤ませておいしそうに食べていた。アルス、ルーシーは羨ましそうに見ていたな。今度行った時にはまとめて買ってこよう。アイシャはこの世界で再現できるかを考えているのか熱心に眺めていた。

 

食後は、ルーシーとララ、そしてアルスたちを連れて大きな風呂に入った。

 

「パパ、あっちの世界の魔法も使って!」

「あちらには魔法はないんだよ、ルーシー。だから代わりに、パパが最高の魔法で洗ってあげよう」

 

私は指先の鋭い黒爪で彼女たちの肌を傷つけないよう、細心の注意を払いながら魔術を展開した。

微細な魔力操作により、お湯の温度を一定に保ちつつ、風と水の混合魔術で細やかな泡を生成する。直接手で触れずとも、柔らかなマッサージ効果を伴う泡の奔流に、子供たちは歓声を上げてはしゃいでいた。

 

髪を乾かす際には新技術を用いてみた。ちょうど良い温度の微風を当てつつ、水魔術の応用で髪の内部に適切な水分を留め、過乾燥によるダメージを防ぐ。そして、微弱な電気を発生させ、イオンをぶつけることで髪の静電気を除電する。あちらの世界の高級ドライヤーに適用されている技術だ。ルーシーとララはサラサラになった髪に感動していた。シルフィとロキシー、何ならゼニスまで羨ましそうに見ていたな。今度この技術で皆の髪を乾かしてあげよう。

私の魔術は、破壊や殺戮のためにあるのではない。こうして家族の平穏を守るためにこそ、その真価を発揮すべきなのだ。そう実感した。

 

「パパ、また今度も髪サラサラにしてね!」

「約束するよ、ルーシー」

 

湯上がりのルーシーが満足げに髪を触りながらねだってくる。ララも隣でこくこくと頷いていた。子供たちのこうした無邪気な要求一つ一つが、私にとっては何よりの活力源になっている。

 

そして、夜。

子供たちを寝かしつけた後の寝室は、私の予想を遥かに上回る「激戦区」と化した。

シルフィ、ロキシー、エリス、アイシャ。

四人の妻たちにとって、今回の一ヶ月という空白期間は、彼女たちの独占欲と情愛を限界まで圧縮させる蓄積期間となっていたらしい。

私自身の体感では一週間程度の不在だったが、彼女たちにとっては三十日分の欠落だ。

 

「ルディ、覚悟してくださいね……」

「ルーデウス、今夜は寝かさないから!」

 

異世界転移の連続行使と、あちらの世界での長距離飛行によって、私の魔力は既に限界に近い状態だった。

だが、愛する妻たちの切実な要求を断るという選択肢は存在しない。

竜の因子の恩恵による持久力をもってしても、夜が明けるまで、「寝落ち」という形で強制終了されるまで、彼女たちに絞り取られ続けることになった。

 


 

家族との密度の高い時間を過ごした翌朝、私はエリスとアイシャを伴って事務所へと足を向けた。

家を出る際、玄関先でパウロに呼び止められた。

 

「ルディ、お前は相変わらず忙しないな。一ヶ月ぶりに帰ってきたんだ、もう少し腰を据えてゆっくりしたらどうだ?」

 

パウロが呆れたように、けれどどこか心配そうに肩をすくめる。

 

「……そうしたいのは山々ですが、父さん。ギースが野放しになっている以上、止まってはいられません。本当の意味で落ち着けるのは、彼との決着がついてからになるでしょうね」

 

私の回答に、パウロは一瞬だけ、苦いものを噛み潰したような表情を見せた。

 

「……ギースのことは、正直まだ整理がついちゃいねぇ。あいつと過ごした時間は、俺にとっても嘘じゃなかったはずだからな。……だがな、ルディ。お前が家族を守るためにそこまでやるって言うなら、俺はもう止めねぇ。……行ってこい。無事に帰ってくることだけは、絶対に約束しろよ」

 

パウロはそう言うと、苦笑しながらも、力強く私の背中を叩いて送り出してくれた。

事務所に到着し、オルステッドの執務室へと入る。

 

「オルステッド。次の行動について相談に来ました」

「……ルーデウスか。聞こう」

 

私は手元の予定表を確認しながら、次なる目的地を提示した。

 

「五位『死神』とのコンタクト、および王竜王国への根回しは完了。次は六位『剣神』ガル・ファリオンの元へ赴き、彼をこちらの陣営に引き込みたいと考えています」

 

私の提案に対し、オルステッドは無言で一冊の分厚い資料を差し出してきた。

 

「……資料は既にまとめてある。読んでおけ」

「有難うございます」

 

オルステッドはこういう実務において、極めて高いパフォーマンスを発揮してくれる。私はその資料をパラパラと捲り、要点を確認した。

 

「一つ、忠告しておく。ガル・ファリオンとの直接的な武力衝突は可能な限り避けろ。奴の『光の太刀』は、初撃の速度において世界の頂点にある。たとえお前でも、対応を誤れば致命傷になるぞ。いくらお前が再生するとはいっても、再生しなくなるまで切り刻まれる可能性がある」

「承知しました。幸い、エリスもついてきてくれます。恐らく最悪の事態は回避できると考えていますが……慎重に事を運びましょう」

 

私の言葉に、後ろで控えていたエリスが当然! と、自信に満ち溢れた表情で胸を張った。

談話が一段落したところで、私は部屋の隅に設置された棚に目を向けた。

そこには、世界各地の協力者に配布している『通信石板』が並んでいる。

そのうちの一枚が、不規則なリズムで淡い光を放っているのに気づいた。

 

「……オルステッド。行き先を変更する必要があるかもしれません」

「何だと?」

 

私は光る石板に歩み寄り、そこに刻まれた文字を確認した。

この石板の対となる端末は、魔大陸にあるアトーフェの城、ネクロス要塞に預けてあるものだ。

画面に表示された文字は、発信者の性格を反映したかのように、極めて簡潔で、かつ衝撃的な内容だった。

 

『キシリカ・キシリスを捕獲した』

 


 

魔大陸ガスロー地方。私は転移魔法陣と自身の飛行術を併用し、最短の航路でネクロス要塞へと降り立った。

 

今回はエリスやアイシャを伴わず、単身での強行軍だ。ギースの居所を特定するため、キシリカ・キシリスの身柄を一刻も早く確保する必要があったからだ。

要塞の地下深く、重厚な石造りの牢獄が並ぶ最深部。そこには、アトーフェ親衛隊の黒鎧たちが立ち並ぶ一角で、何やら聞き慣れた騒がしい声が響き渡っていた。

 

「てめぇ!またオレをコケにしやがったな!死んだぞ!今すぐぶっ殺してやる!死んで詫びろッ!!」

「へーい、へーい!騒いでも無駄じゃぞアトーフェ。悔しかったら算術の一つつでも覚えてから出直してくるが良いわッ!」

「うがあああぁぁぁッ!!」

 

……実になんというか、元気だ。

どうやら魔王アトーフェは、檻の中に捕らえた相手と言い争いに興じているらしい。アトーフェを必死に抑え込もうとしている親衛隊の騎士が、私の姿を認めてハッとしたように姿勢を正した。

 

「アトーフェ。……相変わらず、賑やかだな」

「ルーデウス!来たのか!」

 

私の声を聞くや否や、アトーフェは怒気を一瞬で霧散させ、明るい笑顔で振り返った。

 

「お、おぬしは……確か、ルーベンス!」

「ルーデウスだ、キシリカ」

 

檻の鉄格子の向こう側。そこにいたのは、小柄な体の魔界大帝、キシリカ・キシリスだった。彼女は何やらこちらを警戒し、威嚇するように構えている。……以前、不潔な彼女を見かねて私が強引に魔術で丸洗いしたことをまだ根に持っているのだろうか。

 

「アトーフェ、協力に感謝する。……土産を持ってきた。ムーアに預けてある。ラノア王国でも指折りの銘酒だ」

「っ!さすがはルーデウスだ!気が利くではないか!」

 

酒という単語を耳にした瞬間、アトーフェはキシリカへの怒りなど綺麗さっぱり消去し、文字通り一目散にその場を駆け抜けていった。急ぎ準備したので、今日はシャリーアの酒だ。酒場に駆け込み、驚く店主を尻目に買い出ししてきたのだ。あとは、ちょうどアイシャが作っていた秘密兵器を持ってきている。

 

残されたのは、私と、檻の中のキシリカだ。

 

キシリカはアトーフェが去ったのを確認すると、それまでの威嚇ポーズを即座に解除し、期待に満ちた、今にも涎を垂らしそうな表情でこちらに詰め寄ってきた。

 

「……ルーデウスよ。まさかとは思うが、妾にも……妾にも何かあるのであろうな?今のこの腹の減り具合は、もはや命の危機にも等しいのじゃぞ!」

 

捕らえられている身でありながら、土産を要求する図々しさと食欲への執着。

私は、彼女のあまりにも「変わらなさ」に、僅かな憐れみの混じった眼差しを向けてしまった。だが、交渉を円滑に進めるための「餌」は用意してある。

 

「……ああ、特別なものを用意した」

「こっ……これはぁぁぁぁーーーーっ!!!」

 

キシリカが、文字通り目を裏返さんばかりの勢いで咆哮した。

 


 

「な、なんという……!この世にこれほどまでの美味が存在したというのか……っ!」

 

檻の中の魔界大帝キシリカ・キシリスは、頬を膨らませ、大粒の涙を流しながらアイシャ特製のドーナツを貪り食っていた。

 

このドーナツは、ミリス神聖国の最高級な卵と精製された砂糖を贅沢に使用し、アイシャがその卓越した技術で揚げた至高の一品だ。レシピの原案は、かつての日本の味を懐かしんだナナホシが提供したものだが、今や我が家では定番の「魔族と子どもを骨抜きにする兵器」と化している。

実際、甘党のロキシーは試作段階で完全に胃袋を掴まれ、毎日のようにおねだりするほどの依存性を見せているのだ。

 

(……ドーナツという食べ物には魔族の理性を一時的に停止させる未知の成分でも含まれているのかもしれないな。今度、ルイジェルドにも食べさせてみよう)

 

そんな検討を脳内で行っている間に、キシリカは手元にあった十二個のドーナツをすべて胃袋に収めてしまった。

一人で十二個。身体のサイズからすれば明らかな過剰摂取だが、不死魔族である彼女の消化器官には些細な問題なのだろう。

 

「あ……。う、嘘じゃ……。あんなに、あんなに幸せだった妾の掌が、もう空っぽになっておる……」

 

キシリカは絶望のどん底に突き落とされたような顔で、自分の指についた砂糖を名残惜しそうに舐めとっていた。汚い、そして行儀が悪い。

口元は砂糖と油で見る影もなく汚れ、髪にも粉が飛び散っている。……以前の記憶がフラッシュバックし、再び彼女を魔術で徹底的に丸洗いしたいという強い衝動に駆られるが、今は交渉が優先だ。

 

「……これしか、ないのか?嘘だと言ってくれルーベンスよ。妾の、妾のドーナツをもう一度……!」

「ルーデウスだ。残念ながら、今日の持ち合わせはそれだけだ」

「…………。……ぬ、ぬぅぅ。……ルーデウスよ。もし、次に来る時にこれの倍……いや、三倍のおかわりを持ってきてくれると約束するなら……。妾は今、おぬしのどんな望みでも叶えてやってもよいぞ?」

 

必死な形相で縋り付いてくるキシリカ。

 

「……言質は取ったぞ」

 

私が僅かに口角を上げると、キシリカは何を勘違いしたのか、自身の身体を抱きしめるようにして「お、おぬし……!いくら妾が魅力的だからといって、そのような……。だが、ドーナツのためなら……くねくね」と、形容しがたい奇妙な挙動を開始した。

 

「……勘違いするな。頼みたいのは、探し物だ」

「……あ、そう。……で、誰を探してほしいのじゃ?」

 

彼女は少しばかり気まずそうに居住まいを正した。切り替えだけは早い。

 

「まず一つ。ギースという名の男を探してほしい。……本名はギース・ヌーカディア。サル顔の小柄な魔族で、戦闘力は皆無だが、潜伏と情報の攪乱に長けている」

 

私はギースの名前と外見的特徴をキシリカに伝える。

 

「ギース、か……。ふむふむ、どっかで聞いたような、聞いたことがないような……。まぁよいわ、ちょいと待っておれ」

 

キシリカは大きく目を見開くと、その瞳に魔力を充填し始めた。

魔界大帝が誇る、世界全土をスキャン対象とする――『万里眼』。

彼女の視界には、今この瞬間の世界の断片が凄まじい速度で流れているはずだ。

一分、あるいは数秒の静寂。

 

「見つけた」

 

キシリカが、確信に満ちた声で告げた。

あらゆるギルドの追跡を逃れ、オルステッドの記録からも逃れていた不確定要素の現在地。

それを、彼女はたった一度の「おやつ」と引き換えに、あっさりと特定してみせた。

 


 

キシリカの瞳が、怪しく明滅を繰り返す。彼女の視覚には、いまこの瞬間の世界の断片が、高解像度の景色として映っているはずだ。

 

「……ビヘイリル王国じゃな。そこにある鬱蒼とした森の中で、何者かと密談しておるのう。……いやはや、実に嫌な面構えをしておるわ」

 

キシリカはイヒヒと下卑た笑い声を上げ、さらに情報を吸い出そうと身を乗り出した。

 

「さてさて、その隣にいるのは誰じゃ……ムッ?」

 

突如、キシリカの表情が凍りついた。

輝いていた瞳から光が失われ、彼女は弾かれたように後退した。

 

「……見えなくなった」

 

キシリカは先ほどまでの道化のような態度を完全にかなぐり捨て、深い沈黙と共に目を閉じた。

彼女の周囲に漂う魔力の質が、一瞬にして数千年の時を経た古の支配者のそれへと変質する。

しばらくして、彼女はゆっくりと瞼を持ち上げた。その眼差しは、静かで、冷徹だった。

 

「この感覚……。そうか。ルーデウスよ、お主がいま戦っておるのは、『人神(ヒトガミ)』……じゃな?」

 

冗談の通じない、別人のような気配。私の背筋を、一筋の冷たい戦慄が走った。

 

「……その通りだ」

人神(ヒトガミ)と戦っておるということは、つまり……お主は龍神オルステッドの側に付いたというわけか」

「ああ」

 

キシリカは天を仰ぎ、何らかの膨大な過去の記憶を検索しているようだった。

 

「キシリカ。お前もあの存在を知っているのか?」

「……知っておるどころの話ではないわ。奴とは深い因縁があってな。正直、もう二度とその名を聞くことすら御免被りたいと思っておったのじゃがな」

「因縁?」

「……なんてことはない。ほんの四千二百年ほど前にな、徹底的に利用されたのよ。……ラプラスを殺したくて仕方がなかった人神(ヒトガミ)に。妾と、それからバーディがな」

 

四千二百年前。第二次人魔大戦の終結間際か。歴史の教科書には「闘神」と「魔神ラプラス」が相打ちになり、魔大陸が切り離されたと記されている。

 

「……確か、その戦いでは闘神と魔神ラプラスが戦ったはずだが」

「そう。妾を守るべく、人神(ヒトガミ)に唆されて『闘神鎧』を纏ったバーディと、魔神ラプラスが激突した」

「……待ってくれ。バーディガーディが、あの七大列強三位の『闘神』だったというのか?」

 

ラノア魔法大学で出会い、力比べをしては豪快に笑っていた、あの不死魔族の王。いつの間にか姿を消したと思っていた彼が、世界最強の一角、闘神の正体。

 

「闘神鎧そのものは既に失われて久しい……。だが、バーディガーディがもしお主の前に現れたなら、最大限の警戒を怠るな。奴は莫迦正直な男じゃ。未だにあの人神(ヒトガミ)めに、恩義を感じておる節がある。……お主の敵に回る可能性は高いぞ」

 

キシリカの忠告は、極めて重大な警告だった。

 

「……分かった。情報の共有に感謝する」

「……まぁ、アトーフェを味方につけた今のお主なら、鎧のないバーディぐらいならなんとかなると思うがな。……ルーデウスよ。あやつは莫迦なだけなんじゃ。できれば、殺さないでやってはくれぬか?」

 

恋人の身を案じる、魔界大帝の切実な願い。

 

「……善処しよう。私の家族の安全が保障される限りにおいて、だがね」

「ふん、それで十分じゃ。……お主、思っていたより義理堅いのだな」

 

キシリカは意外そうに目を丸くした後、ふっと表情を緩めた。数千年を生きた古の支配者の顔から、いつもの気安い道化の顔へと戻っていく。

 


 

「本来ならうまいものへの礼には、妾の魔眼を授けるのが『まいるーる』なのじゃが……。おぬしの眼、左には既に妾がやった予見眼があり、右には妙な術式が焼き付いておる。空きポートが一つもないのぅ」

 

そう言って、キシリカは檻の中で「しゅっしゅっ」と鋭い素振りを開始した。魔術的な施術の準備運動なのだろうが、今の私の視覚は現状で最適化されている。追加のハードウェアを組み込んで、現在のバランスを崩すのは御免被る。私は反射的に一歩距離を取った。

 

「ならば、オレの願いを聞け」

 

背後から地響きのような声。振り返ると、いつの間にかアトーフェが戻ってきていた。片手には巨大な酒樽を、まるで羽毛か何かのように軽々と抱えている。

 

「なんじゃと、いきなり妾を捕縛して不潔な牢にブチ込んだ無礼者の願いなど聞けるわけなかろう。シッ、シッ!散れ、筋肉ダルマめ!」

 

逃げようとするキシリカだったが、アトーフェの速度がそれを許さなかった。彼女は剛腕を突き入れると、キシリカの服を強引に掴み上げた。

 

「アールとアレクの居場所を教えろ。ルーデウスには今、強力な戦力が必要だ。あいつらなら、その穴を埋めるのに適任だろう?」

「えー、嫌じゃ!ルーデウスにはさっきギースとかいう男を探してやったではないか……。一日に二度も眼を回すのは、めんどくさい!」

「教えろ」

「いー、やー、じゃー!」

 

アトーフェは問答無用でキシリカの身体をゆさゆさと激しく揺さぶり始めた。

キシリカの衣服はもともと布面積が極端に少なく、胸元露出による放送事故が発生している。私は幼児体型の魔族に興味はないが、かつての知己であるバーディガーディに対する義理として、視線か話題を逸らすべきか検討した。

 

「……キシリカ。これを見ろ」

 

私は懐から、ランドルフから託されたあの指輪を取り出した。

 

「おう? なんじゃそれは。……どこかで見た覚えがあるような……」

「ランドルフ・マリーアンから預かった。お前に頼み事をする際に提示せよと。……『ランドルフの願い』だそうだ」

 

その瞬間、キシリカの反応は劇的だった。

具体的に言えば、彼女の顔面から血の気が一気に引き、不気味なほど真っ青に変色したのだ。

 

「……そ、そうか。あの骸骨野郎の願いか。……そうかそうか。あやつには世話になったのぅ。……めちゃくちゃに、嫌というほど世話になったのぅ……!なぜあやつは妾に施しをするたびに、『お礼はそのうちでいいですよ、そのうちね。クフフフフ……』などと不気味に笑うんじゃ……!あの顔を思い出すたびに、将来どんな法外な請求をされるかと妾は夜も眠れんかったのじゃぞ……!」

「……それほど恐ろしいなら、この機会に貸し借りをチャラにしたらどうだ?」

「そうじゃ!その通りじゃな!よし、ちょいと待っておれ!!」

 

恐怖という名の強力なブーストがかかったのか、キシリカは即座に万里眼を再起動した。その瞳がギョロリと虚空を睨む。

 

「……アールはわからん。アスラ王国の方向だとは思うが、魔力の高密度地帯におるのか、映像がボヤけておる。……だが、アレクの方は捉えたぞ。街道を一人で歩いておる。……この方角、行き先はビヘイリル王国の方向じゃな」

「そうか。ならば丁度いい。ルーデウス、ビヘイリル王国へ行ったら『アレクサンダー』という男を探せ。あいつは強いぞ、お前の力になるはずだ」

「……その人物は何者なんだ?」

「北神カールマン三世だ!」

 

アトーフェが自信満々に答えた。

……だが、私の脳内では即座にアラートが鳴り響いた。

ビヘイリル王国。そこには既にギースが潜伏している。ギースが戦力を集めている以上、そのアレクサンダーという最高位の戦闘員が、既に敵側にリクルートされている可能性は高い。

 

「よし、以上じゃな!?妾はもう行くぞ! 足よし、腰よし、肩よし、誰も妾を掴んでおらんな!?では、サラバじゃーーーっ!! ファーハハハハハ! ファーハファーハファーハーハー!!」

 

キシリカは驚異的な速度で要塞の廊下を走り去っていった。

 

「……相変わらず嵐のような奴だな。まあ、情報の収集には成功した」

 

ギース、そして北神。二つの重要ターゲットの座標が、ビヘイリル王国という一点に収束した。

アトーフェは酒樽を抱えたまま、満足げな笑みを浮かべている。

 

「ルーデウス、次にここへ来る時は、また旨い酒を頼むぞ。……それと、さっきキシリカが貪っていたドーナツとやらもな。あれは士気の維持に有効そうだ」

「善処しよう。……協力に感謝する、アトーフェ」

 


 

魔大陸でのキシリカ・キシリスの身柄確保、および情報の抽出を完了させ、私は魔法都市シャリーアの自宅へと帰還した。

 

リビングへと足を踏み入れると、そこには少しばかり珍しい光景が広がっていた。

 

傭兵団『龍の爪』の看板を担うリニアとプルセナの二人が、ソファで完全に弛緩しきっていたのだ。その中心にはエリスが座っており、満足げな表情で二人の頭や耳を交互に撫で回している。

 

「おかえりなさい、ルーデウス」

「ただいま、エリス。……随分と、幸せそうだね?」

 

私が声をかけても、エリスはその手を止めようとはしなかった。

リニアとプルセナは、エリスの剣王としての力強い、けれど急所を的確に捉えた愛撫に抗う術を持たないのだろう。二人は気持ちよさそうに喉を鳴らし、もはや野生の矜持など欠片も感じさせないほど骨抜きにされていた。

 

「ボス、お帰りだニャ……。報告があるニャ……」

「……そうなの。とっても重要な朗報なの」

 

二人はそう言いながらも、エリスの膝から起き上がろうとはしない。完全にシャットダウン寸前のリラックス状態だ。

プルセナが、とろんとした眼差しで、手元にあった一通の報告書を差し出してきた。

 

「はいなの……。東の方面の偵察部隊から、最新の情報なの」

 

私はそれを受け取り、速やかに内容を確認した。

アイシャの指揮下にある情報網が、ついに決定的な「人物」を捕捉したのだ。

 

「にゃあ……ボス、ちゃんと読んでるかニャ?」

「ああ、読んでいるとも。……いい仕事をしてくれた、二人とも」

 

私が労うと、リニアとプルセナは尻尾をぱたぱたと揺らし、エリスの膝の上でますます脱力しきった様子を見せた。

 

『対象:緑の髪若しくは禿頭、額に赤い宝石を持つ魔族――スペルド族の戦士を確認。

 外見的特徴:配布された人形とほぼ一致。

 発見座標:ビヘイリル王国、第二都市イレルより西へ半日の地点。地竜の谷に隣接する森、その付近に位置する集落』

 

「……見つけたか」

 

ルイジェルド・スペルディア。

私が転移に巻き込まれ際、魔大陸を共に生き抜いた師であり、恩人だ。彼の一族の汚名を返上し、その所在を突き止めることは、私の長期的なタスクリストの中でも最上位に置かれ続けていた。

 

(……ルイジェルドさん)

 

脳裏に、いくつもの記憶が蘇る。

右も左も分からない幼い子供だった私とエリスに、生きるための技術を叩き込んでくれた戦士。無口で不器用だったが、その一挙一動には、常に守るべきものへの誠実さが滲んでいた。彼がいなければ、私とエリスは魔大陸で命を落としていただろう。

その恩人と、ようやく再会できるかもしれない。本来であれば、無条件に喜ぶべき知らせのはずだった。

 

だが、私の脳は、喜びと同時に激しいアラートを鳴らし始めた。

キシリカからの情報によれば、人神(ヒトガミ)の使徒であるギースの潜伏先は『ビヘイリル王国』。

そして、アトーフェが推挙し、同じくキシリカが捕捉した北神カールマン三世の目的地も『ビヘイリル王国』。

さらに、いま私の手にある情報の終着点も――『ビヘイリル王国』。

 

「……偶然、か。いや、あり得ないな」

 

これほどまでに強力な人物が、特定の小国の一点に集中して現れる確率を考えれば、導き出される答えは一つしかない。

何者か――すなわちギース、あるいはその背後の人神(ヒトガミ)が、意図的にこの座標を「戦場」として設定し、すべての駒を誘導しているのだ。

 

「ルイジェルド……」

 

私は報告書を握りしめ、冷たい汗が頬を伝うのを感じた。

ルイジェルドがそこにいる。それは私を誘い出すための「餌」なのか。

あるいは……彼すらも人神(ヒトガミ)の洗脳、あるいは何らかの交渉によって、敵対勢力へと書き換えられてしまったのか。

 

魔神ラプラス。魔王バーディガーディ。

どれほど強大な敵を想定しても、私の気持ちは揺らがなかった。

だが、ルイジェルドという恩人が敵として立ち塞がる可能性。その一点だけは、受理しがたい絶望的な事項として胸を締め付けた。

 

(……いや。よそう、こんな仮定は)

 

私は一度、深く息を吐いた。

 

ルイジェルドという男は、誰よりも義理と信念に篤い戦士だった。たとえどのような策謀が渦巻いていようと、彼が容易く敵側に書き換えられるとは、私にはどうしても思えない。……そう信じたいだけなのかもしれないが、それでも、この直感を切り捨てるつもりはなかった。

 

「ルーデウス? 顔色が悪いわよ。大丈夫?」

 

エリスが撫でる手を止め、心配そうにこちらを覗き込んできた。

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

私はエリスに微笑みかけ、心の中で次なる計画を組み立て始めた。

 

ビヘイリル王国。

人神(ヒトガミ)の仕掛けた、最終決戦の盤面になるだろう。

ルイジェルドとの再会が、恩人との歓喜の抱擁になるのか、あるいは避けられぬ刃を交える結末になるのか。

それを見定めるためにも、私はあらゆる可能性を想定し、万全の準備を整えて、あの地へと向かわなければならない。

 


 

その足で、私は再び事務所へと向かい、オルステッドの執務室の扉を叩いた。

 

「オルステッド。行き先が確定しました」

 

私は手早く、キシリカから得た情報のすべてを机上に並べた。ギースの潜伏、北神カールマン三世の目的地、そしてルイジェルドの発見座標。三つの点が、ビヘイリル王国という一つの場所に収束している事実を、淡々と告げる。

 

オルステッドは資料に目を通し、しばらくの間、沈黙を保っていた。

 

「……偶然ではないな。何者かが盤面を敷いている」

「私も同じ結論に至りました。恐らくは人神(ヒトガミ)、あるいはギースの意図的な誘導でしょう」

「……罠と分かっていて、飛び込むつもりか」

「ルイジェルドさんの安否を確認せずに、見過ごすという選択肢はありません。……それに、罠だと分かっているのであれば、対処のしようもあります」

 

私の答えにオルステッドは僅かに口の端を歪めた。それが彼なりの了承の合図であることを、私は既に理解していた。だが、了承が出るまでのタイムラグがいつもより大きい。恐らく、私には知らせることができない秘匿事項があるようだった。

 

「……よかろう。俺も、可能な限りの支援態勢を整える。……ルーデウス」

「はい」

「気を抜くな。相手はこれまでとは規模が違う。北神、闘神の残滓、そして人神(ヒトガミ)直属の使徒。すべてが同じ盤面に乗っている」

「承知しています」

 

私は深く頷き、執務室を後にした。

窓の外には、既に夕暮れが迫っていた。

 

急ぎビヘイリル王国への旅の準備を始めなければならない。

だが、今だけは家族との時間を大切に過ごしたい。そう思いながら、私はシャリーアの街並みを歩いて帰路についた。




うーん、シリアスなシーンになるとなかなかpixiv版から加筆が難しいですね。
その分エピローグ回そうと思います。
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