無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
柔らかい朝の光が瞼を透かし、私は静かに意識を浮上させた。
場所は魔法都市シャリーア、我が家の自室だ。
壁に掛けられた時計の針を見れば、普段の起床時間をかなり超過している。どうやら、寝坊をしてしまったらしい。
窓の外からは、パウロの運営する剣術道場から響く活気ある声が届いていた。
「腰が高いぞ!重心を安定させろ!」
パウロの怒鳴り声と、それに負けじと打ち鳴らされる木刀の音。今日は朝練の日だったと思い出す。
階下からは、リーリャが侍従たちに的確な指示を飛ばす声や、リズミカルな炊事の音が微かに聞こえてくる。グレイラット家が今日も滞りなく稼働を開始している。
ぼーっと天井を眺めている間にも、子供たちの元気な足音や、赤ちゃんの無邪気な泣き声が鼓膜を震わせた。
「……そろそろ私も起きるとしよう」
起き上がろうとしたその時、部屋の扉が静かに開きアイシャが顔を出した。
「あら、珍しくお寝坊さんだね、お兄ちゃん。昨日は少しお疲れだったのかな?」
彼女は愛らしい笑顔を浮かべ、私の元へと歩み寄ってくる。
その穏やかな表情を見ていると、なぜか張り詰めていた心の緊張が、心地よく弛緩していくのを感じた。……なぜ私は緊張していたんだ?悪い夢でも見ていたか?
アイシャに手伝ってもらって訓練着に着替え、私は外へと向かった。
パウロが門下生に指導している道場へと足を運んだ。エリスとノルン、それにアルスの姿もある。
「おう、珍しく寝坊かルディ!」
パウロが笑いながら声をかけてくる。私は苦笑して頷いた。
アルスが「おねぼう〜」と楽しそうに囃し立ててくる。
「寝坊した罰だ!今日は道場恒例の打ち合いを行うぞ!」
「……恒例?いつからそのようなものが?」
「今日からだ!」
楽しそうに叫ぶパウロ。どうやら、グレイラット家三番勝負なるものを行うつもりらしい。
門下生たちに囲まれる中、私は木槍を構えた。アルスが最前列で、きらきらとした目を輝かせて見学している。
最初の相手はノルンだ。
彼女の性格をそのまま反映した、堅実な守りを持つ水神流。普段であれば北神流の要訣で崩しにかかるところだが、今日は趣向を変え、剣神流のような速さで切り込んでみることにした。
ノルンは一瞬驚いた様子を見せたものの、完璧に受け止め、鋭いカウンターを放ってくる。私はそのカウンターを、水神流でさらにカウンターとして返した。
反応しきれなかったノルンの喉元に、私の木槍が突きつけられる。
「私の勝ちだ」
次の相手はパウロだった。
いつもの打ち合い通り、北神流の読みづらい動きで私の守りを崩そうとしてくる。予見眼対策のフットワークの軽さに加え、攻撃の瞬間には剣神流の重さも織り交ぜてくる。迂闊に踏み込めば、水神流のカウンターが飛んでくるだろう。正直、上級者とは思えない強さだ。厄介極まりない。
普段であれば水神流で粘り勝ちするところだが、今日は趣向を変える日だ。私はルイジェルドが魔物を圧倒していた、あの動きを再現してみることにした。
闘気なしにそれを再現するのは難しい。一瞬だけ闘気を通わせたことで、身体にいくらかのダメージを受けてしまったが、無事に一本を取ることができた。
最後の相手は、エリスだ。
以前もこの三番勝負をしたことがあったが、その時は完敗だった。
今日こそは勝つ、という意気込みで挑む。
エリスの速度についていくには予見眼が必須だ。だが、彼女もまたその特性を熟知している。どうにかして視界から逃れようと、機敏な動きで揺さぶりをかけてくる。
私はギレーヌに教わった、勘を頼りにした防御でそれを何とか凌いだ。カウンターを放つも、目にも止まらぬ動きで軽々と回避される。
エリスの恐ろしいところは、剣王でありながら剣神流という型に縛られないところだ。その身体制御技術は、むしろ北神流に近い。彼女の蹴りを何とか受け流しながら打ち合いを続けたが、結局、私の木槍はへし折られ、敗北した。
視界の端で、アルスが拍手しているのが見えた。
やっぱりエリスは強い。楽しそうに笑う彼女を見て、私はやはりこの人が好きなんだと、改めて実感した。
場面が切り替わる。
キッチンはまさに戦場のような活気に満ちていた。
忙しく立ち働くメイドたちと、それを見事にコントロールするリーリャ。鼻腔をくすぐる温かいスープと焼きたてのパンの匂いが、私の空腹を刺激する。
「ルディ、おはよう。ほら、この子もパパを待っていたみたいよ」
ゼニスとシルフィが入ってくる。ゼニスはクリスティーナを抱き、シルフィはジークをあやしていた。
「おはよう、母さん、シルフィ。……代わろうか」
既に私は『魔神鎧』を装備している。慎重に腕に乗せてもらう。クリスティーナは嬉しいのか、きゃはきゃはと笑っている。その温かさがじんわりと伝わってくる。
抱っこしたまま朝食に移行するのも、既に日常茶飯事だった。
やがてロキシーも合流する。先日生まれた赤子、リリを抱いている。
そして、家族全員での朝食が始まった。
アイシャがいつも通り、片手でも食べやすいように取り分けてくれる。
その様子を見ていたジークが、こちらに来たいと小さな手を伸ばし始めた。だが、私は既にクリスティーナを抱いている。ジークまで抱くと、食事に手が回らなくなってしまう。シルフィもそう言って彼をあやそうとしたが、ジークの目にはみるみる涙が浮かんできた。
「ジーク、こちらにおいで」
私はそう言って、もう片方の腕を空けた。
「いいの?」
シルフィは少し驚いた様子だったが、そのままジークを私の腕に乗せてくれた。ジークも嬉しそうに笑っている。
食事は、二人が満足するまで後回しでいい。そう思っていたのだが、シルフィが何やらいたずらを思いついたような顔をした。彼女は取り分けられたベーコンをフォークで刺すと、「あーん」と言って差し出してきた。
流石に家族の前だ、多少の気恥ずかしさはある。……だが、結局シルフィの圧に負け、私はそれを口にした。
それを見ていたルーシーが、自分も真似をしようと思ったのだろう。子供用のフォークにゆで卵を切ったものを刺し、「はい、あーん」と差し出してくる。
微笑ましさに、笑みを抑えることができなかった。ぱくりと食べて、「ありがとう」と告げる。ルーシーも嬉しそうに笑った。
また、場面が切り替わる。
そのことに、違和感を覚えない。夢を見ているような、不思議な気分だった。
ロキシーと一緒に、魔法大学へ向かう準備をしている。
うっすらと、
私は
「(ララ、ドアの前に虫を仕掛けるのはやめなさい。ロキシーが腰を抜かしてしまうだろう)」
「(……しまった)」
「(あらあら、ララはいたずらっ子ね)」
ドアの前から、逃げる子供の足音が聞こえた。ゼニスも会話に入ってきたようだ。当のロキシーだけはまるで気づいていない。
そして、私たちはノルンと合流し、魔法大学へと向かった。卒業式をどうするかを話しながら、並んで歩いた。
また場面が切り替わる。
いったいこれは何なのだろう?疑問に思うが、それを脳内に固定できない。
私は空中城塞ケィオス・ブレイカーにいた。
そこでは、ペルギウスと魔方陣の理論についての議論を交わしていた。
「ルーデウス、この回路のバイパス処理だが、もう少し魔力効率を高められるのではないか?」
「確かに。では、こちら側の術式を多層構造化して……」
ペルギウスやその配下たちと共に、新たな術式の試作を繰り返す。時間はあっという間に過ぎ去り、昼食時にはザノバとクリフも合流した。……なぜ、クリフが?ミリシオンにいるはずでは……?
優雅な食事を摂りながら、私たちは最新の芸術教養及び魔導人形開発について語り合う。
「師匠!魔導人形開発においても『不均一の美』を導入し、見目を良くしようと考えているのですが……」
「ははは、ザノバ。君の情熱は相変わらずだな」
「不均一性は機能にも影響するだろう?それの計算は済んでいるのか?」
「寧ろ、機能を追求したうえでの不均一性を追い求めるべきだろうな」
議論が白熱しすぎて食事がおろそかになり、シルヴァリルから「ルーデウス様、ザノバ様、クリフ様、お行儀がよろしくありませんよ」とたしなめられるのも、もはや日常のアクセントだ。
夕暮れ時。
私は一人、ケィオス・ブレイカーの縁に立ち、地平線へと沈みゆく太陽を眺めていた。
空を染め上げる複雑なグラデーション、雲の陰影が織りなす絶景。
心が震えるほどの美しい景色を、どうすれば精緻な彫像として固定できるか。それを考えるのが、私の静かな日課となっていた。
周囲には誰もいない。ただ、心地よい静寂だけが私を包み込んでいた。
だが。
その平穏は、唐突に背後から飛来した「ノイズ」によって破壊された。
不意に、背後に誰かの気配を感じた。
アルマンフィが報告に現れたのかと思ったが、何かが違う。気配の質が、この世界の誰とも一致しないのだ。
振り返ると、一人の男がそこに立っていた。
男は必死な形相で、こちらに向かって何かを叫んでいる。
最初、その声は真空の中にあるかのように聞こえなかった。だが、一度意識を向けると、鼓膜が破れんばかりの巨大な叫びとなって私の脳内へ流れ込んできた。
その男の容姿。
『この世界』には、そのような個体は存在しない。
だが、私は即座にその正体を認識した。
何千回、何万回と反芻し、私の意識の奥底に保存されていた、あの『記憶』。
『記憶』の中で、鏡の中に映っていた、あの醜く、だらしのない男。
「おい!聞こえないのか!ルーデウス!!」
男は涙と鼻水を流しながら、絶望的な声を張り上げていた。
「お前は今、幻を見せられているんだ!目を覚ませ!!」
世界が、崩れていく。
「これは夢だ!紛い物の幸福だ!冥王ビタが、お前の脳に直接見せている偽物なんだよ!!」
作り上げられた完璧な平穏が、その汚らしい叫び声によって、ガラスのようにひび割れた。
気がつくと、私は「無」を体現したような真っ白な部屋にいた。
家具の類は一切なく、ただ三つの椅子だけが等間隔に配置されている。
一つには私が座っており、もう一つには、鮮やかな青色をした不定形の粘体が鎮座していた。そして最後の一つには、黄金の冠を戴き、全体がどす黒く変色した禍々しい骸骨が置かれている。
「初めまして。私が『冥王』ビタです」
青い粘体が、どこからともなく声を響かせた。発声器官が見当たらないことから、魔力による直接的な空気の振動、あるいは精神への干渉による出力だろう。解析したい誘惑に駆られるが、今はその時ではない。その粘体は言葉を続ける。
「……ルーデウス・ボレアス・グレイラット。認めましょう。この戦い、私の完全な敗北です」
粘体は、まるで淡々と業務報告を行う事務官のような、真面目くさった声で告げた。
「敗北」という言葉が使われた以上、これは一つの「戦闘」であったということだ。
先ほどまで私が見ていた、あの温かく、穏やかな日常。
「……つまり、お前は私に高度な幻術を仕掛け、仮想現実を見せていたわけか」
「ええ。貴方の深層意識にある『記憶』と『欲望』を抽出し、それらを最適にブレンドした特上の幻覚をね。……しかし驚きました。あそこまで現実に即した、不純物のない『幸福』を構築することになるとは。貴方はよほど、この世界での生に高い満足度を感じているのでしょう。調整には非常に苦労しましたよ。本来なら対象が自力で覚醒することは不可能なはずでした」
「では、なぜそのシステムは破綻したのか?」
「……これですよ」
ビタが指し示したのは、三つ目の椅子に置かれた骸骨だった。
「とぼけるのはおよしなさい。……最初から、私との接触を予見して用意していたのでしょう?私の天敵である魔道具、『ラクサスの骨指輪』を」
「ラクサスの骨指輪……。死神にもらった、あの指輪か」
「死神ラクサスが、私を確実に抹殺するために開発した専用の魔導具です。その機能は単純にして強力。術者にとって『最も頼れる亡者』の残像を強制的に出力させ、幻術を内側から破壊し、逃げ場を奪って追い詰める。……もっとも、対象に『頼れる亡者』が存在しなければ、その仕組みも発動しなかったのですが……」
――頼れる亡者。
この世界における私の周囲で、死に至った有力な個体は存在しない。父パウロも、母ゼニスも、師ロキシーも生存している。だからこそ、指輪は私の『記憶』という深層へとアクセスし、あの男を呼び出したのだろう。
オルステッドがこの指輪を常に装備しておくようにと指示したのは、この冥王ビタによる精神ハッキングを予見していたからだろう。
「失敗しました。……こんなことなら、里のスペルド族を人質に取り、ルイジェルドを操って貴方を脅迫すべきだった。ルイジェルドが里を滅ぼす覚悟で貴方に付こうとしていたことに、焦りを感じてしまった。……貴方が無防備に見えたので、容易く乗っ取りができると過信してしまった。まさか私を誘い出すための罠だったとは」
粘体が、だんだん小さくなっていく。
「粘族史上最強の王として数百年。……まさか、このような辺境で死ぬことになるとは思いませんでしたよ。『雷神』ルーデウス。貴方の用意した対策は、見事と言うほかありません」
「最後に確認したい。お前は、
「そうですよ。かの神には、実によくしていただきました。死神の追撃から私を保護し、天大陸の地獄という安全な道を教えてくれた。……おかげで、これほど長く存続してこれたのですがね。……出てきた結果がこれとは。因果律か、それとも定められた運命か」
ビタの輪郭が、急速に崩れ、縮小していく。
現れた当初は人族と同等の体積を保っていたが、いまや拳ほどのサイズにまで減衰している。
「ルーデウスよ。最後に一つだけ、私の言葉を残しておきましょう」
「……」
「
ビタはそう言い残すと、指先ほどのサイズにまで圧縮され、消滅した。
同時に、椅子の上にいた骸骨もまた、役目を終えたかのように砂となって崩れ落ちていく。
仮想世界の維持エネルギーが消失し、私の意識は現実へと回帰しようとしていた。
だが。
「――ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
その瞬間。
夢の残滓を切り裂くような、あまりにも聞き苦しく、けれど魂の底に響く絶叫が、真っ白な空間を震わせた。
ビタが消滅し、白亜の部屋が崩壊すると同時に、私の意識はさらに深い階層へと沈み込んでいった。
視界が開けた先は、見覚えのある場所だった。
そこでの私は、確固たる肉体を保持していなかった。
手足の感覚は曖昧で、まるで意思を持つ霧か、あるいは漂う魂そのもののような、ふよふよとした不定形な状態でそこに存在していた。
だが、私の目の前には、私とは対照的に、はっきりとした輪郭を持って立っている男がいた。
その姿を見た瞬間、私の脳が激しく火花を散らした。
間違いない。『記憶』に保存されている、あの醜く、だらしなく、そして絶望の中にいた男だ。
男は顔を醜く歪め、文字通り滝のような涙と鼻水を垂らしながら、私を見て絶叫した。
「あああああぁぁぁ~~~~っ!!ようやく……ようやく人と話せたぁぁっ!二十年以上だぞ!?二十年以上も、俺はこのクソみたいな空間に閉じ込められていたんだ!!」
男はなりふり構わず私に縋り付いてきた。魂の状態であるせいか、物理的な汚れが移る心配はなさそうだが、視覚的な不快感までは防ぎようがない。
「いいか、聞いてくれ!俺は死んだと思ったんだ!クソみたいな人生だったけど!最後には人助けをして、格好良く死んでやるつもりだったんだよ!そしたら何か変な空間にいて!夢の異世界転生が待ってると思うだろ!?なのに……なのにこんなところでふよふよ浮いてるだけで、お前の人生をただ『見てるだけ』なんて、あんまりじゃないか!!」
「……落ち着け。一度、状況を整理しよう。お前は、ずっとここにいたのか?」
私が努めて冷静に問いかけると、男はひっくひっくとしゃくり上げながら、これまでの経緯を吐き出し始めた。
男の言葉によれば、彼はあの日死んだ後、本来なら転生するはずのプロセスから弾き飛ばされ、二十年以上もの間、この「無の世界」を漂い続けていたのだという。
正気を保つのが困難なほどの、永劫に近い孤独。
幸いなことに、彼は私と視界を共有し、五感のデータも同期されていたらしい。私が喜びを感じれば彼もそれを感じ、私が危機に陥れば、彼はこの場所から必死に警告を送っていたという。
「何度も叫んだんだぞ!危ないぞとか、そっちは罠だとか!お前、一回も気づかなかっただろ!この朴念仁め!!」
「……失礼。私の受信感度が不足していたようだな」
「それだけじゃない!お前の周りには可愛い妻や綺麗な女性が次から次へと現れて……俺はどれだけ妬ましかったか!見てるだけなんだぞ!?お前が美味しい飯を食ってる時も、俺の腹は鳴りっぱなしだ!」
挙句の果てに、男は私のプライベートな領域――すなわち夜の生活についても、詳細な不満をぶつけてきた。
「あんなに可愛い妻たちが四人もいて、なんでお前はそんなに『受け身』なんだよ!もっとこう、ガッといけよガッと!欲望に従えよ!!」
「……物理的な制約があるんだ。私の身体には鱗や鋭い黒爪がある。不用意に動けば、彼女たちの柔らかな肌を傷つけてしまうリスクがある。合理的な配慮の結果だ」
「そんなもの、いっそ自分で剥いでしまえ!俺ならそうしてでも触るね!痛くたっていいじゃないか!男だろ!!」
「剥いでも再生するんだよ。……いっそ、剥いだ後に火魔術で焼いて止血し、再生を一時的に阻害するか?」
「ヒッ……!?それは流石に痛そうすぎるだろ、お前……。自分に厳しすぎないか?」
男は私の提案に顔を引き攣らせたが、すぐに何かを思いついたようにポンと手を打った。
「……待てよ。お前の得意な結界魔術があるだろ?鱗の部分だけに薄い膜を張って、感触だけを通すような『レイヤー』を構築できないのか?そうすれば傷つけずに済むだろうが!」
「…………。……面白い発想だ。魔術による物理干渉の遮断と、触覚データの透過。試してみる価値はありそうだな」
思わぬ角度からの技術提案に、私は僅かに感心した。
彼の欲望に忠実な思考回路は、時に私の論理的な盲点を突いてくる。
この男は私のスペックを最大限に引き出すための、もう一つの「非公式な演算機」なのかもしれない。
冥王ビタが最期に漏らした言葉によれば、『ラクサスの骨指輪』は「死した者の魂」を一時的に召喚し、術者を救わせるシステムであるという。
目の前の男が、この二十年間この無機質な空間で消滅せずに維持されていた理由は不明だが、彼が私を救うために機能したことは客観的な事実だ。
「……事情は理解した。覗き見されていたことについては後でじっくり検証させてもらうが、私をこの偽りの幸福から引き戻してくれたことには感謝する。お陰で窮地を脱することができた」
私はそれだけ告げると、意識を現実の肉体へと同期させ、この夢から覚めようと試みた。
だが、その瞬間。
「待てッ!待ってくれ、置いていかないでくれぇ!!」
魂そのものにしがみつかれるという、およそ物理法則を無視した奇妙な感覚。男が必死の形相で、私の足元(と思われる場所)に縋り付いていた。
「もう嫌なんだ!これ以上、何も干渉できない場所で、ただお前の人生を映画みたいに見せられ続けるのは……精神がもたない!それに、ここは……ここは時々、あいつの声が聞こえてくるんだよ!!」
「あいつ……?」
私の問いに、男は怯えたように震えながら答えた。
「
ヒトガミの独り言が、聞こえる?
その一言が、私の脳に強烈な火花を散らせた。
「……
「気づいてない……と思う。あいつの性格は、お前も知ってるだろ?もし気づいてたら、真っ先に俺をいたぶって楽しむはずだ。それがないことだけが、唯一の救いだったんだ」
私の脳内で、この男の価値が急速に跳ね上がった。
彼をこのまま虚空に放置するのは、戦略的にも考えられない。
「どうにかして連れて帰れないものか……」
「頼む、ルーデウス!お前なら、その魔術でどうにかできるだろ!?何でもするから!お前の夜の生活の改善点だって、いくらでもアドバイスしてやるからさぁ!!」
「……その提案は保留にするが。……検証してみるか」
私は以前、
試しに、指先に意識を集中し、微細な魔力摩擦を引き起こしてみる。
――バチッ。
鮮やかな紫の電撃が発生した。
それだけではない。私が「確固たる肉体」を想像した瞬間、私の魂の輪郭は現実の私と同じ、鱗と黒爪を持つ竜人の姿へと再構築された。
(なるほど。ここは想像力、すなわち『意志の力』が事象を支配する世界なのか)
では、魔術が使える理屈とは何か。
魂とは魔力そのものなのか?
いや、逆だろう。魂が発する根源的な力――「生命力」が出力された結果を、私たちは魔力や闘気と呼んでいるに過ぎないのだ。
生命力=魔力=闘気。
この仮説が正しいとすれば、かつてパウロが説いていた「気合と根性」による剣術の出力向上も、あながち非論理的な精神論ではなかったということになる。オルステッドと戦った際に感じた昂揚感に伴う出力増大も、これで説明がつく。
魂が魔力と似た挙動を示すのであれば、私の得意とする技術が応用できる。
「……いいだろう。お前を、『情報源』として正式に採用する」
「本当か!?やったぁぁぁ!!」
「喜ぶのはまだ早い。お前は二十年以上ここを漂っていた。この広大な無の世界の『地理』のようなものは把握できているか?」
「……地理、というか、なんとなく『この辺りにいれば
最高位の索敵情報だ。
私は男に向かって、静かに右手を差し出した。
「提案だ。お前の魂を、私の肉体へと『
「やる!やらせてくれ!ありがとう、ルーデウス……っ!!」
男は涙を流しながら、見事なまでの土下座を披露した。
私はその魂に手を触れ、自らの根源的な回路へと引き入れるための、精密な『
瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは無機質な純白の世界ではなく、木目の浮き出た質素な天井だった。
意識は驚くほど明晰だ。あの「無の世界」で体験した出来事、そしてあの男と交わした奇妙な契約の記憶も、鮮明な記憶として私の脳内に保存されている。
「……っ!?」
唐突に、胃の腑を雑巾のように絞り上げられるような激痛が走った。
「おえぇぇ……ッ!!」
私は反射的に四つん這いになり、込み上げてきた熱い塊を床へと吐き出した。
どろりと広がる、不気味な青い液体。
それは胃液や昨晩の夕食と混ざり合いながら、生き物のように僅かに脈動し、やがて静止した。
これが、私の精神をハッキングしようとした『冥王』ビタの末路か。
ふと指先に違和感を覚え手元を見ると、嵌めていた死神の指輪が細かな亀裂を上げ、ボロリと音を立てて砕け散った。ラクサスの骨指輪。ビタを殺し、役目を終えて自己崩壊したのだろう。
「……まずは清掃だな」
私は水魔術を起動し、床に広がった汚物を一気に洗浄した。生成した水の渦で汚れを包み込み、そのまま家の外へと排出する。
周囲を見渡す。
簡素な家具の配置、囲炉裏の残り火、そして独特の乾いた空気。
間違いなく、ここはルイジェルドの家だ。
私は自らの「内側」へと意識を向けた。
魂の状態を長時間経験した反動だろうか。今の私には、自身の魔力回路の奥深くに居座る「もう一つの存在」を、はっきりと知覚することができた。
(……おい、聞こえるか?そちらの状況はどうだ)
意識の中で問いかける。すると、一拍おいて、あの聞き慣れた情けない声が返ってきた。
『……あー。うん、たぶん大丈夫だ。なんて言うか……変な感じだけどな。お前の身体、中から見ると意外とハイテクっていうか……いや、とにかく無事にインストールされたみたいだ。よろしくな、相棒』
どうやら
だが、安堵している暇はなかった。
部屋の隅から聞こえてきた、苦しげな呼吸音。
「ルイジェルドさん……!?」
私は慌てて彼の方へ駆け寄った。
そこにいたルイジェルドは、凛とした戦士の面影を失っていた。顔面は土気色を通り越して真っ青に染まり、喉の奥から「ひゅー、ひゅー」と、壊れた笛のような掠れた息を漏らしている。
彼は己の身体を抱きしめるように丸まり、ガクガクと激しい痙攣を起こしていた。
その姿を見た瞬間、ルイジェルドの言葉が、私の脳内で再生された。
『ビタが病気の進行を抑えている。ビタを殺せば、分体も死に、疫病が蔓延する』
(……そういうことか。ビタが消失したことで、里を蝕んでいた疫病が、再びルイジェルドを攻撃し始めたんだ)
私はルイジェルドの震える肩に手を置き、即座に治癒魔術を練り始めた。
だが、これが通常の治癒魔術で対応可能な範囲なのかは不明だ。
ギースが仕掛けた「人質」という名の猛毒が、いま、牙を剥いて私たちの前に立ち塞がっていた。
今日はどうしてもここまで書きたくって、投稿しました。
これまで、本作では
――『記憶』が警鐘を鳴らしている
という表現を繰り返し使ってきました。
彼の叫びは、不完全ながらこのルーデウスにも届いていたようです。