無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
冥王ビタは消滅し、剣神ガル・ファリオンはこの世を去った。
北神三世アレクサンダーは倒され、鬼神マルタはこちら側に降った。
盤面の駒を一つずつ、着実に排除してきたはずだった。積み上げてきた勝利の実感が、確かに私の中にはあった。
だが、目の前に現れた「最後にして最大」の敵は、それらすべてを無意味に帰すほどの圧倒的な質量を持っていた。夜の海を割って現れたその姿を見た瞬間、勝利の実感は、なんの根拠もない過信だったのだと思い知らされた。
黄金の闘神。その肩に腰掛けたギースが、場違いなほど軽薄な声を出す。
「いや、わかってるぜ、センパイ。センパイが森であいつらを全員ぶっ倒したってのは、
ギース自身に戦闘能力は皆無だ。だが、彼を運ぶこの「敵」は別だ。
「でもな、本当にそうかな?こちらのお方は、まさに伝説そのものだぜ?四千二百年前、あの魔龍王ラプラスと相打ちになった、世界最強の戦神……」
ごくり、と喉が鳴る。喉の渇きは、単なる緊張のせいだけではない。
月光を反射して不気味なほどに輝く黄金の甲冑。それは、かつて笑い合った友人である魔王の姿を、逃れようのない「死」の象徴へと塗り替えていた。
知っているはずの相手が、まるで知らない怪物に見える。
「闘神バーディガーディだ。……一人でも、十分すぎるほどのお釣りが出るだろう?」
「我は闘神バーディガーディ!『雷神』ルーデウス・ボレアス・グレイラットよ、貴殿に――」
「我が名はアレックス・カールマン・ライバック!!」
口上を遮り、鋭い声が響いた。シャンドルだ。
先ほどまで漂わせていた気弱さは、その声のどこにも残っていない。彼はいつになく真剣な、北神としての威厳に満ちた表情で、私を庇うように前へと進み出た。
「北神カールマン二世なり!不死身の魔王バーディガーディに、一騎打ちの決闘を申し込む!不死魔族の名誉にかけて、正々堂々受けられよ!!」
バーディガーディの動きが止まった。彼は困ったように首を傾げると、肩の上のギースを見る。
「むぅ……ギースよ。我輩はルーデウスに決闘を申し込むつもりであったが、どうしたものか」
「断りゃいいだろ!今はそんなことしてる場合じゃねえんだよ!」
「そうもいかん。魔王たるもの、公式に申し込まれた決闘は受けねばならんと古来より決まっておるのだ」
ギースが露骨に呆れ顔になる。
「ルーデウス殿」
その隙に、シャンドルが私の傍らに寄り、小声で囁いた。
「ここは私が時間を稼ぐ。その間に一度撤退し、戦力を再編してあの鎧への対策を練ってくれ」
「シャンドル……お前はどうするんだ?」
「……生きては帰れないだろうな」
覚悟の決まった、一点の曇りもない瞳だった。
息子を失いかけ、それでも尚、この期に及んで自分の命を秤に乗せることを一切躊躇わない。
――こんな時にまで、いや、こんな時だからこそ、私はこの男を強いと思ってしまう。私には、同じ選択ができるだろうか……。
だが、それを言葉にする時間はない。私は喉元まで込み上げた制止の言葉を飲み込み、代わりに一振りの大剣を取り出した。
私は『王竜剣カジャクト』を彼の手に押し付けるように握らせた。
「貴殿が使うべきだ。私が使うより、ずっといい。……頼んだ」
「……ふふ、またこの剣を手に取ることになるとは。因果なものだ」
シャンドルは苦笑しながら、かつての愛剣を力強く握りしめた。その横顔から、迷いは消えていた。
私はシャンドルを残し、背後の宴会場へと急行した。
敵襲の報告を受け、真っ先に立ち上がったのは酔いが一瞬で吹き飛んだアトーフェだった。
「敵はどこだ!どいつを殺せばいい!!」
「浜辺だ!敵は闘神バーディガーディ……今はシャンドルが一人で抑えている!」
「アーッハッハッハ!バーディが敵に回ったか!面白い、相手にとって不足はないわ!親衛隊!オレに続けぇぇッ!!」
アトーフェは私の制止を聞く耳も持たず、黒鎧の部下たちを引き連れて浜辺へと突進していった。
(止まれと言っても、止まる女ではない。ならばせめて、シャンドルの負担を少しでも減らせるよう私も急がなければ)
「ルーデウス、私も行くわ!」
抜き身の剣を提げたエリスが、酒の匂いを引きずりながら駆け寄ってくる。その瞳に宿る戦意は、疲労も酩酊も微塵も感じさせない。私は即座に魔術を起動し、彼女の体内のアルコールを強制的に分解・排出した。
「頼むよ、エリス。……それとマルタ殿!」
私は鬼神マルタに向き直った。
「貴殿には非戦闘員の避難誘導をお願いしたい。ヘイレルルの住民も、可能な限り安全な場所へ連れて行ってもらえると有難い!」
鬼神は一瞬だけ逡巡したが、深く頷いた。
「……ん。わがった。おで、守る」
その巨躯には不釣り合いなほど、実直な言葉だった。この男になら、任せて良い。
指示を出し終え、私も戦場へと向かう。
だが、事態は悪化の一途を辿っていた。戦火は既にヘイレルルの街近郊にまで移動していたのだ。
そこには、バーディガーディを囲むアトーフェと親衛隊の姿があった。だが、シャンドルの姿はどこにも見当たらない。
――嫌な予感が背筋を這い上がる。まさか、もう。
考えるのを、無理やり止めた。今はまだ、悲観する時ではない。
バーディガーディはギースを肩に乗せたまま、あの猛将アトーフェをまるで赤子でもあやすかのように、六本の腕で軽々とあしらっていた。親衛隊が放つ攻撃魔術も、彼の身体に届く前に黄金の魔力によって霧散させられている。
(……ギースの仕業か?いや、あの鎧の機能か。まずは邪魔な頭脳を仕留める!)
私は飛び出そうとするエリスを制し、右腕の
「『
追従する雷光が、正確にギースの頭部を狙って走る。
だが、バーディガーディの腕が先読みしていたかのような速度でそれを遮った。距離が遠すぎて威力が分散されてしまっている。
(ならば、最大出力で回路を焼き切るまでだ!)
「『
極大の轟雷を放ち、バーディガーディを光の柱で包み込んだ。
凄まじい衝撃波が大気を叩き、耳鳴りにも似た圧力が鼓膜の奥まで突き刺さる。一瞬、視界が真っ白に染まる。
だが、光が晴れたとき、そこにあるはずの黄金の巨体は消失していた。
「――上だわッ!!」
エリスの叫び。
見上げれば、夜空を背景に巨大な金色の塊が自由落下してくるのが見えた。
地響きと共に私の目の前に着地したのは、一切の損傷を感じさせない闘神。
「ひゅぅ、死ぬかと思ったぜ、今の。危ねえ危ねえ」
鎧の肩から、ギースの笑い声が聞こえる。
「我が名は闘神バーディガーディ!
「問答無用だ!『
二十匹の電気の蜂を至近距離で特攻させる。
ギースの悲鳴。今度は外さない。
バーディガーディは腕で顔を覆って凌ごうとしたが、爆発的な雷火が彼の数本の腕を根元から吹き飛ばした。
炎と雷。高熱で焼かれた部位は、通常なら再生が著しく遅れる。それが不死魔族の唯一の弱点であるはずだった。
だが、驚愕の光景が展開された。
焼けた傷口が炭化するよりも早く、断面から新しい肉と黄金の甲冑が、意志を持つかのようにモリモリと湧き出してきたのだ。
(……闘神鎧による再生能力のブーストか?表面の炭化が完了する前に新しい細胞が補充されている。まるで、時を戻したかのような再生だ)
エリスが死角から斬りかかるが、再生したばかりの腕に容易く弾き飛ばされた。
「クッ……『
最大火力の術式を構築しようとした、その瞬間。
「――させんッ!!」
バーディガーディの巨大な裏拳が、私の視界を覆った。
それは、北神との戦いで魔神鎧が綻んでいた左側、私の最大の脆弱性を的確に突いていた。まるで、そこだけを最初から狙っていたかのような、迷いのない一撃だった。
衝撃。
思考が真っ白に塗りつぶされる。
鼓膜の奥で何かが弾けるような音がして、視界が急速に暗転していく。
遠のいていく視界の端で、地面に叩きつけられたエリスが、血相を変えて必死にこちらへ手を伸ばしているのが見えた。
「ルーデウスッ……!!」
届かない。
彼女の名を呼び返すこともできないまま、私の意識は深い闇へと沈んでいった。
鼻腔をくすぐるのは、嗅ぎ慣れた獅子の如き香気。そして、規則的な上下の揺れ。
「……気がついたの?」
響いたその声に、私の意識は急速に覚醒した。
視界が開けると、そこには険しい崖道を力強い足取りで進むエリスの逞しい背中があった。私は今、彼女に背負われている。
「……どうなっている?戦況は」
「負けたわ。完敗よ」
エリスは悔しさを押し殺すような低い声で答えた。
シャンドルとアトーフェは現在行方不明。戦場に残されたムーアが全軍の撤退を指示し、エリスは意識を失った私を担いで、文字通り敵陣を突破して駆けたのだという。
「……そうか。面目ない」
そう言うと、エリスは僅かに歩調を緩め、肩越しにこちらを睨みつけてきた。
「……謝らないでよ」
その声には、いつもの強気な響きの下に、隠しきれない不安が滲んでいた。
闘神バーディガーディ。
彼は私の弱点を正確に理解していた。『魔神鎧』の装甲が綻んでいた左側、そこから伝わる物理的な「衝撃」。一度の裏拳で、私の意識を一撃で強制終了させるほどの人知を超えた暴力。
「次は……どうするの?」
エリスの問いに私は短く答えた。
「……まずはスペルド族の里へ。体制を立て直す必要がある」
意識が回復したばかりの身体は重かったが、私はエリスを抱え直し、里を目指して夜空を飛んだ。
道中、エリスは私の腕の中で眠りに落ちた。私という「質量」を背負い、神級の戦場から延々と走り続けたことで彼女のスタミナも限界に達していたのだろう。
安らかな寝顔を横目に見ながら、私は誓った。……二度とこんな目に遭わせたくない。
里に辿り着くと、そこには既に仲間たちが集結していた。
オルステッド、ルイジェルド、ロキシー、ザノバ、ジュリ、ジンジャー、ドーガ、クリフ、エリナリーゼ、ノルン。
皆、傷ついた私とエリスの姿を見て、一様に沈痛な面持ちを浮かべていた。
ロキシーが小さく息を呑む音が聞こえた。駆け寄りたい衝動を懸命に堪えているのが、その強張った表情から伝わってくる。
今は、それに応えている余裕がない。私は小さく頷いてみせるだけに留め、オルステッドに向き直り、浜辺での戦闘を報告した。
「……以上です。アトーフェ、シャンドルの生存は確認できていません」
「…………」
オルステッドはこれまでに見たことがないほど、峻烈な表情をしていた。
「闘神バーディガーディか。
「オルステッド。……奴の攻略法は、ありますか?」
「……無い。俺は『闘神鎧』の情報は熟知しているが、それを纏ったバーディガーディと戦ったことは無い」
「改めて教えてください。その『闘神鎧』とは、一体何なのですか?」
オルステッドは静かに語り始めた。
かつて魔龍王ラプラスが自身の最高技術を投じて作り上げた、史上最強の自律型防具。
それはリングス海の中央、魔神窟の最深部に封印されていたはずの、呪われた「黄金」であるという。
「その表面は常に魔力を放出し、黄金に輝く。装着者には膂力と不滅の耐久性を与えるが、あまりに強大な魔力ゆえに鎧そのものが自我を持ち、いずれは装着者の意識を飲み込む。……だが、バーディガーディは魔眼を無効化する特殊な肉体だ。あるいは、鎧による侵食を耐え抜くかもしれん」
「脱ぐことはできないのですか?」
「装着者の生命力が完全に枯渇するまで取り外すことは不可能だ。……そしてバーディガーディは不死魔族。すなわち、あの鎧は彼を依代として半永久的に稼働し続ける『永久機関』へと成り果てたということだ。ほとんどの魔術は表面から発する光の干渉によって無効化される。……ただし、それには閾値がある。お前の最大出力であれば、あるいは装甲を貫通できるかもしれんが……」
「……確かに、先ほど最大火力の『
「だろうな。闘神鎧は装着者の能力を最適化し、弱点を埋めるように変形する。バーディガーディなら遠距離攻撃の手段はないだろうが、その分、接近戦における反応速度は限界にまで引き上げられている」
「持久戦は?」
「無意味だ。装着者は疲労も痛みも感じず、常に最適な状態で戦い続ける。……かつて魔龍王ラプラスがこれに対処した際は、鎧の防御上限を超える極大の魔力を一度に叩き込み、中身の肉体を消滅させて強引に分離させた。その際の結果があの大陸を穿った大穴……現在のリングス海だ」
「……同じことをすれば、ビヘイリルごと消滅しますね」
ロキシーが不安げに口を開いた。震える声を必死に抑えながら、それでも冷静さを失うまいとしているのが分かった。
「ルディ、貴方がシーローンで実験した神級魔術は……?」
「あれは多数の敵を殲滅するためのもので、単体への貫通力は不足している。……闘神を殺す前に、この里が、この国が先に灰になる」
「ルーデウスの『魔神鎧』では、殴り合いに対応できませんの?」
エリナリーゼの問いに、私は首を振った。
「『魔神鎧』は龍聖闘気を纏っていますが、中にいる私自身は闘気を扱えない。衝撃を緩和する設計は施していますが、闘神の打撃はそのセーフティを遥かに超えている。……衝撃、すなわち『殴打』こそが、私の『魔神鎧』の最大の弱点なんです」
「水神流にて、受け流すことはできませぬか?」
ザノバの進言も、今の私には酷なものだった。
「……私の動体視力と反応速度が足りない。普段は予見眼でそれを補っているが、バーディガーディは魔眼には映らない。……まさに、私の弱点を突くための敵だ。ギースは、私の戦略をすべて読み切っている」
重苦しい空気が、里全体を鉛のように包み込む。誰も、次の言葉を継げずにいた。
だが、いつまでもここで立ち止まっているわけにはいかない。私は静かに立ち上がった。
「……だが、完全に打つ手がなくなったわけではない。奴らがここまで来る間に、私は最終的な対策を組み上げる。ロキシー、君は停止した転移魔法陣の復旧を行って、いつでも逃げれるようにしていてくれ。クリフ、エリナリーゼ、他の皆は里の者たちの避難誘導を。戦闘の余波がここまで及ぶのは、もはや避けられない」
私の指示に、皆がそれぞれの役割へと動き出す。
喧騒の中、ロキシーだけがその場に残り、最後に名残惜しそうに、そして今にも泣き出しそうな瞳で私を見つめていた。
小さな手が、私の袖の端をそっと掴む。震えているのが、布越しにも伝わってきた。
「……ルディ。死なないでくださいね」
その一言に込められた重みを、私は正しく受け止められただろうか。
……返事は、できなかった。
迂闊に頷けば、それが嘘になるかもしれない。そんな予感が、喉の奥で言葉を凍りつかせていた。
里の喧騒から少し離れた高台に一人立ち、私は思考を戦略という名の座標軸の上に並べ始めた。
打つ手が、無いわけではない。噓ではなく、本当に。
だが、その代償が問題だった。
――発動させれば、私自身が『元の身体に戻れる』という確証は、どこにもない。
戦って、たとえ勝てたとしても、私自身が消えてしまう可能性のほうが、遥かに高い。
――ゼニスを助けに行った、あの時の私なら。
迷わず、自分が消える選択をしていただろう。
そう、確信できる。
家族が何より大事だという気持ちは、あの頃から今まで、一片も変わってはいない。
だが、私には、あの頃よりも遥かに多くの「宝物」が増えてしまった。
妻たち。エリス、ロキシー、シルフィ、アイシャ。
そして何よりも大切な、アルス、ララ、ルーシー、クリスティーナ、ジーク、リリ。
――私が死んでしまったら、もう二度と、あの子たちに会えない。
そんな、あまりにも単純な事実が、今の私の心を鎖のように縛り付けていた。
家族の顔を、二度と見ることができなくなる。
昔の私なら、自分の命なんて、迷いもなくすぐに天秤に乗せられたはずなのに。
――今は、手が震えて、それができない。
他に手立てはないか。私は何度も、何度も、頭の中でシミュレーションを繰り返した。
だが、相手は伝説そのものである闘神だ。
王竜剣カジャクトを持った北神二世と、魔王アトーフェ。この二人がかりでも歯が立たなかった相手なのだ。
無限に近い再生力。私の戦い方との相性は、最悪と言ってもいい。
いや、最悪の相性となる相手を、狙ってギースは連れてきたのだ。
全員で当たるか?
……こちらの戦力で、満身創痍でないのはエリスくらいのものだ。
ルイジェルドもドーガもザノバも、既に限界近くまで消耗している。全力で戦うことは難しい。
クリフとエリナリーゼの実力では、闘神相手には力不足だろう。
アスラ王国からの増援を待つか?
剣王ギレーヌ、剣王イゾルテなら、駆けつけてくれるかもしれない。
だが、彼女たちが揃ったところで闘神相手にはやはり力不足だ。
そして、何より。
味方が戦場にいる限り、私は決して全力を出せない。
広範囲を薙ぎ払う魔術の多くは、味方を巻き込む危険をはらんでいる。
――一体、何人の仲間が、ここで死ぬことになる?
オルステッドを頼るか?
いや、それは駄目だ。彼の貴重な魔力をここで浪費させることは、実質的な敗北と同義だ。
結局は最後に
……バーディガーディという男は、戦いを正面から挑めば、決して手加減はしないだろう。
だが、決闘を挑まない者たちを、わざわざ追いかけてまで殺すような卑劣な男でもない。
奴の狙いは、あくまで私と、そしてオルステッドだけだ。
それ以外の皆は、いわば巻き込まれただけの、無関係な存在に過ぎない。
命尽きるまで、私一人で戦うことを選ぶか?
――自分一人が決死の覚悟で挑めば、あるいは勝てるかもしれない。
――自分の命惜しさに、仲間や妻たちの命を無用な危険に晒していいはずがない。
震える手のひらを、もう片方の手で強く握りしめる。
だが、その震えはいつまで経っても止まらなかった。
結論は、まだ出ない。
高台にオルステッドとルイジェルドが飛んできた。
二人はしばらくこちらを見つめ、重苦しい沈黙を破って口を開いた。
「ルーデウス。……あれは、本物の七大列強だ。かつてこの世界を恐怖で支配した、伝説の暴力そのものだ」
ルイジェルドの瞳には、戦士としての冷静な分析と、私への深い懸念が混ざり合っていた。
「俺たちが束になってかかったところで、勝てる確率は限りなく低い。……お前も今のうちにここを離れるべきだ。逃げることは、決して恥ではないぞ」
「……ルイジェルドさん」
彼がここに来た理由は明白だった。私に、生き延びるための「撤退」という選択肢を提示するためだ。だが、その言葉に横から割って入ったのは、オルステッドだった。
「……いや。俺が出よう。闘神鎧を纏ったバーディガーディと戦ったことはないが、俺が全力で当たれば、勝てない道理はない」
「……待ってください、オルステッド」
私は即座に、制止の声を上げた。
「ここで貴方が魔力を消耗してしまうことは、戦略的に見て致命的なミスです。
「……だが、ここでお前が死んでしまっても、お前にとっては敗北だろう」
オルステッドの声には、冷徹な龍神らしからぬ、切実な響きが滲んでいた。無表情の仮面の下の表情は窺えない。だが、その硬い声色の震えだけで、彼が本気で私を案じてくれているのだと、痛いほど伝わってきた。
「……分かっていますよ。ですが、奴らの狙いは私と、そして貴方です。貴方が戦わなければならないのだとしても……その前に、私が闘神を削ぎ、その力を低下させることぐらいは出来るはずです」
「……お前は死ぬぞ」
オルステッドが真っ直ぐに私を見据える。その視線の重みに耐えながら、私は彼に、そしてルイジェルドに、最後のお願いを口にした。
――本当は、こんなこと願いたくない。
――情けないと言われても逃げ出したい。
――だが、それはできない。バーディガーディはともかく、
――妻たちの顔を、子どもたちの顔を、今一度思い出す。
――そのためなら、私は命だって差し出せる。
「……もし、私が闘神の力を削ぐことに成功し、その代償として戻れなかったら。……残された私の妻と子供たちを、家族を、どうか頼んでもよろしいですか?」
「ルーデウスッ!!」
ルイジェルドの顔が、悲痛な叫びと共に歪んだ。
私の存在が原因で、これまで築き上げてきたものが崩壊し、皆が死んでしまう。それだけは、私の矜持が、そして何より彼らへの愛が許さない。
「……妻たちには、今のこの会話を秘匿してください」
私は二人に向き直り、静かに告げた。
「……直接別れを告げれば、覚悟が揺らいでしまいそうなので。ルイジェルドさん。……エリスは、きっと最後まで私と共に戦おうとするでしょう。……どうか、彼女を無理やりにでも連れて逃げてください。彼女と子供たちを守ること、それが貴方に託すお願いです」
「……お前は、変わらないな。昔から、大事なものを守るためなら自分をいくらでも後回しにする。……悪い癖だ」
ルイジェルドは、静かに、けれどどこか懐かしむような声でそう言った。かつて魔大陸を旅していたころのような、幼子を見るような、そんな眼差しだった。
「だが、それを今更咎めても始まらんのだろう。……いいだろう、その頼み、確かに受け取った。エリスも、子どもたちも、俺の命に代えて守り抜く。
――だから、お前も、必ず戻ってこい。ここで無様に死ぬことは、俺が許さん」
胸の奥に、燃えるような熱がこみ上げてくる。
――ルイジェルドの、飾らない言葉。
昔から変わらない、不器用なまでにまっすぐな優しさ。
彼が今、命懸けでこの約束を背負ってくれるというのなら、私はそれに応えなければならない。無様に死ぬことは、この人への、そして家族への裏切りに他ならない。
震えていた手のひらに、ゆっくりと、確かな熱が戻ってくる。
死ぬことを、最初から受け入れる必要はないのだ。
まだ、私にできることは残っているはずだ。ならば今はただ、生き延びるための最善を尽くすことだけを考えればいい。
恐怖は、消えない。それでも、もう一度、前を向ける気がした。
(……それに、可能性がゼロだと決まったわけじゃない)
魔力を器へと再構築する術式には、まだ検証しきれていない理論が一つだけ残っている。時間も材料も足りず、確実な保証はできない。だが、可能性がある以上、それに縋らない理由はなかった。
私の眼に光が戻ったことに二人も気づいたのだろう。
二人の表情には、私への信頼が伺えた。
「あともう一つ、重要な索敵情報です。もしギースが闘神の肩に乗らず、別行動を取っていたとしたら……。奴は必ず森のどこかに潜伏し、高みの見物を決め込んでいるはずです。スペルド族の優れた索敵能力で、奴を見つけ出し、確実に殺してください。ロキシーが魔法陣を復旧させれば、ギレーヌがこちらへ飛んでくるはずです。彼女の嗅覚なら、ギースの残り香を辿ることができる。……奴の息の根を止めるのは、貴方たちに任せます」
そこまで言い終えると、私は二人に背を向け、準備のためにその場を立ち去った。
朝日の柔らかな光が地平線をなぞり、朝露に濡れた平原を白銀色に照らし出していた。
私は、スペルド族の里から少し離れたこの場所で、一人、静かにその「刻」を待っていた。
眠れぬまま迎えた朝だった。だが、不思議と頭は冴えている。恐怖はまだ胸の底に淀んでいるが、それに支配されてはいない。
道しるべは既に示してある。
狡猾なギースはともかく、正面突破を好むバーディガーディであれば誘い出されるようにしてここへ現れるはずだ。
――私の予測に狂いはなかった。
遠くから、大地を揺らすような重厚な足音が響いてくる。
一切の気配を隠すことなく、日光よりも鮮烈な黄金の輝きを放ちながら、闘神バーディガーディが姿を現した。その肩に、あの猿顔の男の姿はない。
私は小さく手を挙げ、里の方向へと微かな合図を送った。
ギレーヌとイゾルテ、そしてシルフィとは既に合流している。ロキシーが凄まじい速度で転移魔法陣を修復してくれたおかげだ。
イゾルテとシルフィには、里の守りをお願いした。
ルイジェルドやギレーヌにはギースの捜索と、伝言を頼んだ。
彼らなら、この死角から潜伏しているであろうギースを必ずや探し出してくれるはずだ。
「ふははははは!まさか、本当に一人で待ち構えておるとはな!流石は勇者よ、その豪胆さ、我輩は嫌いではないぞ!」
「始める前に、一つ聞かせてくれ」
私は壊れかけの『魔神鎧』に魔力を通しながら、平然とした声を保って問いかけた。
「……なぜ、そこまでして
「確かに騙された!昔の我輩は、ラプラスに殺されんとしていたキシリカを救うためだと唆され、この鎧を身にまとった。そしてラプラスを殺し、あまつさえ愛するキシリカをも、この手で殺めてしまったのだ!」
「ならば、なぜ……」
「
私は思わず、深いため息を吐き出した。
謝罪されたから、許す。そのあまりにも単純で、不死身ゆえに時間に縛られない者特有の、あまりにも軽すぎる倫理観だ。
「また騙されるとは思わなかったのか?」
「構わん!騙されても、その都度謝ればよい。謝られたら、その都度許してやればよいのだ!我輩は不死身であり、キシリカも復活した!謝罪されたのなら、禍根など残ってはおらん!これ以上に何を望むことがあるのだ?」
「……寝返るつもりはない、ということだな」
「無駄だ!元より我輩は龍神側ではない。……だが、そうだな。もしこの戦いで貴様が我輩に勝ったというのなら、その時は考え直してやらんでもないぞ!」
「……分かった。ふぅ、魔法大学での力比べを思い出すな」
私が静かに微笑むと、バーディガーディもまた、黄金の兜の奥で豪快に笑った。
「あの時は貴様の勝ちであったな!だが、今回はそうはいかんぞ!我が名は『闘神』バーディガーディ!『雷神』よ、貴様に正々堂々、決闘を申し込む!!」
私は左足を一歩引き、構えた。
「……『雷神』ルーデウス・ボレアス・グレイラット。貴殿との決闘、謹んでお受けしよう」
言葉が途切れた瞬間。
平原の静寂は、雷鳴と黄金の衝撃によって、一気に粉砕された。大気が悲鳴を上げ、朝露が弾け飛ぶ。
最終決戦の幕が、切って落とされた。
開戦の合図と同時に、私はあらかじめ足元に展開していた転移魔法陣を起動した。
視界がぶれるほどの刹那、私は上空へと座標を移し、バーディガーディが放った大地を削るような初撃を紙一重で回避する。
「『
回避から反撃までのラグを最小限に抑え、
空を割るような轟音と共に放たれた極太の光線が、黄金の巨体を真っ向から飲み込む。バーディガーディの身体の大半が、その熱量に耐えきれず一瞬で蒸発し、消失した。
だが、私の期待した結果は得られなかった。
光が晴れるよりも早く、残された黄金の欠片から新しい肉体がモリモリと湧き出し、わずか数秒のうちに五体満足な闘神が再構成されたのだ。
……やはり、高熱による焼却では再生を食い止めることはできない。あの鎧が装着者の設計図を保持し続ける限り、その再生に限界はない。
バーディガーディは余裕を崩さぬ体勢で、悠然と空中の私を見上げている。
「ははは!素晴らしい一撃だ、ルーデウス!だが、我輩の命には届かぬぞ!」
(……分かっている。だから、これを用意したんだ)
私は覚悟を決め、空中に巨大な多層魔法陣を展開した。
空が私の魔力に呼応して紫電に染まり、周囲の空気が焦げ付くようなオゾンの臭いに満たされる。
これは、今回の一連の騒動の中で私が導き出した、対闘神用の最終回答。
『
今の私に必要なのは、対等に殴り合い、なおかつ相手の存在を根源から削り取るための「さらに強大な器」だ。
私は魔法陣の核に向けて、自らのすべてを投げ込んだ。
まずは、北神との戦いで傷つき、防御結界としての機能を失いかけているこの『魔神鎧』。
次に、体内にリザーブしていたすべての魔力。
そして――私の肉体、そのすべて。
一瞬、脳裏に妻と子たちの顔がよぎった。
――これが最後の姿になるかもしれない。
それでも、迷いはなかった。震えていた手は、今はもう静かだった。
「……『神獣化・雷電魔石多頭竜』」
私は自ら、輝く魔法陣の中へと身を投じた。
瞬間、全身を焼き切るような激痛が走った。
細胞の一つ一つが魔力へと還元され、再構築されていく。
私の意識の奥底で眠っていた「竜の因子」が暴走し、凄まじい本能の奔流が理性を飲み込もうと牙を剥く。
(……負けるな。制御しろ……!私は、私のままでいなければならない)
意識の輪郭が溶けていくような感覚。名前も、記憶も、愛した人々の顔さえも、魔力の奔流に押し流されそうになる。
歯を食いしばるように、いや、もはや歯すら実体を失いつつある中で、それでも私は「自分」という輪郭を手放さなかった。
視界を焼き切るほどの閃光。
大きな音を立てて地上に着地したのは、もはや人族の形を完全に捨てた――かつて転移の迷宮で相まみえた
私の身体は、いまや高電圧の魔力そのもので構成されている。
竜の本能が抑えきれず、九つの頭が一斉に天を仰いで咆哮を上げた。その衝撃波だけで、周囲の森の木々が砂のように砕け散る。
「まさか、貴様自身が竜になるとは!そうくるとは思わなかったぞ、ルーデウス!!」
バーディガーディが歓喜の声を上げ、黄金の拳を叩きつけてきた。
私は九つの首をうねらせ、その一撃を真っ向から受け止める。
人族の身体では即死していたであろう衝撃。だが、今の私は魔力の塊だ。
これまで足を引っ張っていた、人族の部分は一つも残っていない。
つまり――生まれて初めて、私は闘気を纏えるということだ。
ずっと憧れながら、決して手の届かなかった力。今この瞬間だけ、私はそれを手にしている。
龍神オルステッドがそうするように、身体全体に龍聖闘気を全開で回し、逆に神級の膂力を持って闘神を押し返した。
「強いな!ではこれでどうだ!」
バーディガーディが加速する。六本の腕を駆使した残像すら見えぬ連続攻撃。
この巨大な竜の身体は、防御と攻撃においては無敵に近いが、機動力においては標的にされやすい。
だが、私はその解決策を既に習得している。
私は王竜剣カジャクトから得た術理――重力魔術を発動させた。
巨大な身体を重力から切り離し、風を巻いて空へと浮上する。
「なんと!その巨体で、空まで自在に舞うというのか!」
地上で叫ぶバーディガーディに対し、私は九つの口を開いた。
全ての首に魔力を充填。今は杖は持てない。
こうして放つのが最適解だ。幸い、私の身体はこれが行えるように最適化されている。
一斉に雷のブレスを照射する。
激しい爆音と共に、地上に広がる森の一部が地図から抹消された。
バーディガーディは、全身の装甲を削られながらも、高笑いと共に再び再生を果たしていた。
「ふははははは!!素晴らしい!ラプラスですら、これほどの境地には届くまい!!」
(……まだだ。再生される前に、その『源』を断つ……!)
私ははじけ飛んだバーディガーディの腕の肉片、そしてそこにこびり付いた黄金の鎧の破片を、一本の首で無理やり喰らい、飲み込んだ。
闘神鎧が私の内側を侵食し始める前に、魔力で強制的に噛み砕き、封印を施して、自身の魔力リソースへと強引に還元する。
だが、その処理の間、私の動きに僅かな停滞が生じた。
――想定よりも闘神鎧の浸食が早い!嚙み砕き細分化しても、それこそ不死魔族のように再生してこちらを乗っ取ろうとしてくる。噛み砕いた一つ一つの粒子に結界魔術を施したうえで
その隙を、伝説の闘神が見逃すはずもなかった。
「甘いぞ、ルーデウス!!」
放たれたバーディガーディの渾身の拳。
私の首の一本が根元から吹き飛ばされ、巨体が轟音と共に地上へと叩きつけられた。
激痛――いや、痛みという概念すら、もはや正確ではないのかもしれない。頭部を一つ失うことは、私という存在の総量そのものが目減りすることを意味していた。
雷神と闘神。
世界を壊しかねないほどに激しい「命の削り合い」が始まった。
Side: ロキシー
スペルド族の里の広場から、私は遠く離れた地平の彼方を見つめていました。
肉眼では豆粒ほどにしか見えない距離。けれど、そこから放たれる魔力の奔流と、空間を震わせる轟音は、ここ里にまで明確な「戦い」の余波を伝えてきていました。
突如として天を衝くほどの巨大な光の柱が立ち昇ったかと思えば、そこには白銀に輝く巨竜の姿が現れました。
かつて、転移の迷宮の最深部で、ルディの四肢を奪ったあの忌まわしき
いいえ、違います。あれは、ルディが自らの全てを魔力へと置換し、新たな術式として再構築した姿。身体そのものが純粋な雷によって形成された、白銀の雷竜。
そして、その巨躯に真っ向からぶつかり、火花を散らしている黄金の輝き。
皮肉にも、その光景は邪龍に戦いを挑んでいる黄金の勇者のように見えました。
「……ルディ……」
私の祈るような呟きは、周囲の喧騒にかき消されました。
今朝、止まっていた転移魔法陣をようやく復旧させることができました。
それと同時に、アスラ王国で待機していた剣王ギレーヌ、剣王イゾルテ、そして、シルフィとも合流することができました。
ギレーヌさんは里に到着するなり、スペルド族の戦士たちを引き連れて森へと消えていきました。彼女の鋭い嗅覚とスペルド族の索敵能力を組み合わせ、潜伏しているギースさんを確実に仕留めるために。
残された私たちは、ただ祈るような思いでこの里からルディの戦いを見守ることしかできません。
「離しなさいッ!ルーデウスがあんなところで戦っているのよ!?私が行かなくてどうするのよ!!」
今にも戦場へ飛び出そうと、腰の剣に手をかけるエリス。そんな彼女の腕を、シルフィと二人で必死に抑え込みます。
「ダメだよ、エリス!今のあの場所は、ボクたちが入れるような戦場じゃないんだ!」
「そうです、エリス。……見てください、あの人外の戦いを。今のルディは、私たちを守るために、文字通り自分の『命』を魔力に変えて戦っているのです」
私だって、本当は今すぐにでもルディの元へ駆けつけたい。
けれど、山を削り、空を裂くあの二人の激突を目の当たりにすれば、理性が冷酷に告げるのです。今の私たちが行っても、ルディの集中力を削ぐ足手まといになるだけだと。
それは、私たちを何より重んじるルディを、最も苦しめる結果になってしまう。
「……でも、戦いが終わる時、ルディを迎えに行く時は、みんな一緒です。それまでは、ここで彼の勝利を信じて待ちましょう」
私はエリスの震える腕を、自分の小さな手でぎゅっと握りしめました。
胸の奥が締め付けられるような、張り詰めた緊張感。
一秒が一時間にも感じられるような永劫の時間の中、私たちは瞬きすることすら惜しんで、決戦の行方をその目に焼き付け続けました。
朝日と共に始まった神々の激突は、空が赤黒く染まり、夜の帳が降り始めるその時まで、一刻の休みもなく続いていきました。
日が、完全に落ちました。
地平線の彼方で燃え盛っていた白銀の雷光と、不気味な黄金の輝き。その二つの光が、まるで命の灯火が消えゆくように、弱々しく明滅を繰り返しています。
共に決戦の行方を見守っていた龍神オルステッド様が、音もなく立ち上がりました。
「オルステッド様!?どこへ行かれるのですか!?」
「……決着の時が近い」
その言葉に、胸の奥が凍りつくような感覚を覚えました。
遠くに見えるルディの放つ雷光は、もはや夜の闇を照らす力さえ失いかけていました。私は泣き出しそうな気持ちを必死に抑え込み、オルステッド様を追って走り出しました。私の隣ではエリスが、そしてシルフィが、祈るような形相で夜の荒野を駆けていました。
戦いの中心地へと近づくにつれ、事象の凄惨さが浮き彫りになっていきます。
ようやくはっきりと見えたルディの姿。
朝には九本あったあの巨大な首は、今やたったの一本しか残っていませんでした。眩しいほどに輝いていた白銀の身体は、魔力の供給が追いつかないのか、端々から粒子となって霧散し、激しく明滅しています。
対する闘神バーディガーディ。
あれほど輝いていた黄金の鎧も、いまや胸当ての一部を残して剥がれ落ち、中身の黒い肌のほとんどが露出していました。
そして、最後の一撃。
バーディガーディの巨大な拳が、ルディの残された首を狙って振り下ろされます。
けれどルディは、その巨体を感じさせない身のこなしで宙を舞い、その攻撃を紙一重で回避しました。重力さえも味方につけたその機動は、まさに彼が磨き上げてきた術理の結晶でしょう。
回避の勢いのまま、ルディは自らのちぎれた首の断面を、バーディガーディへと叩きつけました。
それは、かつて転移の迷宮で彼が両足を失った記憶をなぞるような、執念の一撃でした。
「グアァァァッ!!」
闘神の巨体が地面に叩きつけられ、衝撃で大地が跳ね上がります。
ルディは最後に残った唯一の頭部で、バーディガーディの上半身を……いいえ、そこに残っていた闘神鎧の核を、無理やり喰らいました。
バーディガーディの肉体は不死身ゆえに即座に再生を開始しましたが、そこに「黄金の輝き」が戻ることはありませんでした。
闘神鎧の消滅。
それは、四千二百年前から続く呪われた武具の機能停止を意味していました。
――決着です。
鎧を失い、元の魔王の姿に戻ったバーディガーディは、荒い息を吐きながらその場にあぐらをかきました。もはや戦う意志はなく、ただ静かに勝者を見上げています。
「……よもや、闘神鎧を喰らうとは。この決闘、貴様の勝ちだ。……見事であったぞ、『雷神』ルーデウス」
ルディは竜の姿のまま、飲み込んだ鎧の残滓を『消化』しているのか、しばらくの間、彫像のように硬直していました。やがて、彼は最後の一本の首をゆっくりと動かし、バーディガーディへと差し向けました。
「ふははッ……。貴様にそのまま喰われれば、不死身の我輩と言えど存在が消滅するだろう。さあ、どうする?」
バーディガーディは、喰えと言わんばかりに両手を広げ、無防備な姿を晒しました。
ルディは、大きく開いた竜の口を閉じ、ゆっくりと首を横に振りました。そして、魔力の放電に伴うパチパチというノイズ混じりの声を発したのです。
『……もう、我々と敵対しないと……誓うか?』
「……ああ。……誓おう。我輩はもともと、誰かと殺し合うのは好きではないのだ。旅をし、旨い酒を飲んで笑い、行きずりの女を口説き、時に婚約者にどやされる。友と笑い、歌い、疲れ果てた者たちが満足そうに眠る顔を見る……。我輩は、そんな当たり前の『生』が好きなのだ」
バーディガーディは、寂しげに、けれど清々しい表情でルディを仰ぎ見ました。
「今回は、あの
彼は拳を握り、自分の胸を叩きました。
「その『一度』は終わった。もはや我輩は誰の味方にもならん。この戦場に、我輩の居場所はもうないのだ」
『……わかっ、た……』
「喰わないのか?」
『……殺すなと……キシリカに……頼まれた』
「……そうか。……我が愛しのフィアンセ、キシリカが……。ククッ、あやつめ。余計な気を使いおって……」
ルディは、負けを認めたバーディガーディを、竜の顔のまま、心なしか満足げに見つめました。
そして。
糸が切れた人形のように、白銀の巨体はゆっくりと、地面に向かって倒れ伏しました。
「ルディッ!!」
私たちはなりふり構わず、静まり返った戦場の中央へと駆け出しました。
「ルーデウス!!」
エリスの、喉を掻き切るような絶叫が静寂を切り裂きました。
私とシルフィも、もつれる足で彼女の後を追います。
エリスが真っ先に、横たわる巨竜の顔に、その大きな瞳に縋り付きました。
白銀に輝いていた巨躯は、今や透き通るような透明度を帯び、内側からばちばちと火花を散らすこともなくなっていました。
私もルディの身体に、その冷たくなり始めた魔力の奔流に抱きつきました。
そして、その瞬間に理解してしまったのです。
ルディは、その身をすべて魔力へと変換し、神の領域へと踏み込んだ代償として……もう、人の身体に戻るための道筋を失ってしまったのだと。
「ルディ!!嫌です、私たちを置いていかないでください!!」
私は涙でぐちゃぐちゃになった顔を押し付け、必死に訴えました。
エリスも、シルフィも、なりふり構わずルディの欠片を繋ぎ止めようと、泣きながら彼の名を呼び続けています。
けれど、ルディは、その問いには答えませんでした。
彼は残された最後の一本の首を、静かにオルステッド様へと向けました。
「……ルーデウス。……戻れないのか」
『……はい。……オルステッド、……約束を……』
「……分かった。お前の家族は、我が命に代えても必ず守り抜くと……ここに誓おう」
その短いやり取りだけで、ルディが最期にどのような「契約」を交わしていたのか、痛いほど伝わってきました。
そして、ルディは……今まで聞いたこともないほど、透き通った優しい声で、私たち一人一人に語りかけました。
『エリス。……私が初めて自分から望んで、愛した人。貴方の圧倒的な強さと美しさは、私にとっていつだって憧れの象徴だった。……愛している』
「嫌よ! ルーデウス、行かないで!!」
『ロキシー。……貴方と一緒に過ごし、知を分かち合えた時間は、私の人生において何よりの幸運であり、幸せだった。……愛しています』
「ルディ……っ、ルディ……!!」
『シルフィ。……君が傍にいてくれたから、私はどんな困難も乗り越え、戦い抜くことができた。君は私にとって、誰よりもかけがえのない、心の拠り所だったんだ。……愛しているよ』
「嘘だ……、やだよルディ、行かないで……!!」
ルディの身体が、銀色の粒子となって夜風に舞い始めます。
『……アイシャには、……悪いことをした。……私の代わりに、……謝っておいて……もらえると……助かる……』
エリスの、魂を削り出すような慟哭が響き渡りました。
私の中の何かが、ルディの消失と共に崩れ落ちていく。
愛する人が目の前で光に溶けていく……。そのあまりにも理不尽な光景に、私の心は耐えきれず、絶望という名の闇に塗り潰されそうになりました。
抱きしめていた確かな重みが、ふっと、熱だけを残して消え失せました。
カラン、と。
乾いた音が、静まり返った荒野に響きました。
そこには、ルディが肌身離さず大切にしていた杖――
荒野と化したこの森に、私たちの慟哭だけが、いつまでも、いつまでも響き渡りました。
けれど。
その救いのない悲しみに、無慈悲に割り込んできた声がありました。
それは誰の記憶にもない、どこか滑稽で、けれど力強い……異質な響きを持った声でした。
「――ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
ルイジェルドの言葉で
ルーデウスの運命がどう変わるか
次節をお待ちいただければ幸いです。