無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
今日は聖都ミリシオンへと足を運んでいる。同行者はノルン、アイシャ、そしてゼニスとリーリャだ。
威勢のいい呼び込みの声、香ばしい屋台の匂い、行き交う人々の喧騒。
冒険者区にある隠れ家の転移魔法陣を抜けると、そこには相変わらず活気にあふれた街並みが広がっていた。アイシャの運営する『龍の爪』からの報告通り、この区域は今や我々の組織にとって最大級の利益を生み出す巨大な経済拠点として機能している。
「では、私たちは実家の方へ向かうわ。ルディ、あまり羽目を外しすぎないようにね?」
「分かっています、母さん。……リーリャさんも、母さんをよろしくお願いします」
ゼニスとリーリャは、クリフ経由で届いた招待状に従いラトレイアの本家へと向かった。今回、パウロにはお呼びがかからなかったのだが、当の本人は「ああ……俺はここで道場の番をしてるのが一番だな」と、魂が抜けたような顔でほっとしていたのが印象的だった。
さて、私とノルン、アイシャの三人は別の目的地――ミリス教団の本部へと向かう。
今日のメインタスクはミリス教の教義を説く新たな『絵本』の製作に関する打ち合わせだ。主役はあくまで著者のノルン。彼女と私の「格」を損なわないよう、隣を歩くアイシャは一切の隙を見せない完璧な侍従モードに入っている。
私は十歳児の体格に合わせて調整した『魔神鎧』を纏い、緊張で指先を震わせているノルンの背を軽く叩いた。
教団本部の重厚な入り口では、既にクリフが私たちを待っていてくれた。互いに軽く手を上げて挨拶を交わす。
「……しかし、ルーデウス。改めて間近で見ると、随分と縮んだものだな。まさかこの僕が君を見下ろして話す日が来るとは思わなかったよ」
「……すぐに元の体格に成長してみせるさ」
クリフの軽口に苦笑いで返しつつ、私たちは迷路のような回廊を進む。道行く聖職者たちがクリフに対して畏怖と尊敬の入り混じった視線を向けているのを見て、彼がこの短期間でいかに確固たる地位を築き上げたかを再認識した。
「猊下、お連れしました」
執務室の奥で待っていたのは、教皇ハリー・グリモル猊下だった。
私はまずノルンを紹介する。彼女は緊張のあまり挨拶の途中で何度も言葉を噛んでいたが、教皇はそれを孫を見守るような優しい眼差しで受け入れてくれた。
「ルーデウス殿。……やはり、それほどまでに激しい戦いだったのですね。貴殿のその姿が事象の壮絶さを何よりも物語っている」
「……ええ。私の生きてきた中で、間違いなく最強の敵でした」
私の回答を聞き、教皇は静かに頷いた。クリフから事前に報告は受けていたのだろうが、それでも闘神との戦いのスケールを想像するのは聖都の主であっても容易ではないようだ。
「……あの、教皇猊下。こちらを、見ていただきたくて……」
震える声で切り出したのはノルンだった。彼女はアイシャに目配せをし、一冊の絵本を取り出させた。まだ試作品なのだろう、背表紙はなく紐で丁寧に綴じられたその本には、あるタイトルが記されていた。
『悪神に騙された闘神と、人々を守る雷神』
(……ノルン。こんな絵本を作っていたなんて、初耳なのだが?)
私は思わずジト目で妹を凝視した。ノルンは「あわわ」と狼狽しながらアイシャに助けを求める視線を送ったが、当のアイシャは完璧な侍従の仮面を被ったまま、すまし顔で知らんぷりを決め込んでいる。
間違いなく、アイシャがプロデューサーとしてノルンを焚きつけ、この「雷神(私)」のプロパガンダをねじ込んだのだろう。
教皇は興味深そうにその絵本を手に取り、パラパラとページを捲り始めた。隣でクリフも身を乗り出して覗き込んでいる。
「……素晴らしい。文字を介さずとも、あの戦いが手に取るように分かりますな」
「僕も同感です。ノルン、君の誠実で優しい性格がそのまま形になったような、実にあたたかみのある絵柄だ」
「……あ、ありがとうございます……っ!」
二人に絶賛され、ノルンは顔を真っ赤にして照れていた。その姿は、兄である私から見ても非常に誇らしいものだった。まぁ次回からは相談くらいしてほしいが……。
「しかし、これほどの戦いが本当に実在したのですね……」
「猊下、この戦いの証人は他ならぬこの私です。私は現場で、ルーデウスが命を削って戦う様をこの目で確認してきました」
クリフが私の言葉を補足するように胸を張る。教皇の顔には、激しい戦いの最中に身を投じた孫を誇らしく思う祖父の表情と、一組織の長としての冷徹な判断力が同時に浮かんでいた。
「……ノルン殿。貴女に絵本を描いていただけるのであれば、ミリス教もさらなる発展を遂げることでしょう。……早速ですが、実務的な協議に入りたい。人を呼んでもよろしいかな?貴女に協力したいという者が大勢控えておるのです」
ノルンが緊張した面持ちで承諾すると、扉が開かれた。
だが、そこに入ってきた面々を見て、私たちは絶句した。
「……枢機卿殿まで?」
入ってきたのは、枢機卿をはじめとする教団の最高幹部たち。白髭を蓄えた、見るからに威圧感のある「高位のおじさん・おじいさん」たちの集団だ。
ノルンは自分を囲む権威の塊のような老人たちを前に、戦々恐々としながらも、必死に絵本の企画意図を説明し始めた。
こうなると、もはや私やアイシャが手を出せる領域ではない。
私はアイシャを隣に座らせてもらい、差し出されたミリシオン特製の菓子を口に運びながら、お茶を啜った。
「……旦那様。ノルン様、頑張っていますね」
「ああ。彼女の才能が認められるのは良いことだ」
奮闘する妹の姿を眺めながら、私は穏やかな気持ちで午後のひとときを過ごした。
聖都に新たな「物語」が刻まれようとしている。それを、ただの兄として見守る時間は、激戦を潜り抜けた今の私にとって何よりの癒やしとなった。
教団上層部との、実に数時間に及ぶ『絵本会議』がようやく終了した。
部屋を出た隣で、ノルンが魂を抜かれたような顔をして真っ白に燃え尽きている。権威の塊のような老人たちが、ああでもないこうでもないと持論をぶつけ合う嵐の中心に放り込まれていたのだ。昼食のタイミングすら逃した彼女の疲労は限界に近いだろう。
「お疲れ様、ノルン。よく頑張ったね」
「……あう、兄さん。……偉い人たちって、あんなに声が大きいんだね……」
私たちはクリフの私室へと案内され、そこで用意してもらった遅めの昼食を摂ることにした。
クリフは「災難だったな」と苦笑しながらノルンをねぎらっている。ようやく緊張の糸が切れたのか、ノルンは差し出された温かいスープを夢中で口に運び始めた。
「それにしてもクリフ。君、随分と逞しくなったんじゃないか?さっきの会議でも皆を相手に一歩も引いていなかった」
「……まあ、慣れだよ。毎日あの方々と顔を付き合わせていれば嫌でも最適化されるさ」
不敵に笑うクリフ。その佇まいからは、かつての自信過剰な少年ではなく本物の実力者が持つ安定したオーラが感じられた。
私とアイシャは、会議中に供された菓子を過剰摂取してしまったため、昼食は控えめな量に留めておいた。
食後、気分転換を兼ねて皆で教団本部の中庭へと足を向けた。
そこには、神子の姿があった。護衛騎士たちや私の叔母であるテレーズも一緒だ。
「あ、ルーデウス君……!?」
真っ先に私に気づいたテレーズが驚愕の表情で駆け寄ってきた。
「な、何だいその姿は!?小さくなって……なんて可愛らしいんだい!!」
「……あ、ちょっ、テレーズさん……!」
抗う間もなく、私は彼女の逞しい腕の中に閉じ込められた。抱きしめられ、振り回される感覚。出力設定が完全にゼニスと同じだ。血縁という名の類似性を身を以て実感させられる。
ようやく解放され、神子と向き合う。彼女はテレーズさんに向かって「ずるいですわ!」と頬を膨らませていた。
「ご無沙汰しております、神子様。……おや、少し雰囲気が変わりましたか?」
観察すると、以前お会いした時よりも彼女の輪郭は引き締まり、バイタルも安定しているように見えた。
聞けば、私が以前贈った守護聖獣の梟と頻繁にこの庭で遊んでいるのだという。あの梟はかなりの「遊び好き」に設定されており、神子を強制的に外へ連れ出し、運動不足を解消させていたらしい。
不健康なユーザーへの自動的なヘルスケア機能。我ながら実に有益な召喚獣を贈ったものだ。私は労をねぎらうように、神子の肩で誇らしげに胸を張る梟の頭を撫でてやった。
「それでルーデウス様。今日はどのような御用で?」
「妹のノルンを紹介しに来たのです。彼女が、例の絵本の作者ですよ」
私がノルンを前に出すと、神子の瞳が劇的に輝いた。
「まあ!貴女があの素晴らしい物語を……!私は貴女のファンです、ぜひ握手をしてください!」
「……え、あ、はい。……光栄です」
戸惑いながらも握手に応じるノルン。護衛の男たちも、可憐な少女二人が交流する光景を、今日一番の穏やかな表情で眺めていた。
ノルンも、先ほどの老人相手の会議とは打って変わり、笑顔で神子と絵本談義に花を咲かせ始めた。新しく描き上げた闘神との決戦の試作品を見せると、神子は興奮気味にページを捲っている。
その間、私はテレーズと近況を交換した。ゼニスがラトレイア家に来ていることを伝えると、彼女は「すぐに非番を調整して会いに行くよ!」と、少女のような笑顔を見せた。
「……ところで、ルーデウス様」
神子とノルンがこちらを振り返った。
「身体が小さくなってしまったとのことですが……。やはり、不自由はありませんか?」
「そうですね。魔力量が半分ほどまで減衰してしまいましたから、神級魔術の連続行使は難しくなりました。あとは物理的なリーチや膂力が落ちたので、格闘戦は再調整が必要です。まあ、竜の因子があるおかげで、常人よりは遥かに強いのですが」
「……連発できる方がおかしいんだがね」
クリフの冷静な突っ込みを流していると、神子が何かを思いついたように、私の手を握ってきた。
「ルーデウス様!私、どうしてもお願いがあるのです!」
私とアイシャの脳内回路に、同時に「不穏な予兆」の警告が走った。
「憧れの『雷神』様に……。私を、お姫様抱っこしていただきたいのです!!」
「………………」
静寂。
私は隣のアイシャを盗み見た。彼女は完璧な無表情で控えているが、全身から発せられる「絶対に、許可、しません」という強烈な拒絶が私の肌を刺した。その殺気は、剣王であるエリスすら超えているだろう。
しかし、横にいるノルンは「別にいいんじゃない?減るもんじゃないし」と呑気なことを言っている。
私は再びアイシャに視線を送った。
(ダメ。絶対。あり得ない)
……気配がそう叫んでいる。
対する護衛たちは「神子様のお願いを聞かぬとは不敬だ!」という圧力と、「羨ましい!許せない!変われ!」という矛盾した嫉妬をこちらに向けてくる。
最終的に、神子の「期待に満ちた上目遣い」という名の必殺技に耐えきれなくなったクリフが、折れた。
「……ルーデウス。僕からも頼むよ、このままだと終わらない気がする」
アイシャを見る。
彼女は深く長い溜息を吐き、視線だけで私にメッセージを送信してきた。
(……短時間ですよ。あと、帰ったら絶対に、今の数倍は私を構ってくれないと拗ねますからね?)
交渉成立だ。
「……承知しました。少しの間だけですよ、神子様」
私は両手を広げた。
神子が「わぁっ!」と声を上げて、私に飛びついてくる。その瞬間、背後のアイシャと護衛たちの気配が、冷却水が凍りつくようにカチコチに固まったのを感じた。
私は小さな身体を補うため、王竜剣カジャクトの術理――重力制御を発動させた。
自分と神子の質量を調整し、一切の負担を感じさせることなく、彼女を軽々と抱え上げる。
「すごいですわ……!宙に浮いているみたい!ルーデウス様、大好きです!」
神子は大変嬉しそうにはしゃぎ、私の首に腕を回して頭を摺り寄せてくる。
……神子様。アイシャの殺気が限界点を突破しそうなので、そろそろ離れていただけないでしょうか。
しばらくの間、私はアイシャの冷たい視線という名のデバフを全身に浴びながら、無邪気な神子の重みを受け止め続けることになった。
ビヘイリルでの死闘より、ある意味で精神力を削られるひとときだった。
今夜はミリス教団の本部に宿泊させてもらえることになった。
教団側は、絵本の制作を委託したノルンを極めて重要な「賓客」として定義したらしい。彼女に割り当てられた部屋は、一国の王女が使っても遜色ないほど豪華なものだった。
夕食までの間、私は自室でアイシャの機嫌を取ることに全リソースを割いた。
「……アイシャ、まだ怒っているのかい?」
「別に怒ってはいませんよ。ただ、旦那様が私以外の女性をあんなに軽々と抱き上げるなんて、少しだけ……いえ、かなり面白くなかっただけです」
完璧な無表情を装いながらも、言葉の端々に不満が滲んでいる。
私は仕方なく、彼女への「特別報酬」として、お姫様抱っこのまま部屋の中を十数分間歩いて回った。子供の身体になったことで重心は以前と違うが、重力操作を併用すれば負担は皆無だ。
ノルンはその様子を、ソファに深く腰掛けてお茶を啜りながら、半ば呆れたような、半ば面白がるような目で見守っていた。たぶん、さっきの絵本会議の当てつけだろう。私たちは頑張るノルンを眺めながらお茶とお菓子を楽しんでいたからな。
夕暮れ時、部屋の扉が叩かれた。現れたのはクリフだ。
「ルーデウス、ノルン。祖父……教皇猊下が、ぜひ今夜の夕食を共にしたいと仰っている。急で申し訳ないが、いいか?」
ノルンは一瞬、昼間のあの「おじいさんたちの怒号が飛び交う会議」を思い出したらしく、目に見えて顔を引き攣らせた。
「ま、またあの方たちが勢揃いしているんですか……?」
「いや、安心していい。今夜は身内だけの私的な席だ。猊下と僕、それに君たちだけだよ」
それを聞き、ノルンは安堵の溜息を吐いて承諾した。どうやら彼女、教団の重鎮たちにすっかり気に入られてしまったらしい。重鎮たちは互いに激しく議論を交わしながら、ノルンを見るときには孫娘を見守るような慈愛に満ちた視線だったからな。ノルンには、自覚はなくとも周囲から愛される天性の才能がある。
食事の席は非常に穏やかなものだった。
教皇ハリー・グリモル、クリフ、私、ノルン、そしてアイシャ。
並べられた料理はどれも洗練されており、私たちは他愛のない雑談を交わしながら、ミリシオンの味に舌鼓を打った。
食後のお茶を啜りながら、私は先ほどから気になっていたことをクリフに問いかけた。
「ところでクリフ。……教団本部の結界をアップグレードしただろう?」
私の指摘に、教皇が「おや、気づかれましたか」と、自慢の孫を披露するような誇らしげな笑みを浮かべた。
「流石はルーデウス殿だ。……左様。これはクリフが独自に設計し、先日ようやく本稼働に漕ぎ着けた最新の結界術式なのです」
「へぇ……。ちょっと、強度を確かめても良いですか?」
好奇心に抗えず、私は指をパチンと鳴らして、結界の外壁へ魔力干渉を試みた。
――キィィィィン……。
耳鳴りのような鋭い共鳴音が響き、私の魔力は一瞬で無慈悲にリジェクトされた。
「……驚いたな。凄まじい強度だ。これは一体どういう原理なんだ?」
私が思わず呟くと、クリフは「ふふん」と鼻を鳴らして得意げに笑った。
「君ならそうやって真っ先に穴を探そうとすると思ったよ。読み通りだ」
私は
そこで見えたのはこれまでの魔術理論の常識を覆すような、壮大なエネルギー供給網だった。
「……信じられない。ミリス神聖国全体から、極微細なエネルギーを吸い上げているのか?一つ一つは呼吸をする程度の小さな揺らぎなのに、それが完璧な同期を保って、この一点に集約されている」
「……そこまで一瞬で看破するとはね。相変わらず化け物じみた観察眼だ」
クリフは苦笑しながら、その術理を説明してくれた。
「君の言う通りだよ、ルーデウス。これはミリスの地に住まう国民全体の……いわば『信仰心』を魔力的なエネルギーとして変換し、集積するシステムだ。ミリスという国そのものを一つの巨大な魔法陣として機能させているのさ」
「……いや、それを実際に構築したクリフの方が数段上だよ。正直に言って、神級と定義しても差し支えない強度と技術だ」
「そう言ってくれるなら、不眠不休で調整した甲斐もあったというものだ。……ペルギウス様にも『人族の進歩は恐ろしいな』と、珍しく感心していただけたよ」
クリフの表情には、一人の魔術師としての確固たる自信が溢れていた。
だが、私が最も感銘を受けたのは、その強度そのものではなく、この結界に込められたクリフ自身の「覚悟」だった。
「……だが、これは君らしい術理だね」
「どういう意味だい?」
「この結界は教国のトップが国民からの信頼……求心力を失った瞬間に、供給が断たれて崩壊する仕組みになっている。……自分自身に、常に正しい統治者であることを強いる『戒め』を組み込んでいるんだろう?」
私が問うと、クリフは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから当然だと言わんばかりに力強く頷いた。
「……ああ。国民を裏切るような教皇に、守られる資格などないからね」
その瞳に宿る光は、既に次代を担うべき者のそれだった。
この男なら、いずれ必ずこの国の頂点に立ち、腐敗したシステムを内側から作り変えていくだろう。
エリナリーゼとクライブをこの地に呼び寄せ、家族で笑い合える日は、そう遠くないはずだ。
私はクリフの成長を心から祝福し、冷めかけたお茶を最後の一口まで飲み干した。
翌日、私たちは再びラトレイアの本家へと足を運んだ。
隣を歩くノルンの緊張は、昨日とは質の異なるものだった。教皇との対談は「仕事」としての緊張だったが、今日は血縁、それも礼儀に厳しい祖母との対面だ。
既に一度会ったことはあるのだが、そのときは話題の中心が私だったからな。
彼女は失礼のないよう、何度も何度もアイシャに自身の所作を確認してもらっていた。
門を潜り、整列した侍従たちの出迎えを受けて館に入る。今日はアイシャも侍従ではなく妻としている。
ノルンはこの日のために新調した清楚なワンピースに身を包み、胸元には小さな聖印のブローチを飾っている。そしてアイシャも、今日はいつもの侍従服ではなく、淡いラベンダー色の上品なドレスを纏っていた。裾に施された繊細な刺繍が、彼女の身のこなし一つでふわりと揺れる。……普段の機能的な装いとは違う、一人の令嬢としての彼女の姿に、私は場違いにも見惚れてしまった。
応接室で私たちを待っていたのは、祖父カーライルと祖母クレアだった。その傍らには、既にラトレイア家に到着していたゼニスとリーリャの姿もある。母の顔を見つけたノルンの緊張が、僅かに緩んだのが分かった。
私は一歩前に出て、ノルンと共に完璧な貴族の礼を執った。ノルンは指先まで神経を尖らせ、これまでの特訓の成果である美しい所作を披露した。私とリーリャが叩き込んだ礼儀作法は、彼女の真面目な気質によって完璧に昇華されている。
「先日ぶりです、お爺様、お婆様」
「よく来たね、緊張しなくていい、ここは君たちの家族の家でもあるのだから」
カーライルが柔和な笑みを浮かべ、そう声をかけてくれた。その温かな言葉に、ノルンの肩から少し力が抜ける。
一方のクレアは、相変わらず眉間に厳格な皺を刻んだままだったが、その視線の奥には、隠しきれない歓迎の色が滲んでいた。
「それにしても、ノルン君。昨日、教団本部で新作の絵本をお披露目したそうだね?」
カーライルの問いに、私とノルンは思わず顔を見合わせた。昨日の今日だというのに、既にその情報がこの屋敷にまで届いている。相変わらず、この老夫婦の情報網には驚かされるばかりだ。
「……お爺様、耳が早いですね」
「なに、可愛い孫娘の活躍だ。知らずにいられるものか」
そう言って笑うカーライルの顔には孫を誇りに思う祖父としての温かさが滲んでいた。
ノルンは描き上げた絵本の試作品を二人に渡した。
「これは……?」
「今回の戦いの全容を記した物語です。試作ゆえに世界に一冊しかありませんが、これが最も分かりやすいかと」
神子も欲しがっていた一冊だ。ノルンは「量産できたら必ずお送りします」と神子と約束を交わしており、どうやら二人は友人としての絆を確立したらしい。
カーライルは驚きを交えながら、クレアは眉間に皺を寄せた難しい顔で、絵本のページを捲っていった。
「……ルーデウス様。本当に、このような神話のごとき事象が起きたというのですか?」
「はい」
「私もこの目で兄さんが戦う姿を見ていましたから。……その代償が、今の兄さんの身体なのです」
ノルンがアリエル女王にも劣らぬ堂々とした態度で証言すると、クレアも納得せざるを得なかったようだ。カーライルは「不自由はないか?」と、祖父としての慈愛に満ちた目で私を案じてくれた。子供の身体の状態で一度お会いしているが、改めて心配されているらしい。
「……周囲から子供扱いされること以外は、概ね問題ありません。母には特に、着せ替え人形のように扱われて困っているのですが」
私が苦笑混じりに漏らすと、ゼニスが気まずそうに視線を逸らした。シャリーアの自宅に戻ってからというもの、暇さえあれば私を捕まえては、あれこれと服を着せ替えて楽しんでいるのは、他ならぬ彼女自身なのだ。彼女にとっても楽しい「趣味」の一つとして定着してしまったようだ。おかげで私の部屋のクローゼットは色とりどりの子供服で溢れている。
話題は昨日の教団本部での会議へと移った。
「昨日は、猊下や枢機卿の方々と、具体的にどのようなお話を?」
クレアが静かに尋ねてくる。だが、その口ぶりからして、既に大方の内容は把握しているように見受けられた。……そもそも、あの絵本会議そのものが、この老夫婦の差し金で企画されたものなのだから、当然といえば当然だ。私は苦笑しつつ、確認の意味も込めて、昨日の顛末をかいつまんで説明した。
「ノルンは教団のあの重鎮たちを相手に、一歩も怯むことなく企画意図を説明しきりました。私も感心したほどです」
「本当に、ご立派な頑張りようでしたよ。旦那様と私、二人揃って誇らしい気持ちでいっぱいでした」
私とアイシャが口々にノルンの奮闘ぶりを伝えると、当のノルンは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「……そ、そんな、大袈裟です……」
そう言いながらも、その口元は隠しきれない喜びで綻んでいた。
「教皇猊下や枢機卿殿からも、ノルンの才能を絶賛する連絡をいただいておりますわ。ラトレイアの血を引く者が、教団の新たな象徴となる絵本を手がける……。一族の誇りですわね」
クレアの言葉にノルンが嬉しそうに表情を綻ばせる。彼女の「愛される才能」が、この堅物な老婦人の心をも溶かし始めているのが分かった。
夕食を囲む頃にはクレアの棘も幾分か和らいでいた。想像していたよりもずっと穏やかな、家族としての時間が流れていく。
夕食の席は、賑やかながらも穏やかな空気に満ちていた。
「そういえば、ノルン。今度は私にも絵本を読んで聞かせてくれる?」
ゼニスが楽しそうにそう切り出すと、ノルンが恥ずかしそうにしながらも頷いた。
「はい……。まだ試作品ですけど、良ければ」
「わあ、嬉しい!リーリャも一緒に聞きましょうね」
「はい、ゼニス様。楽しみにしております」
リーリャが穏やかな微笑みでそう応じる。
「しかし、闘神との戦いを絵本にするとはな。まったく、うちの孫娘は大した発想をするものだ」
カーライルが感心したように何度も頷きながら、グラスを傾ける。
「発想というより、事実をそのまま描いただけです。……ただ、あまりに現実離れした話なので、皆様が信じてくださるか、それだけが心配で」
ノルンが控えめにそう答えると、クレアが静かに口を開いた。
「信じるも何も。目の前に、その生き証人が座っているではありませんか」
そう言って、クレアはちらりと私へ視線を向けた。その眼差しには、これまでの厳格さとは違う、確かな温かみが滲んでいる。
「……ルーデウス様。貴方には、まだまだ困難が待ち受けているのでしょうね。
「はい。ですが、こうして帰ってくる場所があるのなら、いくらでも戦えます」
私がそう答えると、テーブルを囲む皆が、それぞれに小さく頷いた。
アイシャがそっと私の手に自分の手を重ね、ノルンは嬉しそうな瞳で私を見つめている。ゼニスとリーリャは、揃って優しい微笑みを浮かべていた。
賑やかな笑い声と、温かな料理の湯気。
その夜、ラトレイアの屋敷の食卓には、家族という名の何よりの財産が、確かに存在していた。
エピローグ2はミリス神聖国でした。
神子様とも関わりましたが、おじいさんたちとの関わりがメインになってしまいましたね。