無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
今日はアスラ王国に来ている。
社交シーズンが近づくこの時期、王都の空気は明らかに変わる。街道を行き交う馬車の数が増え、宿場の値札まで心なしか強気になる。
私は家族よりも一足早く、一人でアスラへ入っていた。家族は後日、正式な社交の日程に合わせて合流する予定になっている。私が先んじて来たのは、剣術の稽古のため――正確には、イゾルテと個人的に話しておきたいことがあったからだ。彼女に伝えるべき情報は、大勢のいる場では出しにくい。
冬の名残がまだ肌に残る時季で、朝の空気はきりりと冷たかった。アスラ王国の朝はシャリーアやミリス、シーローンのそれとはまた違う趣がある。整然と刈り込まれた街路樹、磨き上げられた石畳、行き交う人々の衣装の色合いひとつとってさえ、この国が積み上げてきた洗練が透けて見えた。
王城の尖塔が朝日を弾いて白く輝いているのを横目に見ながら、まず訓練場へと足を向けた。稽古着に着替え、槍を担いで歩く道すがら、何度もすれ違う人々が遠巻きにこちらを窺っているのが分かる。もう慣れたものだ。振り返って軽く会釈をしてやると、たいてい慌てたように目を逸らされる。
訓練場に着くと、既にイゾルテが待っていた。木刀を片手に涼しい顔で立っている。朝の光の中、水を纏ったように静謐な佇まいだ。私は訓練用に丸めた木槍を担いで向かい合った。
傍らには、シャンドルとドーガの姿がある。二人とも見学のつもりらしい。シャンドルは腕組みをしたまま壁にもたれ、ドーガはいつも通り無言で、少し離れたところに立っていた。
「今日は稽古にご参加いただけるとのことで」
イゾルテがそう言って、木刀を軽く構える。私も槍を構えた。彼女の構えには一切の隙がない。それでいて、力みもまったく感じられなかった。水がそこにあるだけ、という佇まいだ。
「胸を借りるつもりで来ました。よろしくお願いします」
「ふふ。手加減はしませんよ、ルーデウス殿。まぁ手加減したほうが長持ちするかもしれませんが」
イゾルテがそう言って、口の端を上げる。挑発的な笑みだ。
「水神流というのは、随分と口が達者な流派なんですね」
「水神流では言葉で相手を動かすことも、また技のうちです」
なるほど、と思う。水神流は本質的に守りの流派だ。相手に先に動かせ、そこに生まれる流れに乗ってカウンターを叩き込む。挑発すらも技術のひとつという理屈らしい。理に適っている、と同時に、少し性格が悪いとも思った。
「せっかくですし、乗って差し上げましょう」
私はシャンドルの型を思い出しながら、素早い突きを放った。速度重視、変化を織り交ぜた一撃だったが――
イゾルテは涼しい顔でそれを受け流し、こちらの体勢が崩れた瞬間にカウンターを差し込んでくる。木刀の切っ先が、こめかみをかすめるほどの精度で通り過ぎていった。冷や汗が出る。
私はそのカウンターすらも受け流し、返す槍でカウンターを放つ。龍聖闘気を全開に纏い、予見眼で数手先の軌道を追う。視界の端に、無数の残像のような未来の斬撃が浮かんでは消えていく。その中から、最も確度の高いものを選び取って身体を動かす。
そこから先は、もう言葉を交わす余裕もなかった。
木刀と木槍がぶつかり合う乾いた音が、訓練場に断続的に響く。突き、受け、流し、また突き。イゾルテの動きに一切の無駄はなく、私の攻撃はことごとく軌道をずらされる。かといって、こちらも一方的にやられているわけではない。カウンターの応酬が、まるで会話のように続いていく。呼吸を合わせるように、二人の動きが徐々に噛み合っていくのが分かった。互いの技量を測るための組手が、いつしか純粋な楽しさに変わっていく。
どちらかが決定打を放てば終わる。だが、その決定打が来ない。読み合いが読み合いを呼び、隙という隙が生まれた端から潰されていく。額に汗が滲み、呼吸が上がってくる頃になっても、なお決着はつかなかった。
長い攻防の末、私たちは同時に一歩下がり、互いに構えを解いた。
「……勝負、つきませんでしたね」
イゾルテが額の汗を拭いながら、それでも満足げに言う。頬がわずかに上気していた。
「ええ。良い稽古になりました」
パチパチ、と拍手が聞こえた。シャンドルとドーガだ。
「見事なものだな。二人とも」
シャンドルが穏やかに笑う。その隣で、ドーガが珍しく興奮した様子で頷いていた。普段は寡黙で、感情をほとんど表に出さない男だ。その彼が拳を握りしめ、目を輝かせてイゾルテを見つめているのは、少し意外な光景だった。イゾルテ本人は気づいていないようだったが、私はその視線の熱量をしっかりと目に焼き付けておいた。
その後、イゾルテと二人で応接室に移った。反省会だ。
窓から差し込む午前の光が、テーブルの上に長い影を落としている。木刀と槍を打ち合った余韻が、まだ身体のどこかに残っていた。
「私は受けに回りがちで、後手を踏みやすい癖があります。あなたの方は?」
「私は……殺気を込めたフェイントに、つい目が動いてしまいます。分かっていても、身体が反応してしまうんです」
「ああ、それは分かります。殺気というのは、理屈より先に本能に訴えてくる」
お互いの課題を素直に打ち明け合う。有意義な時間だった。侍女が茶を運んできて、私たちはひと息ついた。湯気の立つカップを両手で包み込むと、身体の芯からじんわりと温まっていく感覚があった。
「さて。今日、あなたと二人で話したかったのは、稽古のことだけではありません」
私はカップを置いて、本題を切り出す。
「貴方の祖母。水神レイダの『剥奪剣界』についてです」
イゾルテの表情が、すっと引き締まった。空気の色が変わったのが分かる。
「以前、私は水神レイダから実際にその技を受けました。あの技は、一見すると瞬間的に周囲全てを斬り伏せているように見えますが――実際にはそうではありません」
「……違うのですか?」
「はい。あれは、恐ろしく速い上に、動きの起点が見えづらいだけで、本質は逐次的な攻撃です。同時に全方位を斬っているわけではなく、極めて短い時間の中で、順番に斬撃を重ねている。人間の知覚が追いつかないほどの速度で、それをやっているに過ぎません」
イゾルテは身を乗り出すようにして聞き入っている。瞳の奥に、真剣な光が宿っていた。
「そして、もうひとつ。あの技のように、性能の限界を突破するほどの範囲制御を行う技術は――突き詰めると、結界魔術の理論に通じるところがあります」
「結界魔術、ですか」
イゾルテの声に、驚きが混じった。この発想は無かったらしい。
「はい。空間そのものに干渉し、限定した範囲内での現象を制御する。剥奪剣界の"範囲"の概念は、結界魔術の考え方と非常に近いんです。恐らく、水神自身は理論として意識されていなかったと思いますが、身体感覚としてその理を掴んでいらっしゃる」
私は懐から一冊の本を取り出し、テーブルの上に置いた。
「これを差し上げます」
「これは……?」
「結界魔術について、簡易的にまとめた入門書です。私が書いたものではありませんが」
イゾルテが意外そうな顔をする。
「私が書いた本は、専門用語が多すぎて、一般的には読みづらいと言われています。……自覚はあるんですが、どうしても書いていると熱が入ってしまって、気づけば説明が三段も四段も深くなっているんです」
「ふふ、想像がつきます」
「これは、ラノア魔法大学の初心者向けの教本を写本したものです。私の妻もお薦めの一冊です」
イゾルテはしばらく無言で冊子を見つめていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。せっかくの機会です、私も魔術を学んでみます」
その声には強さを求める真摯さが滲んでいた。
話は自然と世間話に移っていった。
「そういえば、エリスは……元気ですか?」
イゾルテが尋ねてくる。
「元気すぎるくらいですよ。最近はS級の依頼も、単身で余裕でこなしています」
「相変わらずですね」
イゾルテが小さく笑った。過去に稽古を共にしたことがあるせいか、エリスの人となりはよく知っているらしい。
「子供たちも元気です。アルスは、母親に似て剣が好きなようで。クリスティーナの方は、お姫様に憧れていて」
「お姫様、ですか」
「ええ。話し方には、義父であるフィリップの血を感じますね。妙にしっかりしているというか、言葉選びが年齢の割に大人びている」
イゾルテは微笑みながら聞いていたが、話が続くうちに、その表情にだんだんと暗い影が差してきた。視線が徐々に下がり、カップの縁をなぞる指先の動きが止まった。
「……どうかしましたか?」
「……いえ」
「顔に出ていますよ」
イゾルテは小さくため息をついた。長く、重たいため息だった。
「……婚活が、うまくいっていないんです」
意外だった。私の目から見ても、イゾルテは十分に美しい。水神流のトップと言ってもいい実力者で、王国内での地位も確立している。剣の腕も、人格も、非の打ちどころがないように思える。
「引く手数多なのでは?特にアスラ貴族には、水神流の女性は好まれると聞きますが」
「引く手はたくさんあるんですけどね……」
イゾルテはそう言いながら、机の引き出しから書類の束を取り出した。見合い相手の情報らしい。かなりの厚みがある。「候補」と書かれたフォルダと、「除外」と書かれたフォルダに分けられていた。
「見てもよろしいですか?」
「どうぞ」
許可を得て、「候補」の方を見る。名前、年齢、家柄、経歴、簡単な人となりの評が几帳面な字で記されている。特に問題のありそうな人物はいない。恐らく、アリエルからこの情報が渡っているのだろう。彼女が自分の盾となる人物に、質の悪い相手を紹介するはずがない。そう考えると多少の安心感があった。
続けて「除外」のフォルダも見る。こちらも、条件としては十分だった。上級貴族で、経歴も実績も申し分ない者ばかりだ。むしろ、候補フォルダより肩書きだけを見れば格上の人物すら混じっている。
「……こちらは、なぜ除外なんです?」
「相性が悪そうだったので」
「相性、ですか」
じっと二つのフォルダを見比べる。何度か紙をめくり直して、違いを探した。違いは、案外はっきりしていた。
「……候補の方に入っている方が、顔が良いですね」
イゾルテがぴくりと肩を揺らした。
「顔で選んでいるんですか?」
「そ、そんなことはありませんけど」
そう言いながら、イゾルテの視線は明らかに泳いでいる。頬にも、うっすらと朱が差していた。図星のようだ。
「……顔で選ぶのは、いけませんか?」
やがて開き直ったように、イゾルテがそう聞いてきた。腕を組み、わずかに顎を上げる仕草には、こういう時特有の意地が見えた。
「容姿はそこまで重要な要素ではないと、私は思いますが」
「でも、エリスだって美人ですし、スタイルも良いじゃないですか」
「それは確かにそうですが……私がエリスを選んだのは、そういう理由ではありませんよ」
イゾルテが首を傾げる。
「大事なのは、中身です。私は彼女の芯の強さに惹かれた。顔やスタイルは、後からついてきたおまけのようなものです」
「……納得できません」
イゾルテは頬を膨らませながら、それでも反論する材料が浮かばないのか、話をずらすように別の理由を口にした。
「そもそも、アスラ貴族は……性的に奔放というか、変わった方が多くて。そういう意味でも、条件を絞らざるを得ないんです。顔で選んでいるというより、危なそうな気配のある人を弾いた結果が、たまたまこうなっただけです」
それは、イゾルテにとって切実な問題らしい。表情の端に、これまでの見合いで積み重ねてきたであろう苦労が滲んでいた。私は少し考え込んだ。
「では貴方なら誰を勧めるか、聞いてみたいのですが」
イゾルテがそう水を向けてくる。少し投げやりな、それでいて縋るような響きがあった。
「あなたの最低条件は?」
「家名を捨てること。水神流に理解があること。……本当は、強さも条件に入れたかったんですけど、それだと相手がいなくなってしまうので、諦めました」
しばらく考え込んで、私はひとつの結論に至った。頭の中で、これまで見てきたイゾルテの周辺の人物を一人ずつ思い浮かべていく。
「ドーガはどうでしょう」
イゾルテの表情が、驚きに固まった。
「な、なぜドーガなんですか」
「強さ、性格、忠誠心。どれも申し分ありません。家名という意味では、彼は元々アスラの貴族ではありませんし、あなたの流派にも敬意を払っている」
イゾルテは考え込む様子を見せたが、やがてぼそりと呟いた。
「でも、顔が……」
「それに」
私は続けた。
「たぶん、彼はあなたのことが好きですよ」
イゾルテの顔が、一瞬で真っ赤に染まった。耳の先まで赤い。
「う、うそをつかないでください!」
「まあ、私の推測です」
私は肩をすくめた。
「観察結果から導き出しただけですよ。ドーガは無口ですが、あなたに対してだけ、明らかに気を使っている。他の人への態度とは違います。さっきの組手の後だって、他の誰よりも興奮していたじゃないですか」
イゾルテは何も言えず、赤い顔のまま黙り込んでしまった。膝の上で、手のひらがぎゅっと握られている。
「……ただ、貴方たち二人だと、いつまで経っても進展しない気もしたので。単なるおせっかいです。この先どうするかは、お二人次第ですよ」
私はそう言って話を締めくくった。それ以上、余計な口を挟むつもりはない。イゾルテは、しばらくの間、複雑な表情でカップの中の茶を見つめ続けていた。
アリエルから賜った屋敷で、家族と合流した。
門をくぐると、真っ先に聞き覚えのある声が飛んできた。
「お父さん!」
エリス、アルス、クリスティーナ、そしてリーリャだ。アイシャは産後間もないため、我々の世話役としてリーリャが来てくれている。
「よく来たね。今日一日は館で準備の時間だ。明日、ボレアス家に行くよ」
「おじいちゃんの家?」
「そうだ」
見慣れない館の中で、アルスとクリスティーナは早速追いかけっこを始めた。廊下を走り回る二人の足音が、高い天井に反響する。エリスが「こら、こんなところで走らない!」と怒りながら追いかけていくが、その口調には隠しきれない笑みが滲んでいた。
その騒がしくも幸せな光景を、私はリーリャの淹れてくれた紅茶を飲みながら眺めていた。窓の外では、夕暮れの光が庭の芝生を淡く染めている。こうした何でもない時間こそが、案外いちばん贅沢なものなのかもしれない、とふと思う。
翌日。朝からボレアス家へ向かう。
クリスティーナは、朝からずっと緊張した面持ちだった。祖父母の家とはいえ、まだ数えるほどしか会ったことがない。馬車の中でも、いつもより口数が少なかった。そんな彼女の手を、アルスがしっかりと握ってくれている。
「大丈夫だよ、クリス。おじいちゃん、優しいから」
「……うん」
クリスティーナは小さく頷き返した。兄の存在は思った以上に頼りになるらしい。
執事に案内され、館に足を踏み入れる。すると、
「おお!よく来たな!」
サウロスが、開口一番、大声で歓迎してくれた。声の大きさに、クリスティーナがびくりと肩を震わせる。フィリップとヒルダも、後ろで嬉しそうに笑っている。
エリスは昨日リーリャと練習していた通り、綺麗な貴族の礼をとった。ドレスの裾を摘み、背筋を伸ばし、優雅な仕草で頭を下げる。普段の彼女からは想像もつかないほど、様になっていた。
「お母さんすごい!」
アルスとクリスティーナが目を輝かせてエリスを見上げる。エリスは少し照れくさそうに、それでいて自慢げに胸を張った。
アルスにとっては久しぶりの挨拶だ。慣れた様子で頭を下げる。
クリスティーナはこれが初めての顔合わせだった。紹介すると、サウロスは本当に嬉しそうな顔をして、彼女を抱き上げ、高い高いをした。
「わっ……!」
クリスティーナは最初こそ驚いていたものの、すぐにきゃっきゃと笑い声をあげ始めた。何度も繰り返される高い高いに、すっかり打ち解けた様子だ。
一方、アルスはヒルダの方へ一直線に走っていって、抱きついている。相変わらずの女性好きだ。ヒルダも慣れた手つきで、彼の頭を撫でていた。
フィリップは、以前見た時と比べて随分と血色が良くなっていた。前に会った時は、忙しさで少しやつれていた記憶がある。目の下の隈も消え、表情にも余裕が戻っているように見えた。
「落ち着かれたようですね」
そう声をかけると、フィリップは苦笑いを浮かべた。
「ようやく、仕事を他の者に振れる体制が整ってね。今までは何でもかんでも自分で抱え込んでいたが……年甲斐もなく、限界というものを思い知ったのだよ」
今や、アスラ王国の宰相はフィリップだ。その責務をしっかりと果たしているらしい。かつての張り詰めた雰囲気は影を潜め、代わりに、貫禄のようなものが備わってきているように感じられた。
応接室に案内される。サウロスは両膝にアルスとクリスティーナを乗せて、この上なく機嫌が良さそうだった。アルスは本当はヒルダの方に行きたそうな顔をしていたが、しばらくは我慢してもらうしかない。
フィリップとヒルダは、アスラ王国でも最上級の菓子を次々と二人の口に運んでいく。色とりどりの砂糖菓子や繊細な細工の焼き菓子が、あっという間に減っていった。
甘やかしがすごい。……まあ、たまにはいいだろう。子供たちの頬が幸せそうに緩んでいるのを見ると、こちらまで温かい気持ちになる。
「明日の夜、パーティが行われる。ぜひ出席してほしい」
菓子を十分に与え終えたフィリップが、私にそう告げた。そのつもりで来たのだ。私は頷く。
「服装の方も、既に準備させてもらったよ」
私の『魔神鎧』に合わせた服を仕立ててくれているらしいが、私は今、成長期真っ盛りの身体だ。当然、微調整が必要になる。半年前に合わせた採寸が、既に合わなくなっているところも少なくない。
ちなみに「魔神鎧」自体のサイズも日々調整している。サイズが合わなくなってきたな、と思っていると、いつの間にかオルステッドがどこからか超高級な素材の外套を持ってきてくれるのだ。相変わらず、あの人のマメさと手回しの早さには驚かされる。一体どこから調達してくるのか、未だに詳細を教えてもらえたことはない。
「明日の打ち合わせをしようか」
フィリップがそう言って席を立つ。私も後に続いた。
「本当は、パーティにはエリスにも参加してもらいたいのだが……」
「私、アルスとクリスの面倒を見ないと!」
その気配を察したのか、エリスがすかさず声を上げた。逃げる気満々である。目も合わせようとしない徹底ぶりだった。ヒルダが仕方なさそうな目でエリスを見ていた。
こうして私はパーティの準備に追われることになり、エリスと子供たちは、その日一日、存分に甘やかされたのだった。
Side: とある上級貴族
今日は、季節ごとにアスラ王国で催される恒例のパーティだ。
会場は王城シルバーパレス。天井まで届く柱にはびっしりと金の装飾が施され、シャンデリアの灯りが磨き抜かれた大理石の床に幾重にも反射している。楽団の奏でる優雅な調べが、談笑の声に混じって会場中に満ちていた。
名だたる貴族たちが、この日ばかりは総出で顔を揃える。参加しないことなど、貴族として許されない。それほどまでに、アスラ王国ではこうした社交が重んじられている。アリエル女王が会場に姿を見せるのはもう少し後のことになるだろう。
当家は、一応は上級貴族の一員に名を連ねている。だが、末席と言っていい。
かつて父は第一王子派だった。アリエル女王が王位を継承されて以来、我が家は難しい立場に立たされてきた。上級貴族としてどうにか体裁を保っている程度のもの。今日のような煌びやかな夜会に出るたび、周囲との差を感じ、ひどく虚しくなる。着ている衣装ひとつをとっても、隣に並ぶ大貴族のそれとは、生地の艶からして違うのだ。
会場に次々と大貴族が入ってくる。その眩さに目眩がしそうになる。宝石の輝き、香水の香り、金糸で縁取られたドレスの裾。何もかもが、こちらの手の届かない世界のもののように思えた。
そして――ひときわ輝く存在が視界に飛び込んできた。
フィリップ・ボレアス・グレイラット。
我々からすれば、一度は政争に敗れた成り上がり者だ。『雷神』とやらを後ろ盾につけて、今や宰相とまで呼ばれる地位に登り詰めた。
ノトス・グレイラット家はボレアス家との争いに敗れたが、ルーク・ノトス・グレイラットが女王陛下の側近として重用されているおかげで、辛うじて食いつないでいるという有様だ。ノトス家の凋落を見るのは、正直、痛快でもある。だが、そのボレアス家の隆盛を見るときの気持ちは、口惜しさが多分に混じったものになる。
今日もいつも通り、ヒルダ・ボレアス・グレイラットを傍らに、堂々と社交をこなしていくのだろう――そう思っていた。
しかし、今回は違った。フィリップ殿の傍に、もう一人。
……その姿を目にした瞬間、身体に震えが走った。
年の頃は、十二、三歳ほどか。だが、決して幼くは見えない。いや――幼い見た目だからこそ、その身から滲み出る威圧感が、異常なほど際立っているのだ。
今すぐこの場に跪きたくなるような、圧倒的な気配。喉の奥が、勝手に干上がっていくのが分かった。
煌めく白髪がゆるく結い上げられている。
一目で人ならざるものと分かる、異質な手足。
まるで権威を誇示する装飾品のように、首を一周する大きな傷跡。
見ただけで気を失いそうなほど、凶悪に輝く竜の瞳。
その瞳と、ほんの一瞬、視線が交わったような気がして――思わず息を止めた。
王ですら身に纏うことが叶わないであろう、上質極まる衣装には、見事な意匠の刺繍――いや、あれは魔法陣か?一体どれほど高度な魔術が織り込まれているのか、見当もつかない。歩くたびに、布地の陰影がまるで生きているかのように揺らめいて見えた。
そのすべてが、恐ろしいほど絶妙に噛み合い、この世のものではない雰囲気を醸し出している。
いや――あれは、現世の存在ではないのだ。
『雷神』。まさしく、神の領域に至った者。伝説の存在を打ち倒した英雄。七大列強、第三位。
私は、フィリップ殿を、ボレアス家を、心のどこかで侮っていた。所詮は運が良かっただけの、虎の威を借る狐だろう、と。
だが、その認識は、今この瞬間に完全にひっくり返された。
あれほど騒がしかった周囲が、彼の姿を見ただけでぴたりと静まり返る。楽団の演奏すら、一瞬遠く感じられた。
あれほど傲慢だった貴族たちが、目線を下げ、道を譲っていく。
誰かに命じられたわけでもないのに、まるで水が低きに流れるように、自然とそうなっていた。
ボレアス家には、正しく神が味方についたのだ。
貴族などいくら束になろうと、いや、王でさえも――敵うはずがない。
胸の奥が焼けつくような羨望が湧き上がる。それは、いつしか陶酔にも似た感情に変わっていた。せめて一言でいい、あの一家と言葉を交わす機会があればと、浅ましい期待すら胸に兆すのを、私は止めることができなかった。
Side: ルーデウス
フィリップ、ヒルダと共に会場の中を歩いていく。立食形式のパーティのようだ。テーブルには見たこともないほど豪華な料理が並べられているが、正直なところ、今の私にそれを味わう余裕はなさそうだった。
エリスは見事に逃走に成功していた。
この会場の二階には、直接パーティに参加しない者たちのための席がある。エリス、アルス、クリスティーナ、リーリャは、そちらから見学するだけらしい。気楽なものだ、と少し羨ましくなる。できることなら、今すぐにでも代わってほしいくらいだった。
貴族との交流など正直に言えば億劫でしかない。今日もまた騒がしいことになるだろうと憂鬱に思っていたのだが――予想に反して、貴族たちは道を開け、遠巻きに見ているだけだった。
視線の多さは相変わらず気になるが、直接話しかけられるよりはずっと気が楽だ。会場の隅々にまで注がれる視線を感じないふりをしながら歩く。
ざわめきが起こった。アリエルが入場してきたらしい。傍らには護衛として、ルーク、イゾルテ、ドーガの姿がある。イゾルテは昨日のことなど何もなかったかのような、澄まし顔をしていた。
「挨拶に行こうか」
フィリップに促され、後に続く。身分順にアリエルへ挨拶するのが慣例らしいが、宰相であるフィリップは、その中でも一番手に挨拶できる立場にあるという。
アリエルに近づくたびに、周囲の貴族たちがまた一段と遠ざかっていく。恐れられることには慣れているが、今回ばかりは、この距離感が実に好都合だった。おかげで、無駄な会話を挟まずに真っ直ぐアリエルの前まで進むことができる。
フィリップ、ヒルダと共にアリエルの前で膝をつく。冷たい大理石の感触が、膝を通して伝わってきた。
「本日はご参加いただき、感謝します」
アリエルが満足げに口を開いた。その隣で、ルークが「相変わらずだな」とでも言いたげな視線をこちらに向けてくる。
「とんでもございません。いつもは参加できず、申し訳ありません」
そう答えると、アリエルは小さく微笑んだ。フィリップとルークは、そのまま仕事の話に移っていく。二人の会話は完全に政治の領域に入っていて、私にはついていけそうもなかった。
その様子を見て、遠巻きにしていた貴族たちがようやく少しずつ近づき始めた。周囲がざわめきを取り戻していく。
「覚悟しておいた方がいいぞ」
フィリップが、小声で私に言う。
「何のことでしょう」
「これから、死ぬほど話しかけられるだろう。……縁談の申し込みも、山のように来るだろうな」
げんなりする。妻は既に四人もいるのだ。これ以上は本当に必要ない。今からでも二階の見学席に逃げ込みたい衝動に駆られたが、さすがにそれは許されないだろう。
「勘弁してください。間に合っています」
「ふふ、では皆で捌いていくとしようか」
フィリップは楽しそうに笑った。その笑みには、どこか悪戯めいた響きがあった。
Side: エリス
二階席から、一階の会場を見下ろす。
この階にいるのは中級、下級貴族が中心で、雰囲気も比較的気楽だ。子供を連れて多少騒いでも問題ないだろう――そう思っていたら、リーリャに睨まれた。相変わらず容赦のない目つきだ。
正装したアルスとクリスは、身を乗り出すようにして一階を見ている。特にクリスは、目に見えて嬉しそうだった。頬を上気させ、手すりに掴まりながら、眼下の光景を食い入るように見つめている。
普段から「お姫様になりたい」が口癖の子だ。この会場は、クリスにとってまさに憧れの世界そのものなのだろう。きらびやかなドレス、優雅な立ち居振る舞い、その全てが彼女の目には夢のように映っているに違いない。
ルーデウスとお父様、お母様が入ってきたのは一目で分かった。ルーデウスが、あまりにも目立ちすぎるのだ。アルスたちもすぐに気づいたくらいだった。
「あ、お父さんだ!」
ルーデウスが歩くと人垣が自然と割れていく。まるで彼のためだけに、道が用意されているかのようだ。それを堂々と歩く三人を見ていると、なんだか誇らしい気持ちになる。会場中の視線が集まっているのに、ルーデウス自身はいつも通り、涼しい顔で歩いているのが、また可笑しかった。
「ねえ、なんでお父さんたちが歩くと、みんな遠くに行くの?」
クリスが、不思議そうに聞いてきた。
「それはね」
私は、少し得意げに教えてやる。
「お父さんが、他の貴族と比べて凄すぎるからよ」
「すごすぎる?」
「いっぱしの貴族じゃ、声もかけられないくらいにね」
そう言うと、アルスとクリスは「すごーい!」と目を輝かせてはしゃいでいた。二人が誇らしげに胸を張るのを見て、私まで嬉しくなる。
そして、アリエル女王が会場に入ってくる。クリスの目が、さらに輝きを増した。まさに、彼女にとって憧れそのものの存在なのだろう。身を乗り出しすぎて、リーリャに肩を掴まれて引き戻されていた。
アリエル女王と親しげに言葉を交わすルーデウスを見て、アルスとクリスは「いいなぁ」と口を揃えている。
アルスは、そういうところは本当にパウロに似ている。アリエル女王が美人だから「いいなぁ」と言っているに違いない。年頃になったら、この子もきっと女の人にだらしなくなるのだろうな、と少し心配になった。
ようやく、貴族たちがお父様たちの方に近寄っていく。恐る恐る、といった様子で、けれど確実に距離を詰めていくのが見て取れた。
――やっぱり、ルーデウスのことを恐れていたのね。
理解の及ばない怪物だとでも思っていたのだろう。それが、アリエル女王に忠誠を誓っていて、ちゃんと会話ができる相手だと、ようやく気づいたようだ。遠巻きに眺めていた貴族たちの表情が、少しずつ緩んでいくのが分かる。
「けど……多すぎじゃないかしら」
思わずそう呟くと、リーリャが答えてくれた。
「恐らく、縁談の申し込みかと」
その言葉に、アルスとクリスの顔がにわかに不安げに曇った。
「新しいお母さんが、増えるの……?」
クリスが心配そうに聞いてくる。小さな手が無意識のようにアルスの袖を掴んでいた。
「そんなわけないでしょ」
私は即答した。迷いなど、欠片もなかった。
「お父さんは、私たちにぞっこんなんだから」
「ぞっこん?」
クリスが、可愛らしく首を傾げる。
「それもそうだ!」
アルスの方はそれだけで一発で納得したようだった。単純なところもパウロに似ている。クリスも、兄がそう言うならと安心したのか、再び手すりから身を乗り出して一階の様子を眺め始めた。
一階を見下ろす。多くの貴族の子女たちに囲まれているルーデウスの姿があった。にこやかに応対しているように見えて、その肩のあたりに、微かな疲労の色が滲んでいるのが分かる。
――ルーデウスが裏切るわけない。分かっているけれど。
分かっているけれど、それでも胸の奥がちりりと焦げるような感覚があった。理屈ではない。ただ、あの人の周りに自分以外の女が群がっているというだけで、こういう気持ちになってしまう。
私は、その後ろ姿を、じっと睨みつけた。
すると、遠く離れているはずのルーデウスが、ぶるり、と震えたような気がした。ふふん、と私は小さく笑った。少しくらい、震えていればいいのだ。
アスラ王国、パーティ編でした!
ロアまで入れたかったのですが、明日にします。