無職転生 ~性格改変_エンジニアリング視点での魔術構築~ 作:haru-ha
【設定について】
本作は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』の二次創作小説です。
pixivに掲載していた小説(完結済)のセルフ転載となります。(所々、追記・修正しています)
以下の独自設定(IF設定)を含みます。
・原作と違って、元々存在していたルーデウスの自我は失われず、そこに「ある男」の記憶だけが継承されたという解釈で執筆しています。
・そのため、原作のルーデウスとは性格や口調、判断基準が異なります。
【注意事項】
・原作のストーリー改変(生存IFなど)が含まれる可能性があります。
・キャラの独自解釈、および設定の捏造が含まれます。
・原作全編のネタバレに配慮しておりません。
なんでも許せる方のみ、お進みください。
Side: ルーデウス
今日はアスラ王国へ出張だ。
転移魔法陣を使えば一瞬の距離だが、王城に到着すると、いつも通りの物々しい出迎えを受ける。慣れたとはいえ、この儀礼的な緊張感には未だに肩が凝る。
エリスとシルフィが同行している。アリエルと二人きりで会うというのは、ある意味で身の危険を感じることがある。今回の二人はいわば護衛のようなものだった。……もっとも、身の危険というのが物理的なものではなく、あの人の悪癖から自分の身体を守るという意味合いの方が強いのだが。
女王の私室に招待される。部屋の中には、アリエル、ルーク、フィリップ、それに数人の侍従たちの姿があった。私室とはいえ、調度品の一つひとつに至るまで洗練の極みのような品ばかりが並んでいる。
フィリップは私とエリスの姿を見ると、嬉しそうに目を細めていた。以前会った時よりもその表情はさらに柔らかくなっているように見えた。
アリエルは早速、シルフィを隣に座らせ、相変わらずその太ももをさわさわと撫で回している。シルフィは慣れた様子で「またですか……」といった呆れ顔だ。エリスも私の隣で、同じように呆れた目でアリエルを見ていた。
もっとも、これは日常茶飯事のことなのだろう。ルークとフィリップの方はまったく気にした様子もなく、平然と立っている。国政の中枢を担う二人にとって、女王の奇癖など今更取り上げるほどのことでもないのかもしれない。
「本日は相談したいことがあってお呼び立てしましたの」
アリエルが、シルフィの太ももから手を離すことなく切り出してきた。その所作は堂に入ったもので、まるで撫でることそのものが呼吸の一部であるかのようだ。シルフィの方も、もはや抵抗する気力すら失っているのか諦めたような苦笑いを浮かべるだけだった。
相談の内容は、
「世界各国のトップが集まり、危険情報の共有や文化交流、世界共通の法律の制定などを行いたいと考えていますの」
各国と言っても実質的には人族の国々に限られるだろう。こうした呼びかけを行うことで、アスラ王国の世界への影響力を高めたいという狙いもあるはずだ。もっとも、それを表立って口にするほど、アリエルは無粋ではない。あくまで、世界のためという体裁を崩さずに語ってみせる。そのあたりの手腕には、いつも感心させられる。
「素晴らしい構想だと思います。……ですが、問題は移動でしょう」
「ええ、そうなんです。それで――」
アリエルがこちらに視線を向けてくる。値踏みするような、それでいて期待の滲んだ目だった。
「各国にネットワークをお持ちのあなたに、転移魔術で各国のトップを案内していただく方法はないか、とお聞きしたくて」
転移に関する魔術や魔法陣は、第二次人魔大戦において主要都市や要人の隠れ家への奇襲などに悪用された過去がある。それ以来、禁術として扱われてきたはずだ。世界中の魔術師がその名を口にすることすら憚るほどの重い禁忌だった。だから、私も転移魔法陣を設置するときは人目に隠して行っている。
「アリエル様はその禁忌を撤廃したいと?」
「少なくとも、アスラ王国においては、ですわね」
アリエルは、悪戯っぽく笑った。
「禁忌とは言っても、各国の王族であれば古代の魔法陣を隠れた逃走ルートとしてこっそり確保しているものですのよ」
その口振りからして既に何か把握しているらしい。さすがというべきか、油断のならない人だ。表向きは禁忌としながら、裏では各国がしっかりと保険をかけている――そんな世界の裏側を彼女は涼しい顔で見透かしているようだった。
「危険性を考えると対策は必要になります。使い捨てのスクロール型にして、術式の内容が学び取れないような細工を施す必要があるでしょう」
具体的な構造を頭の中で組み立てていく。魔法陣そのものを紙面に刻むのではなく、発動と同時に自壊する仕組みを組み込む。解析されるより先に、術式が霧散するように設計すればいい。理論上は十分に可能だ。
「それは、可能なのですか?」
「その程度であれば、不可能ではありません」
「十分ですわ」
アリエルは満足げに頷いた。
「作成費用、開発費、技術料などは、すべてアスラ王国で持たせていただきます」
第一回の
招待のスケジュールや護衛、警備の体制について話し合っているうちに、いつの間にか日が傾いていた。話は多岐にわたり、どの国をどの順番で招くか、警備の人員をどこから割くか、細部にまで議論が及んだ。
窓の外を見ると、オレンジ色の光が差し込んでいる。ふと隣を見ると、エリスが退屈だったのか、こくり、こくりと船を漕いでいた。政治向きの話は彼女の性に合わないらしい。その無防備な寝顔を見て、思わず口元が緩んだ。
その日は晩餐に招待された。
とはいっても、簡易的なものだ。こちらの席には、アリエル、エリス、シルフィだけ。それにルークとフィリップも同席するらしい。堅苦しい正式な晩餐会ではないと分かって、少しばかり肩の力が抜けた。これなら、エリスが多少マナーを違反したところで問題にはならないだろう。
なにしろ彼女の食事マナーは、貴族のそれを完全にパージして、冒険者のそれになっている。骨付き肉に躊躇なくかぶりつく姿は、こういう場では正直はらはらするのだ。かつて何度か注意したこともあるが、結局のところ直る気配は一向にない。
運ばれてきたのは、なかなか食べる機会が無いほど豪勢なコース料理だった。皿の上には見たこともない意匠の盛り付けが施されている。前菜からして、彩り豊かな野菜と繊細なソースの取り合わせが目を楽しませてくれた。エリスとシルフィも、目を輝かせながら美味しそうに口へ運んでいた。
――この顔が見られただけでも、連れてきて良かった。
そう思いながら、私も料理に舌鼓を打った。何年経っても、こうして美味いものを美味いと感じられる感覚には感謝しかない。
最初の話題は、子供たちのことだった。アルス、クリスティーナ、ララ、リリ、ルーシー、ジークハルト、アイリス、ルーシュ。
「まぁ、子だくさんですわね」
アリエルが口元を隠しながら笑う。
「一人くらい、こちらにも欲しいですわ」
さらりと恐ろしいことを言われて、思わず苦笑いが漏れた。ルークとフィリップが、揃って何とも言えない表情をしている。女王陛下の口から飛び出す発言としてはあまりにも直球すぎた。
「子供たちはラノア魔法大学に行かせた後、アスラ王立学校に通わせることを考えています」
シルフィがそう話を継いだ。
その言葉にアリエルの目がきらりと光った。恐らく、その頃合いで優秀な子をスカウトする機会があると踏んだのだろう。
「それはそれは。楽しみにしていますね」
にっこりと笑うアリエルに、シルフィが少し困ったような笑みを返していた。もっとも、王立学校側からしてみれば、これ以上ないほど有望な生徒たちが向こうから飛び込んでくる話でもある。断る理由がどこにもない。
話題が変わる。
「そういえば、最近新しいお酒も開発されているんですってね」
アリエルが興味津々といった様子で聞いてきた。
――一体どこから情報が漏れたのやら。
内心で苦笑しつつ、頷いて答える。この方の情報網の速さにはいつも驚かされる。事務所の中でさえ、まだ試作段階だと思っていたのに。
「ええ。
「
幸い、私自身は二度ほど、本物を口にする機会に恵まれたことがある。まだあの深みまでは再現できていないが、味の傾向としてはそれなりのものが仕上がってきていた。
「それは、気になりますわね」
アリエルの目が、こちらに寄越せ、と語っていた。
私は苦笑いを浮かべつつ、侍女に指示を出し、荷物から二種類の酒瓶を取ってきてもらった。フィリップの顔を見ながら、言う。
「実は、ボレアス家で試飲していただこうと思っていたのです」
机の上に二本の酒瓶が置かれた。一つは、廉価版の
「もう一つは何の酒だ?」
ルークが興味を引かれた様子で聞いてくる。もう一本の瓶は、先ほどのものよりもさらに濃い色をしていた。
「私用に作った酒だ」
「ほう」
ルークの目が輝く。
「色んな方に試飲してもらったが、結構強い酒らしい」
そう付け加えると、ルークの興味はさらに深まったようだった。挑戦的な光がその瞳に宿る。
「それは楽しみだ」
嬉々として、そのグラスに酒を注いでもらっている。アリエルの方は、無難に廉価版の
ルークが、一口含んだ瞬間――
「ぶーっ!」
盛大に吹き出した。
霧状に噴出した酒が、近くの燭台の火に引火し、ぼう、と小さな炎が上がる。慌てて魔術で炎の広がりを抑え込んだ。テーブルクロスの端が焦げる寸前だった。
「げほっ、げほっ……!な、なんだこの酒は!強いなんてもんじゃない!火が付いたぞ!」
咳き込みながら文句を言うルークに、私は呆れた目を向けた。
「だから、言ったではないか」
アリエルは驚いた様子だったが、すぐに肩を震わせて笑い始めた。エリスに至っては、ルークの醜態を見て腹を抱えて爆笑している。テーブルを叩かんばかりの勢いだ。シルフィも顔を背けて肩を震わせていた。
「どんな方に試飲していただいたんですの?」
アリエルが、笑いを堪えながら聞いてくる。
「
「人族には強すぎますわ」
アリエルが笑いながら言う。
「なんでこんな強い酒を……」
ルークがまだ咳き込みながら呟いていた。目には涙が滲んでいる。
「私でも酔える酒を造りたかったんだ」
私は、素直にそう答えた。
「この酒であれば、私でも酔うことができる」
「これをどれだけ飲めば酔うんだ?」
フィリップが、恐る恐るといった様子で聞いてくる。
「一樽も飲めば、酩酊し始めますね」
その答えにルークとフィリップは、揃って完全にドン引きした顔をしていた。人間の限界を遥かに超えた酒量の話に二人とも二の句が継げないでいる。
シルフィとエリスの方は、廉価版の
「相変わらずだねぇ、ルディは」
シルフィが苦笑しながら言う。
「薄めれば飲めるんじゃない?」
エリスが、笑いながらそんな提案をしてきた。素朴な発想だが、案外的を射ているかもしれない。
「この酒に銘はあるのですか?」
アリエルが聞いてくる。
「まだないですね」
「では、わたくしが提案しましょうか」
アリエルは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「
先ほどのルークの姿――口から炎を吹いたあの様――が、まるで龍のブレスのようだと、からかっているのだろう。その場にいた全員が、一瞬の間を置いてから、思わず噴き出した。
「面白いネーミングですね。ぜひ採用させていただきます。名を賜り、ありがとうございます」
私は素直に礼を言ったが、ルークの醜態がそのままネーミングの由来になったのだと気づき、ジト目でアリエルを見た。アリエルは、涼しい顔でそれを受け流していた。ルークだけが、一人恨めしそうな顔でグラスを見つめている。この銘は、この先ずっと彼にとって黒歴史として語り継がれるのかもしれない。
今日はシャリーアで事務作業だ。
アイシャも既に仕事に復帰している。いつの間にか、一室が私専用の執務室になっていた。オルステッドの部屋の近くだ。窓からは中庭が見え、静かに仕事に打ち込むには申し分ない環境だった。
前室にはオルステッドの秘書としてファリアスティアとルード、私の秘書兼事業の責任者としてアイシャがいる。それに――もう一台、
ザノバ、ルードと共に開発したものだ。ルードの身体も
目もくらむような高級素材と、ありったけの技術を投入し、幾度もの試作と失敗を経て、ようやく完成させたものだ。オルステッドとペルギウスもこれには目を丸くして驚いていた。狂龍王カオスが夢見た果ての技術なのだそうだ。あの二人が驚くところなど、そう頻繁に見られるものではない。それだけこの技術がこの世界の常識から逸脱していたということでもあるのだろう。
デザインについては、実のところ一悶着あった。
ルードが、「ナナホシとそっくりな女性体にしよう!」と言い出したのだ。曰く、ナナホシが転移・帰還した後、こちらの世界に別の異世界人が来ることがあれば、彼女がかつて存在したことを示す証にしたい、という理屈らしい。一見すると、筋の通った理由に聞こえなくもない。
だが、身体のラインまで正確に模倣する必要があるだろうか。あろうことか、秘部までも忠実に再現しようとしていた節がある。あり得ない発想だ。設計図の細部にまで、その執念じみたこだわりが滲んでいた。
彼女の存在を伝えたいだけなら、写真があれば十分だ。この世界でも既にモノクロ写真の技術は再現できている。どうしても像が必要だというなら、私が彫像を作っても良い。わざわざ
「ファリアスティアに言いつけるぞ」
そう一言告げると、ルードはあっという間に大人しくなった。この手の弱みにはいつまで経っても弱いままらしい。
結果として、
――今日は早く帰って、子供たちと遊ぼう。
そう心に誓った、ちょうどそのときだった。
アイシャが来客を知らせに来た。
来客はエリスだった。手紙を片手に、ひどく興奮した様子で部屋に飛び込んでくる。扉が壁にぶつかりそうな勢いだった。
「ルーデウス!これを見て!」
差し出された手紙の差出人は、イゾルテ・クルーエル。
読む前に、エリスが我慢しきれないといった様子で内容を教えてくれた。頬が上気し、目は興奮できらきらと輝いている。
「イゾルテが結婚するって!相手は分かる!?」
「ドーガだろう?」
即答すると、エリスが目を丸くする。
「な、なんでわかったの!?」
「ドーガを見ていれば、イゾルテ殿を好いていることは一目瞭然だったからな。……式はいつ挙げるんだ?」
「来月だって!私、招待されたの!行っても良い!?」
「もちろんだ。私も予定を合わせて一緒に行こう。アルスとクリスティーナも連れていくか」
「楽しみね!お祝いの品を準備しなくっちゃ!」
エリスはそう言うが早いか、来たとき以上の勢いで部屋を飛び出していった。その背中を見送りながら、私も考える。
――こちらもお祝いの品を準備しなければな。
何が良いだろう。やはり、武器が良いだろうか。ドーガには、彼が全力で振るえる大きなハルバードを。イゾルテには、前水神レイダが使っていたものと同じ意匠の、水神流用の剣を。……鉱神にも声をかけないと、後で怒られそうだ。あの人は、私が一人で武器を作ると本気で拗ねる。
エリスが去った後の、静かな部屋。作業を再開しようとしたところで、次の来客の知らせが入った。
――今日は来客が多い日らしい。
通してもらうと、入ってきたのはザノバだった。ジュリとジンジャーも一緒だ。
ザノバが対面に座る。その表情は、珍しく真剣なものだった。普段の彼からは想像もつかないほど、肩に力が入っている。アイシャが素早く茶の用意をして、静かに部屋を出ていく。完璧な侍従の所作だった。
茶をすすりつつ、切り出す。
「どうしたんだ?」
ザノバはしばらく逡巡していたが、やがて口を開いた。
「余は――結婚しようかと思っております」
意外な相談だった。ザノバは、一生を人形と共に生きる男だと思っていた。彼の口から結婚という言葉が出てくるとは、正直なところ予想もしていなかった。
「どんな心境の変化だ?」
「子が、欲しくなりました」
ザノバはそう答えてから続けた。
「余は呪いのせいで、皮膚の感覚がずっと鈍いままでした。人の温もりというものが、これまで分からなかったのです。人と触れ合っても、感触がほとんど掴めない。……これでは、子供などできようもありません」
淡々と、それでいて重みのある声だった。長年、彼が一人で抱えてきた諦めの深さが、その言葉の端々から滲み出ている。
「子ができないのであれば、相手も可哀想だ。だから、結婚するつもりはありませんでした」
ザノバは腕輪をさすりながら続ける。
「ですが、師匠が作ってくださった呪い抑制の魔術具のおかげで、ようやくそれらが分かり始めたのです。師匠の家庭を見ていて、羨ましく思う気持ちもありました」
そこで、ザノバは少し目を伏せた。
「何より――パックス陛下の子を抱いたときの、あの暖かさ。あれが、ずっとずっと忘れられないのです」
私は、ザノバの言葉を静かに聞いていた。確かに、子が欲しいのであれば、結婚する必要があるだろう。ふと視線を横に向けると、ジンジャーが既に目を潤ませている。長年ザノバに仕えてきた彼女には、この告白の重みが誰よりも分かっているのだろう。
思えば、初めて出会った頃のザノバは、人形以外のものに一切の興味を示さない男だった。周囲がどれだけ結婚を勧めても、暖簾に腕押しといった調子で受け流していた記憶がある。それが今、こうして真剣な顔で己の内面を語っている。人というのはこうも変わるものなのかと、素直に感慨深いものがあった。
「当てはあるのか?」
「ありません」
ザノバはあっさりと答えた。自分の背後で何が起きているのか、まったく見えていないらしい。
「パックス陛下のおかげで、余はまだ王族として名を残しております。人形の売れ行きも良いので、財力にも困っておりません。恐らく、それほど苦労することなく、相手は見つかるのではないかと」
私は、ザノバの背後で泣きそうな顔をしているジュリの様子を確認しながら聞いた。
「相手は、高位の貴族の方が良いのか?」
ザノバは首を振りながら答える。
「シーローン共和国に戻った際、万が一にも王に担ぎ上げられぬよう、貴族の女性は避けたいのです。人形への愛は変わりませんので、それに理解のある者が良いかと」
「……では、ジュリと結婚すれば良いのではないか?」
私は、あっさりとそう言った。
「人形への理解もある。何より――ザノバ自身への理解も、誰よりも深い」
ザノバは驚いた様子で、後ろを振り返る。そこには、顔を真っ赤に染めて立ち尽くすジュリの姿があった。長年の付き合いの中で、彼女がどれほどザノバを見つめ続けてきたか、この場にいる誰の目にも明らかだった。
ザノバはしばらく黙り込んでいたが、やがてジュリに向き直り、声をかけた。
「これは、命令ではない。断っても構わない。……余と、結婚してくれるか?」
ジュリは、噛みながらも、精一杯の声で答えた。
「よ、喜んで!」
その幸せな光景を見て、ジンジャーがとうとう涙をこぼしていた。両手で顔を覆い、肩を震わせている。
――こちらにも、祝いの品が必要だな。
彫像にしよう。そういえば、ザノバの像はまだ作ったことがなかった。ザノバとジュリ、二人並んだ像を作って贈ろう。そう考えながら、私は密かに口元を緩めていた。
ザノバたちが去り、作業を再開しようとしたところで、アイシャが入ってきた。
「おやつの時間ですよ」
そういえば、少しお腹が空いていた。素直にその言葉に甘えることにする。
アイシャが持ってきたのは、新作のお菓子――チョコレートドーナツだった。中にはクリームも入っているらしい。皿の上に並んだそれは、艶やかな照りを放っていて、見るからに美味しそうだった。
「ロキシーさんと、ララちゃんとリリちゃんに見つからないように持ってくるの、大変だったんですから」
アイシャが少し疲れた顔で笑う。相変わらず、ドーナツというものは魔族の血を強く刺激するらしい。あの三人が匂いを嗅ぎつけたら最後、あっという間に皿が空になる未来が目に浮かぶ。
しばし、アイシャと談笑しながらドーナツを味わう。甘さの中に、ほんの少しビターな風味が効いていて、なかなかの完成度だった。一口ごとに、疲れが解けていくような気がする。
ドアがノックされる。
――本当に今日は来客が多い日だ。
入るよう促すと、姿を見せたのはルードだった。相談があるらしい。表情には、これまでの来客とはまた違う、落ち着かない緊張感が漂っていた。
「アイシャも同席して良いか?」
「女性の意見も欲しいから、歓迎だ」
ルードは座ると、真剣な顔をした。
相談事は、ファリアスティアへのプロポーズについてだった。
「まだしていなかったのか。仲睦まじいから、てっきり済ませているものかと思っていたが」
「どういうプロポーズが良いだろう?」
ルードが真剣な顔で問いかけてくる。その眉間には深い皺が刻まれていた。
「別に、何でも良いんじゃないか?」
「それだとロマンがないだろう!」
思いのほか、強い口調で叱られてしまった。彼なりにこの一大事にどれほどの熱意を注いでいるかが伝わってくる。
助けを求めるようにアイシャに目を向ける。
「旦那様の仰る通り、そんなに特別なことをしなくても良いと思いますよ」
アイシャがあっさりと答えた。
「良いレストランに誘って、その後で想いの籠ったアクセサリーでも渡せば十分です」
「それだけで良いのか?なんか、意外性とか、サプライズとか……」
ルードがまだ食い下がっている。
「そんなものはいりません」
アイシャが、きっぱりと断言した。その口調には、これまで数々の恋愛相談を捌いてきたであろう、確固たる自信が感じられた。
私も補足する。
「ルードが張り切って意外性を出そうとすると、常識から完全に逸脱して相手を困らせることになりかねないぞ。お前が『普通だな』と思うことでも、相手にとっては十分すぎるほど意外性があるものだ。それで良いじゃないか」
ルードはしばらく戸惑った様子を見せていたが、やがて納得したように頷いた。
「良いレストランを予約してくる!」
そう言い残し、駆け出していった。その背中には、先ほどまでの緊張とは打って変わって、確かな決意が見えた。
――結果は、見えているんだがな。
ルードは、ファリアスティアと付き合っている以上、結婚するにはプロポーズが必要だと考えているようだが、ファリアスティアの方は、最初から結婚を視野に入れて交際を了承しているはずだ。あの二人のことだ、どんな形であれ、きっと上手くいくだろう。
それでも、ルードが真剣に悩む姿を見るのは、決して悪い気分ではなかった。人工の身体を得て、少しずつ人としての恋情の機微を学んでいく彼にとって、こうした一つひとつの経験こそが何よりの財産になるのかもしれない。
「さて、こちらにも贈り物が必要だな。何が良いか……」
ルードは事務所に寝泊まりしているが、結婚したらそれも難しくなるだろう。二人で暮らす新居のことも、そろそろ考えておいた方がいいはずだ。
「アイシャ。祝いの品として、家をプレゼントするというのはどうだろう?」
「高すぎます」
アイシャは苦笑しながら即答した。
「旦那様も、十分に常識から逸脱してしまっておられますよ?」
その言葉に、私は何も言い返せなかった。窓の外では、いつの間にか夕日が傾き始めている。今日一日で、随分と多くの人生の節目に立ち会ったものだ。そう思いながら、私は残っていた書類の束に、もう一度手を伸ばした。
今回は酒造りの話に加えて、
ザノバを結婚させるかは迷いました。原作を読んでいて、呪いを抑制して人の温もりを知っていること、パックスが存命なこと、この二つの条件をクリアしていれば結婚に踏み出すこともあり得るのでは?と考えました。良かったね、ジュリ。