二人の守り人 作:last cinders
だから、全部、話しておきたいんだ。
不慣れな一人の創作なので、お手柔らかにお願いします
瀬戸篤志は、柳瀬美由紀の担当だ。
初めて彼女を見つけた日のことも覚えている。
デレステで、所持キャラが少ない時期に複数同じキャラを編成したことでランダムに表示されるアイドルの中で、なぜか、特に目を引いた子だった。
北海道から来た、小さな女の子。
都会に慣れないまま、それでも目を輝かせてアイドルの世界に飛び込んできた子。
ぬいぐるみが好きで、おしゃれを勉強中で、カニが大好きで、誰かを元気にすることを当たり前みたいに願っている子。
14歳!?この見た目で!?と、当時驚いたこともよく覚えている。
篤志は、彼女のカードを集めた。
スクリーンショットを保存した。
台詞を何度も読み返した。
新しい供給が来れば泣きそうになり、背景に小さなぬいぐるみが映っているだけで、あの子の名前はなんだろう?と想像を膨らませた。
画面の中で美由紀は笑っていた。
「うふふっ」と笑っている。
「早起きも頑張ったんだよ!」と胸を張っている。
「観ててくれた!?」とこちらを見ている。
何度も聞いた。
なのに、音にはならなかった。
他のアイドルたちには声がついていった。
発表のたびに、篤志は祝福した。
誰かの担当が泣いて喜ぶ姿を見るのは、嫌いではなかった。むしろ好きだった。
その気持ちはよくわかる。
ずっと待っていた声が、ついに世界に響く。
その瞬間がどれほど幸福か、想像するだけで胸が熱くなった。
だからこそ、篤志は待てた。
次かもしれない。
次のライブかもしれない。
次の周年かもしれない。
次のイベントで、彼女を押し上げる場が来るかもしれない。
そう思って、待った。
一年待った。
二年待った。
季節が変わり、仕事が始まり、生活が崩れても、応援した。
応援することは、担当の仕事だと思っていた。
実際に、ボイスオーディションだってあった。
けれど、現実はいつも、画面の外側にあった。
家賃の引き落とし。
光熱費。
通信費。
食費。
イベントのための課金。
グッズ代。
遠征費で消える貯金。
次の給料日までの日数。
昼は倉庫で荷物を運んだ。
夜はコンビニでレジを打った。
空いた時間には、単発のデータ入力を入れた。
仕事をしていない時間は、彼女の名前でエゴサをかけた。
誰かに言えば、笑われただろう。
コンテンツのためにそこまでするな。
アイドルは画面の向こうだ。
お前のことなんて知らない。
全部、わかっていた。
篤志だって、本当はわかっていた。
自分が課金したからといって、美由紀に声がつくわけではない。
自分がどれだけ頑張ったって、総選挙で上位に食い込めるわけがない。
自分が生活を削ったところで、彼女がこちらを見てくれるわけではない。
それでも、何もしないで待つことだけはできなかった。
画面の向こうで、美由紀はいつも前を向いていた。
わからないことを、わからないままにしない子だった。
東京が大きくても、おしゃれが難しくても、仕事で緊張しても、彼女は笑って「もう一回がんばってみる!」と言う。
なら、自分も頑張らなければいけないと思った。
それが間違いの始まりだったのかもしれない。
その夜、篤志はコンビニのバックヤードにいた。
夜勤明けまで、あと四十分。
倉庫の早朝シフトまで、あと三時間半。
スマートフォンのバッテリーは十九パーセント。
身体は、もうとっくに限界を超えていた。
指先が震えている。
頭の奥で、古い換気扇みたいな音が鳴っている。
心臓が早いのか遅いのか、自分でもわからない。
吐き気があるのに、胃の中には何もない。
それでも篤志は、ログインした。
"""アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ!"""
日付が変わっていた。
ログインボーナスの画面が出る。
いつもの演出。
いつもの音。
いつもの光。
そして、ホーム画面に美由紀がいた。
彼女は笑顔だった。
今日も、変わらず。
このSSRが実装されたとき、どれほど嬉しかっただろうか。
篤志は、画面を見つめた。
「……ただいま」
声に出したつもりだったが、喉から出たのは乾いた息だけだった。
美由紀の台詞が表示される。
"元気いっぱいの笑顔を、みゆきたちにたくさんみせてね"
篤志は、その文字を読んだ。
何度も読んできた言葉だった。
嬉しいはずの言葉だった。
自分がここにいる理由みたいな言葉だった。
なのに、その夜だけは、胸に突き刺さった。
見ている。
ずっと見ている。
見てきた。
でも、まだ聞けていない。
「……ごめん」
今度は、ほんの少しだけ声になった。
何に謝っているのか、わからなかった。
声がつくまで待てなくて、ごめん。
もっと応援できなくて、ごめん。
担当だなんて名乗っておきながら、先に限界が来て、ごめん。
最期の時が、笑顔じゃなくて、ごめん。
君の声を聞くまでは、死ねないと思っていた。
けれど、身体はそんな願いを聞いてくれなかった。
とあるライブで、突然知らない声が響いた時を思い出した。
「パパにも絶対!見てもらうんだから!
しっかりプロデュース、しなさいよ?」
明るく、鮮やかで、命を持った声だった。
篤志は、それを憎めなかった。
すぐに、彼女だと理解った。
担当の人はどれほど嬉しかっただろうと思った。
その幸福を否定したいわけではなかった。
なんなら、自分のことのように嬉しかった。
ただ、あとから襲ってきた悔しさが辛かった。
美由紀の声を知らないまま、自分だけが終わっていく。
その事実が、怖かった。
声が聞きたかった。
どんな高さなのか。
「うふふっ」は少し照れた音なのか。
彼女の語尾に♪がつくとき、その声はどのように弾むのか。
カニに関する話をするとき、少し早口になるのか。
ぬいぐるみを抱きしめるとき、声はやわらかくなるのか。
東京で迷ったとき、不安を隠して明るく言うのか。
そして、プロデューサーを見つけた時、どんな声で「会えてよかったぁ……」とつぶやくのか
知りたかった。
想像ではなく。
文字ではなく。
音として、世界に響く彼女を、一度でいいから聞きたかった。
篤志は画面に指を伸ばした。
指先が、美由紀の頬の少し下で止まる。
触れられるはずがない。
それでも、触れようとしてしまった。
視界が暗くなっていく。
バックヤードの蛍光灯が遠くなる。
冷蔵ケースの低い唸りも、レジ前の電子音も、水の中に沈むみたいにぼやけていく。
スマートフォンが手から滑り落ちた。
床に当たる音が、ひどく大きく聞こえた。
画面はまだ点いている。
美由紀がそこにいる。
声のないまま、笑っている。
篤志は、最後の力で息を吸った。
「……聞きたかった」
誰にも届かない声だった。
「君の声が、聞きたかった」
それが、瀬戸篤志の最後の言葉になった。
意識が落ちる直前、彼はひとつだけ思った。
もし、本当に神様のようなものがいるなら。
どうか、彼女に声をあげてほしい。
自分が聞けなくてもいい。
自分がそこにいなくてもいい。
自分の名前なんて、誰にも知られなくていい。
それでも、いつか。
柳瀬美由紀という女の子の声が、世界にちゃんと響きますように。
祈りは、音にならなかった。
ただ、暗闇の奥で、白い糸が一本、静かに垂れた。
――気の毒に。
誰かが言った。
それは男でも女でもなく、近くも遠くもない声だった。
声というより、直接心に触れる指先のようだった。
――けれど、あなたの願いを叶えるのではありません。
篤志には、もう答える身体がなかった。
――あなたに与えるのは、彼女の未来を変える権利ではありません。
――彼女を救う力でもありません。
――ただ、もう一度、そばで見ている場所です。
白い糸が、暗闇の中で輪を描く。
――今度は、燃え尽きてはいけません。
――今度は、彼女をあなたの救いにしてはいけません。
篤志は、その言葉の意味を理解できなかった。
ただ、遠くで、誰かの足音が聞こえた気がした。
知らない朝へ向かう足音。
知らない男の呼吸。
知らない世界の空気。
そして、まだ聞いたことのない少女の声が、いつかそこにあるかもしれないという、あまりにも残酷で、あまりにも眩しい予感。
――行きなさい。
白い糸が、胸のない胸に触れた。
――これがあなたの最後のログイン。
暗闇がほどける。
瀬戸篤志の世界は、そこで終わった。
――素敵な"ログインボーナス"が、貴方を待っているはずです
そして、久住遥真の朝が始まった。
利用規約に"選挙運動"がダメって書いてあるけど、これ大丈夫か……?