二人の守り人   作:last cinders

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"プロデューサー"

 

 

扉が閉まる。

 

足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。

 

久住は、会議室に残ったまま、数秒だけ動かなかった。

 

鷲尾が資料をまとめながら言う。

 

「どうだった」

 

久住は外側の言葉を選ぶ。

 

「明るく、周囲へ意識が向く子だと感じました。ただ、緊張や疲労を明るさで隠す可能性があるので、表情だけで判断しない方がいいと思います」

 

鷲尾は満足そうに頷いた。

 

「いい見方だ」

 

「また、途中でお話しましたが客席やスタッフを含めて"みんなで楽しむ"意識が強いようですね。

 参加型の企画とは相性がよさそうです」

 

「あぁ。三枝にも共有しておく」

 

久住は頷いた。

 

それは久住の観察であり、篤志の補助線でもあった。

 

二人の見たものが、初めて一つのプロデューサーの言葉として形になった。

 

会議室を出たあと、久住は非常階段前まで歩いた。

 

人がいないことを確認し、ようやく内側へ声をかける。

 

「瀬戸」

 

返事はすぐにはなかった。

 

だが、今度は消えたわけではない。

 

深いところで、篤志が泣いている。

 

久住は待った。

 

一分。

 

二分。

 

やがて、篤志の声が戻った。

 

『久住さん』

 

「何だ」

 

『聞こえました』

 

「そうだな」

 

『美由紀ちゃんの声、聞こえました』

 

「そうだな」

 

『俺、ずっと聞きたかったんです』

 

「知っている」

 

『画面の中で、ずっと文字だったんです。台詞はあった。笑ってた。頑張ってた。こっちに話しかけてくれてるみたいだった。でも、音はなかった。ずっと、声がなかった』

 

久住は黙って聞いた。

 

『俺、声がつくまで待てなかったんです。勝手に限界になって、勝手に死んで、聞けないまま終わったんです。だから、さっき、声が聞こえて、俺、もう、それだけで』

 

「瀬戸」

 

『はい』

 

「それだけで、終わるな」

 

篤志が止まった。

 

久住は続ける。

 

「君の願いが一つ叶ったのは事実だ。だが、彼女の人生はそこで終わらない。彼女の仕事も、成長も、不安も、これから続く。

 君が声を聞けた、よかった、で閉じるなら、それは彼女を君の物語の終点にしている」

 

篤志は、声を失った。

 

久住の言葉は厳しかった。

 

だが、今言わなければならないことだった。

 

「彼女は今日も昼を食べ、午後の仕事をし、レッスンを受け、迷い、疲れ、また明日もアイドル活動をする。

 君の再会は、彼女にとってはただの初対面だ」

 

『……はい』

 

「だから、君も終わるな」

 

篤志は、長く黙った。

 

そして、ゆっくりと言った。

 

『俺、今日で終わりにしちゃうところでした』

 

「だろうな」

 

『美由紀ちゃんの声を聞けた。もうそれでいいって。俺は救われたって。そう思いそうになりました』

 

「救われるなとは言わない」

 

久住は、少しだけ声を落とした。

 

「だが、救われたなら、その後をどうするか決めろ」

 

『その後』

 

「そうだ」

 

篤志は、しばらく何も言わなかった。

 

非常階段前の空気は静かだった。

遠くで電話の音が鳴り、誰かの足音が廊下を横切り、事務所の日常が続いている。

 

美由紀の声を聞いた世界でも、仕事は続く。

 

篤志は、ようやく言葉を探し始めた。

 

『俺、"担当プロデューサー"でした』

 

「君の世界ではな」

 

『はい。"応援するだけのプロデューサー"でした。お金を出して、イベント走って、カードを集めて、スクショ撮って、声がつくのを待って。たぶん、それも俺にとっては本当でした』

 

「否定はしない」

 

『でも、この世界では、それだけじゃ駄目なんですよ』

 

「駄目だ」

 

『美由紀ちゃんを見て、泣いて、よかったって思って、それで終わるのは違うんですよね』

 

「違う」

 

『プロデューサーって、声を聞いて喜ぶ人じゃなくて、その声が明日もちゃんと出せるように見る人なんですね』

 

久住は、少しだけ息を止めた。

 

篤志は続けた。

 

『その子が元気に挨拶できるように、昼ごはん食べたか気にして、迷わないように道を作って、楽しいって言葉を雑に使わないようにして、得意なことを決めつけないようにして、

 疲れてるのに笑ってたら休ませる。そういうことも、プロデューサーなんですよね』

 

「一部はな」

 

『一部でもいいです』

 

篤志の声は、まだ泣いていた。

 

だが、さっきとは違った。

 

ただ救われた人間の声ではなく、何かを引き受けようとする人間の声だった。

 

『俺は、久住さんの代わりにはなれません』

 

「当然だ」

 

『美由紀ちゃんの前に出ることもできません』

 

「出させない」

 

『責任も取れません』

 

「取れないな」

 

『でも、補助線なら引けそうです』

 

久住は黙った。

 

篤志は、一つずつ言葉を置くように続けた。

 

『俺が見てきた美由紀ちゃんは、全部が現実の美由紀ちゃんじゃない。けど、見てきた時間はある。

 好きだったところも、気になってたところも、ファンとして嬉しかったところも、不安だったところもある。

 それを、俺の感情のまま投げるんじゃなくて、久住さんが確認できる形にします』

 

「確認事項として」

 

『はい。確認事項として』

 

「断定しない」

 

『断定しない』

 

「彼女に背負わせない」

 

『背負わせない』

 

「君の未練で仕事を歪めない」

 

『歪めない』

 

「彼女の声を、君の救済だけにしない」

 

篤志は、そこで少しだけ詰まった。

 

だが、逃げなかった。

 

『しない』

 

久住は、ようやく頷いた。

 

「なら、それが君のこの世界でのプロデュースだ」

 

篤志が息を呑んだ。

 

「俺の中で、俺の補助線として、彼女を見る。応援だけではなく、確認し、分け、必要なら止まる。声を聞いて終わるのではなく、その声がどんな場面で生きるのかを考える」

 

『それが、俺のプロデュース』

 

「今の君に許可できる範囲ではな」

 

『厳しい』

 

「当然だ」

 

篤志は、泣きながら笑った。

 

『でも、いいです。それがいいです』

 

久住は非常階段の扉にもたれ、少しだけ目を閉じた。

 

この男は、今日、再会した。

 

正確には、彼女は再会していない。

美由紀にとって篤志は、存在すら知らない相手だ。

久住という副担当プロデューサーの中にいる、声のない同居人でしかない。

 

だからこれは、一方的な再会だった。

 

ある意味での再会。

 

それでも、その再会は篤志を終わらせなかった。

むしろ、始めさせた。

 

応援するだけの"担当プロデューサー"から、久住遥真という副担当プロデューサーの補助線として、この世界で彼女をちゃんと見る存在へ。

そして、彼女を世界へ送り出す存在へ

 

「瀬戸」

 

『はい』

 

「今日の記録を書くぞ」

 

『はい』

 

「泣いたことも書く」

 

『そこ書くんですか』

 

「重要記録だ」

 

『久住さん、本当に容赦ない』

 

「外へ出さなかったことも書く」

 

篤志は黙った。

 

それから、少し誇らしそうに言った。

 

『はい』

 

自席に戻る前、久住は一度だけ会議室の方を見た。

 

そこに美由紀はもういない。

 

けれど、彼女の声は久住の中に残っていた。

 

もちろん、篤志の中にも。

 

ただし、それはもう、失われた願いの回収だけではなかった。

 

仕事の始まりの声だった。

 

久住は歩き出す。

 

篤志が、内側で静かに言った。

 

『久住さん』

 

「何だ」

 

『俺、美由紀ちゃんの声を聞けてよかったです』

 

「そうだな」

 

『でも、次は、声だけじゃなくて、ちゃんと見ます』

 

久住は足を止めなかった。

 

「そうしろ」

 

『はい』

 

「補助線としてな」

 

『はい。副担当プロデューサーの補助線として』

 

それは、瀬戸篤志が初めて、自分をこの世界の言葉で定義し直した瞬間だった。

 

担当だった男ではなく。

救われに来た亡霊でもなく。

画面の向こうに声を待ち続けたファンでもなく。

 

久住遥真の中で、柳瀬美由紀をちゃんと見るための補助線。

 

その細く頼りない線が、これからどれほど役に立つのかは、まだ誰にもわからない。

 

だが、少なくとも今日。

 

柳瀬美由紀の声を聞いた瀬戸篤志は、終わらなかった。

 

彼は、ようやく始まった。

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