二人の守り人 作:last cinders
柳瀬美由紀のカニの話を聞いた翌日、久住遥真は提案書を作っていた。
件名は、仮でこう置いた。
北海道物産イベント 若年層向けステージゲスト提案
最初に考えた案には、柳瀬美由紀の名前を入れていた。
だが、すぐに消した。
外の世界での彼女は、まだ無名に近い。名前を企画の冠にしても、主催者にも来場者にも「誰ですか」で止まる。
久住は資料の一行目を、こう書き直した。
北海道フェア内ステージ企画における、親しみやすい若手ゲストとしての起用提案。
『久住さん、昨日、仕事にするかはまだ決めないってメモしてましたよね』
「決めない、は、動かない、ではない。選べる状態を作っておくのが仕事だ」
『……なるほど。あと、名前、前に出さないんですね』
「現時点では弱い」
『ですよね』
篤志は、少しだけ寂しそうだった。
『担当としては、名前を大きく出してほしい気持ちはあります。でも、営業としては違いますね。知らない人にとっては、柳瀬美由紀って名前だけじゃまだ引きにならない』
「そうだ」
『じゃあ、入口は"北海道の若手アイドルが来ます"くらいですか』
「それに近い」
久住は資料へ書き足した。
北海道出身の若手アイドルを、物産イベント内のトーク・ミニステージに起用することで、通行客や親子連れ、若年層が立ち止まりやすい空気を作る。
商品説明を前面に出すのではなく、本人の明るいトークと来場者を巻き込む親しみやすさを活かし、売場全体への回遊につなげる。
篤志が少し黙った。
「何かあるか」
『いいと思います。でも、"明るいトーク"だけだと普通です』
「では、どうする」
『美由紀ちゃんの良さって、ただ明るいだけじゃなくて、相手を"見てる側"から"参加してる側"に引っ張るところだと思います。見てる人に、こっち来てもいいよ、一緒に楽しくなろうよって言える感じ』
久住は、その言葉を資料用に整えた。
柳瀬美由紀は、客席やスタッフを含めて「みんなで楽しむ」意識が強く、一方的な商品紹介よりも、来場者に話しかけながら場を温めるトークとの相性が良い。
単独の集客力ではなく、イベント会場内で足を止めてもらうための"空気づくり"を主な役割とする。
『そうです。名前で呼ぶんじゃなくて、立ち止まった人が"あの子、なんか楽しそうに話すな"って思う入口ですね』
「その方が現実的だ」
『はい。悔しいけど、現実的です』
そこへ三枝真澄が来た。
「提案書、見てもいいですか?」
「お願いします」
三枝は画面を読み、何度か小さく頷いた。
「前より自然ですね。美由紀さんの名前をタイトルにしていないのも良いと思います」
「まだ名前で客を呼べる段階ではありません」
「はい。ただ、名前を出さないことと、本人の魅力を隠すことは違います」
三枝は資料の一部を指さした。
「ここに、もう少し"トークの場持ち"を入れたいです。美由紀さんは、カニや北海道の話をするとき、情報を説明するだけではなくて、相手に話しかけるんです。『みなさんはどう食べますか?』『きれいに剥けたら嬉しいですよね』みたいに、聞いている人を巻き込める」
「場持ち。来場者への問いかけ。参加感」
「そうです。物産イベントでは、専門的な説明だけだと足を止めにくい。でも、明るい子が楽しそうに話していて、少し質問を投げてくれると、通りがかりの人も聞きやすい」
『三枝さん、わかってますね』
「当然だ」
『ですよね』
久住は資料を修正した。
本人は、客席へ問いかけながら話す形式と相性が良い。
「どう食べると楽しいか」「家でどんなふうに味わうか」といった身近な話題を使い、来場者が受け身ではなく参加している感覚を作ることができる。
会場の温度を上げ、売場へ自然に視線を向ける役割を想定する。
三枝は頷いた。
「かなり良くなりました。それと、"届くまで"の話は残しましょう。ただし、主軸にしすぎない方がいいです」
「はい」
「美由紀さんの良さは、背景を語れることだけではありません。食べる楽しさをちゃんと楽しそうに話せること。そこに、作る人や届ける人への視線が自然に混ざること。その順番の方が、本人らしいです」
久住は、その言葉をそのまま資料の構成へ反映した。
一、立ち止まりやすい明るいトーク。
二、来場者を巻き込む問いかけ。
三、北海道出身者としての親しみ。
四、カニや水産物への生活実感。
五、必要に応じて「届くまで」の背景を短く添える。
『これです。"届くまで"を中心にしすぎると、ちょっと良い話をする子になります。でも美由紀ちゃんは、まず楽しい子です。楽しく話して、その中で自然に地元や働く人の話が出る。そっちの方が合ってます』
「採用する」
その日の午後、久住と三枝は営業部の黒川と打ち合わせをした。
黒川は資料を読み、最初に言った。
「柳瀬美由紀さん。正直、一般のお客様への知名度はまだ高くないですよね」
「はい」
久住は即答した。
「そのため、冠企画ではなく、北海道フェア内のステージゲストとして提案します」
「その方が通しやすいです。主催側も、無名の若手アイドルの単独企画と言われると構えますから」
三枝が続ける。
「狙いは集客の主役ではなく、会場内の足止めです。物産品に詳しくない人でも、楽しそうに聞ける空気を作る。そこに美由紀さんの明るさと話しかける力が合うと考えています」
黒川は資料をめくった。
「カニや水産の話は?」
「入れます。ただし前面には出しすぎません」
久住が答える。
「まずは、食べる楽しさ、来場者への問いかけを中心にします。その中で、本人の生活実感として、地元や働く人への視線が自然に入る形を想定しています。専門的な説明は出店者や司会が補います。柳瀬は、来場者に近い目線で"楽しい""おいしそう""食べてみたい"を作る役割です」
黒川は資料に印をつけた。
「いいですね。これなら主催側にも説明しやすい。若手アイドルを呼ぶ理由が、名前の強さではなく、会場での役割になっている」
『よかった』
黒川はさらに続けた。
「ステージ名ですが、"柳瀬美由紀の"は外しましょう。たとえば"北海道おいしいものミニトーク"のような枠の中に、ゲストとして柳瀬さんが出る形です」
『あー……』
篤志の声が、一瞬だけ崩れた。
『……すみません、今のは感情です。妥当だと思います』
「同意する」
三枝が提案する。
「仮なら"北海道おいしいものトークステージ"でしょうか。告知文に、"北海道出身の若手アイドル・柳瀬美由紀さんも登場"と入れる形で」
黒川はメモを取った。
「それなら自然です。主役はフェアと商品。柳瀬さんは場を盛り上げるゲスト。──候補ですが、駅前広場の『北海道うまいものフェア』、ちょうどステージの枠を探していたはずです。当たってみます」
久住は資料へ追記した。
告知上はイベント名・商品名を主軸とし、柳瀬美由紀は出演ゲストとして記載する。
本人の役割は、フェア全体の魅力を補助し、来場者が売場へ足を向けるきっかけを作ること。
『久住さん。今の、ちょっと補助線っぽいです。美由紀ちゃんが主役を奪うんじゃなくて、フェア全体を楽しくする。周りを巻き込む子だから、イベント自体の補助線になる』
「営業資料には書かないが、理解としては悪くない」
『はい』
打ち合わせ後、三枝は廊下で久住へ言った。
「今日の提案、良かったです。美由紀さんを大きく見せようとしすぎなかった。今の彼女に合う仕事の大きさを選べていました」
久住は少し黙った。
今の彼女に合う仕事の大きさ。
それは、管理ではなくプロデュースの言葉だった。
『大きければいいわけじゃないんですね』
「そうだ」
『名前が前に出ないの、正直ちょっと悔しいです。でも、美由紀ちゃんがちゃんと届く形なら、その方がいいです』
「理解しているならいい」
その日の夕方、営業部経由の連絡が来た。
主催側へ打診しました。
「北海道出身の若手アイドルによる親しみやすいミニトーク」という方向で感触あり。
商品紹介よりも、会場の雰囲気づくりとファミリー層・若年層の足止めを期待しているとのこと。
詳細調整に入ります。
久住はメールを読み、手帳を開いた。
冠企画ではなく、フェア内ミニトークゲスト。
役割は足止め・場づくり・売場回遊。
トーク軸は、食べる楽しさ、問いかけ、親しみ、生活実感。「届くまで」は補助軸。
本人の名前より、イベント全体の中で自然に見つかる形を優先。
本人への説明は決定事項として渡さない。どう思うかを聞く。
篤志がそれを読んで、少し笑った。
『自然に見つかる形』
「不満か」
『いいえ。むしろ、好きです』
少し間を置いて、篤志は続けた。
『俺、生前なら、もっと大きく出してほしいって思ってたかもしれません。タイトルに名前を入れてほしい。もっと目立ってほしい。もっと見つかってほしいって』
「今は」
『今は、ちゃんと見つかってほしいです』
久住は、その言葉に少しだけ目を伏せた。
ちゃんと見つかる。曖昧だが、悪くない言葉だった。
「そのために、仕事の大きさを間違えない」
『はい』
「カニの話だけを背負わせない。楽しく話すこと、周りを巻き込むことも含めて見る」
『はい』
久住は画面を閉じた。
この仕事は、まだ決定ではない。だが、柳瀬美由紀が外の世界に少しだけ見つかるための、小さな入口になりそうだった。
通りすがりの誰かが、「ふーん、面白い子だな」と足を止める。
そのくらいの始まりでいい。
いや、そのくらいの始まりがいい。