二人の守り人 作:last cinders
イベント翌日の事務所は、いつもより少しだけ静かだった。
大きな事故はなかった。
物販列も崩れず、プレゼント受付も滞りなく終わり、遅れて到着したゲストの出番もほぼ予定内に収まった。現場で細かな修正はいくつもあったが、それらは報告書に書けば「軽微な調整」として処理される程度のものだった。
成功という言葉を使うには、少し派手さがない。
だが、久住遥真の仕事では、それでよかった。
派手な成功より、事故のない終了。
拍手より、記録の整合性。
称賛より、次回も使える改善点。
久住は自席でイベント報告書を作成していた。
件名、週末ミニイベント実施報告。
会場、ショッピングモール中央広場。
来場状況、想定範囲内。
物販、購入制限変更により混乱なし。
プレゼント受付、保管導線変更により滞留なし。
出演者遅延対応、司会進行調整により大幅な押しなし。
頭の中で、瀬戸篤志が静かに読んでいる。
『報告書になると、あんなにバタバタしてたのが短くなるんだね』
「報告書は物語ではない」
『身も蓋もない』
「読む側が必要な情報を拾えればいい」
『でも、"長谷川さんが倒れなかった"とか、"ことねさんが空気戻した"とかは書かないんだ』
「書かない。必要なら別の共有で触れるが、この報告書の主旨ではない」
『そっか』
篤志は少し残念そうだった。
久住はそれを、なんとなく理解できるようになっていた。篤志は出来事を感情ごと覚えようとする。
誰がどんな顔をしたか、どこで空気が変わったか、何が救いになったか。久住は逆に、それを業務として扱える形へ削ぎ落とす。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、仕事の場では、感情をそのまま報告書へ載せるわけにはいかない。
『久住さん』
「何だ」
『俺、昨日のこと、忘れたくないなと思って』
「忘れなくていい。報告書へ全部書かないだけだ」
『あ、それでいいんだ』
「記録には種類がある」
『久住さんのノートには書く?』
「必要な範囲で」
『必要な範囲』
「君は油断すると全部を記念碑にする」
『刺さる』
「刺した」
篤志は小さく笑った。
イベント当日を越えてから、篤志の声は少し落ち着いていた。
昨日のステージ、出演者、客席の拍手、そして客席の外側にいる感覚。
そうしたものが、まだ彼の中で整理されているのだろう。
久住は、それを無理に急かさなかった。
今日の篤志は、業務中の発言も少ない。
『一度だけ。報告書の物販のところ、購入制限"変更"だけだと、最初から三点だったみたいに見えるかも。前日判断って書く?』
「書く」
『以上です』
「助かる」
『はい』
そのやり取りも、もう珍しいものではなくなっていた。
午前十時半、報告書を提出すると、すぐに部長からメッセージが来た。
> 久住、十一時に少し時間を取れるか。
> 第三会議室まで。
久住は画面を見たまま、数秒だけ止まった。
『部長さん?』
「そうだ」
『報告書の件?』
「かもしれない」
『怒られるやつ?』
「事故はなかった。大きな問題もない。叱責の可能性は低い」
『じゃあ褒められる?』
「それも低い」
『久住さん、自己評価が硬い』
「用件は行けばわかる」
久住はノートとタブレットを持ち、第三会議室へ向かった。