「ホテルの駅、こんな階段じゃなかったよね……」
単純に言ってしまえば、高坂穂乃果は迷子になった。
高校生で迷子というのも何だと思わないでもないが、異国の地とあっては大人でもナビやいざとなれば英語でコミュニケーションをとらなければならないほどだ。
電車を乗り間違えて逆方向に乗ってしまったが、急いでいた穂乃果はそんなことも確認せずに乗車したせいで気付いていない。
だからまずは位置を把握する必要がある。
いくら見覚えがなくてもマップやナビ機能を使えばここがどこなのか大体で分かるし、または誰かと連絡をとって教えてもらうことが先決だ。
そう思った穂乃果はまず携帯を取り出してホーム画面を開いた。
そこには通知画面が写っていた。
岡崎拓哉からだ。
『降りた駅の近くにいろ。絶対遠くに行くんじゃねえぞ』
この文脈だけで分かる。
少年が自分を探しに来てくれているのだと。
「そうだ、返事しなきゃ……あっ」
返事を打とうとした瞬間、携帯の画面がプツンと切れた。
今日は要所要所で携帯を扱っていた。写真を撮ったり検索をしたりと。しかしそのせいでよほど電池を喰っていたらしく、ここにきて充電が切れてしまったのだ。
「ど、どうしよ……」
これでは返事を返すことも連絡もできないし、何よりナビ機能が扱えないことが一大事である。
携帯用充電器を持って来ればよかったと今更思っても時すでに遅しだった。
(で、でもたくちゃんが今私を迎えに来てくれるなら、あんまりここから動いちゃダメだよね……)
返事はできなくても少年からのメッセージを読めば既にこちらへ向かっているということくらいは分かる。
向こうは携帯で地図を見えるから、おそらく線路沿いに走ってきているはずだ。
(できるだけ目立つところにいた方がいいのかな……)
そう思ってどこか見つかりやすい場所を探そうとして周りを見渡した瞬間。
どこかからか歌声が聴こえてきた。
この街は基本的に夜でも人通りは多いほうであり、それに伴って喧騒もそれなりにある。
しかし、その歌声だけはスッと穂乃果の耳に入ってきた。
ストリートライブなんて日本でも珍しくはない。アメリカとなれば至るところでやっているのは事実だ。
アメリカからすれば何気ない日常の中にあるほんの少しの刺激。
そのせいなのかは定かではないが、自然と穂乃果はその歌声へと吸い寄せられていくように駆けていく。
駅の出口から離れないほうがいいと分かっていても、その足は止められなかった。
人だかりを掻い潜りながら道路を渡って歌声の主を確かめに急ぐ。
「あっ……」
歩道からほんの少し外れた路地で、その主はいた。
曲を鳴らし、スタンドマイクで歌っているその姿を見て思わず口から漏れた。
決して高くはない身長。アメリカ人特有の髪の色でもないし、どちらかというとアジア系の人物に思える。
何だか他人のような気がしない。単純にそう思った。同じ日本人のように見えるからだろうかとも思ったが、思考はそこで中断された。
(凄い……)
英語ド素人の穂乃果でも分かるような、流暢で綺麗な英語の歌を発音も完璧で歌われている。
何よりも惹かれるのは、その表現力だろう。歌声には様々な歌い方などの種類がある。
こぶし主体の演歌や高音域やビブラートが特徴的なオペラといったところが例えとしてはいいとこかもしれない。
そして、どの歌や声にしても、それを演じたり歌う者の表現力が問われることが多い。
歌が上手いだけじゃ人の心には響かない。歌う表現者によって聴き方は変わってくると言っても過言ではないのだ。
とどのつまり、穂乃果はその歌声に聴き惚れた。
言葉に表現するのが難しいと思えるほどに、その場から一歩も揺らぐことなく聴き入ってしまう。
歌詞の意味は分からない。ラブソングなのかもしれないし、失恋ソングかもしれない。はたまた狂気に満ちた歌詞かもしれない。
けれど、そんなものは穂乃果からすれば些細なことに過ぎない。いいや、意味は分からなくても何となくで感じることはある。
きっと歌われているこの歌詞は、優しいものなのだと。そんなこと、今歌っている女性の表情が全てを表しているのだから。
数分たった頃、曲が終わって再び道を歩く人々の喧騒が耳に侵入してくる。
無自覚に余韻に浸っているあいだにその女性は聴いてくれた客へ感謝の言葉を向けていた。
統率の取れていない拍手が蔓延る中、その音に気が付いた穂乃果も自分の存在を主張せんとばかりに大きく手を叩き続ける。
だからだろうか。
周囲の人間よりも小さく見えたその少女から発せられた大きな拍手に、女性シンガーが気が付いた。
段々と散らばっていく人の中で穂乃果と女性の目が合うと、その女性は微笑みながら穂乃果へと近づく。
「見てくれてありがとう。あなたもしかして、日本人?」
「そ、そうです! ……って、に、日本語? お姉さんまさか……」
「うん、日本人だよ」
とんだ救世主のご登場であった。
ここにきて言葉が通じる相手と会えたのは不幸中の幸いといったところだろう。
「見たところ、高校生かな? 夜に女の子一人は危ないわよ?」
「あ、あはは~、それがですね……」
機材を片付けながら話す女性に穂乃果は事の顛末をすべて話した。
何とも間抜けないきさつだったが、事が事なだけに話せずにはいられない。
「なるほどねえ。……よし、じゃあ一緒にそのホテルまで行ってあげる!」
「えぇ! 本当ですか!? でも、ホテルの名前忘れちゃって……」
「だーいじょうぶ。そのホテルの特徴とか教えてくれたらいいよ。これでも結構ここのこと詳しくなったんだから!」
「特徴、特徴……あっ、大きな駅があって、大きなホテルです! あと、大きなシャンデリアもありました!!」
「ふんふん……うん、ならあそこで確定だと思う。それじゃ行こっか!」
何だかとんとん拍子で話が進んでいくことに違和感を感じながらもその女性に着いて行く。
と、ここで何か忘れていないかということに穂乃果はようやく気付いて足を止めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「うーん……何だか大事なことを忘れてるような……」
「大事なこと? ホテルに帰ることじゃなくて?」
「それももちろん大事なんですけど……私にとっては大事というか、忘れちゃダメなというか、忘れたら本気で怒られそうというか、絶対怒られるというか……うう、お腹痛くなってきた……」
「顔が青くなってる気がするんだけど大丈夫?」
心配してくれる女性をよそに、穂乃果は何を忘れているのかを必死に思い出す。
思い出さなくてはこのあと非常に痛い目に遭いそうな予感がプンプンしていると穂乃果の危機的レーダーが警告を鳴らしていた。
あまりに話が上手くいきすぎているせいかすっかり記憶から抜け落ちていたが、このまま駅に向かってはダメだと思う。
そう、自分の今の状況を俯瞰的に見てみればすぐに分かる。
見知らぬ土地で、思いっきり迷子になっている状況なのだ。しかも夜ときた。
高校生とはいえ女の子一人がそうなっていると心配するのが友達であり仲間だ。そして、そんな危険要素がほんの少しでもあれば必ずどうにかしようと動き出す人物が幼馴染にいたではないか。
今にも思い出しそうな、というよりもう思い出した瞬間だった。
微かに遠くから足音のようなものが聞こえてきたような感じがしなくもない。
いいや、これは紛れもない足音だ。
ただ、普通の足音ではない。トコトコと歩いている音でもなく、タタタタッと走っているような軽やかな足音でもない。
それは幻聴でも錯覚でも何でもなく、ドドドドドドドドドッ!!という激しい音と共にだんだんこちらへ近づいてくるのを穂乃果は背後から感じた。
「何か音するけど、何かしら? こっちに近づいてる? ってどうしたの?」
「あ……あぁ……ぁぁ……」
女性が心配して顔を覗いてくるが、それに反応しない。というかできない。
それよりも背後に視線を向けるのが恐ろしすぎるという感情が遥かに上回っている。
あの足音の正体を高坂穂乃果は知っている。
人通りが多いにも関わらず、その足音はリズムを崩すことなく向かってきている。
いったいどういう理屈と原理で人間からあんな足音が出るのかとか、人通りも多いのにスピードが落ちることなく走れているのかとか、そういう疑問も出ないではないが、こういう時のあの少年に常識は通用しないのは穂乃果の記憶を振り返ってもよく分かっていることだ。
だから穂乃果は立ち止まり、振り向きたくない首を恐る恐る後ろへ向けていく。
そのあいだにも足音は大きくなっていき、恐怖心が心を支配してくる。
そして意を決して振り向いた先には。
「……ヒィッ!?」
鬼がいた。
陸上選手もビックリな姿勢とスピードでこちらに迫ってくる鬼がいた。
幼馴染であるはずの、自分の好きな人であるはずの少年が鬼の形相でこちらに向かってきている。
少年の後ろでは何故か土煙のようなものが舞っており、何だかマンガの1シーンを彷彿とさせるような気がしないでもない。
ともあれ、あちらのターゲットは間違いなく自分だと120%の確信で言える穂乃果だが、あの顔を見てしまったせいで逃げたい気持ちが半端ない。
しかし、あまりにも威圧的すぎるオーラのせいか、まるで足に釘を打たれているかのように動くことすらできなかった。
言うなれば詰みだった。
ガクブルと震える足を動かすことはできず、何かもう死ぬんじゃないかというプレッシャーまでしてきそうな感覚に陥る。
だが、そんなことお構いなしなのが鬼である。
「ほォォォのかァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
「ヒィィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!?」
ここがアメリカだということなんて忘れて思い切り悲鳴が出た。
完全にロックオンされた穂乃果に鬼の顔を冠する少年はすぐに近づいて、力ある限り穂乃果の頬を引っ張った。
「テメェこんの大バカ野郎があ!! 一人で電車間違えて逆に行ってんじゃねえよアメリカに来てまでトラブル起こしてどうすんだお前は!? 汗水垂らして駅一本全力疾走する俺の気持ち考えろやウスラトンカチ!! お前はバカなのか!? もしくはアホなのか!! あほのかなんだな!?」
「いだだだだだだだだだだだだだッ!?
「ええい何言ってるか全然分からんわ! 走ってるあいだいったいどれだけ俺が心配したと思ってんだこの野郎!! ここは日本じゃねえんだからいつもみたいにどうにかなると思うなよ!」
「あ、あの~、君がほっぺ抓ってるからうまく喋れないんじゃないかな~って思うんだけど……」
「ああん!? 誰だか知らねえけどこれはうちの子の問題なんだから関係ねえヤツはだま……日本語?」
ここでようやく鬼の少年こと岡崎拓哉が女性を認識した。
女性の風貌を見ながら穂乃果の頬から手を引く。
「うぅ~、ほっぺが伸びたかと思ったよ~……」
一人頬を押さえながら痛がっている穂乃果をよそに、拓哉は女性に尋ねた。
「アンタ、じゃない、あなたって日本人……なんですか?」
「うん、まあね。とりあえずここじゃ今のあなた達目立っちゃうし、駅に行こっか」
先ほどの怒声と悲鳴のせいで若干行きかう人々の視線を集めちゃっている拓哉達はそそくさと地下へと下りていく。
少年とその女性の出会いは、何とも言えない雰囲気の中で邂逅された。
さて、いかがでしたでしょうか?
先週は更新できず申し訳ございませんでした。
リアルが忙しく、そして最近ハマったゲームのせいで執筆の時間が全然取れないでいた感じです。
今週からとうとう出てきた謎の女性シンガー。
その存在は、この物語では本編とはまた違うキーパーソンとなっております。
その役割についてはまた後日明らかになっていくでしょう!
いつもご感想高評価ありがとうございます!!
これからもご感想高評価(☆10)お待ちしております!!
今期アニメのウマ娘が面白すぎてゲームの方を事前登録しちゃいました。