もはや記憶すら曖昧だった。
休日は脳を休めるためにできるだけ家から出ないように心掛けていたが、いざおつかいを頼まれて外に出たら亜里沙と出会い、そして最悪の事実を聞かされた。
実質上のμ's解散。
それを聞かされ、亜里沙の制止の声も聞かず、死んだように家に帰っては自室へすぐに行って意識を闇に落とした。
結局そのまま朝まで寝て、せっかく唯が作ってくれた朝食にも手を付けずに学校へと出向く。
気付けば既に放課後になっていた。
もちろん誰とも喋ってはいない。席が前にいる穂乃果でさえ、一切後ろへ振り向く事はなかった。海未もこちらを軽く見るように一瞥してから、何も言う事なく去って行く。ことりは留学準備で学校にすら来ていない。
これが今の現状。
今まで仲が良かった幼馴染の現状。崩壊してしまったμ'sの現状。
(……いや、これは崩壊なんかじゃない。俺が……俺がμ'sを破壊してしまったんだ)
間違った選択をしたから、取り返しのつかない結果になってしまった。その罪悪感が拓哉の心をどんどんと削っていく。まるで悪魔にゆっくりと貪られていくかのように。それはドス黒い何かに変わっていき、絶望へと拓哉を導く。
(もう……ダメだ……どうしようもない……)
ことりは留学、穂乃果はμ'sを辞め、海未は弓道部へ専念、自分は何も出来ずに佇んでいるだけ。結果から見れば、それが全てを物語っていた。ここまで来てしまったら、もう修復は不可能だと、どこをどうしても関係を回復させる事はできないのだと思い知らされる。
(俺が今更どうにか動いたところで、上手く収まってくれるような事態じゃない……。それに、俺があいつらのために勝手に動いて、もしその行動の結果がまた裏目に出てしまったら……?より最悪の事態を引き起こしてしまったら……?それこそ絶望に絶望を上書きするだけの愚策になっちまう……)
拓哉がまた行動に出たとして、それが良い方向へ向くとは限らない。むしろその逆だってありうる。今までが今までなだけに、ここにきて拓哉は怯んでしまう。もしかしたらの可能性に。
ふと辺りを見回したら教室には拓哉以外誰もいなくなっていた。
(……帰るか)
鞄を手に持つ。μ'sの手伝いを辞めた拓哉からしてみれば、放課後に学校で居残りをする理由なんてどこにもなかった。さっさと帰った方が家で涼めるから帰るに越した事はない。……胸に変なわだかまりがなければ。
1人静かに教室を出る少年の瞳は、光という光を失っているようにも見えた。
―――――――――――――――――――――
(お兄ちゃん……どうしたんだろ……)
とある中学校。
その廊下を歩いている岡崎唯は実の兄、岡崎拓哉の心配をしていた。
(最近色んな事が起きてたから疲れてるのは分かるけど……昨日はそれどころじゃなかったような気がする)
昨日、おつかいを頼んで外に出ていた拓哉が帰って来たと思えば、頼まれた買い物袋をリビングに置いてすぐさま2階へと上がっていった。それなら数日前にも同じような事があったが、それ以上に拓哉の顔が思い詰めていたように見えた。
「どうしたの、唯。何か悩んでる風な顔してるけど」
一緒に下校している帰宅仲間の、高坂雪穂が隣で問いかけてきた。
「うん……、実は、お兄ちゃんの様子がおかしくて……」
「ッ……」
それに反応したのは、もう1人一緒に帰っている絢瀬亜里沙。彼女の肩がビクッと微かに震えるが、唯を見ている雪穂と、俯いている唯はそれに気付きはしなかった。
「たく兄の様子が、おかしい?」
「そうなの……。昨日おつかい頼んだんだけど、それまではまだ、何というか……違和感はあったんだけど、それでも何とか大丈夫なのかななんて思ってた。だけど、帰ってきたら……その、人が変わったような目をしてて……、いつものお兄ちゃんじゃない気がして」
唯がそんな事言うなんて珍しい。雪穂はそう思っていた。いつも何か話せばお兄ちゃんお兄ちゃんと拓哉の事を嬉しそうに話す唯が、まるで今は違う人物の話をしているかのような、兄をそんな風に言うなんて、そこまでの事があったのか、と。
「……その様子だと、2人はまだ知らないんだね……拓哉さんと、μ'sに何があったのか……」
唯と雪穂が同時に声がした方へ振り向く。それは発したのは言わずもがな、亜里沙だ。まるで亜里沙だけは、2人と違って何かを知っているような口ぶり。2人より1歩先へ進んでいるような目をしている。
「どういう、事……?」
「亜里沙は、知ってるの?お兄ちゃんが何でおかしいのか。やっぱりμ'sに関係してるの……?」
唯の問いかけに亜里沙は小さくコクンと首を縦に振る。そして口を開く。
「拓哉さんが昨日おかしくなってしまったのは、多分、いや……私のせいなの……」
「…………え?」
信じられないとでも言っているかのように唯の目が見開く。しかし、亜里沙は話す。それでも。真実を伝えたんだと。
「昨日偶然拓哉さんと会って、少し公園でお話をしてたの。μ'sのお手伝いをしてる拓哉さんなら、μ'sの今の状況もきっとどうにかしてくれるんじゃないかって思って、相談したんだけど……拓哉さんはそれを知らなかったみたいで……」
「ちょっと待って」
唯が一旦亜里沙の言葉に待ったをかける。そして考える。整理する。自分の中にできた疑問をそのまま素直に思い浮かべる。
μ'sの今の状況?
拓哉ならどうにかしてくれる?
だから相談をした?
なのに拓哉はそれを知らなかった?
μ'sの中の出来事なのに?
μ'sの手伝いである拓哉が、それを知ってすらいなかった?
おかしい。そんなはずはない。自分の兄は確かにいつもμ'sの事を考えていた。その上で何かしら行動に出て、μ'sのためにではなく、自分のために動いているのを唯は知っている。
だからこそおかしい。
μ'sに問題があれば拓哉はそれを必ず知っているはずなのだ。手伝いとしていつも側にいる拓哉が知らないはずがない。なのにそれを知らない?
(それじゃ、まるで……)
唯がその結論に至る前に、待ったを掛けられていた亜里沙が再び言葉を紡ぐ。
「拓哉さんは、μ'sのお手伝いを辞めてたの」
「そん、な……!?」
驚く雪穂を他所に、薄々とそう思っていた唯はさほど動揺はしていなかった。その方が辻褄が合うのだから、むしろ少しだけ納得がいった。だけど、まだ疑問は残っている。
「じゃあ、何で……お兄ちゃんはお手伝いを辞めたの……?」
1つ目の疑問。
よっぽどの事がない限り、拓哉がμ'sの手伝いを辞めるなんてあり得ない。唯はそう思っていた。なのに実際拓哉は辞めてしまっている。それは何故なのか。何が拓哉をそうさせたのか。
「唯って、ことりさんとも仲が良いんだよね……?」
「えっ?そう、だけど……」
「これもお姉ちゃんから聞いたんだけど……ことりさんがね、留学するらしいの」
「…………は?」
またも予想外の言葉が唯の頭を支配した。
ことりが留学?ずっと穂乃果や海未と一緒にいたのに?それに、拓哉だってこの街に帰って来たのに……?
そこから亜里沙は話した。
何故そうなったのか。そこまでの経緯を、絵里から聞いた話を唯と雪穂にも話す。ことりが留学の事を訳あって話せなかった事。それが穂乃果が倒れ、拓哉も落ち込んでいた時期と重なっていた事。
いよいよ留学の話をして、ことりと穂乃果が仲違いしてしまった事。そこから拓哉の様子がおかしかった事。μ'sの関係が、どんどんこじれていってしまった事。
そして。
「穂乃果さんは辞めるって言おうとしたんだと思う……。ここからは昨日拓哉さんから聞いた話だから私の憶測なんだけど。穂乃果さんがそれを言う前に、拓哉さんはそれを阻止しようとして、先にお手伝いを辞めるって言ったんじゃないかなって……」
「お兄ちゃんが、そんな事を……」
「お姉ちゃんが、μ'sを辞めたなんて……聞いてないのに……」
μ'sを守るために、自分が離れる。そうする事で、関係は修復されると兄は信じていた。
だけど。
「でも、結局穂乃果さんもそのあとすぐ辞めちゃったらしくて……拓哉さんはすぐ教室に戻ったからそれを知らなかったみたいなの」
「……じゃあ、お兄ちゃんは自分の選択が間違ってた事を知って、その選択が穂乃果ちゃんが辞めるのを助長させたんだと思って、様子がおかしくなったの……?」
「多分……。凄くヒドイ顔してたから、そうなんじゃないかな……」
「……、」
亜里沙は申し訳なさそうな表情をしていた。拓哉ならまた解決してくれると思って言ったのに、余計追い詰めるような事をしてしまったのだから。妹の唯に怒られても仕方ないと思っている。
しかし。
「ありがと、亜里沙。わざわざ言いにくい事を言ってくれて」
「え……?」
唯は怒るどころか、むしろお礼さえ言った。
穂乃果がμ'sを辞めた事を知らなかった雪穂もキョトンとしたまま唯を見ている。
「そもそも私だって間違ってたんだ……。お兄ちゃんが辛い思いをしてるのに、すぐ相談に乗ろうともしないで言ってくれるのを待ってるなんて……。お兄ちゃんが私に気を遣ってことりちゃんが留学するのを黙ってるのも私が無理矢理聞き出せば良かったんだ」
「ゆ、唯……?」
雪穂が恐る恐る言うも、唯はそれに応じなかった。独り言にも似たようなそれはまだ続く。
「確かにことりちゃんが留学するなんて聞いたら辛いけど……それ以前の話だよ。お兄ちゃんが辛い思いをしてる方が、私にとっては1番悲しいんだもん……。例え間違った選択をしたんだとしても、私はお兄ちゃんを支えないといけないんだ」
そうだ。
何が言ってくれるのを待ってるだ。待ってるだけじゃ何も変わりはしない。自分から動き出さないと、結末は暗いまま変わりなんてしやしない。
両脇にいる親友は、それを微笑んで見てくれていた。だから静かに前を見据える。誰もいないと分かってて。それでも見えない“何か”に挑戦するように。
「お兄ちゃんは今、多分、今までで1番酷い状況に陥ってると思う。昨日目を見たから何となくでも分かるんだ。あれは絶望してる目なんだって。諦めきってる目なんだって……。悲劇を目の前にして、崩れ落ちている目なんだって……。そんなのはいけない。そんな悲しい結末なんてあっちゃいけない……。そんな事には、
ヒーローの娘であり、ヒーローの妹である少女は。
無意識に、父と息子の“口癖”に似たその言葉を放つ。
「そんなくだらない結末で終わらせないんだから!!」
―――――――――――――――――――――
噂は校内ですぐに広まっていた。
元々生徒数が少ない音ノ木坂学院なら尚の事、その噂は急速に全校生徒に知れ渡っていた。
「何だか大変な事になったねえ……」
「まあ、ランキング上位で注目度も高かったμ'sが消えて、しかも活動休止ってなったらそりゃあね」
「原因は穂乃果が辞めたからって話だけど……」
そんな中、いつもμ'sがライブやPVを撮る時に手伝いをしている3人の少女がいつものように話している。
「でもさあ、それを拓哉君は許すと思う?」
「あっ、それなんだけど、私真姫ちゃんから聞いたの。穂乃果が辞める前に、拓哉君がμ'sの手伝いを辞めたんだって」
「はい?何してんのよあのバカ男子は」
別段、他の生徒とは違って冷静に落ち着きながら会話を続けている少女達。
「真姫ちゃんの話によると、もしかしたらμ'sのためと思って辞めたんじゃないかって」
「でも結局穂乃果が辞めたなら意味ないよね……」
「それで今日全然会話もなかったし、拓哉君に至ってはひっどい顔してたわけか」
驚愕よりも先に呆れを感じていた。伊達に少年少女達と長く付き合っているわけではないと思わせられる。
だからこそ。
「……ねえ、ことりちゃんも留学しちゃうってのに、このまま険悪なままで終わっていいと思う?」
ショートヘアの少女が問いかける。
「そんなの、ダメに決まってるでしょ?」
そんなのは愚問とばかりに、おさげで小柄の少女が即答で答える。
「じゃあ、まずは黒一点の落ち込んでる男の子をどうにかしないとねっ」
最後に、ポニーテールの少女がやるべき事を提示する。
そして。
「んじゃま、明日にでもやりますかッ!」
―――――――――――――――――――――
放課後であっても、生徒が決していないわけではない。
普通に廊下を歩きながら喋っている生徒もいる。
「μ's活動休止しちゃったんだって!」
「え~!せっかく人気が出てこれからだったのにい!!」
「ホントだよ~残念だな~」
「岡崎君も辞めちゃったんだ~」
すれ違いざまにそんな会話を聞いていた女教師が立ち止まり、その話をしている女生徒達の方へ振り向いた。
もちろん、その女教師も噂についてはすぐに伝わってきた。
授業中やHRの時の少年の顔を思い出す。
その上で。
「ったく、仕方ねえな」
―――――――――――――――――――――
歩いていると、携帯が軽やかなメロディと共に震えた。
すぐにそれがメールだと確信して内容を見る。そこにはこう書かれていた。
『μ'sは活動休止になっちゃって……その……穂乃果ちゃんが辞めちゃって……拓哉くんも辞めちゃったの……』
最後まで見て、溜め息を吐いてから乱暴に携帯をポケットに仕舞う。
そして歩き出すが、徐々にイライラが募りまた立ち止まる。
フルフルと小刻みに震える握り拳を顔の前まで持っていき、肩まであるかないかくらいの茶色がかった髪の少女は、誰とも関係ない場所を見据え、バカな少年を想いながら小声でイライラを発散させる。
「何やってんですか……あのバカな先輩は……」
―――――――――――――――――――――
「……、」
そして。
ヒーローの元凶であるどこぞの親は、何も知らないまま空を見上げていた。
―――――――――――――――――――――
岡崎拓哉はもはや諦めていた。絶望しきって、輝きを失ってすらいた。
μ'sを守るヒーローが、いなくなろうとまでしていた。
しかし、まだ諦めていない者もいる。
1人の少年と9人の少女達のために。
今まで粒子のようなちっぽけだったものが、確かな大きい光となって。
複数の希望が、静かに立ち上がる。
ヒーローは、決して1人ではない。
さて、いかがでしたでしょうか?
ヒーローが1人だけなんて誰が言った?
誰かが絶望しない限り、希望は必ずある。
いつもご感想高評価ありがとうございます!!
新たに高評価を入れて下さった、
ことりちゃああんさん、stomatoさん
大変ありがとうございました!!
これからもご感想高評価お待ちしております!!
中々熱い展開だと思ってる。