つまり、みなさんお待ちかねの唯回(過去編)です!!
あとがきの方に岡崎唯のアナログイラストを載せますので、本当に見たい方のみどうぞ。
可愛らしい、いかにも女の子の部屋ですよという感じの一室だった。
そこでいそいそとちょっとした掃除をしている少女が1人。
「勉強の息抜きついでに掃除してたら止まんなくなっちゃった」
岡崎唯。
岡崎拓哉が溺愛している妹であり、唯もまた、兄の拓哉を溺愛しているという、現実的に考えると中々にあり得ない感情を持ち合わせている兄妹の1人である。音ノ木坂学院に入学するために毎日勉強していて、休日の今日もまた勉強していたのだが、頭の使いすぎは注意とも言う。
だから休憩するついでに自分の部屋を少し掃除したり整理整頓などしていた。
普段は絶対にやらないのに何故かこういう時は熱心に掃除に身が入るという人は多いだろう。もちろん兄に嫌われたくない唯は常に部屋を傍から見れば綺麗にしているが、他人と自分とじゃ感性が違う事も承知している。
そのために今日は結構隅から隅まで熱心に掃除している。
「いつもは見ないけど、ここら辺もちょっとだけ整理しよっかな~」
岡崎唯は基本必要最低限の物しか使わない人種である。だから普段使う物は1番上の引き出しやたまに使う物は2番目の引き出しに入れている。では、1番使わない、使用しない、普段見ない物は最下段に仕舞っているという事。
いらない物があったら整理しようという軽い気持ちで取っ手に手を掛けてそれを開ける。
案の定、普段は見ないような物がビッシリと詰まっていた。
「こ、こんなに入れてたっけ……」
少し過去の自分の記憶を疑心暗鬼しながらも次々と中にある物を出していく。
そんな時だった。
「あっ、アルバム入ってる」
どこか古く感じるような分厚めのアルバムに目が入る。
他の物とは違う、自分の思い出が一層に詰まっている大事な物だからこそ、それを手に取って捲る。
「うわ~、懐かしいな~……」
ゆっくりと観賞しながらペラペラと捲っていく。両親の冬哉と春奈が息子娘を溺愛しすぎて写真を撮りまくっていたせいか、様々な写真があった。さすがに赤ちゃんの頃の写真などは両親の部屋にあるが、歩けるようになってからの写真は多々あるのが見て分かる。
小さすぎてよく分からないにも関わらず冬哉ではなく拓哉の背中に着いて行く唯。
自分の妹という事もあり背中に唯を乗せて喜ばせる拓哉。
冬哉に肩車されて無邪気にハシャいでいる唯。
転んで膝を擦りむいた唯を泣きそうな目で見ている冬哉と、泣いている唯をおんぶしながら歩いている拓哉。
「お兄ちゃんも小っちゃい頃は可愛いなぁ~。今も可愛いところはあるけど、どっちかって言うとカッコいい方だしね!」
自分ではなく拓哉の方を見て感想を述べているのが割とガチっぽいがそこは内緒である。
懐かしい本やアルバムが出てくるとそれを見てうっかり掃除を忘れるという事は少なくはないだろう。今の唯は完全にそれだった。
「あはっ、小3のお兄ちゃんがリレーで1位取った時のだ。手作り感満載のメダルを掲げてしてやったりなこの顔が当時の私にはカッコよくて堪らなかったんだろうな~」
右手にメダルを持って上に掲げているドヤ顔拓哉に嬉しそうに抱き付いている唯の姿があった。1位をとった拓哉よりも笑顔なのはよほど兄がトップを取ったのが嬉しかったのだろう。
ちなみにこういう写真は普通拓哉の部屋にあるアルバムに入っているはずなのだが、アルバムに入れる時の唯が冬哉に向かってとても無表情で「お父さん、その写真は唯のアルバムに入れてね……」と言ったのが原因だろう。その時の冬哉の顔は蒼白だったとか。
唯のアルバムにやたらと拓哉の写真があるのは大体
「あ、これって……」
はにかみながらページを捲っていた唯の手が止まった。
ある1枚の写真だった。
他の写真と比べてみても普段と何も変わらない写真に見えるが、唯にとってそれは今でも記憶の中に鮮明に覚えている。家の前でニカッと笑いながら大きな手を拓哉の頭に乗せている冬哉に、顔の所々に傷やガーゼを貼っている少しふて腐れている小学5年の頃の拓哉に、拓哉に抱き付きながら涙目になっている小学3年の頃の唯。
普通の人が見れば何があったかは分からないだろう。
だが唯には分かる。何故自分が拓哉にくっつきながら涙目になっているのか、何故ふて腐れている拓哉の顔に複数の傷跡や応急処置が行われているのか。
(上級生にイジメられてた私を、助けてくれたお兄ちゃん……)
その日から、唯は余計に拓哉に対して愛情を抱くようになった。
―――いつだって、記憶は鮮明に“それ”を思い出す。
―――――――――――――――――――――
はっきり言えば岡崎唯は美少女である。
まるでそれが未来でも約束されたかのように思えるほどの容姿。
小学生というのは色々と多感な時期でもある。
幼稚園と比べれば物心はハッキリとしていて、自分の得手不得手、好き嫌い、やりたい事やりたくない事、そういうのが自分で分かってくる年頃だ。
しかし、それと同時にやっていい事とやってはいけない事の判別がまだできない年頃でもある。
自分の価値観と世間の価値観がまったく違う事に気付いていないのが何よりの証拠だろう。
そして、それによって必然的に起きてしまうのが。
“イジメ”。
小学校、中学校、高校と、イジメの印象が強いのが大体この3つに占められる。
そして、陰湿なイジメが多い高校や中学とは違ってクラス中で大っぴらに、それも誰が見てもイジメだと分かるような事をする子供が必ずいた。
まず何故イジメが起きるのか、簡単に思い浮かべてみれば分かりやすいかもしれない。
例えば小学生と言えば元気でありヤンチャでもあり、何より周りの生徒とよく遊ぶというのが出てくるだろう。
なら、その逆を考えてみればすぐに答えは出てくる。
簡単だ。周りよりも元気がなかったり普段暗い雰囲気を纏っていたり、大人しい性格の子。そういう子供が主にそういう対象になってしまうのだ。
だが、岡崎唯はそれとは違っていた。
別段、元気がないわけではないし、ましてや暗い雰囲気とは逆に明るい雰囲気を醸し出している。仲の良い友達とは普通に外で遊んだりもしている。
なのに、岡崎唯はイジメを受けていた。とてもシンプルな理由で。
嫉妬。
小学生にもなれば自分がどういう類のルックスを持っているかが分かる。岡崎唯の場合、自分ではそうは思っていないが、周りからすればどう見ても可愛い分類に入る女の子だった。
それ故に、同じクラスの女子からの嫉妬を無意識に買い、唯からすれば理由のないイジメをずっと受けているという事になる。
そんな小学3年生の頃。
休み時間の時だった。
いきなりガタンッ!と机にぶつかる音が教室内に響いた。
『あ、ごめんねー!岡崎さんの可愛いウサギさんの筆箱落としちゃった~!』
唯と同じクラスの女子だった。
あからさまにわざとという事は表情からしてすぐに分かる。見た目を言えば顔は中の上辺り、上の中はある唯と比べたらどうしても見劣りはしてしまうが、普段が明るい性格のせいもあってかクラスの中では上位カーストにいる女子代表的な存在でもあった。
『ううん、大丈夫だよ。立花さんこそ机にぶつかって痛くなかった?』
クラスの代表的存在の女子に逆らえばどうなるかは一目瞭然。今のイジメがより加速するだけ。だから唯は自分がイジメを受けていても、何も気づかないフリをしてただただ取り繕うように接する事を選んだ。
あくまで笑顔で言いながらお気に入りのウサギ柄をした筆箱を拾おうとする。
その瞬間。
ダダダッ!と誰かの走ってくる音が近づいて来て、拾おうと屈んでいたすぐ目の前を通り過ぎた。
落ちているウサギ柄の筆箱を物ともせず。
『ッ……』
『あーあ、ちょっと男子ィー、教室の中は走ったらダメでしょー!岡崎さんの筆箱まで踏んじゃってさー!!』
『おー悪りぃ悪りぃ!!急いでたから
嘘だ。最初にそう思った。
明らかにこれは意図的にしたものだと確信する。でなければ、立花と呼ばれた女子も、走っていた男子も、隠そうとして隠しきれてない見下した笑みをこちらに向けるわけがないのだから。
『……うん、下なんてあんまり見ないからしょうがないよねっ。それより筆箱に躓かなくて良かったよ~』
『『……、』』
必死に取り繕うように笑う。
それが立花という少女も側にいる男子も気に食わなかったらしい。直前まで見せていた余裕の笑顔が消え失せ、苛立ちを隠せない表情で唯を見下ろしていた。
『……へえ、じゃあごめんねー。私達今から外で遊んでくるから。……筆箱の中身、何も壊れてないか確認しときなよ~?』
それだけ言って立花と男子は教室を出て行った。
少し出て行った先を見てからゆっくりと落ちていた筆箱を拾う。
案の定、上履きで踏まれたせいか少し黒くなっていた。
軽く手ではたくも黒くなったそれは簡単に取れてはくれない。仕方なく筆箱をいつも置いている位置に戻す。
今の状況を客観的に見ている人がいれば、迷わず異常だと言うだろう。教室内にいる生徒は何も唯だけではない。複数人の生徒も
あれだけあからさまなイジメの現場を見て、誰も止めず、誰も見て見ぬ振り、いつも通りの休み時間を笑顔で過ごしている。まともな人がこの中にいれば軽く吐き気を催すくらいの異様な空気が教室内には漂っていた。
結論的に言うと、このクラスのほぼ全員がグル。クラスの代表的存在である立花という少女を筆頭に、大っぴらで、けれど悪質に陰湿に、そのイジメは実行されていた。クラスの人気者である立花がそうと決めればクラスの総意見はそのままその答えに直結する。してしまう。
立花の意見が全て。まるでそれが当然かのように思えてしまうほど、このクラスは立花という少女に従っていた。中には不本意で唯をイジメたり無視しているクラスメイトもいる。だが逆らえない。逆らえば今度は自分がイジメの対象になるから。
それが嫌だから誰も唯を助けない。かつて一緒に遊んでいた友人も当然のように唯を無視する。その事に対して唯は別に不満を持っているわけではない。普通に考えてみればその選択が正しいのだから。
自分がターゲットになりたくないから見て見ぬ振り、もしくはイジメや無視に加担。それは一種の自己防衛本能でもある。だから唯にはその選択をした生徒達を責めるつもりも恨む気持ちも持ち合わせてはいない。当然の事だから。
適当な本を開いて読んでいるフリをしていると、ある少女が教室内に入ってきた。いや、正しく言えば戻ってきた。
『何読んでるの~唯?』
高坂雪穂。
唯と同じクラスの女の子で、唯一クラス全員の意向に反して唯の友人であり続けてくれる大切な少女。雪穂の姉が拓哉ととても仲が良い事から、唯も雪穂と小さい頃からずっと一緒に遊んだりしてきたほどの仲である。
『って、何これ……』
雪穂の質問に軽く答えようとした時だった。雪穂の表情が一瞬で険しくなる。
目線の先にあるのは、少し黒ずんだウサギ柄の筆箱。
『何で唯の筆箱がこんな事になってるの……。まさか、“また”立花さん達が―――、』
『いいの雪穂。私は別に気にしてないから』
唯は笑っている。傍から見れば笑顔でも、雪穂から見ればとても見れるような表情ではない笑顔で。
幼稚園に行く前から遊んだりしていたからこそ分かる。唯の表情に陰りがあるのを。
『だって、この筆箱は唯のお気に入りだって言ってたじゃん!この前買ってもらったって、その時からずっとできるだけ綺麗に使い続けてきたのに……!!』
『筆箱なんて使ってればいつかは汚くなっちゃうから……。ただちょっと汚くなるのが早くなっただけだよ』
『でも……ッ!!』
これ以上は言わないで。そんな顔をしていた。それを察してしまってか雪穂の口はそこで止まってしまう。唯の考えている事が分かるからだ。もしこれ以上言っていれば、恐らく今教室内にいるクラスメイトの誰かが立花に告げ口をしてしまうかもしれないから。
そうなれば、今度のターゲットは雪穂になってしまう。下手をすれば、親友だからという理由で唯も含めて2人同時にターゲットにされてしまう可能性があるからだ。それだけは避けなくてはならない。自分のような思いを、雪穂にはしてほしくない。
『私が我慢してればいいだけだから、ねっ……?』
理解はしても、納得だけは絶対にしていなかった。小学3年など子供中の子供だ。それでも分かる。このクラス内で行われている事がどれだけ間違っている事かを。自分の親友が誰にも相談できず、たった1人で苦しんでいるのを見ている事しかできない。
雪穂は何もできない自分をぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。自分は知っているのに、全ての元凶を知っているのに、雪穂を助ける事さえ叶わない自分に。
『ほら、雪穂も私と一緒にいたら目を付けられちゃうから、今は私に関わらない方がいいよ。また放課後一緒に遊ぼうねっ』
唯に軽く背中を押される。もう行けと言っているのだろう。仕方なく、自分の席へと移動する。チラッと唯の方へ目をやると、唯はまた本の続きを読んでいた。それを見ているだけで苦虫を噛み潰したような思いになる。
あまりにも無力すぎる自分に歯痒ささえ覚えた。苛立ちも感じる。このままにしていても唯はきっと幸せな学校生活を送る事なんてできない。むしろこの小学校での出来事を思い出したくないとまで思うようになる可能性だってある。
それだけはダメだ。3年になってから6か月がたった。今は10月。立花が唯をイジメるようになったのは同じクラスになった4月から。
つまり、6か月のあいだ、唯はずっと1人で我慢してきたのだ。誰にも相談せず、泣きもせず、誰にも気付かれず、たった1人でその苦しみに耐え忍んでいる。
雪穂は思う。
6か月のあいだ、自分は何をしてきた?どうしてきた?唯が苦しんでいるあいだ自分は何かできたか?少しでもこの状況を改善するような行動にでたか?
していない。何もしていない。だから唯がイジメられているというこの状況が一片たりとも変わっていない。思い知らされる。自分の無力さを。非力さを。
だが、もう黙ってはいられない。立花のイジメはどんどんとエスカレートしていっている。このままでは何をしてくるか分かったものではない。
だから考える。
(唯を助けなきゃ……。いくら唯が大丈夫って言っても限界は絶対にあるんだから。……でも、私じゃどうにかする事もできないし……)
小学3年の頭で考えられる事を脳内でフル回転させる。どうしたって自分1人じゃ何もできない。何か起こしたところで自分も的になるだけだ。ならどうすればいいか。元凶の相手は1人だが、その後ろにはクラスという何十人もの配下がいる。
多勢に無勢とはまさにこの事だ。
だが。
(相手はたくさんいるけど、誰も味方がいないよりかは断然良いに決まってる……)
雪穂はその日のうちにそれを決行すると決めた。
放課後。
筆箱の件のあとはそれほど酷い仕打ちはなかった。
そのおかげで唯もまた作り笑いだけして済む事ができた。
『ごめん唯、今日用事あるの思い出したからまた明日ね!!』
『え?あ、うん。また明日……』
お互い手を振るのを確認してから別れる。
雪穂が真っ先に行ったのは、当然家だった。
『あ、お帰りー雪穂~。今日のおやつまたお饅頭なんだよー!洋菓子が食べたいー!!……あっ、あとで海未ちゃんとことりちゃんが遊びに来るから雪穂も一緒に遊ぼうよ!残念だけどたくちゃんは今日宿題終わったらゲームするからって断られたけどねー』
帰るや否や雪穂に気付いて声をかけてきたのは雪穂の姉である高坂穂乃果だった。
子供特有の話してるあいだにどんどんと話題が変わっていくという典型的パターンを繰り広げながらも、雪穂はちゃんと話を聞いて好都合だと判断する。
『……お姉ちゃん、海未ちゃんとことりちゃんが来てからでいいから、お話があるの』
『?』
少しずつだが、確実に流れが変わり始める。
――――――――――――――――――――
『ただいま~』
唯の声が家に響く。
途端、ドタドタドタと入る音を立てながらこちらに近づいてくる足音がした。
『おう、お帰り唯。どうだ、もうすぐ俺宿題終わるんだけど、一緒にゲームでもやるか?』
岡崎唯の兄にして、唯がこの世で1番大好きな自慢の兄、岡崎拓哉が笑顔で話しかけてきた。
『……うん、でも唯も宿題あるからもっとあとになっちゃうけど、それでもいいなら一緒にやりたいな』
靴を脱いでから笑顔で答える。
せっかくの兄の誘いを無下にするわけにはいかない。
『……分かった。焦らなくてもいいからな』
笑顔で頷きながら階段を登り自分の部屋へと向かう。
ちゃんと笑えただろうか。今日はお気に入りの筆箱を汚されたせいか、結構精神にきているようだ。張りつめた笑顔ではなかっただろうか。ちょっとした不安に駆られながらも、同時に唯はどこか期待もしていた。
兄なら、拓哉ならこの状況をどうにかしてくれるんじゃないかと。逆境でしかないあのクラスから自分を助けてくれるんじゃないかと。しかし、自分の問題に大好きな兄を巻き込みたくないという気持ちもある。だからずっと拓哉にも黙っていた。
『……、』
そんな中、岡崎拓哉は唯が去って行った階段をずっと見つめていた。
唯の笑顔に、何か違和感を感じた。
―――――――――――――――――――
次の日の休み時間。
『あっ……』
『あちゃー、ごめんねー岡崎さーん!躓いてお茶零しちゃった~!!』
運動場から帰ってきた立花がわざとらしく唯の机の側で躓くフリをし、既に次の授業のノートを開いている唯の机に水筒に入っているお茶を零した。
『でもわざとじゃないから許してね!!好きでお茶を零すわけなんてないしー!』
そう言いながらも立花はまだ倒れている水筒を拾おうとすらしない。トクトクと未だに零れているお茶を出さないように唯が水筒に触れようとした途端、その手を立花が弾いた。
『ごめーん、この水筒お気に入りだから触らないでほしいんだよねー。ほら、岡崎だけに、おかざ菌がうつったら嫌だし~!!』
教室内に、主に男子の笑い声が響いた。もう、わざとだと自分から言っているようなものだ。陰湿なイジメから、大胆なイジメに変わる。
『た、立花さん……さすがにそれはやりすぎなんじゃ……』
そんな時、クラスメイトの1人の女子が静かにそう言った。それを聞いた瞬間、教室内の笑いは収まり、立花の笑顔が一瞬で険しいものとなる。
『……何?やりすぎって何が?私はただ躓いてお茶零しただけだし?ちゃんと謝ったし?ああ、おかざ菌の事?そんなのただの冗談に決まってるじゃん!ねえ、みんな~』
一瞬の沈黙のあと、そうだそうだという声が次々と聞こえてくる。ただし、先程とは違って数人の女子は黙ったままだった。その誰もが、かつて唯の友人であり、一緒に遊んでいたはずのクラスメイト達。
女子の声が明らかに少なくなったと感じ取った立花は機嫌を悪くしたまま、黙っている女子達に言った。
『なーんで黙ってるのー。もしかして今黙ってる子達って岡崎さんと
誰が聞いても分かる脅しだった。これ以上唯の味方をするなら、今度は一緒の目に遭わせるぞという脅し。それは嫌だ。そう思った女子数人が口を開こうとした時。
バァンッ!と誰かが机を叩く音がした。全員の視線がそこへ向けられる。
雪穂だった。
『……いい加減にしなよ』
『……何が?』
すぐに誰に向けて言っているのか理解した。
立花はそう確信を持ちつつ、わざとらしく雪穂に聞く。
『唯をそんな風に扱って何が楽しいの?誰かをイジメて楽しい?楽しいのは唯をイジメてるあなた達だけだよ。唯の気持ちなんてこれっぽっちも分かってないくせに!!』
『はあ?イジメてなんかないけど?そう見えるだけでしょ?勝手に決めつけないでよ。私はちゃんと謝ってるし、冗談が通じないわけじゃないでしょ?まさか高坂さんって私達が岡崎さんをイジメてると勝手にそう思い込んで言ってきたわけ?何それ、ショックだなー』
『笑って謝ってるくせに何が“ちゃんと”なの。言葉の意味くらい辞書で調べたらどう!?冗談だってそう……言っていい事と悪い事くらい分かるでしょ!!みんなの笑い者にされて、それで唯が本心で笑ってるとでも思ってるの!?』
『雪穂……いいよ、そんな……』
唯が雪穂を止めようとするが、雪穂の中にあるモノが爆発してしまった以上、それはもう止められない。
『唯は優しすぎるんだよ!こんなヤツらのされるがままにされてちゃダメなんだよ!』
『こんなヤツらって、私達の事?勝手に決めつけてきたのはそっちじゃん。どっちがヒドイかなんてみんな分かってると思うけど。先生に言い付けるよ?』
『どうぞご勝手に。それであなた達が悪いって結果になればもう好きにはできなくなるしね。……何で唯をイジメるの?唯があなた達に何したっていうの?何もしてないでしょ?……ネットで調べた事あるけど、イジメって嫉妬からくるものもあるんだって。唯が可愛いからって嫉妬でもし唯をイジメてるなら、立花さん。あなたは顔だけじゃなくて性格も心もブスだよ』
『ッ!!』
立花の顔が怒りで染まった。表情ですぐそれを察した。言われるまでもない。雪穂に図星を言われたからだろう。3年になるまでは知り合いですらなかった立花が、何の接点もない唯に嫉妬を感じたからイジメ始めた事を。
『もういいよ雪穂!私は、大丈夫だから……』
『唯……でも……』
『……もう許さない』
『『え?』』
とても小学3年生の女の子が放つ声ではなかった。その声は低く、どす黒い何かを彷彿とさせるような、そんな禍々しささえ感じるほどのもの。
『このままで済むと思ったら大間違いだから……。私を怒らせた事、絶対に後悔させてやるんだから』
それだけを言い残し、立花は教室を去って行った。
休み時間はもうすぐ終わるのにどこへ行ったかは分からない。
ただ、教室内は物凄く沈黙で包まれていた。
その日の最後の休み時間だった。
チャイムが鳴ると同時に教室を出て行った立花をよそに、珍しく教室にクラスの生徒がみんな残っていた。
先程の事を思い出すと、外に行こうとすら思えないのだろう。
あまりにも異様に感じる雰囲気。
今までとは違う。誰もが笑っているわけじゃない。誰もが立花に対して恐怖しているのだ。今まで立花があんなに怒った事はない。なのに怒らせた。という事は、何をしてくるか誰も分からない。
『……私、トイレ行ってくるね』
『え?あ、うん……気を付けてね』
ある意味においてクラスの中心にいる唯は雪穂にそれだけを言って教室をあとにする。
異様な雰囲気にあてられたという事もあるが、教室にずっといれば気分が悪くなりそうだったからでもある。
トイレを済まし、ハンカチで手を拭きながら廊下を歩く。
『お兄ちゃん……』
ハンカチを見ながら呟く。
そう、このハンカチは兄の拓哉から貰ったものだ。
少ない小遣いを貯めて貯めて、唯の誕生日の日に拓哉が誕生日プレゼントとしてくれたのがこのハンカチだった。今唯の宝物は何かと問われれば、間違いなくこのハンカチだと即答するだろう。
『え……?』
そんなお守り代わりのハンカチを持ったまま教室に戻ると、そこに雪穂はいなくて、代わりに立花とその周りに何人かの見知らぬ男子生徒がいた。
唯を見つけるや否や立花は不敵な笑みを隠そうともせずに指を指してきた。
『あいつだよ、お兄ちゃん。あいつが私の事を悪く言ってきたんだ!』
『……ぁ……え……?』
何がどうなっているか理解するのに時間が足らなかった。
クラスの生徒は黙りながらでもみんないる。ただし雪穂はいなくなっていて、代わりに立花とその兄と思われる男子と他数名の男子生徒。
完全に理解してはいないが、これだけは言える。
自分は今、絶望的な状況にいると。
『お前か、優香を勝手に悪者にしようとしてるヤツってのは。ああん?』
立花の兄であろう男子生徒が唯に近づく。名札を見てすぐに分かった。この男子生徒は6年で、名を立花翔太というらしい。おそらくさっきの休み時間に立花優香が6年の教室に行って兄に言い付けたのだろう。
それで立花翔太が仲の良い数人の友人も一緒に連れてきた、という事だろう。はっきり言って、これはとてもまずい。先程立花優香はこのままで済むと思ったら大間違いだと言っていた。
即ち、何をされるか想像もつかない。
『人の妹を侮辱するなんて、ちょっと反省してもらわないとなあ?』
見ただけで分かる。この立花翔太という男子、小学6年にしては身長がでかい。しかもそれなりに体がゴツく、顔も小学生にしては厳つい。
そう、立花優香が何故いつもあれだけ調子に乗るか、優位に振る舞う事ができるのか、全ては立花翔太にあったのだ。
小学生にしてはでかい身長にゴツい体をしていて厳つい顔付き。それだけで小学校で有名になるのは必然的だった。
故に、誰も逆らえない。立花翔太にも、その妹である立花優香にも。逆らえば、怒らせれば、必ず立花翔太がでてくるから。
『言っとくけど俺は年下の女子相手でも容赦はしないからな?』
『やっちゃってお兄ちゃん!容赦ないお兄ちゃんかっこいいー!!』
この光景を見てると、さすがにクラスメイトは全員黙っているだけだった。当然、誰も助けてはくれない。元からそんな期待もしていなかったが、雪穂もいない以上、孤独感はいつもより増し増しになっている。
思わずグッと拓哉から貰ったハンカチを握りしめる。
その行為が、間違いだった。
『んぁ……?なあ、見てみろよ。こいつ今更ハンカチなんかご丁寧に持ってるぜ!!』
立花翔太の周りにいる同じ6年の男子生徒の発言。そのせいで全員の視線が唯のハンカチへと向けられた。慌ててハンカチを直そうとするが、立花翔太に気を取られ過ぎて周りを見ていなかった。
『はいもーらいっ!』
『あッ……!?』
立花優香がすぐ側まで来ている事に気付けなかった。
大事なハンカチを取られてしまう。
『何このハンカチ。ダサーい!』
上に掲げてみんなに見せびらかすようにして笑う立花優香。
これでまた全員を味方につけようとしていたのだろうが、そこに思いがけない声が入る。
『ダメぇッ!!』
岡崎唯本人の声だった。
思わず全員が黙ってしまう。この6か月、唯がこんな声を出した事は一度もなかったから。今までどれだけイジメを受けていても耐え忍んでいたのに、ハンカチを取られた途端にこの動揺。
それがいけなかった。
『……なるほどぉ、このハンカチってアンタにとってそれほど大事な物なんだ~……』
まるで瀕死状態の獲物を見るかのような目で唯を見る立花優香。
これまで動じなかった唯がこれほどまでに動揺しているのを見ると、このハンカチを取って正解だったと確信する。数人の6年男子に言って唯の動きを止めた。
そして。
『でも私はこんなダサいハンカチいらないし~。じゃあいらない物は捨てていいわけだし~。なら捨てていい物はどう扱っても良いわけだから~……』
『それだけはやめて……返して……!!』
わざと、動けない唯に対してチラつかせるようにハンカチを左右に揺らす。必死にすがるようにそれを見る唯を見て、思わず悪趣味な笑いが込み上げてきそうになるのを押し留めてから。
『どうせ捨てるハンカチならいっその事汚くしちゃえばいいよね?はい、お兄ちゃん』
とても簡単に、とても嘲けながら、手に持っていたハンカチをヒラリと落とした。
重力に従って落ちたハンカチを拾おうと必死に抵抗する唯だが、6年の男子数人に押さえられていたら動けないのは当然だ。
だから。
『ああ、じゃあせめて床掃除でもして役に立たせてやるかー!!』
足でそれを踏み、ぞうきんで床を拭くように、唯にとって拓哉から貰った大事なハンカチで床を拭いていく。
『ぁあ……ああぁ……ッ!やめて……やめてよ……ッ』
『ええ?何て~?聞こえな~い』
『やめてェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!』
『うるさッ』
絶叫するも、それは決して立花優香には響かない。
逆に余計行動を悪化させるだけでしかない。
ハンカチを床で拭くのを止めて、6年の男子が笑いながらハンカチを地団太を踏むかのように何度も何度もそれを繰り返してく。
『ぁぁ……あ……お願い……っ。やめ……あぁ……おにぃ、ちゃん……お兄ちゃん……助けてよぉ……』
『あっはっはっはっはっはッ!!何だこいつ!いきなり助け求め始めたぞ!お前も兄貴がいるんだな~。どんなヤツだよ?4年か?5年か?6年か?まあどれでも俺の相手にはならねえけどなあッ!!』
唯を見下しながらハンカチを踏むのを止めない。
それどころか盛大に笑いながら続けている。他の6年男子も、立花優香も。
『たす、けて……お兄ちゃん……!』
だから。
気付かなかった。
『無理だっての!!んな事言ったって誰もお前を助けに来ねえよ!!お前は1人なんだからなあッ!!』
『女子如きが6年の俺達に逆らおうったって無理なんだっつうの!!諦め―――、』
ゴグシャアッ!!と。
奇怪な音がした。
『…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あ?』
後ろにいた友人の方へ視線を向けると、そこに友人はいなくて、代わりに見知らぬ男子生徒が立っていた。
そして、そこにいたはずの友人が壁際まで飛ばされて鼻血を出しているとこまで確認して、理解が追いつかなかった。
『唯!!』
『唯ちゃん!』
『唯ちゃん大丈夫!?』
『大丈夫ですか!?』
次に教室の扉を見ると、これまた見知らぬ女子生徒が4人いた。
『こう、さか……ッ!』
自分の妹が知っているという事は、3年と書かれている名札をしている生徒は妹と同じクラスという事。他の女子生徒の名札には5年と書かれている。そのうち2人は同じ『高坂』と書いてある事から姉妹だという事は分かった。
『ぶば、が……ぁッ……!?』
『ッ!?』
女子生徒の方に気を取られ過ぎていた。
さっき見知らぬ男子生徒がいた場所にはもう誰もおらず、岡崎唯を押さえていたはずの友人がまた吹っ飛ばされていて、岡崎唯ももうそこにはいなかった。
『ぅ……ひっく…おにぃ、ちゃ……ッ』
『……行動が早いなあオイ』
岡崎唯は既に教室の扉側まで移動させられていた。5年の女子生徒に囲まれて守られている。
そして、その女子生徒全員を守る形で前に立っている男子生徒が1人。
その生徒は静かに口を開く。
『元々唯の様子がおかしい事には気付いてた』
同時に。
拳も握り締める。
『昨日雪穂が穂乃果達に言ったらしい。唯を助けたいと。そして穂乃果達から直接今日聞いた。唯が今まで何をされてきたのかを』
岩のように、固く握りしめる。
怒りをできるだけ抑えるために。
『ったく、穂乃果達を巻き込みたくないなら分かるけど、兄の俺にまで気を遣うなっつうの。迫真の演技すぎて俺でも気付けなかったしな。おかげで俺は今とてつもない怒りの衝動に駆られてるよ』
誰に対して言っているのか、立花兄妹にはよく理解しきれなかった。
ただ、この生徒が岡崎唯の兄であるという事だけは分かる。
『妹がこんな目に遭っているのに気付けなかった自分への怒りと、唯にここまでの事をしたテメェらにな……。とりあえず、タダで済むと思うなよ』
その言葉を聞いて、立花翔太の左右に複数の男子生徒が集まる。
これから起きる事はもう雰囲気で分かる。
小学生同士だからといって、可愛い喧嘩になるとは思えない。
だが、多対一である事実は変わらない。5年の男子生徒が勝てるとは到底思えない。
だから。
なのに。
岡崎拓哉の目に敗北の文字は浮かんでこない。
何はどうあれ、この6年の男子生徒は唯を泣かせた。
雪穂から事前に聞いていた立花優香という女子生徒も唯を泣かせた。
ならば。
やるべき事はただ1つ。
『唯を……』
目の前のクソヤロー共をぶちのめすだけだ。
『唯を泣かせるんじゃねェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!』
幕は切って落とされた。
――――――――――――――――――――
『あ、ああ……ぁぅあ……ッ!?』
立花優香はシンプルに怯えていた。
絶対に勝つと思っていた。
だが、最後に立っていたのは岡崎拓哉だった。
多少の傷はありながらも、5年の生徒が6年の生徒を複数も相手に、しかも1番でかくて力もある兄にも勝ってしまった。
怒りのままに拳を振るい、殴られても倍返しするかのように足で蹴り上げ、自分諸共頭突きをして、6年全員を沈ませた。
『……、』
『ひッ……!?』
少年がこちらへ向いた。
見られただけでこの怯えようだ。それほど喧嘩は凄まじいものだったと思わせられる。
『……俺はさ、唯を泣かせたヤツなら、それが例え女子だろうと容赦しねえって決めてるんだ』
その言葉の意味をそのまま汲み取る。
つまり、自分もあそこで唸っている兄達のようになると言われているようなものだった。
『ご、ごめん、なさい……!もう、しないから……岡崎さんをイジメるなんて事、もう……しませんから……だから、ゆる―――、』
『許さねえよ』
言い切る前に、希望は断たれた。
『テメェらが唯にした事は暴力なんて優しいものじゃない。ずっと心に残り続けていく傷なんだ。6か月もそんな事をしておきながら、いざ自分が不利になったら許しを乞うなんて、都合が良過ぎると思わねえか?』
『ぅ……あ……』
言葉が言葉として出てこない。
まともな判断ができなくなっている。目の前の恐怖が全てを支配してしまっている。立花優香は本能的に感じた。絶対に怒らせてはならない者を怒らせてしまったと。
『これがテメェらが引いた引き金だ。ならその結末も
拳を握った少年がゆっくりと歩み寄ってくる。
誰も止める者はいない。当然だ。殴られて当たり前の事をしてきたのだから。共犯者はクラス全員。だけど元凶を叩かないとまた唯へのイジメが起きてしまう可能性もある。
そんな簡単な事くらいはまともな判断ができなくなっている立花優香でさえ分かっていた。
分かっていて、逃げられない。
拓哉が拳を振り上げた。
その直後。
『何をしてる!?』
初めてこの“問題”に教職者が入ってきた。
『……先生』
『騒ぎを聞いて来てみれば、一体何が起きてるんだこれは!?何故3年の教室に5年や6年の生徒がこんなに……いや、それより倒れてる生徒をどうにかしないと!!』
1人来ればまた1人と、次々に騒ぎを聞きつけた教師がやってくる。そしてこの状況を見ては驚愕していた。やってきた教師が最終的に目線を向けたのは、顔などに多少の傷が見える岡崎拓哉。
『どういう事だ岡崎!あとで職員室に来なさい!!きっちり説明してもらうからな!!』
『あ、あの、先生!これには理由があるんです!』
『……理由だって……?』
放課後、職員室に呼び出しを受けた拓哉とそれに着いてきた唯達に、元凶の立花優香、それに先程まで唸っていた6年の男子生徒数人。
雪穂が大方の事情説明をしてくれたおかげで穂乃果達の説教はなしで済んだが、立花優香を含む男子生徒数人と、拓哉まで飛び切りの説教を喰らっていた。
理由としては、いくら何でもあれはやりすぎだという事らしい。教師としては喧嘩両成敗としてのつもりだろうが、拓哉はまったく納得していなかった。
妹がイジメられて何もしないような兄の方がおかしいだろとずっと抗議を続けていた。先生も事情が事情なだけに怒りたくはないが、6年男子のケガの度合いがそういう領域を超えていると思ったからの説教だ。
何とか許しを得たが、そのあとに親が呼び出しを喰らって来たのは岡崎冬哉だった。何度も頭を下げさせられて、余計に機嫌が悪くなっていく拓哉を見て唯は苦笑いをせずにはいられなかった。
立花優香もこれ以上唯にちょっかいをかけるのは絶対に辞めると言ったから、もう大丈夫だとは思うが、最後に職員室を出る際に拓哉は教師陣に向けてこう言った。
『大事な妹を泣かされて黙ってられるほど、俺は甘くはないので』
それを聞いて冬哉はがっはっはと笑いながら拓哉の頭に手を置いた。
『確かにこいつはやりすぎたかもしれませんが、兄として間違った事はしてないんで、そこは目を瞑ってやってくださいな』
『は、はあ……』
言うだけ言って職員室をあとにした拓哉達をよそに、職員室内はしばらく沈黙で包まれていたそうな。
『ごめんな、唯』
『え?』
帰宅途中の事だった。
『俺がもっと早く唯の状況に気付けていればよかったのに』
『そんな……お兄ちゃんのせいじゃないよ!唯だって気付かれないようにしてたから、お兄ちゃんは何も悪くないもん!』
家族といる時だけ自分の一人称が名前になっている事については何も言わないでおこう。
とにかく、この兄妹は今、まったく必要のない事で口論している。
『でもお前が苦しんでるのに兄の俺が気付けなかったんだぞ!?そんなの唯が許しても俺が許せねえよ!!』
『それどうしようもないじゃん!!』
せっかく問題が解決したのにわざわざぶり返す兄妹に冬哉は苦笑いしながらもそれを1歩引いたところから見守っている。
息子娘の成長を見守るのは、いつだって親の仕事なのだ。
『……まあ、長い時間たってしまったけど、もう大丈夫だからな』
『……うん。あっ……でも唯、お兄ちゃんに謝らなくちゃいけない事があるの……』
『何だ?』
思い出したように表情を暗くする唯。
『唯の誕生日にお兄ちゃんがハンカチくれたでしょ?でも……それを捨てられちゃって……ごめんなさい……唯の宝物だったのに、守れなかった……』
拓哉が助けに来る前、立花達にボロボロにされて最終的にゴミ箱へ捨てられてしまったハンカチ。あれは唯にとってとても大切な宝物であり、お守り代わりでもあった。それをめちゃくちゃにされ、あまつさえ捨てられてしまった事に罪悪感を抱く。
でも。
だけど。
『ったく、そんな事かよ。聞き入って損したわ』
あっけらかんと拓哉は言い放ってしまった。
まるでそんなのどうでもいいと言っているかのような雰囲気で。
『なっ……何でそんな事言うの!?お兄ちゃんから貰った唯の宝物なんだよ!?それなのに―――、』
『だったら俺がまた唯に何かやるよ』
『……え?』
思わず唯の足が止まる。
『この前ゲーム買ったからまたお小遣い貯めなきゃいけないけど、貯まったら唯に何か買ってやるよ。誕生日だからとかそういうのじゃない、正真正銘、俺からの特別プレゼントだ!どうだ、嬉しいか!!』
夕陽をバックに仁王立ちしている拓哉は、おそらくヒーローの真似をしているっぽいが、まだまだ子供なので冬哉からは見栄を張っているだけにしか見えない。
だけど、拓哉よりも歳が下の唯にはまさしくヒーローそのものにしか見えていなかった。
『……うん……うん!!嬉しい!!』
『よーし!じゃあ俺のお小遣いが貯まるまで一緒にゲームして遊ぶぞー!!』
『おー!!』
『ゲームしてるだけじゃお小遣いは貯まらないぞ~と、聞いてないな』
2人して帰りの道を走っていて冬哉の声に聞く耳を全然持っていない。
けれど、それで良かった。
それこそが、何気ない日常に戻った証拠なのだから。
――――――――――――――――――――――
あの日から、唯の永遠のヒーローは岡崎拓哉だけだった。
暗い過去でもあるが、同時に明るい過去になったのも周りのおかげだし、何より拓哉のおかげだった。
最後に家で撮った写真を見つめてからアルバムを閉じる。そういや写真を撮る時、顔にあるガーゼが気に入らないとまた機嫌が悪くなった拓哉と、その事にまた罪悪感が蘇って涙目になった自分を思い出し笑みを零す。
(ほんと、懐かしいな~)
掃除はもう終わりだ。
一息するためにリビングへと移動すれば、そこにはソファで寝転びながらテレビを見ている兄の姿があった。
「テレビ見てるの、お兄ちゃん?」
「んあ?見りゃ分かるだろ妹よ。お兄ちゃんは今傷を癒しながらバラエティの勉強をしている最中なのです」
「ふーん」
麦茶を飲み干してから拓哉のいるソファへ移動する。
そっと拓哉の顔を覗き込めば、顔にガーゼや絆創膏を貼っている兄がいた。何でも拓哉が通っている音ノ木坂学院のスクールアイドル、μ'sの手伝いをしていたが、色々とトラブルがあったらしく、最終的にケジメとして9人の女神から顔面を殴られるという事で収束をつけたらしい。
その姿はまるで、あの日の事を思い出す。
「……ふっふーん♪」
「……あの、唯さん?何でいきなり膝枕をしていらっしゃるのでしょうか?」
「私の気分だよ~。頑張ったお兄ちゃんにちょっとしたご褒美です~」
「なるほど、これでお兄ちゃん一気に回復しそうだわ。何ならもう今ガーゼ外しても問題ないたっ、痛い、やっぱダメ。まだヒリヒリする!膝枕続行な!」
「はいはい♪」
昔の事を思い出してしまうとついつい兄を甘やかしてしまう。
別にそれについては嫌だとも思っていない。むしろ自分から進んで甘やかしたいほどだ。
自分のヒーローが大好きな兄という事実に、何とも言えない高揚感さえ感じる。
あの頃から唯の拓哉を見る気持ちが少しずつ変わっていった。
兄妹という枠を超えたいとさえ思った事もある。
兄妹以上の気持ちを持って、だけどそれを抑えて接する。それにはもう慣れたが、如何せん拓哉自体が物凄いシスコンなせいで唯も過剰なブラコンを発揮できているのだ。
何かあれば愛を囁いてくるものだから、唯も拓哉にちょっとしたラブ発言をしても何ら違和感がないという奇跡的なオチになる事がずっと続いていた。
つまり、何が言いたいかと言えばだ。
「お兄ちゃん」
「んー、何だー」
「多分私は世界の誰よりもお兄ちゃんの事が大好きだよ」
「そう言ってくれるのは唯だけだよマジで。俺も大好……愛してるまである」
きっと、お互いが気付かなくてもいいこのやり取りをずっとしていたいと、唯は思うのであった。
(兄妹っていうのは最大の壁だけど、それと同時に1番好きな人と側にいられるっていうのも悪くないよね♪)
これからもずっと、唯は兄妹以上の想いを兄にぶつけながら幸せに生きていく事は、間違いない。
さて、いかがでしたでしょうか?
箸休め回のはずが、17000文字オーバーとかまじワロエナイ。
今回は本編2話から今までずっと溜めてきた唯の伏線回収をしました。何故岡崎へ異常な愛情があるのか、またはブラコン気質なのか。
あんなイジメを受けて助けられたらそりゃそうなりますよね←
書いてて途中胸糞悪いこと悪いこと。
まあ、だからこそ最後はスッキリと!!
次回は後輩、桜井夏美編(過去編)です!!
いつもご感想高評価ありがとうございます!!
では、新たに高評価を入れてくださった
ダディエルさん
1名の方からいただきました。ありがとうございます!!
これからもご感想高評価お待ちしております!!
では、これが岡崎唯のイラストです。こんな妹が欲しかった……。
※自己責任で見て下さい。ノークレームでオナシャス。
【挿絵表示】