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甲相駿三国同盟は、ついに破綻した。
同盟の成立から、十四年後のことである。今川氏真は越後の上杉を頼ろうとしたものの、色よい返事を得られなかった。
一方の武田信玄は、徳川家康へ今川領の分割を持ちかける。織田は武田と同盟を結んでいる。そして徳川は、その織田と清洲同盟を結ぶ間柄だ。
そんな家康にとって、武田から持ち込まれた
一応、今川氏は徳川にとって、かつての主家に当たる。家康自身も幼少期を駿河で過ごし、今川家の庇護の下で武将としての素養を身につけたはずなのだが――それはそれ、これはこれ。恩義はあっても、遠江は欲しかったらしい。
対する今川も、ただ手をこまねいていたわけではない。北条と連携し、武田に対する経済制裁へ踏み切った。
塩留めである。
これは武田にとって大きな痛手だった。何しろ甲斐には海がない。自国で塩を産出することができないのだ。
飽食の時代に生きた身では忘れがちだが、塩分は人が生きていく上で欠かすことのできないものだ。それを絶たれるとなれば、単に飯の味が薄くなるという話では済まない。
武田にとって、まさしく死活問題だった。
もっとも、幸いにして、すべての輸送路を封じられたわけではなかった。
本来なら武田の敵であるはずの上杉。その上杉が治める越後の商人たちは、塩留めに加わることなく、従来通り甲斐へ塩を運び続けていたのである。別に、義によって敵へ塩を送ったわけではない。単に他国の政治の都合で、こちらの経済が滞ることを疎んじただけだ。
当然、今川と北条からは抗議の書状が届いた。なぜ敵である武田へ塩を送るのか。武田を利する行為ではないか。大方、そんな内容である。だが、上杉からすれば知ったことではなかった。
「都合のよい時だけ、敵味方を使い分けるな。領土を奪うために侵略者同士が手を結ぶことが許されるのであれば、自国の利益のために商いを続ける程度、可愛いものであろう」
それが、こちらの主張だった。そして、この返答は上杉との同盟を求めて何度も使者を送り込んできた北条に対する、事実上の回答でもあった。
すると、なんか晴信からお礼にと立派な太刀をもらった。武田の神具なのだとか。
だから助けたつもりはないんだって。俺が書状で説明しても「受け取れ」の一点張りで、晴信は聞く耳を持たなかった。でも妊娠中だった平三がいたく気に入ったので良しとする。
こうして武田は、北方から上杉に攻め込まれる憂いを抱くことなく、徳川とともに今川領へ侵攻した。
その勢いは凄まじかった。武田軍は薩埵山で今川方を破り、破竹の勢いで進撃。ついには今川氏の本拠である駿府を占領する。
信玄は駿河侵攻に際し、北条氏康にも協調を持ちかけていたらしい。だが氏康は、その誘いを拒絶した。それどころか、今川氏真を救援するために兵を挙げた。
もともと北条氏は、
その上、氏真の妻となっていた氏康の娘が、戦火の中を徒歩で命からがら逃げ延びるという事態にまで発展した。さすがの氏康も、これには激怒したらしい。北条は、武田との徹底抗戦を決意した。
武田もまた引かなかった。駿河で北条軍と争い、さらに圧力を加えるため、ついには相模へ侵入。小田原城を包囲するに至った。だが、小田原城は、軍神と名高い上杉輝虎でさえ落とすことのできなかった、戦国屈指の堅城である。
信玄とて、本気で落城させられるとは考えていなかったのだろう。ひとしきり城下へ圧力をかけると、さっさと兵を引き上げた。
そして、それを待っていた北条軍が追撃を開始する。
――が。
信玄は、その動きすら読んでいた。武田軍は三増峠にて北条軍を迎え撃ち、これを撃破した。しかも小田原城の包囲そのものが、北条軍を相模へ引きつけるための陽動だったという。
その隙に諸城へ攻勢をかけ、守りを切り崩す。見事な二正面作戦だった。
まさに無双。近頃は雪国の田舎者に手こずるお山の大将などと陰口を叩かれていたが、ここに来て甲斐武田の面目躍如である。というか、その田舎者が滅法強かったという証明である。
なお、その間、徳川家康は何をしていたかというと、ちゃっかり遠江を手に入れていた。実に抜け目がない。
もっとも、武田信玄はさらに強欲だった。駿河だけでは飽き足らず、遠江にまで兵を送り込んだのである。
当然、徳川との関係は悪化した。もっとも信玄に言わせれば、領土分割について正式な約定を交わしたわけではないのだから、約定破りには当たらない、ということなのだろう。
そういうところだぞ、晴信。
★
さて、相模、駿河、遠江がせわしなく戦国の世を謳歌している頃、越後はどうだったかというと――
「おー、弥六郎。父でちゅよー」
こちらはこちらで、平和を謳歌していた。
平三は――お虎は大事なく子を産んだ。男児だった。母親に似たのか、たいそう元気な子である。
俺は我が子を両腕で抱き上げた。弥六郎は何が楽しいのか、俺の顔を見るなり、きゃっきゃと声を上げて笑っている。
可愛い。あまりにも可愛い。これはもう、どうしようもなく可愛い。
「ほーら、高い高いでちゅよー」
「兄上、そのくらいになさってください。弥六郎が驚いてしまいまする」
「何を言っている。なあ、弥六郎。楽しいよなー?」
「うわ。私の兄上が、凄まじい親馬鹿になっている」
「聞こえんなあ!」
弥六郎をあやしながら笑う。この子が元気でいてくれる。それだけのことが、たまらなく嬉しかった。
かつて、俺には猿千代という倅がいた。病弱な子だった。流行り病を患い、ついには快復することなく、その短い生涯を終えた。
そして猿千代を亡くした妻もまた、後を追うように衰弱し、ほどなくして世を去った。もう、二十年も前の話だ。
それでも、あの日々を忘れたことはない。あれほど後悔したこともなかった。
俺が家督を継いでから七年ほど。今ほど越後が静かではなく、国衆同士の諍いが絶えなかった頃のことである。
俺は政務ばかりに追われていた。越後をまとめなければならない。戦を止めなければならない。家中を養い、民を守らなければならない。
そんなことばかり考え、ろくに妻や倅を顧みることができなかった。
酷い父親だった。酷い夫だった。
妻は、そんな俺に理解を示してくれた。主君であった上杉定実殿の娘として生まれたあの人は、武家の男が政と戦に追われることなど、幼い頃から知っていたのだろう。
俺を責めることはなかった。弱音を吐くこともなかった。だから俺は、それに甘えた。
妻ならば分かってくれる。今は越後のために仕方がない。そんな都合のよい言葉を並べて、家族の寂しさから目を逸らし続けた。
今でも忘れられない。猿千代の葬儀で、妻が見せたあの顔を。泣くことすらできず、棺を見つめていた、あの虚ろな表情を。
そこでようやく気付いた。俺は家族を蔑ろにしたのだ。
越後のため。民のため。誰も反論できない綺麗事を盾にして、俺は妻を追い詰めた。せめて、あの人が俺を責めることができていたなら。
すべてお前のせいだと、俺を憎むことができていたなら。あるいは妻だけでも、生き残ることができたのではないか――。
「兄上」
平三の声に、はっと我に返る。
「よくない顔していますよ」
「……そうか」
言われて初めて気づいた。どうやら俺は、弥六郎を抱いたまま、ひどく険しい顔をしていたらしい。
だが当の赤子は、こちらの胸中など知る由もない。相変わらず楽しそうに笑いながら、小さな手を伸ばし、俺の頬をぺたぺたと叩いてくる。
小さな手だった。柔らかく、温かい。その頼りないほど小さな掌を、惜しげもなく俺へ押しつけてくる。てしてし、てしてしと。
生きている。この子は今、確かに俺の腕の中で生きている。
「平三」
「はい」
「本当に、よくやってくれた」
一瞬、平三は驚いたように目を見開いた。やがて、穏やかに微笑む。
「――はい」
「俺、泣きそうだ」
「好きになさればよろしい」
平三は、弥六郎の頬をそっと撫でた。
「兄上には、その権利があります」
その言葉を聞いた途端、胸の奥で堪えていたものが、とうとう崩れた。
・長尾晴景
幸せの絶頂。本当にこんなに幸せでいいのかと考えている。しかしかつての後悔を忘れず。
それはそれとして領地経営に励んでいる。争いのない越後の港は商いが盛んであり、また試験的に採掘に火薬を用いることで金を稼ぎまくってる。本当は火薬を方々に売りまくればもっと稼げるのだが、それをすると某アナハイムみたく死の商人になるのでやらない。
・上杉輝虎(お虎)
高齢出産を何事もなく無事に成し遂げる。すごい。
出産してからしばらく、兄と昼夜問わず稽古している。最近、ちょっと人妻みたいな雰囲気が出てて色気が大変凄い。これで輝虎できるのか? あぁん?
我が子に対して情を持てないのではないかと密かに恐れていたが、そんなことはなかった。
・弥六郎
父と同じ幼名を名付けられる。母に似てかわいい。男の子。
・武田信玄
なんか駿河と相模で無双してる。史実における三増峠の戦いは武田方も手痛い損害を被っていたが、本作では完勝する。また遠江をめぐって徳川と対立する。念願だった海に面した土地も手に入れる。
明らかに史実より強くなっている。
どっち?
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お虎さん
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ノッブ
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どっちも!