なおイチャイチャ成分はたぶん皆無っす。すまんの。
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無常怨嗟領域 カスガヤマ プロローグ
1547年某日。
春日山城の夜に、盃が一つ割れた。
先ほどまでそこにはなかった筈のもの。瞬きの間に現れたとしか思えない。面妖な事態を前にして、晴景は驚きつつも冷静にそれを観察する。
触れるな、と理性が告げていた。
だが、同時に別の声が耳元で囁く。戦で息子を失った父の声。焼かれた村から逃げられなかった女子供の声。主君に見捨てられ、名も残せず死んだ兵の声。一つとして顔を知らないはずなのに、恨みだけが手に取るように伝わってくる。
声の主は、どうやら越後で死んだ者ばかりではないらしい。この戦国の世に置き去りにされたありとあらゆる無念が、何の因果か実体を得て今晴景の目の前に現れている。
晴景は父の長尾為景から家督を譲られたものの、幼い頃から病弱であり、その気性も戦いに向いてなかった。戦よりも文を、武芸よりも芸事を好んでいた。偉大な父と比較されるが故に、家臣から惰弱と侮られ、民からは戦に出向かぬ年貢泥棒と謗られる。
しかし、だからこそ、晴景は弱き者たちの声を無視できない。そういった優しくも愚かな善良さを持ち合わせていた。
それがたとえ目の前のものが怨念の塊でも、晴景は救いを求める声を放っておけない。
気づけば晴景は、黒い塊へ指を伸ばしていた。
触れた途端、畳を爪で掻く音がして、悲鳴が響いた。どちらも自分の立てた音だと気づくまでに、しばらくかかった。
――熱い。
骨の奥まで焼かれる。にもかかわらず、皮膚には火傷一つ生じない。代わりに、知らない記憶が流れ込んできた。
馬で野を駆け、戦場で槍を振るう自分。海路をたどって京へ上る自分。糞尿を染み込ませた土を弄る自分。火縄銃を手にした兵たち。選んだ覚えのない生き方が、何十年分も頭の中へ押し寄せる。
その記憶の中で、
兄を呼ぶ言葉は、晴景の知るものと同じだった。だが、声色が違う。仕草も、表情も、何もかも違う。まるでただの人間のように、鈴を転がすような声で笑っていた。
その景虎は兄の手を取り、妻として隣に立っていた。それどころか、二人の間には子までいた。
「……なんだ、これは」
悲鳴を聞きつけた小姓が戸口を開き、割れた盃と晴景の様子に顔色を変えた。駆け寄ろうとする小姓に、晴景は目を奪われる。
その身体に、細い線が浮かび上がっていたのだ。
線が命に連なるものだと、直観的に分かった。健康な者ほど淡く細く、死に瀕した者ほど太く濃い。生き物に視線を移すたび、終わりの気配を否応なく理解させられる。
しかも、突然得たこの異能を閉ざす術はない。目を閉じ、暗闇の中に束の間の安息を得るしかなかった。人を狂わせかねない力だった。
そればかりか、身体は活力に満ちていた。病弱だったのが嘘のように、一切の倦怠感が消えてなくなり、健康な者を遙かに上回る力を得ている。もはや常の理屈では説明がつかなかった。
だが、その力は晴景自身が積み上げたものではない。名も知らぬ死者たちが、英霊の座に刻まれたもう一人の晴景の記録を、彼の身へ強引に植え付けたのだ。
もう一人の自分。実の妹を妻にした愚者。
晴景の胸に生まれた嫌悪は、決して借り物ではなかった。だが、耳元で囁く幾百もの声が、その怒りを自分でも制御できぬほどに膨らませていく。
だが、気分は良かった。
これで越後を我が物にできる。父から継いだこの地を、本当の意味で治めることができる。
――だから、あの化け物のような■なぞ、もういらぬ。
翌朝、
白い頭髪。笑っていても感情の読めない瞳。戦場では楽しげに人を殺す姿。晴景には、景虎が化け物に見えた。恐ろしく、忌むべき弟。できることなら会話もしたくないし、視界に入れたくない存在であった。
「兄上。お加減が悪いと聞きました」
「ああ。大事ない」
晴景は景虎の命の線を捉えた。だが同時に彼女の身の内側には、もっと大きなものが収まっているようにも見える。
それが瞳の異能によるものなのか、亡霊の囁きが作った幻なのか、晴景には判別できない。そして、それはどうでも良いことだった。
かねてから、晴景は妹を恐れていた。戦場で誰よりも激しく槍を振るい、終われば何事もなかったように笑う。その心に自分と同じものがあるのか、晴景にはずっと分からなかった。
そして今、知らぬ人生の記憶が、別の答えを突きつけてくる。この女を愛し、この女に愛され、共に国を治めた男がいる。そんなものを見せられて、なぜ己だけが、この女を怖がる情けない兄であらねばならないのか。
「もっと近くに寄れ」
「はい、わかりました」
景虎は無防備だった。ただ兄の顔を見て、一歩近づく。肉親を案じること。それが天室光育の教えだった。人ならざる心を抱えた彼女にとって、教えられたとおりに振る舞うことは、浮世に馴染むための術でもある。
一方、晴景の視界では、景虎の身体を走る幾つもの命の線、すなわち幾つもの
視線を上げれば妹の顔があり、そこへ別の晴景の記憶が重なる。亡霊たちは耳元で、あの線を断てと囁き続ける。晴景は否定の言葉を返そうとして、代わりに刀へ手を伸ばした。
――だって、今なら殺せるじゃないか。
昨日までは万に一つも勝ち目のなかった相手が、無防備に近づいてくる。命の終わりを視る目と、常人離れした膂力を手に入れた今なら、あの恐ろしい化け物を滅ぼせる。
もう一人の晴景が景虎との長年の稽古で身につけた足運び。それが忠実に再現される。借り物の記憶が腕を動かし、亡霊たちの魔力がその動きを人の限界を超えて押し上げた。
景虎は身をかわし、不意打ちの初太刀を避けた。続く一太刀もかわす。三合目には、刀を握る晴景の手首を押さえた。力任せに捻れば兄の腕を折りかねない。景虎がそう考えたかは定かではない。ただ、彼女の指の力が一瞬緩んだ。故に晴景は刀から手を離し、さらに間合いを詰めた。
晴景の指が、景虎の身体を走る線をなぞる。
さくりと。
線に沿って、景虎の身体が両断された。
それはもう、あっけなく。
後にこの朝のことを知った者たちは、なぜ景虎様ほどの方が御屋形様などに殺されたのかと天に問うた。戦場で槍を振るう長尾景虎を知る者からすれば、あの病弱な兄に殺されるなど考えられなかったのだ。
その時の景虎の真意を、後の人々は知り得なかった。兄を傷つけたくなかったから、手加減していたのかもしれない。兄から本当に殺意を向けられているとは、露ほども思わなかったのかもしれない。自分がこれほど簡単に死ぬはずはないという驕りも、或いはあったのかもしれない。
――ただ事実として、長尾平三景虎は齢十七にして没した。
物音を聞いて駆けつけた小姓が見たのは、畳を赤く染めた人間だったものと、その傍らに立つ晴景だった。手放した刀は、足元に落ちていた。
何が起きたのか、晴景は語らなかった。ただ――
「逆賊を誅した」
虚ろな目で、そう告げた。
★
景虎の死から、越後国は少しずつ壊れていった。
景虎を推していた者たちは晴景の乱心を疑い、挙兵した。晴景は兵を挙げた者を討ち、文を交わしただけの者も捕らえた。最初の粛清が終わると、誰も露骨には逆らわなくなった。
春日山城の門外には、夜ごと新しい亡骸が運ばれた。晴景を包む不吉な魔力は、死者が増すほどに濃くなった。逆らう者がいない国は、静かに弱っていった。
長尾晴景は越後を治めていた。
越後を守るためではなく、越後を手放さぬために。
・長尾晴景
決して暗君でも、無能でもなかった。ただ、武士らしからぬ優しさを有していた。だが時代は、その優しさを惰弱と見なし、許さなかった。悪しき道化によって聖杯にも匹敵する魔力を注がれた怨霊は、そんな長尾晴景を格好の宿主と定めた。
・長尾景虎
死亡。
どっち?
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お虎さん
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ノッブ
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どっちも!