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湿った落葉が、足の下で潰れた。
俺は細い杉の間を抜け、太い幹の脇を回る。川音が背後へ遠ざかるにつれ、頭上で枝が撓み、葉が擦れる音がはっきりと聞こえてくる。段蔵は、もう地面を走っていなかった。
俺が横へ跳ぶのとほとんど同時に、頭上から刃が落ちてきた。つい先ほどまで肩のあった場所を抜け、地面へ突き立つ。斬り返そうと刀を振るうより早く、段蔵は幹を蹴り、再び頭上へ逃れていた。
その姿を追って顔を上げると、別の木の上にも黒い外套が見えた。右にも左にも、段蔵の分身らしき人影がいる。先と同じく足元を見て区別しようにも、枝葉によって巧妙に隠されていた。
つくづく、こちらに不利な戦場だった。
俺は杉の幹へ背を寄せ、せめて背後からの攻撃を塞ごうとした。だが、すぐに頭上で枝が鳴り、反射的に身を伏せる。後頭部のすぐ上を拳が抜け、背にしていた幹へ食い込んだ。
裂けた樹皮が落ちてくる。身を起こしかけたところで、拳から伸びる細い鋼線が張る。その線に引かれた段蔵の身体が、刃をこちらへ向けて飛び込んできた。
「――痛っ!!」
俺は咄嗟に刀を立てたが、受けた衝撃に膝が折れた。刃を滑らせて受け流すつもりが、腕がついてこない。段蔵の刃が肩から胸にかけて衣を裂き、遅れて傷に熱が広がった。
段蔵は着地するなり、さらに踏み込んできた。俺は後ろへ下がり、踵に触れた杉の根を跨いだ。幹を挟んで向き合う僅かな間に、刀を右手に構え直し
そして、足元の土へ意識を向けた。草履越しに伝わる湿った感触を辿ると、体内の魔力が足の裏から抜けていく。
宝具。英霊の伝説が結晶化した切り札。では、長尾晴景――俺の伝説といえば。
「――ふぅ」
火薬を作るために、どれほどの月日を費やしただろう。
土を集め、糞尿をかき混ぜ、配分を変え、場所を変えては試しに試した。幾度失敗しても懲りずに続ける俺に、家臣たちは呆れながらも、ときには本気で身を案じてくれた。しかし、ようやく硝石を作り上げてみれば、今度は妖術呼ばわりである。
そうして得た硝石をもとに黒色火薬が作られ、鉄砲とともに戦場へ運ばれた。多くの敵を殺し、多くの味方を生きて帰したその製法は、やがて一冊の書物にまとめられ、俺から三郎へと託された。
その生涯の仕事を象徴する一冊が、今、俺の宝具としてここにある。
「――玉薬之調合作法」
段蔵が幹を回り込み、こちらへ迫ってきた。俺は書物を胸元へ抱え、反対側の木の陰へ身体を投げ出した。
足を置いていた土が光り、森が鳴った。
背中を殴られたように身体が浮き、落葉の上へ叩きつけられる。土と小石が降り注ぎ、杉の葉が顔へ貼りつく。俺は口に入った泥を吐き、書物を握ったまま肘をついて顔を上げた。
爆煙の上に、黒い影があった。
段蔵は幹の高いところへ手を掛け、片足を樹皮へ食い込ませていた。爆発した地面を見下ろすその姿に、傷らしい傷はない。外套の裾が焼けていたが、それだけだった。
「……上手に避けたな」
立ち上がろうとして、膝が一度折れた。
俺のキャスターとしての宝具、『玉薬之調合作法』。土を火薬に変じさせたという逸話が、そのまま宝具となったものだ。
触れた箇所の土へ魔力を残し、任意の瞬間に火薬へ変えて爆ぜさせる。ただし、威力を絞るのは難しい。土を変じれば、そこにある分だけが一息に爆ぜるため、近くにいれば俺だって無事では済まない。
自分で使っておいて何だが、ろくでもない宝具だ。おまけに、発動中は本を手放せない。刀を振るいながら使うには、何とも不便だった。
段蔵がこちらを向き、枝へ足を掛けた。だが、地面へは降りてこず、俺の頭上を渡って別の杉へ移っていく。
――そうだ。地面にはもう降りたくないだろう。
俺が立ち上がって走り出すと、銃声が追ってきた。背後の地面が弾け、すぐ横の幹から木片が飛ぶ。太い杉の陰へ入ったところで、今度は左から手が伸びてきた。首を狙って開かれた指を刀で払うと、その手は引き戻され、葉の向こうへ消えた。
段蔵は俺の姿を見失わぬよう、木から木へ移っていた。隠れれば横から撃ち、走れば行く先へ手を伸ばす。足を止めて応じようとすれば、また枝葉の奥へ退いてしまう。
そう、俺と違って戦闘の引き出しが多い段蔵は、こちらの刀が届くところまで降りてくる必要がないのだ。なんて合理的な戦い方をするんだ。ロマン染みた絡繰を操る癖に。
そんな頭の悪いことを考えていたら、右の腿に衝撃があった。足が縺れ、幹へ肩からぶつかる。撃たれたと気づくより早く次の音が響き、顔を伏せた頭上で樹皮が吹き飛んだ。
俺は幹に肩を押しつけて身体を支え、向きを変えた。根元を踏み越える際、また足裏から土へ魔力を流し込む。そのまま隣の木へ走ったが、傷ついた右脚を庇うせいで歩幅が狭くなっていた。
飛んできた手を躱しきれず、肩口を掴まれた。
指が傷口に食い込む。俺は引かれる力に逆らわず一歩前へ出ると、その手首から伸びる鉄線へ刀を振り下ろした。鋼が擦れて火花が散ったが、消耗した俺の力では断ち切れなかった。
段蔵がさらに腕を引き、俺の身体が引きずられた。俺は地表へ張り出した根に左足を踏み掛け、どうにか堪えたが、肩の傷が裂ける痛みに息が詰まった。左手の本を取り落としそうになり、必死に指へ力を込める。
「――このっ!!」
俺がもう一度刀を振り上げると、肩を掴んでいた指が開いた。張っていた鉄線が緩み、段蔵の手が頭上へ引き戻されていく。
その先で、もう片方の手がこちらを向いた。
俺は足を根から外し、本を胸に抱えたまま前へ転がった。すぐ後ろの地面を銃弾が抉り、跳ねた小石が背中に降りかかる。伏せたままでは、次は背骨を撃ち抜かれるだろう。
膝を立てて起き上がり、即座に駆ける。木の根元を踏むたびに土へ魔力を残し、その先の幹を目指す。
どれほど血を流したのか、もう分からなかった。濡れた衣が重く、指先の痺れも今では痛みと区別がつかない。
段蔵の姿は見えていた。俺を追うために、先ほどから同じ一帯の木々を使っている。高い枝から見下ろせば、俺がどこへ逃げても見えるのだろう。あちらにしてみれば、攻め手を変える必要などない。
だが俺が知る段蔵なら、あるいは途中で気づいていたかもしれない。
単に逃走を図るにしては、俺の動きはおかしい。川へ向かわず、森の奥へも入らず、ただ特定の幹の近くを回り続けている。だがそれでも段蔵は追ってきた。
脳裏をよぎるのは、段蔵を取り巻いていた黒い気配。あれに従わされているのか。馬鹿力と驚異的な再生能力を得る代わりに、考える余地まで奪われているのか。答えを確かめる術はない。
太い根を越えようとして、右脚が上がりきらなかった。俺は膝から崩れ落ち、書物を握った腕を胸元に引き寄せた。身体を起こそうと足を踏み直すと、草履の下から冷たい泥が滲む。
俺はその感触を確かめながら、足元に魔力を残した。
頭上で枝が軋んだ。幹から張り出した太い枝に段蔵が立ち、こちらへ手を向けている。もう隠れる必要もないと思ったのだろう。
実際、あと一つ傷が増えれば、立てなくなるかもしれない。少し消耗しすぎた。俺は片膝をついたまま刀を引き寄せ、段蔵の立つ枝から、その下の幹へ視線を移した。
その杉も、向こうに立つ木々も、根元はすべて踏んでいた。すなわち――
「……なぁに、ちょっと派手な花火さ」
段蔵の指先が俺へ向いた。俺は書物を握り締め、自分の足元の分を除いて、木々の根元へ流し込んでいた魔力を解き放った。
森の底が、持ち上がった。
音を一つずつ聞き分けることはできなかった。俺が巡ってきた木々の根元がまとめて爆ぜ、落葉も土も、根に絡んでいた石も、一斉に空へ噴き上がる。
太い幹の根元が裂け、隣の杉が傾いた。その枝が別の木の枝を押し、重なっていた梢が大きく波打つ。
地面へ伏せた俺の上を、熱い風が抜けていった。それでも顔を伏せきらず、刀を握った腕の向こうから、段蔵を見上げ続けた。
足場を失った段蔵が、隣の木へ跳んだ。だが、その木もすでに倒れ始めている。伸ばした足が幹を捉えたものの、踏み切ろうとした時には幹が傾き、段蔵の身体が横へ流れた。
外套が大きく開き、体勢を整えるべく段蔵の右手が飛んだ。倒れかけた別の杉へ爪が食い込み、鉄線が張る。落下しかけていた身体は途中で引き留められたが、その杉も宝具の爆発によって段蔵を引きずるように倒れていく。
段蔵は左手も飛ばし、反対側の幹を掴んだ。
その瞬間を、待っていた。
俺は身体を起こした。右脚にはもう十分な力が入らず、腰を上げるだけで膝が震え、視界の端が暗くなる。それでも刀と本だけは手放さず、両腕を伸ばして宙にいる段蔵を見据えた。
――あそこへ届けばいい。
俺は足元へ残しておいた魔力を、すべて解き放った。
跳んだ、という感覚はなかった。
地面に殴り上げられ、足の裏から腰までを、何か巨大な暴力が突き抜けた。息が潰れ、歯が噛み合う。俺は最後の起爆を終えた宝具を手放し、身体の向きさえ分からなくなりかける中で、刀の柄へ左手を添えた。
肩の傷が裂ける感触がしたが、もはや構わなかった。土煙の向こうで、段蔵の顔がこちらへ向く。
段蔵は両手を引き戻そうとしていたが、左手は倒れた木々の間に挟まれ戻ってこない。張り詰めた鉄線に肩を引かれながら、段蔵は戻った右腕を俺へ向けた。
肘から刃が覗く。俺はそれを見据え、刀を振り下ろした。
硬い音が骨へ響き、両手が柄から剥がれそうになった。それでも強く握り込み、身体ごと押し通す。爆風で押し上げられた勢いを受け止めきれず、段蔵の右肘が折れた。川辺で一度、俺が壊した場所だった。
刀が腕を割り、段蔵の骨子をなす鋼が軋み、木が砕ける。そしてそのまま腹を抜け、刃が反対側の腰へ届くまで、俺は振り抜くことだけを考えていた。
段蔵の身体が、二つに分たれる。
しばし宙を踊り、重力に引かれ俺は地面へ叩きつけられた。肩から落ち、背中を打ち、斜面を転がる。刀を離すまいと腕に抱え、しばらく転がった後、ようやく身体が止まった。
息ができなかった。
口を開けても喉が鳴るだけで、言葉らしい言葉は出ない。背後ではまだ木々が倒れており、その震動が身体の芯へ響いてくる。
細く息が入った。咳と一緒に吐き出し、もう一度吸う。横たわったまま顔を上げると、折り重なる枝の向こうに段蔵がいた。
段蔵の下半身は倒れた杉の根元に落ち、上半身は少し離れた場所に横たわっていた。伸びたままの左腕からは、細い線が木々の間へ続いている。
切断面にまとわりつく黒いものが、離れた身体へ向かって細く伸びた。だが、先ほどのように繋がることはなかった。
行き場を失った黒い気配はしばらく切断面の周りを漂っていたが、やがて薄くほどけ始めた。身体の内側からも、もう新たに滲み出してはこない。木々の間を抜ける風に残りの靄が散ると、段蔵を覆っていた禍々しい気配も、静かに消えていった。
「勝負ありだな」
俺はぼろぼろの身体を引きずり、段蔵の傍らへ座り込んだ。
「さすがは鳶加藤といったところか。死ぬかと思った」
火縄要らずの銃撃に影分身、肘の隠し刀、おまけにロケットパンチ。もし、それらすべてが戦国時代の科学で再現できるものなのだとすれば、俺の硝石精製なんぞ児戯に等しい。
それに、随分と綺麗な顔をしている。外套が剥がれ露わになった顔を見て、そんなことを考える。それとも絡繰なのだから、精巧と言うべきなのだろうか。
前々から細い身体つきをしているとは思っていたが、まさか女子の姿に造られていたとは。創造主の趣味だろうか。
「……お見事にございました」
段蔵に声を掛けられ、俺はその顔へ視線を戻した。
「まだ口がきけるか」
「はい。ですが機能停止まであと一刻もないでしょう」
「……そう、か」
「とどめをお刺しにならないのですか?」
そうするべきなのだろう。散々びっくりどっきりメカを見せつけられた後だ。自爆装置の一つや二つ、仕込まれていても驚かない。
だが段蔵を取り巻く禍々しい気配がなくなった今、それを警戒するのも野暮に思えた。
「誰が好き好んで家臣を殺すものか。介錯がいるというのなら、吝かではないが」
「ワタシは貴方様の臣下ではありません。また段蔵には痛覚もありませぬ」
「そうかい」
分かっている。これはただの感傷だ。段蔵が仕えている御屋形様は、春日山城にいるもう一人の俺である。目の前に座る俺とは何の縁もない。指摘されるまでもないことだった。
でもそれを割り切れるほど、俺は明哲ではない。なんなら面と向かって言われると、ちょっと傷つくくらいだ。
「春日山で何があった」
平三の死も、兵や段蔵の有様も、あの城に繋がっている。俺が黒い気配と呼んでいる霧状の禍々しいナニカが関わっていることも分かる。だが、もう一人の俺がそこで何をしているのかは、まだ何も分かっていない。
「尋問でございましょうか」
「答えたくなければ、答えずとも構わない。ただ、お前はこのままでいいのか?」
「それは、どういう――」
「俺は加藤段蔵という人間を知っている。遠い地にいる同胞を偲び、人の素朴な善意を愛する者だと」
本人はいつも草の者を名乗り、あくまでも俺の道具であることに徹していた。
だが、本人がどのように振舞おうとも、人のよさというものは滲み出るものだ。たまに記憶が飛ぶところは玉に瑕だったが、時折、妙にとぼけたことを言うのも今となっては懐かしい。
段蔵は何も答えず、俺を見ていた。別の生を歩んだこいつに、どこまで通じる話なのかは分からない。それでも今の段蔵の目には、理性の光があるように思えた。
「お前にとっても、今の越後は望ましいものではない筈だ。主君に義理立てするのは結構だが、御屋形様はどうしてここまで落ちぶれた。その理由を語れぬほど、お前は現状に納得できていまい」
返事を待つ間、木々の間を抜ける風が段蔵の髪を揺らした。俺はそれ以上言葉を重ねず、黙ってその顔を見ていた。
「……御屋形様は、弟君を殺めてから狂ってしまわれました」
「やはりそうか。だがなぜ平三を殺すような事態になった」
「異なことを仰います。御屋形様にとって、弟君は当主の座を脅かす存在でございました。武勇に秀でた弟君を推す声は、日ごとに増しておりましたゆえ」
それは俺にも覚えがあった。
平三が戦で功を立てれば、あれこそ当主に相応しいと考える者が増えるのも当然だ。加えて当時の俺は倅である猿千代を亡くし、後継ぎもいなかった。
なら俺が当主の座に留まり続けるより、平三に家督を譲った方が、長尾家の先行きも安定する。そう考えて平三に家督を譲るという決断をした。
当主の座を巡って家中が割れるくらいなら、自分から退けばいい。家督を譲った後も、兄としてあの子を支えてやれることはいくらでもあったのだから。
だが、この世界の晴景はそうしなかった。段蔵の言うとおりなら、当主であり続けるために、実の弟を殺したことになる。
「ということはあれか? 春日山にいる晴景は、ただ家督を保持するために平三を殺したのか? それはいくら何でも不可解だ。だって俺は、俺は平三を――」
――大切に思っているのだから。
そう答えた途端、段蔵の目が僅かに見開かれた。俺は何かおかしなことを言っただろうか。こちらを見つめるその眼差しに、今度ははっきりと戸惑いの色が浮かんでいた。
「……やはり、貴方様はワタシの知る主君ではないようです」
「どういうことだ」
同じ顔をしているだけの別人だということはすでに話した。それを今、改めて確かめるように言われた理由が分からなかった。
「御屋形様は――あの方は、弟君をひどく恐れておられました。あるいは、殺意さえ抱くほどに」
【玉薬之調合作法】
宝具ランク:C
種別:対軍宝具
長尾晴景が織田信長に贈ったとされる、黒色火薬の製法書。硝石の製法である古土法や培養法をはじめ、黒色火薬の原料と配合について記されており、当時としては極めて高度な技術書であった。
越後上杉家は、晴景の手によって黒色火薬の大量生産技術を確立した。これにより、精強を誇る軍勢は、火薬の生産・供給という面でも先進的な基盤を得ることとなった。
糞尿を混ぜた土から火薬の原料を生み出す技術は、その仕組みを知らぬ人々の目には、一種の神秘として映った。本宝具は、こうした逸話が「土を火薬に変える」という能力へと昇華されたものである。
宝具を解放することで、手や足で触れた土を、その性質を問わず火薬へと変質させる。遠隔起爆にも対応し、あらかじめ仕込んだ箇所を地雷のように用いることも可能。
高い破壊力を持つ反面、威力の加減はできず、使用者自身や味方を巻き込む危険を伴う。また、起爆の際には本書を手に保持していなければならない。
どっち?
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お虎さん
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ノッブ
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どっちも!