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バイオ見ました。個人的にはめっちゃ面白かったです。
段蔵から聞かされた話は衝撃的だったが、まずは片づけねばならないことがある。
一つ、柿崎との合流。
一つ、段蔵の処遇。
段蔵を取り巻いていた黒い気配は消えている。だが、このまま放置して御屋形様の手に戻れば、またあの謎の力で修復され、敵に回るかもしれない。かといって、もう抵抗する様子もない相手にとどめを刺すのも、どうにも気が進まなかった。
「……お人よしにもほどがございます」
どこか呆れた様子で段蔵が告げる。返す言葉もなかった。
「面目ない」
「では一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「構わない。俺にできることであれば」
「ワタシの骸を、相模と駿河の境にある足柄山へお埋めください」
「故郷なのか?」
返事はなかった。顔を覗き込むと、段蔵は目を閉じていた。もう指一本、動くことはなかった。
「仕方ないな」
苦笑いしながら告げる。これまで碌に願いを口にしなかった臣下の願いだ。叶えずして何が主君か。
俺は動かなくなった段蔵の上半身を外套に包み、連れていくことにした。右手も下半身もないとはいえ、こちらも満身創痍である。途中で何度か休み、どうにか待ち合わせ場所の社へ辿り着くと、先に戻っていた柿崎に呆れられた。
「……生きて戻れとは申したが、何を連れ帰っておるのだ」
「見てのとおりだ。すまんな」
「貴方様という人は……」
柿崎は説明を求める顔をしていたが、それより先に聞きたいことがあった。
「例の二人は?」
「万事抜かりなく」
婆様とあの幼子は無事に逃がせたという。今は柿崎の頼った者のもとに匿われており、当面の心配はないとのことだった。その報せに、ようやく肩の力が抜けた。
そのまま座り込み、しばらく動かずにいたかったのだが、柿崎はこの社に長居するつもりはないらしい。
「拙者の城へ参られよ。そこならば、傷を養う場所も用意できる」
「お前の城だと?」
所領の大部分を召し上げられたとは聞いていたが、本拠の柿崎城とその周辺は残されていたらしい。留守を預かる家臣たちは、主君の処遇が定まるのを待ちながら、今も城を守っているという。
とはいえ、柿崎が逃げたことは、すでに春日山へ伝わっているだろう。自分の城へ戻るとなれば、追手を迎え撃つ覚悟が要る。
「戻ればお前の家臣や領民まで巻き込むことになるが」
「承知の上でござる」
返事に迷いはなかった。
俺は改めて柿崎の顔を見た。処刑される直前まで、自分の命を惜しむ素振りさえ見せなかった男である。家臣や領民へ累が及ばぬよう、処分を受け入れようとしていたのだと思っていた。
その男が、なぜ抗う気になったのか。俺の疑問を察したように、柿崎は言葉を継いだ。
「――そこもとのお姿に、大殿の面影を見ました」
「大殿って」
「あの野心剥き出しの梟雄、長尾弾正左衛門尉様でござる」
意外な人物を持ち出され、返す言葉が一瞬遅れた。大殿、そして長尾弾正左衛門尉。つまりは我が父、長尾為景のことである。
しかし、野心剥き出しの梟雄って。仮にも元主君だろうに。いや、言っていることは分かるけども。なんというか、下克上の代表格だものね。
「御屋形様を討つと申された時には、正直、どこまで本気か測りかねておりました。だが、今は違う。そこな草の者まで退けた。そこもととなら、或いは万に一つ、勝ち目があるやもしれぬ」
父に似ていると言われたことは、これまでにも何度かある。ただ、俺としてはあそこまで苛烈な人物になった覚えはなかった。喜んでいいのやら。というか、どこらへんが似てるん? マジで教えてほしい。
俺が返答に困っていると、柿崎は春日山の方角へ目を向け、少し声を落とした。
「それに、拙者が大人しく首を差し出したところで、あの方が何を改められよう。残した者たちが、次に同じ目に遭わぬ保証もない」
そこで言葉を切り、顔を顰める。
「そもそも、この拙者を斬るというのに、御屋形様ご自身は顔も見せぬ。随分と軽く扱われたものでござる」
なるほど。それが一番腹に据えかねたか。でも分かる。武士って舐められたら殺すのが挨拶だから。
もっとも、意地や私怨だけで城へ戻ろうとしているわけではないのだろう。自分一人が死ねば、残る者たちを守れる。そう考えていたところへ俺が現れた。生きて抗う道にも勝ち目が見えたからこそ、今度はそちらを選ぼうとしている。
ならば、こちらも応えねばならない。
「よし、分かった。世話になろう。その代わり、城を守る手伝いはさせてもらうぞ」
「その御身体で、何をなさるおつもりか」
「身体を使わずにできることもあるんだよ」
幸い、今の俺はキャスターである。
★
柿崎の伝手で人手を借り、俺たちは無事に城へ移った。
主君の帰還を喜んだ家臣たちは、同行者の顔を見た途端、揃って言葉を失った。まあ、そうなるだろう。自分たちの主を殺そうとした男と、まったく同じ顔をした奴が一緒に戻ってきたのだ。
事情を説明したのは柿崎だった。
曰く、現在春日山城で踏ん反り返っている長尾晴景は偽物であり、ここにおわす方こそ真の御屋形様である、と。
事前に示し合わせた内容とはいえ、ずいぶんと思い切った説明をするものだった。だが異なる世界が云々と複雑な話を家臣たちに聞かせるよりは、よほど分かりやすい内容だろう。
それに春日山へ弓を引くにも、主君への謀反と偽物を討つための戦とでは話が違う。
加えて、敵方にはすでに俺の顔を見られている。いずれこちらの家臣たちにも知れることなら、初めから顔を隠さず、柿崎の口から説明してもらう方がいい。後から素性を疑われるよりは、まだ信頼も得やすいだろう。
家臣たちは半信半疑の様子だったが、柿崎は俺に命を救われたことと、今後は共に戦うことを最後に言い添えた。主君がそこまで言う以上、ひとまずは受け入れるほかなかったらしい。
柿崎の家臣たちの視線が痛いのは如何ともし難い。だが、ここまでお膳立てされたのだから、俺もどうにかして彼らの信頼を得なければならないだろう。
とはいえ、俺が城主に代わって采配を振るうつもりはなかった。城内の取りまとめは柿崎に任せ、俺は主に防備について相談を受けることになった。軍師と言えば聞こえはいいが、当初は寝床から指図するだけの、なかなか偉そうな客人だった。
というのも、段蔵との戦で負った傷が一日では癒えなかったのである。土地から流れ込む魔力のおかげか、傷の治りは生前とは比べものにならない。それでも、まともに動けるようになるには休息が必要だった。そこで、養生の傍らできることから手をつけた。
まずは銃と火薬である。
生前、あれほど苦労して作ったものが、今では道具作成の技能によって簡単に手元に揃う。ありがたい話ではあるが、試行錯誤に費やした年月を思い出すと少々複雑な気分にもなった。
もっとも、いくら種子島を作れても扱う者がいなければ役に立たない。こちらも療養中なのだから、際限なく数を増やすわけにはいかなかった。柿崎と相談し、使い手の人数に合わせて用意するつもりだったのだが、ここで一つ大きな誤算があった。
考えてみれば当然だった。今は天文十五年。日本に鉄砲が伝来して、まだ間もない頃である。俺が生きた越後でも、平三の主導で本格的に運用するようになったのは、もっと後の話だった。
つまり、扱い方を教えるところから始めねばならない。
面倒ではあるが、それでもやるだけの価値はある。離れた相手を殺傷できる威力もさることながら、俺が買っているのは使い手を育てるのに要する時間の短さだった。
弓や槍で熟練の武者と渡り合うには相応の鍛錬が要る。だが鉄砲ならば扱いを覚えた農民の一発が、長年武芸を磨いた者の命を奪うこともある。
ああ、兵の民主化こそ、銃の最も恐ろしい利点であると説いたのは三郎だったか。
ただまあ、柿崎はともかく、その家臣たちは火縄銃の強さに懐疑的だった。騎馬で突っ込んだ方が敵陣を崩せるし、遠くから射るなら弓でよい。耳をつんざく音もなければ、一射ごとの支度にも手間取らぬ、と。
なるほど、もっともな言い分である。俺自身、彼らが間違っているとは思わない。何なら、正しいとさえ思う。ただ、その不便を補って余りある利点が、種子島にはあるのだ。
例えば、音。
彼らが騒音と切り捨てたものにも、戦場では別の意味が生まれる。銃声は種子島の鬨の声。すなわち、
轟音が響き、誰かが倒れる。それを目の当たりにすれば、次に同じ音を聞いた時、己の身を案じずにはいられない。慣れぬ者なら、武者でさえ足がすくむだろう。俺が買っているのは、弾が肉を穿つ威力だけではない。その音が、人に植えつける恐怖でもある。
もっとも、そう説明したところで、彼らにはぴんとこないだろう。だったら今は、長年の鍛錬を積まずとも、扱いを覚えれば遠くの敵に強い一撃を加えられる筒、と思ってもらえばよい。
その真価は、戦場で間近に見てもらおう。俺が言葉を尽くすより、敵が怯む姿を見せる方が、よほど味方の自信になる筈だ。
ああ、でもなんというか。生前にも似たようなやり取りをした覚えがある。まさか死んだ後もまた同じ苦労をすることになるとは思わなかった。
だが、これも想定のうちである。彼ら全員に槍や弓を捨てて、鉄砲を持てと言うつもりはない。種子島の射手は足軽の中から選び、武者たちには今日まで鍛え上げた武威を遺憾なく発揮してもらう。はなから鉄砲だけで城を守り切れるとは、俺も考えていなかった。
そもそも、今の俺たちに必要なのは城に籠もり、押し寄せる相手を退けるための武器である。城の守りを頼みに撃てるなら、一発ごとの支度に手間取るという欠点も多少は補える。
無論、二日や三日で歴戦の鉄砲組が出来上がるわけではない。まずは扱いに慣れさせ、城を守る手立てを一つ増やす。それだけでも、今の俺たちには十分に意味があった。
春日山から使者が来たのは、俺の傷がまだ癒えきらないうちだった。要求は柿崎景家と、長尾晴景を騙る偽物の身柄を引き渡すこと。
やはり来たか、と思った。俺の顔を見た兵は何人もいる。段蔵まで戻らないとなれば、放っておく理由はないだろう。
柿崎は使者を迎え、このように返答した。
「拙者は参らぬ。長尾晴景を騙る偽物もこの城にはおらぬ」
使者が言葉を重ねても、返答は変わらなかったという。その報告を受けて、俺は少しだけ苦笑した。確かに、俺は誰かの名を騙っているわけではない。生まれた世界が違おうと、長尾晴景として生きてきたことに変わりはなかった。
もっとも、春日山の御屋形様がその理屈に納得してくれるとは思えなかった。
使者が帰った後、柿崎は家臣を集めて戦支度を命じた。これで、こちらの態度は明らかになった。柿崎家は春日山の御屋形様へ公然と抗う道を選んだのである。
俺も、いつまでも寝ている場合ではなかった。
柿崎城の世話になって三日目には傷も塞がり、身体はほぼ元どおりに動くようになっていた。ようやく城内を見て回ると、用意した銃の扱いを覚える者、普請を急ぐ者、周囲の様子を探って戻る者がそれぞれの仕事に追われていた。
柿崎やその家臣らを連れて城外へ出て、宝具の威力も見せておいた。人のいない場所の土に魔力を残し、十分に離れてから爆ぜさせる。
轟音とともに土が噴き上がると、さしもの柿崎も目を見張った。銃はともかくとして、火薬が戦の役に立つことは、これで分かってもらえたと思う。
「しかし、困ったな」
「うむ」
俺と柿崎は揃って首を捻っていた。
俺の傷を癒やし、目先の追手に備える場所として、この城はありがたかった。だが、ここを足場に春日山の御屋形様を討つとなれば、話は別である。
守りを固めただけで戦に勝てるわけではない。籠城して時を稼ぐなら、稼いだ先に何があるのかを考えねばならなかった。
援軍が来るのか。季節が移り、敵が兵を退かざるを得なくなるのか。持ちこたえた先に、何かしら状況が好転する見込みが要る。そうでなければ兵糧を食い潰しながら、落城の日を先延ばしにするだけである。
ところが、今の俺たちには、その見込みがない。援軍の当てはなく、春日山の軍勢が勝手に諦めてくれる理由もなかった。
おまけに柿崎城は長く籠もって戦うには心許ない城だった。普段の住まいと政務の場には足りても、大軍に囲まれて持ちこたえるには備えが足りない。本来、そうした時に頼るべきは猿毛城なのだが、こちらはすでに御屋形様に取り上げられ、別の城主が入っているという。
景虎を支持していた柿崎に、本拠だけが残されている理由も、これで察しがついた。万一、謀反を起こされても、この城なら容易に押し潰せる。向こうには、そういう算段があったのだろう。
ならば、その思惑を逆手に取る。
「よし。博打を打つ。猿毛城を奪うぞ」
「……威勢が良いのは構わぬが、勝算はおありか? よもや正面から攻め落とすとは言いますまい」
「そりゃあ勿論。調虎離山。敵を猿毛城から引き離し、こちらに有利な場所へ誘い出す」
「いかにして」
使者が来たのは先日のことだ。柿崎が春日山に従うつもりはないと、猿毛城の者たちにも、じきに伝わるだろう。ならばこちらの動きにも目を光らせている筈である。
「これより府中へ攻め入ると大々的に触れ回って兵を出す。そうだな、出立は明日としよう」
「……ふむ」
「留守になった柿崎城を見れば、猿毛城の連中も奪う好機だと考えるだろう」
「道理だな」
柿崎は顎に手を当てた。追討に先んじて城を奪えば、御屋形様への手柄にもなる。何より、容易に落とせると思っている城だ。守る兵まで減ったとなれば、なおさら欲が出るだろう。
「そこで、城に残した兵に多少抵抗させてから、速やかに退かせる。敵が勝ったつもりで城へ入ってきたところを、俺の宝具で……って言っても分からんな。要は火薬を爆発させて士気を挫く。威力は以前見せた通りだ」
「待たれよ。猿毛城には、かつて拙者に仕えていた者も残っておる」
「ああ。だからまとめて吹き飛ばすのは最終手段だ。怖気づいてくれれば、それで結構。なおも向かってくるようなら、城が壊れるのも厭わず、まとめて吹き飛ばすほかない」
柿崎は顎から手を離したが、表情は晴れなかった。かつての主に刃を向けることになった者たちにも、それぞれ事情があるだろう。家のためを思えば、主君を鞍替えすることも何らおかしな話ではない。
「……かつては共に戦っていた者たちでござる」
「分かってる。逃げるなら追わんし、降るなら受け入れるとも」
俺が答えると、柿崎はようやく頷いた。
ただし、これは相手が普通の兵であればの話だ。もし春日山で見た連中のように死兵へ変えられていたなら、恐ろしさを見せつけたところで退くとは思えない。元は同じ越後の者でも、襲ってくる以上は殺すほかないだろう。そこまで手加減できるほど、こちらにも余裕はなかった。
まぁ、普通の兵が相手なら、そう心配しないでほしい。奥の手もある。
「脅すような言い方になったが、実のところ、全く考えなしという訳でもない」
「話を伺おう」
「まず、敵方も一枚岩ではないかもしれん。お前の旧臣が残っているなら、そこにつけ入る余地はある」
「どういう意味か?」
柿崎は眉を寄せた。先ほどまで共に戦った者を殺したくないと訴えていたところへ、その情を利用すると言われたのだ。あまり面白い話でもないだろう。
「誰が好き好んで元主君の居城を襲いたがるのかって話だ。武士も足軽も、皆が皆、意欲的に戦に臨むとは思えない。一応確認するけど、今の猿毛城主は春日山の御屋形様が据えた者だろう?」
「うむ。そのように聞いている」
「なら、この短期間でお前の旧臣たちの信頼を得られたかは怪しい。俺の知る柿崎和泉守弥次郎の領地経営は見事というほかなかった。その信頼を覆すのは骨だろう」
「そこもとの言う柿崎何某と、拙者は別人ぞ」
もっともな指摘だった。
「そうだったな。じゃあ、民のために米蔵を開いたお前を信じよう」
それなら、この世界で聞いた話だ。少なくとも、民の窮状を見て見ぬ振りができる男ではない。
家臣たちにしても、どうせ仕えるなら、善良で有能でなおかつ
柿崎はしばらく俺を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……言いたいことは分かるが、それを根拠とするには弱いぞ。第一、猿毛城の防備が手薄になるほどの兵を、敵がこちらへ差し向ける保証もない」
情に訴えるだけの策では頷かない。勇猛な智将であるのは、この世界であっても同じなようだ。こちらとしても、その方がありがたかった。だって本題はここからである。
「勿論。留守を狙う以上、さっさと城を落としてしまいたい筈だ。少ない兵で手間取っているうちに戻られては、何のために出てきたのか分からなくなる。信望が得られていないのなら、なおさらだ」
「ゆえに、相応の兵数を出すと」
「そう読んでる。猿毛城を空にするほどとは思わんが。ただ兵が減れば、残された猿毛城の連中も考えるだろう。新しい城主のために踏ん張るか、元の主君を迎え入れるか」
「……そこで、拙者の旧臣か」
柿崎が顎を撫でた。新しい主に不満があっても、それだけで逆らえるものではない。だが、元の主が兵を率いて戻ってくれば、事情は変わる。あとは、その時に門を開けようと思う者がいるかどうかだ。
「言ったろう? 博打だと」
もしこちらの手勢に段蔵がいたら内応が可能かどうかも算段が付いたのだが、これは言っても詮無き事である。
一方、柿崎の表情は険しかった。今度は城を取った後のことまで考えているのか、しばらく黙り込んでから口を開く。
「しかし、流石に敵も愚かではあるまい。こちらが引き返せば、ほぼ確実に動きを悟られる」
「だからこその火薬さ。なぁに、足止めは任せてくれ。俺、こういうのは得意なんだ」
適切なタイミングに必要な演出を施す。上京した時も、織田家と同盟を結んだ時も、そうだった。そういう脚本を用意するのは、生前から――あるいは、その前から得意だった。
「という訳で俺はここに残る。だから城に残す兵は最小限で構わん。派手な爆発音が聞こえたら、猿毛城に進軍してくれ」
「承知した。して、それほどの火薬を使うとなれば、この城も無事では済むまい」
「ああ。すまんが当分は居城として使い物にならなくなるかもしれん」
「――なれば、なおさら猿毛を取り損ねるわけにはいかぬな」
柿崎は周囲へ目を巡らせた。見慣れた柱や梁を一度確かめるように眺めた後、俺へ視線を戻す。異を唱えないのが、かえって申し訳なかった。
それから二人で、猿毛城へ向かう道筋や兵を動かす頃合いを詰めていった。一通りの算段がついたところで、柿崎は腕を組んだ。
「しかし、その策が上手く運んだとて、我々が孤立無援であることに変わりはなかろう?」
猿毛城を得れば、守りは固められる。だが、春日山から追討の軍勢が押し寄せれば、いずれは兵も兵糧も尽きる。柿崎が求めているのは、ただ長く持ち堪える算段ではなく、その先にある勝ち筋だった。
「ごもっともな指摘だ。そこにも少し考えがある」
あの黒い霧のようなナニカの正体は、いまだに分からない。魔術の類だとすれば、俺の知識では対処のしようもない。
そいつに強化された死兵も厄介だが、そもそも兵の数からして違う。守護代長尾家が動かせる兵は、柿崎の十倍はいるだろう。まともに相手をしては、多少防備に優れた城に替えたところで先は知れている。
だが、それだけの兵をすべてこちらへ差し向けられるかは別の話だ。春日山の御屋形様に従っているからといって、越後の国衆が皆、同じ方を向いているわけではない。一向一揆の存在もある。
「今の越後を大まかに見るなら、勢力は三つだ。春日山の御屋形様と、それに従う者たち。揚北衆。そして、上田長尾家」
「揚北衆は分かる。だが上田衆もか? あれは御屋形様に恭順しているのではないか」
「さて。腹の底まで従っているかは、誰にも分からんだろう?」
上田長尾家当主、長尾政景は実はしっかり野心家である。少なくとも、俺が初めて出会った頃はそうだった。
生前こそ上田さんちの六郎などと親しげに呼んでいたが、もとより宗家に言われるまま従うような男ではない。その父・房長の代から、上田長尾家は我が家と争ってきた。従ったかと思えば、また背く。父も随分と手を焼かされた、まつろわぬ一族である。
六郎が俺に従うようになったのも、決闘じみた稽古で分からせてからだった。だが、それは俺個人を認めたからであって、宗家の当主なら誰でもよいという話ではなかったらしい。俺が隠居して平三に家督を譲ろうとした時も、最後まで首を縦に振らなかった。
結局、俺が平三の背を押して兵を出させ、平三自身の武威で従わせることになったのである。慕ってくれるのはありがたいが、俺が選んだ後継ぎくらい、素直に認めてほしかったものだ。
無論、こちらの六郎も同じ男だとは限らない。俺の知っている人間と、何もかも同じだと思い込む危うさは、段蔵との話で思い知ったばかりである。
それでも、上田長尾家が自家の力を伸ばす機会を窺っている可能性はある。
今の御屋形様は国衆の恨みを買い、領内を荒らしている。そのうえ、戦で頼りになる筈の平三まで、自らの手で殺してしまった。俺たちが春日山の兵を引きつけ、その隙を示すことができれば、六郎にとっても動く意味が生まれるだろう。
分家が宗家に取って代わる。そこまでの野心があるなら、なおさらだ。こちらを助けたいと思わせる必要はない。今なら自分にも得るものがあると、そう思わせることができれば上々である。
揚北衆? あいつらは知らん。自分たちの所領と自主性さえ守れれば、あとは勝手にしてくれという連中だ。少なくとも、こちらの都合でまとまって動いてくれるとは思えない。そもそも、今も揚北衆同士で争っているのだとか。
つーか、御屋形様も、つまらない理由で柿崎の首を刎ねようとする暇があるなら、そっちをどうにかしろよ。まあそれができないからこそ、人心も離れているのだろうが。つくづく、平三を殺して、その後の越後をどうするつもりだったのかと思う。
「上田長尾家と手を組めれば大きいが、初めから当てにはしないでおこう。まずは猿毛城を奪って、守りを固める。春日山の軍勢でも簡単には潰せないと分かれば、様子を見ている連中も少しは考えを変えるだろうよ」
そもそも、柿崎は民を救うために米蔵を開いている。この城には、長く籠もれるだけの蓄えがない。守りを固めたところで、食うものが尽きればそれまでだった。
城と兵糧を奪う。まずはそれができなければ、その先の話も始まらない。
「とはいえ、あまり気が進まんね」
「今、執りうる策の中では上策と心得るが」
「ああ、いや。そういう意味じゃなくてさ。また国衆同士を争わせることになるなって」
勝つために必要だと分かってはいる。だが、かつて争いを収めようと駆け回った俺が、今度はそれを煽る側に回る。そう思うと、どうにも後味が悪かった。
できれば血を流したくない。こんな時まで綺麗事を捨てきれないから、俺には越後をまとめきれなかったのだろう。
それでいて、勝つために必要な犠牲は冷静に勘定している。はっきり言って、中途半端にもほどがある。つくづく、国主の器ではないのだ。
「越後はもとよりそういう土地でござる。致し方ありますまい」
「……そうだね」
柿崎の言うとおりだ。越後は内乱の絶えない国だった。父は争いを収めきる前に老い、俺もあちらこちらの顔を立てては、その場を取り繕ってばかりいた。
最後に国衆を従わせ、内乱に終止符を打ったのは平三である。こうしてまた同じ苦労をしてみると、あいつの偉大さがよく分かった。
「――三郎だったら、どうするのかね」
あいつなら、この状況からでも間違いのない勝ち筋を見つけるのだろう。俺が思いもよらないような手を打って、したり顔で笑っている姿が目に浮かぶ。
え? 平三? あいつは兵を率いて突っ込めば大体勝つから。参考にしようとするだけ無駄無駄。
「何か申されたか」
「いや、何でもない。それより、家臣への説明はお前から頼む。俺からいきなり城を捨てろと言われても、皆、納得しづらいだろうからな」
「委細承知した」
あ、ちなみに作戦はうまくいきました。
猿毛城はほぼ無傷でげっと。いくら好機に見えたからって、ほとんどの兵を柿崎城へ向けるのはさすがに不用心ですよっと。
・長尾晴景
本作主人公。うまい具合に柿崎城に敵兵を招き入れ、いい具合に火薬による大爆発を実演披露。ビビった兵たちに対して「動くな……動くと殺す。魔術を使うと殺す。声を出しても殺す。わかったらゆっくり目を閉じろ」と某
・柿崎景家
本話MVP。良き治世と武勇によって信望を集めた結果、猿毛城の無血開城を成し遂げる。
・猿毛城
史実では、天正六年(1578年)に始まった「御館の乱」において、柿崎家の家臣たちが上杉景虎(北条氏康の子)方と上杉景勝(長尾政景の子)方に分かれ、相争った城として知られる。同じ家中にあり、ともにお家の再興を願いながら敵味方となり、猿毛城に籠もった景虎方は全滅するという悲惨な末路を迎える。
どっち?
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お虎さん
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ノッブ
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どっちも!