少女は生きるために殺しを続けた。その先にあるモノは──。 作:燈夜4649
「戦争孤児なんて、珍しくもないさ」
「あの白い家の連中よりはマシだったな」
「そうだな、王家に盾突くとは。バカな奴らもいたものだ」
私は屑どもが持っていたふりかけを食事に混ぜている。
あの家、とはなんのことだろう。
そんなことを思いつつ、私は食事をしながら、薄汚れた酒場の隅で、男たちの話を聞いていた。
店の外に出ると、瞬く星が今にも落ちそうだった。
夜空に輝く星々はいつも、私たち孤児を見守ってくれていたような気がする。
お腹が膨れると、少しだけ私は気が楽になった。
『お姉ちゃん、好きだよ』
『リリアーナ、良く戻って来てくれた』
ほら、ディアーナもスカーレットもそう言ってくれている。
だが無粋にも、私は懐かしい気配を感じた。
──殺気である。
逃げる私。
追う追手。
『お姉ちゃん死んで』
『死になさいリリアーナ』
私は駆ける。
追っ手は迫る。
『お姉ちゃん、無駄だから立ち止まって』
『リリアーナ、止ってよ』
「ディアーナ、スカーレット、ごめんなさい!」
逃げても逃げても、声と足音だけは追ってくる。
夜空が白み始める。
『諦めてよ!』
『諦めなさい!』
私はそれでも、駆けた。駆け続けた。
◇
気づけば私は街の郊外の、湖の畔に来ていた。
追っ手の気配は消えていない。
『無駄よ』
『無駄』
──無駄かもしれない──。
私は初めてそう思った。
私は足を止めた。
残りの白い粉、ふりかけを口に含んでは、湖の水で嚥下する。
そして、湖に足を踏み入れる。
針のように刺す水の冷たさ。
この水温では、案外簡単に死ねるかもしれない、などとバカなことを考えた。
『お姉ちゃん、こっちにおいで』
『リリアーナ、さ、こっちよ』
ディアーナとスカーレットが呼んでいる。
足首まで濡れる。
湖底は柔らかい砂で覆われていた。
『お姉ちゃん、できるじゃない』
『そうよ、もう一歩よリリアーナ』
膝下、腰下……。
私はどんどん進んでゆく。
寒い。痛い。熱い。
そう思えたとき、私は首まで水に漬かっていた。
『お姉ちゃん、来て?』
『リリアーナ、いつまでも一緒だよ?』
あと一歩、踏み出すだけ。
そう考えた私は、本当にバカな人間だった。
──私は目を閉じ、しばし立ち尽くす──。
「簡単に死なせてなるものですか、リリアーナ・キャロレッタァー!」
その金切り声に、私のぼんやりしていた意識が覚醒する。
風を切る音に、私は湖に潜った。
水面に潜る数本のナイフ。
どこにそんな力が残されていたのか、自分でも疑うほどの速さで泳ぎ寄る岸辺。
「リリアーナ! あなた、許さない!」
声に聞き覚えがあった。
確か、カレン。
同じ釜の飯を食べた友。
水から出る。重い衣服が邪魔をする。寒さは私の肌を冷たく覆った。
小柄で幼いカレンが悪鬼の形相で私をなじる。
カレンの手には、鋭いナイフが握られていた。
「あなたのせいで、あなたのせいで、みんな死んだ、みんな死んだ、みんな殺されたのよ?!」
よく考えれば、矛盾のあった話かもしれない。
だが私は、カレンの言葉を信じた。
「私のせい?」
「そうよ!」
睨み合う私とカレン。
しかし、次第にカレンの姿が二重、三重に分かれて行く。
七色に染められた、カレンの清楚な顔が狂気の色に染まっていった。
「終わりのようね、でも、手加減しないわリリアーナ! 私は王家の客となったのよ!」
「お願い、見逃して!」
「黙れッ! 王家の敵!」
カレンの持つナイフが空中に躍る。
腕の先で魔法のように煌めいていた。
私は避ける。
それでも避けた。
「みんなの敵。戦争が終わっても、あなたが死なないことには私の中の戦争は終わらないのよ!」
カレンが吠える。
その小さな体が巨人のように膨れ上がると、上から下に振るわれたナイフの先が私の頬をわずかに傷つけた。
足が崩れる。
倒れた私にカレンの体がのしかかる。その体は、巨体ではなく、小柄。
しかし、私は抑え込まれて逃げられない。
私は全身の神経を集中して振り下ろされようとするナイフを持つ腕を必死になって止めていた。
集中が乱れる。
カレンの腕が曲がる曲がる。
濡れた体は冷たさを失い、汗さえ噴き出している。
じりじりと迫るカレンのナイフ。
「死ね!」
「見逃して、私は生きたいの!」
私は願った。
心の限りに願った。
「どの口が言うかッ!」
罵声。
カレンがぐっと体重を乗せて私の顔面にナイフを落としてくる。
「止めて、カ、レ、ン……!」
「許さないわ。許すもんですかリリアーナァ!」
カレンは泣いていた。
虹色の涙が私の頬に落ち濡らす。
カレンの顔がぐにゃりと曲がる。
私の手から、力がふっと失われた。
途端、ナイフが、落ちてくる。
◇
私はゆっくりと、飴のように曲がるそのナイフの虹色の輝きを眺めつつ、横眼で追いながらそれをかわして。
──そこから先は、覚えていない。
また、闇が迫っていた。
気づく。
カレンが、私の胸の上に顔を埋めている。
なにがあったのだろう。
「カレン?」
カレンの手からナイフが落ちている。
「カレン?」
私はカレンを揺り起こす。
「カレン!」
しかし、カレンは力なく私の体に身を預けるだけ。
カレンは濡れた私のように、全身が冷たくなっていたのである。
カレンの脈をとる。
──動いていない。
……死んでいる。
『お姉ちゃん?』
私はその声に、顔を上げる。
見れば、ディアーナが立っていた。
『お姉ちゃん、生きて』
私の目尻から、涙が一筋零れ落ちた。
涙は、滝のように止まることなく零れ続ける。
『そうよ、リリアーナ。生きて』
スカーレットの声が聞こえる。
涙を通して、スカーレットがディアーナに寄り添うように立つのが見える。
「こめん、ごめんなさいディアーナ、スカーレット。……そして、ありがとう」
朧なディアーナとスカーレットの姿が薄れる。
闇が、私を覆った時、そこには私とカレンの躯だけが取り残されていた。
◇
私はカレンの両眼を閉じた後、花を手向けた。
もはや、虹色は感じない。
ねじ曲がった景色もない。
私はその足で、北に歩く。
やがて、花園に出た。
花の咲く色とりどりの原っぱだ。
私はその中央に、胸ポケットに入れておいた封筒を取り出す。
湖水で一度濡れたそれは、カサカサと乾いていた。
浅く穴を掘り、ディアーナの髪の毛と共にそれを埋める。
小さな土饅頭を作った。
ディアーナとの思い出を、この地に刻む。
スカーレットとの友情を、大切に心の宝石箱にしまっておく。
私は、ディアーナとスカーレットにお別れを言い、その地をそっと後にした。
気づけば私は笑いながら泣いていた。
そして涙が枯れ果てたとき、私は本当の笑顔を、数年ぶりに自分の手元に取り戻したことに気づいたのである。
『少女は生きるために殺しを続けた。その先にあるモノは──。』 END