「ぐすっ……お手紙の内容は何だったんですか?」
「恋文だ。この手紙によると、エレーナは俺達の依頼主とは別の男と密かに交際していて、駆け落ちするつもりだったらしい。さっきお前が見つけた首飾りは、その男からの贈り物だそうだ」
「……え? 貴族の方とお付き合いしていたのではなかったのですか?」
「立場上、主人のことを拒絶出来なかっただけで、愛情は無かったらしい。依頼主の首飾りだけが残っていたのは、もう身につける必要がなくなって捨てたからだろうな」
煙管で打たれて額が赤くなった弟子に手紙を投げ渡し、真珠の首飾りに目を向ける。連なる大粒の真珠には謎の紋様が彫り込まれていた。その紋様には見覚えがあった。
「確かこいつは……あぁ、やっぱりか」
解読途中の本を取り出して開いてみると、彫り込まれている紋様と同じ物が記載されていた。どうやら首飾りの送り主は魚面教団の一人であるようだ。そうなると、彼女が裏切ったと疑いをかけたのは邪教徒ということになる。日時から考えるに、俺達が襲ってきた集団を返り討ちにした件で疑惑を持たれたに違いない。
「常々思うことだが、世間は存外に狭いな」
悲劇的な結果に終わった少女の体に布を被せ、瞼を動かして閉じさせる。愛した者からは裏切り者だと思われたままで、依頼人に事実を報告される以上、彼女は誰からも弔われることはない。それならせめて朽ちるまで、人に見える姿に整えてやろう。そう思っての行いだ。
「行くぞナール、首飾りと手紙は巾着に押し込んでおけ」
「この人は放っておくのですか? どこかに埋めてあげないのですか?」
「そんなことをすれば目立っちまって、俺達が関わっているのが露見する。それに、偶然で仕方がないとはいえ俺達もそいつがそうなった要因の1つだ。そんな奴らに弔われても、良い気分になりゃしないだろうさ……」
弟子を扉の外へと追いやり扉を閉める。食われたり穢されたりして亡骸が辱められないよう、針金を鍵穴に差し込んで鍵をかけてやる。恋のために危険を冒し死んでいった乙女に、他人として出来ることはこのくらいしかない。
4番地から無事に帰ってきた俺達は「行方知れず」の奥の席、入り口から遠く2階の娼館へと続く階段からも離れた座席を占拠して依頼主を待っている。酒場に入り浸って早9時間。暗号解読や座学に勤しんでいた俺達の体には酒気と肉料理の匂いが染み付き、食事代の予算として机の上に積み重ねていた貨幣は夕食の分だけになってしまった。
「お師匠、そろそろお腹が空きませんか?」
「…………」
「お師匠様〜? 聞いてますか〜?」
今朝の出来事を踏まえてか、ナールは適度に聞こえる声量で何度も呼びかけてきた。4、5回目の呼びかけで俺が気づくと、彼女は文字が読めない者でも注文出来るように絵が描き込まれた品書きを俺の前に差し出してきた。
その行動によって、どれくらいの時間が過ぎたのか把握することが出来た。弟子の腹時計がなければ、きっと閉店時間まで気づかずに作業をし続けていたに違いない。
「飯にするか。おいそこの!」
「こっちです! こっちです!」
本日3度目の注文をする為に、近くに居た給仕に2人掛かりで声をかける。喧騒と音楽で騒がしい店内で気づいてもらえるように、大きく手を振り大声を出して彼女を呼んだ。
呼ばれた給仕は呟きながら謎の作業をしていた魔族の男と本の虫の少女という奇妙な2人組に呼ばれたというのに、怯えの表情一つ見せず笑顔で良い返事をした。下劣な者や荒くれ者が多く集まり、些細な事で刃傷沙汰が起こるこの酒場で働く薄給の給仕にしては珍しく愛想がある。
「ご注文ですね? 何に致しますか?」
「黒麦パンと鶏の塩焼き、それと火酒2瓶を。それでこっちには――」
「兎肉のシチューと甜橙のエードを!」
俺とナールは必要最低限の言葉だけで注文を伝え、それぞれの代金を彼女が持っている盆に載せた。支払いに使うのは全て鉄貨。10枚で大銅貨1枚と同じ価値になる小銅貨よりも1つ下で、10枚揃ってやっと小銅貨1枚となる額面が最小の貨幣を大量に積み上げている。
この鉄貨という貨幣は購入する物品の価格が高い場合は大量に運ばねばならず、両替商の下で銅貨に変えようにも高い手数料と長ったらしい手続きを要してしまう。それ故に俺達傭兵はこれを好んでおらず、手に入れてしまった場合には積極的に手放そうとする。
「畏まりました。あれ?」
「どうかしたのか?」
「ひぃ、ふぅ、みぃ。あの、多い分をお返ししますね!」
積まれた貨幣の数を数え、代金が過剰に支払われていることに気付いた彼女は超過分を机の上に戻した。貯まると嵩張る鉄貨を心付けとして渡し、手元に残さないようにする客がいることをこの店で働いているというのに知らないらしい。
「くれてやるから気にせず持っていけ」
「いえいえ、そんな! 何もしてないのにお金なんて貰えませんよ!」
「いいから黙って懐に入れておけ」
生真面目なのか中々受け取らない彼女に金を押し付けその手に握らせる。賭博の賭け金にするにも安酒を注文するにも足りないような金額なのだから、遠慮せずに受け取ればいいのに。
「でも……いえ、有難く頂戴します」
給仕は端金に対して深々と礼をすると、厨房へと向かっていった。一瞬の躊躇いの後に受け取ることを決めたのは、彼女なりの事情があるからなのだろう。
作業をしながら料理を待っていると、聞き覚えのある革靴の靴音が近づいてくるのが聞こえた。床を踏みしめる度に軋む音。この足音は間違いない、依頼主である彼のものだ。
「ようやく来たか。遅かったじゃないか……」
「これでも忙しい身でしてね。それで? 彼女は見つかりましたか?」
「あぁ、見つけたぞ。居なくなった理由も判明した」
弟子から巾着を取り上げ、手に入れた恋文を対面に座った男に渡す。
手紙を読んだ彼は、自分の想いが自己中心的で一方的なものであったことを知って項垂れた。それでも愛情は潰えていないのだろう。彼はエレーナが捨てていった首飾りを握りしめている。
「それでエレーナは? もう街を出たのですか?」
「残念だが、女は死んだ。俺達が辿り着いた時には既に手遅れだった」
「そんな……」
悲報を聞かされた男は酷く落ち込み、静かに涙を流した。口に手を当て、流れ落ちる涙で頬を濡らす彼の左人差し指には豪奢な金の指輪が光っている。
左人差し指に指輪がある。それは彼が既婚者か婚約者の居る人物であることを意味していた。以前会った時には確認できなかったので、今は外し忘れているのだろう。注視してみると、そこには妻とする人物の名前と家紋が刻印されていた。名はレベッカ。誘拐されたと噂になっている王族の娘と同じ名前だ。そして家紋には六角形が使われている。
これはつまり、そういうことなのだろう。眼前のこの男は、婚約者を探さねばならない時だというのに使用人に現を抜かしていたのだ。婚約者に愛情がなく、愛している振りをしているだけだとしても、そうあってはならないだろうに。長年生きた経験上、この男のように自分本位な人物に関わり続けても不利益しか発生しない。才色兼備で特別な資質のある弟子に興味を持たれる前に、離れるべきだ。
「こちらは契約を履行した。報酬を早く払ってくれ」
「ちょ、お師匠様!? 今それを言うのですか!?」
「言って何が悪い? 契約に感情労働は組み込まれていないし、やる気もない。同情や慰めが欲しいなら、報酬を支払った後に娼婦と酒でも飲めばいい」
嫌われるような言葉を投げかけ、傷心している男の前に契約書を広げて報酬を要求する。これ以上彼の話を聞いていても、疲労が溜まるだけで一銭にもなりはしない。俺は彼の臣下でも友人でも、ましてや家族でもないのだから、彼の話に耳を貸す義理はない。
「……ご縁があればまた何処かで」
男は複数の感情を押し殺した声でそう言うと、銀貨2枚を置いて席を立った。去り行く彼は猫背で俯いており、椅子や脚に何度も躓いて転びそうになっている。覇気を無くしたその姿は、稀に墓場に現れる亡霊にそっくりであった。
そんな男と入れ替わるようにして、愛想の良い給仕が注文していた料理を運んで来るのが見えた。人の波や伸びている脚を避けて歩く彼女の足捌きは、舞踊を踊っているかのように軽やかで、激しく動いているというのに、両手で運んでいる盆の上の料理は一切溢れていない。本当にただの給仕なのか疑ってしまうほどの凄まじい体幹と筋力だ。
「お待たせ致しました」
給仕は俺達の席まで辿り着くと一礼し、配膳を始めた。彼女の動作はその一つ一つが洗練されており、芸術作品のような美しさを孕んでいる。まるで、この猥雑とした酒場には似つかわしくない熟練の使用人が、そこに居るかのようだ。
机の上に並べられていく料理は、湯気と共に麦と肉と香料の混じった幸福の香りを放ち、俺達の鼻孔を擽り、涎を溢れさせる。銀の匙を持って配膳が終わるのを今か今かと待ちわびる弟子は、酒場で演奏されている音楽に合わせて鼻歌を歌い、尻尾を小さく揺らしている。
「お師匠様、美味しそうですよ! とっても美味しそうですよ!」
「俺はこの頁を解いてから手を付けるから、食いたきゃ勝手に食い始めてろ」
一緒に食べ始めようと笑顔で誘ってくる弟子から本へと目を移す。今朝までに3頁しか解読できていなかったこの本は、現在5頁まで解読が終了している。頁数だけで見れば作業の進捗としては進んでいる方ではあるが、得られた情報が情報なだけに素直には喜べない。
復号して読めた部分に書かれていたのは、勧誘にあたっての注意事項と魔神を褒め称える文章だけで、儀式の詳細や信仰している魔人の名前といった重要な情報は一切得られていない。暗号も文字の入れ替えや挿入だけの単調な物から、文節や綴りの入れ替えを織り交ぜた複雑な物へと変化している。もう少し解読を進めれば有用な情報を得られるのかもしれないが、今のところは何とも言えない。
ふと本から目を離して弟子を見ると、彼女は食事に手を付けず、こちらを見つめて頬を膨らませていた。共に会話を交えた食事をして欲しい、構って欲しいということなのだろう。
「……腹が減っては頭が回らんな。続きは夕食を食ってからにするか」
聞こえるように呟いて本を閉じ、鶏肉を掴んで口へと放り込む。すると、その様子を見ていた弟子は真似をするようにシチューの具を掬って口に放り込んだ。大きな具を口に含んで頬を膨らませた彼女は、満面の笑みを浮かべながら咀嚼している。