友で作った肉の傘を差し、滴る赤で染まった布地を
「これで私を忘れられないよね、先生?」
悪魔のような微笑みを浮かべた少女は、恋敵から奪った香水の残り香を残し、隙だらけの背中を向けてゆっくりと去って行く。後ろに残した男が自分を追いかけず、愛する人を救うべく燃え盛る館の中へ駆けていくことが分かっている少女は、復讐心を煽るために俺とケイが好んでいた歌を口遊んでいた。
「お師匠様、朝ですよー。今日はナールの服を取りに行く日ですよー!」
「っ――!!」
高揚した声を上げる弟子に体を揺さぶられ、悪夢から目を覚ますことが出来た。毎夜、再体験させられる記憶のせいで、鼓動が聞こえるほど心臓が早鐘を打ち、既に塞がった傷跡まで痛んでいる。
魔神"大火"となった一人の孤児が目論んだ通り、俺は彼女を忘れることが出来ず、復讐心と苦悩に苛まれ続けている。彼女の細い首を圧し折って息の根を止めなければ、この悪夢を終わらせることは出来ないだろう。
「すごい汗ですが、大丈夫ですか? ナールがお水を持ってきましょうか?」
「大丈夫だ……こいつを飲んで少しすれば落ち着いてくる……」
心配するナールの提案を断り、近くにあった蒸留酒を胃袋へと流し込む。このまま酔いが回るのを待てば、この苦痛は収まるはずだ。それまでの時間は、貴族街に入り込むための変装に使ってしまおう。
安楽椅子から立ち上がり、朽ちかけた床板を外して隠してあった棺桶を取り出す。長らく表に出していない黒塗りのそれには、錆び付いて機能を失った鍵が付いている。開けるには壊してしまうしかない。
「お師匠様、それは何ですか? なぜ棺桶に鍵があるのですか?」
「こいつは勇者が俺を放り込めるようにと作っておいた代物だ。もっとも、先に死なれて使い道が無くなっちまったから、今となっちゃただの箱だがな。鍵は見ての通り、盗難対策だ」
「中には何が入っているのですか?」
「見ていればわかる」
脆くなった錠前を引き千切り、棺桶の蓋を開ける。中に入っているのは武具一式と振り香炉だ。人間が身に付けるには大き過ぎる鎧兜と、7尺近い長さがある鉄製の金砕棒。そして、刺々しい突起と血錆の付いた振り香炉。
「お師匠様の武具と、これは……」
「ケイが使っていた振り香炉、二つ名の元になった武器だ」
「武器……えぇっ!? 武器として使ったのですか!? これって祭具ですよね!?」
「本来はそうなんだが、あいつはこれをフレイルのように振り回して敵に叩きつけていたんだ。あまりにも血生臭い使い方をしてたんで、伝えられてはいないがな」
棍棒と鎧兜を取り出し、棺桶の蓋を閉じる。誰にも渡すわけにはいかない形見の入った棺桶を元の場所に戻し、床板で封をする。こうしてしまえば、如何なる盗人も見つけ出すことは出来まい。
「流石"火薬樽"の作品だ。長年放置していたってのに、錆が少ないな」
長年放置されていた武具は、保存環境が劣悪だったというのに腐食に耐えていた。鉄片を繋ぎ合わせて鱗状にした鎧も、頭の上半分を覆う威圧的で刺々しい意匠の兜も、弟子より重い鉄製の棍棒も、実用に耐えうる保存状態だ。
「どうだ、これなら護衛役として買われた奴隷に見えなくもないだろう?」
「おぉ! 確かに見えなくもないですね! ……でもお師匠様、お師匠様を知ってる衛兵さんに会ってしまったら、背格好で変装が露見するのではないのですか?」
「貴族街を警備しているのは、貧民街に足を踏み入れたことのないような騎士団員とその見習いだけだ。俺の顔を知ってるような衛兵は一人も居ない。隣に身形を良くしたお前がいれば、疑われることすらないだろうさ」
完全武装した師を見て率直な感想と疑問を述べた弟子に、証文を渡す。小銀貨1枚をかけて仕立てた特注の一張羅に身を包んだ弟子を連れていれば、警備の者に止められることなく、壁の内側にある貴族街へ入り込めるだろう。
「そんなことよりも、こいつの解読が予定の半分しか終わっていないことのほうが問題だ。伝令が運ぶ密書よりも強固な暗号で守られているんだから、さぞ重要なことが書かれているんだろうが……」
机の上に置いてある本を手に取り、睨みつける。憎たらしいほど出来の良い暗号を作り上げた連中は、幼子の指を集めて邪悪な像を作り上げるような連中だ。きっと、この国を引っ繰り返すような謀略を巡らせているに違いない。
場合によってはあの赤狐のように、比較的居心地の良いこの国を離れねばならなくなるかもしれない。
「お師匠様、見てくださいよお師匠様!」
袖口をフリルで飾られた白色の長袖シャツと、スリットの入った黒いスカートに身を包み、洒落た金属の飾りがついた革靴を履いた弟子が、嬉しそうに飛び跳ねる。一本に纏められた後ろ髪が揺れ動き、それに扇がれて起こった風がラベンダーの香りを運んでくる。
彼女は服屋に着いてから、ぺリアと試着室に入っていくまで不機嫌だった。だが今は耳を後ろに倒し、千切れそうなほど尻尾を振っている。ご機嫌のようだ。
「似合ってますか? 似合ってますよね?」
「あぁ、似合ってるな。剣を携えていても、まったく違和感がない」
「でしょうとも、でしょうとも! でも、見栄えだけじゃないんですよ! ナールちゃんが蹴りを打ちやすいようにスカートにはスリットが入っていますし、革靴にはナイフを仕込めるようになっ――」
ぺリアはナールのスカートを少しだけ摘まみ上げ、俺に自信作の革靴を見せようとした。
次の瞬間、弟子の鋭い蹴りが顎に突き刺さる。幸い舌こそ噛まなかったようだが、ぺリアは泡を吹いて気を失っている。
「やっぱりナールはこの人が嫌いです」
「妻がすみません……。あぁ、そうだ。ちょっと待っていてください」
ぺリウスはナールに一言詫びると、気を失った変態を引きずって店の奥へと下がり、一人で戻って来た。戻って来た彼の手には皿があり、その上には硬めに焼かれたワッフルとジャムが乗っている。
「先程焼きあがったものですが、如何でしょうか?」
「……お師匠様?」
皿を差し出されると、弟子は唾を飲み込みこちらを見上げた。
彼女には毒への対策として「信頼出来る個人や店で注文したもの以外の食い物は飢えていなければ口にするな」と教えている。眼前の美味そうな菓子を食べても良いか、許可を求めているのだろう。
溜息をつき、食っても良いぞと手振りで示すと、彼女は皿を受け取り、嬉しそうにワッフルを頬張った。
「ふむ……やはり……」
栗鼠のように頬を膨らませ、幸せそうな表情を浮かべているナールの顔を、ぺリウスはじっと見つめて考え込んでいる。どうやら何かを思い出そうとしているようだ。
「何ですか?」
「ナールさんは、私が知っている方によく似ているなぁと思いまして……」
「似ている人が居るのですか?」
「リッセル卿の御息女に、アンナ様という方がいらっしゃいましてね。もしかして血縁があるんじゃないかと思ってしまうくらいに、雰囲気が似ているんですよ」
そう言いながら、ぺリウスは弟子から皿を受け取る。綺麗に完食されて空になった皿を見ると、彼は少し微笑み、会計用の台の上に置いた。
「艶やかな白髪に真珠のような肌、澄んだ空の如き青い瞳を持つ白狼の獣人。見た目は全然違うのに、何処か不思議と繋がりがあるように感じるのですよ」
「気の所為ではないですか? 世の中には、自分と似ている人が3人は居るって言うくらいですし」
「そう……ですよね! いやぁ、変なことを言って申し訳ありませんでした」
弟子にもっともなことを言われたぺリウスは、恥ずかし気に頭を掻いた。
しかし、人形師という繊細な目を必要とする仕事をしている彼が似ていると思ったのだから、アンナという御令嬢が弟子と何らかの共通点を持っているのは間違いない。一体、それは何なのだろうか。