困ったことに、俺達は森の中で根城というものを見つけてしまったらしい。しかも、そこは物音一つ聞こえない異様な雰囲気に包まれていた。先んじて何者かが暴れたのであろう痕跡もある。切り裂かれた死体が散乱し、門は開け放たれていた。さながら落城直後の城のようであった。
「なぜ……? ナール達以外にもお魚さん達と戦ってる人が居るのでしょうか?」
「それにしてはおかしい。門には打ち破られた痕跡が全くないし、外で死んでいる連中はうつ伏せで背中を突かれたり切られたりしている。まるで中から攻められたみたいだ」
「身内の犯行……内輪揉めでしょうか?」
「武器まで揃い切って、あとは行動するだけって時にそんなことは流石にないだろ。ナール、何が待ち構えているかわからないから警戒しろ」
いつでも振り下ろせるように金砕棒を肩に担ぎ、門を潜って暗い室内へと入っていく。明かりは少なく、時折見える窓には青いガラスがはめ込まれている。潮と生物の生臭さが充満し、屋内は暗い海のような雰囲気を醸し出していた。
時折見える石像や彫像、銅像は、いつか目にした奇妙な物とよく似た形状をしており、暗がりの中に佇んでいる。物音は聞こえず、足裏から伝わる血と臓腑の温もりだけが、そこに死体があることを生々しく伝えていた。それでも、本能的な何かが、何処かにまだ何者かが潜んでいると訴えかけてくる。
「お師匠様、何か変です……誰も居ない感じがするのに、誰かが居るような気がして仕方ないです……」
「変だろ? そいつは杞憂か、或いは意識して感じ取れない感覚のどちらかだ。人間にある第七の感覚だと考えられているし、それかもしれないな」
「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の基本的な感覚と、個人ごとに感じる幅のある魔覚……それ以外にもあるんですね」
「諸説ある。有るとする奴は、気の流れや万物から出る小さな粒子を、既知の感覚以外で感じ取っていると主張する。無いと主張する奴は、記憶にある似た状況から、ただ想像しているだけだと言っている」
「結論は出ていないのですね。お師匠様、ここが一番奥のようです。共通語で『再生の間』って書いてありますよ」
幾つもの部屋や庭を通り過ぎたところで、弟子は重厚な扉の脇に掛けられた札を指差した。
確かに、そこには彼女の言う通りの文面が書かれている。だが、それには違和感があった。信者が祈りを捧げる聖堂は、基本的に建物の中央か入り口付近に設けられる。その奥には居住空間などが続くはずなのだ。そうでなければ利便性が悪い。
「この先は何が待ってるかわかったもんじゃない。気を張れよ」
「わかってます! 任せてください!」
「……行くぞっ!」
弟子の返事を聞いてから扉に手をかけ一気に開く。開いた隙間からの攻撃を誘うため、急所以外を曝け出したまま突入した。
その先にあったのは、質素な聖堂であった。床も壁も苔の生えた石造りで、装飾らしい装飾もない。蝋燭の火だけが室内を照らし、薄暗い空間を作り出していた。広さは五十人ほどが集まれそうな正方形の空間で、二十数体の武装した魚面の死体が転がており、中央には血濡れの祭壇がありその脇には複数の刃物が置かれた小さな机がある。まるで、儀式中に襲撃されたかのようだ。
「蝋燭の火……まだ誰か居ますよ!」
「隠れてないで出てきやがれ臆病者! 暗いとはいえ、居るのがバレている以上、大した奇襲は出来やしないぞ!」
「そ、そうです! 出てきてください!」
「……随分な言い方」
背中合わせになって周囲を見渡しながら、大声で罵倒した俺達の眼前に、天井からぬるりと何かが落下してきた。
黒く、小さく、それでいて生臭いそれは、弟子と同じくらいの体躯をした少女であった。右目には眼帯を付け、上下で黒白に分かれた太い尻尾を持っている。魔族のようだ。手には五尺ほどの槍を持ち、左手には魔術的な意味を持つのであろう文様の刺青が入っていた。聖職者風の衣服を身につけた彼女の黒い前髪には、楕円形の白い点が二つ付いている。全体的な印象から、海を征く捕食者の姿を想起させられた。
「生臭いけど、魚さんじゃ……ない?」
「鯱……鯱の魔族か」
「良い匂いの小さいのと、変な臭いの大きいので変な組み合わせ。でもどっちも弱くはない。“深淵”に捧げる“供戦(くせん)”の相手としては異端者達より上等」
すんすんと鼻を鳴らして臭いを嗅ぎながら、少女は槍の穂先をやや下に向けた構えを取った。どうやらこちらと戦う気らしい。構えた槍の穂先は全くと言っていいほど揺るがず、立ち姿は発射寸前の攻城兵器のような圧迫感を与えてくる。精神性も戦闘の熟練度も、こちらの弟子とは比べるまでもなく上回っているのがわかった。
「──ッ‼︎」
「クリック音! ナール、狩られたくなければ急いでここから出ろ! ここはもう、奴の狩場になっちまってる!」
「勘が良い。違う、識ってた?」
鼻を鳴らす動作と、そこから発せられたクリック音を手掛かりに、聴力と嗅覚が優れていると踏んだ俺達は、暗闇から即座に逃げ出した。彼女はそんな俺達を興味深そうに見つめ、動作の一つ一つを観察している。
「お師匠様、出てどうするんです? 広い場所に出れば間合いの長い向こうが更に有利になりますよ!」
「それで良い。むしろ広い方が良い」
走る弟子を摘み上げて背中に乗せ、門を抜けて屋外へと飛び出す。これは逃げているのではなく転進だ。相手を有利な場所まで連れて行き、そこで倒すための誘引である。
「ここで仕留めるぞ。お前は俺の背に隠れて奇襲を掛けろ」
「奇襲ですか?」
「あぁ。どれだけ奴が強かろうが、何かに対応している時に意識の外から攻撃を喰らえば驚いて反応が遅れる。そこに生まれた隙を突いてしまおうって寸法だ」
「なるほど! とってもびっくりさせて、手一杯にさせる作戦なんですね!」
「まぁ……そういうことだ」
何故そうするのかを説明したら、背中に乗った弟子に即座に極限まで噛み砕かれた。長ったらしく説明したつもりはないが、短くまとめられると冗長に説明したのではないかと考えてしまう。
「逃げるの終わり? あの良い匂いの子は逃がし――」
「やりました! 当たりましたよお師匠様!」
片手で槍をこちらに向け、さぁ今から戦うぞといった様子を見せていた鯱娘の額に、隠れていた弟子の投石が命中した。まさかあんな一撃が当たるとは思っていなかったので、俺は言葉を失い、一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
鯱娘は前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。だが、触れてみると脈があり、息もしている。石をぶつけられて死んだわけではなく、ただ気絶しているだけのようだ。
「……お師匠様、今のうちに殺しますか?」
「いや、殺す必要は無い。戦闘の意思はあっても敵意は感じなかった。戦うことに何かしらの哲学を持っているようだったし、放っておいても無差別に誰かを襲うことはないだろう」
「でもでも、ですよ。“深淵”を信仰しているなら敵では?」
「それがそうでもないらしい。見ろ、この穂先と死体の傷跡が一致する。ここを襲ったのは魚野郎共と同じものを信仰するこいつなんだ。どうも内輪揉めがあったらしい」
気絶した少女の槍を取り上げ、死体の傷口に穂先を差し込む。すると、まるで鍵穴に鍵を差し込んだように、傷口がぴたりと埋まった。
この場で殺戮を行ったのは間違いない。だが、そうであるのなら、なぜそのようなことをしたのだろうか。
「それともなんだ? お前はこいつを殺したいか?」
「いえ、必要が無いなら別に……」
「じゃあ放置すればいい。多少は情けを掛けてからな」
「殺そうとしてきた相手を治療するのですか!?」
「恨みを買うくらいなら恩を売れ。長く生き残りたいならそれが一番だ」
ナールの鞄から水と布を取り出し、鯱娘の傷口に簡単な手当てを施す。恩義を感じる程度の知能があり、悪意の塊のような生物でもないのだから、次に出会った時にいきなり敵対してくることはないだろう。話くらいは聞いてくれるかもしれない。