「お師匠様お師匠様、これからどうするのですか?」
見つけられる範囲の全て、手を付けられる範囲の全て。そんな魔神教徒の拠点を焼き払い、人員を殴殺し、秘匿されていた兵器を処分した後の道中。弟子はこちらの前方に回り込み、後ろ歩きで俺に顔を向けながら、これからの指針を尋ねた。
「北方の“山賊道”を通って帝国領に入る。その後はトロップで宿を借りて、英雄様達が事件を解決するまでそこに滞在する。金が無くなるまでは休暇だな」
「温泉で有名なあの観光地トロップでお休みですか! でしたらでしたら、ナールを観光に連れて行ってくださいますよね? 時間もありますし、いっぱいいっぱい師事もしていただけますよね?」
生まれてこの方、娯楽目的の旅行をしたことが無い彼女にとって、帝国を訪れた旅人が必ず足を運ぶ観光地で余暇を過ごすのは楽しみであるらしい。
「楽しみなのは結構だが、その前にほら。厄介事のお出ましだ」
両脇を玉蜀黍畑に囲まれた道を、弟子と話しながら進んでいると、進行方向にある村から黒煙が立ち上っているのが見えた。村では老若男女が血を流して倒れ、小さな少年の手を引いて逃げる少女を魚面達が追いかけている。どうやら、あの小さな村は魔神教徒に襲われているらしい。
こちらへ逃げてくる子供達が俺達に気付く前に、弟子を小脇に抱えて玉蜀黍畑へ逃げ込む。見つかれば助けを求められるし、そうなれば否応無しに巻き込まれることになる。赤の他人の為に無報酬で戦うなど勘弁願いたい。
「おおおお、お師匠様! お師匠様!」
「何だ? 何も得られないし、助けな――」
ナールが何かに怯えて地面を指差したので、そちらを確認する。すると、そこには蜂の巣があり、俺はそれを踏み潰してしまっていた。巣を壊されて怒り狂った蜂達が飛び出そうとしているのだろう。足元からは羽音が聞こえてくる。
迷っている時間は無い。巣から飛び出した蜂達を振り切るため、ナールを抱えたまま玉蜀黍畑沿いの用水路へと向かう。こうなってしまえば子供達に見つかるのも必至だ。ならば致し方ないと、荷物を放り出し、逃げていた子供達を捕まえて共に水の中へと飛び込んだ。
「何者……蜂ィっ!?」
追いつく寸前まで迫っていた魚面達は、蜂の群れに襲われた。蜂への対処法を知らないのか、彼等は水へ飛び込むこともせず、手にした武器で群がる蜂を払い除けようとしている。
弟子と子供達を抱えて水に潜り、1分ほど経ってから用水路を出ると、魚面達は全身を腫れ上がらせて地面に転がり、呻いていた。毒が回り、このまま放っておけば苦しんだ末に息絶えるであろう彼等は、弟子を焚きつけるのに使えそうだ。
「おいナール、こいつをやれ」
「やれって……もしかしなくても殺せってことですよね?」
「それ以外に何があるんだ? ほら、苦しませ続けてもいいのか?」
「頼……殺しテ……オ願……」
苦しむ魚面を哀れみの目で見つめていたナールに止めを刺すよう指示していると、会話を聞いた魚面達が弟子の足元へ這いずり、懇願し始めた。
地獄の苦しみからの解放を求められた弟子は、自分が手を下さなければ彼等が苦しみ続けることと、自らが殺生を行うことを天秤にかけた末に決断した。震える手で剣を抜き、刃を振り下ろしていく。
一太刀、また一太刀。刀身を振り下ろす度に彼女の双眸からは輝きが失われ、迷いで鈍っていた太刀筋は鋭くなっていく。初めて自らの手で殺生を行った彼女の顔は、事を終える頃には一人前の傭兵のそれへと変わっていた。股座は、初めて敵を殺傷した新兵のようにすっかり湿ってしまっていた。
「あの、助けてください!」
呼吸を整え終えた少女は、俺達が武器を持っていることに気付くと助けを求めてきた。魔族に襲われたばかりだというのに、より凶悪な面をした魔族に助けを求めるその姿は、溺れる者が何にでも縋って助かろうとする様によく似ている。
「助けてほしいか? それなら金を払え」
「えっ――」
「傭兵に命のやり取りをさせたいなら、金を払うのは当然だ。無償で殺し合いをしてほしいってんなら、血に飢えた人斬りか、人助けが生き甲斐の聖人様でも探すんだな」
弟子と共に魚面達から戦利品を剥ぎ取りながら、少年少女に助けは有料だと告げる。不運な彼等に同情はするが、戦闘を生業としている以上、赤の他人のために報酬も無しで仕事をするわけにはいかないのだ。
「そんな……お金なんて持ってませんよ……」
「払えないなら話はここで終わりだ。村の事は諦めるんだな」
「ま、待ってください! お金は払えませんけど、お金になる物は渡せます!」
「姉ちゃん、それって父さんと母さんの……」
「わかってる。でも、仕方ないの」
少女は立ち去ろうとした俺達を慌てて呼び止めた。首にかけた何かを握りしめている。指の間から黄金色の光を放つそれには、確かな価値があるのだろう。だが、彼女自身は手放し難く思っているようだった。
「どうかお願いします! 私達を、私達の村を助けてください!」
少女は手を開き、握りしめていた物を差し出した。紐で繋がれた小さな首飾り。三日月を模した金製のそれには使い込まれた痕跡があり、誰かの形見なのだろうと窺えた。成程、手放したくないと思っていたのはそれが理由か。
村や隣人を救うために大切な物を差し出す彼女の心意気。そして、報酬として申し分のない値で売れそうな首飾り。戦えば友が戦う回数を減らすことにもなるし、寄り道をする理由としては申し分ないだろう。
首飾りを受け取り、村へ向かって物陰から様子を窺うと、魚面達は捕らえた村人を広場に集め、何らかの儀式を行っている最中だった。屠殺場の子羊のように震える村人達の前には、以前破壊した物に酷似した像や禍々しい形状の刃物が並べられている。魚面達はその周囲で太鼓や笛を使い、不安を掻き立てる音楽を奏でていた。
村人達を逃がさぬよう取り囲む魔神教徒の中には、これまでの連中に加えて異質な者達が混じっていた。板金鎧を着込んで馬を乗りこなす鯱頭に、宝石珊瑚の杖を携えた魔術師らしき鱓頭。一目で強者だとわかる彼等の存在が、村人達から抵抗する意思を奪っているようだ。
成す術が無いと思い込み、悲惨な末路を想像してしまった村人達は、泣き叫んで命乞いをするか、神に救いを求めることしか出来なくなっている。多少の勇気を与えたところで、戦力にはなってくれなさそうだ。
「お師匠様、あれは何をしているのでしょうか?」
「儀式だって事はわかるが、内容まではわからん。魔神に供物を捧げようとしているのか、それとも何かを呼び出そうとしているのか……まぁ、何をしようとしているにせよ、村人に危害を加えようとしていることだけは間違いないだろうな」
「では早く助けないと、ですね?」
「あぁ、そうだ。報酬を受け取った以上は、それに見合った仕事をしなきゃならん。出来る限り、可能な範囲で奴らを守ってやろう」
棍棒を握り直し、魚面達に最も近い物陰へと向かう。幸いにも彼等は儀式と村人に夢中で、周囲への警戒が疎かになっている。今飛び出して奇襲を仕掛ければ、二十人ほど居る敵の半数は屠れるだろう。
「お師匠様お師匠様、魔術師の方はどうやって倒すのですか? 炎の魔術を使われたら、この前以上に動けなくなってしまうのではないのですか?」
「……問題ない。『魔術師殺し』を使うからな!」
二つある奥の手の一つ。生石灰を詰めた小さな壺を取り出し、杖を持つ魚面の顔面目掛けて投げつける。壺は油断していた魔術師に命中し、飛び散った粉塵がその顔を包み込んだ。
「アがガヴァ! メガっ! ノどがッ! ハナがッ!」
水分と反応して熱を発する粉末が粘膜に付着した魚面は、呼吸するたびに体内が焼け爛れる地獄の苦しみに悶え、聞くに堪えない悲鳴を上げながら地面を転がった。よほど高位の魔術師でもなければ、魔術の発動には発声が必要となる。呼吸もままならず動けなくなったこいつは、無力化したも同然だろう。
突如起こった事態を呑み込めず、思考が止まった魚面達に棍棒を振るい、包囲の一角に大穴を開ける。村人を逃がして混乱を広げれば、有利な状況をより長く保てる……はずであった。
「無様ニ狼狽エルナ。一歩デモ退ク者ハ殺ス!」
様子を見ていた鯱頭の重騎兵は、叫び続ける魔術師を槍斧で叩き潰すと、慌てる魚面達を一喝し、後退りする足を止めさせた。不測の事態にも冷静に対応する判断力と、邪魔なら仲間であっても殺せる冷徹さを兼ね備えた彼は、暴力と恐怖によって一瞬のうちに混乱を制してしまった。
死地に踏み込み、活路を開かねば確実に殺される。その恐怖に駆られた魚面達は、各々の武器を構えると鬼気迫る表情で襲い掛かってきた。目の前で同胞が棍棒で叩き潰されようとも、腹を食い破られようとも怯むことなく向かってくる彼等の勢いは凄まじい。身体に届いた刃が俺の身を引き裂いていく。
白刃と鮮血が舞う戦いが終わった時には、俺の身体は自他の体液で一色に染まりきっていた。斬り落とされた左腕が再生する感触に加え、歯の間を魚面達の肉片が埋め尽くす感触まである。激痛と不快感が全身を襲っていた。
新しく生えた腕の具合を確かめながら、戦う様を観察していた鯱頭へと視線を向ける。魚面達と共に仕掛けていれば、首を切り落とすか心臓を破壊して俺を殺すことも出来たかもしれない。それなのに彼は動かず、ただ期待の籠もった瞳でこちらを見つめていただけだった。一体何を考えているのやら。
ふと、弟子の姿が見当たらないことに気が付いた。物陰からここまでは高い石壁も障害物もないのだから、加勢が間に合わないはずがない。まさか俺の目の届かないところで魚面に殺されてしまったのではないか。そんな不安に駆られ、幾つかの目で辺りを見渡すと、鯱頭の背後にある物陰で投石紐を振り回している彼女の姿が見えた。どうやら鯱娘の時と同じように不意打ちを仕掛けようとしているらしい。
「狼ノ、貴様ノ名前ヲ聞コウ」
「そんなもの聞いてどうする? 呼ばれても狼だからワンとは吠えないぞ?」
ナールが石を飛ばすまでの間、彼女の存在を悟られないよう会話を続け、注意をこちらに引きつけておく。どれほどの強者であろうと、無防備な後頭部に投石を食らえば痛いでは済まないはずだ。
「何者カ知ラネバ、首級ノ価値ガ測レヌ。モシ貴様ガ名ノアル者デアルナラ、貴様ノ首ハ武功ヲ誇ルノニ役ニ立ツダロウ?」
「自己紹介を求めるにしちゃぁ、物騒なことこの上ない理由だな。だがまぁ、知りたいってんなら教えてやろう。一度しか言わないから、よぉっく耳を澄ませて聞けよ! 俺の名前は――」
名乗る素振りを見せ、息を吸い込みながら近づいていく。そして十分に距離を詰めたところで、名乗る代わりに体内の毒袋から猛毒を吐き出し、浴びせ掛けた。
これが二つある奥の手のもう一つ。この姿になった時に得た、体内に溜め込んだ病や毒物を吐き出す力だ。この力のおかげで俺には毒も病も効かず、他者を侵すそれらを吸い出して助けることも出来る。だが、今はそんな使い方をするつもりはない。
油断していた鯱頭は、突如として仕掛けられた卑劣な攻撃を躱せなかった。近くにいる村人が吸い込む可能性を考慮して致死性の低い毒を選んだうえ、何らかの毒対策も施されていたらしく、その効果はほとんど無かった。だが、それで構わない。俺の奥の手は、この瞬間においては陽動に過ぎないのだから。
驚きで動きの止まった鯱頭に、ナールは待ってましたとばかりに投石を放った。彼女が放った直径五センチほどの石礫は、空を切り裂き、まるで導かれているかのように鯱頭の後頭部へと直撃し、鈍い音を響かせる。そのはずであった。
「グォ!? オノレ卑劣ナッ!」
弟子の放った石礫は、見事に鯱頭の後頭部へと飛んでいった。だが、男は命中する寸前に上体を逸らしてそれを躱した。攻撃に気付いた瞬間、即座に回避を判断し、それを実行するまでの一連の動作。それを見ただけでも、百戦錬磨の英雄である我が友ベーリンと同等か、それ以上の実力があるとわかる。先程の鯱娘とは違い、少なくとも俺と弟子だけでは勝ち目がないことは一目瞭然だった。
「そこまでだ! 両者とも動くな!」
鯱頭と俺達師弟が睨み合っていると、村の外側から声が掛かった。声の主に目を向けると、鎧を身に纏った育ちの良さそうな青年と、無駄に派手な衣服や武具を身に纏った冒険者らしき若者達がそこに居た。恐らく既に魔神教徒と一戦交えてきたのだろう。彼等の衣服は血や返り血で染まり、魔族である俺や鯱頭に対して極めて強い憎悪の視線を向けていた。
「新手カ。獣ト餓鬼ニ加エテ小者ヲ相手ニシテイテハ遅参スルナ……」
「おい鯱頭、強いのに逃げんのか?」
「安イ挑発ダナ。退ケ、塵共!」
鯱頭は槍斧で進路を塞ぐ冒険者達を蹴散らしながら、葦毛の馬を走らせてアルバルドへと向かっていった。倒されたのは進路を塞ぐ者だけではない。弓兵や術者といった、背後から攻撃できる者も優先して排除していた。単純に戦闘能力が高いだけでなく、頭の回転も速い。あの鯱頭は疑うまでもなく、恐れるべき相手だ。
「勝てる気がしないな……行くぞ」
「はい、お師匠様!」
戦闘が終わり、もう安全だと伝えようと振り返ると、村人達が俺を見て怯えていることに気が付いた。助けられたことへの感謝よりも、得体の知れない怪物が目の前に立っている恐怖の方が強いらしい。俺が顔を向けるだけで、彼等は視線に入らぬよう散り散りになっていく。非常に人間らしい反応だ。
「ま、待て! お前は……お前は何者なんだ?」
「そこのガキ共に聞け。俺達はそいつらに雇われただけだ」
俺達が立ち去ろうとすると、事態を把握できずにいる青年から正体を尋ねられた。俺は唯一、こちらの視線から逃れようとしない二人の子供を指差し、その場を後にする。俺達が居ないところで彼女達自身に説明してもらった方が、説得力もあるはずだ。