「あの……その……」
夕食時なってようやく目を覚ました少女は、身を起こすとナールを抱えて座る俺に話しかけてきた。店を荒らされた様子も、自分が傷つけられた様子もなく、自分も愛しい人も傷つけられていないのを見て少し安心したのだろうか。こちらが顔を向けても、少し怖がる程度で気絶はしなくなっている。
「あの……貴方、本当に……悪い人では、ないんですよね?」
「悪人かどうかは自分でもわからないが、少なくとも俺はこいつの服を作ってもらいに来ただけの客だ。この店やお前に対しては金を払って、それに見合う物を受け取る。それ以上でも、それ以下でもない」
眠っている弟子の頭を撫でながら、少女の問いに出来うる限りの穏やかな口調で答えを返す。そしてそれに続けて、彼女が気絶してから今に至るまでに起こった出来事を話していく。何が起こったのかを聞かされた彼女の顔は罪悪感からか、目に見て分かるほどに青ざめていく。
「私達、お客様に何てことを……。申し訳ありませんでした……」
「実害は出ていないし、怖がられるのには慣れてるから別に構わんさ。だがもしどうしても詫びたいというのなら、採寸の時にでもこいつに助言をくれてやってくれ。見ての通り女らしさとは無縁な男の元で育ってきたから、自分にどういう服が似合うのかなんてわからないはずだ」
柔和な表情を作り、ナールの頬を小指で優しく突く。値引きなど受けてしまえば、後で何を言われるかわかったものではない。この程度の頼みなら、貸し借りにもならないだろう。
「……是非、是非やらせてください! 私、これでも誰かの服を選ぶのは得意なんです! 店の人形が着ている服も、靴から帽子まで全部私が考えて作ったんですよ!」
何かお詫びをしたいという気持ちに加えて何かそうしたいと思う動機があるのだろうか、ぺリアは弟子の顔を見たその瞬間から先程までの大人しい喋り方から打って変わって急に饒舌になった。
「あぁ、その子だったら何が似合うのかな。シンプルなワンピースかな、それとも形式張ったドレスかな? 布地は白がいいかな、それとも黒のほうがいいかな? ふへっ、ふへへっ!」
彼女はナールを様々な方向から観察し一人ぶつぶつと呟き始めた。前髪の奥で目を爛々と輝かせ、口元を吊り上げたその顔は、少しどころではなく気色が悪い。もし他の客の前でこの顔をしてしまったことがあったのなら、この店が寂れているのはそれが原因だと断言できるだろう。
「大丈夫だから大丈夫だから、安心して身を任せて頂戴。健康的な身体に綺麗な黒髪……古傷は多いけれど、それすら野性的な魅力になってる……。あぁ、なんて……なんて想像力を擽ってくれる身体なんでしょう!」
「お師匠様! 助けてくださいお師匠様! この人、手付きと視線が変です! なんだが気持ち悪いです!」
採寸のために試着室へと連れていかれたナールが、創造する欲求を満たしたい変態によって全身を遠慮なく採寸され、今日何度目になるのかわからない助けを求める声を上げている。
「あれが、この店がこの店である理由なんだろうな……」
「えぇ、腕は良いし悪い子じゃないんですけどね。あっ、お茶のお代わりを注ぎますね。砂糖はいくつ入れます? そうだ、茶菓子の方も新しい物を持ってきましょうか?」
弟子に気絶させられていた青年が、陶器製のカップへ茶を注ぐ。少女よりも少し遅れて目を覚まし、事情を説明された彼は先程の非礼を詫びるように、申し訳なさからか妙に過剰な接客をするようになっている。
「ぺリウスだったか、一つ聞いてもいいか?」
「僕に答えられることはそこまで多くないですけど……それでよければ」
「俺をならず者だと判断した根拠を聞きたい。絵物語の悪役と同じ姿だからとか、女が倒れてるからそう思っただけなのか? あるいは、事前に何か事件が起きていたとか、何か悪い噂を耳にしていたとか――お前が早計な考えに至る理由が他にあるのか?」
体に対して小さ過ぎる茶器で茶を飲みながら、菓子を載せた盆を運んでくる青年に尋ねる。この質問は別に少年の動機が気になったからしたわけでない。もし仮に何か事件が起こっているのなら、俺が持つ情報の価値は更に高まるだろうと思って尋ねた。
「ここだけの話にしていただけるなら……」
「心配せずとも口は堅い。それに、俺が話したところで信用する人間は少ないだろ?」
「僕は副業で人形作成をしているんですが、城に入る機会がありまして……。その時に、侍女が話しているのを聞いてしまったんですよ」
俺が答えると、ぺリウスは周囲を確認してから、小声で話し始めた。どうやら彼は、世間には知られていない――いや、知られてはいけないような事を耳にしてしまったらしい。
「何を聞いたんだ?」
「『凶悪な外観で半裸、闇夜に光る瞳を持つ魔族が、数え切れないほどの婦女を攫っている。被害者の中には王族の娘もいるらしい』っていう噂です。不安が広まらないように、緘口令が出されているそうですが……広まるのも時間の問題でしょうね」
少年は言い終えると、再び周囲を見渡した。誰にも聞かれていないことを確認して、ようやく小さく息を吐く。自分の口からこの話が広まったと知られれば、どのような罰を受けるか分かったものではない。そんな恐怖が、その顔からありありと見て取れた。
「それで俺を悪党だと決めつけたと。詳しい内容は聞いていないのか?」
「聞いてますよ。なんでも攫われた王族はレベッカという王陛下の孫娘で、鷹狩りの見学に行った帰りで連れ去られたそうです。王族や彼女の婚約者が血眼になって探しているみたいですが、供の死体以外は何一つ手掛かりを見つけられていないとか」
「王族付きの護衛をどうにかして誘拐を成し遂げられる程の手練れがいて、帰路を把握できる情報網まで持った誘拐犯達か。確かにそんな奴らが未だに捕まっていないと聞いちゃ、不安になるのもわかるな……」
話を聞き、ぺリウスが早まった行動に走った理由に納得した。力を持った正体不明の何者かに襲われるかもしれないという恐怖は、表通りで何事もなく暮らしている者にとって決して小さなものではないだろう。
「お師匠様ぁー!」
採寸が終えたナールが更衣室から飛び出し、丸椅子に座っている俺の腰に飛びついてきた。彼女は変質者の域に達した職人と密室に入り、その者に体を触られた記憶を上書きするかのように頬を擦り付けている。
「……怖かったか?」
「はい……すごく、すごく怖かったです……」
「えへっ、へへへ……。あっ、これ私が考えてる服を作る場合の見積書です」
「随分安いんだな。──おい、年齢が間違ってるぞ。満年齢ならこいつは10歳じゃなくて8歳のはずだ。ナール、確かあの場所で会った時は2歳の時だったよな?」
「お師匠様お師匠様。あの場所でナールが『待ち始めた』のは2歳の時で、『会った』のは4歳の時です。6年たったからナールは今10歳です」
「そうだったか。会った時の状態が酷過ぎて、あまり違和感を感じてなかったがそうなのか……」
「いやぁ、やっぱりそうですよね! 8歳にしては身体つきがしっかりしているし、10代くらいの女の子から匂い始める独特な甘い香りを漂わせていましたし!」
「ひぇっ!」
ナールは小さな悲鳴を上げると、気色の悪い発言をしたぺリアの視界から逃れるように、俺の後ろへと身を隠した。貧民街に時折現れる露出魔や追剥に出会っても、彼女がここまで怯えることはまずない。弟子は、この人物が心底苦手なのだろう。
「完成予定は三日後か。早過ぎるくらいだが、本当にできるのか?」
「任せてください! 仕事の早さと品質の良さは、祖父の代から表通り一……いえ、アルバルド一ですから! 必ずその日までには完成させますよ!」
職人としての誇りと、確かな実力があるのだろう。ぺリアは腰に手を当て、胸を張ってそう言った。人としてはかなり問題のある人物ではあるが、仕事を任せる分には問題なさそうだ。
「ありがとうございました! その、もしよろしければ、また来てくださいね!」
「……用があればな」
「えぇ、是非是非! ナールちゃんの服も作りたいですし、それに私……お客様の服も作りたいです! 何でしょうか、お客様からも磨けば光る何かを感じるんですよね。あっ、すみません……私ったら、また暴走してしまって……」
金と証文を交換し終えると、店の前まで見送りに出てきたぺリアが、挨拶とともに生暖かい視線と言葉を投げかけてきた。どうやらナールだけでなく、俺にも目を付けていたらしい。是非ともやめてほしいものだ。
「貶されたわけでもないし、別に構わんさ。ほら、ナール。隠れてないで挨拶しろ」
「服屋のお姉さん……さよなら」
「えへへ、またね、ナールちゃん」
ぺリアは、小さく手を振るナールの姿を見て微笑んだ。
今までとは違い、そこに気色悪さはほとんど感じられない。ただの幼い子供の可愛らしさを見ている時だけは、彼女の問題のある気質が表に出ないのだろうか。