「随分と懐が温かいんだな。狼の」
目の前にあった輝きを、背後から声をかけてきた人物に掠め取られた。眼前で行われていなければ気づくことすらできないほど鮮やかな手並み、仄かに香る葡萄酒の匂い、背中に押し当てられた柔らかな双丘の感触。それらから、その人物が誰なのかはすぐに分かった。
「"赤狐"か。俺から物を盗ったってことは、死ぬ覚悟ができてるんだろうな?」
「おぉ、怖い怖い。昔の仲間の冗談に、そこまで言う必要はないんじゃないのか、"寝取られ狼(エルスウィン)"? それにこれは盗んだんじゃない。お前が勝手に使ってる技術の使用料さ」
赤毛の獣人。見た目だけは秀麗な、かつて共に勇者一行へ加わっていた"赤狐"のルナは、図々しくも俺の向かいの席に腰を下ろして足を組むと机の上に並んだ料理へ手を伸ばし始めた。いつの間に盗み出したのか、ナールが先ほどまで使っていたカトラリーを手に取り何食わぬ顔で肉を切り分けている。
"寝取られ狼(エルスウィン)"。彼女が俺を呼ぶのに使ったその呼称はとある童話に登場する狐に寝取られた雌狼の人妻の名前だ。俺と彼女の間にあった語ることの出来ない夜の話。それをいつまでも弄って楽しむために、彼女は俺をそう呼んでいるのだろう。
「あれ? それ! それナールの!」
「付け加えるなら、今から売る情報の代金も込みでこれで払って貰おうと思ってる。さっきの男からの頼まれ事に関する情報……欲しいだろう?」
使い終えたナイフを弟子に手渡しながら、コソ泥は俺の欲する答えを、悪戯っぽい微笑みを浮かべて待っている。相も変わらず腹立たしい奴だ。
「聞かせろ」
「……それが人に物を頼む態度かい?」
ルナはそう言うと、肉を口の中に放り込んで黙り込んだ。綺麗な顔に薄ら笑いを浮かべ、こちらが下手に出てお願いするのを待っている。危害を加えようとして襲ってくるわけでもなければ、こちらに害を及ぼす素振りも一切ない。ただただこちらを揶揄いたいのだ。
仮にこちらが力任せに聞き出そうとしても、無視したとしても、彼女はそれすら良しとするだろう。ルナは俺がどのように反応するのかを見たいだけなのだ。強く叩けばどんな反応をするのか。玩具を弄ぶ子供のようにただそれを楽しんでいるだけなのだ。
「オシエテクダサイ」
「探している女は、貧民街4番地にある阿片窟――“洞窟”って場所に潜んでる。私が手配した借家に引き籠って、何かを待っているみたいだったな」
つまらない返しをわざわざ考え、それを口にしたことが面白かったのだろう。ルナは口角を上げ、事件の核心に迫る重要な情報をさらりと口走ると住所が書かれた紙を机の上に置いた。
「それはつまり自分から行方不明になったってことか。だが何のために?」
「さぁね。私が関わったのは家の手配だけだし、興味がなかったから詳しくは調べてない。だけど会った時に少しばかり気になることは言っていたな」
「何を言っていたんだ?」
「聞きたいかい?」
こちらが質問を投げかけると、ルナは愉しそうな顔になった。情報の見返りとして、俺に何かろくでもないことをさせようとでも考えているに違いない。
「それなら追加で情報料を貰おうか。そうだなァ……今はおかげさまで金には困っていないし、質問に答えてくれるなら、その代わりに教えようじゃないか」
「答えられる範囲で答える。その代わり、答えられたらちゃんと教えろよ」
「わかってる、わかってる! じゃあ質問だ。その子は何だい? こさえたのかい? 誘拐したのかい? お前が愛していたケイ……“振り香炉の勇者”が、魔神になった孤児、“大火”に殺されて以来、子供嫌いになっていたお前がどうして子供なんて連れているんだ?」
ナールを指差しながらルナは聞きたいことをすべて口にした。答える内容は大したことのないものばかりなので別に構わない。だが、それにしても得られる情報が一つなのに対して質問の数が多すぎるのではないだろうか。
「こいつは俺の弟子だ。捨てられていたのを酔ったブロックと間違えて連れて帰っちまってな。捨て直すのも目覚めが悪いから、面倒を見ている」
「ナールです!」
「なんだつまらないな。湧き上がってくる獣欲を解消するために、肉奴隷を連れ回しているとかなら、多少は弄り甲斐もあっただろうに。おや? その腰に差している剣は……まさか、ケイが持っていた“遺産”かい!?」
両手でパンを持って食べていたナールが携えている業物に気付いたルナは素っ頓狂な顔をした。かつて最愛の者が使っていた聖剣をまだ未熟な子供に預けていることに驚いているらしい。
「見ての通り、ケイのやつが使っていた聖剣だ。担い手じゃない俺が持っていても、抜くことも振るうこともできない。神代の“遺産”に埃を被せておくくらいならと、剣が新たな担い手に選んだこいつにくれてやった」
「この子が新しい担い手ねぇ。成程、成程……」
「あの、何でしょうか? ナールの顔に何かついていますか?」
「……何でもないさ。見覚えがあったような気がしたけど、気のせいだっただけさ」
ナールの顔をじっと観察していたルナは、何かを思い出したような顔をしていた。
だが、それ以上は何も語らない。何か弟子について知っていることがあるのだろう。しかし、この反応をした時のルナの口が堅いことを、俺はよく知っている。どんな手段を使ったところで、今のルナから話を聞き出すことはできないだろう。
「それで、気になることってのは何だったんだ?」
「『孵るまであと少し耐えなきゃ』って独り言だ。意味は分からなかったが、あれは不気味な響きだった。気を付けろよ、狼の。お前は、お前が思っている以上の大事件に首を突っ込んでいるのかもしれんぞ」
「忠告、感謝する……感謝はするが、そいつは置いていけ」
「断る。盗人と相席しているのに、奪われたくない物を机の上に置いている方が悪い」
未開封の酒瓶を掠め取るとルナはこちらに背を向け店を後にした。歩き去る彼女の服の下からは、貴金属や宝石がぶつかり合う音が聞こえていた。邪教徒が魔神を召喚しようとしていようが巨大な魔物を孵化させて悪事を企んでいようが、ルナにとってはどうでもいいのだ。
自分に害が及ぶ理由がない限り余計なことには首を突っ込まない。現金に換えられる私財を身に着け事態が収まるまで街を離れているつもりなのだろう。相変わらず自分の損得にしか興味のない女だった。
「“遺産”……神代からの眠りから目覚め、世界中を復興させ、王となった“石棺の一族”だけが扱える物ですよね。え? あれ? ということは、ナールは“石棺の一族”の血統なのですか?」
「その剣を抜けるってことは、世界の基礎を建て直した尊ばれる血筋の生まれで間違いないだろう。まぁ、お前はよほどの理由がなきゃ何も相続できん庶子だろうがな」
世界に存在する王国の王侯貴族は、基本的には“石棺の一族”に連なっている。つまり、ナールもその血を引いている可能性があるということだ。だが、そうであるなら、なぜこんな場所にいるのか。大方、妾か情婦から生まれて捨てられた子供なのだろう。
「とはいえ、お前の血筋は、そうだという事実だけで大きな意味を持つ。政治的な象徴としても、邪教の生贄としても、付加価値になっちまう」
「ひぇぇ……ロクなもんじゃないですね……」
「それでも、まだ良い方だ。最悪の場合、家の格を上げるために飼い殺しを狙ってくるかもしれないぞ。考える頭も、動くための手足も必要としない用途での誘拐――実例がないわけではないからな?」
「ひぇっ! そ、そうならないように守ってくれますよね? ナールを守ってくれますよね、お師匠様?」
「15で成人になるまでは守ってやる。だが、それまでには自分のことは自分でやれるようになっておけよ」
心配そうな表情を浮かべる弟子から目を逸らし、手にした麺包を噛みちぎる。ナールの年齢は、世間的には“小さな大人”という区分に入り、どこかの親方のもとで修行をするか、畑で働き始める頃合いだ。まだ庇護が必要ではあるだろう。少なくとも、正式に大人になるまでは面倒を見るつもりだ。