■中央暦1643年5月上旬 第二文明圏東南海域 昼
ムー海軍の兵員輸送艦「ラ・コシド」の艦橋に、待ちわびた報告が届いた。
『……対空戦闘、終了。敵航空隊、撃滅を確認。脅威は排除されました』
日本側からの通信を聞き終えたオルト艦長は、艦長席で大きく、長い息を吐き出した。
「……終わったか」
全身から力が抜けていくのが分かった。背もたれに身を預け、額に滲んだ汗を手の甲で拭う。
この作戦の話を最初に聞かされたとき、オルトは正直なところ、気が重かった。
日本と合同で、グラ・バルカス帝国の秘匿補給基地を叩く。それ自体は結構なことだ。だが、戦闘艦の護衛はすべて日本任せ、ムーは海軍歩兵を運ぶ輸送艦を出すだけ――この役割分担に、不安がなかったと言えば嘘になる。
むろん、日本が強いという話は、軍の上層部から繰り返し聞かされていた。首都オタハイトの沖では、日本が改修した戦艦ラ・カサミと日本の護衛艦隊が、それまでムー海軍が手も足も出なかったグラ・バルカス帝国の艦隊を、見事に撃滅してみせた。その後の商業都市マイカルの沖でも、日本の艦艇が敵艦隊を打ち破ったと聞いている。
それでも――航空隊の支援もない艦隊で、敵の基地に正面から殴り込むなど、いくら何でも無謀ではないか。オルトは内心、そう思っていた。
その不安が現実になったかと思ったのは、つい先刻のことだ。グラ・バルカス帝国の大規模な航空隊が、こちらへ殺到してくると報せが入ったとき、オルトは本気で死を覚悟した。空母も持たぬ艦隊が、あれほどの数の航空機に襲われて、無事で済むはずがない。そう信じていた。
ところが、蓋を開けてみれば――どうだ。
日本の護衛艦隊は、まるで精密な機械でも動かすかのように、淡々と敵航空隊を撃ち落としていった。「ラ・コシド」の甲板からは、敵機の一機すら、まともに姿を拝むこともなかった。気づけば、戦いは終わっていた。
「……まったく、とんでもない連中と組んだものだ」
オルトは苦笑しつつ、副長に向き直った。
「対空警戒は、しばらく解くな。念のためだ。敵がまた何か仕掛けてこないとも限らん」
「は、了解しました」
指示を出しながら、オルトは改めて思った。
日本が、味方で本当に良かった、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下司令部は、凍りついたような沈黙に包まれていた。
「……もう一度、言ってみろ」
基地司令ケトス中佐の声が、低く震えた。
報告に上がってきた航空隊の指揮官は、青ざめた顔で、絞り出すように繰り返した。
「攻撃に向かった部隊は……壊滅しました。帰還できたのは、いち早く魚雷を投棄して撤退した、飛行艇の2機のみです」
「2機……だと」
護衛艦隊司令官リゲル大佐が、呻くように呟いた。
出撃した攻撃隊は、総勢75機。基地航空隊、水上機母艦の飛行隊、潜水空母の艦載機――その精鋭を、惜しみなく投入した。多少の対空射撃で、いくらかの被害は出るだろう。それは織り込み済みだった。だが――
「そんな、馬鹿な……。75機を出して、戻ったのが、たったの2機だと?」
ケトスは、机に拳を叩きつけた。
「いったい、何が起きた。報告しろ」
「敵の対空攻撃が……あまりに、凄まじく」
指揮官は、声を震わせながら続けた。
「搭乗員の話では……敵は、誘導弾と思われる兵器を使ってきたと。みずから飛んで、機を追いかけてくるロケット弾だと。我が方の機は、回避もままならず、ただ次々と撃ち落とされていったそうです」
「誘導弾だと……」
ケトスは、思わず眉をひそめた。
誘導弾――そのような兵器は、本国の軍研究所で、ようやく構想が語られている程度の代物にすぎない。実用化など、夢のまた夢だ。そんなものを、こんな辺境の戦場で、敵が当たり前のように使ってくるなど、にわかには信じがたい。
信じたくはなかった。だが――出撃した73機が、ただの1機も戻ってこないという事実は、厳然としてそこにあった。
「司令」
指揮官が、緊張した面持ちで尋ねてきた。
「第二次攻撃隊を、編成いたしますか。旧式機や、足の遅い水上偵察機であれば、まだ若干数が残っております。数は心許ないですが、攻撃自体は、一応……」
ケトスは、しばし黙考した。
もし、今の報告が事実であるならば――残った旧式機を二の矢として放ったところで、大した戦果は望めまい。ただ、貴重な機と搭乗員を、無駄に磨り潰すだけだ。
「……いや、よせ」
ケトスは、首を横に振った。
「第二次攻撃は中止する。残った機は、基地周辺の哨戒に回せ。敵がこの基地へ接近してこないか、警戒を厳とせよ」
「は……了解しました」
指揮官が、どこか安堵したように敬礼し、司令部を後にした。
残されたケトスとリゲルは、互いに、途方に暮れたような顔を見合わせた。
「……リゲル。敵の艦隊だが」
「ああ」
リゲルは、重い口を開いた。
「観測哨の報告では、隊列の中にムーらしき艦が交じっていた。それは間違いない。だが――問題は、それ以外の戦闘艦だ」
「うむ」
ケトスも頷いた。報告を聞いたとき、最も引っかかったのが、そこだった。
「他の戦闘艦の見てくれは、従来の列強――ムーや、神聖ミリシアル帝国のものとは、まるで違うという。それどころか……我が帝国の艦に近い、とまで言うのだ」
「ムーが、我々の艦を真似て造った新型艦……という線は、どうだ」
リゲルが、おずおずと口にする。だが、自分でも納得できていない様子だった。
「見てくれを真似るだけなら、ムーにもできよう。だが――問題はそこではない」
ケトスは、即座に否定した。
「今日の敵は、あの誘導弾を使ってきたのだぞ。我が帝国ですら、未だ構想止まりの代物だ。同じ機械文明の国とはいえ、我々より技術で劣るムーが、そんなものを実用化できるはずがない。艦の見た目を真似ることと、誘導弾を造ることとでは、わけが違う」
「では、神聖ミリシアル帝国か。空を飛ぶ戦艦すら持つという、あの化け物どもなら――」
「それも、おかしい」
ケトスは、苛立たしげに首を振った。
「ミリシアルの艦は、聞くところによれば、凹凸のない、つるりとした奇怪な多面体の見た目をしているという。我が帝国の艦とは、似ても似つかん。それに――ミリシアルは、先の艦隊決戦で叩きのめされて以来、艦隊をろくに動かさず、本土の防衛に引っ込んでいるという話ではないか」
「……確かに」
リゲルは唸った。
「日本、という新興国の噂もあるが」
「あれも妙だ。日本は、対空射撃がやたらと強いという話は流れているが、まともな大口径主砲を積んだ艦は、一隻も持っていないとの情報だった。今日の敵が日本だとすれば、その情報と食い違う」
二人は、しばし沈黙した。
考えれば考えるほど、敵の正体が、霧の中へと遠ざかっていく。ムーでも、ミリシアルでも、日本でも、しっくりこない。ならば――
「……まさか、我々の知らぬ、新たな国が、参戦してきたのか」
ケトスの口から、思わずその言葉が漏れた。
グラ・バルカス帝国は、この世界に転移してから、さほど間を置かずに侵略を開始した。周辺の国々を瞬く間に蹂躙し、勢いのままに版図を広げてきた。だが、その実――この世界に、どれほどの国があり、どれほどの力を持つ国が潜んでいるのか、帝国は正確には把握していない。
把握しきる前に、戦争を始めてしまったのだから。
得体の知れない敵。その正体すら掴めぬという不気味さが、じわりと二人の心を蝕んでいく。
「……ともかく」
リゲルが、気を取り直すように立ち上がった。
「迎撃に出した潜水艦隊に、警戒を促さねば。敵の正体が分からん以上、迂闊な接敵は禁物だ。状況を伝え、慎重に攻撃するよう連絡してくる」
「ああ、頼む」
リゲルが、足早に司令部を出ていった。
一人残されたケトスは、薄暗い司令部で、椅子に深く身を沈めた。
破竹の進撃。先進11ヵ国会議での、全世界への宣戦布告。圧倒的な力で、敵を片端からねじ伏せてきた、あの輝かしい日々。その勢いに任せ、誰もが信じて疑わなかった。帝国は無敵であり、この世界の覇者となるべき存在なのだと。
だからこそ、ずっと胸の奥に封じ込めてきた思いが、今、ゆっくりと頭をもたげてくる。
我々は――この世界のことを、あまりに知らなすぎるのではないか。
その正体も、その底力も、何ひとつ正しく測れぬまま、勢いだけで戦争を始めてしまったのではないか。
ケトスは、答えの出ない問いを抱えたまま、暗い天井を、ただ見上げていた。