■中央暦1642年9月 ムー キールセキ南西郊外 エヌビア基地 朝
朝靄の残る滑走路の向こうで、杭打ち機が単調な音を刻んでいた。
ムー中央部の工業都市キールセキ。その南西郊外に広がるエヌビア基地は、今、国中のどの飛行場よりも騒がしい場所になっていた。滑走路の延長、誘導路の増設、掩体と燃料施設の新設――この年の5月に始まった日本とムーの共同改修工事は、基地の姿を日ごとに造り替えている。土埃の中を、ムーの作業員と日本の技術者が入り混じって行き交う光景も、もはや日常だった。
その喧騒を横目に、堀川は教練室棟へと歩いていた。
浅黒い肌に、彫りの深い顔立ち。歳月に鍛えられた精悍な気配をまとう、大ベテランのパイロットである。かつては大日本帝国海軍東遣艦隊、航空母艦「土佐」戦闘機隊の一員として異界の空を駆け――今は、海上自衛隊の一員として、この異国の基地に立っていた。
教練室の扉を開けると、既に全員が揃っていた。
「――総員、起立していますっ!」
当直のパイロットが張りのある声を上げる。飛行服姿のムー人たちが40名余り、寸分の乱れもなく整列して堀川を待っていた。2ヶ月前、初日にはばらばらだった姿勢が、今では見違えるほど様になっている。
「よし。着席――と言いたいところだが、今日は座学は無しだ」
堀川がそう告げた瞬間、整列した男たちの間に、抑えきれないさざめきが走った。
来たのだ。ついに。
噂は昨夜のうちに基地中を駆け巡っていた。昨日の夕刻、見慣れない単葉機の編隊が空から現れ、日本人操縦士の手で次々とこの基地に降り立ったことを。機体はそのまま夜のうちに第2格納庫へ収められ、歩哨が立てられたことを。
――事の起こりは、この年の4月に遡る。
グラ・バルカス帝国が全世界に宣戦を布告し、マグドラ沖で神聖ミリシアル帝国の誇る第零式魔導艦隊を、フォーク海峡では列強諸国の連合艦隊を、立て続けに叩き潰した。カルトアルパスの空を覆ったのは、帝国の艦上戦闘機アンタレスの群れである。世界最高峰とされたミリシアルの魔導戦闘機ですら一方的に狩られたその空戦の顛末は、機械文明の雄たるムーに、ひとつの冷厳な事実を突きつけた。
――我が国の翼では、あの敵に勝てない。
ムー空軍の主力戦闘機マリンは、全金属製の頑丈な機体と軽快な運動性を併せ持つ、第二文明圏では紛れもない一線級の複葉戦闘機である。だが、相手が悪すぎた。低翼単葉、引込脚、密閉風防――複葉機とは丸々ひと世代違う敵機に対し、速度で100キロ以上劣るマリンには、追うことも、逃げることも、許されない。
次に帝国の矛先が向くのは、ムー本土。それは誰の目にも明らかだった。
日本は、ムーへの本格的な軍事支援を決断した。エヌビア基地の共同改修はその第一歩であり、そして、もうひとつの柱が――日本の戦闘機を装備した、ムー人パイロットによる戦闘機部隊の立ち上げである。
ムー空軍南部航空隊の隷下に、新たに第50・第51・第52飛行隊が編成された。通称「隼撃隊(しゅんげきたい)」。ムー全土の航空部隊から選び抜かれたパイロットたちがエヌビア基地に集められ、日本からは教官団と整備指導班が派遣された。
堀川が教官役としてこの基地に着任したのが、2ヶ月前。以来、座学に始まり、無線を使った編隊戦闘の基礎、そしてマリンを使っての模擬空戦と、地道な訓練を積み重ねてきた。機体はまだ無い。それでも教えられることは山ほどあった。敵が優速である場合にどう食らいつき、どう生き延びるか。高度を貯金に換える考え方、僚機と決して離れないこと――堀川たちが、かつて血で購った教訓のすべてを。
そして今日、ついに供与機の第一陣が到着した。
「行くぞ。第2格納庫だ」
教練室を出た隊列の足取りは、隠しようもなく浮ついていた。私語こそ慎んでいるが、誰も彼も目が笑っている。遠足の朝の子供と大差ない、と堀川は苦笑した。
(……まあ、無理もねえか)
歩きながら、堀川はちらりと隊列の中ほどへ目をやった。
集められたパイロットは若手が多い。飛行時間200時間そこそこの、伸び盛りの連中だ。だがその中に、明らかに毛色の違う男たちが幾人か混じっている。日焼けした顔に深い皺を刻んだ、ムー空軍で教導部隊を務めていたような古強者たち。飛行時間で言えば、堀川の倍は飛んでいる男もいた。
正直なところ、やりづらい相手ではあった。空を知り尽くした男に空の講釈を垂れるのは、どこの世界でも肩の凝る仕事だ。彼らもまた、自分より若く見える異国の教官に頭を下げることに、思うところが無いはずはない。それでも彼らは、誰よりも真剣に堀川の言葉を書き留めていた。マリンで勝てないことを、身をもって知っている者ほど、貪欲だった。
(機体が来たんだ。ここからが本番だぞ。……気合を入れねえとな)
堀川は軽く頬を叩き、格納庫の通用口をくぐった。
――途端、背後で誰かが息を呑む音がした。
広い格納庫の手前側には、見慣れた複葉のマリンが数機、翼を並べている。だがその奥。天窓から差し込む朝の光の中に、それはいた。
低翼単葉の戦闘機、12機。
塗装も真新しく、一分の隙もなく整列した機列。すぼまった機首、風防へと流れるなだらかな背、そして胴の日の丸ならぬ、ムー空軍の国籍標識を描かれた主翼。
「「「おおおおっ……!」」」
隊列が、崩れた。
もはや誰も止めなかった。ムーのパイロットたちは歓声を上げ、吸い寄せられるように機体へと駆け寄っていく。翼の下に潜り込む者、引込脚の構造を覗き込む者、仲間と抱き合わんばかりに騒ぐ者。目を輝かせて低翼単葉の翼を見上げるその横顔は、少年のそれだった。
その光景に、堀川は不意に、胸の奥を掴まれた。
(……ああ。俺たちも、こうだったな)
思い出す。初めて零戦を見た日のことを。それまで乗っていた九六式艦上戦闘機とはまるで違う、流れるような機体の線。引込脚に密閉風防、そして20ミリ。格納庫で歓声を上げ、先を争って操縦席を覗き込んだ、自分と仲間たちの顔を。
あの日の仲間の多くは、もういない。だが、あの日の胸の高鳴りだけは、異界の空の下、肌の色も言葉も違う男たちの上に、寸分違わず再現されていた。
堀川もゆっくりと機列に歩み寄り、その機体を見上げた。
一式戦闘機 隼III型甲。
大日本帝国陸軍が生んだ傑作戦闘機「隼」、その最終量産モデルである。
より速い機体を求める前線の声に応え、エンジンを水メタノール噴射装置付きのハ115-IIに換装。カウリングから突き出す推力式単排気管は、排気の噴流すら推力に変える。これらの改良により、二型と比べて約50km/hの速度向上を実現し、最大速度は576km/hに達した――海軍の主力であった零式艦上戦闘機の、各型を上回る俊足である。
しかも隼が本来持っていた美点――ひと蹴りで応える加速の良さ、故障知らずの信頼性、そして軽快そのものの運動性は、ほぼそのまま残された。「空の狙撃兵」と謳われた名機・九七式戦闘機をも上回る射撃安定性と相まって、本機は操縦者たちに深く愛され、昭和19年末からフィリピン、ビルマ、中国と、劣勢の空で終戦の日まで奮闘し続けた。連合軍側からも「侮れない敵」と認められた、隼の完成形だった。
――もっとも。
堀川自身、この機体を知ったのは、この世界に「帰って」きてからのことである。
東遣艦隊が祖国の空を発ったのは、昭和18年の3月。隼III型甲が生まれたのは、その後だ。つまりこの機体は、堀川たちが去った後の日本が、あの苦しい戦争の中で必死に磨き上げた翼ということになる。自分の知らない祖国の歳月が、この機体には詰まっている。
これらの機体は、例の秘匿ドック――先の大戦の兵器を密かに保管し続けた、あの地下施設に眠っていたものである。
実のところ、ムーへの供与機として最初に挙がったのは、この隼ではなかった。東遣艦隊が持ち帰り、空母の艦載機更新方針によって宙に浮いていた零戦二一型――まとまった数があり、状態も良いこの機体こそ、当初の本命だった。
だが、この案はすぐに立ち消えた。
理由は単純である。グラ・バルカス帝国の主力艦上戦闘機アンタレスが、零戦と酷似していたのだ。それも生半可な類似ではない。塗装を塗り替えれば見分けがつかぬほどの、瓜二つ。カルトアルパスで同胞を狩ったあの機影と同じ形の機体に乗れというのは、ムーの将兵にとって心理的にあまりに酷であり、彼我の識別の面でも悪夢でしかない。おまけに零戦には、ちょうどその頃、"別の再就職先"が見つかりつつあった。
かくして白羽の矢は、陸軍の隼に立った。アンタレスとは似ても似つかぬ機影で、複葉機からの転換が行いやすい1000馬力級低翼単葉機の戦闘機、求められた条件を、この機体はすべて満たしていた。
「――ホリカワ教官! これが、我々の機体でありますか!」
若いパイロットの一人が、上気した顔で駆け寄ってきた。堀川は頷く。
「そうだ。一式戦闘機、通称『隼』。貴様らの新しい翼だ」
「隼……」
誰かが、噛みしめるように呟いた。小さく、速く、上空から一撃で獲物を仕留める猛禽の名。その意味するところは、翻訳の壁を越えて真っ直ぐに伝わったらしい。パイロットたちは口々にその名を転がした。俺たちの隼だ、と嬉しそうに。
そして――自分たちの部隊の通称「隼撃隊」が、この機体の名から採られていたのだということを、彼らはこの日、初めて知ったのだった。
機列の周りでは、既に別の授業が始まっていた。
堀川と共に日本から派遣された整備指導班――その多くが、かつて零戦を支えた元艦隊整備員たちである――が、ムー空軍の整備士たちを機体に取り付かせ、カウリングを開けて早速の指導を行っていた。
実は、供与機に隼が選ばれた理由は、機影の問題だけではなかった。
隼の心臓であるハ115系エンジンは、零戦の「栄」と同系である。細部の違いこそあれ、基本構造も、整備の勘所も、癖の出やすい箇所も、ほぼ共通。つまり、東遣艦隊で栄を扱い続けた古参整備員たちの技術を、そのままムーに移転できるのだ。
これは、日本の支援方針そのものの反映でもあった。
最新装備を貸し与えるのは容易い。だがムー自身の手で整備できない装備は、日本の支援が途切れた瞬間にただの鉄塊と化す。日本が優先したのは、ムーの自立運用性の確保だった。ムーは列強である。マリンを自力で量産してきた、空冷星型エンジンの製造基盤を持つ工業国である。枯れて熟しきった設計の隼ならば、ムーの工業力で咀嚼できる。
事実、機体の到着に先立つ数ヶ月前から、準備は始まっていた。秘匿ドックに機体と共に残されていた詳細な図面や資料一式を基に、日本企業の技術支援の下、ムーの手による部品国産化――ゆくゆくは機体そのものの量産体制の確立までが、既に動き出していたのである。供与とは名ばかりの、実質は技術移転計画の第一便。それが、この12機だった。
ゆえに、機体への改修も最低限に留められていた。
現用の航空無線機と、簡易型の敵味方識別応答機の搭載。操縦席背面の防弾板の現代素材への換装。そして武装は、日本側との弾薬相互運用性を考慮し、元のホ103・12.7mm機関砲から、M2系の12.7mm重機関銃(12.7×99mm弾仕様)への換装が行われた。当面は日本の補給網から、そして進行中の国産化計画が実を結べば、将来的にはムー自身の工場から、同じ弾を供給できるようになる。
(……しかし、なんだな)
整備員たちの熱心な指導風景を眺めながら、堀川はふと、可笑しさの混じった感慨に囚われた。
昭和18年、祖国の空を発って異界の魔物と戦い、気づけば70年先の日本に「帰還」し、今度は異界で、異界の若者たちに空戦を教えている。しかも海軍育ちのこの俺が、教えている機体は陸軍の戦闘機ときた。
(土佐の隊の連中が聞いたら、腹を抱えて笑うだろうよ。……まったく、数奇な運命もあったもんだ)
と、そのときだった。
「教官、あれは……あれも、日本の、でありますか?」
パイロットの一人が、格納庫の開いた大扉の外を指差していた。
視線の先――戦闘機格納庫の横手に、ひときわ古びた、しかし途方もなく巨大な建屋が併設されている。かつての飛行船格納庫。今は爆撃機用に転用されているその建物の中で、白い軟式飛行船が、まさに組み立てられている最中だった。丸々と膨らんだ純白の船体が、薄暗い庫内にぼうと浮かび上がっている。
「あー……」
堀川は頬を掻いた。
「そうだな。ありゃあ日本のだ」
「飛行船、でありますな。……その、意外であります。飛行船は的が大きく脆弱で、我が軍ではもうほとんど使われておりません。日本ではまだ現役なのでありますか?」
もっともな疑問だった。
ムー空軍にも、飛行船を運用していた時代はある。それどころか、ムーにおいて初めて「長距離を飛んで敵地に爆弾を落とす」ことを可能にした機材こそ、飛行船だった。一時は戦略兵器の花形ですらあったのだ。
だが、この世界ではあまりに分が悪かった。
この世界の空にありふれた兵器――ワイバーンと、飛行船は、あまりに相性が悪すぎた。図体ばかり大きく、鈍重で、火を噴く飛竜に対して身を守る術のない水素の袋は、ワイバーン騎兵にとって格好の獲物でしかない。かくしてムーの飛行船は、実戦の空から早々に姿を消した。エヌビア基地の隅に残るこの巨大な格納庫も、その時代の名残である。飛行船とは、ムーの航空人にとって「過去の遺物」の代名詞だった。
その過去の遺物が、よりにもよって最先進国・日本の装備として運び込まれてきたのだから、パイロットが首を傾げるのも無理はない。
「ありゃあな、爆撃機でも偵察機でもねえ。……通信の中継器だ」
堀川は、自分の乏しい理解の中から、慎重に言葉を選んだ。
「あれで高度数千……ものによっちゃ1万メートルほどまで上がって、何日も何週間も、同じ空に浮かびっぱなしになる。で、地上からじゃ届かねえ遠くまで、無線を飛ばす。言ってみりゃあ、空に浮かべる通信塔だな」
「通信塔……空に……」
パイロットたちが、まじまじと白い船体を見つめた。
「なるほど……確かに、あの高さに通信所があれば、山の陰にも届きますな……。しかし、そのような装備まで持っているとは。日本という国は、つくづく……」
軍事において通信こそが命綱であることは、無線を装備するムー空軍の彼らにも骨身に染みている。感心とも呆れともつかぬ溜め息が、幾つも漏れた。
実のところ堀川は、着任前の説明で「UCAV操縦時のサットコムなんとかに替わる通信確保のためでもある」という話も聞かされていた。が、ユーシーエーブイもサットコムも、堀川にとっては呪文の域を出ない。知らぬことは言わぬが花である。堀川はその件には、一切触れなかった。
――堀川たちが見上げていたのは、全長80m級のソーラー飛行船を用いた、通信中継システムである。
源流を辿れば、これは転移前の日本で細々と続けられていた研究だった。大規模災害で地上の通信網が麻痺した際、ソーラー飛行船を上空に浮かべて無線LANの中継所とする――そうした災害対応の実証試験が、かつて行われていたのである。もっとも、地上通信設備の拡充と衛星通信の台頭により、この構想は長らく日の目を見ずにいた。飛行船に頼らずとも、空にはもっと高く、もっと確実な中継器――人工衛星が浮かんでいたからだ。
転移が、すべてを変えた。
あの日、日本の空から、人工衛星が一つ残らず消えた。通信も、放送も、測位も、気象観測も――軌道上のインフラに預けていた機能のことごとくが、一夜にして失われたのである。衛星網の再建には年単位の歳月を要する。ならば、それまでの空白を何で埋めるか。
埃を被っていたソーラー飛行船が、ここで蘇った。麻痺した衛星通信網の代替手段として中継飛行船網の整備が急がれ、国内では既に実用が広まりつつある。当然、通信衛星を丸ごと失った防衛省も運用を始めており、このエヌビア基地の一隻は、来たるべきムーでの作戦展開に備えて配備されたものだった。
その任務は、第一に通信中継――無人機の管制リンク、各種データ伝送、地上部隊間の遠距離中継。第二に、複数の飛行船からの電波を用いた位置推定、いわば擬似的な測位機能。加えて防衛省仕様の本機には、広域監視センサーまで追加されている。
とりわけ切実なのが、無人機との関係だった。折しも日本では無人機開発が一気に活性化していたが、この世界にはGPSが無く、衛星通信(SATCOM)も無い。地上局からの見通し線(LOS)通信だけでは、無人機を飛ばせる距離に必ず限界が来る。だが、高空に浮かぶこの飛行船を中継に挟めば、その限界は大きく押し広げられる。ソーラー飛行船は、来たるべき無人機戦力の、文字通り「見えざる足腰」となるべく配備されていたのである。
さらに――余談ながら、この計画には続きがある。
かつて日本は、国家の威信を懸けて「成層圏プラットフォーム」なる構想を追った時代があった。西暦2000年前後、ミレニアム・プロジェクトの一環として総務省と文部科学省が省庁の垣根を越えて挑んだ、高度20kmの成層圏に無人飛行船を常駐させ、通信・放送の基地とする計画である。2003年には試験機が高度16kmへの上昇に成功。翌2004年には、全長68mの試験機が高度4kmでの定点滞空を実証した。特筆すべきは、この試験で世界に先駆けて、大型無人飛行船の遠隔操縦・自動操縦による定点滞空を成し遂げたことである。自律制御による機体制御技術を確立し、遠隔操縦システムと追跡管制システムの運用法・性能までを実証した――が、皮肉にも地上通信網の充実によって役目を見出せず、計画は静かに幕を閉じていた。
その成層圏プラットフォーム計画が今、国家プロジェクトとして再び動き出している。本土から遠く離れた他文明圏にまで衛星通信網が復旧するのは、まだ何年も先の話。それまでの長距離通信の代替手段として――新世界に進出した日本企業からの渇望にも押されて――計画は実運用開始の間際まで漕ぎ着けていた。20年前に「早すぎた」技術は、世界そのものが変わったことで、ようやく出番を迎えようとしていたのである。
「――よし、見学はここまでだ!」
堀川は、ぱん、と手を叩いて話を切り上げた。飛行船の講釈をこれ以上求められては敵わない、という本音は、胸の内に伏せておく。
「午後からは、いよいよ実機を使った地上訓練を始める。列線での取り扱い、点検要領、発動機の始動手順――空へ上がる前に、覚えることは山ほどあるぞ。全員、教練室に戻って待機!」
「「「はいっ!」」」
弾かれたように返事が揃い、パイロットたちは隊列を組み直して格納庫を出ていく。もっとも、隊列とは名ばかりで、歩きながらの話題はもう新しい翼のことで持ちきりだった。あの速度なら、あの上昇力なら、と身振り手振りで空戦を語り合う声が、朝の光の中に弾んでいる。
その背中を眺めながら、堀川はゆっくりと歩き出した。
悪くない連中だ、と思う。飲み込みは早く、負けん気は強く、そして自分たちの国を、本気で守るつもりでいる。あとは翼と、時間だ。それが今日、ようやく揃い始めた。
格納庫を出たところで、堀川はふと足を止め、西の空を見上げた。
抜けるような朝の青空が、地平の彼方まで続いている。その遥か先――海を越えた旧レイフォルの地では、今この瞬間も、あの帝国が好き勝手に暴れ回っているのだろう。零戦と瓜二つの機体を駆り、この世界の空を我が物顔で蹂躙しながら。
(……せいぜい今のうちに、いい気になってろ)
堀川は目を細めた。
(この空にゃあな、貴様らの知らねえ隼が育ってる。――その内、盛大に鼻を明かしてやるから、待っていろ)
誰にともなく胸の内で啖呵を切ると、堀川は踵を返し、賑やかなパイロットたちの後を追って歩き出した。
背後の格納庫では、12機の隼が、朝日を浴びて静かに翼を光らせていた。