日本国召喚~帰還艦隊~   作:シェリダン

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第1章ー1話「新たな戦場」

■ 中央暦1643年3月 第二文明圏ムー大陸東海域 正午

 

雲一つない空の下、海は凪いでいた。

 

波頭のない水面が太陽を受けてきらきらと光り、遠くに見える水平線は鮮明に引かれていた。穏やかな眺めだった。だが、その海を進む二隻の艦の艦橋内に、穏やかな空気はなかった。

 

護衛艦「ほそゆき」——艦番号DD-111——は定速でムー大陸東方海域の哨戒コースを踏んでいた。前方やや右手、一海里ほどの間合いで「はつあかり」が並走している。両艦のAESAレーダーが広大な海面を休みなく走査し、その電波が届かぬ水面下では短魚雷発射管が常時即応態勢にある。

 

ほそゆきの艦橋に上がって来た第5護衛隊群司令・笠井 隆賢は、窓から海を一瞥して、静かに艦長席の隣に立った。

 

艦長の坂田 誠一(さかた せいいち)二佐は、細く糸のように閉じた目のまま当直士官から当直報告を受け取っていた。三十代半ばという年齢のわりにどこか飄々とした気配のある男で、笠井が初めて顔を合わせた時には、本当に優秀な士官なのかと思った。半年経った今でも時々思う。だが仕事ぶりは確かだった。

 

「司令、定時連絡が来ました」

 

坂田が報告書を手渡してきた。

 

「あわゆき、とよさかからです。両艦とも異常なし、哨戒継続中とのことです」

 

「分かった」

 

笠井は報告書に目を通した。「あわゆき」はムー大陸南東の交通路近く、「とよさか」はそれより百海里ほど北の海域——今この広大な海面に出ている日本の艦は、この四隻だった。

 

「あわゆき」「とよさか」——かつては「淡雪」「豊栄」と呼んだ。

 

笠井が目を通している報告書の艦名の文字の裏に、別の文字が重なって見えた気がした。それを振り払うように、報告書を折って当直士官に返す。

 

 

かつて吹雪型駆逐艦「細雪」と名乗っていた「ほそゆき」は、約4年の歳月をかけて生まれ変わっていた。

 

外形はかつてとさほど変わらない——排水量基準一九〇〇トン、細身の船体、それは先代と同じだ。だが内臓は全て換わっている。蒸気タービンはボイラーの現代化・自動制御化が施され、艦橋内に並ぶ計器も、レーダーも、火器管制も、笠井が知っていたものとは似ても似つかない。

 

前甲板には62口径5インチ単装砲が据えられ、その後部のファランクスと呼ばれる20ミリの近接防御機関砲が海面から空まで広く睨んでいる。船体中央部の垂直発射装置には16セル分の対空誘導弾が収まり、その左右に十七式艦対艦誘導弾の連装発射筒が各二基。左右の舷側には324mm3連装短魚雷発射管が水面下を向いている。後甲板には前甲板と同型の5インチ砲がもう1門。

 

多機能の索敵装置が常時起動しており、以前なら見張り員30人がかりでも追いつかなかった周囲の状況を、ほんの数人の当直員が把握し続けている。

 

旧型駆逐艦を土台としたが、乗員も大きく削減できた——これも自動制御化の恩恵だ。かつての「細雪」は二百名以上が乗り込んでいた。

 

隣を進む「はつあかり」は一回り小柄だ。旧・初春型駆逐艦「初明」の後継として改修を受けたはつはる型護衛艦で、前甲板の五インチ砲は同じだが、船体が小さくトップヘビーになりやすかった設計上の制約から、中央部の垂直発射装置はない。その代わりに30ミリ単装機銃を3基、それに17式艦対艦誘導弾の連装発射筒が各2基、324mm3連装短魚雷発射管も各2基を備え、後甲板にはSea RAMが収まっている。

かつての細雪、淡雪、初明、豊栄——4隻は新設された第5護衛隊群の護衛艦として、このムー大陸東方海域に展開していた。

 

 

「……相変わらず広いですね」

 

坂田がのんびりとした口調で言った。

 

「ああ」

 

笠井は窓の外に目を向けたまま答えた。

 

「四隻でこれだけの海域を担当するというのは、やはり無理があると思いますよ。昨日もムー商船が襲われてます、海流を上手く使って何とか逃げれたみたいですが」

 

「分かっている」

 

分かっていた。この新世界に転移した日本とムーを結ぶ航路は、地球の太平洋航路をも上回る長大さだった。異界の海は広く、そして今、その海にはグラ・バルカス帝国の通商破壊部隊が牙を剥いていた。

 

先進十一ヵ国会議——グラ・バルカスが全世界に向けて宣戦を布告した席上での暴挙から始まった戦争は、すでに一年を超えていた。帝国は圧倒的な軍事力で各国を次々と屈服させ、ムー大陸への侵攻を本格化させており、日本も通商路の防衛は薄いままだった。

 

掃海艇や訓練艦まで引っ張り出しても、あまりに広い。

 

帝国の潜水艦、巡洋艦、水上機が商船を狙って現れては沈め、現れては消えた。一度補足さえできれば、技術格差から撃破自体は難しくない——だが補足できなければ話にならない。あの広大な海のどこに潜んでいるか知れぬ敵に、今の海自に四方八方へ手を伸ばすには限界があった。

 

——先の大戦と同じだ。

 

笠井は、それを認めたくないと思いながら、認めざるを得なかった。

 

かつての日本海軍は、護衛を軽視した。艦隊決戦こそが戦争の本義と信じ、地味で広大な商船護衛には戦力を割かなかった。その結果、帝国の命脈を支えた民間の船乗りたちが、護衛もないまま敵潜水艦の餌食になり続けた。

 

戦後——笠井が経験したわけではない、70年後の「戦後」の話だ——生き残った者たちが何を言ったか、日本郵船の歴史博物館の資料や係員が教えてくれた。

 

何のために死んだのか、と。

 

笠井はあの時は海軍にいた人間でない。だが、同じ組織の末裔として、あの怨嗟の声が他人事に思えなかった。そしてこうして同じ構図の中に立ってみると、先人たちがなぜその判断を繰り返したのかが、痛いほどよく分かった。足りないのに、そこにあるものでやるしかない。その苦しさの中で、目の前の戦闘の話ばかりが先に立つ。

 

分かる。だからこそ、それでは駄目なのだ。

 

今年の二月、日本の自動車輸送船が帝国潜水艦の攻撃を受けた。炎上し、脱出した乗組員も全員死亡——。

 

報告を受けた時、笠井は長い間、黙っていた。南も何も言わなかった。

 

船乗りは軍人ではない。護衛があれば助かった命かもしれない。あるいは護衛がいても、どうにもならなかったかもしれない。それは分からない。だが確かなのは、今この海でもまた、民間の者たちが軍の手の届かない場所で死んでいるということだった。

 

「司令」

 

坂田が少し声のトーンを変えた。

 

「先日、ムー側の連絡将校から、噂レベルの話を聞きましてね」

 

「なんだ」

 

「地上だけじゃなく、グラ・バルカスをムー大陸からまるごと追い出す積極的な攻勢作戦が展開されるかもしれないと。陸自も含めた本格的な攻勢、という話らしいですよ」

 

笠井は答えを返すまで少し間を置いた。

 

「……そうなれば、状況が変わってくるな」

 

「そうです。やっとこっちも動けるかなと思ったんですが——」

 

「それだけでは終わらんぞ」

 

笠井は静かに言った。

 

「陸さんの部隊が本腰を入れて動くとなれば、補給の量が今とは桁が違う。そのすべてがこの海を通る。守る側の負担は今より増える」

 

「……なるほど」

 

「それに、帝国の通商破壊部隊は各地に根を張っている。こちらがムー大陸の司令部を叩いたとしても、外に散った部隊はそう簡単には止まらん。首を切っても手足はしばらく動き続ける」

 

坂田は少し考えるように黙ってから、「それは厄介ですね」と言った。感情の起伏の薄い声だったが、言葉の中に確かな重みがあった。

 

「地道にやるしかない」

 

笠井は窓の外に目を戻した。

 

海は相変わらず穏やかだった。この水面の下に何が潜んでいるか、今は分からない。だが、分からなくても動き続けるしかない。それが今の自分にできることだった。

 

ほそゆきの船体がわずかに揺れた。後方甲板のどこかで、当直の乗組員が短く何か叫ぶ声がした。それだけで、また静かになった。

 

笠井は船体の鋼板越しに、この艦の重さを足裏で感じていた。かつての細雪——異界の海を二年間ともに渡ったあの艦とは、今や何もかもが違う。主砲の形も、操舵の方法も、飛び交う言葉の中に混じる横文字も。

 

それでも。

 

今度は、手が届くかもしれない。

 

先の大戦でできなかったことを今更取り返すことは叶わない。あの海で死んでいった者たちへの怨嗟を晴らすことも、自分ごときにはおそらく無理だ。

 

だが、ここで死なせない——それだけは、日本海軍の艦艇では到底伸ばせなかった手より長い手が今この艦にはある。

 

「坂田艦長」

 

「はい」

 

「南東の哨戒ルートを少し北側に寄せろ。先週からある敵艦の目撃報告位置との間合いを詰めておきたい」

 

「了解です」

 

坂田は当直士官に視線を送り、指示を伝えた。

 

「……相変わらず勘が鋭いですね、司令は」

 

「勘ではない」

 

笠井は短く言った。

 

「経験だ」

 

坂田は何も言わなかった。その代わり、口の端だけでわずかに笑ったような気がした。

 

ほそゆきは静かに針路を変えた。

 

はつあかりが、それに倣うように続いた。

 

二隻の護衛艦は、広大な海の中の細い線の上を、今日も進み続ける。

 

 

 

■ 中央暦1643年3月 第二文明圏ムー大陸東海域 昼

 

水平線には何もなかった。

 

昨日も、一昨日も、その前も——ルテティアの艦橋から双眼鏡で見渡す限り、この海域は空虚だった。

 

「また空振りか」

 

仮装巡洋艦戦隊司令のドラヴァン・ゾルクは、双眼鏡を下ろして額の汗を拭った。三十代後半、精悍な顔立ちをしているが、数日間の成果なしが続いたせいか目の下に疲労の影が滲んでいる。

 

「昨日のムー商船の件、本国にはなんと報告しますか」

 

副官のソルムが控えめに問いかけた。

 

「あれは海流でうまく逃げられた。不可抗力だ」

 

ゾルクは吐き捨てるように言った。

 

「書き方を工夫しろ。それより、今日はどうだ」

 

「現在のところ、レーダーに感あり、です——ただし」ソルムが言葉を切った。「微かな反応で、確認中です」

 

ルテティアは1万トン級の高速貨客船を母体に仮装巡洋艦へと改造された艦だ。14センチ砲を八門、十二センチ高角砲を二門、連装機銃を四基、水上発射管を二基搭載し、最大21ノットで走る。後方を随伴する「シュテインス」も同型の姉妹艦だ。

 

二隻でこの海域に展開して一週間が経つ。日本とムーを結ぶ長大な海上輸送路——帝国上層部が「シーレーン」と呼ぶその航路の、ムー大陸東側の外縁部を担当区域としている。

 

「日本とムーの海軍には気をつけろ、という通達が来ていたな」

 

ゾルクは独り言のように言った。

 

「はい。先行した潜水艦隊からも、護衛艦らしき艦艇が出没しているとの報告が——」

 

「らしき、だろう。確認できた例がどれだけある」

 

「……それは、まあ」

 

「帝国の勝利は続いている。バルチスタ沖では世界連合を叩きのめし、ムー本土へ向けた陸上侵攻の準備も整いつつある。この状況で日本の一護衛艦ごときに——」

 

「失礼します」

 

通信員が艦橋に駆け込んできた。

 

「対水上レーダー、感あり。方位二二〇、距離およそ三十二海里。反応の大きさと速度から大型の商船と思われます」

 

ゾルクの目が光った。

 

「ようやくか」

 

「速力は推定12、3ノット。現在の針路と速力を維持すれば、接触まで一時間二十分程度と見られます」

 

「水上機を出せ。先行して艦種を確認させろ」

 

「了解です」

 

命令と同時に、後甲板のカタパルトに搭載されていた水上偵察機が射出された。エンジン音が高まり、細い機体が海面すれすれに跳び上がり、みるみる小さくなって雲の切れ間へ消えていく。

 

ゾルクは双眼鏡を構えたまま、水平線の方角を睨んだ。

 

「どんな獲物か——」

 

 

三十分後、水上機からの通信が艦橋に届いた。

 

「目標確認。貨物船一隻。ばら積み型、推定2万トン前後。艦橋構造および船体の意匠より——日本国籍船と判断します」

 

艦橋に、にわかに活気が戻った。

 

「日本か」

 

ソルムが目を細めた。

 

「運がいい」

 

「あるいは、運が悪いと言うべきかもしれんな——奴らにとっては」

 

ゾルクは口の端を上げた。日本の輸送船。この海域では比較的珍しくなってきた獲物だった。日本もムーへの航路に艦艇を出してはいるが、いかんせん戦力が薄い。こうして何日も見張りを続けていれば、護衛のついていない商船はいくらでも通る。

 

「停船命令を——」

 

「無駄だ」

 

ゾルクは遮った。

 

「出すだけ時間の無駄になる」

 

ソルムが少し口を閉じた。

 

「先行した潜水艦隊が何をやってきたか、知らんわけではあるまい」

 

ゾルクは淡々と続けた。

 

「無警告で沈めるのを繰り返した。誰も降伏しなくなった。今更停船命令を出したところで、奴らが従うと思うか」

 

「……それは」

 

「水上機に命令を出せ。先に航空爆弾と機銃で攻撃させろ、向こうの船員を震え上がらせる。こちらが追いつけば話は早い」

 

一拍の間があった。

 

「……了解です」

 

通信手が命令を送信した。遠く、雲の向こうで旋回していた水上機が応答し、高度を下げはじめた。

 

「本艦も全速で目標に向かう」

 

機関への命令が伝達され、ルテティアの艦体が徐々に加速した。後ろのシュテインスも続く。

 

21ノット——大型商船としては異例の速力だ。ばら積み型の輸送船がどう足掻いても追いつかれる計算だった。

 

ゾルクは双眼鏡を構えたまま、まだ見えぬ水平線の向こうを見た。相手も気づけば航路を変えて逃げようとするはずだ。だが無駄だと分かるのは、もう少し後のことになる。

 

「護衛はついているか」

 

「現在確認中——今のところレーダーに他の反応なし。単独航行と思われます」

 

「そうか」

 

ゾルクは双眼鏡を下ろし、腕を組んだ。

 

「では——」

 

静かに、しかし確かな獰猛さをもって言った。

 

「もらいに行くか」

 

 

一方その頃、対象の貨物船「あさぎり丸」の艦橋では、当直の航海士が航行レーダーの画面を二度、三度と見直していた。

 

方位三四〇、距離三十海里ほどの位置に、二つの船影。

 

動きが、こちらに向かっている。

 

「……速い」

 

反応の移動速度から速力を弾いて、航海士の顔色が変わった。

 

「船長ッ!」

 

怒鳴り声が船橋に響き、仮眠中だった船長が飛び起きた。

 

「なっなんだ」

 

「北北西に——二隻、こっちに向かってきます。速力、20ノット以上!!」

 

船長はレーダー画面を覗き込み、一瞬で状況を把握して顔面蒼白になる。

 

「全速前進。針路を南南東へ変更。無線でも救援要請を今すぐ出せ」

 

命令が飛び交い、甲板上の乗員が走り回った。あさぎり丸は唸り声を上げてエンジンを吹かし、重い船体を徐々に加速させた。

 

しかし。

 

満載状態のばら積み船が絞り出せる速力など、精々13ノット。牛が虎から逃げるようなものだ遅すぎる。

 

「あの速さじゃ——」

 

「分かってる!!だが逃げ続けろ。それしかない」

 

通信士は無線機の前で、どこかに届くことを仏に祈りながら、もう一度送信ボタンを押した。

 

しばらくして、上空からエンジン音が聞こえてきた。

 

清掃作業をしていたあさぎり丸の甲板員が空を見上げた瞬間——翼端から白煙が伸び、海面に水柱が上がった。

 

機銃掃射の曳光弾が、甲板をかすめた。

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