■ 中央暦1643年3月 第二文明圏ムー大陸東海域 午後
「——一体、何が」
ゾルクは艦橋の後方窓を向いたまま動けなかった。
僚艦が沈んだ。それは事実だった。しかし飛翔体の類が来たことは確かだとしても、あの一撃で、あれほど早く——一万トン超の艦が、一分足らずで傾き、消えた。
「司令、レーダー波探知装置から報告です」
通信手の声で我に返った。
「捜索用とは異なる波形を受信。……高指向性で、連続照射されています。これは……」
レーダー手は言葉を止めた。続けることができなかった。
言外の意味は、誰の耳にも届いた。
射撃管制レーダー——標的に向けて照準を合わせるための、高指向性の電波。帝国でもようやく実用化が始まったばかりの技術だ。
「……馬鹿な」
ゾルクは声を絞り出した。
「砲門一門の平和ボケ国家のはずではなかったか」
司令部の情報を疑ったことなど、これまでなかった。
だが今、ゾルクの頭の中でいくつかの事実が繋がりはじめた。
この海域で通商破壊に従事していた部隊から上がってくる報告の中で、日本艦と砲火を交えて損傷帰還したという話を、一度も聞いたことがなかった。ムー艦艇と交戦して被弾帰還した例は複数ある。しかし日本艦との交戦——そこから戻ってきた艦がない。消息を絶った、と記録されるだけで。
「……隠していたのか」
低い声だった。
「司令部は——日本の実力を、隠していたのか」
艦橋内の誰も答えなかった。答えられる者がいなかった。
ゾルクは歯を食いしばり、次の手を考えた。
日本艦は今もこちらへ向かってきている。しかし——まだ攻撃してこない。もう一発あの飛翔体を撃ち込んでくれば話は終わるはずだが、なぜ撃たない。
そうか。あさぎり丸が近いからか。
あの謎の攻撃が、貨物船への誤射を恐れているのだとすれば——今のルテティアとあさぎり丸の位置関係は、唯一の生き残り手段になりうる。
願望だとは分かっていた。それでもすがるしかなかった。
「貨物船に接近する。急げ」
「敵艦、なおあさぎり丸へ接近中——距離、縮まっています」
当直士官の報告を受けて、笠井は電図台から顔を上げた。
「対艦誘導弾、もう一発——」
坂田が確認するように言いかけたところで、笠井は首を振った。
「あさぎり丸に近すぎる。誤爆の危険がある」
「では」
「昔ながらの手でやる」
笠井は静かに言った。その声に、CICの空気が変わった。
「右砲戦。同航戦の形を取れ」
坂田が射撃指揮官に向き直った。
「砲戦用意——対水上、両艦前後主砲全門。目標、前方の敵艦。同航戦態勢に入る」
「砲戦用意——よし」
ほそゆきとはつあかりが、ゆるやかに針路を修正した。敵艦と並ぶように、同じ方向へ——同航戦。砲撃で殴り合う、古い形の戦いだった。
同航戦の形になる。
艦橋からその動きを見たゾルクは、胸の中で「やはりそうか」と呟いた。
あの謎の攻撃は——この距離では使えない。間違いない。
「聞け」
ゾルクは振り返り、艦橋内の要員を見渡した。
「日本艦は二隻、いずれも駆逐艦クラスだ。我がルテティアは一万トン、14センチ砲を8門持つ巡洋艦並みの戦力だ。砲撃戦ならば勝ち目はある。各砲座、射撃準備——全力で当たれ」
応、という短い声が返ってきた。絶対的な確信があって言ったわけではない。だが、他に言えることが何もなかった。
ほそゆきの5インチ砲が最初の砲声を上げたのは、ゾルクの鼓舞からほどなくのことだった。
「——発砲? まだ有効射程外のはずでは」
砲術長が訝しむ声を上げた瞬間、ルテティアの右舷中央部に衝撃が走った。
鋼板が引き裂かれる音。火が噴く。
「被弾、右舷中央——」
「馬鹿な」
ゾルクは窓の外を見た。日本艦の距離——どう見ても、帝国の駆逐艦クラスの砲では届かない間合いだ。なのになぜ。
考える暇はなかった。
続けて命中弾が来た。前甲板近く。上部構造物のどこか。火災発生の報告が矢継ぎ早に飛び込んでくる。
「消火班を出せッ——砲術長、撃て!」
「しかし射程が——」
「とにかく撃てッ」
ルテティアの14センチ砲が一斉に火を噴いた。
しかし——。
飛翔した砲弾は、日本の護衛艦の周囲に水柱を上げただけだった。遠弾。また遠弾。砲術長が青ざめた顔で修正値を入れ直しているが、距離を詰めていく日本艦に対し、有効弾が出ない。
対してほそゆきとはつあかりの5インチ砲は、違った。
射撃管制装置の算出した諸元をそのまま砲に入力し、機械的に照準を合わせ——撃つ。その単純な動作が、驚くべき精度で繰り返された。計三門からの砲弾が一定の間隔でルテティアへ降り注ぎ、命中弾が積み重なっていく。
艦橋内の通報管から被害報告が止まらない。
「右舷機銃座、沈黙——」
「艦橋前方に直撃、死傷者——」
「前部砲塔、損傷——」
「くそったれ!!今すぐ魚雷を投棄させろ!!! 誘爆を防——」
遅かった。
次の瞬間、甲板後方で轟音が弾けた。魚雷発射管への被弾が、搭載していた魚雷に誘爆を引き起こした。爆炎が後部甲板を包み、船体が大きく傾いた。
「機関、停止——」
電話越しの機関科の声は、もはや報告ではなく悲鳴に近かった。
ゾルクは艦橋の要員たちを見た。
誰も言葉を発しなかった。ただ、こちらを見ていた。艦の舵が利かなくなっていた。砲が沈黙しはじめていた。あと何発かで、艦橋も沈黙するだろう。
ゾルクはゆっくりと目を閉じ、開いた。
「……日本艦に打電しろ。こちらはルテティア——降伏する」
CICに降伏の通信が届いた時、笠井は淡々と言った。
「攻撃を止めろ」
命令が通信手から各砲座へ伝わり、砲声が止んだ。
静寂が戻った。スクリーンの上では、ルテティアの艦影が速力を失い、ゆっくりと動きを止めていた。
「あさぎり丸の状況は」
「連絡取れています。乗員の多くが生存、機関停止で漂流中とのことです」
「坂田艦長、救助部隊をあさぎり丸へ向かわせろ。けが人が出ているはずだ」
「了解です。——ルテティアの処置は」
「脱出の兆候がなければ現状維持で様子を見る。乗員が海に出てきたら救助だ。……敵味方関係なく」
笠井は短く付け加えた。
「司令部へ報告。敵艦降伏により交戦終了、救助活動に入る旨を入れておくよう伝えてくれ」
「分かりました」
坂田が去っていき、CICには当直員だけが残った。
電図台の上に映し出された海図を、笠井は無言で眺めた。「ルテティア」という艦名を、たった今初めて知った。
水平線の向こうで、あさぎり丸がまだ煙を上げている。
内心の安堵を表に出すほど、笠井はまだこの時代の戦いに慣れていなかった。ただ、腕を組んで、静かに立っていた。
今日のところは、これで勝った。
それだけを、胸の中で静かに繰り返した。