■中央暦1639年4月 日本、某所
未舗装の山道を、黒塗りのセダンが揺れながら進んでいた。
海岸線まで数キロという山中であるにもかかわらず、周囲に人の気配は皆無だった。林道の管理は行き届いておらず、路面のあちこちから草木が頭を出し、轍の跡もほとんど残っていない。助手席の随行員が、スマートフォンの画面を見やりながら眉をひそめた。
「衛星写真でも、このあたりは詳細不明区域になっています。再調査を各省庁に指示したはずなのですが…」
「機密指定でもかかっているのか」
後部座席から、篠原周平防衛大臣は短く問い返した。62歳になっても精悍さを失わないその顔に、今は困惑と好奇心が混在している。
「おそらくは。ただ、指定した省庁の記録が……」
「消されている、と」
随行員が押し黙った。大臣の言う通りだった。
今この瞬間も、ロデニウス大陸ではロウリア王国軍がクワ・トイネ公国へ侵攻を開始したとの報が入っている。防衛省は対応に追われ、自衛隊各部隊も緊張状態にある。そのさなかに、篠原は官邸にも知らせず、数人の随行員だけを連れてここへ来ていた。
あの老人から連絡があったのは3日前のことだ。それを知らされた瞬間、篠原は深夜にもかかわらず跳ね起き、翌朝には今回の視察を決定していた。この人物が動くとき、必ず何かがある――長年の政治経験がそう告げていた。
やがてセダンが速度を落とし、錆に侵された金属製フェンスの前で止まった。《私有地につき無断立入禁止》と記した看板が立っているが、文字は半分以上消えかけている。しかしフェンス自体は頑丈で、補修の跡も新しかった。廃墟でありながら、確実に誰かがここを守り続けている。
フェンスの向こうに、古い施設が山腹へ食い込むように建っていた。コンクリートの外壁は苔と錆に覆われ、長い歳月を黙って示している。しかし一番目を引いたのは、その奥に口を開ける、巨大なトンネルの入り口だった。
高さは十メートルをゆうに超えるだろう。闇に呑まれた坑道の奥は見えない。ただ、それほどの大きさがなぜここに必要なのかは、この時点では想像すらできなかった。
車から降りた篠原は、思わず首を上げてトンネルを見上げた。
「大臣、お待ちしておりました」
声に振り向くと、トンネルの入り口に二人の人間が立っていた。一人は背広姿の若い男、付き人だろう。そしてもう一人は――
白い顎髭を蓄えた老人だった。
年齢は九十に届くかどうかという風貌だったが、背筋は伸び、立ち姿には凜とした気品が漂っている。老いを感じさせない眼差しが篠原を捉えると、老人は静かに頭を下げた。
「ご足労をおかけしました」
「いえ」
篠原は軽く頭を下げながら、目の前の人物を改めて確認した。
名前は公に出てこない。所属も肩書きも不明だ。しかしこの老人が一言発すれば、与野党を問わず政界が動く、と言われている。防衛省の内部でも、この人物に関する情報はほとんど蓄積されていなかった。その事実それ自体が、この人物の凄みを物語っていた。
「では、案内しましょう」
老人はそれだけ言って、トンネルへ向かって歩き始めた。篠原と随行員たちが続く。
トンネルの内部は薄暗く、人工照明はほとんどない。踏み固められたコンクリートの床には長年の塵が積もり、工具や機械部品の残骸が通路脇に放置されている。それでも、足元に湿気はなく、構造物は驚くほど堅固だった。
「このトンネルは、資材の運搬路でもありました」
老人が、前を向いたまま言った。
「資材……ですか」
篠原は生返事をしながら周囲を見渡した。資材。これほどの規模のトンネルが必要な「資材」とは何なのか。
思考を巡らせているうちに、一行は通路の脇に設置された昇降機の前に立ち止まった。鋼製の扉は黒ずんで古びていたが、機能はまだ生きているらしく、老人の付き人が操作盤を操作すると、重い音を立てて扉が開いた。全員が乗り込む。扉が閉まり、昇降機はわずかな振動とともに降下を始めた。
老人は静かに口を開いた。
「篠原大臣。先月、東遣艦隊と第〇軍の人員が日本に現れた。現在は防衛省が身柄を預かっている――そう聞いておりますが」
篠原は一拍置いた。機密事項だ。しかしこの人物に把握されていないはずがない、という確信もあった。
「……機密扱いではありますが。はい」
「正直なお答えに感謝します」
老人は微かに笑った。
「70年後に、しかも彼らが異界への転移を経た後に再び帰ってくるとは――皮肉なものです」
まるで個人的な感慨を漏らすように老人はつぶやいた。篠原は思わずその横顔を見た。
「まさか東遣艦隊の存在を、ご存じだったのですか!?」
老人は答えなかった。代わりに、昇降機の壁を静かに見つめたまま言った。
「大臣は疑問に思ったことはありませんか。あれほどの規模の艦隊と陸軍部隊が、どこの誰にも知られることなく、どこで用意できたのかと」
篠原は随行員たちに目線をやった。随行員の一人が、静かに首を横に振る。防衛省内の調査でも、この点はいまだ未解明のままだった。
「……判明していません」
「それはそうでしょう。我々が隠したのですから」
老人は静かに、しかし確固たる口調で言った。
「神のお告げを受けて艦隊の準備が始まったのは、第一次世界大戦直後のことです。当時はワシントン条約の話が持ち上がり、世界中の目が各国の海軍力の動向に向けられていた。通常の造船所でも港湾でも、あのような艦艇を極秘裏に建造することは到底できない。そこで、我が一族が政府と秘密の契約を結びました」
老人の声に感情の揺らぎはない。記録を読み上げるように続ける。
「土地の提供と、日本の複数個所での秘密の大型ドックおよび格納庫の建設です。山を削り、海底を掘削し、外界から完全に遮断された建造施設を作り上げるのに、十数年を要しました。その後、準備された艦艇と兵器が次々と運び出され、東遣艦隊と第〇軍が編成されたのです。ここはその中でも最大規模の場所となります」
篠原は言葉を失った。随行員たちも絶句している。
昇降機が止まり、扉が開いた。
一行が降り立つと、そこは広大な暗闇だった。天井がどこにあるのか分からない。壁の輪郭すら定かでない。しかし、耳に届く音が一つあった。
水音だ。
波が、どこか近くで繰り返し打ち寄せている。
「海と、繋がっているのですか」
「かつてはそうでした。今は封鎖してあります」
老人は暗闇の中を、迷いなく歩いた。篠原たちがその後に続く。
「大臣、防衛省では現在、東遣艦隊と第〇軍を防衛省の部隊として再編入することを検討されているそうですね」
官邸内でもまだ始まったばかりの議論だ。篠原は内心で驚きを隠しながら、慎重に言葉を選んだ。
「……案の一つとして、議論に上っている段階です」
「そうですか」
老人は短く答え、そして立ち止まった。
「話を戻しましょう。彼らが旅立った後も、ここは動き続けました。終戦が確定しつつあった大戦末期のことです。こういった場所に再び、兵器が集められ始めたのです」
「……集められた?」
老人の声が、暗闇にかすかに反響した。
「当時取り仕切っていたのは、私の叔父でした。後に聞いた話ですが――東遣艦隊は帰ってこなかった、つまりお告げの試みは失敗したと思い、再挑戦を願う者。占領軍に兵器を引き渡したくないという者。降伏を認められず、反攻の機会をうかがう者。あるいは東から迫る共産主義勢力への備えを望む者。そういった政財界や軍の人間が密かに集まり、最後の遺産として再び兵器を送り込んだのだそうです」
篠原の眉が寄った。随行員たちの表情も険しくなっていく。
「しかし、その兵器が現存しているとなると――」
老人が静かに手を上げた。
次の瞬間、天井の電灯が次々と点灯した。
まず目に飛び込んできたのは、翼を広げたまま整然と並ぶ戦闘機の群れだった。流麗な楕円翼、延長翼端、そして艶を失いながらも整備された機体の塗装。紫電改だ。一機、二機、三機――篠原が数えるのを止めたとき、視野の端にまだ続きがあった。
隣には戦車が並んでいた。低く重厚な車体に、長砲身が前方を向いている。四式中戦車。その脇には、より大柄な五式中戦車が静かに鎮座し、さらに奥には砲架のような独特の形状を持つホリ車が並んでいる。大戦末期の技術を結集した車両たちが、埃を払えばすぐにでも動き出しそうな状態で待機していた。
「整備は……」
「継続的に行っていました。潤滑油の交換、機関の定期試運転、腐食箇所の補修。細々とした作業ですが、止めずに続けてきた」
随行員の一人が「信じられない」と思わず口にした。
そして目を転じると、水面があった。
地下空間の奥に、水面が広がっていた。そこには艦艇が係留されている。闇の中で波に揺れる船体。となりに並ぶもう一つの大きな艦影。その姿が雲龍型空母だと気づいた瞬間、篠原は呼吸が止まるような感覚を覚えた。さらにその隣には、重巡洋艦の艦体が2隻。
「改鈴谷型が2隻です。未完成のまま終戦を迎えましたが、ここへ引き込み、完成させました」
「……完成、させた?」
「時間だけはありましたから。ここに関わった人間たちが、それを生きがいとして続けてきた仕事です」
老人は穏やかに、しかし何かを噛みしめるような口調で言った。
「時代とともに、当初の熱意を持った人間は減っていきました。運動は縮小し、最終的には我が一族が細々と保存と管理を続けるだけになり、世間からは完全に忘れ去られていった」
老人は遠くを見るような眼差しで続けた。
「私が死んだら、これらの場所は全て人知れず閉じるつもりでした」
一呼吸置いて、老人は言った。
「だが、彼らは帰ってきた」
声が、広大な地下空間に静かに響いた。
「ならば、ここに眠る兵器もまた、何か役目を果たす時が来たのでしょう」
篠原は老人を見つめた。
「これを……防衛省に?」
「お好きにお使いください、もちろん他の場所に保管されてるものも全てです」
老人は篠原に向き直った。
「東遣艦隊の艦艇を近代化改修して再戦力化する案が、すでに検討に上っているようですね。ならば、ここにある艦艇も使い道はあるでしょう。現状、日本国が選り好みをできる立場にないことは、大臣がよくご存じのはずです」
「……それは、否定できませんが」
「兵器の提供に加えて、資金も可能な限り用意します。また、当時この運動に参加した政財界の末裔たちは今も健在です。政府がこの件をお咎めなしとするならば、彼らも協力を惜しまないでしょう」
老人は意地悪そうな、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべた。
篠原は頭が痛くなってきた。これを内閣にどう説明するのか。秘密の地下施設、隠匿された旧軍兵器、そして政財界を巻き込む闇の取引。ロデニウス大陸の情勢が緊迫しているこの時期に、頭の痛い問題が一つ増えた。
そのとき、一番奥の電灯が灯った。
最後の光が、それまでの暗がりに覆われていた最奥部を照らし出した。
篠原は目を見開いた。
大きい。
なんと、大きい。
他の艦艇が小さく見えるほどの巨大な艦体が、暗い水面に静かに浮かんでいた。3基の主砲塔、重厚な艦橋構造物、そして圧倒的な全長。随行員の一人が「大和に……似ている」と絞り出すような声で言った。
その言葉が篠原の記憶を呼び起こした。防衛省の資料の中に確かに存在した一行の記述。大和型戦艦の建造計画。二隻の完成艦と、転用されて空母となった三番艦。そして――
「第百十一号艦」
老人が、誇らしげに口を開いた。
「呉海軍工廠において昭和十五年に起工されましたが、戦局の悪化により建造が中断され、その後解体されたとされている艦です」
篠原はゆっくりと老人に視線を移した。
「大和型戦艦……四番艦」
「左様」
老人は静かに、しかし確信を持って答えた。
「私の父は、最強の戦艦に乗っていると、いつも誇らしげに語っていたものです。艦名は明かしてもらえなかったが、父の戦死の報が届いたとき、初めて大和に乗っていたと知った。私には、その艦を見る機会はとうとう訪れなかった」
老人はしばし、巨大な艦体を見上げた。
「この四番艦もまた大和と同じ姿で、70年の間ここで眠り続けていました。我が一族が守ってきた最大の秘密です」
篠原は長い沈黙の後、ようやく声を絞り出した。
「……冗談でしょう?」
しかし、老人の表情には微塵も冗談の色がなかった。
広大な地下の水面に揺れる艦影は、静かに、しかし確かな実在感を持って、そこにあった。
篠原周平防衛大臣は、口をあんぐりと開けたまま、閉じることが出来なくなっていた。