■中央暦1643年5月上旬 第二文明圏東南海域 昼
水平線まで、ただ青一色だった。
第二文明圏の東南端、第一文明圏との接続海域に点在する諸島の一つ――名もなき無人島の頂に、グラ・バルカス帝国海軍陸戦隊の観測哨が設置されていた。
岩肌に溶け込むよう迷彩網を張り巡らせた掩体壕の中、大型の光学観測機が海面と上空とを交互に捉えながら、絶え間なく周囲を睥睨している。観測機の傍らに座り込んだ海軍陸戦隊の二等兵ロギンは、生欠伸を噛み殺しながら接眼レンズを覗き込んでいた。
「……今日も何もねえな」
ぼそりとつぶやく。汗ばんだ首筋に纏わりつく羽虫を片手で払いながら、ロギンは交代時刻を記した手帳にちらりと目をやった。勤務交代まではまだ数時間ある。
この島には、似たような観測哨がいくつも点在していた。すべて、グラ・バルカス帝国が東南海域に築いた秘匿補給基地――通商破壊部隊のための前進拠点を守るために設けられたものだ。
本国からこれほど離れた海域では、いかに帝国海軍が強大であろうと、もし発見されればひとたまりもない。脅威は艦艇に限った話でもない。ワイバーンによる索敵や奇襲などこの世界では珍しくもなく、神聖ミリシアル帝国やムーのような国家に至っては航空機まで保有している。海面のみならず、常に上空にも目を配っておく必要があった。だからこそ補給基地そのものを徹底して隠し、周辺の無人島すべてに観測哨を配して、近づく艦影や機影をいち早く察知する体制が敷かれていた。
不意に、ロギンの目がレンズの中の一点で止まった。
「……艦影、確認」
水平線の彼方、波間を切り裂くように一隻の影が浮かび上がってくる。低く長い艦体、波を切る独特の航跡。
「潜水艦か」
ロギンは観測記録に手早く書きつけながら、隣で居眠りしかけていた上官、ファルド軍曹の肩を小突いた。
「軍曹、潜水艦です。所属確認を」
「あ? ああ……分かった」
ファルドは欠伸交じりに通信機に取り付くと、短く符丁を送った。応答までさほど時間はかからない。
「……バテン・カイトス、だな。第二潜水艦隊所属」
ファルドが面倒くさそうに言った。ロギンも特に驚きはしなかった。この海域を行き来する帝国艦は限られている。だいたいいつも顔ぶれは同じだった。
「補給に戻ってきたんでしょう。基地の方角、伝えておきます」
ロギンは通信機を取り、基地の正確な方位と推奨進入針路を簡潔に伝えた。バテン・カイトスからは短い了解の符丁が返ってくる。それで通信は終わりだった。
ロギンはレンズから目を離し、軽く伸びをした。
正直なところ、この勤務はひどく退屈だった。
数か月前、ムー大陸北方のバルチスタ海域で起きた大海戦の話は、ロギンも幾度となく聞かされていた。本国の発表によれば、帝国連合艦隊は迎え撃った世界連合艦隊を完膚なきまでに打ち破り、輝かしい大勝利を収めたという。事実、それ以来この海域からも、ミリシアル帝国をはじめとする第一文明圏諸国の艦と思しき、満身創痍の艦影をごく稀に遠目に望むことがあった。本国へ落ち延びていく彼らの帰路上に、ちょうどこの諸島群が位置しているのだろう。
無論、それを見張ることがこの観測哨の任務ではない。あくまで本来の役目は、通商破壊部隊の往来を見守り、補給基地への進入を導くことにある。だが、あれほどの大敗を喫した寄せ集めの連合軍が、今さらこんな辺境の前哨基地にまで戦力を割いてくるはずがない――世界連合はバルチスタで主力を失い、もはや帝国の足元にも及ばない。それがこの方面に配属された者たちの、いつしか共通の認識になっていた。
(所詮、あいつらに帝国へ手出しする力なんぞ、もう残っちゃいない)
ロギンは内心でそう独りごちた。気の緩みは、ここに配属された者なら誰しも抱えているものだった。
ファルドが大きく欠伸をして立ち上がった。
「ちょっと仮眠を取ってくる。次の交代まで頼んだぞ」
「了解です」
ファルドは掩体壕を出ると、岩陰に身を横たえ、軍帽を目元に乗せて仮眠を取り始めた。ロギンは一人、再び観測機に向き直る。
それから数時間、何もない時間が流れた。太陽はゆっくりと中天を過ぎ、傾き始めている。ロギンは何度目かの欠伸を噛み殺しながら、手帳を確認した。そろそろ交代の時間だ。
そのとき。
水平線の向こうに、新たな艦影が複数、姿を現した。
「……ん?」
ロギンは目を細め、レンズに顔を近づけた。
(また帰投予定の部隊があったか? 聞いてないが)
最初に見えたのは、巡洋艦らしき艦影だった。続いて駆逐艦と思しき小型艦が数隻。シルエットだけを見れば、むしろ帝国艦に近い印象を受け、ロギンは一瞬安堵しかけた。
しかし、レンズの倍率を上げて凝視した瞬間、その安堵は霧散した。
艤装が違う。
マストの配置、上部構造物の形状、何より艦体に施された塗装が、帝国艦のそれとはまるで異なっていた。帝国海軍の艦に塗られた紋章も意匠も、どこにも見当たらない。
さらに目を凝らすと、隊列の中に大型の輸送艦らしき船影が複数交じっているのが見えた。その船体に施された意匠――それは、嫌というほど見覚えのあるものだった。
(ムー海軍の輸送艦……?)
ここ数ヶ月、ムー方面で帝国軍と幾度となく衝突を繰り返してきた相手だ。見間違えるはずがない。だが、なぜここに。なぜムーの輸送艦が、見たこともない艦影の艦隊に伴われて、この海域に現れている。
ロギンの背筋に冷たいものが走った。
艦隊は、迷いなくこちらへ向かっていた。
偶然この海域を通りかかった、というような航跡ではない。一切の逡巡も、進路の修正もなく、まっすぐにこの島へ――秘匿されているはずの補給基地へ向けて、艦首を向けている。
まるで、最初からここにあると知っていたかのように。
「な……」
声にならない声が漏れた。ロギンの手から、観測記録の手帳が滑り落ちる。
次の瞬間、彼は弾かれたように立ち上がっていた。
「軍曹っ! 軍曹、大変です!!」
叫びながら、ロギンは岩陰へと駆け出した。軍帽を目元に乗せたまま仮眠を貪っていたファルドが、その剣幕に驚いて飛び起きる。
「どうした、騒々し――」
「敵です! 敵艦隊が来ます!! 基地に真っすぐ向かってきています!!」
ファルドの顔から、一瞬で気だるさが消え失せた。
「は……? おい、待て、本当か……!」
二人は転がるようにして掩体壕へと駆け戻った。レンズの向こうには、依然として変わらぬ針路で接近を続ける艦隊の姿があった。
その規模は、明らかにこの二人が想定していたいかなる脅威をも上回っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
輸送艦「あさやけ」――かつての東遣艦隊が擁した試作型輸送艦の一隻、第百一号型輸送艦の上甲板は、出撃前の慌ただしさに満ちていた。
甲板に固定された四式中戦車の周囲では、戦車兵たちが額に汗を浮かべながら砲塔の弾薬庫へ次々と砲弾を積み込んでいる。重い砲弾を抱えての作業に、誰もが無駄口を叩く余裕などないようだった。
その様子を、艦橋寄りの手すりから見下ろす二人の将校がいた。
「相変わらず、せわしないものだな」
歩兵第一大隊長、三浦勇治1等陸佐がぽつりと言った。
「弾薬の積み込みだけは、いつの時代も変わらん力仕事だ」
戦車第一大隊長、竹内孝四郎1等陸佐が苦笑交じりに応じた。視線の先では、戦車の砲塔内に、砲弾が運び込まれていく。
「しかしこれで出るとはな。よくぞここまで改修やら整備が間に合ったもんだ」
甲板を、小銃を担いだ歩兵の一団が足早に通り過ぎていく。彼らが手にしているのは89式小銃、身につけているのは防弾チョッキ三型――いずれも現代の装備だった。旧軍の戦車を載せた旧軍の輸送艦の甲板を、最新の小火器と防護装備に身を固めた兵士たちが行き交う。その光景は、傍から見ればどこかちぐはぐで、しかし誰もそれを奇異とは思わなくなっていた。
「考えてみれば不公平だよな。俺たちの戦車は中身は兎も角、見た目は70年前の代物だが、歩兵の連中は見た目から最新鋭という」
「贅沢を言える立場でもあるまい。今あるものを使うしかないのが、現状なんだ」
竹内の言葉に、三浦も頷くしかなかった。
異界方面軍第〇一師団――その名は、防衛省への再編入に伴い、すでに過去のものとなっていた。現在の正式な部隊名称は、陸上総隊直轄第一遠征師団。再編されてから、これが初めての実戦投入となる。
「まさか、最初の出撃がここになるとはな」
三浦が呟くと、竹内も同意するように頷いた。
「俺はてっきり、第一、第二遠征師団がムー大陸へ送られるものだと思っていたんだがな」
「俺もだ。だが、話を聞く限りでは事情があったらしい」
三浦は手すりに腕を乗せ、遠くを見やった。
「先月、降伏したグラ・バルカス帝国の特設巡洋艦の艦内から、書類が見つかったそうだ。通商破壊部隊が使っている秘匿補給拠点の、詳細な位置を記した資料だった」
「それで、こっちが先になったわけか」
「ああ。ムー大陸への本格的な部隊派遣が始まる前に、敵の補給線をひとつでも潰しておきたいという腹積もりらしい。派遣部隊の輸送路が、敵の通商破壊艦にいいように荒らされたんじゃ、洒落にならんからな」
竹内は得心したように頷いた。
「なるほど。地味な仕事だが、理屈は通っている」
海上に目をやると、僚艦の姿が見えた。「あさやけ」と同じ第百一号型の輸送艦が数隻、整然と隊列を組んで進んでいる。その間には、異なる艤装を持つ輸送艦の姿もあった。ムー海軍の所属艦だ。さらにその周囲を固めるように、海上自衛隊第五護衛隊群の艦艇が配置についていた。
「ムー海軍も、よく協力してくれたものだな」
三浦がムーの輸送艦を見ながら言うと、竹内が頷いた。
「あちらさんは、もう戦闘艦をまともに出せる状況じゃないらしい。バルチスタやらマイカル沖の海戦で、相当に消耗したと聞く。それでも、輸送艦に海軍歩兵を乗せて寄越してくれた」
「義理堅いことだ」
三浦はしばし、ムーの輸送艦を見つめていた。異界の住人と肩を並べて戦うことになるとは――そう考えると、不思議な感慨が胸の奥からこみ上げてくる。長い軍歴の中でも、これほど奇妙な共闘は経験したことがなかった。
「何をしみじみとした顔をしてるんだ」
竹内がからかうように言った。
「いや……異界の兵士と共に戦うことになるとはな、と思ってな」
三浦が正直に答えると、竹内はにやりと笑った。
「お前、忘れたのか。俺たちもとっくに異界の住人だぞ」
「……違いない」
三浦は思わず苦笑した。竹内もつられたように笑い声を漏らす。
考えてみれば、その通りだった。70年前にこの世界へ流れ着き、地球へ帰ったつもりが、また舞い戻ってきた自分たちもまた、もはやどちらの世界の住人とも言い切れない、奇妙な立場にあるのだ。
二人の笑いが収まる頃、艦隊は針路を変えることなく、ただひたすらに東南海域の彼方を目指して進んでいた。
目指す先には、グラ・バルカス帝国の秘匿補給基地がある。