ダークが巣食うのは、世界のドブ底――『奈落 の底の国』。
そこへ至る道中は、常人であれば一瞬で肉片に 変わるほどの、凶悪な魔物たちが跋扈する生き 地獄だった。
だが、ナイトおじさんはたった一人で、その地 獄を突き進んだ。
鎧すらまともに着ていない薄汚いバイト着のま ま、背負った一本の古い鉄剣だけを手に、襲い かかる魔物たちを淡々と、泥臭く斬り伏せてい く。魔物の返り血を浴び、衣服が破れ、肉が裂 けようとも、おじさんの歩みは一切止まらな い。一晩中考え抜いた覚悟と、その身に宿した 「本物の温もり」だけが、おじさんを突き動か す絶対の原動力だった。道中に転がる無数の魔 物の死骸を踏み越え、おじさんはついに、奈落 の底の最深部――大聖堂の巨大な扉を押し開け た。
大聖堂の玉座の間、そこにダーク——ギフト『無限ガチャ』に覚醒した少年、ライトがいた 。レベル9 999の美女たちを左右にはべらせ、玉座に深 く腰掛け、勝利の全能感に酔いしれている。
そこへ、足音を響かせてたった一人で乗り込ん できたのは、鎧すらまともに着ていない、日雇 いバイト帰りの薄汚い中年の男勇者・ナイトだ った。男は片手を軽く挙げた。
「よっ」
あまりにも場違いな軽い挨拶が玉座の間に響き渡る。
「………………ここまでどうやってきたのかはわからないけど、何者かな?」
玉座のライトが、不快そうに眉をひそめる。その瞬間――、
「ライト様、ここは私達にお任せを」
主への無礼に激怒した禁忌の魔女エリーが、ナズナたちと 共にナイトおじさんを一瞬で消し飛ばそうと殺 意を剥き出しにして一歩前に踏み出した。世界を滅ぼすレベルの魔力が大聖堂 を満たしていく。
「――君たちは下がっていろ。」
ライトが鋭い声でエリーたちの進み出を制した 。
「ライト様・・・・・・? しかし、この不届き者は」
「レベル9999の君たちを動かすまでもないよ。僕が直々 に、絶望とともに塵に変えてやる」
ライトは玉座から立ち上がり、目の前の薄汚い男を冷酷 に見下ろした 。男の放つ、どこ か飄々とした大人の余裕が、ライトの傲慢なプ ライドを激しく逆撫でした 。自分の圧倒的な力を誇示し、目の前の男を今す ぐ平伏させたくてたまらなかった。
そんなライトの様子を、ナイトおじさんは口に くわえた煙草を噛み締めながら、冷徹に見据え ていた 。
「いやぁ、陛下から『最悪の魔王様』、い や………………『ライト様』の討伐を依頼されちまって ね。日雇いのバイトにしちゃ割に合わ ねぇ大仕事だが・・・・・・まぁ、おじさんがケジメを つけに来てやったよ、クソガキ」
「――っ、貴様……………っ!!」
世界を統べる絶対者を気取っていたライトの顔 が、怒りで一瞬にして真っ赤に染まった。高級 な装備で着飾った額やこめかみに、ピキピキと 青筋が浮かび上がり、激しい怒りと屈辱で引き つるように痙攣を始める。
「ハッ、口だけは達者みたいだけど、その余裕がいつまで持つか、試し てあげるよ!」
ライトが凄まじい速度で突進し、魔王と勇者の 一対一の激闘が始まった。レベル9999のライ トが放つ攻撃は大聖堂の床を粉々に爆ぜさせ る。ナイトおじさんは、その猛攻を必死に捌き ながら、息を呑んでいた。
(――おいおい、何じゃこりゃ…‼︎レ ベル9999ってのは伊達じゃねえ。いま正面で 刃を突き合わせているこの距離だと、奴の放つ 威圧感だけで、気を抜いたら吐き出しちまいそ うだ……………!)
おじさんは胃の底からせり上がってくる本能的 な恐怖を、大人の意地だけで強引に噛み殺す。 どれほど凶悪な攻撃を浴びせられても、ナイト おじさんは泥臭く立ち上がってきた。紙一重の ステップ、長年の日雇いバイトと死線で鍛え上 げた技術だけを燃料に、じりじりとライトとの 距離を詰めていく。
ライトは男の不気味な執念に言葉を失 い、ただ無言で冷や汗を流すだけだった。最初 から自ら前線に立ってその余裕を保とうとして いたが、その冷や汗の量が、目の前の男との精神的 な格差を物語っていた。
「なぜだ・・・・・・! なぜ倒れない!? 貴様はただ の雑魚のはずだろ!!」
苛立ち、焦ったライトの放った極大の光刃が、 ナイトおじさんの左腕を根元から捉えた。おじ さんの片腕が宙を舞い、大量の鮮血が噴き出 す。
しかし、おじさんは、決して諦めなかった。 片腕を飛ばされ、全身が自分の血で真っ赤に染 まろうとも、その瞳だけは、怯える子供を見る ような深い優しさと冷徹さでライトを射抜き続 けていた。折れた肋骨の激痛も、腕を失った喪 失感も、一晩考え抜いた「命を懸けた説教」の 覚悟の前には、何の意味もなさなかった。
おじさんは残された右手を血に染めながら、一 歩、また一歩と、執念だけでライトの元へ歩み を進める。
「ああ…うわ…あああ……………、化け物め・・・・・・・来るな、来るなぁ ツ!!」
どんな攻撃を浴びせても、片腕を飛ばしても、 絶対に折れないおじさんの「人間の意志」。
その圧倒的な恐怖を前にした瞬間、ライトの脳 裏に、あの日奈落に落とされた時のトラウマが鮮 烈に蘇った。
暗く冷たい、底の見えない奈落の闇。誰も助け てくれない、あの息もできないほどの絶望。目 の前で血を流しながら近づいてくるおじさんの 姿が、あの日の死の恐怖そのものと完全に重な り、ライトのプライドは完全に瓦解した。パニ ックに陥ったライトは、後ろの配下へと叫ん だ。
「エリー!! グングニールの封印をすべて解除しろ!!」
「ライト様………………っ!?しかし、それはお体に あまりにも…………」
声をあげたのはエリーだった。ライトの自傷行 為を伴う最悪の命令に対して、エリーは息を呑 み、ライトの体を気遣うあまり一瞬だけ命令に 従うのを躊躇い、その美しい顔を悲痛な困惑に 歪めた。
『神葬・グングニール』――ライトが引き当てた唯一の創世(ジェネシ ス)級のEXレアカードにして最悪のチート兵 器。その封印とは、主であるライ ト、そしてエリー、メイ、アオユキと いう、四人の魂そのものを分担して枷(かせ) とした、最悪の共依存の呪縛。第四段階まです べてを一気に全解除すれば、ライトの魂が消滅 しかねない上、この世界すらも崩壊しかねない。
胸を血で染め、じりじりと近づいていくナイト おじさんは、そんなエリーの顔を捉えた瞬間
――怒るでもなく、嘲笑うでもなく、ただただ 底冷えするような『哀れみの目』で見つめた。 エリー自身もまた、『無限ガチャ』という名の呪いの枷に縛られ ているだけの存在だからだ。
「うるさい!早くしろと言っているんだ!! 早く僕を助けろ!!」
「………………かしこまりました、ライト様」
エリーは完璧な人形の笑顔に戻り、自身の腕を 深く切り裂くと、鮮血を魔槍へと吸わせ、枷と なった自分たちの魂を狂わせながら、恐るべき 邪悪の呪詛を大聖堂に響かせた。
『————魂魄封絶第4限定解除! コード、「無 神論(バチカル)、愚鈍(エーイーリー)、拒絶(シェリダー)、無感動(アディシェス)、残酷(アクゼリュス)、醜悪(カイツール)、色 欲(ツァーカブ)、貪欲(ケムダー)、不安定(アィーアツブス)、物質主義(キムラヌード)」・・・・・・邪悪なる大 樹よ流転を正し罪科を示せ――神葬グングニ
ー ル!』
大聖堂の空間がパキパキと音を立てて軋み、黒 い稲妻が奔る中、凄まじいカタカナの羅列が炸裂す る。その世界を滅ぼすレベルの凄まじ い長文カタカナ呪文を目の前でじっと聴いてい たナイトおじさんは。
「・・・・・・あ?なんて??」
あまりのカタカナと単語の応酬に、日雇いバイ ト帰りの脳みそが完全に処理落ちした。おじさ んは戦闘中だというのに完全に素に戻り、ポカンとした顔で耳の穴を小指でほじくった。
「いや、ガキの早口言葉かよ、マジで1ミリも 聞き取れなかったんだが。今のもう一回最初か ら言ってくれるか?」
「うるさああああああああいいいッ!!!死 ね! 僕をバカにするなぁああっ!!」
厳かな雰囲気を完全にぶち壊されたライトが赤面しな がらブチ切れ、すべてを屠る創世級の魔槍を無 理やり掴み取った。凄まじい衝撃波が 大聖堂を爆裂させる。四人の魂の枷がすべて外 れ、槍にその生命を貪り喰われる。
ライトの耳の穴から鮮血が吹き出し、目からは 自身の孤独を露呈させるかのように、ドロリとした血の涙が流れた。
はっきり言って、これだけの血を流する程度の 代償で済んでいるのが奇跡なほどだった。ライ トは顔中を自身の血と恥ずかしさで真っ赤に染 め、狂気と恐怖、そして羞恥心に駆られるまま、ナイトおじさんの胸へ と漆黒の魔槍を突き立てた。
「勝った……………!刺さった、刺さったぞ! 僕 の、僕の勝ちだぁああっ!!」
ライトは血の涙を流するその瞳で、狂ったよう に勝ち誇ろうとした。グングニールの黒い刃 は、確かにおじさんの胸を深々と貫き、背中へ と突き抜けている。
しかし、ナイトおじさんは、胸に槍が刺さって いるのをもはや気にも留めず、じり、と一歩前 へ踏み出した。自身の身体にさらに深く槍を突 き込ませながら、ライトとの距離をゼロにする ために近づいていく。
「ひっ……………!?な、なんで動けるんだ 来るな、僕から離れろォ!!」!
「――どうしたよ『ライト様』。ずいぶん と焦り始めたじゃねえか。さっき、そこの女はお前の体を気遣って、四人の魂の 枷を解く命令に一瞬『困惑するそぶり』を見せ たな。・・・・・・本当に、よくできた人形劇だ」
あるいは、ドサリと。残された唯一の右腕が、 ライトの小さな身体を強く、優しく、抱きしめ た。
「が、はっ……………………………。……………悪かったな、ライト」
おじさんの掠れた声が、ライトの耳元に響く。 抱きしめられた状態で、後ろで佇むエリーたち を指して、おじさんは血混じりの息を吐きなが ら、魂の説教を叩きつける。
「どんな攻撃をぶち込んでも、俺がゾンビみた いに近づいてくるのがそんなに怖かったか? だからしびれを切らして、そんな自分の命をガ リガリ削るような物騒な槍の封印を、すべ て解けなんて部下に泣きついたんだろ。部下に 『下がっていろ』とカッコつけて啖跨を切った くせによ、結局は自分の言葉を翻して玩具に 頼らざるを得なくなった。お前、さっき自分で 言ったことも守れねえのか?」
おじさんはライトの手首を強く包み込んだ。
「お前の様な奴を世間様じゃ、ただの甘ったれたガキ のワガママって言うんだよ。そして、そこの女みたいな奴を 世間様がなんて呼んでるか知ってるか? ―― 奴隷って言うんだぜ 。お前を心配する のも、お前のために一瞬躊躇うのも、全部最初から刷り込まれた人形だ。お前が怒鳴りつ けたら、あいつは一瞬でその困惑の顔を消し て、人形の笑顔に戻って『ライト様』のために お前の魂を削る封印解除の呪文を唱え始めた ろ」
おじさんの残された右腕から伝わる、生きてい る人間の圧倒的な『本物の温もり』が、ライト の全身に冷酷な現実を刻み込んでいった。
「本当の仲間ってのはなぁ、ライト。主人が自 分を傷つけて血を流してるとき、ただ後ろで見 守って、命令されるまで勝手に動きもしないよ うな都合のいい存在じゃねえ。………俺を育てて くれた獣人の先輩は、俺がボロボロになって剣 を振ってるのを見て、『明日が来る前に死んじ まうだろうが!』って、大粒 の涙を流して俺 を殴りつけてでも、その無茶を全力で止めてく れた。エルフの先輩は、服が汚れるのも気 にせず俺を抱きしめて、『もう一人で泣かない で』って、涙を俺の首筋に落としてくれたんだ よ」
おじさんはライトの手首を優しく包み込み、そ の耳元で静かに囁いた。
本当の仲間ってのは互いに膨大な時間をかけ て作るもんだ、お前のそれは意志を奪われた人 形たちを操ってるだけのおままごとに過ぎない んだよ。あいつ(エリー)がどんなにお前を心 配するようなそぶりを見せようと、自分の魂を 削り合って、都合のいい全肯定を演じ合ってる だけだ。涙を流してお前を殴り倒してでも、そ の暴走を『勝手に止めてくれる人間』は、そこ には一人もいねぇんだ。・・・・・・だから俺は、あい つが可哀想で、哀れで仕方がねぇんだよ」
「ライト、お前が最初に復讐したガルーという獣人は、自分の命が惜しくて仲間を捨て、最後 は泣き叫んで命乞いをしたそうだな。……………あ あ、あいつはクズだ。だがな、俺を育ててくれ た獣人の先輩は違うぞ。無能な俺がボロボロに なって剣を振ってるのを見て、大粒の涙を流し て俺を抱きしめてくれた。最後は俺を逃がすた めに、自らが盾になって笑って死んでいったん だ」
「お前を裏切ったサーシャというエルフの女は、 自分の肉体を交渉材料にして媚びを売ったらし いな。ヘドロのような女だ。だが、俺が出会っ たエルフの先輩は、泥まみれで『僕には役 割がないから』と泣きじゃくる俺を、綺麗な服 が汚れるのも気にせずきつく抱きしめてくれ た。『生きて隣で 笑ってくれればそれでいい』って、俺のために泣いてくれたんだ」
「お前はガルーやサーシャという『偽物』に傷 つけられた腹いせに、本物の仲間と出会う権利 を自らドブに捨てて、『無限ガチャ』という都合の良い引きこもり部屋 に逃げ込んだだけなんだよ。・・・・・・お前が一番なり たくなかった『最悪のクズ』に、お前自身がな っちまってるんだよ、ライト」
「こんな復讐鬼を生み出したのは、俺たち がウミを出し切れなかったせいだ。…………本当にすまなかった、辛かったよ な。誰からも必要とされない絶望は、誰よりも、俺が一番よく わかる」
ライトの身体が、ガタガタと激しく震え始める 。
「お願いだライト。これからは無限ガチャなん てまやかしじゃなくて、お前自身の足で、価値 のない俺の代わりにさ、本物の勇者になってく れよ……………。……………お前はまだ若い。これか ら一生かけてやり直せ。――一生かけて、本物 の優しさに触れてこい」
「もう、誰も恨むな。……………幸せになれよ……………ライト……」
ガルド――『ナイト』はライトを抱きしめたま ま、満足そうな、穏やかな微笑みを浮かべ、永遠に目を閉じた。
「ライト様! 害虫を駆除できましたね! さ あ、次の国を――」
エリーたちの完璧な美しい笑顔。
「あ、あ………………………………………う、あ………………………………。うあ、ああ あ……………っ、ひぐっ……………!」
初めて、ライトは子供のように泣きじゃくっ た。
どれだけ敵を殺しても流れなかった涙が、ボロ ボロと溢れ出す。おじさんの冷たくな っていく遺体にしがみつき、声を上げて泣き続 けた。
「ライト様……………? なぜ泣いておいでなのです か?」
彼女たちには、主人のこの涙の意味が、1ミリ も理解できない。「おままごと」の世 界には、ライトのこの涙に寄り添ってくれる本 物の人間など、もう一人もいなかった ——————-
ふっと、大聖堂の冷たい石床の感覚が消えた。
おじさんがゆっくりと目をあけると、そこは一 面、温かく白い光に満ちた平穏な世界だった。
「・・・・・・あぁ、やっぱり死んじまったか」
おじさんが苦笑いしながら頭を掻いた、その時 だった。
「――ばっ、か野郎が……………っ!!」
聞き覚えのある、地響きのような大声。
視線を前に戻したおじさんの瞳が、驚きに大き く見開かれる。
そこには、大粒の涙をボロホロと流し、顔をく しゃくしゃにして怒っている大柄な獣人の先輩 ――ボルドの姿があった。
そしてその隣には、綺麗な目元を涙で濡らし、 今にも崩れ落ちそうな顔でこちらを見つめてい るエルフのお姉さん――セシアの姐さんが立ってい た。
2人は、ナイトにとってずっと年上の、あの地 獄から救い出してくれた圧倒的に頼れる大人の 先輩たちの姿のままだった。
「なんでこっちにきちまったんだよ、ガル ド・・・・・・っ! お前は、お前だけは・・・・・・もっと長 生きして、美味しいもんいっぱい食べて、爺さんになるまで幸せに生きるって……………俺たちと約 束しただろうが……………っ!!」
ボルド先輩がガシガシと涙を拭いながら、昔と 変わらない大きな、温かい手のひらで、おじさ んの頭を強く、何度も撫で回した。
「本当に、相変わらずお節介で、無茶ばかりす る男の子ね・・・・・・」
セシアの姐さんが涙ながらに呆れたように笑 い、おじさんの大きな身体を、そっと、優しく 抱きしめてくれた。お姉さんの身体からは、あ の日の森の夜と同じ、懐かしくて温かい木の葉 の香りがした。
自分よりずっと年上だったはずの二人の先輩。 今はすっかり渋いおじさんになってしまった自 分。けれど、彼らの前に立つと、ナイトはお腹 を蹴られて「すみません」と泣きじゃくってい た、あの12歳の荷物持ちの少年に一瞬で戻っ てしまうのだった。
「………………すみません、ボルド先輩、セシアの姐さん。……………ただいま戻りました」
おじさんは不器用な笑顔を浮かべ、今度は泣か ずに、二人の大好きな先輩たちに向かって、心 からの深い敬意とともに、晴れやかなお辞儀を 返すのだった。