ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
エオルミアは、罪人の手を引いて走っていた。
長いストレートの白髪が激しく揺れながら、止まらない。止まるわけにはいかない。
夜の街は明るかった。
地上とは、もっと暗く、もっと粗末で、もっと混沌とした場所なのだと教えられていた。けれど実際には、磨かれた石畳の道に青白い灯火が等間隔に並び、頭上を渡る金属の橋には小型の輸送機が音もなく滑っている。
天界より低き場所。
導かれるべき未熟な世界。
そう記録にはあった。
だが、エオルミアの目の前に広がる地上の街は、驚くほど整っていた。
整いすぎている、と言ってもよかった。
「こっち!」
手を引かれているはずの女が、逆にエオルミアを路地へ引き込んだ。
赤い髪が夜灯を弾き、振り返った横顔に汗が光る。息は乱れているのに、その口元には笑みがあった。
「罪人リシェラ! 停止しろ!」
背後から響く声。
続いて、警告音。
街灯の光が赤に変わり、石畳に複数の影が伸びる。
リシェラ。
それが、この女の名らしい。
罪状は知らない。
追われる理由も知らない。
本来なら、エオルミアが関わるべき相手ではなかった。
彼女には使命がある。
崩れゆく天界を救うため、災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させる。
そのために、エオルミアは地上へ降りた。
罪人を逃がすためではない。
それなのに、エオルミアは手を離せなかった。
「なぜ追われていたの」
路地の奥で足を止めて、エオルミアは問うた。
赤い髪の女――リシェラは、壁に背を預けたまま肩で息をしている。逃げ切ったばかりだというのに、彼女はどこか楽しそうに笑っていた。
「最初にそれ聞く?」
「必要な確認です。貴女が危険人物である場合、対応を変更しなければなりません」
「真面目だねえ」
「答えてください。貴女は何をしたのですか」
リシェラは少しだけ目を細めた。
夜灯の青い光が、その横顔を冷たく照らす。
エオルミアが尋ねる。
「
リシェラは小さく首を振った。
「ううん。天族は殺してない」
「……天族は?」
エオルミアが問い返すと、リシェラは笑みを消した。
ほんの一瞬だった。
けれど、その一瞬だけ、彼女はひどく疲れた顔をした。
「さあね」
「リシェラ」
「今はまだ、言いたくない」
追手の警告音が遠くで反響している。
エオルミアは、彼女の手首を見た。先ほどまで自分が掴んでいた場所。細く、熱を持ち、まだ震えている。
罪人。
記録上は、そう呼ばれる者。
けれど今のエオルミアには、その言葉だけで彼女を引き渡すことができなかった。
「では、言いたくなるまで保留します」
「保留?」
「貴女を拘束対象と判断するには、情報が不足しています」
リシェラは数秒だけぽかんとして、それから吹き出した。
「変な天族」
「否定材料がありません」
「そこは否定してよ」
笑うリシェラの手を、エオルミアはもう一度取った。
今度は、逃がすためではない。
置いていかないためだった。
***
追手の声が完全に遠ざかった頃、二人は廃棄された連絡橋の下に身を潜めていた。
「ひとつ、確認してもいいですか」
「今度は何? あたしが誰を殺したかの続き?」
少し警戒するリシェラに、いいえと答えてからエオルミアは続けた。
「ルズローシヴ=レレイという名に、心当たりはありますか」
リシェラは瞬きをした。
「るず……何?」
「ルズローシヴ=レレイです」
「ごめん。知らない」
即答だった。
エオルミアはわずかに視線を落とす。
期待していたわけではない。地上に降りたばかりで、偶然出会った罪人が使命の手がかりを持っている可能性など、決して高くはない。
それでも、落胆に似たものが胸の奥をかすめた。
「探し物?」
リシェラがそう言った。
エオルミアは顔を上げる。
「はい」
答えてから、少しだけ違和感を覚えた。
探し物。
それは正確な表現ではない。
ルズローシヴ=レレイは災厄であり、消滅させるべき対象だ。
見つけ出し、封じ、消す。
それがエオルミアに与えられた使命だった。
けれど、リシェラの言葉を否定する理由も見つからなかった。
「天界を救うために、見つけなければならないものです」
「ふうん」
リシェラは壁から背を離し、まだ警告音の残る夜の街をちらりと見た。
「探し物、見つかるといいね」
「はい」
リシェラの笑みを見たエオルミアの体温が、少し上がった。
***
追手の気配が薄れた頃、リシェラはエオルミアを裏路地のさらに奥へ連れていった。
行き着いた先は、小さな酒場だった。
「ここなら、そのルズローシヴ=レレイ? を知ってる人もいるかもしれない」
治安は悪いが、表通りよりも監視の目が緩い。
やり手の剣士であるリシェラにとって、その方が都合が良かった。
掲示板には、様々な事件について語る紙が貼られていた。
立ち入り禁止区間、霊峰レイフォルク。
「これは何?」
エオルミアが尋ね、リシェラが答える。
「なんか、引きこもって人間の引き渡しを拒否してる天族がいるみたい。傘を持った女の子だって」
「水属性でしょうか」
天族とは、人間と酷似した見た目の異種族である。
地水火風の4属性のうち1つを持つ長命種。
遥か昔は普通の人間から視認できなかったらしいが、今は見えるのが当たり前になっている。
「あ、いや、地属性って書いてあるよ」
「間違えました」
「無理もないよ。あたしも最初はそう思ったもん」
「でも、行ってみたいな。レイフォルク」
「そうなのですか?」
「今はもう警備が厳重で難しいけどね」
よく読むと、レイフォルクの天族は罪人の引き渡しを拒否している。であれば、罪人にとっては安全性の高い環境なのだろう。エオルミアはそう整理した。
しかし掲示板に、ルズローシヴ=レレイの文字は見当たらなかった。
酒場のマスターにも聞いてみたが、心当たりはないとのこと。
「エオルミアはさ、これからどうするの」
「ルズローシヴ=レレイを探します」
「だよね」
「一緒に来ますか?」
考える前に言葉が出てきた。理由は分からなかった。
「あたしお尋ね者だよ?」
「貴女と離れると、何か嫌なことが起こりそうな気がします」
「何それ、口説き文句?」
「わかりません」
リシェラは笑って答える。
「いいよ、一緒に行こ」
***
酒場を出ると、夜気は思ったよりも冷たかった。
表通りの青白い灯火はまだ遠くまで続いている。
頭上の連絡橋を、小型の輸送機が音もなく通り過ぎていく。
リシェラは慣れた様子で周囲を見回し、追手の気配がないことを確かめる。エオルミアはその横顔を見ていた。罪人として追われているはずなのに、彼女はこの街の暗がりに不思議なほど馴染んでいる。
地上は整っている。
けれど、その整った街の隙間には、誰かが逃げ込むための暗がりも残っていた。
「他に、誰か情報に詳しい人はいないでしょうか。後は、強力な力を持った天族」
エオルミアの長い白髪が風に揺れる。
「それも探し物に必要なの?」
「はい」
無名の天族エオルミアと、罪人のリシェラ。
天界を救うためには、強力な天族の力が必要だった。
けれど、地上に降りたばかりの天族と、追われる身の人間に、そこに近づく手段などあるはずもない。
ルズローシヴ=レレイを探す旅は、始まる前から行き詰まっていた。