ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
浄火の聖堂は、湖畔の町からさらに東の丘にあるという。
そこへ向かう道中、一行は古い巡礼小屋で夜を明かすことになった。
かつて聖堂へ向かう旅人が使っていた場所らしい。壁は少し傾き、屋根の一部には修繕の跡があったが、雨風をしのぐには十分だった。
小屋の中央には、石で囲まれた炉がある。
火はまだ入っていない。けれど、近くの棚には乾いた薪が残されていた。
「火の聖堂へ向かう前に、火種があるのは縁起がいいねえ」
ヴェルノが薪を組みながら言う。
「あなたが言うと、少し胡散臭いわね」
イリシアが返す。
「俺、火まで胡散臭くできる?」
「できるわ」
「評価が高いなあ」
セノアが術で火をつける。
「助かった」
「オルセイのおかげでもあるよ」
エオルミアは、リシェラの違和感に気づいた。
水の遺跡を出てから、リシェラはいつも通りに振る舞っている。
冗談も言う。
戦闘でも前に出る。
食事も取った。
だが、時折、ふと黙る。
その沈黙の先に、何があるのか。
エオルミアにはまだ分からなかった。
炉の火が小屋の壁を照らす。
外では夜風が草を揺らしている。
イリシアが湯を沸かし、ヴェルノが荷物を整理し、セノアとオルセイが小屋の外の見張りへ出た。
少しだけ、人の声が減った。
リシェラは、炉の火を見つめていた。
「ねえ、エオルミア」
「はい」
「前にさ、聞いたよね。あたし自身は、自分のことを罪人だと思ってるのかって」
「聞きました」
「今も、聞きたい?」
エオルミアはリシェラを見た。
「はい」
即答すると、リシェラは困ったように笑った。
「そういうところ、変わらないね」
「変える理由がありません」
「そっか」
炉の火が、赤い髪を照らしている。
「子供が嫌いなわけじゃないんだ」
リシェラはぽつりと言った。
エオルミアは黙って聞く。
イリシアも、湯の入った器を手にしたまま動きを止めた。
「ダルガさんの村で、小さい子が祭りの歌を間違えて歌ってたでしょ」
「はい」
「かわいかった。ああいうの、嫌いじゃない。人が増えた方がいいって話も、分かる。村が続いた方がいい。お祭りも、歌も、畑も、店も、誰かが覚えていった方がいい」
リシェラは息を吸う。
「分かるんだよ」
その声は、水門の奥で聞いた時と同じだった。
分かるから、嫌なんだと思う。
「でも、あたしは」
リシェラは指先に力を込めた。
「あたしは、男の人とそれをしたくない」
炉の火が、ぱちりと鳴った。
「女の子の方が好きなんだ」
その言葉は、とても静かだった。
叫びでも、懺悔でもなかった。
けれど、そこに置くまでに、長い時間がかかった言葉なのだと分かった。
エオルミアは、言葉の意味を理解しようとした。
女性を好き。
男の人と、それをしたくない。
出生義務を果たせない。
違う。
果たしたくない。
それらが、ようやく一つの線になっていく。
「つまり、貴女は女性を恋愛対象とするのですね」
リシェラがこちらを見た。
「……そんな書類みたいに言わないで。合ってるけどさ」
「申し訳ありません」
エオルミアは少しだけ姿勢を正す。
「ですが、理解したいのです」
リシェラは目を伏せた。
「理解、か」
「はい」
「制度の人たちも、理解はしてくれたよ」
その声には、少しだけ苦さがあった。
「女性を好きになること自体は、禁じられていません。同性の伴侶を持つことも、現在の法では認められています。あなたの嗜好を否定する意図はありません」
リシェラは淡々とした声で、誰かの言葉をなぞる。
「でも、同性伴侶の存在は出生義務免除の事由には該当しません」
イリシアの表情が険しくなる。
リシェラは続けた。
「天族の伴侶も同じ。人間と天族が愛し合うことは、共存社会における尊い絆です。でも、人間としての出生義務は別です。世界を維持するため、どうかご理解ください」
炉の火が揺れる。
「理解って、便利だよね」
リシェラは笑った。
「理解した上で、関係ないって言われるんだから」
エオルミアは、その言葉を聞いていた。
理解している。
否定はしない。
認めている。
けれど、免除はしない。
それは、優しい言葉の形をしていた。
だが、その内側で、リシェラの拒絶は最初から数に入っていなかった。
「リシェラ」
イリシアが静かに名を呼ぶ。
「それは、罰される理由ではないわ」
「でも、この世界では理由にならない」
リシェラはイリシアを見た。
「女の子が好きだから嫌です、なんて、理由にならないんだよ。男の人としたくないって言っても、担当の人は困った顔をするだけ。大丈夫です、相手は選べます。医療的な支援もあります。義務履行後の生活は保証されますって」
「リシェラ」
「悪い人たちじゃなかった」
その言葉が、かえって重かった。
「本当に、悪い人たちじゃなかったんだと思う。皆、世界を守ろうとしてた。人が減ったら困るのも本当。あたし一人だけ特別扱いできないのも、たぶん本当」
リシェラの声が少しだけ震える。
「でも、嫌だった」
小屋の中が、静かになる。
「どうしても、嫌だった」
それは、初めてリシェラがはっきり言った拒絶だった。
逃げた。
隠した。
軽口でごまかした。
罪人と呼ばれても笑った。
けれど今、リシェラはただ、自分の嫌だを置いた。
「あたしの身体を、世界のために使われるのが嫌だった」
エオルミアは息を呑んだ。
「子供を産みたくないんじゃない。誰かを愛したくないんじゃない。人が続いてほしくないわけでもない」
リシェラは炉の火を見つめる。
「ただ、あたしの身体を、あたしの気持ちを無視して、世界の解決策にされたくなかった」
その言葉は、エオルミアの中で何かを揺らした。
水門の奥で、イリシアが言った言葉。
あなたの身体を、解決策として数えることは違う。
天界を救うために、ルズローシヴ=レレイを消滅させる。
世界を守るために、リシェラの身体を数える。
二つの形が、少しだけ似て見えた。
だが、同じなのかどうかは分からない。
ルズローシヴ=レレイは災厄である。
天界を侵す濁りの根源である。
ルネアは、本質に近い名前だからこそ災厄なのだと言った。
ならば消滅は必要なはずだ。
必要なはずなのに。
エオルミアは、リシェラの横顔から目を離せなかった。
「軽蔑した?」
リシェラが、小さく聞いた。
その問いは、イリシアに向けられたものではなかった。
エオルミアに向けられていた。
「いいえ」
エオルミアは答えた。
「即答だね」
「考える必要がありません」
「……そう」
リシェラは、少しだけ肩の力を抜いた。
エオルミアは続ける。
「私は、貴女が女性を好きであることを、罪だとは判断しません」
リシェラが瞬きをした。
「また判断?」
「はい。今、改めて決定しました」
水門の奥で言った言葉と、同じ形だった。
私は、貴女を拘束対象として扱いません。
そして今。
私は、貴女が女性を好きであることを、罪だとは判断しません。
リシェラはしばらくエオルミアを見ていた。
やがて、ふっと笑う。
「エオルミアって、変だね」
「否定材料がありません」
「そこは否定してよ」
「しかし、貴女は私のそういうところを嫌っていないように見えます」
リシェラの顔が少し赤くなった。
「そういう観察はしなくていい」
「必要な観察です」
「必要かなあ」
イリシアが、小さく笑った。
リシェラは咳払いをする。
「……女の子が好きって言ったけど」
「はい」
「だからって、女の子なら誰でもいいわけじゃないからね」
「承知しました」
「本当に分かってる?」
「おそらく」
「おそらく」
リシェラは呆れたように笑った。
けれど、先ほどよりも少しだけ呼吸が楽そうだった。
エオルミアは考える。
女性を好きである。
女の子なら誰でもいいわけではない。
リシェラは、エオルミアのそういうところを嫌っていないように見える。
そこまで整理して、ひとつ疑問が浮かんだ。
「リシェラ」
「何?」
「女性を好きであるなら、私はその対象に含まれる可能性がありますか」
リシェラが固まった。
イリシアが器を落としかけた。
少し離れた入口の方で、見張りに出ていたはずのセノアが「え」と声を漏らす。
その直後、オルセイが「聞くな」と低く言った。
ヴェルノだけが、口元を押さえて肩を震わせている。
「今それ聞く!?」
リシェラが叫んだ。
「重要な確認です」
「重要だけど、今じゃない!」
「では、いつ確認すればよいですか」
「知らない! そういうのは、もっと、こう……空気とか、流れとか!」
「空気と流れ」
エオルミアは炉の火を見た。
「現在、室内の空気は安定しています。外気の流入も少なく、火の揺れから判断して風の流れも弱いです」
「そういう流れじゃない!」
リシェラの声が裏返る。
イリシアはとうとう笑った。
ヴェルノも笑っている。
セノアは入口の外で何か言いたそうにしていたが、オルセイに首根っこを掴まれて引き戻された。
リシェラは真っ赤な顔で、エオルミアを睨む。
「今の質問は、保留!」
「保留ですか」
「保留!」
「分かりました」
エオルミアは頷いた。
「情報が不足していますので」
「そういう問題じゃない!」
リシェラはそう言って、顔を背けた。
けれど、その横顔は怒っているようには見えなかった。
炉の火が、ぱちりと鳴る。
小さな火だった。
世界を救う火ではない。
何かを浄化する火でもない。
ただ、夜の小屋で人を少しだけ温める火。
エオルミアは、その火を見つめながら思った。
リシェラは、自分の嫌だを差し出した。
それは弱さではない。
少なくとも、エオルミアはそう判断した。
そして、まだ名前の分からない感情が、胸の奥で静かに灯っていることにも気づいた。
その火が何なのかは、まだ分からない。
ただ、消したくはなかった。